本日もツィッター方式で書かせてくださいませ。そして、書けた順番にその部分を、タイトルとして使って行きたいと考えております。最初の4時間ぐらいは、北京秋天が無くなったといわれるが、横須賀の朝は美しかったにしてありました。その後、二つ目のタイトル『横須賀市関連の有名人は、ちょっと前は、宇崎竜童・阿木耀子夫妻だったが』として、10時間を置き、さらに、ほぼ30分ほど、女優の音感問題に触れ、最後に、4つ目のタイトルへ変えております。そして、今は、4日の午前零時半ですが、推敲も終わりましたので、恒例のとおり、タイトル右に、△印をつけておきます。どうか、よろしく。
副題1、『北京秋天が無くなったといわれるが、横須賀の朝は美しかった』
副題2、『ロビーに海軍グッズと、米軍グッズが、お土産として売っていたが、さすがに買えなかった私です』
副題3、『海軍カレーという、一商品が、横須賀市の、住民の、旧帝国海軍に関するタブーを解いた』
副題4、『カレー祭りの当日に、私は、横須賀で、不動産を買う決心をしたのだったが・・・・・』
副題5、『横須賀でのいじめも、鎌倉での、いじめ(=間接的に死亡を願われているほどの深刻な種類である)も、すべては連動している』
副題6、『米軍模様のスタジャン・・・・・(ここでは、スカジャンとも言うが)・・・・・が、有名な、どぶいた通りが、このホテルの裏側にある』
副題7、『横須賀市関連の有名人は、ちょっと前は、宇崎竜童・阿木耀子夫妻だったが』
副題8、『大女優鈴鹿ひろみ(NHKあまちゃん)だけではなくて、吉永小百合も、音痴だと私は、思いますが・・・・・』
副題9、『横須賀ストーリーで、居直った、百恵ちゃんは、却って、すがすがしかったよ。そして、本当は上品な三人が作る、居直りは、また、それは、花伝書の世界に通じるし』
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副題1、『北京秋天が無くなったといわれるが、横須賀の朝は美しかった』
私は時々、ホテルに泊まります。それから、ネットカフェにも宿泊します。これは、マイクロソフトワードが、おかしい時期があって、自宅で、仕事ができないと感じたからです。が、それは、2007年ごろであって、2013年の今では、どこで仕事をしていても、同じように、敵さんが、妨害したいときは妨害をされるので、同じだと、考えて、ネットカフェや、喫茶店、およびホテルで、仕事をするのをやめてしまっています。
それでも、時々ホテルに宿泊するのは、東京に深夜までいたときに、鎌倉の家に帰るのが、体力的に無理だと判断するときがあるからです。
駅からは、公称12分だと思います。でも、石段が、130段以上有るので、そこが、ひどく疲労しているときは、難関となります。だから、ホテルを予約します。甘えて言うのではないが、抜群に疲労しやすい体質です。だから、防衛上の工夫をします。
ワシントンホテルというのが、慣れてきている銘柄なのですが、横須賀には、それが、無いみたいなので、メルキュールホテルというのにとまりました。このブランドは、横浜山下公園の前にあるのに気がついたのが最初で、思いがけないほどモダンで、メタリックなロビーのインテリアに驚きました。が、今は、そこは、経営上、捨て去ったそうです。近所にあるナポリタン発祥の地として最近特に有名な、ホテルニューグランドに負けるのか、それとも、みなと未来にある・各・中級以上・ホテルとか、関内近辺にあるお安い価格帯のビジネスホテルに負けたのか、撤退をした模様です。
でも、このフランス系ホテルが、横須賀にあるなんて、通りがかりには知ってはいたものの、宿泊するなんて、夢にも思いませんでした。たまたま、ネットの予約で、地図上で探したら、昔のプリンスホテルが、資本代わり、経営者代わりをしていたのです。『そうなんだ。ほーっ』と驚きました。いつのことだったのだろうと、思います。
西武の堤義明氏については、いろいろ書きたい思いがあります。氏のご母堂が、実名を石塚京子さんというのには、ちょっと、引っ掛かりが有るのですが、その件は、まだ、このブログの世界では、書き終えていません。今日も触れませんが、自分の頭の中では引っかかっております。
このホテルにある朝食用のダイニングは、桜木町にあるワシントンホテルのものとそっくりです。ところが、今確認をしたら、桜木町は5階なのだそうです。横須賀は、19階です。この違いが何をもたらすのかというと、何かをもたらすのでしょうが、大体が、東向きである、神奈川県の海沿いのホテルで、ちょっと角度が違うものの、海を見下ろすというところがそっくりなのです。
