銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

村上隆 VS フランス貴族(+、ビートT、草間Y、須賀A、村上H)

2010-10-23 23:04:47 | Weblog
 今、25日の夜11時ですが、やっと主要な部分を完成といたしました。今から誤変換を直していきます。

 私は今、きわめてドメスティック(地方的)な物を書いているわけです。鎌倉と銀座とが交互に現れますね。それに集中しています。「幸いに、大きなニュースがなくて、集中が途切れなかった」と書いたせいか、どうかは分かりませんが、すぐ、反応があるのが、このブログの世界です。今般は遠く離れたパリで、炎が上がりました。

 さて、どうしようかな? それを論じるべきか。論じるべきでないかと迷います。一番の問題点は、今日の主役、村上隆氏が、美術界においては、ダントツのレベルで、稼ぎ頭であること。でね、書き様によっては、「あんた、有名なアーチストに嫉妬しているのでしょう。さもしいわね」と誤解をされる可能性があります。で、触れたくない。

 しかし、本日、時事通信社が伝え、Yahoo経由で知らされた仮処分の申請は、相当に政治性を帯びており、そこを分析するのは、面白いし、意義があるだろうと思い始めました。十分に膨らませることもできるでしょう。もしかすると、例のごとく、今日も一万字をかけるかもしれません。で、これから、順次、節ごとに、ツィッター方式でトライしていきますが、完成は、明後日、26日(月)の午後三時を目指します。

 まあ、くりかえしになりますが、これは、ひとえに、パソコン内に侵入をされ、文章を書くことを妨害されるが故だと、申し上げさせてくださいませ。
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 村上と名のつくメディア有名人は、三人います。前は村上ファンドという会社の社長さんも有名でしたが、今は、静かですから、村上龍、村上春樹、村上隆と、来て、私は、前は、誰が誰やら分からなかったぐらいです。最近は三人の差を、ぴちっと、理解できるようになりました。最初の二人は文章系の作家で、隆氏は、美術系の作家です。

 芸大を出た後で、新川(今、スカイツリーがたち始めているあたり周辺だと思う)にある小山登美夫ギャラリーが(この画廊は移転をしたかもしれないが)支援して、大ブレイクをして、ニューヨークで、そのフィギュアー(メイドの格好をした少女のプラスチック製の巨大な人形ココちゃん)が、7000万円で競り落とされたのが、日本の一般紙の第二社会面のニュースとして伝えられました。

 しかし、そういう経路だけで彼が有名になったわけではないと、私は見ています。鶏が先か、卵が先かのたとえ話とはなるが、ビートたけし(この人も、今回登場するほかのすべての人も、十分に記号化されている有名人なので、敬称を略します)が司会をする番組、『誰でもピカソ』で、重要な役目を果たしたことが大きな出世の糸口だったと私は見ています。

 その番組は、ビートたけしが絵を描くのが好きだったことから、企画をされたと思いますが、結果として、彼のために、芸大・大学院映像学科というのが、創設をされ、かつ、村上隆が、世界的にブレイクするのに役立ちました。両方向へ有名人(大稼ぎ頭)を出したわけです。****** →

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 さて、今24日(日)の午前10時を過ぎました。再開をいたします。三角形を使った罫線の部分が最先端です。さきほど、9時半から実は再開をしていて、50行ぐらい書いたところ、消えていましたので、再度その部分を書き直してみます。
 その部分とは、相当に簡単に現代美術の歴史をまとめた部分です。私がライターとしては、噂話が書けるだけではなくて、知的な部分(+教養)もあると、読者に、理解をされると、敵は困るわけでしょう。私に関して悪いうわさを流しきっていますので、『そちらの方が、間違いだ』となって行きますから。
 だから、立派(?)な、文章を書くと、さまざまな手法で消されます。
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 ビートたけしの番組の最終局面で、草間弥生が出演しました。

 で、村上隆から、さらに離れたスピンオフとなりますが、草間について、述べさせてくださいませ。頭にそれが、昨日から強烈に、浮かび始めましたので、
 草間弥生は、1950年代にアメリカにわたり、長さ8メートル幅二メートルぐらいの長大なキャンバスにドットを繰り返した(強迫観念の時代)作品で、一度ブレイクをして、その後、若い彼女は、セックスをテーマにし始め、ご自分も全裸で、画廊のオープニングの場に立ち、作品には、ソフトスカルプチュアーと彼女自身が言う、実際はぬいぐるみでできたペニスを、前面に貼り付けた既存のものを発表し始めます。布はさまざまなものを利用し、土台はボートや、ソファーなど、さまざまです。これで、大ブレイクをして、オージーという雑誌さえだし、フリーセックス運動の推進へと走ります。

 ここから先は、余談中の余談となりますが、草間が芸術へ走ったのは、放蕩を繰り返す父への反発でした。その反発が石部金吉(たとえば、文章系作家の須賀敦子)の方向へ走る人もいるわけです。須賀敦子さんは、別に父君を批判をしているわけではなくて、愛していらっしゃるから、それゆえに傷が少なかったのかもしれないし、普通の結婚をなさっていますね。ここで、私の例をひいては申し訳ないが、私のダイナモを掻き立てているのは、むしろ、家族関係より、知人・友人との関係ですね。それは、特に大学卒業以来、さまざまな形で不利にさせられてきていますので、それに対する対抗する思いが、人生の主要なダイナモとなっています。

