脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

薬漬けになりたくない 向精神薬を飲むこども

2012年06月13日 | 情報

今夜のNHKクローズアップ現代

夜7時半から

「薬漬けになりたくない 向精神薬を飲むこども」

今も日本のどこかにいるんだろうな。

脳脊髄液漏れてると誰にも気づいてもらえず、

向精神薬漬けにされているこどもたちが・・・。

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水俣病の教訓を、私たち脳脊髄液減少症患者こそがこどもたちへ伝えよう

2012年06月13日 | つぶやき

水俣市立水俣病資料館

「起きたことに学び」「失敗に学ぶ」って

脳脊髄液減少症でも同じことが繰り返されているのに・・・・

ちっとも過去の教訓が現在に生かされていない・・・・。

 

毎日新聞記事によると、

原田先生は、最後まで、「水俣病の教訓を次世代、特にこどもたちに伝えたい」と意欲を燃やしていたそうです。

原田先生のご遺志を、私たちが、次世代、こどもたちに皆で、実名で伝えていきましょう。

脳脊髄液減少症という水俣病と似た構図を持つ疾患を経験してしまった以上、

それぐらいの勇気と使命感を持ちましょうよ。

 ________________________

以下中日新聞記事より

原田正純氏死去 水俣病の教えは今も

 原田正純さんは、いつも水俣病患者のそばにいた。

患者に寄り添い、その暮らしから真実を読み取ろうと試みた。

弱いから見えるものがある。

原田さんが提唱した水俣学は、弱者に学べと訴える。

 水俣病とは、何だろう。

水俣病研究の第一人者、原田正純さんの生涯をかけた問いだった。

 水俣病多発地帯、ミカン畑に囲まれた熊本県水俣市湯堂の集落を、原田さんは「わたしの原風景」と書いている。

 半世紀以上前、熊本大学の若き医師として、朽ちかけた貧しい患者の家を訪ね歩いた。

診察を拒否する患者たち。

水俣病と診断されて、風評被害に遭うのが怖い。

大学病院の医師が診察を拒否されるなど、想像すらしなかった。

 しかし、原田さんは、その現実を直視した。

 「治らない病気を前にしたとき、先生たちに何ができるのですか」。

患者からのこの厳しい問いかけに、真っすぐ向き合うことにした。

 水俣病の原因は、チッソという化学会社が、水俣湾に垂れ流した有機水銀だ。

高度経済成長を牽引(けんいん)した、元は「国策企業」である。

これらは疑う余地がない。しかし、水俣病の正体は、いまだ判明していない。

政府と最高裁で病気の認定基準が違う。補償が膨らまないように、国が配慮しているようにも見える。

 水俣病はなぜ起きて、なぜ終わらないのか。

 原田さんは、自らを問い詰めた。

本当は極めて社会的、政治的、経済的な“水俣事件”を医学に独占させたこと、医学に丸投げしたことが間違っていたと気が付いた。そして「専門家とは何か」という新たな問いにたどり着く。

 「専門家と素人」の壁を取り払い、水俣病にかかわり合ったさまざまな分野の人の話をみんなで聞きながら、私たちの生き方や社会のあり方を見直そう。

そう考えて提唱されたのが「水俣学」だった。

人々の健康を奪い、地域のきずなを引き裂いた水俣の悲劇を繰り返さないために。

 原田さんの願いは、かなえられたのか。

私たちは今、原子力ムラに封印された科学に対する不信に揺れている。政府は原発再稼働へと急いでいる。

 福島で何が起こったか。

水俣学の手法で検証してみたらどうだろう。

情報を全面的に開示させ、私たち自身の暮らしに当てはめて、それぞれに考えよう。水俣学は、今に生きているのである。

 ______________________

以上、中日新聞記事より。

水俣学の手法で、脳脊髄液減少症についても検証してみれば、

何が起こっているのかわかるでしょう。

脳脊髄液減少症と診断され、それが周囲に知られて、風評被害に遭うのが怖い、

なんていう患者がいるなら、

それも、

水俣病の過ちを繰り返していることになるでしょう。

何も悪くない患者自身がまず、毅然とした態度を示さないと、また周囲の過ちをも誘発するでしょう。

_________

以下読売新聞記事より

読売新聞2012年6月13日 「原田さん、弱者支え50年」

 

 

