今、25日の夜11時ですが、やっと主要な部分を完成といたしました。今から誤変換を直していきます。
私は今、きわめてドメスティック(地方的)な物を書いているわけです。鎌倉と銀座とが交互に現れますね。それに集中しています。「幸いに、大きなニュースがなくて、集中が途切れなかった」と書いたせいか、どうかは分かりませんが、すぐ、反応があるのが、このブログの世界です。今般は遠く離れたパリで、炎が上がりました。
さて、どうしようかな? それを論じるべきか。論じるべきでないかと迷います。一番の問題点は、今日の主役、村上隆氏が、美術界においては、ダントツのレベルで、稼ぎ頭であること。でね、書き様によっては、「あんた、有名なアーチストに嫉妬しているのでしょう。さもしいわね」と誤解をされる可能性があります。で、触れたくない。
しかし、本日、時事通信社が伝え、Yahoo経由で知らされた仮処分の申請は、相当に政治性を帯びており、そこを分析するのは、面白いし、意義があるだろうと思い始めました。十分に膨らませることもできるでしょう。もしかすると、例のごとく、今日も一万字をかけるかもしれません。で、これから、順次、節ごとに、ツィッター方式でトライしていきますが、完成は、明後日、26日(月)の午後三時を目指します。
まあ、くりかえしになりますが、これは、ひとえに、パソコン内に侵入をされ、文章を書くことを妨害されるが故だと、申し上げさせてくださいませ。
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村上と名のつくメディア有名人は、三人います。前は村上ファンドという会社の社長さんも有名でしたが、今は、静かですから、村上龍、村上春樹、村上隆と、来て、私は、前は、誰が誰やら分からなかったぐらいです。最近は三人の差を、ぴちっと、理解できるようになりました。最初の二人は文章系の作家で、隆氏は、美術系の作家です。
芸大を出た後で、新川(今、スカイツリーがたち始めているあたり周辺だと思う)にある小山登美夫ギャラリーが(この画廊は移転をしたかもしれないが)支援して、大ブレイクをして、ニューヨークで、そのフィギュアー(メイドの格好をした少女のプラスチック製の巨大な人形ココちゃん)が、7000万円で競り落とされたのが、日本の一般紙の第二社会面のニュースとして伝えられました。
しかし、そういう経路だけで彼が有名になったわけではないと、私は見ています。鶏が先か、卵が先かのたとえ話とはなるが、ビートたけし(この人も、今回登場するほかのすべての人も、十分に記号化されている有名人なので、敬称を略します)が司会をする番組、『誰でもピカソ』で、重要な役目を果たしたことが大きな出世の糸口だったと私は見ています。
その番組は、ビートたけしが絵を描くのが好きだったことから、企画をされたと思いますが、結果として、彼のために、芸大・大学院映像学科というのが、創設をされ、かつ、村上隆が、世界的にブレイクするのに役立ちました。両方向へ有名人(大稼ぎ頭)を出したわけです。****** →
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さて、今24日(日)の午前10時を過ぎました。再開をいたします。三角形を使った罫線の部分が最先端です。さきほど、9時半から実は再開をしていて、50行ぐらい書いたところ、消えていましたので、再度その部分を書き直してみます。
その部分とは、相当に簡単に現代美術の歴史をまとめた部分です。私がライターとしては、噂話が書けるだけではなくて、知的な部分(+教養)もあると、読者に、理解をされると、敵は困るわけでしょう。私に関して悪いうわさを流しきっていますので、『そちらの方が、間違いだ』となって行きますから。
だから、立派(?)な、文章を書くと、さまざまな手法で消されます。
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ビートたけしの番組の最終局面で、草間弥生が出演しました。
で、村上隆から、さらに離れたスピンオフとなりますが、草間について、述べさせてくださいませ。頭にそれが、昨日から強烈に、浮かび始めましたので、
草間弥生は、1950年代にアメリカにわたり、長さ8メートル幅二メートルぐらいの長大なキャンバスにドットを繰り返した(強迫観念の時代)作品で、一度ブレイクをして、その後、若い彼女は、セックスをテーマにし始め、ご自分も全裸で、画廊のオープニングの場に立ち、作品には、ソフトスカルプチュアーと彼女自身が言う、実際はぬいぐるみでできたペニスを、前面に貼り付けた既存のものを発表し始めます。布はさまざまなものを利用し、土台はボートや、ソファーなど、さまざまです。これで、大ブレイクをして、オージーという雑誌さえだし、フリーセックス運動の推進へと走ります。