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 どうしてそうなっているかというと、ベーカーさんというアメリカ人に『こいつは、賢い。将来の日本にとって、重要な人材となる可能性がある。若いうちにつぶしておく必要がある』と、すでに、22歳のときに、認められてしまったことも、大きな要素なのです。それと、ベーカーさんは、成岡庸司君(中学の同期で、1960年代早稲田の革○の委員長となった、後に行くえ不明・・・・・ただし、私はこれも潜伏中で、実際には国際的軍産共同体の主要なアイデアマンとなっている可能性もある・・・と考えています)とか秋山豊寛(TBSの記者をしたのちに、ソ連の宇宙飛行に参加した。今は、農業に従事と聞く)氏などの分析をしないと、語れませんが・・・・・
 というわけで、セックスが、ダイナモではないのです。だから、動きも小さいといえば、小さいですね。話題も心理学的な分野に傾く傾向があるし、子育ては主要なテーマですし。
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 さて、ここで、脱線から戻って、草間の次の段階へ入ります。そのオージー運動で財政的に破綻をしたので、日本へ帰ってきます。アメリカでも行き詰まったと彼女は考えたのでしょう。彼女は成功をする人の典型で、ビジネス感覚とか、政治的な感覚も十分にある人です。その延長上で、幹他門し等が、支援して、都美術館で、グループ展なども開かれていて、私はそのころ、そのペニス(布はギンガムチェックだったので、意外と清潔感にあふれたものだった)の突起が何千とついた、大きな山城のクッションを五つぐらい見ています。その何千と繰り返されるところが、初期の作品に見られる強迫観念の繰り返しですが、

 草間はその大規模なグループ展程度では満足できなかったのです。確かに高階しゅうじ氏や酒井忠康氏を頂点とする美術評論家が威張っている日本画壇(そこへ、画廊と、作家を含む)全体から見れば、そのときはまだ、げてもの扱いだったと感じますよ。今回「三越なら、一千万円ですが、あなたには、350万円で売りますよ」というお声がかかったわけですが、『三越が扱うようになったのか』と、一種の感慨に打たれました。が、草間は1990年代までは、まだ、知る人ぞ知る存在だったのです。

 で、草間は、もう一回アメリカへ拠点を移します。日本もキープしていたかもしれません。職人わざとしては、日本人は優れていますから、ミシンを踏む人間等は、日本にも引き続きキープしていたのかもしれません。

 で、お金遣い等も、最初期よりは上手になっていた草間は、より材料費のかかる、勝つ、職人が女声ではない作品に取り組み始めます。この彼女の生き方、(つまり、ミケランジェロの時代と同じく、工房を経営をして、自分は統括をするという形で大量の作品を生み出す、かつ大型の作品を生み出す)は、杉本ひろし(ニューヨークに壮大なアトリエを持っている有名な写真家)とか、森まりこさんとか、それこそ、本日の話題の中心となる村上隆へ引き継がれている手法です。現代で、こういう形で創作をしている作家は、なかなか、いないですよね。まあ、彫刻の世界にはいる可能性はありますが、私はそちらには疎いです。

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 さて、今、こ一時間ていど、家事と昼食のために、休みました。というのも、今日の
話題は、私にとって、ポロロッカ(アマゾンでの大逆流)のごとくに湧き上がってくるものではないからです。怒りが根底にあると、がんばりぬきますが、さしたる怒りがないのです。

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 今日の、表題に当たる、村上隆さんのために怒るべきかといえば、『ううん。それほど、怒ることもできませんね』となります。どうしてかといえば、二つも三つも理由があります。これから、先に言う事は、実質的な今日の結論でもありますが、

 第一に、「あのルーブル宮殿に、村上隆の作品を展示する必要はない」ということです。アーチストの一人である、私の美的センスから言って、そうなります。これは、反対運動を起こした側、つまり、今回の主役、ルイ14世の末裔に賛同する事となりますが、あのルーブル宮殿は、装飾過剰なところであり、もともと、画廊とは思えない場所なのです。昔から存在している装飾だけで、自己完結をしている場所ですから、そこに、村上隆のココちゃん、を展示すること自体に、違和感を持ちます。

 あそこに、村上作品を展示させようと考えたのは、ヴィトンか、小山登美夫ギャラリーか、クリスティーズかは分かりませんが、意外と、日本からの働きかけだったりしたかもしれません。それは、ビートたけし氏への莫大はフランス側からの支援が先行しています。『彼があの程度、大切にされるのなら、僕の方は、作品がよいのだから、ずっと、よい場所で展示をしたいなあ』という欲求が村上隆と、小山登美雄ギャラリー等から浮かんで、それに応じて、世界中の人が動いたのだとしたら、あまり、感心をしません。

 昨日インターネット上の写真で、メインだと思われる大型香炉みたいな作品を見たのですが、それを作るのには、なれた職人たちが取り組んだとしても相当な時間がかかり、かつ、どう観ても、置く場所をルーブル宮殿だと特定して、作品が創作をされていますので、企画は一年半以上前に立ち上がったと考えられ、その当時、世界のニュースがどうなっていたかとか、日本のニュースがどうなっていたかを考えると、これは、一連の

 ・・・・・体制側に奉仕をしている作家を優遇する・・・・・措置のひとつである・・・・・とも考えられます。それに反発した発想が、昔からパリに住んでいる人たちの間で沸き起こっても、それも当然だと考えられるからです。表現の自由は反論の自由をも含んでいます。

