勝手なつぶやき

今日あった事、見たり聞いたりして感じた事、
ふと思い出して記憶がよびさまされた、そんな事を呟いてみようか・・

供養の桜

2011-04-28 21:53:08 | Weblog
実家の仏事で菩提寺のある会津若松に行ってきた。

二、三日前から今日はかなりの悪天候との予報が出ていて 困ったなと思っていたら
朝のうちに雨も上がり 薄日も差し、まずまずの天気になった。

折りしも公園墓地の桜が満開で、総勢15名墓地でのお花見となった。
高台の墓地からは晴天なら正面に会津磐梯山も見える。

お昼に移動した料亭は千四百石のご家老の邸跡地で、当時の面影を残すお庭があり
そこの桜も満開だった。

        

        
      

孤軍奮闘の友

2011-04-25 20:42:43 | Weblog

米櫃の底が見えてきてあわてて農家の友にメールをした。
「30キロお願い!」
忙しい人なのにいつもギリギリで申し訳ない。

彼女は独身、私とは一回りの歳の差がある。(勿論私が歳上^。^)
娘時代はお勤めもせずずっと親がかりで洋裁を習いプロ級の腕前になった。

そのまま洋裁に専念していられたら幸せだったのだろうけど、長い歳月のうち
彼女の家族は悪いほうへ悪いほうへと往ってしまった。

兄嫁の家出、姉の癌、同居していた姪の離婚、父親が倒れて施設へ、怠け者の甥の糖尿病、
とうとう昨年は頼りの兄まで糖尿病で足指の切断に網膜剥離の手術ときた。

その上にです! 先月の地震騒ぎのときに「父が後3週間の命だと言われた」とメールがあった。

なんとまぁ・・・絶句!

今日米を届けに来た彼女が言うことに「3週間の命のはずが、持ち直して植物人間状態で家に帰された」のだと。
生きて帰されてもうれしそうには見えなかった・・(悪いけど私も納得

母親は高齢で介護は無理、又負担がかかることになる。
田植えも近い、畑もある、牛10頭の世話、老親の世話、その他諸々が彼女の肩に
圧し掛かる。

「もう、笑うしかない」と泣き笑いで鬱憤を晴らしていった。
私に出来ることは聞いて一緒に嘆くことだけ。

神様彼女に安楽をお与えください。


     我家4人で(息子夫婦分も)30キロを一ヶ月半で食べきります。  
             

          

お花見

2011-04-22 15:14:35 | Weblog
そちこちで桜が満開と聞いても自分から進んでお花見に行きたいとも思わなかった。

妹の家には素晴らしい枝垂桜がある。
一昨日「明日あたりが満開だから見に来たら」とメールで言ってきた。

前日は雨だったし すぐ又曇天の予報だったので、今日しかない!が、重い腰を
上げるきっかけになった。

行って好かった。
樹齢400年の紅しだれ 見上げてひととき憂さを忘れてきた。

チャチなデジカメと腕のせいもあり全体が納まらない。

   



 
 

考え方は人それぞれ

2011-04-19 14:25:00 | Weblog
朝から冷たい雨が降っています。
桜が見ごろの時に氷雨や冷たい風が吹くことはよくあることです。

しかし、外出の予定が狂ってしまった。

空いた時間をタケノコを茹でながら新聞を隅々まで読むことに費やした。
福島県版の紙面はやっぱり原発で占めている。
  
【こんな避難の記事を見て思ったこと】

両親は県内のS市に残り子供だけを佐賀県の学校に転校させたと言う記事が掲載されていた。
小学生の姉妹の話 「お父さんとお母さんに会いたい」
「元のように安心して学校に通えるようになったら帰りたい」
「お友達と遊びたい」
「お母さんの作ったうどんが食べたい」

このS市は県内でも放射線の値が低く、住むのに心配なレベルではない。
(本日0.64マイクロシーベルト)

元のように安心って、S市のほとんどの子供達は安心して元と同じに学校に通っているはずだ。

人それぞれ考え方の違いはあるだろうけど、そんなに過剰な心配をすることも
ないと私は思う

この先 収束するまでには長い月日がかかるのだ。
いつまでも子供だけを遠くに手離してはおけないでしょう。

お節介を言ったけど大事に至ったときの責任は負いませんから。
まぁ、お好きなようになさいませ


       今年もたくさんのトマトが実りますように
        

        

        
      
       
 

            







季節は巡りて

2011-04-15 16:22:12 | Weblog
何が起ころうと季節は巡りきて 原発と余震で揺れているこの地にも桜が咲いた。
近くの大神宮の境内には例年どおり屋台のテントも出揃った。

今のところ放射線の測定値も上がらず、市民は一抹の不安を抱きながらも平静を保っている。

そういえば今日は身体に感じる地震がなかったなぁ。って油断は禁物!