その海べりにいろいろ、面白い施設があるというところもそっくりです。色彩的に華やかなのは、むろん、横浜の方ですよ。大観覧車が、夜には七色の、照明をともしますし。ただ、横須賀の面白さは、私にとって、土地探しをしたいったいを、すべて俯瞰的に見下ろせるということでした。美しい青空の下、まだ、紅葉も始まっていない丘陵地が、東、北、西北に窓のある19階からは、一望の下に見渡せるし、あそこに、550万円の候補地があって、あそこに、730万円の候補地があって、あそこに、1050万円の候補地があってと、懐かしく思い出したのでした。(笑)
ただね、笑うべきことには、どれも買えなかったのですよ。しかも、土地探しの件で、187万円をすって、一方で、その土地探しは、持っている北久里浜を売るから捜していたのに、そちらでも、160万円も無用なお金を、賃貸者の引越し用に、むしりとられていて、私は、なんだかわけのわからぬうちに、めちゃくちゃに、お金を搾取されているのでした。(笑)
そのいきさつを、文章に書かないで置いてどうしましょう。投資の回収ができないではありませんか? あなたも既にお分かりのように、もし、それを、書かないとしたら、それは、私が馬鹿丸出しということになります。だから、それらを種に、しこたまたくさんの文章を、書こうと思っていますけれど(笑)・・・・・
土地探しに関していろいろ、受けた妨害を、考えると、今、私が書いていること・・・・・特に実名でひどいことを数々されてしまっていることの記録とか、警察が、国際的軍産共同体の配下として、機能をしているということ、その実例・・・・・を書く事は、当然の正当防衛だから、引き続いて書いていくべきだと信じています。このプチ旅行でも、あそことあそこに、問題があるし、あったし・・・・・と感じますが、本日の晴天に、免じて、この第一節(=副題1)内では、それに触れず、晴天の美しさのみ言あげして、北京と、比較をしたいと思います。
北京の秋って、昔はとても青空がきれいだったそうですね。ところが、今は、大気汚染が激しいそうです。
『ここ10年、大陸中国は、ひどいことを、対日本として、やり続けてきています。だから、北京の空が汚くなったのです。これも天の思し召しです』と、私がここで、一種のまとめとして、書いたら、「それは、あまりにも、童話チックではな言い方ではないですか」と、お笑いになる方も多いでしょう。が、超簡単にまとめると、そうなります。はい、そうなんです。童話とか、神話とか、民話というのは、大切な真実を、ごく簡単にまとめたものが多いのです。中国の政治家は、自らがなすべき難しい任務を後回しにして、しかも、自らに国民の不満が向かないようにするために、日本を、利用しまくってきたのでした。だが、政治家としての任務を放り投げてきた結果が、この大気汚染にまみれた首都の空に、結実しているのです。はい、そういうこととなります。
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副題2、『ロビーに海軍グッズと、米軍グッズが、お土産として売っていたが、さすがに買えなかった私です』
メルキュールホテル横須賀は、フランス系資本で、運営をされていると思います。ダイニングの食器はノリタケが使われていて、それは、うれしかったですよ。お料理も丁寧でした。でも、日本にあるわけですから、ご当地、グッズが、お土産品としておいてあり、それが、横須賀を象徴していました。旧大日本帝国海軍関係と、米軍関係グッズです。両軍が並び立つお土産群です。バッジとかピンとか、お帽子とか、Tシャツとか。
このホテルは、旧海軍の正門前にあるわけです。が、今はそこは米軍基地の正門であり、最寄り駅としては、京浜急行の汐入というのが、一番近い場所となっています。
今、1945年の、終戦・・・・・(はっきり言って、敗戦といった方が望ましいと思われるが)・・・・・以来、68年経っています。旧海軍がタブーでは無くなったみたいで、お土産として、海軍をデザイン化したものがいっぱいおいてありました。
だが、もし私が、旭日旗をデザインしたTシャツを着て歩いたら、とんでもないことになるだろうと思って、買いませんでした。(笑) 要らざる説明をここであえて加えれば、現在日本では、少数派にして、真実を言うものは右翼として、葬り去られるケースが多いからです。だから、右翼めいた飾り物を身に着けるのはアウトです。絶対に避けないといけないことです。
