NHKの朝ドラ『げげげの女房』が大当たりだったそうです。で、そこで主演した向井理君は次の大河ドラマの主演にも選ばれ、大好評のようです。で、女性週刊誌内では、彼に関するさまざまな情報があふれていますが、それによると、彼は、明治大学の農学部の出身で、新しい遺伝子を17個も作ったといわれています。
農学部とは今は、人気学部の一つです。農業の大切さが言われていますし、最先端の遺伝子領域の研究も農学部の出身者が行うケースが多いのです。理学部や医学部もそれにとり組んでいますが、農学部もそれに取り組んでいる。
で、明大では、いまだに農学部を農学部と呼んでいるらしいのですが、東大と、日大では、農学部は生物環境学部と名前が変えられています。それはなんと、この鎌倉の『鶯がやつ』に住んでいる例のいばりんぼう、奥様の屈辱をそぐために行われているのですよ。
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なぜ、農学部の名前が変更になったかというと、前田夫人がぶんむくれたからです。それが安野夫人は、石川和子女史に伝わって、伊藤玄二郎に伝わり、彼が文部科学省を動かすわけです。驚くべきことに、安野夫人、石川和子女史につづいて、前田夫人の尊厳と名誉を守るために、国費が濫費されています。
これは、現住の、この雪ノ下二丁目だけではなくて「国家社会的に、おまえより、上だ、上だ」と連呼されることと同じです。今では私も慣れてきて、笑い話として話す事が出来ますが、ここが地理的には、たこ部屋ですから、安野夫人はふんぞり返り続け、そこにみんなが膝を屈すると言う状態は続くわけです。
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でね。ここで、この山の主流派主婦たちの四人が四人とも、相当な利益を得たと言うことと成ります。浅野家の令嬢だけは、私費留学かもしれませんが、自由に行きたいときに、カリフォルニアに留学できる模様です。その精神的な安心感は、普通の人にとっては、羨ましいことでしょう。
さて、四番目が前田夫人ですね。前田夫人が何故、どこで、ぶんむくれたかの場所が私にとっては大問題です。それが例のあじさい畑だからです。他のところならともかくも、私にとっては、ひじょうにせつない苦痛の場所だからです。
でも、それを解説する前に、そのときに、孫が一緒だったので、孫というものについて、特に、安野家の祖母と孫の関係について、述べないといけません。その素地がないと、説明が不十分になります。
安野夫人が実母ではない事は、御成中学のさまざまで、すでに1980年代に分かったことでしたが、その後、お嬢さんが、40歳を越した時点で、お子さんを連れて夏に帰省をするようになりました。夫が白人なので、海外に普段は住んでいる模様です。2008年にも、子どもをつれて夏に、この雪ノ下二丁目の家に滞在していて、それで、まざまざと安野夫人がきつくて恐ろしい継母であることが、わかったのです。
ご長男は、高卒後は、絶対にあの家に寄り付きませんが、こちらのお嬢さんはしばしば来ています。ので、私は『家をあげる、かわりに、老後を見て欲しい』と言うお父さんの願いがまずあると感じています。それに、お母さんの『私は、立派なおばあちゃんですよ』と言う一種の勲章代わりの誇示もあるだろうと思っています。例のごとく、大音響で、きゃあきゃあと、遊んでいて楽しそうですが、ある日、そばを通るとお母さんがお嬢さんを庭で叱っています。その様子でも『お嬢さんは相当に、萎縮しているな』と分かりましたが、別の日の真夜中、午前四時ごろ、さらにそれがはっきりする出来事に出くわしました。
『あ、やはり、あの親しさは嘘だったのだ。お嬢さんは、相当なレベルで、つらいんだな』と思う経験を、私がしたのです。それを、ご報告をさせてください。論理を進めるためです。
私が何故、午前四時に家を出たかというと、プリンターが壊されているので、コンビニにコピーをとりに行こうとしていたのです。本を作り始めると、編集とデザイン(データのIT化)も同時にやるので、大変な神経を使います。で、夜10時過ぎ、誰もが寝静まったころに仕事を始めます。ので、午前四時は、まだ宵の口で、歩いて七分程度の場所にあるコンビニに行くのなど、軽い軽い話です。
ところが、その夜、我が家の門を出て、10歩も歩かないうちに、安野家からお嬢さんが二人の子どもをつれて出てくるのに出くわしました。
二歳ぐらいの一人を抱いて、4歳ぐらいの一人の手を引っ張っています。そして『声を立てないでね』と子どもたちに、ひそかに、命令しています。
驚きました。その事情の裏側が察せられて。・・・・・彼女のご主人は、先ほどもいったっように、外人(白人)です。で、海外に住んでいると仮定をすると、時差がありますので、電話は掛けにくいです。でも、両親と本当に仲良しなら、愚痴の電話を掛けている間、こどもを置いて行っても大丈夫です。もし、起きてしまって夜泣きをしても、「おや、おや、娘はどこへ行っちゃったんだろう。まあ、電話を掛けにでも、外へ行ったのだろう。しょうがないね」とは言うものの、孫はかわいいですから、あやして、やがて寝かしつけます。そして、帰ってきたときに、娘を叱れば、娘の方は舌でもぺロッと出して、「ごめんさなーい」と言っておけばそれで済みます。
しかし、真実はまったく違うのです。電話を掛けること自体を、秘密にしないといけないほど、親子関係は緊張している模様です。または、昼間の親しさが嘘であるといってよいか。
しかし、この孫たちが、諜報活動に利用されているのですから、それも、驚きです。なぜ、それに気がついたかというと、私の猫が毎日、「お母さん、庭に出て遊ぼう」と誘うからでした。で、ちょっと寄り道ですが、その事をも、先にお話しないといけません。私は家の中では、緊迫して仕事をしているので、猫も遠慮をしています。でも、庭仕事の時は手は草むしりをしていても、心は100%、猫の方を向いて相手をしてやるものですから、それに味を占めて、午後は、一回、『庭へ行こう』と彼女の方から私を誘うのです。で、庭で、遊んでやっていると、安野家で、前田家のお孫さんと、全体が、五人で大騒ぎをしていることに気がつきました。夏休みのことです。前田家のお嫁さんも一緒らしい様子でした。
