細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

2013エジプト・欧州研究出張 No.15 教育とは,feedback loop

2013-03-08 17:55:53 | 教育のこと

アメリカの大学教授,ランディ・パウシュ先生の「最後の授業」をご存知でしょうか。

この講義のときすでにパウシュ先生は,ガンで亡くなることが分かっていました。確かこの授業の数か月後に亡くなったはずです。

この講義は全米で中継され,私はDVDか何かで見ました。またパウシュ先生の著作も和訳されていて,この講義についての内容でした。ぜひ一読されるとよいと思います。

この講義は本当に感動的なもので,私も涙を流しながら受講しました。そのキーワードが,feedback loopです。

皆さんも,教わった先生の言葉がふと心に浮かんでくることってありませんか?常に自分を原点に立ち戻らせてくれる教え,それがfeedback loopです。

自分の教え子たちに,feedback loopを与えてあげることのできる教師が一級の教師であり,そうでない教師は名前だけの偽物です。

私に多くの師匠がいることは何度も公言していますが,その中でもやはり岡村甫先生のfeedback loopは強烈です。数え上げると両手の指で足りません。私が今の人間であるのも,岡村先生からいただいたfeedback loopに何度も導かれ,適切な選択を重ねてきたからであると,心から思います。

今も,高速列車タリスでパリへ向かっていますが,岡村先生の教えの一つが心の中に浮かんでいます。本当に強烈な先生だったのですね。

私も,常に本質的なメッセージを発している人間のつもりですが,後輩や弟子たちの心にfeedback loopが形成されているでしょうか。私の残すfeedback loopとは何でしょうか。

それは,私の教えた後輩たちが,彼らの生き様で証明してくれると思います。

教育とはそういうものですな。 


2013エジプト・欧州研究出張 No.14 最終予定地,パリへ

2013-03-08 14:56:34 | 研究のこと

さて,今日は出張の最終業務予定地のパリへ移動します。

初めて乗りますが,ロッテルダムからタリスという高速列車でパリ北駅へ。まずはタリスにしっかりと乗ること。

最終業務予定地は,旧名称LCPCで現在はIFSTTARという名称の,フランス中央土木研究所。ここで,数名の研究者とディスカッションします。共同研究を開始できるよう,コンクリート構造物の耐久性に関する私の研究室の研究をいくつか紹介し,将来展望を議論します。先方からは自己治癒コンクリートと,SWATについて聞きたい,と言われていますので,もちろん話してきます。

フランス人は個性的らしく,私の知っているフランス人にはよい人が多いのですが,これまた楽しみ。日本人も十分に個性的ですので,私もサムライスピリット丸出しで乗り込んできます。お土産は扇子。富士山がどどーんと描いてある扇子を六本持っていきます。カイロ,デルフトで渡すのを忘れたので六本すべて大盤振る舞い。富士山もいよいよ噴火するぜ,という情報とともに日本の現状を説明してあげます。

PCのアダプターも何とか作動しており,今日のディスカッションを乗り切れば,後はぶっ壊れても何とかなるかと思います。

昨日,デルフト工科大学でも,プレゼンの予行演習をたっぷりとさせていただいたので,もう準備万端。

タリスでは車窓を楽しみ,パリ北駅に着いてからIFSTTARまでは迷路状態かと思いますが,これも頭の体操。楽しんできます。先方の研究者がランチを一緒にしませんか,と誘ってくれているので,遅くなりすぎずに到着したいです。

夜は,奥さんの親友のパトリシアの家に行けることになりそうで,これまた楽しみ。お子さんもいるそうで,私もパトリシアに会うのは4回目(1回目は私も学生のとき,10秒くらい,フランスの大学の寮ですれ違った気がする。2回目は2007年のパトリシアの結婚式。3回目は,日本の我が家に家族で遊びに来てくれた。)なので,いろいろおしゃべりできるとうれしいです。フランス語の発音も少し教えてもらおう。
--> 結局,私の時差ボケと疲労のため,パトリシアの自宅訪問はキャンセルになりました。残念!

