6月23日は
沖縄県が定める慰霊の日です。
また本日のNHKで
86歳の沖縄の戦争の語りべ
宮城巳知子さんが、
体力の限界から
319回目で、最後となる、若い人たちへの「平和授業」の話題の放送がありました。
宮城巳知子さんについては、こちらのブログ記事をどうぞ。
10年前の琉球新報記事はこちら。
戦争の悲惨さを知るには、たった一人の体験者の話を聞いたからと言ってわかるものではない。
悲惨さが十分わからなければ、
また過ちを繰り返しかねない。
多くの戦争経験者の中で、死んだ人たちは無言だ。
生き残った人たちも、思いだしたくもないつらく悲しい過去を、
語り続ける勇気と覚悟がある人たちは
全体の戦争経験者のごく一部の人たちだと思う。
でも、
その人たちがそれぞれに、自分たちの体験を語りついでくれたからこそ、
その人たち一人ひとりの経験したことがが、次第に集まってはじめて、
戦争の全体像、悲惨さが浮かびあがってくると思う。
脳脊髄液減少症だって同じだと思う。
マスコミで報道される患者の体験は、その人だけのものだ。
一人の体験だけで、
脳脊髄液減少症のすべてがわかるはずがない。
多くの患者の声や体験が集まってはじめて、
脳脊髄液減少症の全体像が浮かびあがってくるはずだ。
戦争で経験した悲惨さが、一人一人違うように、
私たち患者が経験した脳脊髄液減少症の症状も悲惨さも、その苦しみの長さも、ひとりひとり違う。
でもその一人ひとり違う体験が集まって
はじめて、
真相が見えてくるのだ。
戦争体験者が、今まで命をかけて、
苦しみと悲しみを乗り越えて、
戦争の悲惨さを語り続けてくれたように。
若い人たちに「戦争」という過ちを繰り返さないように
戦争で生き残った方々が、
亡くなった方を思い、
生き残った者の使命として、体力の限界まで「平和への思い」を語り続けてくれたように。
私たちも、患者ひとり、ひとりが、語り部となって、
実名で、体験を語る勇気をもとう。
誰にも理解されず、
病名にも治療にもたどりつけないまま、
孤独の中亡くなっていったであろう、過去の交通事故被害者の髄液漏れ患者たちのためにも、
生き残りとして、
助かったものとして、
使命感を持って、「語り部」となり伝えていこう。
事故の外傷後に我が身に起こったことのすべてを。
それが交通事故であったがために、
他の原因より、さらに無理解と理不尽さに苦しめられてきたことを。
一人ひとりの体験を、どんどん語りはじめよう。
勇気を出して。
それが、私たちに与えられた使命だと思う。
戦争を語り続ける人たちと同じで、
これからの若い人たちに
同じ苦しみ、同じ過ち、同じ悲しみを繰り返させないために。