日曜日の午後零時ごろ、山の下から大音響が聞こえます。大音響というのが、まず、敵様の攻撃意欲が高いときであるのを示していますので、それが何を意味するかを考えて、答えを出しておくのは、やむなくも必要なことなのです。で、銀座から、しばし離れますが鎌倉へ、話題が戻ることをお許しください。
男性の声で厳しい口調です。私は聞きたくないのですが、あまりに長時間繰り返されるので、窓を開けると、「入場券が必要だ」とのこと。
『おや、おや、また、伊藤玄二郎が音楽会を開いたのだわ』と思いました。その切符は公には売られていないので、彼だけが有力者(医師会など豊島やの社長さん。養老孟氏など)に配布できるので、彼の支配力や権力を高める効果があるものです。
で、それに初めて気がついたのは、2009年で、メイン歌手が、平原綾香で『カタリ』を歌いました。そして、2010年にも同じ形式でおこなわれ、ここでも、平原綾香が主役で『誰も寝てはならぬ』をうたいました。
で、後日、自分の手持ちのCDを聞いていたら、見事に、カタリのところが飛ぶんです。
『あれ、変だな』と思い、で、あわてて、ほかのCDをためてしみると、平原綾香が使った曲は見事に全部飛ぶのです。つまり、私が大好きだった曲は、パヴァロッティのCDでも、聞けないし、マリオ・デル・モナコのものでも、だめなのです。両曲ともテノールの固有の曲で、私は、それが好きだと、何度もメルマガとブログで書いているものです。
ただ、相手の意図は非常によくわかりました。つまり、平原綾香まで使って、私の才能とか、文章を消し去りたいというわけです。別にプロの歌手に張り合うつもりはないのですが、アメリカキササゲをきったのも、私の文章を消すためですし。
平原綾香自身がどれほどまでを知っているかは別として、相当なレベルで教唆をされていて、利用をされていて、『カタリ』や『誰も寝てはならない』を選んでいると感じました。つまり国際的軍産共同体のライターいじめ(特に歌が好きな私のために)に利用されているとは感じました。
創作の神様は純粋でないと、お怒りになるので、まだ、この二曲には人気が出ていません。原曲はすごくいい曲ですが、平原綾香が改造した方は、人気が出ていません。
ただ、私がここで、こう書くと、必ず否定して来る国際的軍産共同体ですから、大相撲名古屋場所で、「放映するな」という大量のメールがNHKに届いたそうですが、それと、同じような手を使って、これから、平原綾香の再ブームが起きるかもしれません。
平原綾香がどうして、ここに利用をされたかというと、我が家で主人が『惑星』を好きだから、何度も話題に上ったからでしょう。
で、彼は、夕方八幡宮を通って帰ってくるので、『これには気がつくはずだ。そしたら、妻のお前に告げるだろう。それで、お前は山から跳んで降りてくる。特に好きな曲だからね。しかし、お前は招待をされてなくて、入れないんだ。ということはお前は、非常に小さい存在だ。偉そうにするな』という感じだと思います。
私は別に偉そうには、していないのですが、多分あらゆる意味で本当のことを書いているので、警戒される極地にあり、相手の方が勝手に『重要な人物だ。偉い』と思ってくれているのでしょう。特に井上ひさしは、感嘆しているような気がします。もしかしたら、嫉妬しているかもしれない。で、瀬戸内寂聴さんを持ってきて、携帯小説を書かせたりします。
それから、私が13年前から非公開で使っていた雨宮舜のペンネームをつぶす目的でしょうね。当時右翼だったと、ご自分で仰っている、雨宮処凛さんを、私目当ての対抗馬として大物として育てて行きました。ブログを始めた初期に、私名前の前に必ず、雨宮処凛さんが、先に置かれていて、読者が間違えて、そちらを読むように設定をされていたので、その意図がわかりました。
ありと、あらゆる側面で、『お前は気鬱になれ、悲しめよ』といわれているわけですが、それが、ライターつぶしの策だとわかっているから、気鬱になっているわけには行かず、すべてを、受容して、ただ、思考回路に現象を役立てるだけです。だから、いつまでたっても敵が思う様には、参らないわけです。自滅しません。
ところで、このCD内の曲が飛んでしまう現象ですが、電磁波をつかったり、IT的にチップが使ってあったりするものは、破壊が容易みたいです。この山のどこかに、支配できる増幅装置があって、遠くで作業をすると、私が不便をかこつというわけです。
大好きなシューベルトの即興曲において、第三曲のアンダンテ部分が、142と90番、共に飛ぶようになったとか、レンタルDVDにも敷衍していくのでした。後者は、音が小さくて意味が取れなかったり、日本語字幕が出なかったりするのです。これは、映画批評は、ブログとしても、大勢のヒトが接する分野ですから、そこで、私に大衆的な人気が出たら大変だから、と考えて行われた攻撃です。
で、その破壊は、ゲームドラクエにさえ及びました。主人が気晴らしのひとつとして、一緒にゲームでもやろうというので、ドラクエに入って、IとIIIは軽くクリアーできたのですが、Vに入ると、ピラミッドのところで、とどまってしまって先へ進めません。で、これも『やられた』と思い、中断しました。
こういうのも、私がやろうとしていることを、すべて、邪魔してやろうとする悪魔のような気持ちの表れです。禁煙運動もタバコを吸う人の怒りをすさまじく、買っているようですが、それも、私の原文『一本のタバコが落ちていて』を読んだ井上ひさしが、それが傑作ゆえに、私を結果として悲しませるようにして、その結果、書かなくなるであろうと案を練り → 伊藤玄二郎、? → 松沢茂文 → 小沢一郎 に伝わっていき、まさしく悪魔そのものが、考案したかのごとき、魔女狩り運動へと発展しています。
