打越通信

日記ふういろいろ

長崎の夜は!

2010-11-01 19:50:03 | 旅行
今回の旅行の宿泊先のホテルは個室だった、初めての事だった。
宴会までの時間、中華街あたりをハマさんと散策、タクシーの運ちゃんに雀荘を教えてもらう。
言われた場所に下見に行く。

宴会が終わり、2次会には参加せず、早速雀荘で勝負だった。
近頃、若者もするようで若手がふたり参加した。
結果は大きな手で上がりはするが振込も激しくて、とんとんの結果たっだ。
どこからの情報なのか続々と集まってくるではないか。
そこで席を譲って、若手の打ち方を見学しているとケータイがなった。

Mという26歳の独身女性。
「〇〇さんの部屋はどこですか?」
と聞いてくる。
私のこと男と思ってないらしく、部屋の番号を教えると遊びに来るつもりらしい。
一瞬、ドキッとしたが
「マージャン部屋」
と言う。
この子、何かと私になついて来るのだ。
「ホテルを出て・・・・・」
と説明する。
またケータイが鳴る。
「わたし、迷子になったみたい」
と言っている。
しかたなく雀荘を出て暗い中華街に探しに行く。
ケータイでやり取りをして、やっとの事で探し出し雀荘へ帰った。
雀荘なんか初めて来たみたいでクールビューティの目が輝いていた。
半ちゃん4回でマージャンも終了し、7人で中華街からすこしはなれた繁華街(思案橋)に繰り出した。
餃子とおでんとビールで旅行初日は終了したのだった。

軍艦島クルーズ

2010-11-01 12:39:48 | 旅行
長崎駅近くの高層ホテルの14階でランチバイキング。
それから長崎港へ向かう、台風14号の影響で、絶対無理だろうと思っていたクルーズ、午前の便も午後の便も運行との事だった。
早速団体チケットが配られた。



待合室の軍艦島クルーズの料金を見てビックリ、上陸コースで4300円もする。



周遊コースで3300円、上陸するのにプラス1000円も払はなければならない。
個人で行くにはちょっと躊躇する料金だ。
長崎港から出港して湾内を観光しながらの片道30分の船旅になる。



岩崎弥太郎が起こした三菱、長崎造船所に自衛隊のイージス艦が修理に訪れていた。
その横にはカーキャリアの巨大な船を造船していた。



女神大橋の下を通り湾内には島が点々とある、キリシタンならではのマリア象が目に入ってくる。



しばらく行くとかすかながら小さな島が見えてくる。



まったくの廃墟の島、端島。



着岸してさあいよいよ上陸なのだが、このクルーズ船2階建てになっていた。



私達は1階の船室にいたので気づかなかったが、2階席も満席のようで約200名くらい乗っているのだろう、ぞろぞろと降りてきた。



この廃墟の小さな島に5000人の人たちが住んでいたそうで、ホテルや映画館、学校に神社まであったという。



7階建ての高層ビルは当時としては、すぐれた技術で造られたそうで建築物としての価値も高いという。



管理棟の横に階段があり、炭鉱労働者はこの階段を登って竪坑に入ったそうで、24時間3勤交代制がしかれていたそうだ。



竪坑の深さは600m、この前のチリでの出来事があたまをよぎる。
ここで取れた良質の石炭は鉄のまち北九州に運ばれ製鉄の基礎となったそうだ。



約30分の上陸時間、再び船に乗って今後は西側のからの端島、軍艦「土佐」に良く似ているので付いた名前が「軍艦島」。
なんともいえない廃墟の島から歴史を感じるのだった。



慰労会

2010-11-01 08:56:37 | 日記ふう
10月30日、先の国勢調査の労をねぎらい、その慰労会があった。
自治会長の肝いりで催されたが、調査員の方たちへの気配りは
念が入っていた。



中華のオードブル×3



刺身の盛り合わせ×3



寿司×人数分

わずか13名(11+2)の宴席にこれである。
ビール、日本酒、焼酎、女性用にワイン、
各々におみやげまで用意されていた。

自治会長の、それも<打越町の>となれば、
その責務は多大なものがある。思えば
歴代の会長を務めてこられた方々も、素晴らしい人格者であった。

この席で、会長から「また、手伝ってくれ・・」といわれた。
現会長は、どこか亡き父に似ている。
至らぬ自分だが、(喜んで孝行しよう)と、思う。



(11+2)の(+2)は配膳係としてお手伝いに参じた、
ノボルさんと私だ。
この人がいれば、奉仕活動も楽しくやっていける。

あっ・・ケンとグッチもいたな・・

写真&文 ジロー