 
 第二の理由は、彼はすでに、実質的な効果を上げていて、訴訟を起こされても、なんら困らないと言う事があります。9月12日から展示が行われており、彼の作品が本当に好きな人は、すでに出かけているでしょう。それから、有名人は招待日があって、すでにみんな社交をかねた、オープニングで見ているから、この10月の末に展示が閉じられたとしても、さしたる影響はないのです。公開前にも、反対運動が起きていますので、大勢に人に話題を喚起していますから、それが、得になっているという側面もあるのです。

 これは、ニューヨークのブルックリンで1999年の秋にも見られた現象ですが、訴訟とか、反対されるという現象は帰って、お客様を増やすのです。感心を持っていなかった一般人にも興味がわき始めます。そちらは、センセーション展というもので、黒い肌をしたマリアが展示をされ、それが、イタリア系アメリカンである当時の市長、ジュリアーニ氏の、選挙民へのおもねりを含んだ反発を招き、市の持ち物である、「ブルックリン美術館を使わせない」といったりしたものですから、入場者が長蛇の列を作るほどの、大人気となりました。結果として主催者側が大得意となった展覧会で、あれもクリスティーズが、ブルックリン美術館のエントランスで、オークションをしました。今回も会期中のしかるべき夜に、お茶(または、ディナー)付のオークションが、ルーブル美術館内部で開かれ、ヨーロッパの大金持ちが集まって、村上隆の新作にお値段をつけて競り落とし、それが、また、ニュースとして世界を駆け巡る事となるでしょう。ただし、今回は大衆的な報道を控えるかもしれません。フランス国内からの反発が強いからです。

 そして、個展とは、開いた事が重要なのです。入場者からのチケットの収入など、本当は作家本人からは、当てには、されてはいません。カタログの印刷が重要なのです。私はそれを、あまり、知覚をしていなかったのですが、銀座の高輪画廊から、オークション会社に著作権の問題で訴訟が起こされたそうです。これは、『カタログとして、立派なものが印刷をされるとしたら、それが、一種の作品のコピーの頒布となる』との件で、訴訟が起きているとの事でした。そうですね。三岸節子の作品が好きな人が、大きく印刷をされているカタログから、一頁を切り取って、額装して飾ったとしたら、それは、一種の絵スタンプとなりますので、三越あたりで売れば、それだけで、相当なお値段がつくものとなります。

 話が元へ戻れば、カタログこそ大切な名のです。そして、カタログをただで配る側の人間は、日本の美術界では、権力を握る事となります。酒井忠康氏は、そちら側で長らく権威を保ってきた人です。ただ、そのカタログは、ほとんどが県民税(または、区民税)、か、企業からのメセナで、制作・印刷されており、酒井忠康氏は、そういう手立てで、幾何級数的に、力を増し、美術界で得た権威を、他の分野にも敷衍していき、それゆえに、伊藤玄二郎氏とか、井上ひさし氏が安心して汚れ役、たとえば、私をいじめる案を日夜練るということに専念できるので、一種の源泉として、酒井氏を論じたいとなってきます。

 昨日も夢待洞という鎌倉の画廊で、『なるほど、これは、裏が見え見えですね』と言う反応に出会いました。あの画廊にはお客さんとして、若江良子さんと言う人が頻繁に出入りしていて、その人は若江漢字という作家の姉として、一種のマネージャー役をしています。彼女が鎌倉の住人なので、鎌倉の住民である私は、肌で感じる事が多くありますが、最も反応が大きいのが、夢待洞です。

 で、そこから分かることからも酒井忠康氏を分析する事となります。酒井氏を分析するルートはこれで、ガレリアグラフィカのラインと、大原光孝氏のラインと、若江亮子さんのラインの三つがある事となります。若江漢字氏は、奥様が『カスヤの森美術館』という大きな画廊を経営していて、その画廊は、酒井忠康氏のお手持ち画廊と言う雰囲気です。だから、そちらからも、さまざまな事が推察できる事となります。

 で、上の二節は鎌倉でしたが、こういうところが私の監察の基礎であるから、述べさせていただきました。私は画廊へは美術作品を見に行っているかだけなのですよ。それは、憲法で保証をされているきほん的な権利の行使のひとつであるとは、思う恩ですが、特に田舎っぽい感性を持つオーナーがいるところでは、オーナー事態が右往左往するのです。別に探偵をするつもりはないのですが、相手様がたくさんの生きた情報をおしえてくれることとなります。

 で、ここまでいったあとで、パリへ戻ります。

 というわけで、第二の理由からも、村上隆氏が恵まれている事が察せられ彼に感情移入して、フランス貴族を怒る気持ちにはなれないのです。

第三の理由ですが、政治に触れていきます。

 村上隆さん、ご本人は、ご自分の出世というのが、すべて、ご自分の実力でなされていると考えておられるでしょう。でも、私から観ると、ビートたけし氏に恩を売った事が相当に大きいと考えられます。その『誰でもピカソ』という番組内では、コンクールがありました。勝ち抜き戦です。三人か四人(?)ずつアーチストが作品を披露していって、三週か五週勝ち抜くと、ニューヨークで個展を開く事ができるという商品だったと感じます。私は元来がテレビが嫌いだし、時間もないので、これを見た事がなかったのですが、二人の人から見ることを進められて見始めて、驚きました。嫌だなあと思って。どうして嫌なのかと思うと、芸術作品には優劣がつけがたいのです。それにテレビ画面という小さな世界で、活発な人柄を示した人のほうが、パフォーマンス力が高いので、有利になりやすいのです。が、作家が一生を通して、作り続ける力とか、全体でどういう作品をこれから提示していかれるかとまで考えると、このコンクールは、残酷そのものです。
 その残酷さに驚きました。