原田さん 弱者支え50年

 常に弱い者に寄り添う医者だった。

水俣病の診察と研究に生涯をささげ、77歳で死去した元熊本学園大教授・原田正純さん。

訃報から一夜明けた12日、仲間の研究者は涙ながらに偉業をたたえ、被害者たちは「ありがとう」と半世紀以上にわたる支援に感謝した。

■被害者たち

 原田さんは1972年に第1回国連人間環境会議が開かれたスウェーデン・ストックホルムで水俣病の被害実態を訴えたことがある。

 その際、傍らに立ち一緒に世界に向かって声を上げた胎児性患者の坂本しのぶさん(55)は12日、

水俣市の通所施設「遠見の家」で記者団の取材に応じ、「いつもニコニコして何でも話ができる先生だった。本当に残念です。ありがとう。お疲れさま」とねぎらった。

 同市の別の通所施設で原田さんが理事を務めていた「ほっとはうす」では加藤タケ子施設長(61)が声を詰まらせた。

「この1か月は毎週、胎児性患者たちを連れてお見舞いに行った。『元気をもらったよ』と終始、優しい笑顔で応じていた姿が忘れられない」

 この施設に通う胎児性患者の加賀田清子さん(56)は、自らの携帯電話で撮影し保存していた原田さんの写真に見入り、「あまりに早過ぎる」と涙を流していた。

■熊本学園大

 

 熊本学園大の水俣学研究センターでは同日、センター長の花田昌宣教授(59)が、穏やかに笑う原田さんの遺影を横に記者会見した。

 原田さんは1999年に熊本大を退官し、熊本学園大の教壇へと移った。2005年のセンター開設と同時にセンター長に就任。補佐役を務めたのが花田教授だった。

 以来、2人は手を携えて水俣病問題を医学、環境、法律などあらゆる分野からとらえる「水俣学」の研究や講義に取り組んできた。

 花田教授は時折、涙ぐみながら会見し、「『弱い者とともに』を軸とする反骨の人だった」と尊敬する故人をそう表現。

さらに、水俣学について、「君たちが作り上げていくんだ」と言われたエピソードを紹介し、「気持ちを受け継ぎ、水俣病問題に取り組んでいきたい」と述べた。

 花田教授によると、原田さんは4月末に入院したが、5月6日に「自分の体になりゆきを任せたい」として退院。それ以来、輸血を受けながら自宅療養を続け、容体を聞きつけて来た人たちと面会していた。

 水俣病などの教訓を次世代の子供たちに伝える絵本の出版を企画していたが、かなわなかったという。

■行政関係者

 蒲島知事は12日、県庁で記者団の取材に応じ、「水俣病問題に一生涯をささげられた功績は非常に大きい。常識を覆して胎児性患者を発見し、水俣病を通して公害問題に世界的な貢献をされた。

残念でならない」と語った。

 宮本勝彬・水俣市長は「まことに残念な思い。水俣病の発生当初から患者に寄り添い、患者を支えてこられた。原田先生のご意思を大切にしていかなければならない」とコメントを出した。

 同市立水俣病資料館は13日、原田さんの活動の記録を展示する追悼コーナーを設ける。入館は無料。

◇水俣病・CO中毒 法廷証言100回超

 原田さんが治療、研究に没頭したのは、水俣病だけでなく、炭じん爆発事故による一酸化炭素(CO)中毒や、ダイオキシン類による油症にも及んだ。

 1960年に医師免許を取得し、すぐに遭遇した水俣病。続いて目を向けたのは死者458人、CO中毒患者839人を出した旧三井三池炭鉱三川鉱(福岡県大牟田市)の炭じん爆発事故(63年)だった。

 当初からCO中毒患者の診察を続け、患者の脳波測定の結果をもとにCO中毒が脳に障害を残すことを医師団として突き止めた。

 自らも胃がんや脳梗塞を患いながら、事故に関する集会やシンポジウムで壇上に立ち続け、「三池の経験を未来に生かすことが患者、家族に報いるせめてもの手段」と訴えた。

水俣病とCO中毒に関する訴訟で証人として法廷に立った回数は100回を超えた。

 CO中毒患者や家族、支援者らでつくる「三池高次脳連絡会議」議長の芳川勝さん(69)(大牟田市)は「診察だけでなく、患者の医療体制を整えるために一緒に上京して要望活動をしたこともある」と振り返った。

 また、北九州市のカネミ倉庫が製造した食用油にダイオキシン類が混入し、68年に表面化したカネミ油症問題では、「黒い赤ちゃん」とも呼ばれた胎児性油症患者を中心に検診にあたった。

長崎県五島市の患者団体「カネミ油症五島市の会」の宿輪敏子事務局長(50)は「長年、患者に寄り添って被害の大きさや公的救済の必要性を訴えていただいた」と感謝の言葉を述べた。

 ベトナム戦争で散布された枯れ葉剤によるダイオキシン類被害を調査するため現地に赴いたこともある。

2012年6月13日 読売新聞)

 

____________________

読売新聞 花田教授「水俣病の失敗繰り返さない」

 熊本学園大(熊本市)の水俣学研究センター長花田昌宣教授が9日、同大で開かれた日本地域福祉学会全国大会で基調講演し、水俣病と福島原発事故との類似点を挙げたうえで「水俣病の失敗を繰り返してはならない」と呼びかけた。