米軍の原潜・ジョウージワシントンも、時々入港するので、そっち関連のグッズもおいてありましたが、野球帽みたいなものに、けばけばしい刺繍がしてある、そんなお帽子が似合う、年齢でもないので、無論、そちらも買いませんでした。だが、感慨が深かったですよ。こういうお土産品が出回ること自体が、ある種の自由の象徴だからです。
戦前、戦中の日本には自由が無かったのです。言論の自由も行動の自由も無かったのです。だが、戦後も自由が無いのですよ。戦前の方は誰もが知っていて、国民全体の共有する認識となっているのですが、戦後にも影の統制があるということ。そこに、皆様にも、気が付いていただきたいのです。
旧海軍に関するものは、徹底的に、タブー視された時期があるのです。見えない鎖とか、見えない壁が有るのが、日本です。そして、そういう壁を作り出すのが朝日新聞系列のメディアです。ところが、最近では、NHKも、そちら側に加担をしていますので、厄介です。そこが大問題です。私は日本は被植民地化していると思っていますが、その実効性を高めているのが、朝日新聞系列などの大メディアなのです。
私が、『宮崎駿さんの行動と発言が、最近は、傲慢に過ぎる』と感じているのも、宮崎さんを個人攻撃することが目的ではなくて、日本のメディアの働きを、問題にしたいからです。ところで、その件も書き続けないといけませんが、今、頭に降りているのが、このよこすか観察なので、このまま、書き進めさせてくださいませ。
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副題3、『海軍カレーという、一商品が、横須賀市の、住民の、旧帝国海軍に関するタブーを解いた』
ところで、長い間、そうですね。ほぼ、65年の長きにわたって、タブーであった、旧大日本帝国海軍の、横須賀での存在が、復活したのは、海軍カレーというアイテムからだったのです。面白い結果でした。政治家か、評論家の中に、誰かリーダーがいて、その指導の下に、人々の考えが変わったわけではあありません。単なる、一食品が、人々の考えを変えたのです。
あれがいつごろはやりだしたのかは、知りませんが、横須賀の町おこしとして、相当なレベルで、使われています。
今、横須賀市の観光協会のサイトに入って確認しましたが、2009年から、開催が、春に移動をしましたと書いてありましたので、五年以上前に、活発になっているのです。本年も、その活発ぶりに驚きました。私自身は、5月11日と12日に開かれたそれには、参加していないのですよ。でも、12日のJR横須賀駅の人出の多さに驚いたのです。
JR横須賀駅って、森閑としていると言っていいほど、普段は、静かな駅なのです。バスターミナルはありますが、横須賀市って、バスと、京浜急行がメインの動脈であり、京急汐入駅、横須賀中央駅、堀の内駅、北久里浜駅、久里浜駅などの乗降客が抜群に多い地域であり、JR横須賀駅は、普段、ほとんど乗降客がいない駅なのです。それが、その5月12日だけは、あまりに、にぎやかなので、驚いて周りの人に、「何があるんですか?」と、問い合わせると、カレーフェスティバルだそうでした。その海軍カレーというアイテムが、横須賀市民の呪縛をといたのです。面白い成り行きです。
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副題4、『カレー祭りの当日に、私は、横須賀で、不動産を買う決心をしたのだったが・・・・・』
そのころの私は、横須賀に土地を買おうとしていて、その5月12日にまさに仮契約を果たしたのでした。横須賀駅に、徒歩、6分の丘の上の78坪がなんと、660万円で買えるのです。ただ、車が入りません。でも、こんなすばらしい眺望のある土地は、ほかに無いと思うほどの、お買い得物件でした。
あの売買の件も、相当に怪しいところがあって、私が結局は、130万円をただどりされたのです。それも、大掛かりな、裏があり、その裏を今、解明しつつあるところですが、まだ、文章としては、中途半端になっていますね。
そのときですが、正当な不動産契約上のお手当ても含めれば、損失額は、187万円にものぼり、踏んだりけったりという形で、無駄なお金を、支払わざるを得なかったのです。
一方で、国家のお金を使って、個人的なへまを修復してもらっている連中もいます。その対比は、ひどいことだと思っています。こういうことが行われると、日本とは、中国以上に古臭い国で、民主主義が実行をされていない独裁国家だとなります。ここで、言う独裁者とは、日本国の総理大臣ではなくて、影の権力者(=国際的軍産共同体の日本人エージェントたち)ですが、
