もう6年になるのか、義父が亡くなったのは10月10日だった。
そして、その頃からわが家の庭に毎年数を増やしながらニョキニョキと出てきてきれいな黄色の花輪咲かすようになった。
最初は彼岸花かなと思ったが、正式には鐘馗水仙 (しょうきずいせん)と云う。
彼岸花より少し遅く咲くそうだ。
この花が咲き出すと亡くなった義父を思い出すようになった。
父は体が大きくて、まったく酒は飲めなかった。
口は悪いが気持ちは優しい人だった。
体ひとつで事業を起こし、そこそこの会社を立ち上げた。
年取って生まれた娘だったので可愛がられて育てられたのだろう、もらいに行く時は、そりゃかなり緊張したものだった。
しかしあっさりと「よろしくお願いします」と言われた。
その後もちょくちょく遊びに来てくれたし、実家の父母とも仲良くしていただいた。
義母はその4年後に時期を同じにして同じ歳で、これまた同じ病で逝ってしまった。
気立ての優しい、気品のある母だった。
母はちょっと早い、彼岸花が咲いてた時期だったけ・・・。
そして、その頃からわが家の庭に毎年数を増やしながらニョキニョキと出てきてきれいな黄色の花輪咲かすようになった。
最初は彼岸花かなと思ったが、正式には鐘馗水仙 (しょうきずいせん)と云う。
彼岸花より少し遅く咲くそうだ。
この花が咲き出すと亡くなった義父を思い出すようになった。
父は体が大きくて、まったく酒は飲めなかった。
口は悪いが気持ちは優しい人だった。
体ひとつで事業を起こし、そこそこの会社を立ち上げた。
年取って生まれた娘だったので可愛がられて育てられたのだろう、もらいに行く時は、そりゃかなり緊張したものだった。
しかしあっさりと「よろしくお願いします」と言われた。
その後もちょくちょく遊びに来てくれたし、実家の父母とも仲良くしていただいた。
義母はその4年後に時期を同じにして同じ歳で、これまた同じ病で逝ってしまった。
気立ての優しい、気品のある母だった。
母はちょっと早い、彼岸花が咲いてた時期だったけ・・・。