だけど、こういうことをやっていると、やがて国民は怒りを沸騰させるるでしょう。国際的軍産共同体は、小沢一郎とともに沈没をするかもしれません。国民は本当にこの悪魔性に気づき始め、その手法を心底、嫌い始めています。どんなにお金を使って日刊現代を買収してもだめですよ。というのは、この山で、安野・前田家が何かを仕掛けてくる日付と、小沢一郎の政治的動きはぴったりと連動しているからです。
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で、日曜日に戻ります。
男性の声が部屋に聞こえていた時間には、『それは、例の平原綾香スタイルの音楽会でしょう。私は、そこには入れないのは、もう、知っていますから、』と思って無視していたのですが、12時半ごろから女性の声が聞こえ始めました。これも大音量で、しかも、「八幡宮の境内は、神域なので禁煙です」という言葉も入っていましたので、嫌でした。
ただ、修羅場を潜り抜けた経験を重ねていますので、2007年ごろほどは、今は、参らないのです。でね、『この女声の方にも悪意があるけれど、気にしない。気にしない』と自分に命令して、仕事に専念していたのです。しかし、女性の声は柔らかいし、いつも聞いている同じ声だから、どことなく、さっきのとげとげした男性より耳に心地よくて、自然に内容が聞こえてきました。『あれっ』と思ったのには、なんとその日は、流鏑馬の当日だったのです。
『おや、おや、今日だったかしら。あれは、10月の第二週だったのではないかしら』とは思いましたが、それも、さして気にせずに、朝作った予定通り、出かけました。そして、12時間以上そのことはすっかり忘れていました。
~~~~~~~~~~
しかし、先ほど(というのは、日曜日の真夜中、この原文を書き始めたころのこと)、午前二時に、布団に入ろうとした途端にあることに気がつきました。あの男性のとげとげした発声には大いに意味があったのだと。
それを、今書き抜くか、体力の回復のために、今は寝るか、迷いましたよ。日曜日には、外で、2万字を越える物を書いて帰ってきましたし。それを、アップするかどうかも迷っていて、『まあ、ここは、十分に睡眠をとってから、推敲してアップした方がよい。明日、やりましょう』と、寝るつもりだったのに、新しい発想が起きたからです。新しい発想は、メモ程度でも書き留めておかないと、寝てしまったら、忘れます。
これは絵もおんなじですね。だから、創作をする人はやせています。睡眠を削るから。発想を生かすためです。太っている人は少ないです。みんなやせ細っています。
で、今午前四時ですが、睡眠を削って新たに書き始めています。
~~~~~~~~~~~
あのね、皆様、私は策謀が企画されたり、私に罠が仕掛けられたりすれば大体気がつきます。最終的には気がついて、その罠を潜り抜けてダメージを最小にすることができます。
今連続して書いている、銀座ものも、森さんが仕掛けてきた罠を、どうやって突破して、心身ともに健康な状態を回復したかを、書き進めているわけです。特にそのシリーズが内包している大切な結論を、ここで言ってしまうと、その個展の最中にこそ、井上ひさしの死が、訪れたから、『偽装だ』と感じわけです。その因果関係を後日、丁寧に展開します。
でも、本当のことを言えば、策謀とか、諜略行為は好きではありません。で、そんなに興味がないから、今日(日曜日)の罠だけは、12時間も気がつかなかったと言うわけです。
でね、やっと気がついた今日の罠を解説させてくださいませ。
それは、例のとげとげしい男性の大音声は『流鏑馬の切符を、お前はもらっていないだろう』という意味だったのでした。「だから、悲しいだろう」という暗喩が込められていたのです。いつもいつも心理操作で、迫られます。
~~~~~~~~~~~~
『へえ、そうだったの』と、にが笑いをしました。実は八幡宮様を最近激しく批判をしています。それは八幡宮様も読者の皆様も双方ともに、ご承知だと思います。だから、八幡宮さまから縁切りをされても仕方がないのです。私も気持ちが悪いので、こちらから、お若い神官が、いらっした時に、来年のお断りをしました。うちわをお礼として持ってきてくださるのです。その時に「もう体力がないので、描けないから、来年からは、両紙をお預かりしたくないです」と申し上げております。
画家なら、普通は、そんなことを言っちゃあいけないです。それはわかっていますが、お若い神官に向かって、「八幡宮さまは、私にとって、ほかの方から、褒めていただいたこともある大切な文章『二人だけの音楽会』の舞台となっているアメリカキササゲをお切りになったから、こちらから、縁を切りたい」などとは言えませんでしょう。たとえ、伝言でも、それを、もって帰らせるのは、お気の毒です。だから、そんな別の理由をつけた形で、お断りをしました。
で、それ以降はご縁が切れたと判断していました。しかし、郵便物は届きます。カラーグラビア刷りの広報とか。それをどう判断するかですが、『まあ、これは、八幡宮の大人の態度というものなのでしょう。私は地境地主の一人で、したがって、氏子扱いだから』と思って、さり気なく、受け取っていたのです。
でも、ごく最近とても薄い封筒が届いたときは、『これは、いつもと違うぞ、本格的な縁切り状かしら』とおもったのですよ。で、縁切り状がちょん切れて読めなかったら大変だから、はさみで丁寧に切って開封をしました。すると、縁切り状ではなくて、お茶会の参加ができる切符だけが入っていました。なんとなく不思議でした。いつもはもっと厚いのです。
それから、10日ほど、経った、今日(月)の午前二時にやっとその意味がわかりました。ふ、ふ、ふ』と思うほど、前日の午後には、その意味がわからなくて幸いでした。それは、一種の縁切り状であり、しかも罠が込められていたのです。
