義兄が4カ月と余命を宣告されたとおり、10月8日に亡くなった。
皆覚悟はしていても事実はすぐに受け入れられず、
それでもバタバタと葬儀は終わった。
享年76歳、今はこのくらいの年齢では早く逝き過ぎといってもいいと思うけど・・
最後の最後まで苦しいとも言わず、孫がそばで語る学校の話をにこにこして
聞いていたとか。泣けました
そんな中不謹慎な話かも?
市の火葬場があの3年前の大震災で壊滅的被害の大きかった仙台市閖上地区にあった。
空いた時間ができ、姪の夫が他県から参列した私たちを海の方へ連れて行ってくれた。
被害の跡を見に行ったりする人達を非難していた私なのに好奇心に負けて付いていった。
3年経って悲惨さは薄れているものの、そのときのままで残っている建物などもあり
津波の高さなどを説明されるとテレビで見るよりいっそう怖さが実感できた。
あれさえなかったら今ごろは、見はるかすこの広い田圃一面を黄金色に染め、
稲刈りも終え、収穫の喜びに浸っている頃だったでしょうに・・・
どれほど無念なことか。
案内してくれた姪の夫の友人7人もここで亡くなったそうだ。
いろいろ感ずるところのあった二日間でした。
帰りの車中から。
津波の跡を一望に見晴らす日和山。
小高い山は標高8m津波は山頂からさらに2mも越えたとか。
頂上に建っていた湊神社も流されたそうです。
皆覚悟はしていても事実はすぐに受け入れられず、
それでもバタバタと葬儀は終わった。
享年76歳、今はこのくらいの年齢では早く逝き過ぎといってもいいと思うけど・・
最後の最後まで苦しいとも言わず、孫がそばで語る学校の話をにこにこして
聞いていたとか。泣けました
そんな中不謹慎な話かも?
市の火葬場があの3年前の大震災で壊滅的被害の大きかった仙台市閖上地区にあった。
空いた時間ができ、姪の夫が他県から参列した私たちを海の方へ連れて行ってくれた。
被害の跡を見に行ったりする人達を非難していた私なのに好奇心に負けて付いていった。
3年経って悲惨さは薄れているものの、そのときのままで残っている建物などもあり
津波の高さなどを説明されるとテレビで見るよりいっそう怖さが実感できた。
あれさえなかったら今ごろは、見はるかすこの広い田圃一面を黄金色に染め、
稲刈りも終え、収穫の喜びに浸っている頃だったでしょうに・・・
どれほど無念なことか。
案内してくれた姪の夫の友人7人もここで亡くなったそうだ。
いろいろ感ずるところのあった二日間でした。
帰りの車中から。
津波の跡を一望に見晴らす日和山。
小高い山は標高8m津波は山頂からさらに2mも越えたとか。
頂上に建っていた湊神社も流されたそうです。
ほんとうに復興なんてできるのかと言いたいです。
津波も放射能も被害に遭わず、現状を知らない人たちにとっては、
きっと人の事なんでしょうね。
孫ちゃんのお話に癒されたでしょうね。
私まで涙。。。
被災地の復興はまだまだです。
土盛りも点々と、いつのことやらと思いやられます。
閖上もテレビでしか見てませんが、大変でしたものね。