銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

電車の遅延は、なぜ、起きるのか? 2010年秋版

2010-10-24 09:30:24 | Weblog
 以下の@@@@@1罫線から、@@@@@2罫線までは、火曜日の午前中に描きました。「本日放映の映画をご覧ください」という文章ですから、すでに、手遅れになっています。それでも、そのまま、お送りをさせてくださいませ。文脈の流れが、そういう方向で流れていきますので・・・・・

 @@@@@@1

本日『マルタ・・・・(スイス映画)』が放映をされます。

 本日、26日(火)の夜BSジャパンで、『マルタのやさしい刺繍』が放映をされます。これは、キネマ旬報やら、新聞の映画批評では賛否両論があった模様ですが、私は、一度この地上波でみて、『面白いなあ』と感じました。スイス国内では抜群にヒットした模様で、賞も受けています。

 ところが、偶然、鶴岡八幡宮・境内で出会った、インテリそうなスイス人ご夫婦は「見ていない」といっていましたので、ここの読者層には合わないかもしれません。でも湘南新宿ラインで出会った美しく、かつ働いている奥様二人は、この映画が、2005年銀座のシャンテ・シネもしくは、シネスイッチで公開されたときに劇場で見ているそうです。

 この映画は万人にお勧めしたいです。実は老女性、4人が主人公なので、お若い方には、「あれ、つまらない」とお思いの向きはあるでしょう。でも、子供の立場としても親が何を考えているかがよく分かります。そして、親子とも、どういう風に親の老後に向かい合い、振舞ったらよいかがよく分かってきます。

 スイスの地方都市が舞台で、アルプスの谷間にある村の美しい光景が頻繁に写されます。それと、そこには、立派な老人ホームがあり、その居住者が都会出身でもあるので『インターネットで、下着を販売する』などの今日的な話題も、盛り込まれており、また、暗喩としては、米軍のヨーロッパへの進駐の影響などさえ、示されています。その影で、女性が、いろいろ、苦しんだことなども。これは日本では『ゼロの焦点』でもひとつの大きなテーマでしたが。・・・・・

 重層的に作られている、まあ、名画のひとつだと感じます。スイス映画は始めてみましたが、十分に面白かったですよ。

 ところで、ここで、28日に挿入的にお断りを入れますが、もちろんBSジャパンの放映は済んでしまいましたので、レンタルDVDでもありましたら、お暇のおりに、見てやってくださいませ。

@@@@@2
 ところで、上の映画の主人公は手仕事が大好きだという設定です。女性にとって、手仕事とは、相当に心温まる、趣味のひとつです。『赤毛のアン』でも、ご近所同士、集まって、手仕事をしながらお茶しながら話し合う場面があります。また、『風とともに去りぬ』でも、北軍兵士にヒロインが侮辱をされそうになったとき、町の上流階級の男性たちは防衛的な報復へ向かいます。その男たちを心配しながら待つ女性たちが、心を落ち着けるために、縫い物をしている場面があります。

 私も実はこう見えても、手縫いの仕事は大好きです。で、10年ぐらい前から、五年ぐらい前までは、本作りにお金がかかるので、ほとんど、手仕事、手縫いで、自分の生活を豊かにする事に努力をいたしました。その中に、靴下をつくろう話があります。これを、未発表の小説、『シルバーのブラウスは私を導く』の中に、書いているので、それが、ハッキングによって、大勢の人に広まり、私が相当に『貧乏だ』とみなされました。普通ならそれで構わないのですが、私の場合は、それもすぐ攻撃の材料として使われ、石川和子女史の夫、柳沢某が、どこやらのゴルフ場の会員らしいのですが、そのお知らせ用はがきが誤配達を装って、我が家の郵便受けに入っていた事があります。つまり、「おまえんちは、ゴルフの会員券など持っていないだろう」といいたいわけです。他の小ざかしい数々の、嫌がらせを考えると、これも、例の二人羽織の発案でしょう。

 『でも、そういうことで、勝った勝ったと思っていると、足をすくわれますよ』といいたいです。人は、それぞれ、お金の使い道が違います。文化的な豊かさという側面に使う人もあるのです。現代の日本では、持ち家、車、ゴルフの会員権、お墓、宝石、ピアノ、蔵書が多いこと、ブランド物の洋服やら、バッグや靴をもつこと、それから、あれこれ、と続きますが、どの分野に誰がどんなお金を使っているかは、早々には分からないことなので、他人を簡単に軽蔑をすると、かえって自分のお台所が見え見えとなると、言う結果となります。