でね、「さようなら、またね」と言う派手な挨拶が交わされた後で、三人の小さなお孫さんと、大人二人が、我が家前を通りました。すると、我が家の門近くで、前田夫人が記念写真を撮りはじめました。
これが、私にとっては、一種の挑発であり、非常に嫌なことなのです。場所が例の問題のアジサイ畑です。それが、コンクリートで埋め立てられていて、崖が、湾曲するほどの被害を与えられている場所です。しかも前田夫人は、この日だけではなく、お正月に羽根突きをするなど、孫を使って、ありと、あらゆる意味で、挑発を仕掛けて来る人です。つまり正当に私道部分を出していない分だけ、南側に突き出した庭は広いので、それを全山中に誇示して、かつ、その正当性を主張しているわけです。
ここで、ちょっと説明を繰り返します。我が家のアジサイ畑を盗まれてしまったのは、前田・安野夫人たちが、大声で、井戸端会議をしているのに怒った、藤本夫人が、『雪の日に、滑って骨折をした人が、訴訟をすると困るから、真ん中にフェンスを作る』と主張したのを、それを避けるための犠牲的措置でした。藤本夫人がそんな驚くべき提案をしたのは、前田夫人宅が、正式な私道部分を拠出していないことに、目をつけたのです。声が大きいといって責めるよりも、そちらを盾にした方が、法律的に、力があると、藤本夫人は考えたのです。私は前田夫人の犠牲に成ってあげたのに、いじめられるわけですから、こんな不当な事は無いです。
なし崩し政策の一環として、ご主人がペンキ塗りお当番を設定したのも、すでに述べていますが、・・・・・今、我が家の門前で、記念撮影をするというのも、その場所の、正当化に役立てようとしているのは、見え見えなのです。だから、結果として孫まで諜略活動に役立て様としているわけです。これが、2008年のことでしたが、この2010年にもさらに二回もひどいことをされています。
私は、安野夫人の方は、すでに、心の中から捨てています。『しょうがない人だ』で終わりです。でも、前田夫人の場合は実の子です。しかも彼女夫妻は、上昇志向が強くて、子どもさんを二人とも大学教授にするつもりです。日大と明大のね。だったら『もう少し、頭を使ってください』といいたいのです。もちろん、心も使って欲しいが『そちらの方は、無理かなあ』と思っています。でね、頭を使えば、どういう風にするのが一番良いかは、おのずと分かるはずで、その午後のように、挑発をし掛けてくるのは、無残で残酷なことなのです。被害者側が、ただ、ひたすら25年間も我慢をしてきて、何も訴えていないし、責めていないのですから、穏便に普通の生活を続けて、それで、なし崩しにしていくのならかまわないのですが、そうじゃあなくて、ことさらに悪意ある挑発を繰り返すので、怒るのです。
アスベストを口実にして、実際には古い管を取り出さなかった上水道工事をはじめ、その次の石段改修工事(これもまた大問題で、後日詳述します)、藤本夫人のニセの境界石の測量と、ありと、あらゆる手立てを尽くして、敵は攻めてきます。つまり、この件の後ろには瀬島龍三と、その手下の井上ひさし、伊藤玄二郎が控えているから、際限もない諜報活動が仕掛けられてくるのです。だけど、実行をするのは、前田夫妻を頂点とする町内会です。で、個人にその責任は帰せられます。そこを私は問うているのです。あなた方、こんなに偏った無残な事をしていてよいのですか? と、問うているのです。特に孫まで使ってと、問うているのです。
結果は、もうでています。この三月に八幡宮の大銀杏が倒れましたね。天はすべてをご覧になっています。無残な仕打ちを他人に仕掛ければ、結局は自分に返ってきます。
でも、そこへ一気に到達しないで、その記念撮影の当日に戻りましょう。前田夫人の目が釣りあがっているのを見て、私が引っ越してきたばかり最初期の、1985年ごろ、主婦たちが必死になって、上下関係を確かめあっているのを思い出しました。そう言う風に、上下関係を構築したがるのは、ヒステリー性格の典型だと思っていましたが、その日の、前田夫人の目の釣りあがり様は、まさに、それを示していました。
で、私はお嫁さんに向かいました。お嫁さんは、お姑さんより、はるかに温和な感じの女性で、心身ともに健康だと感じました。だけど、そちらを説得し切れるかの、自信は、私にはありません。だって、大切な義母と喧嘩をしている人に対して、お嫁さんが、心を開けるでしょうか? そんな事はありえないことぐらい私にだって、分かっています。で、一種のテクニックとして、「あなた、日大・農・獣にいる人のお嫁さん」と話しかけたのです。注目を私に、ひきつけるためです。
これが、ものすごく、前田夫人の心象を害したらしくて、冒頭の農学部が生物環境学部に変更する案が出て、国費を使って、実行をされたわけです。
でね、何故、心証を害したかと言うと、彼女は、お子さんを東大の医学部へ入れたがっていたのです。だから、それとは異なるブランド名を、突きつけられたので怒ったのでしょう。
ところで、ここで、お断りをしておきたいのは、日大・農獣という学部名を知ったのが、わが子からではないということです。ご近所様でもない。また、御成中学時代のママ友でもありません。子どもたちとは、年齢が異なる男の人(しかし、父親世代ではない)から聞きました。それほど、前田家が、どこへ子どもを進学させるかが、鎌倉中で注目をされていたということです。どうして、そうなるかを、思い出から解説しましょう。
あれは、1985年でした。御成中学の講堂で、PTA総会が開かれたのです。そのときにフロアーから一人だけ、挙手、起立して、堂々と意見を述べたのが前田夫人です。
私は驚いたし、腹も立ちました。未来予測が利く私は、アジサイ畑欺もう事件が将来、大変なことになるのを知覚していました。だから、それの原因を担った彼女が、あたかも一点の曇りも無いかのごとく、威張りかえって、意見を発表することに仰天したのです。
