銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

ダニ? レスリング、地下核実験、成りすまし疑惑(猫)・・・・・野見山暁司、山田洋次△△

2013-02-14 07:09:54 | Weblog

これは、15日にさらに加筆をしましたが、流れとしては、前報・・・・ 

レスリング削除決定を、小沢一郎は事前に知っていた?(藤田千彩、川名昭宣、橋下市長、松井府知事)△

の続きです。で、副題13から始まります。なお、これは、政治を考える文章ですが、ずいぶんと叙情的に書きますよ。でも、どうか誤解をなさらないように。あくまでも政治について語るものです。最後には、そこにいたりますから。ところで、今、夜の9時ですが、推敲を終わりました。と、書いたのですが、さらに、文章を続けます。

 なお、このブログの2010年から数え始めた延べ訪問回数は、1508109です。本日は、185万以上グーブログの書き手が居る中で、1041位です。

副題13、『榊原節子さんは2010年1月から明瞭に、私をいじめるライバルとして利用をされ始めた』・・・・・その2
副題14、『神がお恵み下さり、私は常に、見守られているのだと、その日に、実感をする』
副題15、『会場にいながら、裏にいて、この状況を生み出した人間たちの深い悪意を感じ取る』

副題16、『どうしても、他人には言えない、二つの経験の一つだった』

副題17、『その同じ夜に、ギャラリー山口のオーナーが、自殺をしたこととなっている。それも嘘だと信じている』

副題18、『大画家(?)、野見山暁司の、ある一面を、私が、語ろう』

副題19、『大監督(?)、山田洋次の、ある一面を、私がここで、語ろう』

副題20、『川島さん(旧、村松画廊のオーナー)が、自殺だと暗示するのがおかしいのだ。同業者の礼儀を失しすぎている』

副題21、『森さんが、提案してきた個展も、わなだとわかっていたが断れなかった』

副題22、『成りすまし疑惑は、古村君を助けるために、起案をされている』

副題23、『地下核実験も、レスリングの五輪から排除も、すべては熱海から始まった』

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副題13、『榊原節子さんは2010年1月から明瞭に、私をいじめるライバルとして利用をされ始めた』・・・・・その2 

 古村君の会は、一ヶ月以上前に連絡が来ます。で、その年だけは、いつもの新宿ではなくて、有楽町であることが、お知らせの中にあり、それが、まず変だと感じました。私の直感はまこ とに鋭いです。で、これは、銀座に毎週、二回以上、美術の勉強のために、出かけている私に、絶対に出席をさせたいということであり、したがって、何らかのわなが仕掛けられていると思いました。それは、事前には十分にわかっていました。前報に上げた川名君の件で、すでに、伊藤玄二郎の魔手が、鎌倉だけでは無くて、こちら大学の同窓会にも、及んでいる事は重々に察せられていて、したがって、出席は、億劫です。だが、伊藤玄二郎と、井上ひさしの二人の普段のやり方を熟知している私には、欠席はできないと、覚悟をしました。・・・・・この2010年1月の会の、出席が問い合わせられた のは、2009年の12月のことであり、その時点では、公の事を言っても、井上ひさしは生きていました。・・・・・彼らには、静的な、行動の持つ哲学的な意味合いは、まったく理解をされていないのです。だから、事を荒立てたくなくて、欠席をするというしとやかさは、絶対に、理解をされないだろうことを知っていました。

 私は彼らの真実を相当以前から見抜いていましたが、鶴岡八幡宮の大銀杏が倒れたとき以前は、ほとんど沈黙をして語らなかったものです。それを後日、自分は書くことに関して、30%規制を自分に課しているのだと、表現することとなります。

 ともあれ、億劫なので、普段は回らない金曜日でしたが、銀座を回りました。銀座の画廊街の金曜日は、普段とは、ちょっと違う夜なのです。遅くまで開いていたり、パフォーマンスを同時にやっていたりしていて。

  で、時間が相当にかかって、六時の開始時刻より相当に遅れて会場に着きました。珍しくいすタイプの宴会場(吉乃翔)で、いすの間は狭い会場です。遅れてき た私はなんと、榊原節子さんの目の前が自分の席となっていました。これは、抽選だったと思いますから、これも天のお恵みだったと感じます。

  その日のわなとは、なんと、榊原節子さんが、私のライバルとして設定をされており、『お前は、彼女には負けるだろう。それを自覚せよ』といわれることが目的だったのです。彼女はPHPから、大衆向けの本を出しており、それは、これから部数を増やして大ブレイクをすると見込まれていたでしょう。私の方は、自分が出版社になって本を出しています。それは、全国の書店には流通をさせていません。だから、その点では無論、負けますよ。だけど、見事に遅れていったために、普通だったら、一時間半以上、その敗北を味わわさせられて、惨め極まりないところだったでしょう。が、着席したときは何も気がつきませんでした。

 これが、第一の救いだったと思われます。

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副題14、『神がお恵み下さり、私は常に、見守られているのだと、その日に、実感をする』

  その日の最後から、二番目の人として、私はスピーチをしたのですが、非常に控えめなスピーチをいたしました。それが、第二の救いでした。会場に満ちている 状況とか、空気をまったく知らなかったので、もし、それ以前のクラス会のときの様に、自分を画家として、前面に打ち出すというような陽気で、活発なスピー チをしてしまったら、見事にピエロになってしまったでしょう。