 花田教授は、水俣病が発生した際のチッソや国の対応の遅れを問題視。

不知火海沿岸の被害者の実態調査がいまだに実施されていないために現在でも水俣病が解決されていないとして、「すべきことをしてこなかったのが水俣病の歴史」と批判した。

 一方、福島原発事故も「不特定多数の広範囲な地域の住民」に被害を生んだことが水俣病と共通していると指摘。

「25年後にがんの症状が出たとしても原発との関係を証明するのは難しい」と述べ、広い範囲で放射能の被害を調査する必要性を強調した。

2012年6月10日 読売新聞)

______

↑この記事は亡くなる前の記事だから、

花田教授は、原田先生の死期が近いことをわかっていたのだと思います。

国の対応の遅れは、脳脊髄液減少症で、すでに繰り返されてしまっています。

水俣病の失敗は、目立たないところで、すでに繰り返されています。

原発事故だけに共通点があるわけではありません。

脳脊髄液減少症にも多数共通点があるのです。

 

交通事故からじわじわ症状が出てくる脳脊髄液減少症患者の場合、

その因果関係を、病で動けなくなってからの患者自身に証明せよというのは、あまりに酷で難しいことです。

_______________

 以下九州発、読売新聞より

 「生きているうちに解決を」

 

_______________________

これは私の意見

水俣病の患者がだんだん高齢化し、最後の患者がの一人が死ぬまで問題解決を引き延ばしていれば、

補償しなくてすむだろう、なんて、考えているやからがいるのだろうと思います。

公害病は、原因を絶てば新たな患者の発生は止められるのかもしれません。

問題解決を引き延ばし、認定基準を厳しくすることで、患者の命がつきるまで保障を逃れようとすることは、

可能なのかもしれません。

しかし、そんな考えがまかり通るような世の中にしてはいけません。

しかも、脳脊髄液減少症患者は、どんなに私たち過去の交通事故での脳脊髄液減少症患者が高齢化して、

こうして声を上げる力も次第になくなって、死に絶えていったとしても、

交通事故を完全に止めることなどできないのだから、交通事故での髄液漏れ患者は、毎日毎日今後も世界中で発生し続けるのですから。

いくら、問題から目をそらし、逃げようとしても無駄なのです。

いつかは、問題を直視し、本当の意味での問題解決を図らざるを得ない時がくるはずなんですから

 ________________________________

  以下毎日新聞記事

↓毎日新聞記事「常に患者の立場から」より引用

「さまざまな症状が表れるために病気のデパートといわれるカネミ油症では

常に患者の立場で原因を究明した。

原田先生の診断がなければ現在の新認定訴訟はなかった。偉大な医学者を亡くした」

 

↓毎日新聞記事 「患者から学ぶ貫き」

原田正純さん死去:胎児性水俣病を確認…患者から学ぶ貫き

毎日新聞 2012年06月12日 01時07分(最終更新 06月12日 01時45分)

 水銀汚染の恐ろしさを世界に知らしめ水俣病やカネミ油症患者の医療にも携わり、

国内外の公害問題で活発な発言を続けた原田正純さん(77)。

胎児性水俣病を確認して50年の節目の死に、関係者から惜しむ声が相次いだ。

 4月23日に原田さんの自宅を訪ねたNPO法人「水俣フォーラム」(東京)の実川(じつかわ)悠太事務局長は「病床でも『患者さんを1人にしちゃいかん』と繰り返した」と振り返り

「患者から学ぶ姿勢を貫き、それが差別され医療に対する信頼を失いつつあった患者の救いとなった」と

その死を惜しんだ。

 約50年前、原田さんの診察を受けた水俣病胎児性患者の永本賢二さん(52)=熊本県水俣市=は「体が痛くてものすごくきつかったが、原田先生はいつも真剣に診察してくれた。

先生が診てくれたから私たち胎児性患者の存在が認められた。ありがとうという言葉しかない」と語った。

 また、研究を共にした中地重晴・熊本学園大学教授(環境化学)は「本当にまじめな先生で公害被害者の立場に立ち、体制側に取り込まれないという信念を貫かれた。

生き方を尊敬している。皆で先生の思いを継ぎ、被害者の救済につなげていきたい」と話した。

__________________________________

以上毎日新聞記事から。

 

脳脊髄液減少症の患者たちは、自分たちを助けてくれた主治医が死ぬなんてこと、

今は考えたこともないんでしょう。

自分たちのことで精いっぱいで。

だから、主治医の命や体のことなんて、考えもしないで、

主治医はいつまでも生きていてくれると思いこんでいて、

自分たちの症状の苦しさだけを主治医に訴え続けているんでしょう?