つまり、本当ならここに流鏑馬の招待券とか、牡丹苑の入場券が入っているところだったのでしょう。というか、いつもなら、牡丹苑の無料入場券は二枚入っていたと思います。それだけはカラー刷り印刷で他の紙とは違う印象なので、記憶にあります。
しかし、白い紙に黒いインク刷りの流鏑馬の入場券の方は、入っていたか、入っていなかったか、記憶がまったくないのですが、最初期には入っていました。でも、招待券があっても、待ち時間が長いので、苦痛なので、ふらっと、自由な時間に行って、さらっと見るという形で最近は過ごしているから、招待券を、もし、前回まで、いただいていたとしても、いつも無駄にしていたのです。
ただ、奉行という役職のお客様がいて、それを、ある年には三船敏郎さんが勤めておられるという放送を聞いたことがあります。そのほか数十人分の椅子席があると思いますが、ともかく、私は偉ぶるのは好きではないので「特権階級です」といって、喜ぶ方でもないから招待券そのものには、あるもないも気がつきませんでした。音楽会は、相当厳しい入場制限がありますが、流鏑馬の法は、割と自由に好きなところに入り込めたのです。もちろんたつのですが、二時間も前から待っているのも苦痛だから、それでよいのです。
ただ、今日も幸いしました。天が見守ってくださっていると思います。あの男性のとげとげしい悪意ある声が響いていた瞬間には、そういうことにはまったく気がつかず、何も悲しまなかったのですから。だから狙いは外れたわけです。
でもね、今までは、ああいう放送はなかたから、普通のお客さんが、今回だけはいやな思いをしたでしょうね。差別を感じて。放送がなければ自分たちは劣等な方だなどとは、知覚しないで済むでしょう。特別席が目に入りますが、『それは、それ。これは、これ』で済むことです。特に放送で、奉行のことを聞いて、それが三船敏郎ぐらいの有名人であれば、『ああ、そういう有名人が特別席の椅子に座っているのは、仕方がないわね』となります。
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で、八幡宮様が、私狙いのこんな小さな件に主体的に発案をなさるはずがないです。そう思わないと悲しいでしょう。八幡宮さまがちいさくて、かつ、惨めに見えてしまいます。
だから、ここは私流の大人の解釈をしておきましょう。つまり、これも、例の井上ひさし(まだ生きていると考えられます)の発案で、それを伊藤玄二郎が、鎌倉警察署に入れ知恵をしたと。警察署長の名前で、八幡宮様に、『今回は、特別な警戒をします。警戒用の放送は、何時に始めます』といえば、八幡宮様は『はい』とおっしゃる他はないでしょう。ただ、封筒の中身が変ですから、そこらあたりは、この策謀の全体像を理解して、その上で特別な形で、中身を仕込まれたかな。
でも、八幡宮様というほどの大文化遺産が、井上ひさし(=両親に養育の能力がなく、カソリックの孤児院に預けられ、その後、赤旗を舞台に共産党に多大な貢献をしている。だから、シンパとも考えられる。それから、NHKクローズアップ現代内では、警察の見方をどうどうとやった。思想的にも神道を信奉なさる八幡宮さまとは、相容れないはずである)の、支配下(ただ、間に数人を通しているはずですから、真実の構造には、お気づきにはなっておられないとも思いますが)におられるということを、私は数年前から、悲しく思っていたのですよ。ただ、大銀杏が倒れるまでは、そして、大原光孝氏が、一年に一回もやらない猫の散歩を脅かすまでは、それを、はっきりと、は、口外しなかっただけです。
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まあ、本当にあの二人羽織は、小さなことを熱心に、考えだしてくれることと、驚きます。
が、この流鏑馬を使って、差別を演出したというのは、かわいいというか、罪のない方です。さすがに、何千人が聞いている放送だから、ある部分で自制がありますし。
ところが、非常にいやな策謀もあるのです。
今日は、そのうちの二つを述べさせてくださいませ。
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で、一つ目はパンツが盗まれたり、また、返されたりする例なのです。これは、私の友人二軒にも泥棒が入っていますので、脅迫としては、すこぶるつきで、許せないものなのです。それにパンツだけではありません。ものすごく重要なデータも盗まれています。
でね、こんど、泥棒という項目で、一文を書かないといけませんが、そういう下品極まりない工作から、酒井忠康氏への疑惑も、石塚雅彦氏への疑惑も生じるから、人間万事塞翁が馬です。人生に無駄なことはひとつもない。
で、酒井忠康氏と、石塚雅彦氏から、抗議が来るといけないので、ここで、ひとつだけ、ヒントをさらけ出しておきましょう。
それは、ガレリア・グラフィカで個展をした、渡辺幸子女史のところで、ぴったりと収斂する話となりますと。すごい話です。こういう偉い人々、と、私のパンツを盗んだり、友人が祖母からもらった大切な指輪が七個も盗まれるということが直結しているからです。
間をつなぐのは、『警察が、この手の泥棒である可能性が強い』ということと、ありと、あらゆる意味で、国際的軍産共同体が絡んでいるということです。複雑きわまりないはなしを、これから、少しずつ、積み上げて行きます。
銀座と鎌倉を、あっち、こっち、飛びますが、大変に複雑なので、紙の本に直せば、20冊ぐらいは必要なほど、複雑な情報内容ですから、この手の、あっち、飛び、こっち、飛びの書き方をお許しくださいませ。