  その日は、私以外の人、特に重要な出席者には、榊原節子さんの、『凜としたシニア』(PHP刊)の出版記念会として、設定をされていて、そのお知らせが 入っていたかもしれません。もしそれがお知らせとして入っていなくても、会が始まったとたんに、彼女の支援者が応援スピーチをして、その会全体が、そういう方向へ進むはずだったでしょう。そして、私が遅刻をしていた間に、まさしく、そのように流れていたのでした。

 ただ、出版記念会にしては、予定をされていた5000円の会費は質素ですが、「本を出席者の方が、買ってあげる」(普通は一万円以上の会費を取って、本は贈呈を受ける)という設定なので、それで、良かったということなのでしょう。

  特に、ICUは、オープン気質が高いので、これでいいのです。で、私が、自分の、5冊目の本について一切語らなかったのが、大きな救いとなったのです。もし、それについて語ったり、宣伝をしていたりしたら、大きく比較をされて、こちらが、劣等な事が見事の顕現してしまったでしょうね。そして、出席者たちに笑われたと思います。で、遅刻したことと、自分を控えめに語ったことの二つが、ラッキーなことだったのです。私の方の本は8月に出版した後で、本屋で、流通をさせないで、すべて献呈で終わらせたのに、書評は出るわ、後年、中古本が出回るわというほど、評判が高かったのですが、それは、2009年の秋には、すでに把握をされていて、それもあって、2010年の1月には、私は、落ち着いていたのでしょう。だから、何も語らなかったのです。

 私が着席したとたんに、最後の話し手として、榊原さんが立って、ご自分の本について語り始めたのです。瞬間的に、私にはすべてが飲み込めました。事前に『わながあるはずだ』と推察をしていたのが、大きな助けになりました。

  それで、着席の宴会は終わり、みなさん、自由に立って、友人たちの間を回り、旧交を暖めました。私はスピーチでは説明をしなかった自分の本を配って回りました。これが、5冊目であり、以前の本を忌憚無く読んでくださった人は、私の本が面白いというこ とを知っているので、受け取ってくれました。受け取ってくれない人は、事前に何かを聞いていると判断をしました。「だれが悪口を事前に、言っているのだろう」 と疑問は持ちましたが、それは、外には出さずに、ただシンプルに「受け取ってくださいね」と頼んで配って歩きました。総勢40人は出席をしていましたが、 人間の手で、40冊の本は運べませんので、少ない数しか持っていないので、断られたら、それは、それで、いいのでした。

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副題15、『会場にいながら、裏にいて、この状況を生み出した人間たちの深い悪意を感じ取る』

  私は事前の覚悟があったので、会場でパニックに陥る事は一切無くて、人の面白い話(・・・・・中央大学の教授がいて、精神的におかしい学生が教授を殺した ばかりだったので、その話は、なんともいえない気持ちで聞きましたが、それなどの、話を含めて、二度目のスピーチとして長い話もあった・・・・・)を聞い て楽しんだり、自分の本を配りながら相手の状況を質問をしたりしました。だが、これが、榊原節子さんと、古村君だけの設定だとはとても思えず、裏側にいる 悪意ある存在を強く意識しました。

  実は凛として、という言葉は、それ以前のメルマガエッセイで使っています。それが、榊原さんの本に使われたのは偶然だとしても、PHPも、私はそこで、出版をしてもらいたくて、そこ向きのエッセイを集めているフォルダーがあるほどでした。私のパソコンを覗いている人間たちが、「お前が、PHPにアタックを しても、そこは、俺たちの陣地なのだから、もう、だめだよ」といわれていることも感じました。

 この二つの表現は、読者の皆様がお読みになると、「それって被害妄想でしょう」っとおっしゃるでしょう。ところが、後二つ重要ないじめがあって、このクラス会そのものが、相当に念を入れた、対私をいじめるためのわなであることが、明瞭に、わかってくるのです。

 それは、ひとつはモズクの酢の物が、私が新刊本を入れていた紙袋の中にスポッと入れられていたことです。

 幸いなことに、それは、袋が二重になっていたので、新刊本を汚すことは無くて、私は本を配っている最中には、そのことには気がつきませんでした。

  もし、会場でそれに気がついたら、やはり、平静では、居られなくて、敵が狙ったとおりにパニックに陥り、それは、大勢の友人たちに、目の前で、馬鹿にされることへつながったと思います。無論、今ここに、こういう文章を書く限り、私はICUの同窓会を捨てているのですが、それまでに、三年あって、六冊目の本も出版 することができましたから、それで、いいのです。それにね、もう回復不可能なほど、そちらで、苛め抜かれているから、捨てても、捨てなくても同じことなのです。実はこの二年半後の、2012年6月12日の建学50周年記念礼拝と、記念学長招待の66年卒・学年同窓会のときの裏の脚本ほど、ひどいものは無く、その日も私自身は冷静極まりなかったものの、これは、仕方が無い。将来古村浩三君のことは書きますね。だけど、それと引き換えに、私はICUと言うファミリーを失うことにはなるでしょうと、感じたものです。だから、常に言っています。「人間には、すでに頼らないのだ。神様だけに依拠しています」と。その日にどれだけの演出が、k見込まれていたかは後で、政治的にいやなことを起こされたら、また新たに稿を起こします。

 自分の友人関係や、コネを一切、捨てても、日揮事件を起こした連中の、悪辣な裏側を、書きたいですからね。

 巨匠と呼ばれてNHKに、次から次へと番組を作ってもらい、「ひょっこりひょうたん島があそこです」とか、「奥様の井上ゆりさんが、仙台市に蔵書を寄付しました」と、間断なく、ニュースを作り出してもらって、自分の露出を継続させている、井上ひさし等の悪辣振りを書きたいからです。