ここから先は、余談中の余談となりますが、草間が芸術へ走ったのは、放蕩を繰り返す父への反発でした。その反発が石部金吉(たとえば、文章系作家の須賀敦子)の方向へ走る人もいるわけです。須賀敦子さんは、別に父君を批判をしているわけではなくて、愛していらっしゃるから、それゆえに傷が少なかったのかもしれないし、普通の結婚をなさっていますね。ここで、私の例をひいては申し訳ないが、私のダイナモを掻き立てているのは、むしろ、家族関係より、知人・友人との関係ですね。それは、特に大学卒業以来、さまざまな形で不利にさせられてきていますので、それに対する対抗する思いが、人生の主要なダイナモとなっています。
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どうしてそうなっているかというと、ベーカーさんというアメリカ人に『こいつは、賢い。将来の日本にとって、重要な人材となる可能性がある。若いうちにつぶしておく必要がある』と、すでに、22歳のときに、認められてしまったことも、大きな要素なのです。それと、ベーカーさんは、成岡庸司君(中学の同期で、1960年代早稲田の革○の委員長となった、後に行くえ不明・・・・・ただし、私はこれも潜伏中で、実際には国際的軍産共同体の主要なアイデアマンとなっている可能性もある・・・と考えています)とか秋山豊寛(TBSの記者をしたのちに、ソ連の宇宙飛行に参加した。今は、農業に従事と聞く)氏などの分析をしないと、語れませんが・・・・・
というわけで、セックスが、ダイナモではないのです。だから、動きも小さいといえば、小さいですね。話題も心理学的な分野に傾く傾向があるし、子育ては主要なテーマですし。
~~~~~~~~~~
さて、ここで、脱線から戻って、草間の次の段階へ入ります。そのオージー運動で財政的に破綻をしたので、日本へ帰ってきます。アメリカでも行き詰まったと彼女は考えたのでしょう。彼女は成功をする人の典型で、ビジネス感覚とか、政治的な感覚も十分にある人です。その延長上で、幹他門し等が、支援して、都美術館で、グループ展なども開かれていて、私はそのころ、そのペニス(布はギンガムチェックだったので、意外と清潔感にあふれたものだった)の突起が何千とついた、大きな山城のクッションを五つぐらい見ています。その何千と繰り返されるところが、初期の作品に見られる強迫観念の繰り返しですが、
草間はその大規模なグループ展程度では満足できなかったのです。確かに高階しゅうじ氏や酒井忠康氏を頂点とする美術評論家が威張っている日本画壇(そこへ、画廊と、作家を含む)全体から見れば、そのときはまだ、げてもの扱いだったと感じますよ。今回「三越なら、一千万円ですが、あなたには、350万円で売りますよ」というお声がかかったわけですが、『三越が扱うようになったのか』と、一種の感慨に打たれました。が、草間は1990年代までは、まだ、知る人ぞ知る存在だったのです。
で、草間は、もう一回アメリカへ拠点を移します。日本もキープしていたかもしれません。職人わざとしては、日本人は優れていますから、ミシンを踏む人間等は、日本にも引き続きキープしていたのかもしれません。
で、お金遣い等も、最初期よりは上手になっていた草間は、より材料費のかかる、勝つ、職人が女声ではない作品に取り組み始めます。この彼女の生き方、(つまり、ミケランジェロの時代と同じく、工房を経営をして、自分は統括をするという形で大量の作品を生み出す、かつ大型の作品を生み出す)は、杉本ひろし(ニューヨークに壮大なアトリエを持っている有名な写真家)とか、森まりこさんとか、それこそ、本日の話題の中心となる村上隆へ引き継がれている手法です。現代で、こういう形で創作をしている作家は、なかなか、いないですよね。まあ、彫刻の世界にはいる可能性はありますが、私はそちらには疎いです。
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さて、今、こ一時間ていど、家事と昼食のために、休みました。というのも、今日の
話題は、私にとって、ポロロッカ(アマゾンでの大逆流)のごとくに湧き上がってくるものではないからです。怒りが根底にあると、がんばりぬきますが、さしたる怒りがないのです。
**********
今日の、表題に当たる、村上隆さんのために怒るべきかといえば、『ううん。それほど、怒ることもできませんね』となります。どうしてかといえば、二つも三つも理由があります。これから、先に言う事は、実質的な今日の結論でもありますが、
第一に、「あのルーブル宮殿に、村上隆の作品を展示する必要はない」ということです。アーチストの一人である、私の美的センスから言って、そうなります。これは、反対運動を起こした側、つまり、今回の主役、ルイ14世の末裔に賛同する事となりますが、あのルーブル宮殿は、装飾過剰なところであり、もともと、画廊とは思えない場所なのです。昔から存在している装飾だけで、自己完結をしている場所ですから、そこに、村上隆のココちゃん、を展示すること自体に、違和感を持ちます。