この種の、自信を彼女に与えたのが、八幡宮様推薦の、國學院大學講師、就職だったとしたら、八幡宮様の大銀杏も倒れて、むべなるかなと思います。ともかく、そこに集っていた、500人ぐらいのご父兄のうち、彼女の家、および、彼女自身がトップクラスの人材だったとはとても言えませんでした。これを言うのは、ある種の弊害がありますが、1960年代に大学院、特に、日本の大学院に入るのは、別にエリートであることの証明ではありません。なんとなく、四年で卒業できないマイナスの条件がある人が、大学院へ逃れたと言う側面もあったのです。
新卒で大企業に就職する。または、中央官庁に就職するのが、一流の人材である証だった時代なのです。威張りかえらなければ、別にそこまでは言いません。だけど、彼女を見ていると、常に感じるのは、『雌鳥(めんどり)時を告げて、国滅ぶ』と言う中国発の箴言です、けたたましい。だけど、周りに、幸せ感をもたらさず、『ああ嫌だ』と言う雰囲気をばら撒くのです。
『まあ、いいでしょう』と、私は自分に言い聞かせました。『ここは、PTAの世界だから、子どもに直結していますね。だから、あなたは、坊ちゃんが、超が付くほど優秀で、ここに集うご父兄の、すべての子どもより、上である』と信じているのですね。じゃあ、東大医学部へご進学なさるのですね。待っていましょう』と、思いました。
被害を与えられてなければ、そこまでは思いません。そして、問題のある場所で写真をわざと撮るという挑発行為が無ければ、何も昔のことを蒸し返しません。だけど、すさまじいレベルで、挑発を繰り返す、彼女に対しては、はらわたが煮えくり返るほどの怒りをもっています。
でもね、被害を与えられた私だけではなくて、鎌倉中から、坊ちゃんが注目をされることと成ったでしょう。中学期にでしゃばる母の子はほとんどが、予測より低くなるのは、ここへ転入以前から、実体験として知っていました。『あの、けたたましかった前田夫人のお坊ちゃんって、どこへ入学したの?』とみんなが注目したはずです。だから、私の耳にも坊ちゃんが、日大・農獣医学部へ進学をされた事が入ってきたのです。子供とも、母親仲間とも違うところから。それほど、有名なのですよ。ある意味で。井上さんの坊ちゃんについては一切入ってこないのに。
この坊ちゃん側のお孫さんが、それ以降も何度も何度も諜報活動に利用されることとなります。
しかし、その苦しみの中で、良いことにも恵まれました。圧倒的な正確さとして、井上ひさしが、国際的軍産共同体の手先である事が確認できたからです。それは、鎌倉防犯協会の放送が、一つの証拠となりました。鎌倉に住んでいることの利点でした。それは別の機会に詳述します。が、今日はパンツが盗まれる話へ入って行きましょう。一昨日、未完成のブログをお読みになった方は、そのタイトルに『パンツが盗まれる話』と言う部分が12時間以上公開されていたのをご存知でしょう。しかし、一万字・字数制限に引っかかって一昨日には、それを、述べておりません。
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外に干してあるのではありません。部屋の中の引き出しに入っているものを、盗まれるのです。または、別の場所に移動をさせられています。ともかく、『それを見た』と言う事が脅迫に役立つと考えられているのでしょう。
その引き出しには意味があります。実は、泥棒があまりに頻繁に入るので、そして、非常に貴重な資料を盗んでいくので、『まさか、ここには書類が入っているとは、気がつくまい』と思って、2007年か、8年に、その引き出しにA4の封筒に入った、本一冊分の原稿を256枚を隠した事があるのです。が、やっぱり盗まれました。
どうして、そこに隠したかというと、プリンターが壊されるので、外でプリントアウトをして持ち返ってきたものが貴重なのです。2560円かかっていますので。それに何回も編集作業をしますので、何組も要るのです。で、大切だから、事務用品が入っているとは思われない場所にそれを、隠したのです。が、それでも、探されて盗まれました。それ以来、そのパンツの入っている引き出しは、一種の鬼門となっていて、敵方が、しょっちゅう狙うところとなっています。
でね、私はもう、そこには重要な書類は隠していません。でも、敵方がしつこく、脅しのために、そこを狙い、脅迫の効果をあげるためでしょうが、パンツを盗んでいくのです。または、主人の引き出しに移動をしたりして、夫婦喧嘩の種を作っていきます。もし、私が「パンツが盗まれた」といえば、「ほら、あったよ。お前が間違えて入れたんじゃあ、ないか」と主人が言います。これも、『夫婦喧嘩を起こさせて、あわよくば離婚にでも至れば、彼女は弱くなるはずだ』と言う論理に、かなう作戦でしょう。
で、こんなことまで告白すれば、この文章全体が、非常に品が悪く聞こえるでしょう。だから、鶴岡八幡宮を論じる、昨日の文章にこれが入らないことと成ったのは、天のおぼめしだったかもしれません。結果として、敵の狙い通り、読者数が減るかもしれません。特に政治的な問題を論じていて、自分のブログが、ルース大使の長崎訪問を招いたとさえ、思っている同じ時期に、『パンツが盗まれた話』をしては、笑い話にもならないところです。
でもね。もっとひどいことさえ、想像しています。たとえば、ご近所の誰かが、無許可で作られた合鍵を渡されていて、私が外出した途端に、留守にパンツを見に、入っているとさえ。だって、町内会副会長(安野夫妻)が、別の家(浅野家)のお嬢さんの携帯を利用して、私の頭に水をぶっ掛けようとして・・・(それは、実際には不成功だったのですが、お嬢さんが、不成功だとお母さんにいえなかったみたいで)・・・、成功として、山中に伝わり、結果、町内会長(前田)夫人が大喜びをして、その下品さを、ご主人からたしなめられたというのは、あまりにも人を馬鹿にしていませんか。それは、きっと留守にパンツまで見ていて、しみがついていたとか、安いものだったとか、まで、見ていて、それを山中の笑い話にしているから、そこまでの、ひどいことをできるのではないでしょうか?