 それと、榊原節子さんに、できれば、目覚めてもらいたいからです。ご主人が若くして亡くなっていますね。それ以降の精神的な苦悩もあると思われる中で、「さらに、人をいじめていたら、だめでしょう。神様のご愛顧をもらえませんよ」といいたいです。

  というのも、私はほかの人と同じように彼女の本をお金を出して買いました。その上で、さりげなく私が、「私の本を受け取っていただけない」と言ったら、『要らない』と彼女が言ったのです。「あ、無論、献呈なのだけれど」といっても、さらに彼女は、『要らない』といったのです。

 これって、普通ならありえない、発言です。というのも彼女と私はお茶大の付属高校で同窓です。昔のICUって、入学するのに大変でね。お茶大の付属の中からも、相当に優秀な生徒でないと、 入学できなかったのです。そういう優秀なもの同士で、敬愛するマナーがあって、こういう際に、惨めで弱い方を、さらに追い落とすなんて、絶対に取る事は無い、そういうマナーの校風だからです。しかも、彼女は再々言うように、美智子皇后陛下のいとこです。だから、常にマナーは守る人間です。

 そして、つい15年前までは、「そういう体の異常なら、東京女子医大の、どこそこへ行って御覧なさい」と親切に教えてくれた人なのです。

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 ここで、少し、彼女のよき人間性を語るエピソードも入れましょう。後日ですが、田園調布で、交通事故がありました。いとこ同士で遊んでいた7歳と9歳ぐらいの男の子が、暴走して歩道に乗り上げた車に轢かれて、亡くなりました。その二人の苗字Mさんですが、榊原さんが結婚する前の苗字でした。私はひどく心配しました。榊原さんの実家は田園調布にあります。彼女には、お兄さんが居るはずで、そのお兄さんが、実家を継いでいるとすれば、その二人の小学生は、ちょうど孫に当たる年齢でした。で、心配しながら、それでも、すぐには電話をかけないで、充分時間がたってから、電話をかけたのです。無論、彼女の実家は駅より西側にあるはずで、交通事故は、線路の東側で起きたので、違う可能性もあったのですが、レストランで食事を取った後で、散歩中に事故にあったという可能性もあるからです。

 「節子さん、」と言うと、彼女は間髪を入れず、「ああ、あれ、違うわよ」と答えました。そういうやり取りをしながら、なんと、ほっとしたことでしょう。そこには、昔日の、諜略行為に、染められていない日の彼女が居ました。こちらが、「あの事故」って、言い出す前に、何をいい対価をすばやく察する、頭の回転が速くて、しかも明るい雰囲気の彼女が居ました。彼女はたぶんですが、しし座だったはずですし。

 だからこそ本について、「あなたの方は要らないわ」といったクラス会の日の彼女が、普段とは、違うと感じたのです。だから、それもまた、このクラス会全体が、わなだったという証明ともなります。

 ここで、挿入から元へ戻ります。

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 副題16、『どうしても、他人には言えない、二つの経験の一つだった』

 さて、一時間半の苦行から解放されて、有楽町から東京駅へ回り、横須賀線の車内に落ち着きました。さて、何冊配ってあり、何冊残っているだろうかと、紙袋の中に手を入れてみて、ぞっとしました。ありえない手触りを感じたからです。じゅる、じゅるっと、手に異様なものが触りました。指を表に出してみると、モズクであることがわかりました。においをかぐと酢の物であり、なんと、容器も一緒に入っていました。
 懐石風なお料理で、すべてが、小さい容器に入っていたのですが、モズクの酢の物は、特別に小さい容器に入っていたのです。

 で、すぐ、会場のどこにこの袋を置いたかを、思い出してみました。すると、入り口に置いたので、そこには料理が周りには置いては、無かったので、これは、意図的に落としこめられたとわかりました。前報で、言ったように、『会場で、このことに、気がつかなくて良かった』と思いました。その日に三度目の事として、『ああ、良かった。これでも神様に救われたんだわ。今、学友が、誰もそばには、いない電車内で、気がついて。でも、誰が入れたんだろう』と思いました。

 瞬間的に、四人の顔が浮かびました。

 で、その日には、私は一生このこと、特に誰がやったかを語らないだろうと思いました。復讐をすることが目的ではないのです。政治的分析をすることが目的であるからです。ただし、レスリングを五輪からはずすほどの、悪が企画されましたね。で、とうとう、ここに話をしてしまったというわけです。ただね、これは、本当に言いにくいことです。たとえ、友達のだんなだって、それも、一種の友達、だからです。19歳から、23歳までは、美しいキャンパスで、一緒に集った仲間なのです。信じられないですが、裏から入れ知恵をした人間がいて、こういうことをやるのでした。その裏側にいる人間を憎みます。本当に憎みます。

 で、最近の感慨から、元の時点に戻ります。

 『ああ、何冊だめになったのだろう。だけど、総数800も印刷製本したのだから、十分にまだ残りはあるわ』と余裕を持ちながら、本を出してみると、本当に幸いなことに、本は、厚くて小さな、元はチョコレートが入っていたプラスチックの、別の袋に入っていて、その小さくて、しっかりした袋が、より大きな紙袋に入っている形式だったので、何も汚れていなかったのです。なんと幸いなことだろうと思いました。

 そして、自分が天に祝福をされていることを知り、『たぶん、私の本の方が長い命を持つわ。節子さん』と、確信を持ったのです。社会が決めた優劣より、心の優劣を考えれば、私が書いた内容の方が、お金の使い方を指南する本より、人の心に訴えるのは確かだったからです。

