今はちょっとびっくりしています。本日は、24時間程度メモが、公開されていました。
つまり、これは、私のミスかもしれませんが、一応、メルマガ以来、3000本以上のエッセイを配信している私は、そういうミスはおこなわないはずの人間なので、以下においた文章がいかに、重要なものだったかを証明していると感じます。それを読者に見せない仕組みが、メモを公開するという仕組みかな?
以下は初稿で、書いた後で変更しないといけないこともありました。たとえば朝日の企業メセナさんは、辞めていると下に書いてあります。ところが、今古いファックスが、見つかって、確かに、2005年、6月に「止めました。またの機会によろしくと」も、書いてあるのです。手書きで、「お世話になりました」とも添え書きがあってね。
しかし、そのロゴマークを見ると、今でもご活躍みたいでフェイスブックの会員です。そして、私は、そのファックスにあるロゴマークを見るまで、同じグループだとも気が付かないで、フェイスブック紙上の友達にすでになっています。でね、「中身を、さらに、さまざまに書き足さないといけない」と、なりました。
私の方は膨大なエピソードから読み取ったことを、さらに抽出して、ここに書いているわけですが、全部を書けないところがあって、やや乱暴に締めくくっているところがあります。で、一般の方にとっては、ちんぷんかんぷんのところもあると思いますが、ここは、天に向かって書いているところなので、わからないところがあっても、ご容赦くださいませ。
特に、渡辺幸子さんなんていう登場人物は、人間としては、面白味のない人です。それは、新制作や、神奈川女流、および、鎌倉芸術家協会などに、所属をしている人は、よくわかっておられるでしょう。だから、文章が生き生きしません。で、後回しに自然になってしまう。
だけど、こういう人こそ、原発反対が、50%を超えたら、突然に、「私、ずっと前から反対ざあましたんす、よ』と言って、突然に、リーダーシップをとる人なのです。いいとこどりをする人です。それは、予言をしておきます。
で、今の段階では、この文章自体が、素案も素案だと、言わせてくださいませ。
でもいつも、そうであるように、素案の段階の方が面白いエピソードがいっぱいなのですよ。後では、枝はらいをしてしまいますから。
副題1、『先週末は、デモは、無かったかな?』
副題2、『石塚雅彦氏、とうとう、姿を現すか?』
副題3、『産経新聞を、孤立化させようとする、新たにす』
副題4、『まず、毎日新聞が、つぶされた』
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副題1、『先週末は、デモは、無かったかな?』
11日、19日と、行われたという原発反対デモは、今回の週末、10月1日と、2日には、おこなわれたのでしょうか。私は、デモをやっても、原発は廃棄にはならず、それよりも永田町で、しっかりした議員を、立派に国民が育てる方が、効果があるような気がします。
日曜日の、グージャパン(=OCNジャパン)では、小沢一郎氏が、自由報道協会のインタビューに応じたと出ていました。これは、私が風邪をひいて先週は銀座にもいきませんでした。「銀座にはいかない」ということを、フェイスブックでも、電話でも表明していましたので、その鬼のいぬまの洗濯だっただろうと感じています。この2年間、小沢氏に関する重要な発表は、必ず、月曜日と木曜日に行われています。同じく、大相撲・壊滅作戦(=例の野球賭博とか、八百長疑惑のこと)に関する発表も必ず、月曜日と木曜日に行われています。
特に状況がひっ迫した時点では、土曜日でも、記者会見を行っていますが、それは、必ず、私が外出しているときでした。あのころは、母の見舞いもせねばならず、私にとっては、本当にひっ迫した時期でしたが、不思議と、体力も気力も充実していたものです。