 しかし、その番組に対する批判を抑え、参加者を招き寄せた人物こそ、村上隆さんだったのです。その貢献に対するご褒美として、あの国連ビル内の個展が開かれたと、私は思っています。

 でも、私がひやっとしたのは、その個展のタイトルを『アトミック・ボーイ』としたことです。これを国際的軍産共同体がどう解釈したか?
 私は『さすがに、芸大出身者はナイーヴだな』と思いました。この際のナイーヴとは、少女などを規定する概念としての、かわいさを含むものではなくて、「おばかさんだよ」と言う系統でのおさなさと同義語です。政治に疎いなということを感じました。 ただしここでいう「おばかさんだよ」は別に蔑称でもないし、他人にだけ向けるものでもありません。自分自身のことを、『私は、おばかさんだ』と常日頃思っていますし。

 でも、似たような事が、イスラエル賞の授賞式スピーチで村上春樹氏によって繰り返されました。こうなると、国際的軍産共同体がどう出てくるかなと、私はひそやかに心配をしながら見つめていたのです。

 村上隆さんの方は、実質的な損失はありません。現代アートの作家など、論議が起きた方がよいので、『あ、かれは、工芸の作家ではなくて現代アートの人だったのだ』と認識をあらたにしたぐらいで終わりです。

 しかし、村上春樹さんの方はどうだろう。今年のノーベル文学賞の下馬評に上がっていたそうですね。だけど、来なかった。この件ですが、えらい人、成功した人には、そういう人特有のストレスがあるのだということを示しています。直木賞やら、ノーベル賞の候補者と目されている人たちのストレスは大変でしょう。

 でも、村上春樹氏は、そこまで見通して、ノーベル賞を取れなくてもいいから、イスラエル賞をまず、受賞して、あのスピーチをすると、覚悟をして、あのスピーチが出たと私は考えています。出ないと、言葉を駆使する人らしくないですし、こどもっぽすぎる。

 だけど、私はこの二人の人には、隆さんには、← びーとたけし ← テレビ朝日 ← 朝日新聞社 ← 国際的軍産共同体、という方向で、
 春樹さん ← 週刊朝日 ← 朝日新聞社 ← 国際的軍産共同体という線で、
 共通して、国際的軍産共同体のお墨付きが与えられている人材なので、かれらの、それぞれに、独自な企画でさえ、『一種、飼い犬に手を噛まれた』と言う発想を与え、それゆえに、何らかの制裁が降りるのではないかと推定していて、・・・・・

 そのひとつが、村上隆氏のルーブルでの、個展を阻止する訴訟として現れたのではないかと考えたのです。しかし、ココは断定ができません。だって、この個展そのものが国際的軍産共同体のご支援が、大きく関与してできているものですから・・・・・

 でも、上の二つの節こそ、今日の文章で、一番言いたかったことです。
 
********

 草間についての解説がまだ残っています。特に長い時間タイトル内にいれていたオノ・ヨーコに関する記述が出てきていませんが、また、一万字を越える見込みですのでここで、、草間についての考察も中断させてください。極く簡単にまとめると、筑紫哲也ニュース内で特集をされたことと、『たけしの誰でもピカソ』に出た時の草間はまるっきり違っていたということです。そして、もう草間を支援する必要はないと思いました。この部分は後で、別の日に拡大をするかもしれませんが、今日はこれで、おわらせてくださいませ。署名を入れて完成とさせていただきます。2010年10月15日 雨宮舜
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特別警戒という大騒ぎと、ドラマや映画を利用することについて、

2010-10-23 10:29:22 | Weblog
 以下は、日付は21日の午前中となっておりますが、実際には22日の深夜に上げたもので、23日の午前十一時までに、誤変換を直します。どうか、よろしく。

 前報で署名を入れた時点で、完璧に直したつもりでした。が次の日、誤変換が4,5個残っておりました。これも不思議な形で外部から、なされる事です。形見という言葉など、何度も正しく変換しましたが、また、悪い方へ戻っております。真剣な文章を書いているのに、誤変換が残っていると、滑稽になりますね。それを、狙っています。全体が一万字(イコール原稿用紙換算25枚)と長いので、訂正している時間が長いです。それに、グーブログのテキスト用・窓の中では、二千字ぐらいしか見えず、一万字全部が見えません。で、その直している間に、自動的にどこからか、手が伸びてきて、誤変換へと変換されています。

 これは、本のデータ作りの際にも同じで、神経をすり減らさせられます。で、できるだけ、外のパソコンを使う事となりますので、それも、金銭的な損害へとつながります。で、全体で20億円の損害だと申し上げることとなります。また、私の五冊目の『黄色いさくらんぼ』が古本として、出回っていると、インターネット上でお知らせがありましたので、ブックオフで、さらに売ろうとすると、何とかかんとか、理由をつけて、阻止されました。これは最初から少部数の800部だけつくり、書店では売らない本ですが、書評も出て好評だったのです。

 でも、この悪魔的なデータ破壊の事を、このブログで発表しても、この犯人は、反省しません。人間ではなくなっているので『そこに、困るのなら、そこを、さらに狙ってやれ』という悪魔的な心理を持っています。しかも最後に述べますように、この山の、安野家が特に勢いがある時は、必ず小沢一郎氏も元気で、テレビに出まくります。ぴたっと連動しています。