 この経験は、子供のころに、友達からやられたらしい痴漢の経験と同じく、誰がやったかは私には、わかっているが、誰にも他人には話せないという類の話でした。政治とはまったく離れますが、子供のころの痴漢の話しをさせてくださいませ。どうも、友達らしい女の子に、またの間をなでられ続けたのです。幸いなことに六年の卒業時の同級生ではありません。そして、彼女はとても立派な職業についていますが、ほとんど二人は、あいません。電話も交換しておりません。だから、今、同窓会(クラス会)に行っても、何もきまりは悪くありません。

 それは、五年か、六年のときで、上野の国立博物館に行こうとしていて、渋谷から、銀座線に乗った車内でのことでした。学校の授業ではなくて、よくできる子を集めて、教育熱心なお母様が、いろいろな見ものへ連れて行ってくださった折のことです。60年も前の電車は、連結部分の通り抜けができない形でした。だから、車両の端っこにたまると、子供たち(仲間同士)だけで、あるスペースを占領したのです。そこには、どこをどう見回しても大人の男性は一人も居ませんでした。友達のお母さんは、居ましたが、位置は遠い場所でした。

 渋谷から銀座線で、上野へ行くまでの間中、私のスカートに手を入れて、しかもパンツの中まで手を入れて、なでなでをする手がありました。びっくりしましたが、声も上げられませんでした。あたりに居るのは、友達ばかりです。背の高さと手の入ってくる方向から考えると、『どうしても、あの子だわ』と思われる子が特定できるのです。相手は女の子です。とても親しい子です。そしてお勉強も良くできるし、いい家のお嬢様です。どうしてああいうことになったのか、いまだにわかりません。

 しいて原因を推察すると、私は小さいころ、とても色が白かったのです。通学の途中で、上級生に、「わーい、おしろいをつけているわ。だめなのに、いけないのに、お化粧なんかしては」と、よくいじめられていました。無論ハーフではないのですよ。だけど、雪のような色と、すべすべして柔らかそうな、肌をしていたと、いえるかもしれません。それで、触りたかったのかなあ?

 そう言えば、私自身、自分の肌を触るのは好きでした。顔のある部分を触らないと眠られないという癖がありました。大人になったときには、良く見られる涙袋のある位置をです。

 そこを人差し指と中指の日本を合わせた腹側で、30回ぐらい、なでると、やっと眠ることができたのです。母も父も、「ほら、ほら、千恵子が、目の下をなで始めたから眠くなったみたいよ」と声を上げていて、それを聞きながら寝入っていたものです。しかし、その癖も、大人になって忙しくなると、いつの間にか忘れていて、今では、目の下を、触ってみても、ただ、ざらざらしているだけで、何の快感も得られません。さすがに、老いが訪れていて、子供のころのお餅みたいに、手触りのいい皮膚は、消えてしまっているのでした。

 だけど、子供のころには、『いつか、彼女を、思う存分触ってみたい』と同い年の女の子が願っていたのでしょうか?

 学校の遠足ではない遠出です。そして、地下鉄の車内は、非日常的です。60年前の当時は地下鉄は、銀座線しかなかったのです。そして、外を見ると、夜みたいです。特に60年前は、蛍光灯も無かったので、地下鉄銀座線の車内は暗かったのです。

 だから、その非日常性に誘惑されて友達が触ってきたのかしら? ほら、後日『台風クラブ』と言う映画ができています。それは、学校の中で、部活か、文化祭の用意のために遅くまで、生徒がたくさん残っていた日に台風が襲ってきて、子供たちが、不思議な魔性に目覚めるという精神的な体験を書いた面白い映画でしたが、非日常的な体験の中では、子供でも、潜在的な欲望が目覚めるのでしょうか? そして、同時期に、手塚治虫は、『リボンの騎士』を書いていました。あの漫画って、相当にエロチックなのですよ。だから、子供だって、エロスを知っているのです。だが、それを、友達をあいて煮、実行をするものだろうか? それが、不思議でなりません。本当に不思議な体験です。

 そして、そういう時に、すぐには、「やめて」などとは、いえないのが、私でした。そんなことを言ったら、相手が困ると、すぐ相手の立場に立ってしまい、自分を抑えるのでした。

 そんな、大人すぎる私の態度が、いつも、敵の攻撃を招いてしまうのです。ただし、限界を超えると、娘が「お母さんは、切れると怖い」というように、はっきりさせるために、こういう風に文章に書くことと成ります。古村浩三君を守るために、レスリングを五輪から削除するなんていう、日本人の中の5000万人は悲しむようなことを企画してしまうエージェントたちを憎むから、ここまで、はっきりとかつ詳細に、書くことと成ります。それを怖いといわれてもだめですよ。

・・・・・「普段から、礼儀正しく、普通の状態に、しておいてください。誰かからの教唆で、私に対して失礼なことをしては絶対になりませんよ」・・・・・と、すべての知人に向かって言っておきましょう。

 ところで、このモズクの件で、私が暗殺をされることとなったら、大変なので、実行者について、私が推察している相手を最後の最後として、ここで、言ってしまいましょう。推定される人物としては、その日だけ、ヨーロッパから来て参加していた、外人だと思います。彼は隠れCIAであり、そこまでの、任務を帯びていたのだと思います。だけど、彼は同時に、私の友人のだんなさんだから、本当に、言うにいえない出来事でした。だけど、間違っているとしたら、ほかに三人の同級生に、そのモズクの酢の物を、私の紙袋の中に入れる可能性や動機が、あります。そちらの三人とは、当日、これまでの、事を用意した古村浩三君と、私から、私の本の受け取りを拒否した榊原節子さんと、榊原さんを支援して、強力な裏方として機能をしたらしい、もう一人の女性の友人です。だけど、おこれらの、日本人では無いと思う。ヨーロッパから来た外人がやったのでしょう。