それから、留守中に、20個ぐらいある額の左側だけが、3センチぐらい下がっているときが多くありますが、それも、別の人へ鍵を渡されていて、そちらがやっているのではないかと、感じています。複数の人が留守中に侵入している可能性を感じます。それが三年間も続いていますから、いろいろ推察します。
この山に来ていただければ、すぐわかりますが、あじさい畑欺もう事件は単なる、泥棒でしかないのです。だから、連中は追い詰められていて、ここまでのことをすると、考えると、すべてのつじつまがあってきます。解決の最初の鍵を、中谷氏が掛け間違えています。もしかしたら、瀬島隆三の教唆でそうなってしまった、のかもしれません。ともかく、すごい話でしょう。本当にすごい話です。もっとひどいこともあるのです。それは、徐々にお話をしていきましょう。
私はパンツまでご近所に見られているという、そこまでの、覚悟をして生きています。そして、それを踏まえて発言を繰り返しています。分担して進入している可能性はあります。そのぐらいしたいぐらい、自分たちの失敗が大きくて取り返しがつかないのです。ともかく、何をやってもいいから、追い出したいのでしょう。
そして、女たちの、すさまじいそれらの悪意が、国家的な規模で、伊藤玄二郎によって、サポートをされています。
どうしてかといえば、あじさい畑欺もう事件が、真に追求されれば、芋づる式に恥多い人が出てくるからです。もしかしたら、警察さえも、盗人扱いせねばならない地点が来るかも知れません。それゆえに、私をここから、追い出したい。そして、明瞭な泥棒の証拠を、次の入居者をまた、だまし加減で説得して、消していく。または、一時期不動産会社が預かって、その間に消し去ってしまう。それが目的で、今現在の、あらゆる非人間的な措置が取られている。
そう考えると、あたりと思えることはいっぱいあります。
もちろん最初期はプロでした。重要な資料が盗まれました。特に私の育ちがよいことを証明する写真類が盗まれました。驚きました。満州からの、引き上げ者なので、写真館に原版が残っているというわけでもないので、それらは超がつくほど貴重です。『でも、父は絵がうまくて、新聞の7紙以上の文化面に載ったはずなので、その切抜きが盗まれても、国立国会図書館に行ってコピーをすればとればよい』と思っていたら、なんと、文化面だけマイクロフィル化をされていないのです。
これは、瀬島隆三の悪意ある発案でしょう。時期的に、新聞にマイクロフィルム化のニュースが載ったころを考えるとと、瀬島隆三の頭が、ぴんぴんしていた時代です。怒りに震えます。パンツの方は、そういうことをする手合いを馬鹿にしていおけば、いいです。プロの泥棒にしても、どうせ、警察か、国際的軍産共同体か、革○か、瀬島機関ですから、そういう連中はひどいのだと、はっきり見極めをつければよいのです。
だけど、父に関する資料は回復不可能です。アメリカの図書館に当時の満州の新聞がとってあるかなあ?
そして、ご近所に鍵を渡されていたら、これは、精神的に参らせるのに、これほどの屈辱はないと、いうことです。でも、私のホーム頁に、下品きわまりないトラックバックが引っ付いたりして、それは往年、小泉さんに向けられた、からかいとそっくりです。小沢氏を王様として祭り上げるべく、佐高信たちが作っていたものです。ともかく、背後に隠れいている敵が下品極まりない発想を持っているのはわかっています。それに気がつかなかったわけでもないのです。あまりにもいじめが下品で恐ろしい類なので、すでに、そこまでの背景を、気がついてもいたのです。
その上で、考えるわけです。どうして、これほどの悪が平気で行われているのかと。そうなると、過去私が書いたように、『国際的軍産共同体が、日本人から莫大なお金を、巻き上げていて、それを、知っている存在を、どうにかして消して行きたいと思っている』とすると、道理が通るのです。もちろんのこと、私にとっても、ここまで言うのは本当に疲れます。
ただ、その覚悟を持って分析し、結果、酒井さんが日本社会に、悪いことをしていれば、どんなに偉かろうが、書きます。石塚さんが悪いことをしていれば、どんなに偉かろうが、はっきりと分析をさせていただきます。酒井さんと、石塚さんがホワイトカラーであろうとも、同じ組織のブルーカラーは、我が家のパンツを盗むのですから。
今日の文章を読んで下さった皆様には『大学とか、学部名の、ブランド志向が強すぎるよ。古いよ』といわれてしまうかもしれません。でも、嫌われてもかまいません。これほどのいじめ(=迫害)を受けている身では、捨て身で、なにもかもお話をする以外に生きる道はないのです。
たまたま、4日(日)の日経新聞朝刊文化面に国際ペンクラブの報告記事が載っていて、『言論の自由を守る、云々』と出ていましたが、こと、私に限っては、まったくそれは叶えられていないのです。
では、2010年10月6日、実質的な送信時刻は午前三時、雨宮舜
農学部とは今は、人気学部の一つです。農業の大切さが言われていますし、最先端の遺伝子領域の研究も農学部の出身者が行うケースが多いのです。理学部や医学部もそれにとり組んでいますが、農学部もそれに取り組んでいる。
で、明大では、いまだに農学部を農学部と呼んでいるらしいのですが、東大と、日大では、農学部は生物環境学部と名前が変えられています。それはなんと、この鎌倉の『鶯がやつ』に住んでいる例のいばりんぼう、奥様の屈辱をそぐために行われているのですよ。
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なぜ、農学部の名前が変更になったかというと、前田夫人がぶんむくれたからです。それが安野夫人は、石川和子女史に伝わって、伊藤玄二郎に伝わり、彼が文部科学省を動かすわけです。驚くべきことに、安野夫人、石川和子女史につづいて、前田夫人の尊厳と名誉を守るために、国費が濫費されています。