 そして、大相撲壊滅作戦のような、作られたニュースが跳梁跋扈します。今、検察庁が大荒れです。日本の官庁は次々と事件を起こし、壊滅して行っています。事件を起こすと国民の信用がなくなります。で、権威を失い、正式な機能を果たせなくなります。厚生省、郵政省(今は、どういう名前になっていましたっけ?)、防衛庁と、次から次へと事件が起こり、国民の信頼を失っていきます。だけど、これらが、もし、すべて罠であったら、日本国民は多大な損失をこうむっていると言う事となります。

 今回ですが、最初のフロッピー改ざん・疑惑が、罠であったとしたら、「官僚をぶっ潰せ」と言っていた民主党の小沢(元)党首の言うなりの効果が、今上がっていると言う事となります。ここで、罠というのは、「村木さんが、不正をしているのだ」と言う『たれ込みがあった』と、言う事を指します。それを信じて動き出した検察官が、途中で行き詰まっても、後へは引けずに、フロッピーの改ざんを果たしたと言う事を指します。で、今度はフロッピーの改ざんが大問題になって、検察庁が大揺れとなります。村木さんの弁護士が小沢氏の弁護もするそうで、それもまた、大報道をされていますが、もし、検察庁をぶっ潰す事が、国際的軍産共同体の目的だとすれば、この弁護士もそちら側の人間でありましょう。だからこそ、小沢氏の弁護を引き受けると言う構造と成ります。すべてが、非常に分かり易くなります。

 普通なら弁護士については、社会面では報道をされません。いくらスター弁護士だとしても、今回程の大げさな報道は異常です。

 ともかく、日本全国のニュースと、この山の安野・前田夫妻が特別に、元気である日とが、連動しているのは既に、確かめてあります
 で、
 私が悪いニュースの、生成を防ぐために、論理的、かつ抽象的にニュースを論じても、その発案者達は反省をしないのです。そして、私の方に、被害が重なる事となります。悪いニュースはことごとく、日本人の気分を暗くする目的で生成され流されていますので、阻止したいのですが、普通の礼儀を通していても無理なのです。当事者達を仮名で、PC内に落としても、絶対に悪事を止めませんので、ついに、実名で書く事となっていきます。

 そして、この山で行われている悪を、該当者を実名で書けば、全国的なニュースの方も落ち着くのです。ともかく、日本全国に展開する、国民いじめのニュースは、すべて、この山で実践をされた事の敷衍か展開だからです。で、『小沢一郎氏が国際的軍産共同体ともっとも密接に結びついている政治家である』という私の時論は、ここの観察で、形成をされました。

 最近ですが、前田家の擁護のために、TBSで『ドリトル』と言う小栗旬の演じる獣医師を主役にしたテレビドラマが発進し、『最初の週で高視聴率をあげた』と大・支援・宣伝をしてもらっています。それは映画『海猿』を作ってもらったのと、同巧異曲です。前田夫人は、農学部獣医学科と言う名前にぶんむくれましたが、その結果、東大と日大では、農学部は生物環境学部と名前が変わりました。たった、三人のわがままな主婦を慰撫するために、国家予算が大量に使われ、大勢の人が動くのです。「恐れ入りました」という他ないです。

 2009年の秋、事業仕分けの際に、大型パソコンの経費まで削りました。後にノーベル賞受賞の鈴木先生に、レンポウ議員が、激しく批判をされていますが、それほど、国家予算が少なくなっているこの時代に、莫大な無駄遣いが、個人の主婦たち、三人を守るために、浪費されています。変ですよね。おかしいです。

 そして、実質的には、国民から大人気だった朝ドラ『つばさ』は、視聴率が悪い(この結果自体が怪しいと、私は思います)と報道をされ、冷水を浴びせられた一方で、こちらの『ドリトル』は、始まった途端に、「視聴率が高いのだ」と宣伝をされ、それが大支援となるでしょう。

 で、この山で実験をされた事は、すべて、全国規模で、さらに展開すると言う今日の話ですが、最近、重要視されているのは、『特別警戒』と言う単語です。温和な日本では、ほとんど必要もないと思われるほどの、過剰な警備が行われ、国費の無駄遣いが、実行をされています。それから、よくテレビニュースででてきますが、警察がキャンペーンをしていて、会議をするでしょう。あれも、テレビ向け国民・威圧作戦ですが、各県警本部長か、その中での、部長クラス(たとえば、警察署長)とかの移動のための、無駄遣いが激しいでしょうね。理性をもって考えれば、『こうした方が良い』と言う方向があると思うのですが、それとは、異なった仕組みになって行きます。

 また、この特別警戒という事が、学校や病院にも及んでいて、そのために、先生や、病院のスタッフに、負担が大きく掛かっているそうです。これは、私が文部科学省に、・・・・・文化庁が、映画『靖国』と、映画『TOKYO』にどうして、お金をだされたのですか?・・・・・と質問に行った事などから、起きた現象だと感じています。で、真実を追究される事を恐れて、警戒を深めているのでしょう。自分を誇大視しているようですが、その後の展開を考えると、そう言う事でしか、ないとなります。

 文化庁が、特殊な映画、特に日本を貶める映画に、制作費を援助した問題については、まだ、答えをもらっていません。
 むしろ、その部署は、民間も参入した特別な組織へは改変をされていて、文化庁は巧妙に、責任逃れをしています。