あそこに、村上作品を展示させようと考えたのは、ヴィトンか、小山登美夫ギャラリーか、クリスティーズかは分かりませんが、意外と、日本からの働きかけだったりしたかもしれません。それは、ビートたけし氏への莫大はフランス側からの支援が先行しています。『彼があの程度、大切にされるのなら、僕の方は、作品がよいのだから、ずっと、よい場所で展示をしたいなあ』という欲求が村上隆と、小山登美雄ギャラリー等から浮かんで、それに応じて、世界中の人が動いたのだとしたら、あまり、感心をしません。
昨日インターネット上の写真で、メインだと思われる大型香炉みたいな作品を見たのですが、それを作るのには、なれた職人たちが取り組んだとしても相当な時間がかかり、かつ、どう観ても、置く場所をルーブル宮殿だと特定して、作品が創作をされていますので、企画は一年半以上前に立ち上がったと考えられ、その当時、世界のニュースがどうなっていたかとか、日本のニュースがどうなっていたかを考えると、これは、一連の
・・・・・体制側に奉仕をしている作家を優遇する・・・・・措置のひとつである・・・・・とも考えられます。それに反発した発想が、昔からパリに住んでいる人たちの間で沸き起こっても、それも当然だと考えられるからです。表現の自由は反論の自由をも含んでいます。
第二の理由は、彼はすでに、実質的な効果を上げていて、訴訟を起こされても、なんら困らないと言う事があります。9月12日から展示が行われており、彼の作品が本当に好きな人は、すでに出かけているでしょう。それから、有名人は招待日があって、すでにみんな社交をかねた、オープニングで見ているから、この10月の末に展示が閉じられたとしても、さしたる影響はないのです。公開前にも、反対運動が起きていますので、大勢に人に話題を喚起していますから、それが、得になっているという側面もあるのです。
これは、ニューヨークのブルックリンで1999年の秋にも見られた現象ですが、訴訟とか、反対されるという現象は帰って、お客様を増やすのです。感心を持っていなかった一般人にも興味がわき始めます。そちらは、センセーション展というもので、黒い肌をしたマリアが展示をされ、それが、イタリア系アメリカンである当時の市長、ジュリアーニ氏の、選挙民へのおもねりを含んだ反発を招き、市の持ち物である、「ブルックリン美術館を使わせない」といったりしたものですから、入場者が長蛇の列を作るほどの、大人気となりました。結果として主催者側が大得意となった展覧会で、あれもクリスティーズが、ブルックリン美術館のエントランスで、オークションをしました。今回も会期中のしかるべき夜に、お茶(または、ディナー)付のオークションが、ルーブル美術館内部で開かれ、ヨーロッパの大金持ちが集まって、村上隆の新作にお値段をつけて競り落とし、それが、また、ニュースとして世界を駆け巡る事となるでしょう。ただし、今回は大衆的な報道を控えるかもしれません。フランス国内からの反発が強いからです。
そして、個展とは、開いた事が重要なのです。入場者からのチケットの収入など、本当は作家本人からは、当てには、されてはいません。カタログの印刷が重要なのです。私はそれを、あまり、知覚をしていなかったのですが、銀座の高輪画廊から、オークション会社に著作権の問題で訴訟が起こされたそうです。これは、『カタログとして、立派なものが印刷をされるとしたら、それが、一種の作品のコピーの頒布となる』との件で、訴訟が起きているとの事でした。そうですね。三岸節子の作品が好きな人が、大きく印刷をされているカタログから、一頁を切り取って、額装して飾ったとしたら、それは、一種の絵スタンプとなりますので、三越あたりで売れば、それだけで、相当なお値段がつくものとなります。
話が元へ戻れば、カタログこそ大切な名のです。そして、カタログをただで配る側の人間は、日本の美術界では、権力を握る事となります。酒井忠康氏は、そちら側で長らく権威を保ってきた人です。ただ、そのカタログは、ほとんどが県民税(または、区民税)、か、企業からのメセナで、制作・印刷されており、酒井忠康氏は、そういう手立てで、幾何級数的に、力を増し、美術界で得た権威を、他の分野にも敷衍していき、それゆえに、伊藤玄二郎氏とか、井上ひさし氏が安心して汚れ役、たとえば、私をいじめる案を日夜練るということに専念できるので、一種の源泉として、酒井氏を論じたいとなってきます。
昨日も夢待洞という鎌倉の画廊で、『なるほど、これは、裏が見え見えですね』と言う反応に出会いました。あの画廊にはお客さんとして、若江良子さんと言う人が頻繁に出入りしていて、その人は若江漢字という作家の姉として、一種のマネージャー役をしています。彼女が鎌倉の住人なので、鎌倉の住民である私は、肌で感じる事が多くありますが、最も反応が大きいのが、夢待洞です。
で、そこから分かることからも酒井忠康氏を分析する事となります。酒井氏を分析するルートはこれで、ガレリアグラフィカのラインと、大原光孝氏のラインと、若江亮子さんのラインの三つがある事となります。若江漢字氏は、奥様が『カスヤの森美術館』という大きな画廊を経営していて、その画廊は、酒井忠康氏のお手持ち画廊と言う雰囲気です。だから、そちらからも、さまざまな事が推察できる事となります。