 石川和子女子が私の猫を再び、あしらいたくて、それをどう運んだら実現するかが分からなくて、威張れば言うことを私が聞くと判断して、ずいぶん、威張りかえってきた時期があります。彼女の手法の一つとして、自分の家に上げて、それを見せるという事があったのですが、「ごめんなさい。あなたって、私とはまるで違うわ。私が持っている画材とか、文房具とか指輪とか、和服とかを総計したら、こちらの方が金持ちでしょう」言う判断でだけで終わりました。彼女の言うことを聞いて再び猫を自由に歩かせる気はありませんでした。

 実は、パンツまで盗む泥棒役が、最近では、ご近所さまにも、割り振られているのではないかと思ったこともあります。合鍵を作る技術など、簡単にできるでしょうし、『あらゆることから、判断をすると、それもありだな』と、考えた時期もあります。

 私はものすごく忙しいので、お掃除がどうしても、後回しになります。そういう家へ、頻繁にご近所様が出入りしていたら、本当に赤面ですが、それもひとつの人権蹂躙に当たりますね。あたりまえですが、・・・・・でも、世界、および日本のニュースさえ作り出す、彼らの驚くべき行動を分析すると、『そうである』としか、考えられないときがあります。そのニュースの大本になる犯罪でさえ、作り出す可能性もあります。
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 現在の東京圏では、電車の遅延事故が多発しています。これは、2007年の7月に、私がメルマガの世界で『嵐のために、跨線橋が渡れない』という文章を書いたことから始まりました。最初は湘南新宿ラインが、新宿駅の跨線橋の故障または、工事で、運行停止をされる」という理由でした。

 これは、のちのちに、母の老人ホームの周辺で、工事や夜回りが多発してくることから、『老人ホームへ向かうのを阻害してやろう』という意地悪だと分かってきます。そして、その三年後、今年の4月のライブという画廊での私の個展前後でも、信じがたいほど、その遅延が起きて、しかもその最後の日の夜に、い井上ひさしは、死亡したのでした。私は井上ひさしと、伊藤玄二郎の二人があまりに、あくどいことを、個展前後にやってくるので、『それがあなた方のアイデアだと、分かっていますよ』という暗喩をかねて、土曜日に鎌倉春秋社を尋ねて、「どうか、個展に来てください」と、いっておいたのです。まさか、『あなた方は意地悪をしていますね。それを止めてください』とはいえないでしょう。だから、「鎌倉のひととして、どうか見に来てください」と言ったのd須賀、それで井上ひさしは、それだけで、『自分のあくらつなたくらみがすべて、私に分かっていることを悟って、それを、口外してもらいたくなくて、死んだ事にした模様です。後から発表されたあらゆる情報を勘案しても、彼は自らの死を演出しただけです。肺がんなのに歩いて病院へ一定tのですって。おかしいです。死に瀕したひとが佐助がやつからあるいて、どこの病院まで行く事ができるでしょう。母の本当の死に面した私は、ありとあらゆる面で、彼の忌まわしさをかんじるだけです。

 そして、一番いやな事は、彼が得意になって、発案したアイデア・・・・・・たとえば、電車の遅延とか、大相撲壊滅作戦に、・・・・・大勢の人が巻き込まれることです。社会の全体像がまるで見えず、「勝ちゃあ、いいんだ。勝てば官軍だ」といけいけどんどんで、おっちょこちょいなアイデアを、次から次へと思いつくことです。

 ところが、それに対して、ほとんどの場合は、私は、やっつけられないわけです。敵方の思うほどには、やっつけられないわけです。相手の意図がすぐ分かりますので、『なるほど、それなら、この件ではなくて、政治の本質を叩こう』となります。

 というのも、この偽の遅延情報の多発が、「私を、いじめるために、狙ってやっている」と、2007年時点で書いたって、読者の皆様が信じないだろうと、こちらも考えるからです。で、深い怒りに駆られますから、その大元の政治について述べる事となります。

