食用で買った、菜の花。
ゆでて食べようとしたら、
緑の固いつぼみの間から、
きいろの花びらがのぞいてた。
なんだか、かわいそうになってしまって、
ゆでられなくなった。
下の茎のところだけ食べることにして、
上の花のつぼみは、茶碗に水を張ってさしておいた。
1日、2日とどんどん黄色の花びらが咲いて開いていく。
3日たったら、
花であふれんばかりになって、
茶碗の中が、小さな菜の花ばたけになっていた。
「脳脊髄液減少症」の私の目は、
パソコンの画面では、赤や黄色の原色は目にきつくて、
チカチカしてつらいのに、
菜の花の黄色は、なぜか目にやさしい。
見ていると、気持ちがふわっと明るくなる色。
きいろは、元気の出る色。
テーブルの上が、そこだけ、ぱっと明るく感じる。
やさしい気持ちになる、うきうきするような、春の色。
具合が悪くて、なかなか外に出かけられない私に
一足早く、小さな菜の花畑を見せてくれた、
ゆでて食べられるはずだった、菜の花。
少ししか食べなかったから、
少ししか、体の栄養はもらえなかったけど、
たくさん目と脳に元気と刺激をくれて、
たくさん、心の栄養をくれた菜の花。
私も、生きているうちに、
人生に、
もう「ひと花」、咲かせたいなぁ・・・。
ゆでて食べようとしたら、
緑の固いつぼみの間から、
きいろの花びらがのぞいてた。
なんだか、かわいそうになってしまって、
ゆでられなくなった。
下の茎のところだけ食べることにして、
上の花のつぼみは、茶碗に水を張ってさしておいた。
1日、2日とどんどん黄色の花びらが咲いて開いていく。
3日たったら、
花であふれんばかりになって、
茶碗の中が、小さな菜の花ばたけになっていた。
「脳脊髄液減少症」の私の目は、
パソコンの画面では、赤や黄色の原色は目にきつくて、
チカチカしてつらいのに、
菜の花の黄色は、なぜか目にやさしい。
見ていると、気持ちがふわっと明るくなる色。
きいろは、元気の出る色。
テーブルの上が、そこだけ、ぱっと明るく感じる。
やさしい気持ちになる、うきうきするような、春の色。
具合が悪くて、なかなか外に出かけられない私に
一足早く、小さな菜の花畑を見せてくれた、
ゆでて食べられるはずだった、菜の花。
少ししか食べなかったから、
少ししか、体の栄養はもらえなかったけど、
たくさん目と脳に元気と刺激をくれて、
たくさん、心の栄養をくれた菜の花。
私も、生きているうちに、
人生に、
もう「ひと花」、咲かせたいなぁ・・・。
ゆめちゃんの絵は心が和みます。
私は菜の花とか食べれないけど、目と心に栄養をもらいました。
きっと「もう一花咲かせる」時が来ることを信じていきましょうね(^ー^)
私はそう思わなきゃやってこれなかったし、じゃなかったらもう死んでる。
80歳でパリコレじゃないけど、もしかしたらおばあさんという歳になってるかもしれないけど、「ひと花」咲かして、生きていたっていう証拠みたいなモノを残したいです。
お茶碗の菜の花、こんなに大きくなったのですか
お花とか自然の色は癒されるよね…
食べるの控えた気持ち分かる…
私は、まだ今年になって菜の花食べてないなぁ…
それでもBP前よりは見られるようになったよ
私も花には癒されてるよ~
全然手入れできない汚い庭だけど、雑草がつける花でもかわいく思える
そうそう、もう一花咲かせましょ
ひさしぶりの頭痛はつらくて、薬嫌いの私が、鎮痛剤に頼りました。
たまに飲むと、良く効いてすぐ楽になりました。
しかし、薬が切れると、また痛みだし、
その痛みで夜中に眠っていても目覚めるほどでした。
忘れていた頭痛、頭痛ってこんなに痛かったっけ?
まるで、片耳から、千枚通しをつき刺されて、脳まで達してグサグサ刺されているような痛みでした。
かと思ったら、耳の後ろあたりの後頭部をかなづちでガンガン殴られたような衝撃的な痛さも・・・・
脳出血でもしているのかも?と思うような痛さ。
脳でいったい何が起きているのでしょう?