で、上の二節は鎌倉でしたが、こういうところが私の監察の基礎であるから、述べさせていただきました。私は画廊へは美術作品を見に行っているかだけなのですよ。それは、憲法で保証をされているきほん的な権利の行使のひとつであるとは、思う恩ですが、特に田舎っぽい感性を持つオーナーがいるところでは、オーナー事態が右往左往するのです。別に探偵をするつもりはないのですが、相手様がたくさんの生きた情報をおしえてくれることとなります。
で、ここまでいったあとで、パリへ戻ります。
というわけで、第二の理由からも、村上隆氏が恵まれている事が察せられ彼に感情移入して、フランス貴族を怒る気持ちにはなれないのです。
第三の理由ですが、政治に触れていきます。
村上隆さん、ご本人は、ご自分の出世というのが、すべて、ご自分の実力でなされていると考えておられるでしょう。でも、私から観ると、ビートたけし氏に恩を売った事が相当に大きいと考えられます。その『誰でもピカソ』という番組内では、コンクールがありました。勝ち抜き戦です。三人か四人(?)ずつアーチストが作品を披露していって、三週か五週勝ち抜くと、ニューヨークで個展を開く事ができるという商品だったと感じます。私は元来がテレビが嫌いだし、時間もないので、これを見た事がなかったのですが、二人の人から見ることを進められて見始めて、驚きました。嫌だなあと思って。どうして嫌なのかと思うと、芸術作品には優劣がつけがたいのです。それにテレビ画面という小さな世界で、活発な人柄を示した人のほうが、パフォーマンス力が高いので、有利になりやすいのです。が、作家が一生を通して、作り続ける力とか、全体でどういう作品をこれから提示していかれるかとまで考えると、このコンクールは、残酷そのものです。
その残酷さに驚きました。
しかし、その番組に対する批判を抑え、参加者を招き寄せた人物こそ、村上隆さんだったのです。その貢献に対するご褒美として、あの国連ビル内の個展が開かれたと、私は思っています。
でも、私がひやっとしたのは、その個展のタイトルを『アトミック・ボーイ』としたことです。これを国際的軍産共同体がどう解釈したか?
私は『さすがに、芸大出身者はナイーヴだな』と思いました。この際のナイーヴとは、少女などを規定する概念としての、かわいさを含むものではなくて、「おばかさんだよ」と言う系統でのおさなさと同義語です。政治に疎いなということを感じました。 ただしここでいう「おばかさんだよ」は別に蔑称でもないし、他人にだけ向けるものでもありません。自分自身のことを、『私は、おばかさんだ』と常日頃思っていますし。
でも、似たような事が、イスラエル賞の授賞式スピーチで村上春樹氏によって繰り返されました。こうなると、国際的軍産共同体がどう出てくるかなと、私はひそやかに心配をしながら見つめていたのです。
村上隆さんの方は、実質的な損失はありません。現代アートの作家など、論議が起きた方がよいので、『あ、かれは、工芸の作家ではなくて現代アートの人だったのだ』と認識をあらたにしたぐらいで終わりです。
しかし、村上春樹さんの方はどうだろう。今年のノーベル文学賞の下馬評に上がっていたそうですね。だけど、来なかった。この件ですが、えらい人、成功した人には、そういう人特有のストレスがあるのだということを示しています。直木賞やら、ノーベル賞の候補者と目されている人たちのストレスは大変でしょう。
でも、村上春樹氏は、そこまで見通して、ノーベル賞を取れなくてもいいから、イスラエル賞をまず、受賞して、あのスピーチをすると、覚悟をして、あのスピーチが出たと私は考えています。出ないと、言葉を駆使する人らしくないですし、こどもっぽすぎる。
だけど、私はこの二人の人には、隆さんには、← びーとたけし ← テレビ朝日 ← 朝日新聞社 ← 国際的軍産共同体、という方向で、
春樹さん ← 週刊朝日 ← 朝日新聞社 ← 国際的軍産共同体という線で、
共通して、国際的軍産共同体のお墨付きが与えられている人材なので、かれらの、それぞれに、独自な企画でさえ、『一種、飼い犬に手を噛まれた』と言う発想を与え、それゆえに、何らかの制裁が降りるのではないかと推定していて、・・・・・
そのひとつが、村上隆氏のルーブルでの、個展を阻止する訴訟として現れたのではないかと考えたのです。しかし、ココは断定ができません。だって、この個展そのものが国際的軍産共同体のご支援が、大きく関与してできているものですから・・・・・
でも、上の二つの節こそ、今日の文章で、一番言いたかったことです。
********
草間についての解説がまだ残っています。特に長い時間タイトル内にいれていたオノ・ヨーコに関する記述が出てきていませんが、また、一万字を越える見込みですのでここで、、草間についての考察も中断させてください。極く簡単にまとめると、筑紫哲也ニュース内で特集をされたことと、『たけしの誰でもピカソ』に出た時の草間はまるっきり違っていたということです。そして、もう草間を支援する必要はないと思いました。この部分は後で、別の日に拡大をするかもしれませんが、今日はこれで、おわらせてくださいませ。署名を入れて完成とさせていただきます。2010年10月15日 雨宮舜