 その経緯を、本にしようとしていたので、すさまじい警戒と言うか、弾圧が起きたのです。それは、文化庁にとっては大失敗といってよい事だったからです。国民の税金を使って日本国の悪口を言う映画を、外国人監督に、撮影をさせてしまったからです。

 その私の批判を、前もって抑えるために、千葉景子法務大臣は、持説にそむいて急に数件の死刑執行をしたり、死刑場を公開したりしました。その理由は、映画『TOKYO』の第二話内で、レオス・カラックス監督に、日本での死刑執行が、おちょくりを持って、からかわれていて、さらにいけない事は、今でも日本が軍事大国であるかのごとき印象を、世界に与える暗喩が、さまざまにこめられている事だったのですが、それを、その『消された映画』と言う七冊目の本(いまだデータを、準備している段階ですが)の中に書いているからです。
 
 その本を出版させないがために、大相撲壊滅作戦も起こされたのでした。で、そう言う事を、抽象的に、かつ論理的に言っても絶対に反省しないのが、この国際的軍産共同体です。そして、彼らの手下として、動いている日本人たちです。でも、最末端で、動いていると言うか、動かされている人たちは、普通の小市民です。それなりに、名誉や愛というものを守りたいと思っている人達です。ところが、彼らの行動は、それこそ、奇異なものへと、変化して行っているのです。それを、書く事で、やっと、国際的軍産共同体は、少しは、静かになるわけです。

 たとえば、『美術の窓』のおかしな動きを、ここで書けば、社長さんはあわてるでしょう。その雑誌は、美術批評の部分は、ほとんど、作家側からお金を取る形で書いていて、その集めたお金で、野見山さんにエッセイを書かせて、原稿料を上げていて、その宣伝力のおかげで、野見山さんは、ロイヤルパークホテル、ランドマークタワーのレストラン、シリウスに、壁画を納入しているはずですが、(それは、五千万円程度、または、それ以上だと思われますが)『美術の窓』と、平行して同時進行的に、野見山さんを売り出してあげた、山口さんへ、見返りとしての資金援助をせず(?)、彼女が破産で自殺をするほどの苦しみを感じているのに、見殺しにしたのでした。もし山口さんの破産が真実だったら、野見山さんの心理的な罪は、大きいです。で、雑誌『美術の窓』の社長さんが、『川崎千恵子へ、夕方電話を掛けて欲しい。(それが、電話盗聴で、彼女がすでに外出したかどうかを探る手立てとなるから)』と教唆を掛けてきた人に向かって「あれは、迷惑だった」と言う可能性があります。

 すると、教唆を掛けた源泉の人(?)伊藤玄二郎は、少しは反省するでしょう。出版社として同業者ですからね。『その同業者の、商売の邪魔をした』ことと、結果としてはなるわけです。
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 今回も私が通夜、告別式で、このブログの世界では、新しいものをアップできない日に小沢氏が、谷亮子さんを従えて、堂々とテレビに出たそうです。

 この文章で、この様に、敵の攻撃を具体的に書きましたが、止めるどころか、20日は鎌倉でさらに、PCのGPS機能を利用して、脅かされました。それが、笑っちゃうのですが、いつもとは違う道で、しかもいつもとは違う手法で、働いていました。早速に私の文章が影響をしているのです。これは、自宅を出発して、一時間半後でしたので、敵のチーフが、私のPCの追尾機能を駆使して、どれほど、神経質に、命令を下しているかが分かります。いつもは、四人なのですが、その時は三人だけで、ごみ拾い用道具をもって、真剣に、路上の吸殻を探しています。つまり、きちんと仕事をしているという様子を、誇示しているわけです。そこだけは、演出を変えたというわけです。いつもは、ただ、ただ、一列横隊になって、小町通にあふれていている観光客の通行の邪魔をしながら、笑い合いながら、歩いているだけなのですよ。小町通りには、ほとんどの場合、吸殻なんか落ちていないのです。人が密集しているので、タバコなど、すえる場所ではありません。

 ただアイデアマンの井上ひさし(そして、伝達者の伊藤玄二郎)が、こうすれば『お前の外出を把握しているのだぞ』と脅かす事ができて、『川崎千恵子は、参るはずだ』と、信じているだけなのです。そのために、禁煙監視員達は雇われ、ばかげた、かつ、わけの分からない目的の為に、高給を使って(?????)使役されているのです。井上ひさしは、上京してすぐ浅草ロック座に入り浸ったそうで、その後では机に張り付いて仕事をしてきた為に、世間の
真実をしりません。

 ところで、元に戻りますと、小沢・天皇・私的利用の頃など、すさまじい勢いで、この山のいじめ軍団がはしゃいでいました。大相撲壊滅作戦の時も、琴光喜がいじめられきっている一方で、安野家側では、伊藤玄二郎からか、「大丈夫。こちらが勝ったよ」とでも聞いているのか、大騒ぎで、はしゃいでいました。

 でも、私は結構なレベルで平気なのです。モーツァルトの故事をご覧ください。当時は勝っていた側の宮廷貴族の名前も肖像画も、今の日本人は誰も知らないでしょう。一方でモーツァルトの肖像は、日本全国あまねく、小学校から、中学校、高校の音楽室にかかっています。
 で、『時の検証を経ると、真実が勝つ』という事は信じていましたが、『大銀杏が倒れる』と言う形で、目の前で証を見せて頂きました。そして、大原さんのパンドラの箱を開けた行動、→