ここにきて珍しくも、安部総理大臣だけは、ご本人もエージェント化してしまったのではないかと思うほどの、最近の行動群です。特に海上保安庁の新長官に、現場出身の人を当てたというのは、徹底的におかしい選択でした。
安部さんは、優雅な物腰を持つ、優しい性格の人だとは思いますが、おやりになっていることは、独裁者と同じです。『最近は、相当に、おかしいぞ。変だぞ』と、思っていますが、朝日新聞系列が、支援しているそうなので、批判が起こりません。最近20年間、特に田中角栄氏以降の、自民党の総裁としては、珍しい成り行きです。・・・・・
ところで、そのとき、立ち会った不動産会社そのものは、いい会社です。まじめなスタッフが、いてね。会社としては、おかしくないし、売る側の持ち主も、立派で、上品な奥様です。義父が海軍に勤めていたそうです。だけど、裏に誰かがいて、そちらからの教唆で、みんなが変な方向に走り出し、突然に、私に不利に問題が進行しました。
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副題5、『横須賀でのいじめも、鎌倉での、いじめ(=間接的に死亡を願われているほどの深刻な種類である)も、すべては連動している』
ちょうど、そのころ(5月27日)です。鎌倉のご近所様、前田祝一(元駒澤大学教授)氏が、こちらの方も、突然に、「あんたを刑事訴訟にかける」と恐ろしい声で、恫喝してきたのは。(笑・・・・・彼は、一応、インテリのはずですが、そのいきさつは、本当に笑っちゃうほど、子供っぽい成り行きであって、書くのがこれから、楽しみだと思うほどの、漫画チックななりゆきです)
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この件ですが、前田家というのは、私道の設定形態において、1m規定より出っ張って、使っています。それを攻めるF夫人というのが昔いたので、困った彼ら(=現在の私の敵さんたち)は、我が家の土地を、持ち主の私が使用できない形にして、事を収めました。
盗人猛々しいとは、彼らのことですが、その私が通称アジサイ畑欺もう事件と読んでいる、事件の30年後に、加害者側が、被害者の私を恫喝するのです。
驚天動地の逆転的、発想ですが、実際にそれを、やって来ています。刑事訴訟をできるのはこちら側であって、彼らができるとしたら、それは、まやかしの法律を、新しく自分達のために、作ってもらった結果であり、それのひとつとして、道路位置指定という条例が、まずあたります。そのほかにも、これから、次々とまやかしの法律を、作ってもらうのかな? ひどい連中です。
そして、精神的にも、悪魔に等しいのは、そちら側の奥様が、なんと、私に向かって、「この人はわからん人だから、何も話すな」と、私の目前で、ご主人に対して、言ったのですよ。そこまで言われれば、今まで、30%ぐらいに収めておこうと思っていた自己規制をはずします。わかっている部分を相当にはっきりと開示しましょう。
この前田夫人清子さんの傲慢は、ひとつには、鶴岡八幡宮様のご推薦によって、國學院大學の講師にしてもらったことに依拠していると思われます。でもね。彼女の、このような悪魔的な振る舞いが、天を怒らせて、鶴岡八幡宮の境内で、800年以上も生きてきた、大銀杏が倒壊しました。だから、私は、こちら側は、刑事訴訟など起こしていないのですよ。じっと我慢をしていれば、神様は、必ず、正しい方に、お味方を、してくださるからです。
こういう風に、静かに我慢をしながら観察していますと、横須賀の土地が買えないのも、鎌倉で、私が脅かされるのも、全部が連動していると、わかってきます。すさまじい裏側が隠れているのです。で、それらの連中が連合して、パソコンが壊れたり、マイクロソフトのワードが使えなくなったりもしますので、私は常に、五億円の被害があるということとなります。
そういう被害を与えるべく動く人材として、そのキーパーソンを一人挙げれば、瀬島龍三です。その親友だという、益山某・元・海軍参謀が、水道山のただ取りを行ったからです。
が、瀬島龍三は、一応、死んだことになっているので、今では、鎌倉春秋社社長の、伊藤玄二郎氏が、筆頭で、それに、当たるでしょう。彼は、NHKを自由自在に来ることができるので、既に、エージェント化していると、私は見ています。