 その男性は、感情的には何も後ろめたくないでしょう。断定はできませんが、彼の出席の理由は、同期生のだんなさんだからでした。だから、四年間一緒にすごした友達では無いからです。

 ただ、深層の深層をはっきりいってしまうと、日本社会へCIAがスムーズに、入り込むために、上流社会の、お嬢様と結婚するのは、とても、有利なことだと思います。だから、ICU卒業生のうち、何人かの結婚相手である外人が、隠れCIAである事は以前から感じていたことでした。また、高校時代の友人で、やはり、ご本人も上流階級であり、ご主人(外人)も上流階級である人は、ご主人が隠れCIAであるか、または、そうでないとしてもいざとなれば、頼まれるままに、私に対して危害を加えてくることはあるのです。その危害ですが、背景を込めて語らないと、「どうして、それがいじめにあたるのですか?」と、後で、言われてしまうほど、微妙なものが多いのですが、このモズクの酢の物で、新刊本を汚してしまうというのもまさしく、その種のひとつでした。

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副題17、『その同じ夜に、ギャラリー山口のオーナーが、自殺をしたこととなっている。それも嘘だと信じている』

 2013年の2月12日の夜、11時からNHKBS1で放映されるエルムンドという番組内で、篠原有司男さんの、ボクシングペインティングの情報が出てくると、先ほど、番組宣伝で言っていました。なんという偶然の一致でしょう。篠原有司男さんは、日本ではギャラリー山口のオーナーが支援をしていた作家です。

 そして、その画廊のオーナーは、私が、自分の新品の本に、モズクの酢の物を入れられてしまった、その同じ夜に、銀座のご自分のマンションから飛び降りて、自殺をされたことと成っています。「嘘っ」とさけびたい思いが、その当時には、しました。今でも、自殺とは嘘で、他人から殺されたのだと思っています。

 どうして嘘だと思うかというと、私は彼女にその四日前の、13日にあっています。彼女はその月の最終日31日に画廊を閉鎖する予定でした。それで、私の顔を見たとたんに、私に渡したいものがあることを思い出して、14日にそれを画廊に持ってきて、「彼女(=私の事)が次に来たら、これを渡して」と、お若いスタッフに小さなお菓子の紙袋を渡されたのです。そこにはちゃんと、川崎千恵子様という添え書きとメモもありました。

 そんな細かい気遣いができる人が、どうして、大量のものを放ったらかしにして、突然に、あの世に行ってしまいます? ありえないです。

 画廊を閉鎖するとは、大変な荷物整理が必要です。

 お嬢様育ちの彼女は、上に上げた篠原有司男さんをはじめ、野見山暁司さんなどを、ほとんどただ(・・・・・企画展という形・・・・・)で、継続的に個展をしてあげていたので、それなりに大量の作品が画廊にたまっていたと推察をされます。そういうもの、および書物やパンフレット、など、大量の大きな荷物が残っている段階で自殺をすることなど、絶対にありえないのです。そんな無責任な人ではありません。

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副題18、『大画家(?)、野見山暁司の、ある一面を、私が、語ろう』

 野見山暁司さんが、おやりになった悪行の事を、彼女が知っていたから消された・・・・・

 この一行は非常に重い表現ですが、しかし、それを言い切ってしまう確信もあるのです。

 自然発生的に行われるはずだった、2010年1月31日の彼女を痛むための、お別れの会が、誰かの差し金で、つぶれたとも聞いています。野見山さんの鶴の一声以外に、そういうことを言ったり、ほかの人を従えさせられる人はほかにはいません。事、ギャラリー山口に関してはそうでしょう。

 この間美術家連盟の、ニュースが来て、そこで、長文の野見山さんのインタビューが載っていましたが、ある程度以上に空々しいです。この人も、どこかが壊れていますね。酒井忠康氏と同じレベルで、どこかが壊れていて、自分が、他人より優越した扱いを受けているうちにそうなってしまったのか(・・・・・と言うのも離婚と言う過去は無いはずなので・・・・・)、または、名声を保持し続けたいという本能がそうさせているのか?

 『野見山さんは、ぼけている』とは思えませんが、事、ギャラリー山口の件を考えると、芸術家としては、不誠実というか、なんと言うか、「モンスターですね」というほかは無いですね。絵も、そういう絵ですし。あれに、何らかの精神性を感じて、称揚する美術評論家が居るとしたら、その人間は、まさに、現代の日本政治を悪くしている文化人の典型です。つまり、政治に奉仕し、使役をされている文化人の典型だと思います。

 野見山さんは、ランドマークタワーのレストラン、シリウスに壁画を納入されていると思いますが、その収入があったら、山口さんを見殺しにしてはいけません。たとえ、私はそれを信じていない自殺が本当だとしても。

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副題19、『大監督(?)、山田洋次の、ある一面を、私がここで、語ろう』

 ここに、こういう風に書くと、そのうち、野見山さんが、文化勲章をもらうことと成るでしょう。大相撲壊滅作戦のときに、横綱審議委員会のメンバーなのに、何も発言をしない山田洋次監督の無責任振りを、この世界で質(ただ)したら、その後、NHKのBSプレミアムで、放映されている映画に、『山田洋次監督が選んだ、日本映画の百選』と言う冠言葉がついたばかりか、それを、踏み台にして、山田洋次監督は、文化勲章をもらいましたね。