で、すぐ対応して、必死になって文章を書いたものです。
あの大騒ぎが、ことっと終ったのは、東スポが、『あれは、どうも、国際政治とか、テロとかが関係しているらしい』と書いてくれたせいです。
つまり、伊藤玄二郎氏という人間が、国際的軍産共同体のエージェント化しているのですが、その権力が莫大に大きいことが、あらわれたのが、あのお相撲の大騒ぎです。そして、彼は、一人でそれを、行うのではなくて、二人で、組んで、おこなうのですが、アイデアを考え出すもう一人の存在、井上ひさし氏(まだ、生存中で、地下潜航していると、私は考えています)の二人が、作り出した現象です。目的は、単に私を悲しませ、文章を書けなくするために、作った(というのも、八百長も、野球賭博も常に、行われていたのでしょうが、どうして、あの時点で、あれほど、大騒ぎになったかと言えば、その用途のために、警察庁に頼んで事件化してもらったわけです)
単なる策略にすぎないのです。
どうして、その時点で、そういう策略を起こす必要があったかというと、そのころ、私は、いよいよ、酒井忠康氏が、私に対して何(いじめと嫌がらせと弾圧)をやってるかを書き始めていたところだったから、伊藤玄二郎氏は、大慌てになってしまったのです。
伊藤玄二郎という人は人たらしの天才で、鎌倉にオフィスを構えていることを、好縁として、鎌倉文化人をすべて、支配下に置いています。が、表面上というか、名目上は酒井忠康氏の方が社会的なランクは高いのです。でも、伊藤玄二郎氏が、上の存在として、巻き込んだり教唆した部分も、ある程度以上にあります。それは、ばれるはずがないと思ってやったと思いますし、ばれても、私(=雨宮舜)が書くはずはなく、書けば、さらに、弾圧できると考えて、酒井忠康氏は、使役をされていて、大きく動いています。
が、私はあまりに、自分の被害が大きいので、『パンドラの箱が空いた』とか、『清水の舞台から飛び降りる』と宣言して、思い切って、どんどんと、真実を書き始めています。それは、お馬鹿さんな、ご近所様がひどいことをするから、我慢強い私もさすがに、限界に達して、はっきりと書き始めたのです。
でも、伊藤玄二郎氏が、『その人について書いてもらうと、一番、困る』と、思っているのが、酒井忠康氏でしょう。
ほかに医師会のニュースを発行するという形で、鎌倉の医師会にとり入っていますが、その縁で、神奈川県の医師会にも取り入り、全国の医師会にもとり入っています。今は詳しいことは言いませんが、二〇〇九年の二月ごろ、特にクリントン国務長官が来日したころ、鎌倉で、産婦人科関係の何か新しい施設ができたというニュースが全国版になりましたが、それも、そういう手配の結果でしょう。
で、勝った、勝ったと、大騒ぎなのです。どうして彼が私に勝つ必要があるかというと、彼の昔の愛人だったと、自称する石川和子女史と、その現在の夫である柳沢昇氏が警官をぱしりとして使って、とんでもないことをやったから、それの防衛に必死なのです。彼ら二人が、やったことは、青天白日の下には出せないくらい、めちゃくちゃなことなのですが、それを、闇に葬っておきたいと、次から次へと、悪いアイデアを出してくるわけです。
が、私が絶対に負けないわけです。それらの、陰謀の、裏を、次から次へと解剖してしまうでしょう。今、柄谷さんについて話そうとしているのも、その路線なわけですが。
(ということは、伊藤滋氏や、奥島孝康氏が使われたように、文学の関係があるか、
朝日新聞に関係があるかのどちらかの、人材が、使者として、使われています。
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副題2、『石塚雅彦氏、とうとう、姿を現すか?』