この伊藤玄二郎氏を裏からサポートしているのが、表向きは死んだことになっている井上ひさし氏です。巨匠と呼ばれていて、死後3年が、過ぎても、いまだに、遺作が発表されたり発見されたりしています。無論生きていて、地下専攻していて、いろいろな諜略行為の策を練っていると思われますが、と、同時に余った時間を使って、自分が、永遠に、大衆に露出し続けて、子孫や、ゆり夫人が、裕福に暮らせるように、そちらについても、策謀を練っているのでしょう。
そして、その二人をさらに、力づける、さらに上位の人物も、東京あたりで、あくらつな企画を練っているはずです。ここでは、その一人として、成岡庸司君(これは、中学の同期生なので、君をつけて起きましょう)をキーパーソンとしてあげておきます。そのほか、朝日や、日経の論説委員とか、いろいろ、思い当たる人材も有るのですが、・・・・・今日は、その詳細には、触れずに、先へ行くとして・・・・・
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横須賀に戻れば、この不動産売買のときから、杉本・元・横須賀市・副市長夫妻が裏で動いた可能性はあります。こちらもキーパーソンとして、際立っている存在です。彼らは、30年前から、ひしひしと、私への、妨害工作やら弾圧を行っていますが、今回の、不動産購入やら、販売に当たっても、何らかの形で動いた可能性はあります。
どうしてそうなるかというと、杉本夫妻が、1980年代に、行ってしまった悪を、私が目撃しているからです。彼らは、横須賀市の水道山が、地籍変更届という一種の知的詐欺を利用して、ただで、個人の所有物なってしまった悪を見逃したのです。当時は横須賀市の土木課長であって、私はその事件の詳細を告げてあります。でも、悪人側にひっ付いたのです。そのおかげで、横須賀市の行政部分のトップにまで、出世したし、突然に豪邸に引っ越すこともできたと、私は見ていますけれど・・・・・
すべてが連動をしています。で、私が、真実を書きすぎるので、困った悪人達は、私のブログから読者を去らせることを目的として、周南事件を起こしました・・・・(だから、保見容疑者は、真犯人ではない可能性がある)・・・・という推論について、書き始めている文章の、その後もペンディングになっていますが、ともかく、いろいろ、推論だけではなくて、具体的な事実としておかしいことがおきているのです。周南市の模様は鎌倉に住んでいる私にはわかりませんが、横須賀市のことは、すぐわかりますので、なるほど、あれがああなっているとか、これがこうなっているとか、推理していくわけです。
その五月12日に、買うという仮契約をした660万円の不動産購入の際に、動いてくれた会社、が、汐入駅前という立地条件のよいところから、京浜大津駅という、より辺鄙な場所に移動したのも、とても、おかしいことなのです。
よく似ているケースが、2008年にもおきています。私が本作りをしていた印刷会社は、そのデザイン部門とか、営業部門が飯田橋にありました。飯田橋って、市谷に、大日本印刷が有るし、だいたい印刷所が江戸川区や新宿区に多いので、便利な場所のはずです。だが、道路拡張の予定があるとかで、辺鄙な田舎・・・・(というのは言いすぎですが、飯田橋に比較をすると、より不便である蓮沼)・・・・に、引越しをしました。これも変なのです。飯田橋の元の場所は、道路拡張をする必要など何も無い、どん詰まりのT字路でした。そういう道を拡張するんですって、変です。変です。会社がおかしいのではなくて、悪人側がそういう命令を下した可能性があるのです。
まあ、ここいら辺は、一応ミステリー中のミステリーとして、私は、今、書きつつあるわけですが、そちら(=悪を追求するということ)だけには、集中できない、または、しない日常の生活というものもあって、本日は、横須賀、旧海軍(現在は、米軍基地)の正門前にある、メルキュールホテルという、横須賀一のホテルで、体験したことに集中したいと思います。
問題はロビーにおいてあるお土産用のグッズです。私は、そこに、自分は買わないものの、横須賀市民が、旧帝国海軍に対するタブーを打ち破って、心理的に、相当に、開放をされたと感じました。それは、喜ばしいことでした。何よりも、自由に心が開放されるのは、どんな人にとってもうれしいことであり、人間である限り、大切で、必要なことです。
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副題6、『米軍模様のスタジャン・・・・・(ここでは、スカジャンとも言うが)・・・・・が、有名などぶいた通りが、このホテルの裏側にある』