私は今、きわめてドメスティック(地方的)な物を書いているわけです。鎌倉と銀座とが交互に現れますね。それに集中しています。「幸いに、大きなニュースがなくて、集中が途切れなかった」と書いたせいか、どうかは分かりませんが、すぐ、反応があるのが、このブログの世界です。今般は遠く離れたパリで、炎が上がりました。
さて、どうしようかな? それを論じるべきか。論じるべきでないかと迷います。一番の問題点は、今日の主役、村上隆氏が、美術界においては、ダントツのレベルで、稼ぎ頭であること。でね、書き様によっては、「あんた、有名なアーチストに嫉妬しているのでしょう。さもしいわね」と誤解をされる可能性があります。で、触れたくない。
しかし、本日、時事通信社が伝え、Yahoo経由で知らされた仮処分の申請は、相当に政治性を帯びており、そこを分析するのは、面白いし、意義があるだろうと思い始めました。十分に膨らませることもできるでしょう。もしかすると、例のごとく、今日も一万字をかけるかもしれません。で、これから、順次、節ごとに、ツィッター方式でトライしていきますが、完成は、明後日、26日(月)の午後三時を目指します。
まあ、くりかえしになりますが、これは、ひとえに、パソコン内に侵入をされ、文章を書くことを妨害されるが故だと、申し上げさせてくださいませ。
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村上と名のつくメディア有名人は、三人います。前は村上ファンドという会社の社長さんも有名でしたが、今は、静かですから、村上龍、村上春樹、村上隆と、来て、私は、前は、誰が誰やら分からなかったぐらいです。最近は三人の差を、ぴちっと、理解できるようになりました。最初の二人は文章系の作家で、隆氏は、美術系の作家です。
芸大を出た後で、新川(今、スカイツリーがたち始めているあたり周辺だと思う)にある小山登美夫ギャラリーが(この画廊は移転をしたかもしれないが)支援して、大ブレイクをして、ニューヨークで、そのフィギュアー(メイドの格好をした少女のプラスチック製の巨大な人形ココちゃん)が、7000万円で競り落とされたのが、日本の一般紙の第二社会面のニュースとして伝えられました。
しかし、そういう経路だけで彼が有名になったわけではないと、私は見ています。鶏が先か、卵が先かのたとえ話とはなるが、ビートたけし(この人も、今回登場するほかのすべての人も、十分に記号化されている有名人なので、敬称を略します)が司会をする番組、『誰でもピカソ』で、重要な役目を果たしたことが大きな出世の糸口だったと私は見ています。
その番組は、ビートたけしが絵を描くのが好きだったことから、企画をされたと思いますが、結果として、彼のために、芸大・大学院映像学科というのが、創設をされ、かつ、村上隆が、世界的にブレイクするのに役立ちました。両方向へ有名人(大稼ぎ頭)を出したわけです。****** →
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さて、今24日(日)の午前10時を過ぎました。再開をいたします。三角形を使った罫線の部分が最先端です。さきほど、9時半から実は再開をしていて、50行ぐらい書いたところ、消えていましたので、再度その部分を書き直してみます。
その部分とは、相当に簡単に現代美術の歴史をまとめた部分です。私がライターとしては、噂話が書けるだけではなくて、知的な部分(+教養)もあると、読者に、理解をされると、敵は困るわけでしょう。私に関して悪いうわさを流しきっていますので、『そちらの方が、間違いだ』となって行きますから。
だから、立派(?)な、文章を書くと、さまざまな手法で消されます。
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ビートたけしの番組の最終局面で、草間弥生が出演しました。
で、村上隆から、さらに離れたスピンオフとなりますが、草間について、述べさせてくださいませ。頭にそれが、昨日から強烈に、浮かび始めましたので、
草間弥生は、1950年代にアメリカにわたり、長さ8メートル幅二メートルぐらいの長大なキャンバスにドットを繰り返した(強迫観念の時代)作品で、一度ブレイクをして、その後、若い彼女は、セックスをテーマにし始め、ご自分も全裸で、画廊のオープニングの場に立ち、作品には、ソフトスカルプチュアーと彼女自身が言う、実際はぬいぐるみでできたペニスを、前面に貼り付けた既存のものを発表し始めます。布はさまざまなものを利用し、土台はボートや、ソファーなど、さまざまです。これで、大ブレイクをして、オージーという雑誌さえだし、フリーセックス運動の推進へと走ります。
ここから先は、余談中の余談となりますが、草間が芸術へ走ったのは、放蕩を繰り返す父への反発でした。その反発が石部金吉(たとえば、文章系作家の須賀敦子)の方向へ走る人もいるわけです。須賀敦子さんは、別に父君を批判をしているわけではなくて、愛していらっしゃるから、それゆえに傷が少なかったのかもしれないし、普通の結婚をなさっていますね。ここで、私の例をひいては申し訳ないが、私のダイナモを掻き立てているのは、むしろ、家族関係より、知人・友人との関係ですね。それは、特に大学卒業以来、さまざまな形で不利にさせられてきていますので、それに対する対抗する思いが、人生の主要なダイナモとなっています。