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ともかく、彼らは策謀を繰り返しますが、そのひとつして、娘が痴漢に襲われるということがありました。これが策謀だったら、ひどすぎるというような話であり、それが安野家が絡んでいることですから、そちらのひいきを思えば怒り心頭です。
いかに詳しい話をさせてくださいませ。
この近辺は夕方の六時を過ぎると、とんと人通りがなくなる静かな地帯です。車さえ八時を過ぎると、通りません。でも、ある日、娘が帰宅途中に痴漢に襲われました。そして、きゃーっと言ったら、安野家からご夫妻がでてきて、助けて下さったそうです。私は当時、海外へ行ったり、アトリエで一人暮らしをしていいたから、親としての責任を果たしていないわけで、恥じ入ってお礼に伺いました。だけど、それからの推移を見ると、あの痴漢そのものが演出だったと感じます。
彼ら夫婦は、『今夜は演出としての痴漢の襲撃がある』とを事前に知らされていて、ちゃんと、お洋服を着て、待機していたと、考えられるのです。娘が、どの時刻にそこを通るかは、娘の携帯を盗聴すれば、容易にわかります。人権蹂躙のきわみです。プらヴぁシーを守りましょう』という大キャンペーンがありますが、反対というか、裏ではものすごい悪がはびこっているのです。
だって、その後、丁寧に、安野家を観察していますが、12時ごろまで明るい事はほとんどないのです。その時刻には寝ている事が多いのです。
こういうことを起こすのは、私が安野夫人を嫌っているからこそ、彼女に頭を下げさせるのが、最高のいじめとなると、敵が考えているからでしょう。で、その演出を実行した組織が何かを考えると、警察となります。だからこそ、安野家には、地域何とか、防犯協会という青いブリキの看板とともに、紙のポスターが何枚か渡されて、それを自分の家の前に誇示してはるということになります。数ヶ月間、色あせて、ぼろぼろになるまで、張り続けるということになります。ここが地理的には、たこ部屋ですから、安野夫人はふんぞり返り続け、そこにみんなが膝を屈すると言う状態は続くわけです。
でもね、この一連の現象から、わかってくるものもあります。それは、安野氏、および安野夫人は大学を出ていないであろうということです。あの年で、大学を出ていたら、樺美智子さんの死に衝撃を受けないはずはなくて、したがって、警察と親しいなど、恥ずかしがりはしても、誇示するはずがないのです。前田家も同じブリキの看板を下げていますが、さすがにこちらでは、紙のポスターを二重にはり、誇示するまでのことはしていません。それにこちらは、共産党か、そのシンパだと思いますから、今では、共産党と警察がぴったり結びついているのが、井上ひさしのクローズアップ現代だけではないことを、証明する証拠のひとつとなっています。
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また、安野、石川、両女が、極端に教養が低いのも『なるほど』ということとなります。娘が偽痴漢に襲われる一方で、おいちにおいちにのあひるさんと、学校中(先生も生徒も一緒になって)でからからかわれるほど、成績の低い安野君が、海上保安学校へ入学できて、その玄関先で、菓子折りをもって、儀礼的な挨拶を交わしていましたのも、無知の限りだから、ああいうことを平気でできるのだと、わかってくることとなります。
こっちの被害がすさまじいから、対抗例をきちんと分析させていただきます。「国立大学の付属高等学校へ、ご入学おめでとうございます」としなをつくりながら、しかも麗々しくお辞儀しあっていることを、見せ付ける場合、東京圏なら、東大、各医大、六大学、他、70%以上は大学へ行くはずなのです。安野君はどこの大学へ行ったのだろ。また、が級たちはどこの大学へ進学しましたか?
それから、このときに、またもや、『実子ではないのだなあ』と思いました。子供って、ふた親のセックスの結果、子宮で育ち、膣を通って、生まれてくるものです。それを他人に祝ってもらうということは、自分の股間を拝ませるのと、同じことなのです。親戚に祝ってもらうのはおかしくない。それにアジサイ畑や、猫で、迷惑をかけてきた私に菓子折りを持ってきているのなら、この件をとやかく言いません。だけど、必要なことをやらないで、虚偽の演技ばかりに励んでいるから、おかしくて笑っちゃうのです。
私彼女たち、二人の行動を、見ているだけで、おしりがこそばゆくなります。もちろん、二人の家が私にかけた大量の迷惑がなければ、ここまではいいませんが、ありと、あらゆる現象について、無知蒙昧なことがわかってしまうので、見ているだけで、恥ずかしくてたまりません。威張りたいの本能むき出しを主是として生きてる彼女たちにとっては、普通のことだとはわかりますが、威張れば威張るほど、実質が見えてしまうのです。
そして、いざとなったら、まったく実力もないのです。それは石川和子女史が地下(ぢげ)で「そのとおりです」といっているでしょう。お骨になったら、間に合わないことでしたけれど、生きているうちに正確な方針転換をするべきでしたね。
でね、この「安野夫人とそっくりだわ」と私がPC内メモで書いた藤田憲子さんは芸能人としてもてはやされ、その息子の貴乃花親方が異常な出世を果たし、反対に正しいことを言っている、輪島氏を頂点とする日大出身者たちが、一網打尽というぐらいに、異常にいじめられたのが、今回の大相撲壊滅作戦です。それは、この山で実践されて、成功したと、敵方が思っている作戦の、そっくりそのままを、相似形的に、拡大したにすぎないのです。まやかしそのものです。つまり、正しい意見を言う人間は、どの分野であれ、つぶしたいのが国際的軍産共同体の常套手段であり、その最初の実験場がこの山です。