柄谷氏については、私が何を書いても、『そんなの、関係ねいよ。お前の思い過ごしだよ』と突っぱねるつもりでしょうが、柄谷氏が、九月一九日に、外人記者クラブの緑の緞帳の前で、鵜飼氏と、あと一人と一緒に記者会見を行ったと聞き、『おや、おや、円環がつながりましたね』と思っている次第です。鵜飼氏とは、国際基督教大学の学長だった信成氏の縁者でしょう。お子さんか、甥でしょう。と、なると、・・・・・
いや、書きにくいことは、おびただしいが、ICUの先輩石塚雅彦氏が、外人記者クラブの理事です。昔、幹事長(=理事長)? だったこともあるから、ここで、
石塚雅彦、酒井忠康氏のふたりが、グッと、緊密に、円環の輪をつなげたといえます。前は、渡辺幸子さん
・・・・・(ICU出身の画家で、酒井忠康氏の、推薦で青木繁大賞をとった。石塚雅彦氏や、私を含むグループ展の仲間だった。が、激しい嫉妬心を、望月画廊のロビーで私に対して見せた人である。それは、私が100号を初めて出品した季節に突然に起きたことだった。渡辺幸子さんとは、子供じみたレベルで、上下関係を信じており、他人が、何か、優れているところを見せるのは、絶対に許せない人なのである。そのあとで、彼女の私に対するいじめがひどすぎるので、私がグループ展を降りた。彼女は、青木繁大賞の賞金100万円を使ったのか、ご自分のお金を使ったのかは知らないが、ガレリア・グラフィカで個展をした。が、その縁で、私の悪口を栗田玲子さんにさんざん言ったらしい。栗田玲子さんが、私に、直接それを教えてくれたので、わかっているのだが。なんと、私と栗田さんは、夜の10時半に鎌倉駅のトイレ内で、出会ったのだ。こういう点が、神様が存在するという点である。そのトイレ内で、伊藤玄二郎が、裏でどういう動きをしているかがすべてわかったのだから)・・・・・
のラインだけだったが、柄谷行人氏のラインが、ここに加わったので、大きく、サポートされました。
ここで、言わずもがなの、ことですが、渡辺幸子さんの青木繁大賞展の大賞受賞は、『川崎千恵子と、渡辺幸子は、喧嘩しているから、渡辺幸子に、賞を上げれば、川崎千恵子は、がっかりして、うつ病になるよ』と思われたからでしょう。特に、酒井忠康氏は、その前年、朝日新聞のメセナに応募した私が、企画もよいし、推薦人も大物だから、これを、拒否することはできないと思ったらしくて、朝日新聞のメセナそのものを、
つぶしてしまいました。
ここが、6年後につぶれていないことが分かったので、びっくりです。こういうところも天の助けでしょう。探してもいないのに、企業メセナさんから送られてきたファックスが寝室で、目の前に転がっているのを見つけるのですから。
ですから、二〇〇五年から、二〇〇八年にかけては、公的に情報が外へ出た件だけでも、二重の意地悪をしたわけです。情報が外へ出ない部分でも、ものすごい意地悪をされています。『おお、竹谷画廊!』とここで言っておきましょう。詳細はいつか将来に書きます。そのほかに、恐るべきことをおやりになっていますよ。本当に恐るべきことをおやりになっています。だから、八幡宮の大銀杏は、そのラインからも倒れたのです。だって、せっかく充実して生きていた、神奈川県立近代美術館、旧本館を、つぶしてしまったでしょう。それも、実質的に、とりおこなったのは酒井先生でしょう。理由はわたくしの家から、二分で行かれるからです。直線距離にしたら、一〇〇メートルも離れていない。だから、つぶしたのです。もし、そこが将来性のないほどの、狭さなら、今、八幡宮の、駐車場になっている土地をお買いになったらよかったのです。ただ、それは、我が家のそれこそ二、地境であり、より、私と、美術館の関係が強まるので、ありえないケースとなり、葉病移動したのでした。が、それで、葉山は、お金持ちが遊興を兼ねていくところとなり、お若い方へ勉強をさせる場所ではなくなったのです。
