昨日の文章が、まだ、出来上がっておりません。それを、本日午後零時から、追加を書くといいながら、午後二時まで寝ていました。朝五時に寝たから、これでも、九時間ですが、途中で、電話で起こされていますので、その間を抜かせば、八時間です。
こんなに、まとめて寝られたことは、3.11以来、ありません。
で、なぜだろうと、今、考えています。
副題1、『ヤエノムテキは、まだ、無事に生きていた』
副題2、『日本競馬の、もっとも健全な方向を示す。ヤエノムテキの幸せな晩年』
副題3、『社台の栄光は、オルフェーヴルを生んだが、競馬界は、貧弱化した?』
副題4、『2チャンネルが、ヤエノムテキに関しては、読めないぞ』
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題1、『ヤエノムテキは、まだ、無事に生きていた』
何かに、安心をしたからでしょう。ほっと、しているから、これだけ、まとまって眠ることができたのです。睡眠導入剤は、ヤエノムテキです。
昨日、2011年、10月25日、生涯に、初めて、ヤエノムテキを、グーグルで検索をしてみました。
今年の、三冠馬、オルフェーヴルを、見ていると、周辺を取り巻く環境こそは、まったく異なるものの、馬そのものがそっくりなのです。ヤエノムテキは、代理種牡馬(血統は申し分ないのだが、本人は、勝利を挙げられなかった、馬)のヤマニンスキーの子供ですが、父方の祖先をさかのぼると、数代にわたって、ダービー馬を出している血統だそうです。荻野調教師は、そこに、何らかの、ヒントを感じて、生産(種付け、時点から)かかわってきた馬だそうです。
そして、母は、小さな個人牧場の、大切な血統で、なんら、勝利を挙げていないながら、大切に飼われ続けていた馬なのです。そして、ヤエノムテキは、小さいころからやんちゃで、ほかの馬をいじめて、困ったそうです。これは、人間の世界でも、ボクシングや、野球で、勝ちあがってくる大選手にはよく見られる傾向です。
また、荻野師の息子さんが、マスコミにねたを提供する人で、ヤエノムテキは栗東で、シヨノロマンという牝馬に惚れている・・・・・と流したものですから、ヤエノムテキの印象はさらに強まったのです。23年後の今でも、それは、生きていました。
それでも、G1という、賞金が一億近い大レースは、二回しか勝っていません。また、1980年代は、日本が豊かであり、それこそ、社台で、輸入種牡馬を、次から次へと導入していたころですから、この程度の成績では、種牡馬として、使われにくいのです。が、ありがたいことに、数年は種牡馬として、使われていて、しかも、その種牡馬センターで、今もケイヨウされて、立派に生きていました。
現役時代とほとんど、変わらない姿です。
彼が、生きているのは、ヤエノムテキ会というファン組織があるかららしいのです。そちらが、えさ代とか、世話をしてもらう費用を出していると思われます。それに、更新のある彼専門の、ブログさえありました。なんと恵まれていることか?
そして、皆様、昨夜は睡眠導入剤になった彼の、事跡を、次の日の、26日、午後中追いかけていたのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題2、『日本競馬の、もっとも健全な方向を示す。ヤエノムテキの幸せな晩年』
ヤエノムテキに関して、ほかの人が、書いた文章を読み、自分の当時の知識を、重ね合わせると、彼が、とても、個性的な馬であったことも、わかり、そこにもロマンがありますが、また、生産のめんでも、ロマンがあったのです。農業の一種としての、サラブレッドの生産の面でも、健全な道を歩んだ馬であることがわかりました。小さな牧場で生まれた、びっくりするような出世馬だったのです。が、その影に、馬を大切にして、容易には、殺さない律儀な家族の姿がありました。また、上に言ったような調教師の、血統に対する夢も実りましたね。
彼が活躍した時代は、日本競馬が、最も、人気が高く、お金も集まり、人材も集まった時代であり、また、スターホースも、数々、生まれました。
一般社会でも、有名になった馬はオグリキャップで、この馬はハイセイコーと並んで、日本現代史の中で、社会現象としてまでも、有名になった馬です。
が、同時期にはサクラチヨノオー(府中で、ビジネスを展開している、全演植という人の、馬で、今は新和牧場で、生き続けています)、
イナリワン(今は、茨城県の、乗馬クラブで生き続けている。性格が馬術に向いているのでしょう)
2010年に、オグリに引き続いて死んでしまったスーパークリークなどの、名馬とは、違って、今でも、健康で、元気に、日高スタリオンステーションで、生き続けているのです。