 国際的軍産共同体側に立つアイデアをだして、それをそちらのトップ(その固有名詞が今の所確定できないけれど)、上奏している井上ひさしと、伊藤玄二郎については述べないで、小沢一郎氏の危険性、映画『靖国』の問題点、ビートたけしに関する分析、映画『コーヴ』の問題点、天皇・習近平緊急会見問題、雅子妃問題、口蹄疫問題、etc.etc.と、一般的なことを述べて来たわけです。

 
 現代の世界でもっとも大きな権力者とは、グローバル経済下の大資本家グループです。私はいつもそれを、国際的軍産共同体と呼びますが。それと、フリーメーソン組織などが重なって、悪をなします。どういう悪かというと、日本人から大量のお金を吸い上げることです。そして、その仕組みを、日本の国民の目に見えないようにして、国民が目覚めて、反発することを避けるために、あらゆる、メディアが利用をされており、

 日本人が、全体として、気落ちし、自信をなくす事を最終目的として、あらゆることが企図されています。
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 どうして、そこまで断言できるかを、もう一回クリアーにするために、以下の文章をここで挿入させてくださいませ。

 私は一アーチストですが海外で、外人の中に混じって、いつも版画を作ってきました。それはたった三ヶ月ではありますが、1998年、1999年、2000年と、三回も繰り返しました。十分に間を空けてです。しかも常に、外人の間で暮らすようにしていて、日本人とは付き合わないように工夫をします。すると、頭が、ぎんぎんに明瞭になってきて、回りがよく見えます。

 これが、もし、商社マンの妻として、派遣をされて、商社マン用の社宅に入り、ニューヨークなら、ニューヨーク、パリならパリの、駐在員社会の中に埋没してしまうと、これほど、鋭く物を考えないと思いますが、一人暮らしというのは、夜は、物を考えるのに、絶好の状態なのです。テレビも見ないし新聞も読まないので、ひたすら昼間見聞きしたことの分析をしながら、考察を重ねます。特に誰からも話しかけられないというのは、ある意味で孤独でさびしい境地ですが、学ぼうと決意している私にとって、さびしいなどと言っている暇はなくて、ただ、ひたすらに前進するというか、考察を重ねる事となります。

 版画とは、美術の一分野で、政治とはまったく関係がありません。しかし、その工房内は、自由な精神に満ちています。で、
 素顔の人間性が見えてきます。国情もまったく素直に発揮されます。それは、いわく言いがたい社会勉強の場でもあるのです。決して長話を強いているわけでもないのですよ。だけど、会社などの、上下関係のアル場とはまるで違っていて、しかも外国人は素直ですし、海外にいる日本人も素直です。となると、そこでの経験と会話は、この日本に帰ってきた後では、信じがたいほどの明瞭さを持っています。

 日本人だって、個々人を取り上げれば、大変素直で、明瞭で明るいです。ところが社会全体を通すと、KY(空気を読めないやつは馬鹿)だとかなんとか、言う『真綿で首を締めるような規制があって、まるで、心が、死んでいるのです。ゴルフだとか、ゲームだとか、恋愛だとか、漫画だとか、ありとあらゆる娯楽は与えられます。だけど、ショパンが考えたような、また、キュリー夫人が考えたような愛国心は、人々の間には、なくてしたがって、個々人の生活を自分の工夫で明るく、かつ豊かにしていく手立てを国民は持っておりません。

 これは、どうも現在の世界においては、日本において、極端に顕著なことのようです。韓国人や、中国人だって、これほど、謙虚で迷ってはいないと思います。戦時中のように、「欲しがりません。勝つまでは」というほど、極端なのは、困りますが、何かの希望とか、大きな価値を目指す勇敢さとか言うものを、徹底的に奪われた国が現在の日本です。

 「それでは、いけない。それでは、だめなんだよ。もう、目覚めて、自分で、自分を守ろうとしないと、日本は危ないよ」と感じる私は、その収奪者側から見ると、危険な人物であり、なんとしてでも、壊滅させたいとなるのでしょう。

