以下の文章の推敲を、終わりました。 この文章は、実は、三報前(後注1)の続きです。そちらが、2万字をオーヴァーしてしまったので、こちらへ移動をさせました。そちらで、副題15まで使ってしまっていますの で、この文章は副題16から始まります。
そして、この文章が全体で、何を意味しているかというと、言論弾圧の実相を語る、その一・例文となります。
名前を 連記しているのは、言論弾圧の実相と書いても、数千の項目で、すでに、書いてきているので、区別が付かないので、この章の特徴として、名前を連記している のです。大衆的にいまだ無名の人もいますが、キーパーソンとして、重要なので、大衆的知名度の如何は、無視してあげています。
なお、総タイトルは、出来上がった分に応じて、変えていきました。一回目が『日本と言う国家そのものを、こ馬鹿にしたので、特別に優遇をされている赤瀬川原平氏』 でした。二回目は、『小保方晴子さんと、赤瀬川原平氏は、ともに手相を信頼している。日傘雅水というキーパーソン』となっています。さらに、5日の午前九 時に三回目『小保方晴子、赤瀬川原平、日傘雅水、湯川有紀子、長瀬いずみ、島田章三、大沼嘉津江、杉本正子』へ、変更といたしました。そして、推敲をして いるうちに、さらに、総タイトルの変更の案が出ました。今は、4回目のタイトル、『読売が中公に乗り込んだ裏側は?・・・小保方晴子、赤瀬川原平、日傘雅 水、湯川有紀子、』となっています。
副題16、『美術系作家としての赤瀬川氏に対する、私の、感想』
副題17、『裁判に勝った瞬間から、赤瀬川さんは、特権を得た』
副題18、『赤瀬川さんの芥川賞、受賞の裏側・・・・・特に、ここでは、湯川有紀子さんについて触れよう』
副題19、『嶋中事件から、思い起こす、種々のこと』副題20、『澤地久枝という項目でぐぐって、わかった種々のこと』副題21、『有馬頼義(澤地久枝のはしご)と、里見(伊藤玄二郎のはしご)は兄弟です』
副題22、『渡辺恒二氏と、瀬島隆三は無論、親交があったであろう』
副題23、『赤瀬川原平を、芥川賞受賞をさせた裏側について』
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副題16、『美術系作家としての赤瀬川氏に対する、私の、感想』
この部分は、この文章全体の主題とは、直接関係が無いので、下へおろし、別稿として立てました。
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副題17、『裁判に勝った瞬間から、赤瀬川さんは、特権を得た』
その、コンセプト重視の結果の作品のひとつが、千円札を拡大することでした。 それに対する国家からの干渉と、それに対抗する裁判の事ですが・・・・・・
その裁判に対しての、私の最初の感想ですが、木っ端役人のつまらなさと言うものは感じます。芸術作品を理解しない、おばかな連中です。だけど、より高次な 感想を言うと、・・・・・・赤瀬川さんは、結果として、国際的軍産共同体の、かわい子チャンになれるという得がたいパスポートを得たのです。だから、災い を 転じて福となすの典型である・・・・・となります。
どういう事かと言うと、日本って、実際には独立国ではないのです。被植民地国家です。となると、日本の真の支配者にとっては、永田町なんて、馬鹿がそろっていて、ほしいのです。国政も馬鹿が担い、霞ヶ関も馬鹿が充満している方がうれしいし、楽なのです。 だから、赤瀬川さんが起こした裁判によって、特に、赤瀬川さんが敗訴になった事によって、大きな同情を浴びた事が、得がたい利点となったのでした。特に、 この現代日本において、自分をインテリと自覚する人々が、政府などの三権に対して『まるで、おばかさんだね。日本の官庁って』とか、『日本の裁判所って馬 鹿だねえ』と感じたのが重要です。そう言う認識を国民の間に、植えつけた赤瀬川さんは、抜群の愛顧を得たのです。誰からって、言うと上に一度言っています が、日本の真実の支配者である国際的軍産共同体と、そのエージェントたちからです。