この牧場は、どうも、野菜で言えば、農協にあたる感じらしいのです。社台やメジロ牧場などの、都会派で、大規模な資本を投じた人が作った牧場ではなくて、一般の(農家の一変形としての)生産者が、寄り集まって、作り上げた施設のような気がするのです。そして、ここで、ケイヨウをされている馬は、シンジケートというものを組んで、種牡馬として提供をされています。
で、ここに、その時代の有名な馬で、生産者が、大資本と関係のない馬が集まっているのです。で、オグリキャップもスーパークリークもケイヨウされていたのです。が、2010年の夏に、その二頭は死亡しました。で、同世代の馬で健全な形で残っているのは、ヤエノムテキだけになったのです。
上で詳述をしたように、イナリワンも、サクラチヨノオーも、生き残っていますが、
誰もが会いたいときに会える形で、生き残っている馬は、ヤエノムテキだけなのです。そして、いまだに見学者たちに、とても人気があるらしい。
これは、人間がどう生きるべきかの、道を示す際にも大きな示唆を与えてくれると思うのです。多くの人間にとって、人生において、勝ちっぱなしの人生などありえません。どこかで、負けることもあります。ができれば、長生きをして、・・・・・
いや、長生きしたくなくても、自殺をしない限り、老年という時期を過ごさないといけません。そこで、誰の援助を受けるか、どういうお金で生きるか、大変な課題が残っています。
競馬に使われるサラブレッドも、その中の大多数は、若いうち、または、競馬場で、二年間ぐらい走った後に、トサツ(殺されて、肉となる・・・・・それは、ペットフードの原料として、使われるケースもあるでしょう。動物園のえさとしても)をされる運命にあるのです。
が、これ以上はない、幸せな形で、老後を送ることのできるヤエノムテキとの差はどこにあるのか?
それは、いろいろな人の思いを集めているからでしょう。生産者、調教サイド、馬主、騎手、ファン、それぞれが、この馬のいいところを知っていて、愛情をこめて見守ってきた。そういう結果のような気がします。これは、すべての現象に通じるとは限らないけれど、ひとつの真実でもあると思うのです。
テレビや、新聞で、盛り上げられる、形での名誉というものもあります。その典型は、今は13億円の収入があるといわれ、全テレビ局制覇といわれている、ビートたけし氏です。特に、彼もその典型ですが、例の国際的軍産共同体に結びついてい手、そこからの支援を受けると、何の苦労もなく、富と名誉を追求し、その街道を突っ走ることができます。そのまま、文化功労者、文化勲章まで、行くのではないかと思うほどです。
そして、収入や知名度として、びーとたけし、もとい、世界の北野武監督の、その次に位置する文化人は、大勢います。
で、彼らは、道徳観として、勝つこと、勝ち組になることを正しいとしています。弱いものをからかい、軽蔑し、テレビ画面のこちら側にいる視聴者(=特権のないものたち)をいじる(いじめる)を、笑いの源泉としています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題3、『社台の栄光は、オルフェーヴルを生んだが、競馬界は、貧弱化した?』
競馬とは、大金持ちのスポーツだと言ってしまえばそのとおりなのです。そして、馬券を買う庶民を、利用しながら、大金持ちが、快感を得るスポーツといってしまえばそのとおりです。
この間、放映をされた、ケネディ一族の、8回放送の中で、ロバートケネディの暗殺(もしかしたら兄の暗殺にも関与した)マフィアの映像も出てきました。すると、競馬も、庶民から、お金を吸い上げるシステムとして、利用をされていることが名言をされています。
ただ、日本だけはそうではないと思います。でも、社台ファームが、川上から、川下まで、制覇してしまっているので、健全な、成長が止まった感じがありますよね。それは、1990年代に顕著だったでしょう。
いまさら、資本主義がいけないのだといっても、誰も、耳を貸さないと思いますが、行き過ぎた寡占状態や、行き過ぎた、巨大化を阻止する、風土と、道徳観と、マナーが、日本のある時期にはあったと思うのですよね。それがもしかしたら、占領軍(いわゆる進駐軍)の理想主義者によって、導入されたことであっても、往時の財界人のなかには、そういう考え方を、大切なものとして、身に着け、ビジネス界に過剰な競争が、起きないように計らったムードはあると思うのです。
が、今はそれが、一切崩れています。法律があるらしいのですが、それが、きちんと機能しているとは感じられない。