その方が見る人にとっても、ずっと便利だったし、近代美術館としても、より本質をかなえているでしょう。
ともかく、伊藤玄二郎氏と、井上ひさし、氏は、二人して、ありと、あらゆる人脈を通じて、私を脅かしきっているのだけれど、誰が使われても、私は参らないわけです。ご近所様、主婦たち、銀座の画廊のオーナーたち、そして、同窓会関係、ありとあらゆる、人間を使っていじめても、私が参らないので、少し遠くの権威を利用したのです。それが、伊藤滋氏、(有名な文筆家、伊藤整氏の息子)とか、柄谷行人氏です。
今、問題なのは、デモです。だけど、柄谷氏と、その言葉で動いたデモの参加者はまだいいのです。
ご自分の意思で参加しているし、デモは一過性のものですからね。ただ、あなたが誠実だと、そこで、あぶりだされて、それ以降一生、苦しみが付いて回るので、参加をおやめなさいといったわけです。
それに反して、気の毒なのは相撲の関係者です、壊滅的な打撃を受けたでしょう。本当に気の毒です。
東スポが、どこからか、耳に入った、この悪さの仕組みを、書けるだけの内容で書いてくれて助かりましたが、そのあとで、中日新聞は経済封鎖を受けたらしいです。
だから、この伊藤玄二郎氏と、井上ひさし氏、の二人が、どれほどの、悪人であるかが、皆様にもお分かりになるでしょう。そして、その第一原因となった石川和子+柳沢昇の、夫婦もどれだけの、迷惑人間だか?
琴光喜は、私のお家をお尋ねになりなさい。説明をしてあげます。何がこの山で起きたかを。「その、とばっちりを、あなたは、受けているのですよ」と説明をしてあげます。
だから、柄谷行人氏が、どんなに立派なことを言っても、大本で、氏を引っ張り出した連中が、国際的軍産共同体のエージェントなのですから、その原発反対のデモに、どれほどの、人数が集まろうとも、そのデモで、原発が廃棄されることはないと、断言をしておきます。だって、マッチを擦っている連中が『
一部だけを、消火しておこうよ』
となると、これは、風が吹けば、桶屋が儲かるの論理の、超絶的な敷衍ですが、敵(核燃料を売りつけている国際的軍産共同体と、その手下たち)が、私の意見に反対したいから、原発反対デモを有効かさせることも起きるでしょう。その結果、原発が廃止されることが起きるかもしれません。そうしたら、勿怪の幸いです。
かれらが、この私の言葉を、どう判断し、これから、どう動くか、丁寧に観察して行きましょう。もし、本当に原発をやめさせるのなら、19日に6万人、代々木公園に集まったそうですから、今度は、代々木+日比谷野外音楽堂近辺の二つほかで、10~50万人規模のデモを、先週の週末(10月1日と2日)に執り行わないといけなかったでしょう。戦略とはそういうものです。力を誇示するのなら、畳み掛けないといけない。だけど、デモはなかったみたいですね。「ほら、見たことか。あれは、単なるガス抜きだったのですよ」と、私の方が、いうことになります。
そして、この柄谷氏の、外人記者クラブでの、記者会見で、「あらたにす」という日経新聞と、朝日新聞と、読売新聞が共同して開いた電子ニュースのサイト、(今のところ、社説を並列しているだけみたいだけど)を、作りだしたのが、主に、石塚氏を中心とする、国際基督教大学卒グループの、記者さんたちだったと推定しています。それは、ずっと前から、そう想像をしていましたが、さらに、確信へとつながりました。
