景気が良かった時代、銀行の支店長といえば年収もかなり
あったし、羽振りもよくステイタスも高かった。
よく飲みに行きましたし(おおむね当方の接待)マージャン
もしました。 転勤してほかの地域に行った支店長も、麻雀
の日には早引けして高槻にやってきて卓を囲んだものでした。
それが一転、バブルが崩壊して銀行は破綻、ほとんどの人が
失職しました。 でも、銀行の支店長なんてほかの仕事に転
向することはほとんどできません。 いわば使い物にならな
いのです、
ある不動産業者は失職した支店長に「雇ってほしい」と言わ
れて困っていると聞きましたし、高槻に在住する元支店長は
、あるときコンビニで見かけたところ、ほとんどぼけ老人に
変わりはてていました。 よほどショックだったのでしょう。
その点銀行出身の小椋佳は歌手&作曲家として名を馳せまし
たし、大阪地裁の判事だった人が居酒屋の板長になった例な
ど類まれなるバイタリテイを感じます。 人はそうありたい。