脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

「木を見て森を見ず」

2024年02月15日 | 2022年9月からのつぶやき
脳脊髄液減少症が患者も医師も見つけにくいのは、

「木を見て森を見ず」だからだと思う。

患者は、「慢性的にだるくて日常生活ができない」と医師に言うと、

医師はいろいろ検査したり考えたりして、
患者の苦しみに
「慢性疲労症候群」と名付けたとする。

患者によーく問診すれば、もの忘れとか、首の痛みとか、目のぼやけとか、手足の痺れとか、頭が混乱する感じとか、耳鳴りとか、味覚がわかりにくいとか、それが、しりもちついた後とか、
いろいろ聞き出せるかもしれないのに、
患者の申し立てるひとつの症状にとらわれて先入観を持ってしまうと、
患者を全体的にに俯瞰してみられない。

俯瞰する(ふかんする)とは、
例えば震災で家が壊れた時、
家の近くで、自分が立っている場所から見えるところの壊れた外壁だけ見るのではなく、

ドローンを飛ばして、上空から家を見て、全体的に家の損害を見るようなもの。

脳脊髄液減少症患者が、
だるいから内科、
目がぼやけるから眼科、
匂いがわからないから耳鼻科、
やる気が全く起こらないから精神科と行っていると、
患者は、精神科医師には精神症状しか言わないとか、
眼科医には目の症状は言っても、精神症状は言わない。

患者は無意識にフィルターをかけてその医師に相談するにふさわしい症状のみをチョイスして伝えている可能性が高い。

しかし、医師は、患者に他にも症状がある事など想像もせず、患者の訴える症状が主訴だと信じ込んでしまう。
そして、その症状に名前をつけてしまう。

患者は病名をも
得体の知れない症状に名前をつけてもらえただけで、それまで気のせいだの言われてきたから、名医だと感動し安心する。

医師も、患者の喜びように納得して自分の誤診に気づかない。

こうして、患者のあちこちに他にも症状が隠されている事に医師は気づかない。

患者も、症状ごとに、線維筋痛症、慢性疲労症候群、起立性調節障害、脳脊髄液減少症、パニック障害、ホルモン障害などと言われて、
まるで、それを勲章のように病名を自分に重ねて不幸自慢のようになり、それで自己を納得させるしかなくなる。

こんなに病名がつくほどのなんだもの、やっと私の苦しみが気のせいではなく、病気によるものだったのだと納得して、それを周囲にアピールする。

こうして、ますます、患者自身も、「木を見て森を見ず」、に陥っていく。

脳脊髄液漏出症は、
鳥の目のように、上空から、人に起こっている症状の全体像を見ないと気づけない。

ちょうどナスカの地上絵のように。
地上で足元の石ころだけ眺めていても、
全体像がわからず、
上空から全体を見て、どんな絵が描かれているのかはじめてわかるように。

大気汚染の影響で、森の木がどんどん枯れていたとして、
地上で一本、一本の木の状態を見て、枯れかかった木に対症療法しても意味がなく
大元の大気汚染を改善する必要があるように。

脳脊髄液漏出症を発見するには、医師に、

人を、症状ごとに、体の臓器ごとに、
自分の専門の診療科の視点だけで診るのではなく、
患者の人体に何が起こっているのか?をきちんと見ぬく、俯瞰した視点で診てほしい。

そういう視点の医師が増えれば、
そういう視点で自分の体に起こっている異常に気づける患者が増えれば、
脳脊髄液減少症は
必ずや早期発見できる日がくると思います。



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