 しかも、最近、小津安二郎のリメイクで、東京家族を作りましたね。これが、私に言わせると大問題だけれど、ここでは、詳細は語りません。

 だが、念のために今、wikipediaをチェックすると、見事に、9条の会と関係があり、井上ひさしと、密接だったことがわかります。だから、文化勲章をもらえました。

 ところで、これは、読者の方には、何が、なにやらちんぷんかんぷんでしょうが、井上ひさしに向けて語ります。彼は、まだ生きていますから。そして、今、現在の日本が、苦しむ外交を利用したいじめをほとんど全部、起案しているでしょう。または、あなた方鎌倉エージェントを助けるために、それらが起案をされていますから。

 ・・・・・「中国問題研究家の毛利和子さんは、すでに、文化功労賞を受けていますが、彼女に文化勲章を授けるのは、あなたの心積もりでは、いつですか? あなたは、天皇制反対だそうですが、天皇陛下の人気と権威を利用しきっていますね」・・・・・と。

 、XXXXここが、二回目の推敲の最前線です。

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副題20、『川島さん(旧、村松画廊のオーナー)が、自殺だと暗示するのがおかしいのだ。同業者の礼儀を失しすぎている』

 ここで、ギャラリー山口のオーナーの急逝について、語るところに戻ります。

 私は画廊街では、絵を見るだけが、主にやることなので、人事や、噂話には疎い方です。やまぐちさんの急逝が微妙なところがあるために、スタッフさんは、言付けをされた遺品に近いお菓子の紙袋を私に渡しながら、山口さんが、亡くなったことを告げませんでした。で、21日過ぎかなあ? 銀座界隈では、とても有名な紳士である建築家の、近藤実さんからのメールで、はじめてその死を、知りましたが・・・・・

 教えていただいたのはありがたいのですが、近藤さんとは今では、それほど、親しくは無いのです。特に私の2009年、夏の個展のオープニングで、近藤さんが、『川崎さんはノイローゼですよ」と、突然、ののしりにちかい言葉を発してからは、それに、驚かされた私は、彼には、何も言わないけれど、すでに、親友では無いと思っています。それなのに、どうして、山口さんの死が、私に、近藤さんから、わざわざ、知らされたのか? 

 私は、『近藤さんは、すでに、したたかに敵に利用をされている』と見ています。 特に早稲田大学卒だから、利用をされるルートはあるはずだ。・・・・・とも思っています。その山口さんの逝去から二ヵ月後の、3月に、横浜のホテルニューグランドで開かれた、中学の同窓会でも、飯田隆君(早稲田卒で、しかも、元週刊朝日編集長)が、同じ言葉を、私にぶつけ、お料理を何も食べずに帰ったこととそっくりですしね。

 そこが、飯田君と、私と、同期生として、横浜国立大学付属中学校を卒業した成岡庸司君が、いまだ生きていて、こういう諜略行為ほかの、いろいろなことを采配を焼いていると見る根拠です。早稲田大学というのが、鬼門というか、ある種の大火口となっている。

 そして、極めつけの疑問は、exibit Live and Morisのオーナー森さんが、読売新聞の切抜きの記事を私に見せたことでした。

 そこでは、ギャラリー山口と道ひとつ隔てた京橋で、画廊を開いていた、川島さん(村松画廊)が、美術評論家のインタビューに応じていました。川島さんが強調をした事は、「今(・・・・・当時の事で、2010年のことである・・・・・)、経済界の不況の影響を受けた銀座の画廊街は大変で、自殺をするオーナーが何人も居る」ということでした。そこまではいいんです。

 もしかするとそれは事実です。ある男性の画廊オーナーが自殺をなさったといううわさは瞬く間に回りました。その理由は他人にはわかりません。だが、将来の見通しを悲観されたという可能性はあります。

 これはどういうことかというと、画廊のオーナーの理想はお金を取らないで、個展をやってあげることなのです。その男性オーナーの主義は層でした。それが、欧米の画廊のやり方であります。ただし、絵が売れない時代は、画廊も画家も経済的に逼迫します。

 一方で貸し画廊といって、必ず、一定額のお金を画家の方から取るという形式で経営をしているところもあります。そちらの方が安全ですね。だけど、急に方針変換をして、企画展専門の画廊から、貸し画廊へ経営転換しようとしても、それが、簡単ではないのです。

 画廊自体のカラーというものがあるので、あそこは企画展専門だという形だと、それなりのお客が集まるし、貸し画廊専門だとなると、上野の公募団体展を中心に活動している画家が集まるし、で、経営方針と、画廊の、カラーと性格を変えるのは、簡単ではありません。で、企画展を、重要視している画廊が軒並み苦境に立たされていたのでした。

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 ここで、挿入ですが、私が家具を買いに行ったり、別荘を買おうとしたりして、今、いろいろ、生活面の充実を図っているのは、まず、生きていく基本が、生活の充実にあると思うからです。特に65歳を過ぎると、それ以前とはまるで異なってくるのです。体力も気力も、衰えて老いと向き合わないといけません。そして、生活も簡便なものへと、変更しないといけません。ただし、それ以前の生活が簡単すぎると、そこからさらに簡略化するので、生活がやせ細ってしまう可能性があるのです。元気なうちに、物質的に整理をしておくと同時に、心の体力をつけておく必要があります。そのうちのひとつが、友達を大事にしようという部分もあるでしょう。だけど、私は、彼ら鎌倉エージェントを中心とする悪徳の人間たちに、ひたすらに友達を奪われてしまいました。