 でも、私には何の落ち度もないのです。しかも上に言ったような事は、ほとんどの日本人がすでに気がついていることです。鎌倉の市長選で、物量作戦に出た、民主党が敗れたことでも明らかなように、現在の『禁煙運動に代表をされる、人々の精神を縛る悪政に、人々は、うんざりしていて、NOといい始めています。かつ、鎌倉では小町通の共同溝工事という、めちゃくちゃにおかしい現象が続いていて、怨嗟の気分が人々の間に、満ち満ちているのです。
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 しかし、この国には英邁な政治家はおらず、かつ、英邁な、(オピニオン)リーダーもおりません。ちょっと、目立つ人とか、才能のある人は、次から次へとつぶされていっています。

 で、私は自分を実験動物とみなして社会の分析を続けているのですが、現在の東京圏での作られたニュースというか、作られた現象のうち、最悪のものが、電車の遅延現象の多発です。

 これこそ、井上ひさしと、伊藤玄二郎の発案で起こりました。上の方に述べているように、私の文章を分析して、どこに弱点があるかを見つけ出し、ここをたたいてやれば、彼女は自滅するはずだと、言うポイントを見つけ出す役目が井上ひさしです。二人羽織のもう一方で、ある伊藤玄二郎も考え出すはずですが、パーセンテージとしては、井上ひさしの方が大きいでしょう。
 それを、確信したのが、この跨線橋が、故障したから、湘南新宿ラインが遅れるというアイデアでした。これは、新宿高島屋と、JR東日本本社の間を結ぶ跨線橋を実際には見たことのない人間が発案をしたことです。

 伊藤玄二郎氏の方は一時期、河出書房に勤めていました。つぶれる前に辞めている様です。が現在でも、関東学院大学の教授だし、昔は中央大学へ通った人ですから、新宿ぐらい遊びに行くチャンスは今でもあるでしょう。で、あの豪華にして堅牢な跨線橋については実物を見たことはあると考えます。それに彼はテレビには、顔を出しません。だから、ちょっと表情から推定する事ができにくいので、断言ができないのですが、

 井上ひさしの方は、クローズアップ現代の、2009年、6月22日か、23日の、ともかく、水曜日に太宰治に事寄せて、警察を擁護した事があって、それは、私の『秋葉原の椅子』と言うエッセイのもろなる否定でしたから、それ以来すべての現象を、私のメルマガ、もしくは、ブログの文章と付き合わせると、因果関係がある事が分かってきたのです。

 その通勤やら、そのほかで、関東圏に育った伊藤玄二郎氏は土地勘があるので、あの豪華にして堅牢な跨線橋に接した可能性があります。それと、比較をすれば、東京駅を利用して、そこから地下鉄、もしくはタクシーで、朝日新聞社や、新潮社、文芸春秋社等に向かう井上ひさし氏は、あの広場みたいな大きな跨線橋など、想像のほかなのです。彼の頭にあるのは、高卒までに見た仙台地方の素朴で粗末な跨線橋名のです。または、一時期学費を稼ぐために働いたといわれる釜石にある同じく素朴なそれでしょう。特にかれが、東京へ上京する前は、東京オリンピックの前ですから、土木工事は、いまほど、盛んでも進んでもいなかったのです。で、小さくて、素朴な窓ガラスも入っていないような、跨線橋をイメージしているから、嵐で、飛ばされると考えたのでしょう。

 私が文章で、表現したのは、あの跨線橋はあまりにも幅が広いために、屋根がないということなのです。だから、風圧をまともに受けますし、しかも敷石が、磨き抜かれているために、つるつる滑って、それで風に対して抵抗できないことを、文章に書いたわけです。

 それも、高島屋側から、西側の高層ビル内にある事務センターを目指していたからです。その無理を、書く事が神様への献呈になっているわけです。だって、外で遅くなるのは自分のパソコンへ侵入されているからそとで、貸しパソコンを使わざるを得ず、それこそ、悪魔の行動です。それをあぶりだす目的で、暗喩も暗喩として書いている文章なのに、それを、さらにからかうとは、神に逆らう現象です。

 だから、天は『大銀杏を倒す』という形で、伊藤玄二郎が牛耳っている鎌倉にお灸をすえられたのでした。こと、軍産共同体へのご奉仕と言う側面では、井上ひさし、と、彼は一身同体ですから。そして、繰り返しになりますが、この山のご近所様の動きと、日本を席巻する忌まわしくも作られた不自然なニュースと、小沢一郎・カリスマ説の勃興の三つは、見事に連動しているのです。それらの私へのいじめこそが、私の政治・分析の基礎となっています。