~~~~~~~~~~
どうしてそうなっているかというと、ベーカーさんというアメリカ人に『こいつは、賢い。将来の日本にとって、重要な人材となる可能性がある。若いうちにつぶしておく必要がある』と、すでに、22歳のときに、認められてしまったことも、大きな要素なのです。それと、ベーカーさんは、成岡庸司君(中学の同期で、1960年代早稲田の革○の委員長となった、後に行くえ不明・・・・・ただし、私はこれも潜伏中で、実際には国際的軍産共同体の主要なアイデアマンとなっている可能性もある・・・と考えています)とか秋山豊寛(TBSの記者をしたのちに、ソ連の宇宙飛行に参加した。今は、農業に従事と聞く)氏などの分析をしないと、語れませんが・・・・・
というわけで、セックスが、ダイナモではないのです。だから、動きも小さいといえば、小さいですね。話題も心理学的な分野に傾く傾向があるし、子育ては主要なテーマですし。
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さて、ここで、脱線から戻って、草間の次の段階へ入ります。そのオージー運動で財政的に破綻をしたので、日本へ帰ってきます。アメリカでも行き詰まったと彼女は考えたのでしょう。彼女は成功をする人の典型で、ビジネス感覚とか、政治的な感覚も十分にある人です。その延長上で、幹他門し等が、支援して、都美術館で、グループ展なども開かれていて、私はそのころ、そのペニス(布はギンガムチェックだったので、意外と清潔感にあふれたものだった)の突起が何千とついた、大きな山城のクッションを五つぐらい見ています。その何千と繰り返されるところが、初期の作品に見られる強迫観念の繰り返しですが、
草間はその大規模なグループ展程度では満足できなかったのです。確かに高階しゅうじ氏や酒井忠康氏を頂点とする美術評論家が威張っている日本画壇(そこへ、画廊と、作家を含む)全体から見れば、そのときはまだ、げてもの扱いだったと感じますよ。今回「三越なら、一千万円ですが、あなたには、350万円で売りますよ」というお声がかかったわけですが、『三越が扱うようになったのか』と、一種の感慨に打たれました。が、草間は1990年代までは、まだ、知る人ぞ知る存在だったのです。
で、草間は、もう一回アメリカへ拠点を移します。日本もキープしていたかもしれません。職人わざとしては、日本人は優れていますから、ミシンを踏む人間等は、日本にも引き続きキープしていたのかもしれません。
で、お金遣い等も、最初期よりは上手になっていた草間は、より材料費のかかる、勝つ、職人が女声ではない作品に取り組み始めます。この彼女の生き方、(つまり、ミケランジェロの時代と同じく、工房を経営をして、自分は統括をするという形で大量の作品を生み出す、かつ大型の作品を生み出す)は、杉本ひろし(ニューヨークに壮大なアトリエを持っている有名な写真家)とか、森まりこさんとか、それこそ、本日の話題の中心となる村上隆へ引き継がれている手法です。現代で、こういう形で創作をしている作家は、なかなか、いないですよね。まあ、彫刻の世界にはいる可能性はありますが、私はそちらには疎いです。
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さて、今、こ一時間ていど、家事と昼食のために、休みました。というのも、今日の
話題は、私にとって、ポロロッカ(アマゾンでの大逆流)のごとくに湧き上がってくるものではないからです。怒りが根底にあると、がんばりぬきますが、さしたる怒りがないのです。
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今日の、表題に当たる、村上隆さんのために怒るべきかといえば、『ううん。それほど、怒ることもできませんね』となります。どうしてかといえば、二つも三つも理由があります。これから、先に言う事は、実質的な今日の結論でもありますが、
第一に、「あのルーブル宮殿に、村上隆の作品を展示する必要はない」ということです。アーチストの一人である、私の美的センスから言って、そうなります。これは、反対運動を起こした側、つまり、今回の主役、ルイ14世の末裔に賛同する事となりますが、あのルーブル宮殿は、装飾過剰なところであり、もともと、画廊とは思えない場所なのです。昔から存在している装飾だけで、自己完結をしている場所ですから、そこに、村上隆のココちゃん、を展示すること自体に、違和感を持ちます。
あそこに、村上作品を展示させようと考えたのは、ヴィトンか、小山登美夫ギャラリーか、クリスティーズかは分かりませんが、意外と、日本からの働きかけだったりしたかもしれません。それは、ビートたけし氏への莫大はフランス側からの支援が先行しています。『彼があの程度、大切にされるのなら、僕の方は、作品がよいのだから、ずっと、よい場所で展示をしたいなあ』という欲求が村上隆と、小山登美雄ギャラリー等から浮かんで、それに応じて、世界中の人が動いたのだとしたら、あまり、感心をしません。
