銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

小保方晴子さんの、苦労、・・・・・その自己救済術のひとつであろう手相占いについて

2014-02-03 08:11:17 | Weblog

下の文章は小保方事案の一環で、特に最初に触れた文章となります。
小保方事案については、四重に絡まった複雑な嘘が含まれていると感じている私はそれを小保方ミステリーと呼んでいます。で、私が過去に小保方さんについて書いた文章のリンク先をここに示したいと思います。

小保方嬢について書いた過去分のリンク先、総覧 2014-4-10時点で

2014-04-10 08:55:14 | Weblog

 

特に真実が出てくる前の文章については後日の結論も、添えておきたいからです。どうかよろしく。

下に展開する文章は、その最初のものとなります。

副題18、『小保方晴子さんの、苦労と、救済』

 ところで、ここで、少し寄り道をさせてくださいませ。小保方晴子さんと言う研究者が、先週脚光を浴びました。その後、ご本人から取材殺到へのお断りが出て、突然にニュースが下火になりました。

  私はあのニュースを見ていて、ハーヴァードの教授と共同執筆が、幸いをしたと見ています。論文って、日本の大学では、若い実験者と、何も実験はしていない が、助言をした上司(=教授)が、共同執筆をするのが普通ですが、理化学研究所は、大学ではないので、彼女は、一度目は、上司抜きで、自分がトップとし て、自分一人の名前で論文を出したのではないかなあ? チームとして部下がいれば部下の名前はいれたでしょうが。

 私の父はエンジニアで あ ることに誇りを持っていました。満鉄の中央試験所というところで、頁油岩(今の言葉で言えば、シェールオイル)の研究をしていました。旧制中学時代は画家 になろうかと思うほど、絵が好きだったみたいです。ところが、美術の先生が、「絵では食えない」とおっしゃったそうで、父親も早く他界をしていたし、石油 の研究をする実学に入りました。そして、戦争状態に国家がなると、石油は、国家として、大切なものなので、優遇をされました。兵役にも取られましたが、す ぐ、研究所(中央試験所といった)返されました。週末は油絵を描きに、夫婦で、旅行をしていました。

 一方で、芸大を出た様な、有名画家 が 従軍画家となって苦労をしている様子を見ていて、『理系は、戦争が起きたときに有利だ』と骨身にしみて感じたらしくて、絶対に理系に池と子供に命令をした ので、私の実家ではきょうだい三人とも理系です。そして、私の連れ合いも理系です。

 しかし、現代日本を構成している最も大きなソサイエ ティは企業ですが、日本の会社では、法学部出身者が有利みたいで、理系は損をしているみたいです。また、理系は、文章を書いたり、パフォーマンスにいそし むなどの余技も得意ではない人が多いので、そう言う面からも、損をしていましたね。

 そこで、突然のスターが現れたので、情報が加熱しま した。それは小学校時代の友人や、中学校時代の友人が登場したり、男性の友人が登場したりして、デート中にどうのこうのとはなしたらしいので、(私は見て いませんが)そして、小保方さんは、マスコミに報道しないで、くださいと頼んだらしいのです。

 私は先週の月曜日は外出をしたので、月曜日のお昼まで、そのニュースを見ていました。だから、その小保方さんがもっとも嫌がったであろう、情報は見ていないのです。が、種々さまざま、考えるところはありました。

  小保方さんが、泣いて苦しんだこともある・・・・・の中のひとつに、wikipediaにあったものですが、・・・・・・大震災後ハーバードへ帰ろうとす るとビザが下りなかったというのは、大きなものだったと思います。絶望的だったと思います。自分側に主たる原因が無いのに、放射能汚染を過剰に警戒する、 相手方から、許可が下りなかったと思われます。つらいことでしたね。

 その次に、NATUREから、一回論文が掲載拒否の憂き目にあったこ と。そのときは論文の筆頭者が、彼女だった可能性は強いです。日本の場合は、論文とはたいてい大学で、提出されるものなので、実際に実験を行った人物の前 に、上司(教授)の名前がくることが多いです。だが、小保方さんが、現在所属している先が理化学研究所であって、大学ではないので、彼女が筆頭研究者とし て、提出された可能性は大きいです。

 あってはならないことですが、どの分野にも事実上の差別、特に人種差別はあるのです。と、同時に政治的な要素の勘案もあるでしょう。北里柴三郎の業績は、ノーベル医学賞に相当したらしいのですが、当時は、上に上げた二つの差別ゆえに、もらえなかったのでした。

 その点、ハーヴァードの教授は、その両方の差別とは無縁なので、その人との共同執筆という形をとったことが、今回の受領(掲載)につながったのではないかなあ?