ところで、それを、防ぐために、ニューヨークで突然に発生した、富裕層へ、反撃するデモですが、あれを、信じている私ではありません。それも、諜略だと思っています。あれが、発展して、この現在の日本を真に救う方向への、転換ができるとは毛頭思っていません。
救う方向とは、まず、原発を、廃棄の方向へ向かうということです。廃炉までは、非常に時間がかかるのですが、これ以上は、核燃料を輸入しないという決定だけでも、早急に政府が決めてほしいというか、そうすべきなのです。だけど、それができません。
それは、世界で一番お金持ちである、これらの産業を経営しているトップが、莫大な還元金をばら撒いていて、この日本でも、隅から隅まで、支配をされているからです。
そして、彼らは、絶対に大衆の前には姿を現しません。ジョブズ氏や、ビルゲイツ氏は、そこには関与していない大富豪だから、マスコミに取り上げられます。が、肝心要の大富豪は、姿を表すことは、ないのです。ともかく、日本の反原発、デモも、実際には効果を上げないでしょうし、全世界に広まったといわれる、富裕層を攻撃するデモも、効果を挙げるはずはありません。
ただ、こうして、こつこつと、「社台ファームの生産馬、と、種牡馬、と、馬主での独占はいけませんよ。それが、日本の競馬をつぶしていますよ」と声を上げることが、日本社会を改革していくと信じています。一隅しか影響を及ぼせませんが、私のような、意見を上げる人がいないからです。
本日の午後、4時間程度、競馬に関するグーグル検索をし手、大量の文章を読みました。とても、よい文章もありました。また、オグリキャップのお葬式の、模様なども知りました。それには、200社のマスコミが詰め掛けたが、あいにくの雨であり、ファンは少なかった。鈴木淑子(フジテレビで、長らく競馬放送の司会者をしていた)さんが、司会をして、騎手と調教師の対談も会った。弔電として、四通目に、茨城県にいる、イナリワンからのものが読まれ、五通目に、同じ場所にいる、スーパークリーク、そして、6通目に同じ場所にいるヤエノムテキからのものが読み上げられ、
お花(とても、華やかで美しいもの)は、スーパークリークと、連名で、ある方があげ、にんじんのお皿は、ヤエノムテキ占有ノブログを管理している人が、同じく、スーパークリークと連名であげたと知りました。これらは、1988年から、1991年までの競馬界を知っているものなら、わくわくするような情報です。
が、このように、内部にいる人は、決して、社台ファームを批判できません。私も別に、批判をするわけでもないけれど、競馬にあった、面白みを、ほぼ、100%奪った存在として、社台ファームの興隆は、位置づけられると思います。
それも、一種の批判になるのでしょう。
ところで、こういう内部のものが、批判をできないという仕組みを利用して私への攻撃が行われていますが、先般から申し述べている、有名(?)、若手(美形)女性ライターをぶち当てられた件ですが、7月末にぶつけられた方は、美術の世界の、人物ではないのですが、この10月にぶつけられた方で、ある、藤田△彩(別の項目で、さらに、詳述の予定)さんは、美術の世界の、人間ですから、分析して、真実を書き抜くのが、とても、難しいこととなります。で、つかれきっていたのに、
昨日、火曜日から、水曜日にかけては、8時間も寝ることができたのでした。
・・・ヤエノムテキが、健康で、しかも、とても、よい場所で、生きていた・・・というのが、まず、安眠の、導入剤であったと申し上げたいのです。
そして、それを、15年ぶりぐらいに思い出させられたのが、オルフェーヴルの大活躍であったということです。
オルフェーヴルは、ヤエノムテキとは、違って、大生産者、社台ファームの出身だし、馬主は、社台ファームが経営する、共有馬主会社のもち馬で、6000万円に達するまでの、出資金を募って、競馬界へ入ってきたサラブレッドです。
しかも、調教師、池江泰寿氏は、同志社大学出身で、欧米でも修行をしてきたそうです。親である池江泰郎氏も三冠馬、ディープインパクトを育てた人ですから、名門中の名門厩舎であり、オルフェーヴルは、ありと、あらゆる意味で守られている馬です。しかも、幸せなことに、これまた、親が、現在は調教師である人の息子である、池添騎手が、ずっと手綱を握っていて、その信頼関係は揺るぎません。
ヤエノムテキには騎手の変更がありました。