 

自分たちのことだけ考えて、先生に無理難題を押し付けるんでしょう。

でもね、

人間である以上、医師だって、病気にもなるし事故にもあうんですよ。

不死身のスーパーマンじゃないんですよ。

誰にだって明日の命の保障は、ないんです。

たとえ、脳脊髄液減少症の専門医でもね。

そのことを忘れていない?

 

交通事故に遭う可能性だってあるし、急病で亡くなることだってあるかもしれない。

その時、

あなたはどうしますか?

悔いが残らないように、日ごろから主治医にしていますか?

感謝の言葉を述べるとか、主治医を応援するような声を上げるとか。何かしていますか?

 

その主治医が生きているうちに、患者が実名で、自らの体験を訴えることぐらいしなきゃ、

申し訳ないとは思いませんか?

 

このまま、水俣病の過ちを、脳脊髄液減少症で繰り返されるのを、黙って見ているのですか?

さまざまな圧力と闘いながら、脳脊髄液減少症患者を救おうとして下さっている医師たちの主張が認められないまま、主治医が亡くなってもいいとでもいうんですか?

今すぐ、自分たち患者にできることを、行動しないでどうするんですか?

自分たちの問題に、自分たちで声を上げ、立ち上がらなくて、どうするんですか?

誰かやってくれるだろう、じゃダメなんですよ。

誰もやってくれないですよ。

患者会がやってくれるから、まかせておけばいいじゃダメなんですよ。

自分は症状が重いから何もできないじゃダメなんですよ。

誰だって、多かれ少なかれ

つらい症状抱えて頑張っているんですから、

何か自分にできることひとつ、やってくださいよ。

どんなに重症だって、何かひとつぐらいできることはあるはずなんですから。

 

何もしないで、病人だけになりさがっている患者の存在を知ると、

私は頭にくるんです。

 

ただ、症状ばかりに耐えていないで、その痛みや苦しみをエネルギーに変えて、

どんな形でもいいから、訴えてくださいよ。

自分が動けないなら、家族や議員に働きかけてくださいよ。

代理として動いてくれるように。

 

たとえ家族だって、体験のない人には、髄液漏れの苦しさ悲惨さはわかるはずがないんだから。

本当は患者一人一人が今、今日から、できることをはじめましょうよ。

 

水俣病の教訓とはなんなのか?

水俣学が何を、後世に伝えようとしているのか、

一番わかっているのは、

私たち脳脊髄液減少症患者かもしれません。

水俣病の教訓を、私たち脳脊髄液減少症患者こそが、

自分の体験に重ねて、後世へ、子供たちへ伝えていかねばなりません。

__________________________________

 

 

日本経済新聞

47ニュース

「原田氏は、弱者によりそって生きた人だった」

 

________

↑医師という肩書の人たちは、たくさんいるけれど、

お金や名誉に興味関心がある医師はたくさんいるけれど、

弱者に寄り添う医師は、あまりいないと思う。

特に、国の政策や医学界の定説を否定してまで、患者の真実を訴えて続け、

患者を救おうと闘い続ける医師は、

ほとんどいないと思う。

____________

 

毎日新聞より以下

訃報:原田正純さん死去77歳…水俣病研究の第一人者

毎日新聞 2012年06月11日 23時54分(最終更新 06月12日 01時02分)

 医師として水俣病患者の診療や公害問題の解決を訴え、水俣病研究の第一人者だった原田正純(はらだ・まさずみ)さんが11日午後10時12分、急性骨髄性白血病のため熊本市東区長嶺南7の1の30の自宅で亡くなった。77歳だった。

 鹿児島県出身。鹿児島のラ・サール高、熊本大医学部を卒業し、熊本大大学院神経精神科教室へ入った。水俣病公式確認(1956年)から約5年後の61年、現地調査のため初めて熊本県水俣市を訪れ、母胎内で有機水銀を浴びた胎児性患者に接した。

当時の医学で胎盤は化学物質を通さないとされていたが、症例を集めて62年、胎児性水俣病の存在を立証した。

 患者29世帯が原因企業チッソ(東京)に損害賠償を求めた水俣病1次訴訟の原告支援を目指した水俣病研究会に参加し、73年の原告勝訴判決(熊本地裁で確定)につなげた。72年、スウェーデンのストックホルムで開かれた第1回国連人間環境会議に胎児性患者らと乗り込み、公害被害を世界に伝えた。

 ___________________

以上毎日新聞記事から。

 

その他毎日新聞関連記事はこちら

毎日新聞は、髄液漏れについても真実に迫った記事書くけど、

水俣病についても、原田先生と同じで、

弱者によりそった記事書く記者が多いなぁ。

感謝します。

 

原田先生のお別れ会は、

明日14日正午

熊本市東区月出8の1の5

玉泉院月出会館

喪主は妻 寿美子さん

 

原田先生、天国で私たちを見ていてください。

守ってください。

必ず過ちを正してみせますから。

 

 

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