 この電車の遅延ですが、実行部隊はまさかJR東日本ではないとは思いますが、JR東日本が、恥ずかしげもなく、池袋に遅延情報お知らせ用掲示板という物を設置している事から考えて、何も反省をしておらず、むしろ、嬉々として協力しているがごとく見える事が大問題なのです。どうも警察から要請が行っているのではないかと考えられます。その件については一種の傍証として、急に湘南新宿ラインが池袋を通らなくなった日があって、それも諜略だと思うので、それをお話をさせてくださいませ。池袋を通る代わりに上野を通るだそうです。
 となると、大崎、恵比寿、渋谷、新宿、池袋などの駅をりようして群馬県や、栃木県および神奈川県の三浦半島やら湘南へ遠距離通勤をしているひとたちは、信じがたいほどの迷惑をこうむるわけです。

 ところで、東上線をりようして母の見舞いを終えた私は、駅構内の、大音響で響くそのお知らせを聞きながら、湘南新宿ラインへ入る階段を占拠して「使えません」『使えません」と言い募っている駅員(?????)と思しきダークスーツの男性たちをみて、『は、はーん、警察の偽装ですね』と思うわけです。

 こんなばかげたことをどうして、警察がやるかというと、私へのさまざまな攻撃がばれないと思っていたのにばれているから焦っているのです。最初期のパソコンのハッキングも、第二期の本多隆彦氏がやっているかのごとく擬装をされた嫌がらせも、すべて警察がやっていたとすると、頷ける措置となってきます。自分たちがあほだから、他人(私)のこともあほであろうとみなして、やりたい放題のあくらつな事をやり抜いてきたものの、私があほではなくて、ほとんどすべての蝶略行為を暴き始めたので、どうしていいかがわからなくて、とりあえず、『あの人間そのものをぶっ潰せ』となってきて、ありとあらゆる手段が行使し始められたのです。

 そのひとつがこれですが、さらに新しい仕組みもかんがえられています。それは交通量動態調査というもので、カウンター(計数器)を持った人間が、多数町で、通行人の数を図っているわけですが、常に私が使う隘路をふさぐという形をとります。

 山手線から横須賀線へ乗り換える場所は一箇所しかありません。そこに三十人近い、ダークスーツをきた、屈強な体格をした若者たちがたむろをしていました。すぐぴんと来ます。警官の擬装であろうと。それを、パソコンないメモとして落とします。

 すると、今度は黄色いナイロンのジャンパーを着せ、かつ、アルバイトもやとって、(というのは、機動隊などとは、普通の若者はまったく体格が違うし、面立ちも違うので、私にはすぐわかるからです。それは、この2010年の初秋に横浜駅のベイクォーターから横須賀線に入る場所で行われました。

 アルバイトの学生たちは、ただそこにいればよいといわれているらしくて、数を数えるでもなく、談笑しています。その日の私は、みなとみらいのクイーンズエリアの喫茶店とレストランで、GPS機能付のパソコンを使い、それをもったまま、電車に乗らずにみなと未来地区から、横浜駅まで歩いたのです。

 特に日産自動車ビル内に設けられている近道を通ってそごう側にでなかったので、20分は余計に時間がかかって、敵は十分に準備ができたというわけです。

 ここら辺りは気力と体力が充実していたら面白い短編ミステリーとして書くことができるのですが、最近は、疲れきっているので簡単にメモ程度で終わらせていただきます。
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 上の現象が、ことさらに重要なのは、まさしく、小沢民主党・党首選・立候補の時期と重なることです。そして、ご近所さんがまたきちがいのようにはしゃいだシーズンなのです。

 で、瀬島龍三が企画した(どろぼうでしかない)『あじさい畑欺もう事件』の被害者たる私は、なるほど、

 *小沢一郎という政治家は、国際的軍産共同体が、もっとも大切にしている存在であるという事が、ここでも証明された。

 *警察は徹底的に、その支配下にあり、アイデアマンが井上ひさしであり、彼と伊藤玄二郎の二人はすでに、相当ハイレベルな階級のフリーメーソンであろうという分析に入っていくのでした。

 では、今日はこれで。なお、今のところ、日付は24日になっていますが、実際におおこりするのは、29日午後、22時半です。 雨宮舜
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