・・・・・特にご自分の方は、家族、四人、または、三人で、毎日、二回ほど、26年間は、我が家が犠牲として出したアジサイ畑を利用しておられるわけですから、四万回も使っています。その一万分の一にも満たない、その家の前の私の利用にあれほどの、悪辣な行為を示すという事・・・・・に、ただ、ただ、あきれ返って、(そうですね。あじさい畑を盗まなければいいんですよ。でも、盗んでいるわけですし、山も盗んでいるわけですから、すさまじい被害がこちらにはあるのですよ。それを、無視しているというかですので、ただ、ただ、あきれますが、『きっと、頭が悪いのでしょう』と思って、一応喧嘩も仕掛けないで我慢をしてあげているのですが、・・・・・

            → で、一気に、その時が招来しました。

 で、大原さんとは画家ですから、すぐ銀座と連動しますので、川島女史の悪辣ぶり彼に言及する事となります。それは、ずっと以前から分かっていましたが、パントラの箱が開いた今こそ、明瞭に表現する事と決めたのです。

 大原さんは、結局のところ、T-box の高橋典夫さんと、柄沢斉さんを動かして、月間ギャラリーの連載を止めさせた事となるし、その結果、川島女史が表立って、私をいじめるようにもなったわけですから、すべて、連動をしているわけです。

 「勝った、勝った」と、大喜びをしている連中は、その間に、修行も何もしておらず、ただ、烏合の衆として、やりたい放題のわがままを続けているだけなのです。それに対して、修行を続けている、こちら側に、天が味方をして下さらないでおられようか?
 そういうものです。決して一方が勝つというわけでもないです。ただし、伊藤玄二郎などは、口先三寸で、ガードマンとか、禁煙監視員を大量に動かしていますので、それで、力強く見えるだけです。
 東新町の町内会役員さえも使えるわけですから、そりゃあ、効率的に人をいじめる事ができますね。だけど、大銀杏が倒壊した事の責任に頬っかむりをし続けていても、いつかはばれると思いますよ。安野家夫妻が、すさまじい悪辣な事を重ねていても、どこかで矛盾が爆発します。池袋の大地主夫妻が、源泉がこの山にあった殺人事件だったら、どうします。死後、天国の門は開かれないと、私は確信しています。

 あの安野家、一軒に限っても、お子さん方の、動きを見ていると、どうも、前の奥さんとは、死別のように感じます。うちの母みたいに、家族から、愛されていると、93歳まで長生きができます。お子さんが三人もいるので、普通なら頑健なはずですよね。でも、30代か、40代で亡くなっていたとしたら、その裏にストレスが無かったとはいえないと思いますけれど。あの現在のご夫婦の組み合わせが、そのストレスの原因であろうとさえ、感じます。

 こんな想像は、お嬢さんが、前の結婚で一回離婚をされていて、それから、もう一度結婚をされる際に、この雪ノ下の家から、再出発をされたからです。離婚した後では、普通なら、実母の元へ帰るでしょう。一人の人間が弱くなり不利になった時は、最も安心できるところへ帰るものです。あの、今のお母さんは、きつい。きつい。もちろん、実母が再婚をされていて、そちらに帰れないという話もあるとは思いますが。

 だけど、そこまで、一気に推察できるほど、あのお宅の悪辣ぶりはひどいです。以下にその実例を書きます。

 一時期は夜の12時過ぎでも、りんりんと鈴を鳴らして、夜回りをしていました。鈴音は小さいもので、聞こえるか聞こえないかです。だけど、私のように音に敏感な人間から、すれば気になるものです。そして、お風呂に入ると必ず聞こえてくるので、ある日、お風呂場に電気をつけたまま、きちんと洋服を着て外へ出てみました。すると、鳴らしているのが安野氏だったのです。驚きました。この近辺は、本当に静かです。夜回りなど必要はない所です。この鈴音は、「お前がお風呂へ入っているのを、こっちは、知っているのだぞ」と言う事を、表明するサインだと思います。

 それを、パソコンないメモで書いたら、やみました。それほど、こちらの頭脳レベルを見くびっているわけですが、それはすなわち、自分たちの頭の悪さに裏返しでした。そのころは、老人ホームの付近でも、かちかち、音をさせて夜警がまわり、挙句の果てには、東上線の常盤台駅裏の飲み屋街によく来ていた、大金持ち夫妻が殺されました。この大金持ちは、昔は、家の中だけを歩いて、池袋まで出られたほどの、大地主で、居酒屋で、他の人におごりまくっていたそうです。誰からも恨まれる可能性のない人で、いまだに、犯人は捕まっていません。これも、一見すると、遺産目当ての犯罪のように見えますが、お子さん方が、そんな単純な事をするはずがないです。たとえ、二度目の奥さんが見えて、お子さん方が、異母兄弟であっても。

 だから、事件が作られる可能性は多いのです。山口みつ子さんに、もし、夫がいて、お子さんがあったら、『あれは不審だ。絶対に追求しよう』と思うでしょう。世田谷一家惨殺事件でもお父さんが、後々まで必死で、駅でチラシを撒いたりしましたね。
でも、山口さんにはお子さんがなく、夫もいなかったので、だれも、不審だと声を上げません。私は鎌倉の雪ノ下の鈴音を始め、あまりに、夜警が身辺にうろうろするので、もしかすると、あの大金持ち殺しも、諜略だったのではないかと思うほどです。私がちょうどそのころ、『居酒屋も、いいもんだ』と書いたので、居酒屋に出入りしていて、有名だったご夫婦が、血祭りに上げられた可能性さえ感じます。