 そのほかに、細胞そのものができなかった時間の、苦しみ。

  そう言う苦労のさなかにあったときに、彼女を支えて、明日への気力を生んだものは何か?彼女はハーヴァードで2年間過ごしているのですから、すでに、友人 に電話をかけて、悩みを相談するということは無いと思います。ハーヴァードでは弱みは見せられないと思いますし、日本にいる、信頼すべき人は、おばあちゃ んにしろ、友人にしろ時差があって、話しができません。常に一人で、解決するべく、努力をしたと思います。

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副題19、『小保方さんは手相について、友人に、統計学だからと説明をしていた』

 私は月曜日のお昼までしかテレビでの小保方情報を見ていません。だが、その中で、早稲田大学のラクロス部所属時代の友人の話というのに注目をしました。

 友人の言葉ですが、「小保方さんは、手相は、統計学だといって好きでしたね。そして、10代や20代の女の子でしょう。みんな見てくださいといって列を成していましたね」という言葉です。

 ここには重要な要素が二つ隠されています。それは、占いというものに、いまだ大きな偏見があるということ。だから、占いに頼るなどというと馬鹿にされかねないこと。

  しかしね。皆さん、占いとは、王侯貴族を守るためにうまれ、そして発達をしたのが、中国です。レーガン大統領が、専用のホシ占い師を置いていたといって大 いに馬鹿にされていましたが、私は「それはいいことだ」と思っておりました。レーガン大統領には、自分の力を過信することが無かったのは、推察されるから です。国のトップが、自分を、全能者だと思ったりしたら、国民は悲惨なことになります。みたいなことを言っては駄目なのです。

 しかしヨーロッパでは、だいぶ違うでしょう。オペラ・カルメンなどから、ロマ(ジプシー)が占う怪しいものというイメージがあります。それと中世には、異端審問とか、魔女狩りという風習がありましたね。で、占いも忌避されたのだと思います。

  私がどう考えているかというと、宗教は、信じるものでありますが、占いは、あるときだけ、使う技術です。だから、別物なので、両立すると思っています。小 保方さんはおばあちゃんから送られた割烹着を使っているぐらいですから、おばあちゃんとの交流があるわけですが、その人が、歴史的な知恵として、占いのこ とを教えたのかもしれません。我が家では、50年前に高校教師をしていたおじが、高島易団の講習を受けました。当時80万円もかかったそうです。これは、 サラリーマンの年収の半分ぐらいです。おじはお金持ちなので、習い事が好きで、しかも他人を助けることが好きなので、次にこれまた、大金をかけて、鍼灸医 の資格をとって、定年退職後は鍼灸医として活動しました。だから、街頭で占いをすることは無かったのですが、私の母にそれを伝えました。

::::::::: ここで、私は「おじは、街頭で、占いをすることは無かった」といっていますが、それひとつを取ってみても、占いに対する偏見や差別に煩わされていることが わかります。デモね、占いは面白いし当たります。その上、一種の気晴らしになります。圧倒的な困難に出会ったときに、心構えを作り直すのにも役立ちます。 で、私は凝り性なので、ありとあらゆる教則本を買って、種々さまざまな占いを試しています。嫌いなのは、方位学と、タロット占いと、カバラ数秘術で、それ らは、簡単な段階でやめてしまっています。

 最も凝ったのは、東洋系や、西洋系の星占いです。小保方さんは、手相占いが好きだそうです が、 それは、正解です。ありと、あらゆる占いのうち、もっとも心安らかに占えるのが手相占いです。残酷でも、ドキッともしないで、占える温和な占いで、カツ、 希望が持てる解釈をしてもらったり、自分でそう言う方向で解釈すると、心が晴れますよ。マスターすると、とてもいい技術です。しかし、私自身は、長らく、 それを避けてきていました。

 というのも私の手には多数の線が入っていて、『どうも、手相は、悪いみたいだ』と、推察されるからです。 で、 気にはかかるけれどタッチしていない分野でした。しかし、後日、日傘雅水さんに出会って、私の考えは一変します。で、手相が一番良い占いだという方向へ心 境が変化していきます。

コメント (2)
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