だから、大いに、ヤエノムテキとは違うのですが、ただ3点、共通点がありました。やんちゃで、勝気な性格と、その美しいおばな栗毛の、馬体です。それと父親のステイゴールドにロマンがあったのです。なかなか勝てない馬だけど、通の間では人気があったというのは、ひとつのレジェンドです。ヤエノムテキにも伝説といってよいロマンがありました。オルフェーヴルは、彼本人が、将来は、何かの物語を、つむぐかもしれませんが、今は、守られていていて、あまり、個性あるエピソードはもれ伝わってはいません。が、父親の方にエピソードがいっぱいある、馬だったのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題4、『2チャンネルが、ヤエノムテキに関しては、読めないぞ』
さて、上の、部分、5600字は、私の文章としては、導入でしかないのです。それが、昨日珍しく8時間の安眠をもたらしたのですが・・・・・
一方で、昨日も、本日のそのデータ調べの際に、2チャンネルが読めないという事実に突き当たります。
そこから例の、私固有の、諜略行為の分析と、日本政治への分析に入るのですが、最近では、いつも、尻切れトンボの形で終わっていますので、
今回は、そちらまでは踏み込まず、ヤエノムテキと、オルフェーヴルに関する思い出話で終わらせておいていただきたいと存じます。あとで、誤変換を直したら、署名を入れますが、
ここで、終わりとさせていただきます。明日は、新たに、この続きを書くか、昨日途中になっているものを、書き続けて、新たにアップするかのどちらかに取り組みます。では。ここで。
なお、最後まで書きぬけませんでしたので、タイトルを変えておきます。それは、お許しください。
また、最近は政治のことだけを書き続けてきています。それゆえに、それを好む読者がついてくださっていると感じますが、本日は後半を抜かしたので、オルフェーヴルと、ヤエノムテキのファンが読んでくださるかも知れません。となると、
タイトルの横につける△印が、推敲のあとという、ルールもご存じなくて、それを怪訝に思われる方もあるといけないので、三角を丸に変えさせていただきます。
2011年、10月26日に初稿を上げ、27日の早朝に、完成させる。雨宮舜(本名、川崎千恵子)
こんなに、まとめて寝られたことは、3.11以来、ありません。
で、なぜだろうと、今、考えています。
副題1、『ヤエノムテキは、まだ、無事に生きていた』
副題2、『日本競馬の、もっとも健全な方向を示す。ヤエノムテキの幸せな晩年』
副題3、『社台の栄光は、オルフェーヴルを生んだが、競馬界は、貧弱化した?』
副題4、『2チャンネルが、ヤエノムテキに関しては、読めないぞ』
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副題1、『ヤエノムテキは、まだ、無事に生きていた』
何かに、安心をしたからでしょう。ほっと、しているから、これだけ、まとまって眠ることができたのです。睡眠導入剤は、ヤエノムテキです。
昨日、2011年、10月25日、生涯に、初めて、ヤエノムテキを、グーグルで検索をしてみました。
今年の、三冠馬、オルフェーヴルを、見ていると、周辺を取り巻く環境こそは、まったく異なるものの、馬そのものがそっくりなのです。ヤエノムテキは、代理種牡馬(血統は申し分ないのだが、本人は、勝利を挙げられなかった、馬)のヤマニンスキーの子供ですが、父方の祖先をさかのぼると、数代にわたって、ダービー馬を出している血統だそうです。荻野調教師は、そこに、何らかの、ヒントを感じて、生産(種付け、時点から)かかわってきた馬だそうです。
そして、母は、小さな個人牧場の、大切な血統で、なんら、勝利を挙げていないながら、大切に飼われ続けていた馬なのです。そして、ヤエノムテキは、小さいころからやんちゃで、ほかの馬をいじめて、困ったそうです。これは、人間の世界でも、ボクシングや、野球で、勝ちあがってくる大選手にはよく見られる傾向です。
また、荻野師の息子さんが、マスコミにねたを提供する人で、ヤエノムテキは栗東で、シヨノロマンという牝馬に惚れている・・・・・と流したものですから、ヤエノムテキの印象はさらに強まったのです。23年後の今でも、それは、生きていました。
それでも、G1という、賞金が一億近い大レースは、二回しか勝っていません。また、1980年代は、日本が豊かであり、それこそ、社台で、輸入種牡馬を、次から次へと導入していたころですから、この程度の成績では、種牡馬として、使われにくいのです。が、ありがたいことに、数年は種牡馬として、使われていて、しかも、その種牡馬センターで、今もケイヨウされて、立派に生きていました。
現役時代とほとんど、変わらない姿です。
彼が、生きているのは、ヤエノムテキ会というファン組織があるかららしいのです。そちらが、えさ代とか、世話をしてもらう費用を出していると思われます。それに、更新のある彼専門の、ブログさえありました。なんと恵まれていることか?