では、まだ、語りたいこともありますが字数が一万を越えましたので、今日はここで。 2010年10月5日 雨宮 舜
男性の声で厳しい口調です。私は聞きたくないのですが、あまりに長時間繰り返されるので、窓を開けると、「入場券が必要だ」とのこと。
『おや、おや、また、伊藤玄二郎が音楽会を開いたのだわ』と思いました。その切符は公には売られていないので、彼だけが有力者(医師会など豊島やの社長さん。養老孟氏など)に配布できるので、彼の支配力や権力を高める効果があるものです。
で、それに初めて気がついたのは、2009年で、メイン歌手が、平原綾香で『カタリ』を歌いました。そして、2010年にも同じ形式でおこなわれ、ここでも、平原綾香が主役で『誰も寝てはならぬ』をうたいました。
で、後日、自分の手持ちのCDを聞いていたら、見事に、カタリのところが飛ぶんです。
『あれ、変だな』と思い、で、あわてて、ほかのCDをためてしみると、平原綾香が使った曲は見事に全部飛ぶのです。つまり、私が大好きだった曲は、パヴァロッティのCDでも、聞けないし、マリオ・デル・モナコのものでも、だめなのです。両曲ともテノールの固有の曲で、私は、それが好きだと、何度もメルマガとブログで書いているものです。
ただ、相手の意図は非常によくわかりました。つまり、平原綾香まで使って、私の才能とか、文章を消し去りたいというわけです。別にプロの歌手に張り合うつもりはないのですが、アメリカキササゲをきったのも、私の文章を消すためですし。
平原綾香自身がどれほどまでを知っているかは別として、相当なレベルで教唆をされていて、利用をされていて、『カタリ』や『誰も寝てはならない』を選んでいると感じました。つまり国際的軍産共同体のライターいじめ(特に歌が好きな私のために)に利用されているとは感じました。
創作の神様は純粋でないと、お怒りになるので、まだ、この二曲には人気が出ていません。原曲はすごくいい曲ですが、平原綾香が改造した方は、人気が出ていません。
ただ、私がここで、こう書くと、必ず否定して来る国際的軍産共同体ですから、大相撲名古屋場所で、「放映するな」という大量のメールがNHKに届いたそうですが、それと、同じような手を使って、これから、平原綾香の再ブームが起きるかもしれません。
平原綾香がどうして、ここに利用をされたかというと、我が家で主人が『惑星』を好きだから、何度も話題に上ったからでしょう。
で、彼は、夕方八幡宮を通って帰ってくるので、『これには気がつくはずだ。そしたら、妻のお前に告げるだろう。それで、お前は山から跳んで降りてくる。特に好きな曲だからね。しかし、お前は招待をされてなくて、入れないんだ。ということはお前は、非常に小さい存在だ。偉そうにするな』という感じだと思います。
私は別に偉そうには、していないのですが、多分あらゆる意味で本当のことを書いているので、警戒される極地にあり、相手の方が勝手に『重要な人物だ。偉い』と思ってくれているのでしょう。特に井上ひさしは、感嘆しているような気がします。もしかしたら、嫉妬しているかもしれない。で、瀬戸内寂聴さんを持ってきて、携帯小説を書かせたりします。
それから、私が13年前から非公開で使っていた雨宮舜のペンネームをつぶす目的でしょうね。当時右翼だったと、ご自分で仰っている、雨宮処凛さんを、私目当ての対抗馬として大物として育てて行きました。ブログを始めた初期に、私名前の前に必ず、雨宮処凛さんが、先に置かれていて、読者が間違えて、そちらを読むように設定をされていたので、その意図がわかりました。
ありと、あらゆる側面で、『お前は気鬱になれ、悲しめよ』といわれているわけですが、それが、ライターつぶしの策だとわかっているから、気鬱になっているわけには行かず、すべてを、受容して、ただ、思考回路に現象を役立てるだけです。だから、いつまでたっても敵が思う様には、参らないわけです。自滅しません。
ところで、このCD内の曲が飛んでしまう現象ですが、電磁波をつかったり、IT的にチップが使ってあったりするものは、破壊が容易みたいです。この山のどこかに、支配できる増幅装置があって、遠くで作業をすると、私が不便をかこつというわけです。
大好きなシューベルトの即興曲において、第三曲のアンダンテ部分が、142と90番、共に飛ぶようになったとか、レンタルDVDにも敷衍していくのでした。後者は、音が小さくて意味が取れなかったり、日本語字幕が出なかったりするのです。これは、映画批評は、ブログとしても、大勢のヒトが接する分野ですから、そこで、私に大衆的な人気が出たら大変だから、と考えて行われた攻撃です。
で、その破壊は、ゲームドラクエにさえ及びました。主人が気晴らしのひとつとして、一緒にゲームでもやろうというので、ドラクエに入って、IとIIIは軽くクリアーできたのですが、Vに入ると、ピラミッドのところで、とどまってしまって先へ進めません。で、これも『やられた』と思い、中断しました。
こういうのも、私がやろうとしていることを、すべて、邪魔してやろうとする悪魔のような気持ちの表れです。禁煙運動もタバコを吸う人の怒りをすさまじく、買っているようですが、それも、私の原文『一本のタバコが落ちていて』を読んだ井上ひさしが、それが傑作ゆえに、私を結果として悲しませるようにして、その結果、書かなくなるであろうと案を練り → 伊藤玄二郎、? → 松沢茂文 → 小沢一郎 に伝わっていき、まさしく悪魔そのものが、考案したかのごとき、魔女狩り運動へと発展しています。
だけど、こういうことをやっていると、やがて国民は怒りを沸騰させるるでしょう。国際的軍産共同体は、小沢一郎とともに沈没をするかもしれません。国民は本当にこの悪魔性に気づき始め、その手法を心底、嫌い始めています。どんなにお金を使って日刊現代を買収してもだめですよ。というのは、この山で、安野・前田家が何かを仕掛けてくる日付と、小沢一郎の政治的動きはぴったりと連動しているからです。