石塚氏は、私にとっては、小学校の先輩でもあり、アート部の先輩でもあり、自由に電話をご自宅にかけられる人材だったのに、渡辺幸子さんの青木繁大賞受賞近辺から、突然に、ご自宅の電話が反応をしなくなりました。でもね、もしかしたら、私の勘違いかもしれないと思って、半年に一回ぐらいかけてみています。2か月に一度では、ストーカーだと思われるから。その理由は、今ここに書いているような、ことを、無断で書きたくないからです。断って、きちんと考えを聞いてから、書きたいと思っていますから。だが、電話も反応をしないし、個人的にメールを送っても・・・(メルアドはグループ展で一緒だったころ、教えてもらっている)・・・反応もないし。
特に、思い切って、ここまで書いてしまうのは、フェイスブック紙上で、忌わしいことがいっぱいあるのですが、その一つに、ICU関係が、おかしいということがあります。どうも、普通じゃあないです。
石塚雅彦さんも、私が友達の申し込みができない様にしていらっしゃるけれど、それ以上に、変なのは、経歴に、卒業大学として、ICUを書いていないことです。その後、学んだコロンビア大学は、書いてあるが、日本での卒業大学が書いていない。日経新聞に入社した後だと、感じています。コロンビア大学に学んだのは。これは、とても、変です。だって、ICUで学んだから日経にも入社できたし、コロンビア大学へ留学もさせてもらったのです。しかも、彼は、同窓会長もしているのですよ。それなのに、出身大学を無視したり削除したりしてはいけない。
奥様はとてもきれいで優しい人です。『そんなに、優しくて、普通の人である奥様がいるのに、フェイスブック紙上で、私が、直面したいろいろな、嫌なこと(または、おそろしいこと)を、石塚さんが、命令したり、アイデアを出したりしてはいないでしょうね』と、問いたいぐらい、変なことがいっぱいあります。だって、石塚さんが、私の同期生の古村浩三さんとは、友達なのに、どうして、私には、申し込みもできない形にしていらっしゃるのかしら?
小学校もダブっていて、アートクラブも、ダブっているだから、三重にダブっている(いや、トリプっている)私が、どうして、石塚さんに、友達をリクエスト出せないのですか?
いや、古村さんの方は、ラグビーがダブっていて、寮がダブっていて、やはり、トリプっているのかもしれません。だけど、同じくとりぷっているのなら、資格としては平等でしょう。どうして差がついているのですか?
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これは、10月2日まではそうだったのです。でも、10月4日の午前中には友達が申し込める形に変更になっておりましたが、もう後の祭りですね。
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2日までの現象を、きちんと考えると、
酒井忠康氏などと一緒になって、私を、いじめていることの延長で、フェイスブック紙上でも、私への、いじめを、やっているのではないですか? だから、友達リクエストを拒否しているのではないですか? と、言わざるを得なくなります。
私ね。渡辺幸子さんが、盛んに私を、いじめている時期に、銀座の路上で石塚さんに、出会ったことが、あります。そうしたら、彼がにやにやしていたから、変だなあと思いました。一種、言うに言われない笑いだから。そこから考えて、『石塚さんって、もしかしたら、ベイカーさんとか、ロックフェラー氏とかから、変な情報をとり組んでいらっしゃるのではないかな? それは、ずっと前からかな?』とも思ったものですよ。だって、同窓の下級生に対して、あの・にやにや・笑顔はおかしい。
となるとベイカーさんと、私の間にある真実も書かないとだめですね。
ベイカーさんは、私の首を絞めて殺そうとしたのですよ。それが、どうしてかというと、「僕、三鷹警察署長と友達だから、なんとか、かんとか」と、彼が言ったから、私が目を丸くしてしまったからです。だって、金髪碧眼のアメリカ人の留学生が、どうして、三鷹警察署長と親しいのですか?