これは、現住の、この雪ノ下二丁目だけではなくて「国家社会的に、おまえより、上だ、上だ」と連呼されることと同じです。今では私も慣れてきて、笑い話として話す事が出来ますが、ここが地理的には、たこ部屋ですから、安野夫人はふんぞり返り続け、そこにみんなが膝を屈すると言う状態は続くわけです。
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でね。ここで、この山の主流派主婦たちの四人が四人とも、相当な利益を得たと言うことと成ります。浅野家の令嬢だけは、私費留学かもしれませんが、自由に行きたいときに、カリフォルニアに留学できる模様です。その精神的な安心感は、普通の人にとっては、羨ましいことでしょう。
さて、四番目が前田夫人ですね。前田夫人が何故、どこで、ぶんむくれたかの場所が私にとっては大問題です。それが例のあじさい畑だからです。他のところならともかくも、私にとっては、ひじょうにせつない苦痛の場所だからです。
でも、それを解説する前に、そのときに、孫が一緒だったので、孫というものについて、特に、安野家の祖母と孫の関係について、述べないといけません。その素地がないと、説明が不十分になります。
安野夫人が実母ではない事は、御成中学のさまざまで、すでに1980年代に分かったことでしたが、その後、お嬢さんが、40歳を越した時点で、お子さんを連れて夏に帰省をするようになりました。夫が白人なので、海外に普段は住んでいる模様です。2008年にも、子どもをつれて夏に、この雪ノ下二丁目の家に滞在していて、それで、まざまざと安野夫人がきつくて恐ろしい継母であることが、わかったのです。
ご長男は、高卒後は、絶対にあの家に寄り付きませんが、こちらのお嬢さんはしばしば来ています。ので、私は『家をあげる、かわりに、老後を見て欲しい』と言うお父さんの願いがまずあると感じています。それに、お母さんの『私は、立派なおばあちゃんですよ』と言う一種の勲章代わりの誇示もあるだろうと思っています。例のごとく、大音響で、きゃあきゃあと、遊んでいて楽しそうですが、ある日、そばを通るとお母さんがお嬢さんを庭で叱っています。その様子でも『お嬢さんは相当に、萎縮しているな』と分かりましたが、別の日の真夜中、午前四時ごろ、さらにそれがはっきりする出来事に出くわしました。
『あ、やはり、あの親しさは嘘だったのだ。お嬢さんは、相当なレベルで、つらいんだな』と思う経験を、私がしたのです。それを、ご報告をさせてください。論理を進めるためです。
私が何故、午前四時に家を出たかというと、プリンターが壊されているので、コンビニにコピーをとりに行こうとしていたのです。本を作り始めると、編集とデザイン(データのIT化)も同時にやるので、大変な神経を使います。で、夜10時過ぎ、誰もが寝静まったころに仕事を始めます。ので、午前四時は、まだ宵の口で、歩いて七分程度の場所にあるコンビニに行くのなど、軽い軽い話です。
ところが、その夜、我が家の門を出て、10歩も歩かないうちに、安野家からお嬢さんが二人の子どもをつれて出てくるのに出くわしました。
二歳ぐらいの一人を抱いて、4歳ぐらいの一人の手を引っ張っています。そして『声を立てないでね』と子どもたちに、ひそかに、命令しています。
驚きました。その事情の裏側が察せられて。・・・・・彼女のご主人は、先ほどもいったっように、外人(白人)です。で、海外に住んでいると仮定をすると、時差がありますので、電話は掛けにくいです。でも、両親と本当に仲良しなら、愚痴の電話を掛けている間、こどもを置いて行っても大丈夫です。もし、起きてしまって夜泣きをしても、「おや、おや、娘はどこへ行っちゃったんだろう。まあ、電話を掛けにでも、外へ行ったのだろう。しょうがないね」とは言うものの、孫はかわいいですから、あやして、やがて寝かしつけます。そして、帰ってきたときに、娘を叱れば、娘の方は舌でもぺロッと出して、「ごめんさなーい」と言っておけばそれで済みます。
しかし、真実はまったく違うのです。電話を掛けること自体を、秘密にしないといけないほど、親子関係は緊張している模様です。または、昼間の親しさが嘘であるといってよいか。
しかし、この孫たちが、諜報活動に利用されているのですから、それも、驚きです。なぜ、それに気がついたかというと、私の猫が毎日、「お母さん、庭に出て遊ぼう」と誘うからでした。で、ちょっと寄り道ですが、その事をも、先にお話しないといけません。私は家の中では、緊迫して仕事をしているので、猫も遠慮をしています。でも、庭仕事の時は手は草むしりをしていても、心は100%、猫の方を向いて相手をしてやるものですから、それに味を占めて、午後は、一回、『庭へ行こう』と彼女の方から私を誘うのです。で、庭で、遊んでやっていると、安野家で、前田家のお孫さんと、全体が、五人で大騒ぎをしていることに気がつきました。夏休みのことです。前田家のお嫁さんも一緒らしい様子でした。
でね、「さようなら、またね」と言う派手な挨拶が交わされた後で、三人の小さなお孫さんと、大人二人が、我が家前を通りました。すると、我が家の門近くで、前田夫人が記念写真を撮りはじめました。
これが、私にとっては、一種の挑発であり、非常に嫌なことなのです。場所が例の問題のアジサイ畑です。それが、コンクリートで埋め立てられていて、崖が、湾曲するほどの被害を与えられている場所です。しかも前田夫人は、この日だけではなく、お正月に羽根突きをするなど、孫を使って、ありと、あらゆる意味で、挑発を仕掛けて来る人です。つまり正当に私道部分を出していない分だけ、南側に突き出した庭は広いので、それを全山中に誇示して、かつ、その正当性を主張しているわけです。