昨日の朝も痛くて鎮痛剤飲んだけど、きのうの日曜はおとといの土曜より回復して、またオアシスにたどりついて生き延びた感じです。
いやぁ痛かった。鈍痛ではない、痛さでした。
きょう、テレビから地震のニュースが、
頭痛と天気の崩れと地震、やっぱり何か関係ありそう
。
なんか、きついなぁ・・・。この病って。
本当に健康な人には、理解できない、ものすごい苦しい世界ですよ。
体験してみて、ビックリしますよ・・・
あまりのすごさに・・・・
「なんだい?良くなっているんじゃなかったの?」という母。
良くなっているとは思うけど、思いたいけど、
激しい波があるのに、それをわかってくれない。
普通のケガや病気の治り方しか体験ないから、よくなったり悪化したりの波が想像できないのはしかたないけど、
「なんで、そう苦しくなるわけ?てっきり、もう治っているものと思っていたよ。」という何気ない言葉に
この人たちは、患者の私の苦しみなんて、何もわかっていないとキレてしまい。 「お母さんが末期ガンになって、痛みと呼吸困難で苦しい時、入院もしないで、何の治療も受けないで、普通に家事やってみて!その時、はじめて今の私の苦しみが想像できるかもしれないから!と言ってしまった。
「身近な肉親の苦しみも想像できないで、他のことにうつつを抜かすのは最低の親」と連呼してしまった私。
「親に向かってなんだ!そんなこと子に言われてだまっているような親じゃない!」「産んで育てて教育してやって、そんなこと言われるなんてなさけない。そんなこと言われてだまっているような親じゃない。」と逆ギレされた。
逆ギレされても当然なほどに、たしかにひどいことを言ってしまった私。
心に鬼が住み着いている私。
でも、わかってもらえない悔しさと悲しさとで、
涙がポロポロこぼれてしまう。
もう、周囲に理解してもらおうなんて思わなければ、こうして、自分がキレて人を傷つける言葉を言って自分の評価をさらに下げることも、みじめになることも、さらに、ダメな人間と思われることもないのに・・・・。
わかってもらおうと期待しなければ、失望することもないのに・・・・
わかってもらいたくて、理解してもらいたくて、助けてもらいたくて、つらい気持ちを受け止めてもらいたくて、無駄だと思いつつ、泣き叫びながら、
訴え続けてしまう私。
ひと泣きしたから、また冷静になって、お母さんになにかおいしい物買って、あやまらなきゃなぁ・・・
もうすぐ母の日・・・たしかにひどい娘だ、私。
どんな親でも、自分を産み育ててくれた親だから、
死んではわかりあえないから、ケンカできるのも、お互い生きているから・・・感謝しなきゃ・・・
でも、お母さん、私はつらさをわかってもらいたいだけなんだよ。
わかりあいたい。でも、わかりあえない。
それが、悲しいだけなんだよ。
おかあさん、そうだよ。
私の心はボロボロだよ。確かに病んでいるよ。
人を信じることもできないよ。
幸せそうな人も心から祝福もできないよ。
卑屈にゆがんで、心閉ざして、みんな不幸になればいいと思うこともあるよ。
でも、こうなったのは、私のせいじゃないよ。
私は、もともとこうだったわけじゃないよ。
病んだ心を持った娘だからこそ、せめて、弱音や愚痴ぐらい、お母さんにぶつけたくなる時があるの。
せめて、お母さんには、そんな荒れた娘の気持ちを、
共感して受け止めてもらいたかっただけだよ。
幾つになっても子供と言う立場だから、親には自分の辛さ、悲しさ、苦しさを解ってもらいたいって・・・思うよね。親だと思うから、自分を誰よりも理解して欲しいと切望するよね。
親と口論になって、どうして解ってくれないの!って思ってしまうから、ヒドい言葉をぶつけてしまう。その言葉は自分に跳ね返って自己嫌悪に陥っちゃう。
立場的には親なんだけど、未熟な心を持ったまま親になってしまう人もいて(むしろ、そうゆう人の方が、今の私の立場も親だから、含めて多いのかもしれない)親は親で同じように「私の事を解ってくれない!」って、ついつい親である立場を忘れて相手が傷つく事を言ってしまう。
今は私は、子供と言う立場よりも、人間としての付き合いが出来るようになり始めたよ。そうしたら、今までは「解って当然でしょ!貴方は親なんだから!」て言う気持ちが薄らいできました。
親としての今の私の立場は、まだまだ未熟で、子供の言葉に傷ついてみたり「何でよ~」って思ってしまう事が多々あります。
お母さんのことはあきらめた方がいいと思うよ。
私は幼少の頃から祖母による軟禁状態で育って、一つ屋根の下にいながら助けてくれなかった母を恨んだ時期があった。
自分が子どもを産み育てて愛しいと感じると、よけい恨みが増した時期もあった。
「我が子ってこんなに愛しいものなのに、なんで!?」ってね。
でも、その時期を過ぎ、「母はこういう人なんだ」ってあきらめてからは、なんだか初めて良い関係になれたよ。
前にも似たようなこと書いたっけ???
いくら親でも相手に求めない方がいいよ。
求めても思うようにならなかったら辛いだけだから、あきらめた方がいい。
私ってすごいひねくれてるねぇ。。。
いつまでたっても、親子・・・
近くて、遠い存在。
あきらめようと思っても、わかってもらいたいという未練が消えないんだろうね・・・・
私・・・。
私だって、順調に回復したいよ・・・
こんな長年放置の私が、やっぱりたった1回のブラッドパッチじゃ、だめかなぁ・・・でも、お金ないしなぁ・・・・
私の心はお花や動物しか、受け入れられないみたい・・・
きのう桜みたよ・・きれいだった。
一面の菜の花も・・・
菜の花の花の香りってあんなにするものだと思わなかったよ・・・