 同窓会での、人脈も壊滅的に奪われています。こうなったら、仕方が無いですね。自然に頼ろうとしています。それが、別荘を購入したいという夢に、つながっています。友達を奪われたから、自然に打ち込もうとしているのです。美しい景色を見たり、花や野菜を育てたりする方向へ向かおうとしているのです。

 ただし、そういう方向へ生活を転換するにしても、土台のところを充実しておかないと、ふとしたきっかけで、死にたくなってしまうかもしれないのです。絶対に自殺では無いと、信じていますが、未婚で、一人暮らしだった、山口さんが、ふと、将来を悲観した可能性も感じるからです。人間は、常に、何かに集中していないとだめですよ。やることが無くてはだめなのです。

 結婚は我慢の連続でもあるが、最終的には人生最大にして、最高の保険でもあります。今、NHKの朝ドラで、有能な弁護士である、いとしくんのお母さんがめろめろに、弱体化しています。それはたぶん、強気の裏で、だめ亭主でも、お父さんが居る、結婚という枠で、守られていたのだ、という結論が導かれると推察していますが、そういうものだと思いますよ。

 ずい分脇にそれてしまいましたが、元へ戻ります。森さんが見せてくれた読売新聞の、切り抜き記事の中で、川島女史が強調していた、「銀座の画廊が不況でくるしんで居る」というインタビュー記事には写真が添付されていたのです。その写真はギャラリー山口の入り口であって、そこにキャプションがあり、「画廊の中には自殺をするところもある」と言葉が添えられていたのです。

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副題21、『森さんが、提案してきた個展も、わなだとわかっていたが断れなかった』

 あの日の、exihit Live and Moris のオーナー森さんの悪意と、それから、読売新聞の悪意の相乗効果には、今でも、胸が震えるほどです。

 それを知っていたから、森さんの方から提案された、三月の個展の申し出でを断れなかったのです。そんな物はわなであり、私は苦しむだけだとわかっていましたが、断れませんでした。

 その個展がどうしてか、4月に伸びて、しかも、ガレリアグラフィカの山本容子展とぶつけられ、私の方は、ひどくお客が少ないという形に持っていかれたのも、それが始まる前から推察がついていたのです。すべて、脚本があるのです。それを書くのは井上ひさしか、伊藤玄二郎か、石塚雅彦氏か、秋山豊寛氏か、成岡庸司君かはわかりませんが、いずれにしろ、

 私の周辺に起きる事は、最近ではすべて、脚本が練られていて、そのとおりに推移するのでした。そして、すべての悪は、『ばれないだろう』とみなされて、実行をされます。ただ、私には、すべてが読めております。

 ところで、どうして、山本容子が、私にぶつけられると悪意なのかというと、鎌倉駅のトイレで、夜の10時半に、山本容子を専一に個展をしてあげている、ガレリアグラフィカのオーナー栗田玲子さんとあったからです。彼女は葉山に住んでいる主婦だから、そんな時間に鎌倉へ寄り道していてはいけないのでした。私はすぐ銀座で、伊藤玄二郎と私について、話しあっているうちに話が終わらなくて、グリーン車で一時間話しを追加してもまだ終わらなくて、とうとう、こんな時間になって、「さらに、鎌倉で話をしましょう」と誘われたのだと思いました。彼女は、トイレの個室から出てこないという形で、その事実を知られることを避けようとしていましたが、

 私の方は、これこそ、天の助けであると信じていて、ずっと彼女が出てくるのを、待っていました。そして、女性のトイレから出てきた私たち二人の前を、男子トイレから走って逃げる伊藤玄二郎の後ろ姿を見ることと成ったのです。なんと卑怯で弱々しい人間でしょうか? 内心で大笑いです。でも、酒井忠康氏と、井上ひさしと組んだトライアングルはあり、今でも早稲田の教授として東京で活躍し続ける石塚雅彦氏などを動かしたり、、早稲田人脈のすべてを動かしたりする、力があるので、それを身にまとって、えらそうにしていますし、次から次へと悪をつむぎだしています。

 森さんの画廊の2010年4月5日から10日までの個展はわなの典型であって、苦しみのみ味わわされるものでした。それでも、断れなかったのは、銀座での込み入った人間関係と、森さんの眉間にある傷の由来も聞いていたことも大きいでしょう。でも、友人だと思っていた森さんが、引っ掛けてくる方に代わったのは、森さんの画廊に盗聴器が仕掛けられていて、立地条件として、そこが、銀座の画廊めぐりの最終画廊なので、つい、気を許して長話をした私が、とても親しいと誤解をされたからでした。親しい人間が、引っ掛けてくるわななら、彼女は絶対に引っかかるとみなされているのです。

 そして、お金と、体力を、消耗させ、お客が来ないということで、辱めを与え、『お前は劣っているのだよ』と自覚をさせようとするその手の心理戦には、まず、信頼しあっている間柄の人を使わないとだめだからです。それは、ここの上の方に書いた、榊原節子さんが使われた手口とそっくり同じですね。震源地は無論、当時もまだ生きていた井上ひさしと、伊藤げんじろう+、酒井忠康氏の三人でしょう。

 ただし、森さんが、私にギャラリー山口の入り口の写真が使われた、読売新聞の記事を見せたときから、こういう裏側の、すべてはわかっていたのですよ。ただ、口にだして、言わないだけです。だまされているように見せておいて、一方では、彼らの手口を観察させてもらいました。

 『特に親しいというほどでもないけれど、いい人だと長年信じていた人物が、敵に寝返って、自分をはめようとしている』とわかっていても乗らないとならないジレンマって、とても大変ですよ。とうとう70歳を過ぎたので、そういうディレンマをすべて、捨て去ることを、決意していますけれど・・・・・