ここで、ちょっと説明を繰り返します。我が家のアジサイ畑を盗まれてしまったのは、前田・安野夫人たちが、大声で、井戸端会議をしているのに怒った、藤本夫人が、『雪の日に、滑って骨折をした人が、訴訟をすると困るから、真ん中にフェンスを作る』と主張したのを、それを避けるための犠牲的措置でした。藤本夫人がそんな驚くべき提案をしたのは、前田夫人宅が、正式な私道部分を拠出していないことに、目をつけたのです。声が大きいといって責めるよりも、そちらを盾にした方が、法律的に、力があると、藤本夫人は考えたのです。私は前田夫人の犠牲に成ってあげたのに、いじめられるわけですから、こんな不当な事は無いです。
なし崩し政策の一環として、ご主人がペンキ塗りお当番を設定したのも、すでに述べていますが、・・・・・今、我が家の門前で、記念撮影をするというのも、その場所の、正当化に役立てようとしているのは、見え見えなのです。だから、結果として孫まで諜略活動に役立て様としているわけです。これが、2008年のことでしたが、この2010年にもさらに二回もひどいことをされています。
私は、安野夫人の方は、すでに、心の中から捨てています。『しょうがない人だ』で終わりです。でも、前田夫人の場合は実の子です。しかも彼女夫妻は、上昇志向が強くて、子どもさんを二人とも大学教授にするつもりです。日大と明大のね。だったら『もう少し、頭を使ってください』といいたいのです。もちろん、心も使って欲しいが『そちらの方は、無理かなあ』と思っています。でね、頭を使えば、どういう風にするのが一番良いかは、おのずと分かるはずで、その午後のように、挑発をし掛けてくるのは、無残で残酷なことなのです。被害者側が、ただ、ひたすら25年間も我慢をしてきて、何も訴えていないし、責めていないのですから、穏便に普通の生活を続けて、それで、なし崩しにしていくのならかまわないのですが、そうじゃあなくて、ことさらに悪意ある挑発を繰り返すので、怒るのです。
アスベストを口実にして、実際には古い管を取り出さなかった上水道工事をはじめ、その次の石段改修工事(これもまた大問題で、後日詳述します)、藤本夫人のニセの境界石の測量と、ありと、あらゆる手立てを尽くして、敵は攻めてきます。つまり、この件の後ろには瀬島龍三と、その手下の井上ひさし、伊藤玄二郎が控えているから、際限もない諜報活動が仕掛けられてくるのです。だけど、実行をするのは、前田夫妻を頂点とする町内会です。で、個人にその責任は帰せられます。そこを私は問うているのです。あなた方、こんなに偏った無残な事をしていてよいのですか? と、問うているのです。特に孫まで使ってと、問うているのです。
結果は、もうでています。この三月に八幡宮の大銀杏が倒れましたね。天はすべてをご覧になっています。無残な仕打ちを他人に仕掛ければ、結局は自分に返ってきます。
でも、そこへ一気に到達しないで、その記念撮影の当日に戻りましょう。前田夫人の目が釣りあがっているのを見て、私が引っ越してきたばかり最初期の、1985年ごろ、主婦たちが必死になって、上下関係を確かめあっているのを思い出しました。そう言う風に、上下関係を構築したがるのは、ヒステリー性格の典型だと思っていましたが、その日の、前田夫人の目の釣りあがり様は、まさに、それを示していました。
で、私はお嫁さんに向かいました。お嫁さんは、お姑さんより、はるかに温和な感じの女性で、心身ともに健康だと感じました。だけど、そちらを説得し切れるかの、自信は、私にはありません。だって、大切な義母と喧嘩をしている人に対して、お嫁さんが、心を開けるでしょうか? そんな事はありえないことぐらい私にだって、分かっています。で、一種のテクニックとして、「あなた、日大・農・獣にいる人のお嫁さん」と話しかけたのです。注目を私に、ひきつけるためです。
これが、ものすごく、前田夫人の心象を害したらしくて、冒頭の農学部が生物環境学部に変更する案が出て、国費を使って、実行をされたわけです。
でね、何故、心証を害したかと言うと、彼女は、お子さんを東大の医学部へ入れたがっていたのです。だから、それとは異なるブランド名を、突きつけられたので怒ったのでしょう。
ところで、ここで、お断りをしておきたいのは、日大・農獣という学部名を知ったのが、わが子からではないということです。ご近所様でもない。また、御成中学時代のママ友でもありません。子どもたちとは、年齢が異なる男の人(しかし、父親世代ではない)から聞きました。それほど、前田家が、どこへ子どもを進学させるかが、鎌倉中で注目をされていたということです。どうして、そうなるかを、思い出から解説しましょう。
あれは、1985年でした。御成中学の講堂で、PTA総会が開かれたのです。そのときにフロアーから一人だけ、挙手、起立して、堂々と意見を述べたのが前田夫人です。
私は驚いたし、腹も立ちました。未来予測が利く私は、アジサイ畑欺もう事件が将来、大変なことになるのを知覚していました。だから、それの原因を担った彼女が、あたかも一点の曇りも無いかのごとく、威張りかえって、意見を発表することに仰天したのです。
この種の、自信を彼女に与えたのが、八幡宮様推薦の、國學院大學講師、就職だったとしたら、八幡宮様の大銀杏も倒れて、むべなるかなと思います。ともかく、そこに集っていた、500人ぐらいのご父兄のうち、彼女の家、および、彼女自身がトップクラスの人材だったとはとても言えませんでした。これを言うのは、ある種の弊害がありますが、1960年代に大学院、特に、日本の大学院に入るのは、別にエリートであることの証明ではありません。なんとなく、四年で卒業できないマイナスの条件がある人が、大学院へ逃れたと言う側面もあったのです。