で、それ以降、あなたは何をやってもマスコミに取り上げられ、しかも、どんなばかげた事(トマソン運動)でも、意味ありげに賞賛され、出版した本は、ことごとくベストセラーになるなどと言うほどに、光が当たる事になって行くのです。
しかも、そう言う露出を丁寧に、チェックしてみても、政治的発言は、ほとんど無いのですよね。上手に遊泳して、虎の尾を踏まない様に、気をつけていらっ しゃいますね。うまい。さすが兄上が直木賞受賞者だ。マスコミ内で、長い命を保つためにはどうしたらよいかが、よくわかっていらっしゃる。
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副題18、『赤瀬川さんの芥川賞、受賞の裏側・・・・・特に、ここでは、湯川有紀子さんについて触れよう』
さて、これから先は、見てきた様な嘘を言いの類です。だけど、結構当たっているかもしれない事です。それを書きましょう。 まず、赤瀬川原平に、芥川賞を与えた方がよいと、考えた人間がいるとします。それは、瀬島龍三か、成岡庸司君か、何しろ、日本のトップエージェントであるはずです。その次に、日経新聞の、石塚雅彦氏あたりに話が入ります。
石塚雅彦氏は、中央公論新社の編集部にいる湯川有紀子さんと、親しいでしょう。湯川有紀子さんは、私が北久里浜における瀬島隆三の土地取得詐欺事件の直後 に電話等で、連絡を取っていたので、当時から、我が家の電話が盗聴をされていたと仮定をすると、瀬島隆三たちにとっては、これを、自分側の橋頭堡にしたい と、考える格好の人材です。
:::::::::::: ここで、大衆的な知名度の低い湯川有紀子さんについて、少し説明を加 えさせてください。私は婦人公論が、浅野八郎の文章に拠る新書版の星占いをテーマとする付録をつけたときに、ひとこと、お断りをいただくべきだったと思っ ております。そこで、手ひどく失礼な扱いを受けたと考えていますし、その後の婦人公論の企画を見ると、それ以外にも重要な悪意の見える企画(KN女史の重 用など)があるので、これ以下を書くことを、天が、許してくださっているのを確信するのですが、
湯川さんは、旧姓を枡田といって、湯川さ んと結婚をなさった後の名前を、仕事上の名前になさっているのです。神戸女学院卒業なので、お見合い風な形で、戦後初のノーベル賞受賞者湯川秀樹さんの一 族とご結婚をなさったのではないか、と推察しています。中央公論社内の、社内恋愛かもしれませんし、兄君の紹介かもしれませんが、ご主人が、湯川秀樹さん の一族であることは、間違いが無いでしょう。 もともと、クールだがすこぶる美貌の人であり、頭もよいのに、その上、貴種となったわけですから、断トツの上流階級の人です。戦後の女性が、上流階級であっても、働くことの方が上だと考えている、そう言う風潮にのっとっても、勝ち組の最たる存在です。 ただ、『真のエリートは、テレビには出ない』の典型であって、大衆の前には姿を見せない人です。が、日本のキャリアーウーマンで、現在60歳以上の人間 で、しかるべき地位にいる人で、この人の名前を知らないとしたら、それは、もぐりだと言ってよい程の、スーパーレディです。
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副題19、『嶋中事件から、思い起こす、種々のこと』
今、中央公論新社のwikipedia をはじめて開いてみて、あまりに簡略に過ぎるので、変だぞと、思っている次第です。たとえば、記憶に残る大事件として、嶋中事件があります。 それの簡略な説明をこれも、wikipedia からとって*****罫線以下で述べますが、それが、中央公論新社の、本体のwikipediaには載っていないのが、そもそもおかしいです。歴史に残る大事件だったと、思いますよ。