このメルキュールホテルのまん前は、事実上は米軍基地なのですが、海に向かって、東へ幅100mぐらいは、今は、シネマコンプレックスを含む、ショッピングモールになっています。ホテルと、そちらの、二つの間に、国道16号線が走っていて、そこから、横須賀市の旧市街地へ向かって山側へ入る大きな道路があり、まるで、広場のような三叉路になっています。そこをわたる歩道橋ですが、全部で4つのエレベーターが、設置されている豪華なものです。高さも高いし、幅も広いし、使用石材も立派な、ほかの都市には見られないほどの、豪華な歩道橋です。
それを見ていると、「これって、日産自動車が払う税金を湯水のように使って作り上げましたね」と思い当たるのです。そして、これらを責任者として作り上げた杉本夫妻が、得意満面だというのもわかるのですが・・・・・
『だけどねえ。あなた方の裏側をしっかりと知っている私は、五億円に喃々とする被害を受けていますよ。その矢や、弾を奥様が放っているケースについても、しっかりと、私には、わかっています。正当防衛の一種として、絶対にその経緯を明かさずにはおられません』・・・・・と、晴天のもとに、言いたいですね。
ここで、そういう贅沢を横須賀市が行うことが可能になっている日産自動車のゴーン社長が、年収19億円(? 正確な数字ではないが、そんなことを聞いた覚えがある)という、莫大な、報酬をもらっていることも、問題としたいのですが、事が大きくなりすぎて、文章が終わらないので、そこにはふれず、先へ進みます。
この様に表舞台としては、海もあるし、道路も広いし、歩道も広いしで、まったく健康に明るい街ですが、裏に回ると、汐入いったいは、独特の風情がある暗い夜が主体の街でした。どぶ板どおりとよばれていてね。
決して差別感情を持つわけでもないが、1975年から、1984年までの、私の横須賀暮らしにおいても決して足を踏み入れたことの無い場所でした。
そこには米軍相手の、バーと、お土産やさんが、林立していて、独特の派手な模様の、スカジャンとよばれる刺繍入りのジャンパーを売っていて、それが暴走族とかに受けていた時期があるのでしょう。しかし、今はまったくイメージが異なっていて、私がこの3月から5月にかけて、土地を探しまくっていた時期に、大滝町という中心街からどぶ板どおりを通って、汐入駅に向かって歩いていても、何の危険性も感じませんでした。
たまたま、ホテルの19階で、置いてある週刊誌(ただし、TIMES英語版とか、ニューズウィーク日本語版だったが)を夢中で読んでいたら、隣から、「静かなものですよ。ほら、時間制限があるでしょう」という言葉が聞こえました。そこだけが、強烈に矢のように耳に刺さったのは、それが、米軍基地の最近を現しているからでしょう。
沖縄や、岩国、三沢などが、どういう風になっているのかを私は知りませんが、よこすか市民は、米軍と折り合って、仲良くしていると見えます。だって、私が660万円で買おうとした、78坪の土地の持ち主さんは、米軍基地を眼下に見下ろすその場所から離れて、すでに、40年になるのに、米軍原潜を、番号で呼んでいましたよ。何番とか。ジョージワシントンとか言う、通称ではなくて、なにか、特殊な番号で呼んでいました。米軍を地元に抱える人固有の、呼び方だと感じました。彼女は父君の海軍答辞の役職名を言いません。それだけは、戦後ずっと、苦しめられた旧軍人に対する差別の影響が残っているとは思いましたが、家が、地理的に言うと、あまりにもよい場所にあるので、えらい人だったとは思います。70年以上前は、車社会ではなかったので、そこがいい場所だったのですが、今は車社会なので、石段を使って上らないといけないその場所は、78坪でも安くなり、660万円の売値だったのです。
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副題7、『横須賀市関連の有名人は、ちょっと前は、宇崎竜童・阿木耀子夫妻だったが』
皆様は、1974年に大ヒットした、『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』という歌をご存知ですか。そのころはまだ、スノビズムの影響下にあり、クラシックを好んでいた私も、この歌やら、さらに、昔に大ヒットした、春日八郎の『お富さん』は、とても、リズミカルで、できのよい歌だと思っております。