変でしょう。で、ベイカーさんは、『CIAである、自分のすがたがばれちゃった。失敗しちゃった』と思って、私を殺そうとしたのですよ。ベイカーさんの一年か、二年上にロックフェラー氏が、留学してきているから、石塚さんは、寮か何かで、ロックフェラー氏と一種の竹馬の友となっていて、心底から、軍産共同体のエージェント化している可能性もあります。特別なレベルの、エージェント。井上ひさし氏なんかとは別格のエージェント。
まあ、石塚さんという人は、この現代日本の、右肩上がりの経済成長時代を、うまく乗り切って、論説委員で日経新聞を退社して、早稲田の法科大学院の教授となった人です。出世、出世、最高の出世人生です。そして、洋服やばっぐなどは、常に、高価なものを身にまとっている、ものすごいおしゃれな人です。そして、私が何を書いても、フンと、鼻であしらって、せせら笑っている人でしょう。でも、20年ぐらい以上前の同窓会では、『僕は日経新聞に入りたてのころは、最終面の絵のコラムを担当していたのですよ』と教えてくれたのに、6年ぐらい前にそれを確認のために、聞いたときは、「違います」と言っていたでしょう。あれも変です。
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副題3、『産経新聞を、孤立化させようとする、新たにす・・・・前半』
上にちらっと触れていますが、読売新聞、日経新聞、朝日新聞の三社が、共同で、作りだした『新たにす』というサイトは、石塚さんが音頭をとって、作ったと感じています。それは、それが、できたことが大宣伝をされた当時から、感じていましたが、なかなか、書けなかったのです。石塚雅彦氏が、私にとっての、100%の、敵であろうが、同窓会が、関係しているから、書きにくいことおびただしかったのです。
人間って、どこかでつながっているでしょう。だから、書きにくいです。で、いつも、『これでも、30%しか書いていません』と、言っています。石塚氏についてもそうなのです。これでも、30%なのです。私がわかっている私の被害のうち、石塚氏が発信もとだと思われるもののうちの、まだ、30%程度なのです。
これ以上、もっと、すごいことをおやりになっていると思うが、小出しにします。全部を、いっぺんには、出しません。
さて文章を復讐のために使ってはいけませんね。それは、自分自身に刺さる新たな刃となるでしょう。だから、この文章にも、社会的な意義がないとだめです。
最近の私は、できるだけ、NHKニュースを見聞するようにしています。2009年のクリントン長官の来日の時以来、そこが激しく、サインのやり取りの場として、使われるようになっています。つまり、お前の書いたことを、「ここで、やっつけてやる。否定してやる」という場になっています。飯館村が「わがまますぎる」と六月ごろかな、書いたら、飯館村の村長は、福島県一、露出が、大きい・くびちょう・となりました。福島県知事とどっちこっちのレベルで、露出しています。
「宮城県知事は、松本龍大臣を、貶めるために、隠しカメラを、ソファーの間に設置した。理由は、菅内閣を弱体化させ、退陣させるためである」と書いたら、直後は効果がありましたが、やがて、菅首相は退任に追い込まれました。そして、宮城県知事は、ポイントポイントで、露出をするようになりました。私一人の力は、小さいです。それを嘆いていても、仕方がないからできるところまでだけ、やるだけです。
ところで、私は日経新聞と、朝日新聞をとっています。ずっと毎日新聞をとっていましたが、130段を上がる山の上なので、読者数が少ない毎日新聞は、配達してもらうのが、気の毒です。で、朝日と日経とを、同じ配達所が扱っている鎌倉では、この山でも、読者数が一番多いので、気の毒さが少ないと思って、日経新聞をとることに変えました。すると、同じ販売所で扱っている朝日新聞が、三年ぐらいかな、サービスで、ただで、くれることになりました。それをもらっているうちに宗旨替えをして、ひはんをしなくなることをよそくされていたのかもしれません。が、引き続いて、激しく批判をしたせいか、今はただでは、もらえなくなり、お金を出してとっています。