今回の出張は,私のこれまでの海外出張と比べても異質です。私が2/23に変わったからなのか,何なのか分かりませんが,あまりにも多くのことを感じます。眠りの浅いときは,寝ているときも思考しているのを感じます。眠りから覚めるとき,思考の答えとともに,プールのような空間から浮かび上がってくる感覚を何度も味わっています。

鞆の浦にどっぷりと浸かるようになってから,心や感受性などが,子供に帰っていくように感じています。 


2013エジプト・欧州研究出張 No.13 私のコミュニケーション力の源泉

2013-03-08 10:08:25 | 人生論

私の研究能力はほとんど無いというのはよいとしても,私のコミュニケーション能力が日本人の平均レベルからはかなり高いところにあることは,周囲の皆さんは認めてくださると思います。特に,外国の人から見ると,私は一般の日本人よりもはるかにフレンドリーで話しやすいそうです。ほとんどの外国人にそう言われます。その源泉は何なのでしょうか。

(1) 英語力

まず,必須かどうか分からないけれど,英語力。これは,甲陽学院での英語教育が良かったことが第一ですが,実は大学の4年生のとき,ほとんど英語を話せませんでした。東大のコンクリート研に配属されて,留学生がたくさんいたので,「話してみよう!」と思ってドイツ人の留学生のハウケさんのところに行って,サッカーの話でもしようと思ったのですが,ほとんど話せませんでした。読み書きは得意でしたが,会話は全くできなかった。

修士1年生のときに台湾,韓国,日本の大学の三国交流会に参加して,これが非常に大きな経験でした。台湾人の友人がたくさんできて,英語でしかコミュニケーションできないので,これが大きなトリガーになりました。後日,台湾からそれらの友達が遊びに来ましたが,その友達Greg曰く,私の英語力は初めて台湾に行ったときに比べて段違いに向上していたそうです。Gregは英語ペラペラです。

東大の土木工学科が提供していた英語教室にも参加し,英語を勉強する意欲の高い人たちと一緒に,良質の教材を使って,イギリス人のレイボーン先生に教えてもらったことは良い経験でした。この教室の授業に参加するのが楽しみだったことを今でも覚えています。

その後は,基本的には東大コンクリート研の留学生との英語での会話が基本。国を代表するようなエリートたちですから,会話の内容も深いし,研究についてのディスカッションもするし,非常に仲のよい留学生とは酒を飲みながら何時間も話しました。愚痴を聞いてやったこともあります。

その後,横浜国大で勤務するようになってからは,留学生の指導,留学生との会話,英語で行なう大学院の講義などが私の英語力をキープするツールになっています。また,最近は専門バカから脱却しようとしておりますので,今後は多くの分野の書物を英語で読むことにもなろうかと思います。アダム・スミスやケインズから初めてみようかと思いますが,あまり気張らずにシドニー・シェルダンなども楽しく読み,語彙や表現力を増強したいと思います。

今は,英語で話すときは,頭の中は英語で思考しています。語彙が不足するときだけ瞬間的に思考が止まって,日本語の単語を思い浮かべてふさわしい英語表現を創り出し,会話に挿入しています。台湾での三国交流会に参加したころは,まだ日本語を頭の中で英訳して話していましたが,その後は現在に近いと思います。

(2) 無知の知

さて,英語力はよいとして,もう一つ根源的な源泉は,「一人では何もできない」ことを自覚していることです。

社会心理学の山岸俊夫先生も言われているように,「高信頼」の人間は,人と信頼関係を築くことで自分が得をすることを知っています。信頼関係を築く,ということはコミュニケーションする,もしくは飲みニケーションする,ということです。