そうですよ。歌謡曲が、嫌われたり軽蔑をされた時代もあったのです。それが、スノビズムのひとつですが、私も、東大出身の親戚から、「え、あなたは、歌謡曲を聞くの?」と、驚きの声で、質問を受けたぐらいです。でもね、ジャズだけは、いまだに、そのよさが、よくわからないものの、音楽の分野としては、今では、一切偏見無く、聞いている私です。ただ、交響曲を聴くのは、もう疲れてだめだとは、思っていますが。
港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカは、切れのよい曲で、しかも大ヒットしたので、阿木耀子、竜童夫妻は、横須賀市の名誉市民に等しい扱いを受けていると思います。
今、ヨコスカを代表する有名人は、小泉新次郎氏でしょう。そしてその兄孝太郎さんや、その父、小泉純一郎元総理大臣と、続くあの一家ですが、政治家ですので、浮き沈みがあるし、4代目なので、かえって、いまさら、名誉市民というわけでもないのですが、
阿木耀子・竜童夫妻は、ヨコスカのイメージを明るくするのに役立っていますし、全国区にするのに役立ったからです。実際に名誉市民号を受けているのは、ノーベル賞受賞者の小柴先生だけのようですが、阿木・宇崎夫妻の貢献度は偉大でしょう。
この二人が、山口百恵に提供したのが、横須賀ストーリーです。これも大ヒットをしました。作詞阿木耀子、作曲宇崎竜童のコンビです。
この曲が出たときに、私は初めて山口百恵という歌手を認識しました。それまでは、『お隣のお嬢さんとそっくりな、品のいい顔をした歌手だけど、ちょっと、音痴ですね。歌手としては、プラスアルファで、売っている』と、感じて、認めえにくい歌手の一人だったのです。
そのプラスアルファですが、スタッフ(裏方)が、その音痴という弱点も、認識していたのか、周到な戦略を組んだそうです。それは、青い性を売るという路線。つまり、きわめて若いので、処女性を感じさせるタレント歌手に、セックスそのものを連想させるきわどい歌詞の楽曲を提供して、そのギャップで、視聴者に、衝撃を与え、忘れられない歌手としていくという作戦です。
私が感じたのもそれだったのです。この人は、そういうプラスアルファで売っている歌手だから、認めたくないという感じ。その上、音痴なのだから、なおのこと、認められないという感じ。
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副題8、『大女優鈴鹿ひろみ(NHKあまちゃん)だけではなくて、吉永小百合も、音痴だと私は、思いますが・・・・・』
今回、朝ドラ、あまちゃんが大ヒットしたらしいのですが、私は最初は見ていません。『東北が舞台ですって。『うわー、参った。それって、典型的なお涙頂戴でしょう』と、予測をしたからです。ところが、主人公の母、小泉今日子が、薬師丸ひろ子演じる、既に、確立した大タレントの、歌部分だけの影武者を勤めるという設定が登場したあたりから、あれっと、思い始め、急に興味を持って見始めたのです。
それは、長年私が感じていた、吉永小百合音痴説を、髣髴とさせるエピソードだったからです。吉永小百合は、歌手としてはそれほど、長期には活動していないので、このエピソードが彼女をさすとは言明はできないのですが、それでも、桜田淳子も音痴だったしと思うと、『おー、やっと、そういうところまで、書く脚本が出てきたのだ。これは、きわめて現代的ですね。それに、きわめて新しい』と感じて、熱心に、見始めたのでした。
吉永小百合については、父親が東大卒だということ。ご本人が早稲田卒だということ。ご本人がいわゆる旧弊な左翼とも関係が有ること。堤義明さんが、ファンらしいこと。などが、渾然一体となって、非常に大切に扱われていて、ご本人の女優としての、実力以上の扱いを受けていると感じ、したがって、彼女が出てくるたびに、『オー、この番組は、見たくない』と思う私なのでした。
この一節も、個人攻撃として書いているわけではなくて、メディアの横暴と、
権力者のさじ加減ひとつで、人気というものも管理されている、
ということを言いたいのです。メディアが、女優を扱う仕組み、タレントを扱う仕組み、著名学者や、文化人を扱う仕組み、それらが、決して正しい評価に基づいてはいないと、感じているので、言及をしてみただけですが、特に、いったん、主役の座に着いた人間を、ずっとその位置に置く精神は、おかしいというか、なんと言うか、批評が一切無い世界だと、感じています。ぬるま湯、特に、泥沼化している世界だと、感じています。