そして、皆様、昨夜は睡眠導入剤になった彼の、事跡を、次の日の、26日、午後中追いかけていたのです。
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副題2、『日本競馬の、もっとも健全な方向を示す。ヤエノムテキの幸せな晩年』
ヤエノムテキに関して、ほかの人が、書いた文章を読み、自分の当時の知識を、重ね合わせると、彼が、とても、個性的な馬であったことも、わかり、そこにもロマンがありますが、また、生産のめんでも、ロマンがあったのです。農業の一種としての、サラブレッドの生産の面でも、健全な道を歩んだ馬であることがわかりました。小さな牧場で生まれた、びっくりするような出世馬だったのです。が、その影に、馬を大切にして、容易には、殺さない律儀な家族の姿がありました。また、上に言ったような調教師の、血統に対する夢も実りましたね。
彼が活躍した時代は、日本競馬が、最も、人気が高く、お金も集まり、人材も集まった時代であり、また、スターホースも、数々、生まれました。
一般社会でも、有名になった馬はオグリキャップで、この馬はハイセイコーと並んで、日本現代史の中で、社会現象としてまでも、有名になった馬です。
が、同時期にはサクラチヨノオー(府中で、ビジネスを展開している、全演植という人の、馬で、今は新和牧場で、生き続けています)、
イナリワン(今は、茨城県の、乗馬クラブで生き続けている。性格が馬術に向いているのでしょう)
2010年に、オグリに引き続いて死んでしまったスーパークリークなどの、名馬とは、違って、今でも、健康で、元気に、日高スタリオンステーションで、生き続けているのです。
この牧場は、どうも、野菜で言えば、農協にあたる感じらしいのです。社台やメジロ牧場などの、都会派で、大規模な資本を投じた人が作った牧場ではなくて、一般の(農家の一変形としての)生産者が、寄り集まって、作り上げた施設のような気がするのです。そして、ここで、ケイヨウをされている馬は、シンジケートというものを組んで、種牡馬として提供をされています。
で、ここに、その時代の有名な馬で、生産者が、大資本と関係のない馬が集まっているのです。で、オグリキャップもスーパークリークもケイヨウされていたのです。が、2010年の夏に、その二頭は死亡しました。で、同世代の馬で健全な形で残っているのは、ヤエノムテキだけになったのです。
上で詳述をしたように、イナリワンも、サクラチヨノオーも、生き残っていますが、
誰もが会いたいときに会える形で、生き残っている馬は、ヤエノムテキだけなのです。そして、いまだに見学者たちに、とても人気があるらしい。
これは、人間がどう生きるべきかの、道を示す際にも大きな示唆を与えてくれると思うのです。多くの人間にとって、人生において、勝ちっぱなしの人生などありえません。どこかで、負けることもあります。ができれば、長生きをして、・・・・・
いや、長生きしたくなくても、自殺をしない限り、老年という時期を過ごさないといけません。そこで、誰の援助を受けるか、どういうお金で生きるか、大変な課題が残っています。
競馬に使われるサラブレッドも、その中の大多数は、若いうち、または、競馬場で、二年間ぐらい走った後に、トサツ(殺されて、肉となる・・・・・それは、ペットフードの原料として、使われるケースもあるでしょう。動物園のえさとしても)をされる運命にあるのです。
が、これ以上はない、幸せな形で、老後を送ることのできるヤエノムテキとの差はどこにあるのか?