~~~~~~~~~~~~
で、日曜日に戻ります。
男性の声が部屋に聞こえていた時間には、『それは、例の平原綾香スタイルの音楽会でしょう。私は、そこには入れないのは、もう、知っていますから、』と思って無視していたのですが、12時半ごろから女性の声が聞こえ始めました。これも大音量で、しかも、「八幡宮の境内は、神域なので禁煙です」という言葉も入っていましたので、嫌でした。
ただ、修羅場を潜り抜けた経験を重ねていますので、2007年ごろほどは、今は、参らないのです。でね、『この女声の方にも悪意があるけれど、気にしない。気にしない』と自分に命令して、仕事に専念していたのです。しかし、女性の声は柔らかいし、いつも聞いている同じ声だから、どことなく、さっきのとげとげした男性より耳に心地よくて、自然に内容が聞こえてきました。『あれっ』と思ったのには、なんとその日は、流鏑馬の当日だったのです。
『おや、おや、今日だったかしら。あれは、10月の第二週だったのではないかしら』とは思いましたが、それも、さして気にせずに、朝作った予定通り、出かけました。そして、12時間以上そのことはすっかり忘れていました。
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しかし、先ほど(というのは、日曜日の真夜中、この原文を書き始めたころのこと)、午前二時に、布団に入ろうとした途端にあることに気がつきました。あの男性のとげとげした発声には大いに意味があったのだと。
それを、今書き抜くか、体力の回復のために、今は寝るか、迷いましたよ。日曜日には、外で、2万字を越える物を書いて帰ってきましたし。それを、アップするかどうかも迷っていて、『まあ、ここは、十分に睡眠をとってから、推敲してアップした方がよい。明日、やりましょう』と、寝るつもりだったのに、新しい発想が起きたからです。新しい発想は、メモ程度でも書き留めておかないと、寝てしまったら、忘れます。
これは絵もおんなじですね。だから、創作をする人はやせています。睡眠を削るから。発想を生かすためです。太っている人は少ないです。みんなやせ細っています。
で、今午前四時ですが、睡眠を削って新たに書き始めています。
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あのね、皆様、私は策謀が企画されたり、私に罠が仕掛けられたりすれば大体気がつきます。最終的には気がついて、その罠を潜り抜けてダメージを最小にすることができます。
今連続して書いている、銀座ものも、森さんが仕掛けてきた罠を、どうやって突破して、心身ともに健康な状態を回復したかを、書き進めているわけです。特にそのシリーズが内包している大切な結論を、ここで言ってしまうと、その個展の最中にこそ、井上ひさしの死が、訪れたから、『偽装だ』と感じわけです。その因果関係を後日、丁寧に展開します。
でも、本当のことを言えば、策謀とか、諜略行為は好きではありません。で、そんなに興味がないから、今日(日曜日)の罠だけは、12時間も気がつかなかったと言うわけです。
でね、やっと気がついた今日の罠を解説させてくださいませ。
それは、例のとげとげしい男性の大音声は『流鏑馬の切符を、お前はもらっていないだろう』という意味だったのでした。「だから、悲しいだろう」という暗喩が込められていたのです。いつもいつも心理操作で、迫られます。
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『へえ、そうだったの』と、にが笑いをしました。実は八幡宮様を最近激しく批判をしています。それは八幡宮様も読者の皆様も双方ともに、ご承知だと思います。だから、八幡宮さまから縁切りをされても仕方がないのです。私も気持ちが悪いので、こちらから、お若い神官が、いらっした時に、来年のお断りをしました。うちわをお礼として持ってきてくださるのです。その時に「もう体力がないので、描けないから、来年からは、両紙をお預かりしたくないです」と申し上げております。
画家なら、普通は、そんなことを言っちゃあいけないです。それはわかっていますが、お若い神官に向かって、「八幡宮さまは、私にとって、ほかの方から、褒めていただいたこともある大切な文章『二人だけの音楽会』の舞台となっているアメリカキササゲをお切りになったから、こちらから、縁を切りたい」などとは言えませんでしょう。たとえ、伝言でも、それを、もって帰らせるのは、お気の毒です。だから、そんな別の理由をつけた形で、お断りをしました。
で、それ以降はご縁が切れたと判断していました。しかし、郵便物は届きます。カラーグラビア刷りの広報とか。それをどう判断するかですが、『まあ、これは、八幡宮の大人の態度というものなのでしょう。私は地境地主の一人で、したがって、氏子扱いだから』と思って、さり気なく、受け取っていたのです。
でも、ごく最近とても薄い封筒が届いたときは、『これは、いつもと違うぞ、本格的な縁切り状かしら』とおもったのですよ。で、縁切り状がちょん切れて読めなかったら大変だから、はさみで丁寧に切って開封をしました。すると、縁切り状ではなくて、お茶会の参加ができる切符だけが入っていました。なんとなく不思議でした。いつもはもっと厚いのです。
それから、10日ほど、経った、今日(月)の午前二時にやっとその意味がわかりました。ふ、ふ、ふ』と思うほど、前日の午後には、その意味がわからなくて幸いでした。それは、一種の縁切り状であり、しかも罠が込められていたのです。