さきほど他県の友人からお見舞いが届いてちょっと驚いた。
食料が不足していると思っているみたいだ。

スーパーには本震前と同じように品物は豊富に並んでいるんだけど・・・

せっかくだから夕食のおかずにしようか。手抜きができるしね。

   

   
     

あれからひとつき(一ヶ月)

2011-04-11 21:34:37 | Weblog
ずっと恐怖から覚めることのなかったひとつき目の今日、夕方から頻繁に余震に見舞われている。

それも震度5弱、4、3と、かなり強い揺ればかり。

10時近い今まで10数回か?いえいえもっと数え切れないほど。
おちおちお風呂にも入っていられない。

そんな今日、孫が中学に入学した。
両親が式に付き添うので じいばあは下の新3年坊主の守番をしに行って来た。

ワイシャツ、ネクタイ、ズボンにベルト。
着慣れぬ制服を不器用に身につける孫を見て、
『何もこんな窮屈な制服など着せなくてもいいのに』と痛々しい思いで見ていた。

高校生ならまだしも、まだ12歳ですよ!

息子の時は当時黒のガクランだったので、アトピーだった息子が固い白のカラーを
衿にはめるのを泣きたい気持で見ていたのを思い出した。

孫はこの制服に身を包みどんな中学生活を送るのだろうか。
願わくは楽しい3年間でありますように

 

天の配分

2011-04-08 20:20:06 | Weblog
東北地方がまたもや大きな地震に襲われた。
天はどこまで東北を痛い目に遭わせるのだろうか。

昨夜の地震は当地方で震度5、水も電気も異状が無く、電気水道ガスの復旧がますます
遅れる他地方の方々には誠に申し訳ない気持です。

毎日神経を脅かす地震に放射能、例年なら桜前線便りを楽しみに
旅行計画の二つくらいある時期なのに・・・

4月3日は友人と日帰りバス旅行に行く予定だった

2月に申し込んで楽しみにしていたのに・・オジャン
この先 旅行を楽しめる日なんて来るのだろうか。

福島県人は宿泊お断り!なんてね


   気分一新 テーブルライナーを換え、和室の絵も換えてみた。
        

原発の位置

2011-04-06 16:24:43 | Weblog
福島県に住んでいながら原発のある場所がしっかりとわかっていなかった。
おおまかに県内の地図を見ると郡山市はほぼ原発から西に位置していることは
毎日の風向きに一喜一憂しているので知っていた。

「今日は西よりの風だから放射能はこちらに飛んでこないね」なんて。

そこで今日は福島県の地図をじっくりと見た。

発見!私、原発のある所を通ったことがないんだ!

海沿いのあの通りは原発銀座と呼ばれているらしい。
原町火力発電所、広野火力発電所、第一原子力発電所、第二原子力発電所、
東京電力が作ったJビレッジサッカートレーニングセンターも近くにある。

2009年にドライブした松川浦、相馬は津波の被害にあった。
海鮮丼を食べた海の家はもうないのだろうか

一昨日 乳幼児と妊婦に村外避難勧告が出された飯舘村は何度も通っている。
あの牛が草を食んでいた長閑な村が最も放射線量が多いとは・・・

県民の作ったキャッチフレーズ【うつくしま福島】が壊された。
憎んでも憎みきれない。

原発の奴! 原発に奴!

        海を見ながら海鮮丼を食べたお店と相馬の海   
         


         
          

世界のフクシマ

2011-04-04 17:58:19 | Weblog
いまや世界中に知れ渡ったフクシマ。
国内の人にさえ福島県ってどこにあるの?なんて言われていた存在だったのに。

有名税にしては重すぎる
この先どのくらい経ったら安心が得られるのだろうか。

そう思いつつ表面は毎日平穏に暮らしている。
家が津波に流されたり地震で潰されて跡形もなくなった映像を毎日何度も見ていると
家の中にさして必要ともしない物が溢れている現実が馬鹿らしく思える。

11日の震度6の地震で飾り棚の中の物が大方壊れたのを機会に、もう細々飾るのは
よそうと棚ごと捨ててしまった。

何かに使えそうと大事に取っておいた布や毛糸や衣類もボチボチだけど処分している。
捨てるのが惜しいと思わなくなったのはあんな風に一瞬にして全てが消えてしまうことを
知ったからだろうか。
心境に変化あり。