新卒で大企業に就職する。または、中央官庁に就職するのが、一流の人材である証だった時代なのです。威張りかえらなければ、別にそこまでは言いません。だけど、彼女を見ていると、常に感じるのは、『雌鳥(めんどり)時を告げて、国滅ぶ』と言う中国発の箴言です、けたたましい。だけど、周りに、幸せ感をもたらさず、『ああ嫌だ』と言う雰囲気をばら撒くのです。
『まあ、いいでしょう』と、私は自分に言い聞かせました。『ここは、PTAの世界だから、子どもに直結していますね。だから、あなたは、坊ちゃんが、超が付くほど優秀で、ここに集うご父兄の、すべての子どもより、上である』と信じているのですね。じゃあ、東大医学部へご進学なさるのですね。待っていましょう』と、思いました。
被害を与えられてなければ、そこまでは思いません。そして、問題のある場所で写真をわざと撮るという挑発行為が無ければ、何も昔のことを蒸し返しません。だけど、すさまじいレベルで、挑発を繰り返す、彼女に対しては、はらわたが煮えくり返るほどの怒りをもっています。
でもね、被害を与えられた私だけではなくて、鎌倉中から、坊ちゃんが注目をされることと成ったでしょう。中学期にでしゃばる母の子はほとんどが、予測より低くなるのは、ここへ転入以前から、実体験として知っていました。『あの、けたたましかった前田夫人のお坊ちゃんって、どこへ入学したの?』とみんなが注目したはずです。だから、私の耳にも坊ちゃんが、日大・農獣医学部へ進学をされた事が入ってきたのです。子供とも、母親仲間とも違うところから。それほど、有名なのですよ。ある意味で。井上さんの坊ちゃんについては一切入ってこないのに。
この坊ちゃん側のお孫さんが、それ以降も何度も何度も諜報活動に利用されることとなります。
しかし、その苦しみの中で、良いことにも恵まれました。圧倒的な正確さとして、井上ひさしが、国際的軍産共同体の手先である事が確認できたからです。それは、鎌倉防犯協会の放送が、一つの証拠となりました。鎌倉に住んでいることの利点でした。それは別の機会に詳述します。が、今日はパンツが盗まれる話へ入って行きましょう。一昨日、未完成のブログをお読みになった方は、そのタイトルに『パンツが盗まれる話』と言う部分が12時間以上公開されていたのをご存知でしょう。しかし、一万字・字数制限に引っかかって一昨日には、それを、述べておりません。
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外に干してあるのではありません。部屋の中の引き出しに入っているものを、盗まれるのです。または、別の場所に移動をさせられています。ともかく、『それを見た』と言う事が脅迫に役立つと考えられているのでしょう。
その引き出しには意味があります。実は、泥棒があまりに頻繁に入るので、そして、非常に貴重な資料を盗んでいくので、『まさか、ここには書類が入っているとは、気がつくまい』と思って、2007年か、8年に、その引き出しにA4の封筒に入った、本一冊分の原稿を256枚を隠した事があるのです。が、やっぱり盗まれました。
どうして、そこに隠したかというと、プリンターが壊されるので、外でプリントアウトをして持ち返ってきたものが貴重なのです。2560円かかっていますので。それに何回も編集作業をしますので、何組も要るのです。で、大切だから、事務用品が入っているとは思われない場所にそれを、隠したのです。が、それでも、探されて盗まれました。それ以来、そのパンツの入っている引き出しは、一種の鬼門となっていて、敵方が、しょっちゅう狙うところとなっています。
でね、私はもう、そこには重要な書類は隠していません。でも、敵方がしつこく、脅しのために、そこを狙い、脅迫の効果をあげるためでしょうが、パンツを盗んでいくのです。または、主人の引き出しに移動をしたりして、夫婦喧嘩の種を作っていきます。もし、私が「パンツが盗まれた」といえば、「ほら、あったよ。お前が間違えて入れたんじゃあ、ないか」と主人が言います。これも、『夫婦喧嘩を起こさせて、あわよくば離婚にでも至れば、彼女は弱くなるはずだ』と言う論理に、かなう作戦でしょう。
で、こんなことまで告白すれば、この文章全体が、非常に品が悪く聞こえるでしょう。だから、鶴岡八幡宮を論じる、昨日の文章にこれが入らないことと成ったのは、天のおぼめしだったかもしれません。結果として、敵の狙い通り、読者数が減るかもしれません。特に政治的な問題を論じていて、自分のブログが、ルース大使の長崎訪問を招いたとさえ、思っている同じ時期に、『パンツが盗まれた話』をしては、笑い話にもならないところです。
でもね。もっとひどいことさえ、想像しています。たとえば、ご近所の誰かが、無許可で作られた合鍵を渡されていて、私が外出した途端に、留守にパンツを見に、入っているとさえ。だって、町内会副会長(安野夫妻)が、別の家(浅野家)のお嬢さんの携帯を利用して、私の頭に水をぶっ掛けようとして・・・(それは、実際には不成功だったのですが、お嬢さんが、不成功だとお母さんにいえなかったみたいで)・・・、成功として、山中に伝わり、結果、町内会長(前田)夫人が大喜びをして、その下品さを、ご主人からたしなめられたというのは、あまりにも人を馬鹿にしていませんか。それは、きっと留守にパンツまで見ていて、しみがついていたとか、安いものだったとか、まで、見ていて、それを山中の笑い話にしているから、そこまでの、ひどいことをできるのではないでしょうか?