つまり、本当ならここに流鏑馬の招待券とか、牡丹苑の入場券が入っているところだったのでしょう。というか、いつもなら、牡丹苑の無料入場券は二枚入っていたと思います。それだけはカラー刷り印刷で他の紙とは違う印象なので、記憶にあります。
しかし、白い紙に黒いインク刷りの流鏑馬の入場券の方は、入っていたか、入っていなかったか、記憶がまったくないのですが、最初期には入っていました。でも、招待券があっても、待ち時間が長いので、苦痛なので、ふらっと、自由な時間に行って、さらっと見るという形で最近は過ごしているから、招待券を、もし、前回まで、いただいていたとしても、いつも無駄にしていたのです。
ただ、奉行という役職のお客様がいて、それを、ある年には三船敏郎さんが勤めておられるという放送を聞いたことがあります。そのほか数十人分の椅子席があると思いますが、ともかく、私は偉ぶるのは好きではないので「特権階級です」といって、喜ぶ方でもないから招待券そのものには、あるもないも気がつきませんでした。音楽会は、相当厳しい入場制限がありますが、流鏑馬の法は、割と自由に好きなところに入り込めたのです。もちろんたつのですが、二時間も前から待っているのも苦痛だから、それでよいのです。
ただ、今日も幸いしました。天が見守ってくださっていると思います。あの男性のとげとげしい悪意ある声が響いていた瞬間には、そういうことにはまったく気がつかず、何も悲しまなかったのですから。だから狙いは外れたわけです。
でもね、今までは、ああいう放送はなかたから、普通のお客さんが、今回だけはいやな思いをしたでしょうね。差別を感じて。放送がなければ自分たちは劣等な方だなどとは、知覚しないで済むでしょう。特別席が目に入りますが、『それは、それ。これは、これ』で済むことです。特に放送で、奉行のことを聞いて、それが三船敏郎ぐらいの有名人であれば、『ああ、そういう有名人が特別席の椅子に座っているのは、仕方がないわね』となります。
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で、八幡宮様が、私狙いのこんな小さな件に主体的に発案をなさるはずがないです。そう思わないと悲しいでしょう。八幡宮さまがちいさくて、かつ、惨めに見えてしまいます。
だから、ここは私流の大人の解釈をしておきましょう。つまり、これも、例の井上ひさし(まだ生きていると考えられます)の発案で、それを伊藤玄二郎が、鎌倉警察署に入れ知恵をしたと。警察署長の名前で、八幡宮様に、『今回は、特別な警戒をします。警戒用の放送は、何時に始めます』といえば、八幡宮様は『はい』とおっしゃる他はないでしょう。ただ、封筒の中身が変ですから、そこらあたりは、この策謀の全体像を理解して、その上で特別な形で、中身を仕込まれたかな。
でも、八幡宮様というほどの大文化遺産が、井上ひさし(=両親に養育の能力がなく、カソリックの孤児院に預けられ、その後、赤旗を舞台に共産党に多大な貢献をしている。だから、シンパとも考えられる。それから、NHKクローズアップ現代内では、警察の見方をどうどうとやった。思想的にも神道を信奉なさる八幡宮さまとは、相容れないはずである)の、支配下(ただ、間に数人を通しているはずですから、真実の構造には、お気づきにはなっておられないとも思いますが)におられるということを、私は数年前から、悲しく思っていたのですよ。ただ、大銀杏が倒れるまでは、そして、大原光孝氏が、一年に一回もやらない猫の散歩を脅かすまでは、それを、はっきりと、は、口外しなかっただけです。
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まあ、本当にあの二人羽織は、小さなことを熱心に、考えだしてくれることと、驚きます。
が、この流鏑馬を使って、差別を演出したというのは、かわいいというか、罪のない方です。さすがに、何千人が聞いている放送だから、ある部分で自制がありますし。
ところが、非常にいやな策謀もあるのです。
今日は、そのうちの二つを述べさせてくださいませ。
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で、一つ目はパンツが盗まれたり、また、返されたりする例なのです。これは、私の友人二軒にも泥棒が入っていますので、脅迫としては、すこぶるつきで、許せないものなのです。それにパンツだけではありません。ものすごく重要なデータも盗まれています。
でね、こんど、泥棒という項目で、一文を書かないといけませんが、そういう下品極まりない工作から、酒井忠康氏への疑惑も、石塚雅彦氏への疑惑も生じるから、人間万事塞翁が馬です。人生に無駄なことはひとつもない。
で、酒井忠康氏と、石塚雅彦氏から、抗議が来るといけないので、ここで、ひとつだけ、ヒントをさらけ出しておきましょう。
それは、ガレリア・グラフィカで個展をした、渡辺幸子女史のところで、ぴったりと収斂する話となりますと。すごい話です。こういう偉い人々、と、私のパンツを盗んだり、友人が祖母からもらった大切な指輪が七個も盗まれるということが直結しているからです。
間をつなぐのは、『警察が、この手の泥棒である可能性が強い』ということと、ありと、あらゆる意味で、国際的軍産共同体が絡んでいるということです。複雑きわまりないはなしを、これから、少しずつ、積み上げて行きます。
銀座と鎌倉を、あっち、こっち、飛びますが、大変に複雑なので、紙の本に直せば、20冊ぐらいは必要なほど、複雑な情報内容ですから、この手の、あっち、飛び、こっち、飛びの書き方をお許しくださいませ。