 この手の、悪者たちは、日本人に対して、一顧だにしていません。愛情も慈悲もないのです。

 でね、すべてを勘案すると、あの痴漢は演出であり、事前に知らされていた安野夫妻が、救出劇を演出したとなります。これは、ほとんど正しいでしょう。だって、外で異常な叫び声がしたら、普通は、女の人は怖がって、出ないはずです。ご主人に向かって、「あなた、出てみて」と言うかもしれませんが、自分がしゃなりしゃなり、同時刻に出てくるはずがないです。事前にお芝居だと知っていて、安全だと知っていたから、彼女も出てきたわけでしょう。悪者たちにとって大切な事は、常に、安野夫人の方が、川崎千恵子より、上だと周辺に認知をさせる事なのです。

 私は当時は、在宅していなかったわけですから、当時の委細が、分かりませんが、この山中に「私が助けたのよ」と彼女が言いふらした可能性はあります。すると、「ああら、あなた、あの人に嫌われているのに、偉いわね」となるでしょう。そう言う流れを引き寄せるお芝居だったと考えると今では、すべてのつじつまがあってきます。

 でも、これを書くのは、私にとって、身を切られるようにつらいです。本当につらいです。すさまじい苦しみです。でも、その後、浅野家の令嬢を巻き込んで、私の頭の上に、水をぶっ掛けようとする事件が起こり、それを全山(といっても、知らされなかった家もあり、また、そう言う事を喜ばなかった家もあるでしょうから、私が気がついたのは、前田夫人と大原家だけですが)、が喜んだ、日を迎え、娘の痴漢騒ぎも演出だったと確信するようになります。

 どうして、これほどの、悪が行われるかと言うと、瀬島龍三の案にしろ、伊藤玄二郎の案にしろ、井上ひさしの案にしろ、『誰が裏で動いているかは、絶対に、ばれないだろう』と思っているからでしょう。それに、井上ひさしを詳細に検討し始めると、すさまじい悪人だと分かってきました。そして、その痴漢騒ぎの後で、鎌倉駅のホーム内喫茶店で、肩を接して、彼と話した時に、彼がぶるぶる震えていた理由も、上のように考えると、納得ができるのです。

 もちろん、安野夫妻は、「自分たちは、事前には何も知らされては、いなかった」というでしょう。それも覚悟で、ここに、この事実を発表いたします。

 音による攻撃は、昼間でも、楽器の和音練習(ピアノならハノンと言うもの。安野氏のいじっている楽器は、チターか?)と言う無味乾燥なものを、数年間、毎日、窓を開けて、二時間以上続けられました。これは、パソコンハッキングによって、私が、本の制作(IT的データ化)と言う作業と文章の創作やら編集作業を、同時に行うという、高次に複雑な仕事をしている事を知っていて、『音によって煩わされれば、その仕事ができないはずだ』と考えられているから、起きた現象でしょう。

 2010年度の初めには、有馬稲子さんが、『私の履歴書』の中で、・・・・・田園調布に住んでいるときに、三味線の練習をする必要があって、不器用だから、なかなか、上達をせず、同じところを何度も繰り返してやっていたら、町内会の回覧板で、注意された・・・・・と言われたように、やっている方が、注意され、淘汰されて、止めるはずです。だけど、ここは昼間活動をしている人間が10数人という特別な地形なので、タコ部屋的、環境となっていて、やくざっぽい(というか、中学校の番長的)人間の方が勝つ世界なのです。

 その上、山を崩し、花畑を実質的に盗んでしまったことで、崖をゆがませるという、物理的にはっきりと目に見える形でも、こちら側に一方的に被害を与えているのに、このタコ部屋的・町内会では、少数派の私は、なんと、異物として警戒されているらしくて、2008年の春に、町内会の回覧板で「テロリストがいたら、ちくってください(つまり、警察へ密告してください)」と言う回覧板が回されました。

 その後です。禁煙運動が強烈に起きたのは。そして、上の方に書いてある、三人の禁煙監視員もいつもの小町通ではなくて、鎌倉駅前の東急スーパーの横から早見ビルの一階にある、AMPMに向かって行きました。そのコンビニの東側、10メートルぐらい離れた場所に、喫煙場所が設定されていて、吸殻入れが置いてあります。世間に向けて、すまなそうな顔をした、男性が、三々五々、タバコを吸っています。

 それは、なんという矛盾と悲喜劇を示しているでしょうか。バルザックそのものの世界が展開をしているのです。今の日本に展開をしているのは、人間を侮蔑する政治です。
 そして、レストランや、喫茶店では、タバコを吸う人が大勢、避難をしています。神奈川県のレストラン街では、知事に対する怨嗟の声が満ちています。大資本を使って経営をされている大規模チェーン店は、大丈夫でも、小資本で経営をされているお店では、みんな困りきっているからです。

 最後になりました。今日も字数制限にひっかかり、書く側としては、相当に削除せざるを得ず、残念でしたが、一応9925文字のところで、アップをさせて頂きます。では、2010年10月23日、(深夜)ただし、ブログアップ用日時は、下稿をあげた21日午前中とさせてくださいませ。 雨宮 舜
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