それから、留守中に、20個ぐらいある額の左側だけが、3センチぐらい下がっているときが多くありますが、それも、別の人へ鍵を渡されていて、そちらがやっているのではないかと、感じています。複数の人が留守中に侵入している可能性を感じます。それが三年間も続いていますから、いろいろ推察します。
この山に来ていただければ、すぐわかりますが、あじさい畑欺もう事件は単なる、泥棒でしかないのです。だから、連中は追い詰められていて、ここまでのことをすると、考えると、すべてのつじつまがあってきます。解決の最初の鍵を、中谷氏が掛け間違えています。もしかしたら、瀬島隆三の教唆でそうなってしまった、のかもしれません。ともかく、すごい話でしょう。本当にすごい話です。もっとひどいこともあるのです。それは、徐々にお話をしていきましょう。
私はパンツまでご近所に見られているという、そこまでの、覚悟をして生きています。そして、それを踏まえて発言を繰り返しています。分担して進入している可能性はあります。そのぐらいしたいぐらい、自分たちの失敗が大きくて取り返しがつかないのです。ともかく、何をやってもいいから、追い出したいのでしょう。
そして、女たちの、すさまじいそれらの悪意が、国家的な規模で、伊藤玄二郎によって、サポートをされています。
どうしてかといえば、あじさい畑欺もう事件が、真に追求されれば、芋づる式に恥多い人が出てくるからです。もしかしたら、警察さえも、盗人扱いせねばならない地点が来るかも知れません。それゆえに、私をここから、追い出したい。そして、明瞭な泥棒の証拠を、次の入居者をまた、だまし加減で説得して、消していく。または、一時期不動産会社が預かって、その間に消し去ってしまう。それが目的で、今現在の、あらゆる非人間的な措置が取られている。
そう考えると、あたりと思えることはいっぱいあります。
もちろん最初期はプロでした。重要な資料が盗まれました。特に私の育ちがよいことを証明する写真類が盗まれました。驚きました。満州からの、引き上げ者なので、写真館に原版が残っているというわけでもないので、それらは超がつくほど貴重です。『でも、父は絵がうまくて、新聞の7紙以上の文化面に載ったはずなので、その切抜きが盗まれても、国立国会図書館に行ってコピーをすればとればよい』と思っていたら、なんと、文化面だけマイクロフィル化をされていないのです。
これは、瀬島隆三の悪意ある発案でしょう。時期的に、新聞にマイクロフィルム化のニュースが載ったころを考えるとと、瀬島隆三の頭が、ぴんぴんしていた時代です。怒りに震えます。パンツの方は、そういうことをする手合いを馬鹿にしていおけば、いいです。プロの泥棒にしても、どうせ、警察か、国際的軍産共同体か、革○か、瀬島機関ですから、そういう連中はひどいのだと、はっきり見極めをつければよいのです。
だけど、父に関する資料は回復不可能です。アメリカの図書館に当時の満州の新聞がとってあるかなあ?
そして、ご近所に鍵を渡されていたら、これは、精神的に参らせるのに、これほどの屈辱はないと、いうことです。でも、私のホーム頁に、下品きわまりないトラックバックが引っ付いたりして、それは往年、小泉さんに向けられた、からかいとそっくりです。小沢氏を王様として祭り上げるべく、佐高信たちが作っていたものです。ともかく、背後に隠れいている敵が下品極まりない発想を持っているのはわかっています。それに気がつかなかったわけでもないのです。あまりにもいじめが下品で恐ろしい類なので、すでに、そこまでの背景を、気がついてもいたのです。
その上で、考えるわけです。どうして、これほどの悪が平気で行われているのかと。そうなると、過去私が書いたように、『国際的軍産共同体が、日本人から莫大なお金を、巻き上げていて、それを、知っている存在を、どうにかして消して行きたいと思っている』とすると、道理が通るのです。もちろんのこと、私にとっても、ここまで言うのは本当に疲れます。
ただ、その覚悟を持って分析し、結果、酒井さんが日本社会に、悪いことをしていれば、どんなに偉かろうが、書きます。石塚さんが悪いことをしていれば、どんなに偉かろうが、はっきりと分析をさせていただきます。酒井さんと、石塚さんがホワイトカラーであろうとも、同じ組織のブルーカラーは、我が家のパンツを盗むのですから。
今日の文章を読んで下さった皆様には『大学とか、学部名の、ブランド志向が強すぎるよ。古いよ』といわれてしまうかもしれません。でも、嫌われてもかまいません。これほどのいじめ(=迫害)を受けている身では、捨て身で、なにもかもお話をする以外に生きる道はないのです。
たまたま、4日(日)の日経新聞朝刊文化面に国際ペンクラブの報告記事が載っていて、『言論の自由を守る、云々』と出ていましたが、こと、私に限っては、まったくそれは叶えられていないのです。
では、2010年10月6日、実質的な送信時刻は午前三時、雨宮舜