それは、いろいろな人の思いを集めているからでしょう。生産者、調教サイド、馬主、騎手、ファン、それぞれが、この馬のいいところを知っていて、愛情をこめて見守ってきた。そういう結果のような気がします。これは、すべての現象に通じるとは限らないけれど、ひとつの真実でもあると思うのです。
テレビや、新聞で、盛り上げられる、形での名誉というものもあります。その典型は、今は13億円の収入があるといわれ、全テレビ局制覇といわれている、ビートたけし氏です。特に、彼もその典型ですが、例の国際的軍産共同体に結びついてい手、そこからの支援を受けると、何の苦労もなく、富と名誉を追求し、その街道を突っ走ることができます。そのまま、文化功労者、文化勲章まで、行くのではないかと思うほどです。
そして、収入や知名度として、びーとたけし、もとい、世界の北野武監督の、その次に位置する文化人は、大勢います。
で、彼らは、道徳観として、勝つこと、勝ち組になることを正しいとしています。弱いものをからかい、軽蔑し、テレビ画面のこちら側にいる視聴者(=特権のないものたち)をいじる(いじめる)を、笑いの源泉としています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題3、『社台の栄光は、オルフェーヴルを生んだが、競馬界は、貧弱化した?』
競馬とは、大金持ちのスポーツだと言ってしまえばそのとおりなのです。そして、馬券を買う庶民を、利用しながら、大金持ちが、快感を得るスポーツといってしまえばそのとおりです。
この間、放映をされた、ケネディ一族の、8回放送の中で、ロバートケネディの暗殺(もしかしたら兄の暗殺にも関与した)マフィアの映像も出てきました。すると、競馬も、庶民から、お金を吸い上げるシステムとして、利用をされていることが名言をされています。
ただ、日本だけはそうではないと思います。でも、社台ファームが、川上から、川下まで、制覇してしまっているので、健全な、成長が止まった感じがありますよね。それは、1990年代に顕著だったでしょう。
いまさら、資本主義がいけないのだといっても、誰も、耳を貸さないと思いますが、行き過ぎた寡占状態や、行き過ぎた、巨大化を阻止する、風土と、道徳観と、マナーが、日本のある時期にはあったと思うのですよね。それがもしかしたら、占領軍(いわゆる進駐軍)の理想主義者によって、導入されたことであっても、往時の財界人のなかには、そういう考え方を、大切なものとして、身に着け、ビジネス界に過剰な競争が、起きないように計らったムードはあると思うのです。
が、今はそれが、一切崩れています。法律があるらしいのですが、それが、きちんと機能しているとは感じられない。
ところで、それを、防ぐために、ニューヨークで突然に発生した、富裕層へ、反撃するデモですが、あれを、信じている私ではありません。それも、諜略だと思っています。あれが、発展して、この現在の日本を真に救う方向への、転換ができるとは毛頭思っていません。
救う方向とは、まず、原発を、廃棄の方向へ向かうということです。廃炉までは、非常に時間がかかるのですが、これ以上は、核燃料を輸入しないという決定だけでも、早急に政府が決めてほしいというか、そうすべきなのです。だけど、それができません。
それは、世界で一番お金持ちである、これらの産業を経営しているトップが、莫大な還元金をばら撒いていて、この日本でも、隅から隅まで、支配をされているからです。
そして、彼らは、絶対に大衆の前には姿を現しません。ジョブズ氏や、ビルゲイツ氏は、そこには関与していない大富豪だから、マスコミに取り上げられます。が、肝心要の大富豪は、姿を表すことは、ないのです。ともかく、日本の反原発、デモも、実際には効果を上げないでしょうし、全世界に広まったといわれる、富裕層を攻撃するデモも、効果を挙げるはずはありません。
ただ、こうして、こつこつと、「社台ファームの生産馬、と、種牡馬、と、馬主での独占はいけませんよ。それが、日本の競馬をつぶしていますよ」と声を上げることが、日本社会を改革していくと信じています。一隅しか影響を及ぼせませんが、私のような、意見を上げる人がいないからです。
本日の午後、4時間程度、競馬に関するグーグル検索をし手、大量の文章を読みました。とても、よい文章もありました。また、オグリキャップのお葬式の、模様なども知りました。それには、200社のマスコミが詰め掛けたが、あいにくの雨であり、ファンは少なかった。鈴木淑子(フジテレビで、長らく競馬放送の司会者をしていた)さんが、司会をして、騎手と調教師の対談も会った。弔電として、四通目に、茨城県にいる、イナリワンからのものが読まれ、五通目に、同じ場所にいる、スーパークリーク、そして、6通目に同じ場所にいるヤエノムテキからのものが読み上げられ、