 どうして、こういう古い話をしているかというと、これが、今度の成りすまし疑惑にもそっくり応用されているので、裏に井上ひさしが、居ることが明瞭にわかるからです。今は2013年ですが、2010年当時の、4月9日に彼が、自分を死んだことにしたのは、私が、4月の8日に鎌倉春秋社を訪問をして、社員側トップの田中愛子さんに、『ぜひ、私の個展に来てくださいね』といったからです。私は彼女が来てくれるとは信じておりませんよ。だけど、これは、伊藤ゲンジロウと、井上ひさしに対する、『あなた方が仕掛けた、わなの、すべては、裏側も含めてわかっておりますよ』というサインだったのです。そして、井上ひさしは見事にそれが、わかっていて、自分を急に死んだことにしたのでした。私が鎌倉春秋社を訪問した次の日でした。そうすれば、死んだ人を、鞭打つことになり、私の方が読者には、悪者と、見られることになるだろうと、彼は、推察したのです。過去の私の文章研究で、私がとても繊細で、気弱だと見ていたからです。

 だけど、それ以降は、彼はやりたい放題ですから、私は、次から次へと書くことになります。この森さんの画廊での個展についてはもっともっと書かないといけませんが、ここでは、北朝鮮の核実験について触れるのが目的ですから、少しはしょります。

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副題22、『成りすまし疑惑は、古村君を助けるために、起案をされている』

 何度も言っているように、私のパソコンが異常な壊れ方をして書く仕事がやりにくくなったのは、一部は古村浩三君がやっていることだと、わかったのはフェイスブックに入ってからでした。

 なかなか、信じられませんでしたが、榊原節子さんの、頁が私のパソコンの画面に張り付いて動かなかったときに、・・・・・この頁を自由にいじっていいのは、古村君しかないでしょう。だって、銀座の吉乃翔で、二人が結託して、私を辱めた具体的な行動を見た後では、ヴァーチュアルな世界では、ますます、やりやすいでしょうから、・・・・・と、推察が可能だったからです。

 古村君のやった事は、別に犯罪でも何でもありません。だけど、人を苦しめた事は確かです。そして、それは、国際基督教大学というキリスト教をベースに置いた大学では、やはり、忌まわしいことだとみなされるでしょう。

 本日14日の朝、このニュースはだいぶ静かになりましたね。

 そして、北朝鮮の地下核実験も、急に静かになりました。

 その代わり出てきたのがダニの問題です。今度は、それを分析しないといけませんね。

 このダニの問題は、私が『子宮頸がんワクチン投与が、恐ろしいことです。しかも3歳からとは、本当に恐ろしいことです。それは不妊を招く疑いがあって、世界の大富豪たちが、人口削減を狙って、投与を推進しているものです。

 それを、私が丁寧に書く予定があるのですが、ワクチンと言う言葉で、もっと、違うものを提示して、そちら悪巧みを、隠して行こうと言う働きで、急に出てきたニュースでしょう。

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副題23、『地下核実験も、レスリングの五輪から排除も、すべては熱海から始まった』

 この間、グーグルアースで、例の熱海の土地を、検索していたのです。すると画面が、ぼんやりしていて、写真が見えません。熱海市長が、入れたとされる、とんでもない杭があるために、公簿上は、110坪ある農地に、宅地転用しても、家が建てられないとみられる、その土地の写真がぼんやりしているのです。そこは、農地転用後に、絶対に、23坪以上の家を、建てないといけないと言う決まりがあるので、私はにっちもさっちも行かなくなるところでした。悩みを与えられて、消耗木切るところでした。それは、3年前の森さんの画廊での個展とそっくり同じ流れだったのです。

 たぶん、酒井忠康氏の世田谷人脈が利用された悪い仕組みです。その悪さが、例の連中の発案であるということを書き始めていますね。これは、伊藤玄二郎一派にとっては痛いことです。利用した熱海市長斎藤栄氏に、謝罪しないといけないし、かかわった不動産屋、up-town と、デルフィーにも、迷惑をかけています。

 それゆえに、書かせないがために、子宮頸がん予防ワクチンの強制的投与、中国のフリゲート艦からの攻撃用レーダーの照射、北朝鮮の地下核実験と、続き、それでも、私が書きやめませんので、レスリングへの、攻撃となったのです。本当に悪辣な人間たちです。特に十文字美信氏が、教唆を受けた上で、私をわざといじめたいきさつと、そこで、お金を出して飲んだコーフィーで下痢をした話を書いていますね。これは、レザンジュ、覚園寺に続いて、鎌倉市内で、自分が利用して、悪用したことがばれてしまっている話ですが、それを書かれるのは、タウン誌『鎌倉春秋』の発行者としての伊藤玄二郎にとっては、痛いことなのでしょう。それが、レスリングの五輪排除にまで直結をするのですよ。私には、そこまで読めています。

 で、ここまで書いたら、やっと、14日の夜は、これらのニュースが、NHKからも、報道ステーションからも消えておりました。と、ここで、こういう風に書くと、また復活するかな?

 で、レスリングの五輪排除が、本当に決まらないようにするためには、どうしたら、よいか、私にはわかっていますが、それを、ここに書くと、また、邪魔をされるので、そういう手はあるのだとだけ書いておきましょう。確実にあるのだと、書いておくだけにとどめましょう。

 2013年2月11日に一部を書き、14日に推敲する。さらに、15日に加筆をし、推敲をする。          雨宮舜(本名、川崎 千恵子)

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