昨日インターネット上の写真で、メインだと思われる大型香炉みたいな作品を見たのですが、それを作るのには、なれた職人たちが取り組んだとしても相当な時間がかかり、かつ、どう観ても、置く場所をルーブル宮殿だと特定して、作品が創作をされていますので、企画は一年半以上前に立ち上がったと考えられ、その当時、世界のニュースがどうなっていたかとか、日本のニュースがどうなっていたかを考えると、これは、一連の
・・・・・体制側に奉仕をしている作家を優遇する・・・・・措置のひとつである・・・・・とも考えられます。それに反発した発想が、昔からパリに住んでいる人たちの間で沸き起こっても、それも当然だと考えられるからです。表現の自由は反論の自由をも含んでいます。
第二の理由は、彼はすでに、実質的な効果を上げていて、訴訟を起こされても、なんら困らないと言う事があります。9月12日から展示が行われており、彼の作品が本当に好きな人は、すでに出かけているでしょう。それから、有名人は招待日があって、すでにみんな社交をかねた、オープニングで見ているから、この10月の末に展示が閉じられたとしても、さしたる影響はないのです。公開前にも、反対運動が起きていますので、大勢に人に話題を喚起していますから、それが、得になっているという側面もあるのです。
これは、ニューヨークのブルックリンで1999年の秋にも見られた現象ですが、訴訟とか、反対されるという現象は帰って、お客様を増やすのです。感心を持っていなかった一般人にも興味がわき始めます。そちらは、センセーション展というもので、黒い肌をしたマリアが展示をされ、それが、イタリア系アメリカンである当時の市長、ジュリアーニ氏の、選挙民へのおもねりを含んだ反発を招き、市の持ち物である、「ブルックリン美術館を使わせない」といったりしたものですから、入場者が長蛇の列を作るほどの、大人気となりました。結果として主催者側が大得意となった展覧会で、あれもクリスティーズが、ブルックリン美術館のエントランスで、オークションをしました。今回も会期中のしかるべき夜に、お茶(または、ディナー)付のオークションが、ルーブル美術館内部で開かれ、ヨーロッパの大金持ちが集まって、村上隆の新作にお値段をつけて競り落とし、それが、また、ニュースとして世界を駆け巡る事となるでしょう。ただし、今回は大衆的な報道を控えるかもしれません。フランス国内からの反発が強いからです。
そして、個展とは、開いた事が重要なのです。入場者からのチケットの収入など、本当は作家本人からは、当てには、されてはいません。カタログの印刷が重要なのです。私はそれを、あまり、知覚をしていなかったのですが、銀座の高輪画廊から、オークション会社に著作権の問題で訴訟が起こされたそうです。これは、『カタログとして、立派なものが印刷をされるとしたら、それが、一種の作品のコピーの頒布となる』との件で、訴訟が起きているとの事でした。そうですね。三岸節子の作品が好きな人が、大きく印刷をされているカタログから、一頁を切り取って、額装して飾ったとしたら、それは、一種の絵スタンプとなりますので、三越あたりで売れば、それだけで、相当なお値段がつくものとなります。
話が元へ戻れば、カタログこそ大切な名のです。そして、カタログをただで配る側の人間は、日本の美術界では、権力を握る事となります。酒井忠康氏は、そちら側で長らく権威を保ってきた人です。ただ、そのカタログは、ほとんどが県民税(または、区民税)、か、企業からのメセナで、制作・印刷されており、酒井忠康氏は、そういう手立てで、幾何級数的に、力を増し、美術界で得た権威を、他の分野にも敷衍していき、それゆえに、伊藤玄二郎氏とか、井上ひさし氏が安心して汚れ役、たとえば、私をいじめる案を日夜練るということに専念できるので、一種の源泉として、酒井氏を論じたいとなってきます。
昨日も夢待洞という鎌倉の画廊で、『なるほど、これは、裏が見え見えですね』と言う反応に出会いました。あの画廊にはお客さんとして、若江良子さんと言う人が頻繁に出入りしていて、その人は若江漢字という作家の姉として、一種のマネージャー役をしています。彼女が鎌倉の住人なので、鎌倉の住民である私は、肌で感じる事が多くありますが、最も反応が大きいのが、夢待洞です。
で、そこから分かることからも酒井忠康氏を分析する事となります。酒井氏を分析するルートはこれで、ガレリアグラフィカのラインと、大原光孝氏のラインと、若江亮子さんのラインの三つがある事となります。若江漢字氏は、奥様が『カスヤの森美術館』という大きな画廊を経営していて、その画廊は、酒井忠康氏のお手持ち画廊と言う雰囲気です。だから、そちらからも、さまざまな事が推察できる事となります。