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副題9、『横須賀ストーリーで、居直った、百恵ちゃんは、却って、すがすがしかったよ。そして、本当は上品な三人が作る、居直りは、また、それは、花伝書の世界に通じるし』
山口百恵の横須賀ストーリーには、居直った女の、はすっぱさというものが出ていました。それは、かまととぶった清純さ・・・・(それなのに、歌詞だけが先走ったエロスを、内包していた)・・・・を売りにしていた初期の段階より、より実像に近いと世間の人に思わせたのです。
どんなに、お芝居の上で、清純派を演じても、芸能界で生きて行かれるのだから、きっと、内面は、相当に、タフで、強靭なはずで、と、タレントにはなっていない、段階の素人は、みんな思いますよ。そういうものに、うまく乗っかっていく路線変更が、百恵ちゃんには、あったから、私は「おやっ」と思ったし、その売り出しの戦略変更も含めた、全体としての、表現力が、上等なので、音痴であることも目立たなくなっていったのでした。
横須賀ストーリーは誰が企画をしたかはわかりませんが、百恵ちゃんが、たまたま、横須賀出身で、・・・・(生れた土地は、違うのだが、ブレイクした当初は、横須賀に住んでいた)・・・・あり、しかも、阿木耀子・宇崎竜童夫妻の、港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカの大ヒットがあったので、その三人が、タッグを組む事を、誰かが思いつき、そこから、生まれた曲であろうと、想像をしています。
ところで、この横須賀ストーリーも大ヒットをしたのですが、その次に同じ制作陣の組みあわせで、プレイバックPart2が制作をされ、それも、大ヒットをしました。こちらも大人の恋愛を歌った、居直った女性の吐露であるのですが、驚くべきことに、今回グーグルを丁寧に検索をしてみて、・・・・・阿木耀子、宇崎竜童夫妻は、ごく、ごく上品にかつ、幸せに、育ったことがわかり、何だそうだったのか。それゆえに、ヒットしたのだった・・・・・と思い当たるのでした。
というのも、阿木耀子さんの通った捜真という女子高は、東横線を、少女達が利用する学園なので、私はその雰囲気をよく知っているからです。横浜の私立女子学園としては、フェリスほど、有名ではない。だけど、第二位ぐらいで、往時は、立ち居地を保っていたと思います。その後、大学付属の女子高校が、乱立してくる(または、もともとは、独立していた女子高が、大学の系列下に入って人気を得る)ので、ポジションが変わりましたけれど、よい生徒が通う、学校なのです。それは、夫の竜童氏も同じであって、上品に、かつ心理的に、満たされて育ったと思われます。
そういう、実態はまじめな人が、不良っぽい架空の人間に、自分を仮託して、蓮っ葉に歌う歌詞と曲を作り出す。これは思いがけないレベルで、成功する可能性を持っています。虚実ないまぜて、皮膜の境に有るものを作り出すのが、成功への道だと、昔、花伝書内で、読んだ記憶があります。これが本当に崩れた人が作ったら、大衆の人気を得られなかったと思います。
私なんかも露悪趣味の人ですが、それでも、日常生活において、相当にセーヴしています。だからこそ、ホテルに一泊したことが文章の種になるのです。そんなちょっとした変化が、精神の中に、大きな、思考を、呼び覚まし、連想を豊かにさせ、したがって、暗い秘密をも明らかにして、明快にしていきます。そして、白日の下にさらすことが可能になっていきます。暗いことを書く事、悪を書き表すには、強靭な精神で、身を保つ、摂生の日々が必要なのです。
表現された結果とは、反対のものがあるところに、面白い実ができるのです。
夕方の7時に、これは、起承転結が完結していないと、書きました。というのもどうしてホテルに泊まったかというと、渋谷で、レイトショーを見たからであり、その映画の内容が、前からお約束をしていた、宮崎駿のドキュメンタリーを何回もNHKが放映することによって、宮崎駿という創作者が、思いがけない程度に傲慢のなっているという、問題へ向かうはずでした。だが、すでに、3000字しか残っておらず、その渋谷で、レイトショーを行っている映画までは、到達できない見込みになり、この文章は、今直前に変えた総タイトルどおりに、横須賀に一泊した私が、種々の連想に浸ると、言うところで、終わりとさせていただきたいです。
なお、このブログの、2010年より数えはじめた伸べ訪問回数は、1821256です。
2013年10月3日の、午後一時に書き始め、12時間後に推敲を終える。
雨宮舜 (本名、川崎千恵子)