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ともかく、彼らは策謀を繰り返しますが、そのひとつして、娘が痴漢に襲われるということがありました。これが策謀だったら、ひどすぎるというような話であり、それが安野家が絡んでいることですから、そちらのひいきを思えば怒り心頭です。
いかに詳しい話をさせてくださいませ。
この近辺は夕方の六時を過ぎると、とんと人通りがなくなる静かな地帯です。車さえ八時を過ぎると、通りません。でも、ある日、娘が帰宅途中に痴漢に襲われました。そして、きゃーっと言ったら、安野家からご夫妻がでてきて、助けて下さったそうです。私は当時、海外へ行ったり、アトリエで一人暮らしをしていいたから、親としての責任を果たしていないわけで、恥じ入ってお礼に伺いました。だけど、それからの推移を見ると、あの痴漢そのものが演出だったと感じます。
彼ら夫婦は、『今夜は演出としての痴漢の襲撃がある』とを事前に知らされていて、ちゃんと、お洋服を着て、待機していたと、考えられるのです。娘が、どの時刻にそこを通るかは、娘の携帯を盗聴すれば、容易にわかります。人権蹂躙のきわみです。プらヴぁシーを守りましょう』という大キャンペーンがありますが、反対というか、裏ではものすごい悪がはびこっているのです。
だって、その後、丁寧に、安野家を観察していますが、12時ごろまで明るい事はほとんどないのです。その時刻には寝ている事が多いのです。
こういうことを起こすのは、私が安野夫人を嫌っているからこそ、彼女に頭を下げさせるのが、最高のいじめとなると、敵が考えているからでしょう。で、その演出を実行した組織が何かを考えると、警察となります。だからこそ、安野家には、地域何とか、防犯協会という青いブリキの看板とともに、紙のポスターが何枚か渡されて、それを自分の家の前に誇示してはるということになります。数ヶ月間、色あせて、ぼろぼろになるまで、張り続けるということになります。ここが地理的には、たこ部屋ですから、安野夫人はふんぞり返り続け、そこにみんなが膝を屈すると言う状態は続くわけです。
でもね、この一連の現象から、わかってくるものもあります。それは、安野氏、および安野夫人は大学を出ていないであろうということです。あの年で、大学を出ていたら、樺美智子さんの死に衝撃を受けないはずはなくて、したがって、警察と親しいなど、恥ずかしがりはしても、誇示するはずがないのです。前田家も同じブリキの看板を下げていますが、さすがにこちらでは、紙のポスターを二重にはり、誇示するまでのことはしていません。それにこちらは、共産党か、そのシンパだと思いますから、今では、共産党と警察がぴったり結びついているのが、井上ひさしのクローズアップ現代だけではないことを、証明する証拠のひとつとなっています。
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また、安野、石川、両女が、極端に教養が低いのも『なるほど』ということとなります。娘が偽痴漢に襲われる一方で、おいちにおいちにのあひるさんと、学校中(先生も生徒も一緒になって)でからからかわれるほど、成績の低い安野君が、海上保安学校へ入学できて、その玄関先で、菓子折りをもって、儀礼的な挨拶を交わしていましたのも、無知の限りだから、ああいうことを平気でできるのだと、わかってくることとなります。
こっちの被害がすさまじいから、対抗例をきちんと分析させていただきます。「国立大学の付属高等学校へ、ご入学おめでとうございます」としなをつくりながら、しかも麗々しくお辞儀しあっていることを、見せ付ける場合、東京圏なら、東大、各医大、六大学、他、70%以上は大学へ行くはずなのです。安野君はどこの大学へ行ったのだろ。また、が級たちはどこの大学へ進学しましたか?
それから、このときに、またもや、『実子ではないのだなあ』と思いました。子供って、ふた親のセックスの結果、子宮で育ち、膣を通って、生まれてくるものです。それを他人に祝ってもらうということは、自分の股間を拝ませるのと、同じことなのです。親戚に祝ってもらうのはおかしくない。それにアジサイ畑や、猫で、迷惑をかけてきた私に菓子折りを持ってきているのなら、この件をとやかく言いません。だけど、必要なことをやらないで、虚偽の演技ばかりに励んでいるから、おかしくて笑っちゃうのです。
私彼女たち、二人の行動を、見ているだけで、おしりがこそばゆくなります。もちろん、二人の家が私にかけた大量の迷惑がなければ、ここまではいいませんが、ありと、あらゆる現象について、無知蒙昧なことがわかってしまうので、見ているだけで、恥ずかしくてたまりません。威張りたいの本能むき出しを主是として生きてる彼女たちにとっては、普通のことだとはわかりますが、威張れば威張るほど、実質が見えてしまうのです。
そして、いざとなったら、まったく実力もないのです。それは石川和子女史が地下(ぢげ)で「そのとおりです」といっているでしょう。お骨になったら、間に合わないことでしたけれど、生きているうちに正確な方針転換をするべきでしたね。
でね、この「安野夫人とそっくりだわ」と私がPC内メモで書いた藤田憲子さんは芸能人としてもてはやされ、その息子の貴乃花親方が異常な出世を果たし、反対に正しいことを言っている、輪島氏を頂点とする日大出身者たちが、一網打尽というぐらいに、異常にいじめられたのが、今回の大相撲壊滅作戦です。それは、この山で実践されて、成功したと、敵方が思っている作戦の、そっくりそのままを、相似形的に、拡大したにすぎないのです。まやかしそのものです。つまり、正しい意見を言う人間は、どの分野であれ、つぶしたいのが国際的軍産共同体の常套手段であり、その最初の実験場がこの山です。
では、まだ、語りたいこともありますが字数が一万を越えましたので、今日はここで。 2010年10月5日 雨宮 舜