これも,基本姿勢は東大のコンクリート研で養われたように思います。運動もできるし,勉強もできると思い込んでいた自分よりも,はるかにすごい人たちがごろごろいる環境に身を置いた。プライドのようなものはズタズタに引き裂かれ,それでもすごい人たちに一歩でも近づきたい一心で自分にできる努力を重ねてきました。

ですから,私には多くの師匠がいます。私が盗みたい!と思う考え方や能力を持っておられる方は,皆,私の師匠になります。師匠になる,ということはコミュニケーションする,ということです。相手に自分のことを深く理解してもらわないと,深い会話はできませんので,私自身のこともさらけ出すし,相手のことをとにかく理解しようと質問も重ねます。

コミュニケーションとは,相手が心地よくなる会話を重ねる,ということです。自分のことも伝えないといけないので,そのバランスが大事になります。自分勝手な会話はコミュニケーションとは言いません。常に相手の反応を見ながら,相手の話したいことを引き出してあげること,それがコミュニケーションです。私はそうやって,多くの本当のプロフェッショナルエンジニアや,プロの研究者たちから,真髄的な考え方を学んできました。

最近では,相手の考えを引き出す能力も相当に向上してきたので,JR東日本の石橋忠良博士や,北大名誉教授の角田先生,横浜国大名誉教授の池田先生のロングインタビューを取り仕切りました。あのようなインタビューは,私でないと実施できないと思います。もちろんこれもコミュニケーション。

この二つ目の源泉「一人では何もできない」は,枯れることはありません。 今でも全く未熟だと思っているし,学ぶことだらけです。一歩成長するたびに,次々と舞台に引きずり出されるので,もっと力を付けないと対応できません。私の根幹は「コンクリート工学」にあると自覚していますので,私の全研究活動の半分,少なくとも3分の1はコンクリート工学に拠点を置き,その他はマネジメントや土木工学全般にシフトしようと思っています。土木史も重要な研究対象の一つです。学ぶことだらけなので,今後も,多くの方とコミュニケーションをしながら,一歩ずつ成長していく所存です。もちろん,周囲のために。

(3) 「語るべきもの」・・・コミュニケーションとはおしゃべりではなく,語ること。

もう一つ,最後の重要な源泉は,「語るべきものをもつ」ことです。

英語はあくまで手段。英語が使えないなら通訳を使ってもよいけれど,我々のような一般人が常に通訳を帯同することも非現実的です。あくまで手段ですが,一般人には必須の手段でしょうか。学生に良く言うのは,「君たちのこれまでの英語の勉強の仕方は間違っている。君たちの現実がそれを証明している。本当に英語を使いたいのであれば,勉強の仕方を根底から変えなさい。そして,やり方を,英語を使いこなせる人に教えてもらいなさい。」です。私のところに英語力を向上させるために一度話を聞きに来た人たちはいますが,継続的に弟子入りを志願した人はこれまで皆無です。皆さん,本気じゃないんでしょうね。

さて,「語るべきもの」を持つことは,英語を使えることよりももっと大事です。中身が無くてペラペラ薄っぺらい英語を話すことがどれだけ空しいことか。

海外の人たちは日本のことをよく知りません。1707年の宝永地震,富士山の噴火があったことももちろん知らないし,我が国が明治維新以降,経済発展を重ねてきたけど,現状がどうであるのかも,本当には分かっていません。我が国の進むべき方向など知る由もありません。

私は日本人ですから,私が語るべきこととは,当然に日本のことです。日本の良さ,日本の課題を相対的に語ることができるかどうか。

これは,日本の歴史をしっかりと勉強する,ということです。国民として当たり前の義務です。

10年前の私と,39歳の今の私とでは,語れることの中身が全く異なります。これも,日常をしっかりと真面目に生きていることの積み重ねであろうと思います。土木史の講義を担当していることも非常に大きいです。

というわけで,長い日記になりましたが,コミュニケーション力とは,人生そのものである,というのが私の結論です。

皆さん,頑張って日々コミュニケーションいたしましょう!