批判をするために、朝日新聞を取っているのです。特に、重要な案件で、どういう論調をとっているかを知りたくて、チェックしています。日経と朝日を比較した場合新聞はさすがにビジネスマン向けなので、それほどあざとい洗脳はしません。優秀なビジネスマンというのは、現在の日本では、最先端の情報をつかんでいるものですから、あんまり馬鹿げたことを書くと、「嘘を書いているよ」と、口コミで広まってしまうでしょう。
が、最近フェイスブックをはじめてしまって、そこに展開する情報が、より、新しくて、珍しいので、(といっても、ほとんどが、ウエブサイトで展開したニュースを、シェアという形で、紹介してもらえるという形式です)紙の新聞を読んでいる時間がなくなりました。週刊誌を読んでいる時間もなくなりました。
幸いというか、なんというか、3.11ほどの大きなニュースは少ないです。だから、けっこう、「読まなくても大丈夫かな? ウエブサイトと、テレビだけで、世の中の潮流がつかめるかな?」と思っています。
さて、酒井忠康氏をどうして、伊藤玄二郎氏が、かばいたいと思ったかですが、鎌倉知識人サークルで、ランクをつけた時に、客観的に、酒井忠康氏の方がうえだから『利用したことで、損失を与えたら大変だ。だから、かばいたい』という欲求が強いのでしょう。ばれないと思ってやったのでしょうが、『わたくしみたいに、頭の良い人間を、だまそうなんて、チャンチャラおかしい。顔を洗って出直して来なさい』です。
ただね。すぐには書かないというだけですよ。天が頭の中に、文章を下してくださるときまで書きません。だから、アジサイ畑欺罔事件など、二十三年間も非公開でした。何でも分かっているけれどすぐには書きません。じっと黙って我慢をしているだけですが、うらは、全部読めています。
鎌倉文化人の中で、他に強く利用をされているのは、間接的な側面では、コシノさん(三姉妹のうちの誰かが鎌倉の住人である・・・・・母上が、今度の朝ドラのモデルとなった)宮崎進さん、保田春彦さん(大磯住まいだが、酒井先生と親しいので、半分鎌倉びとだ)などです。
さらに間接的ですが、伊藤玄二郎氏側に、利用をされているのは、辻惟夫さん(テレビ出演が多いという形)、五百住乙人さん(各種のアート関係の催し物に露出が多い)という人々で、
対私という意味では、一切、利用を、されていないのが、養老孟司氏と、小泉淳作氏です。
この後ろの二人は、頭の構造が、ストレートというか、不器用でいらっしゃるから、複雑なことを受け付けないと思われます。つまり、私をいじめるのは、相当に、呑み込みが早いというか、なんというか、ずるさの側面においても、ある程度の、感覚が働く人でないと、なぜ、そのように行動をしないと、いけないのかが、わからないと思います。
その点において、酒井氏は、もっとも適任なのでしょう。ずっと朝日新聞の顧問をして来たのですから、いろいろな、裏側が、わかるのです。でもね、絶対に、彼女(=私)は、それを書くはずがないと思われて、酒井氏はいろいろ動いたのです。いじめるためにね。私は酒井忠康氏がかかわっている問題というか、案件で、大変な損失をこうむっています。
で、それを書かせたくないがために、種々様々なことが計画をされたのですが、日本国民にとって、もっとも大きな損失であることは、『新たにす』の創設で、産経新聞をさらに、孤立化させようというたくらみです。
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副題4、『まず、毎日新聞が、つぶされた』
日本の新聞のうち、戦後、もっとも中庸でまともだったのは、毎日新聞だと思います。が、それ故に、三つの大きな障害を負わされて、変質し、部数が少なくなり、落ち目になっています。
まず、朝日新聞が猛烈な拡販運動をして、客を奪った。
次に、西山太吉さんの件で、裁判で壊滅的にたたいた。
最後に創価学会の資本を入れた。
創価学会は、池田大作氏のところで、がっちりと、国際的軍産共同体と結びついているから、あとはどうにでもなると、みなされています。で、毎日新聞は今ではさしたる目立った攻撃は受けておりません。が、鎌倉などで、バスなどからみると、毎日新聞の支店がものすごくさびれていて、現実問題として、大変逼塞しているのは、わかってきます。
ところで、各新聞社はテレビ局を持っています。そちらが元気だと新聞がだめでも、勢いが付きます。が、TBS(=毎日新聞系列)の象徴的存在だった、みのもんた氏が、いよいよ、引退だとか?