で、上の二節は鎌倉でしたが、こういうところが私の監察の基礎であるから、述べさせていただきました。私は画廊へは美術作品を見に行っているかだけなのですよ。それは、憲法で保証をされているきほん的な権利の行使のひとつであるとは、思う恩ですが、特に田舎っぽい感性を持つオーナーがいるところでは、オーナー事態が右往左往するのです。別に探偵をするつもりはないのですが、相手様がたくさんの生きた情報をおしえてくれることとなります。
で、ここまでいったあとで、パリへ戻ります。
というわけで、第二の理由からも、村上隆氏が恵まれている事が察せられ彼に感情移入して、フランス貴族を怒る気持ちにはなれないのです。
第三の理由ですが、政治に触れていきます。
村上隆さん、ご本人は、ご自分の出世というのが、すべて、ご自分の実力でなされていると考えておられるでしょう。でも、私から観ると、ビートたけし氏に恩を売った事が相当に大きいと考えられます。その『誰でもピカソ』という番組内では、コンクールがありました。勝ち抜き戦です。三人か四人(?)ずつアーチストが作品を披露していって、三週か五週勝ち抜くと、ニューヨークで個展を開く事ができるという商品だったと感じます。私は元来がテレビが嫌いだし、時間もないので、これを見た事がなかったのですが、二人の人から見ることを進められて見始めて、驚きました。嫌だなあと思って。どうして嫌なのかと思うと、芸術作品には優劣がつけがたいのです。それにテレビ画面という小さな世界で、活発な人柄を示した人のほうが、パフォーマンス力が高いので、有利になりやすいのです。が、作家が一生を通して、作り続ける力とか、全体でどういう作品をこれから提示していかれるかとまで考えると、このコンクールは、残酷そのものです。
その残酷さに驚きました。
しかし、その番組に対する批判を抑え、参加者を招き寄せた人物こそ、村上隆さんだったのです。その貢献に対するご褒美として、あの国連ビル内の個展が開かれたと、私は思っています。
でも、私がひやっとしたのは、その個展のタイトルを『アトミック・ボーイ』としたことです。これを国際的軍産共同体がどう解釈したか?
私は『さすがに、芸大出身者はナイーヴだな』と思いました。この際のナイーヴとは、少女などを規定する概念としての、かわいさを含むものではなくて、「おばかさんだよ」と言う系統でのおさなさと同義語です。政治に疎いなということを感じました。 ただしここでいう「おばかさんだよ」は別に蔑称でもないし、他人にだけ向けるものでもありません。自分自身のことを、『私は、おばかさんだ』と常日頃思っていますし。
でも、似たような事が、イスラエル賞の授賞式スピーチで村上春樹氏によって繰り返されました。こうなると、国際的軍産共同体がどう出てくるかなと、私はひそやかに心配をしながら見つめていたのです。
村上隆さんの方は、実質的な損失はありません。現代アートの作家など、論議が起きた方がよいので、『あ、かれは、工芸の作家ではなくて現代アートの人だったのだ』と認識をあらたにしたぐらいで終わりです。
しかし、村上春樹さんの方はどうだろう。今年のノーベル文学賞の下馬評に上がっていたそうですね。だけど、来なかった。この件ですが、えらい人、成功した人には、そういう人特有のストレスがあるのだということを示しています。直木賞やら、ノーベル賞の候補者と目されている人たちのストレスは大変でしょう。
でも、村上春樹氏は、そこまで見通して、ノーベル賞を取れなくてもいいから、イスラエル賞をまず、受賞して、あのスピーチをすると、覚悟をして、あのスピーチが出たと私は考えています。出ないと、言葉を駆使する人らしくないですし、こどもっぽすぎる。
だけど、私はこの二人の人には、隆さんには、← びーとたけし ← テレビ朝日 ← 朝日新聞社 ← 国際的軍産共同体、という方向で、
春樹さん ← 週刊朝日 ← 朝日新聞社 ← 国際的軍産共同体という線で、
共通して、国際的軍産共同体のお墨付きが与えられている人材なので、かれらの、それぞれに、独自な企画でさえ、『一種、飼い犬に手を噛まれた』と言う発想を与え、それゆえに、何らかの制裁が降りるのではないかと推定していて、・・・・・
そのひとつが、村上隆氏のルーブルでの、個展を阻止する訴訟として現れたのではないかと考えたのです。しかし、ココは断定ができません。だって、この個展そのものが国際的軍産共同体のご支援が、大きく関与してできているものですから・・・・・
でも、上の二つの節こそ、今日の文章で、一番言いたかったことです。
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草間についての解説がまだ残っています。特に長い時間タイトル内にいれていたオノ・ヨーコに関する記述が出てきていませんが、また、一万字を越える見込みですのでここで、、草間についての考察も中断させてください。極く簡単にまとめると、筑紫哲也ニュース内で特集をされたことと、『たけしの誰でもピカソ』に出た時の草間はまるっきり違っていたということです。そして、もう草間を支援する必要はないと思いました。この部分は後で、別の日に拡大をするかもしれませんが、今日はこれで、おわらせてくださいませ。署名を入れて完成とさせていただきます。2010年10月15日 雨宮舜