お花(とても、華やかで美しいもの)は、スーパークリークと、連名で、ある方があげ、にんじんのお皿は、ヤエノムテキ占有ノブログを管理している人が、同じく、スーパークリークと連名であげたと知りました。これらは、1988年から、1991年までの競馬界を知っているものなら、わくわくするような情報です。
が、このように、内部にいる人は、決して、社台ファームを批判できません。私も別に、批判をするわけでもないけれど、競馬にあった、面白みを、ほぼ、100%奪った存在として、社台ファームの興隆は、位置づけられると思います。
それも、一種の批判になるのでしょう。
ところで、こういう内部のものが、批判をできないという仕組みを利用して私への攻撃が行われていますが、先般から申し述べている、有名(?)、若手(美形)女性ライターをぶち当てられた件ですが、7月末にぶつけられた方は、美術の世界の、人物ではないのですが、この10月にぶつけられた方で、ある、藤田△彩(別の項目で、さらに、詳述の予定)さんは、美術の世界の、人間ですから、分析して、真実を書き抜くのが、とても、難しいこととなります。で、つかれきっていたのに、
昨日、火曜日から、水曜日にかけては、8時間も寝ることができたのでした。
・・・ヤエノムテキが、健康で、しかも、とても、よい場所で、生きていた・・・というのが、まず、安眠の、導入剤であったと申し上げたいのです。
そして、それを、15年ぶりぐらいに思い出させられたのが、オルフェーヴルの大活躍であったということです。
オルフェーヴルは、ヤエノムテキとは、違って、大生産者、社台ファームの出身だし、馬主は、社台ファームが経営する、共有馬主会社のもち馬で、6000万円に達するまでの、出資金を募って、競馬界へ入ってきたサラブレッドです。
しかも、調教師、池江泰寿氏は、同志社大学出身で、欧米でも修行をしてきたそうです。親である池江泰郎氏も三冠馬、ディープインパクトを育てた人ですから、名門中の名門厩舎であり、オルフェーヴルは、ありと、あらゆる意味で守られている馬です。しかも、幸せなことに、これまた、親が、現在は調教師である人の息子である、池添騎手が、ずっと手綱を握っていて、その信頼関係は揺るぎません。
ヤエノムテキには騎手の変更がありました。
だから、大いに、ヤエノムテキとは違うのですが、ただ3点、共通点がありました。やんちゃで、勝気な性格と、その美しいおばな栗毛の、馬体です。それと父親のステイゴールドにロマンがあったのです。なかなか勝てない馬だけど、通の間では人気があったというのは、ひとつのレジェンドです。ヤエノムテキにも伝説といってよいロマンがありました。オルフェーヴルは、彼本人が、将来は、何かの物語を、つむぐかもしれませんが、今は、守られていていて、あまり、個性あるエピソードはもれ伝わってはいません。が、父親の方にエピソードがいっぱいある、馬だったのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題4、『2チャンネルが、ヤエノムテキに関しては、読めないぞ』
さて、上の、部分、5600字は、私の文章としては、導入でしかないのです。それが、昨日珍しく8時間の安眠をもたらしたのですが・・・・・
一方で、昨日も、本日のそのデータ調べの際に、2チャンネルが読めないという事実に突き当たります。
そこから例の、私固有の、諜略行為の分析と、日本政治への分析に入るのですが、最近では、いつも、尻切れトンボの形で終わっていますので、
今回は、そちらまでは踏み込まず、ヤエノムテキと、オルフェーヴルに関する思い出話で終わらせておいていただきたいと存じます。あとで、誤変換を直したら、署名を入れますが、
ここで、終わりとさせていただきます。明日は、新たに、この続きを書くか、昨日途中になっているものを、書き続けて、新たにアップするかのどちらかに取り組みます。では。ここで。
なお、最後まで書きぬけませんでしたので、タイトルを変えておきます。それは、お許しください。
また、最近は政治のことだけを書き続けてきています。それゆえに、それを好む読者がついてくださっていると感じますが、本日は後半を抜かしたので、オルフェーヴルと、ヤエノムテキのファンが読んでくださるかも知れません。となると、
タイトルの横につける△印が、推敲のあとという、ルールもご存じなくて、それを怪訝に思われる方もあるといけないので、三角を丸に変えさせていただきます。
2011年、10月26日に初稿を上げ、27日の早朝に、完成させる。雨宮舜(本名、川崎千恵子)