みのもんた氏は、実家が金持ちだから無防備なのです。私は、みの氏ほどの、金持ちではないけれど、やはり親から、経済的には、支援をしてもらっている人だから、無防備な方です。でも、そういう人間も、社会の発展と浄化のためには必要なのですよ。
NHKでは、松平定知さんが、同じく実家がいいから無防備で、しっかりしたことを言ってくれました。だけど、それ故に、罠にはまりましたね。深酔いをさせられて判断が弱くなっていて、我慢のレベルが低くなっているときに、タクシーの運転手に、挑発をされて、ミスをしてしまいました。お気の毒です。
そういえば、署名記事として、現代アートの世界では、あつい支持を集めていた三田晴夫さんが、非常に似たケースで恥をかいてしまい、足をとられました。三田さんの方は電車の中です。
二人とも、大変、お気の毒だと思っています。
私が長らく毎日新聞にこだわって、それをとっていたのは、毎日新聞主催の現代アートのコンクールがあり、その情報を得たいからでした。
その美術のコンクールは、私の実家のご近所様の水谷さんというオジサマが、音楽コンクールとともに、ご自分の奔走で作ったのです。が、ここも酒井忠康氏が、からんで、つぶされてしまいました。本当に恥ずかしくないのだろうかと思うほどです。信念が、まるで、ないです。
しかもつぶす前は、さんざんにご自分がいい思いをしていらっしゃるのですよ。というのは、コンクールって座して、新人発掘ができるのです。審査員として、謝礼をもらった上で、さらに、これから、自分が将来ともに、お礼をもらえる、カモを目の前に差し出される形となります。まあ、ずいぶん下品ないい方になりますが、実態はそうです。批評文を書いてあげるとか、どこかの美術館の個展を用意してあげれば、作品の値段が上がるわけです。そうすれば、その作家を扱っている画廊とか、画商とか、または、画家自身から謝礼をもらえるでしょう。そうしてお金持ちへとなって行きます。
それなのに、何のためらいもなく、三つの大きな拠点をつぶしてしまった。つぶされないようにするための抵抗を一切しないままに。
酒井忠康氏というのは北海道の余市高校の出身です。その後、慶応大学へ進学。でも、破格の出世ぶりだから、酒井抱一氏などの名家の末裔かもしれません。特に書道が上手です。手がきれい。それほどの名家の出身でも、私はひるみません。
酒井さんに向かってはこういいたい。あなたって、本当に信念のない人ですね。ガレリア・グラフィカで、渡辺幸子さんと、栗田玲子さんと、三人一緒になって、私を排除しながら、にやにや笑っていらっしゃったけれど、そんな、にやけた裏で、あなたが、20%ぐらいの責任を負わないといけない形で、山口みつ子さんは亡くなっているし、中目黒の紳士、大原さんも、亡くなっていますね。その因果関係はわざと、ここでは、書きませんが、世の中の流れによっては、書き表します。
私と水沢勉氏との交流を、誰かが絶たなければ、私はここまでのことを、酒井氏に関して書かなかったと思います。が、そこが壊されているから、私はもう、自由自在です。この六年間、ひたすらに、ともだちを奪われ、ひっぱがされてきました。だけど、それは、一方で、違う次元に立つ自分を準備させてくれたとも言えます。私はその損失で、強くされて行ったともいえます。
さて、政治は文化によって支えられているのです。特に日本のように、見せかけだけですが、戦争をしていない歳月が、65年間も続くと、文化の側面が大きくなり、本来なら政治とは間腕関係がない人であろう、酒井忠康、伊藤玄二郎、井上ひさし、石塚雅彦の四氏が、大きな政治家としての、ファクターを持ってきているのです。
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副題5『これから、書くべき続きとは』
上の文章で、おわってはだめですね。悪口だけで、終わってしまったと見えます。これから、まずはいるべきは産経新聞とフジテレビです。が、本日は、疲れました。それに字数も1万3千5百字をこえました。ので、本日はここで終わらせていただきたいです。
2011年10月3日 雨宮舜 (本名川崎千恵子)