********1961 年、東京都新宿区の自邸に大日本愛国党の元構成員(17歳)が侵入。嶋中社長は不在だったが家政婦が刺殺され、雅子夫人が重傷を負う(嶋中事件)。当時、 発売元であった『思想の科学』誌が天皇制特集号(1962年1月号)を組むと、発売停止にし無断で裁断(12月)。これに対して、言論人の間に『中央公 論』への執筆拒否運動が起こった(『思想の科学』事件)。::::::::
ここで、言う雅子夫人が政治学者蝋山政道の娘。と言う項目も本日はじめて知って、懐かしい思い出もよみがえります。 1963年ごろだったかな? 蝋山政道氏宅の蔵書整理のアルバイトに伺っています。紹介してくれたのは、後にソニー損保の社長になった川島君。古村浩三君と私と川島君は、たった、23名の一年次の同級生です。総形1000時間以上を同じ部屋で過ごした仲間です。 川島君は、私が大変丁寧な仕事をする人間であることを、すでに、その時には、知っていてくれたのでした。蔵書整理なんて、几帳面でないとできない仕事です からね。川島君は蝋山政道氏の講義を取っていたので、アルバイトを頼まれたのだと思います。で、孫引きで、私が蝋山書庫の整理をしたのですが、お茶タイム に現れて、ねぎらってくれた蝋山先生は、普通でしたよ。これほどの、大事件の後でも普通でした。ただ、その当時は、嶋中・中公社長夫人が蝋山家のお嬢様だ と言うことは、私は知りませんでした。本日2014年2月5日、はじめて知ったのです。:::::::
挿入内挿入の、私的 思い出から、嶋中事件に戻ります。いやあ、大事件だったと思います。大事件でした。それは、この章の登場人物の一人である湯川さんにとっては、就職後一年 目だったわけです。ですから、私が、京橋の中央公論旧ビルで、であったときに、私の事を、彼女が、子ども扱いをしたのも否めないかもしれません。ただ、彼 は昔の彼ならずは、私がこれも、旧友からいただいている言葉です。いやあ、私は、すでに、すごいレベルの大物になっているのですよ(笑い)***********
ともかく、中央公論新社のwikipedia に嶋中事件が、含まれていないのは変です。しかも、新という一語を抜いた・中央公論社・と言う項目が見当たらないので、これは、悪意を感じます。 中央公論とは、日本文化の殿堂のひとつだから、もっと詳しい文章で、解説しておいてもらわないと困ります。
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副題20、『澤地久枝という項目でぐぐって、わかった種々のこと』
中央公論という項目のwikipedia が、簡易すぎると感じた私は、もうひとつ、出身者として出色のライター澤地久枝の名前が無いことにも疑問を持ちました。今、それに、びっくりして、澤地久枝のwikipediaをはじめて引いたのですが、驚くこと、驚くこと、いろいろな項目を発見して、びっくり仰天です。 彼女の本は一冊も読んだことが無いのですが、雰囲気として、このましい人物だと感じています。 で、メディア露出も多いのですが、wikipedia に*****以下の項目を発見して、なんだ、そうだったのですか?と、幻滅しました。
******「戦争へと至った昭和史の実相に迫るノンフィクションを著した業績」によって、2008年度朝日賞受賞。
近年は「九条の会」の発起人の一人となり護憲派の立場で講演をするなど、政治的な活動が目立っている。
****** この二つの項目は、彼女が現在の、日本の、真実の支配者の配下に入ったことを意味していて、それなら、メディア露出が多いのも当たり前となります。本日より前は、彼女が実力だけで、生きていると、思っていたので、尊敬していましたが、9条の会とは、井上ひさしの、ぺ(つば)が、付いていることを意味しますので、『何だ。そうだったのですか!』と、今、がっかりしているところです。
現代のラスプーチン、井上ひさしは、庶民派の、小林カツ代を手なづけ、(後注2)ついでにというか、マガジン9条の会を立ち上げる前に、原初9条の会を立ち上げて、実力派ライター澤地久枝さんを取り込んでいたわけです。
小林カツ代さんは、さそり座だから、井上ひさしと、性格が似ていて、よくあったでしょう。澤地さんの方は、性格上の愛称は、+1程度だけれど、生活の苦労をしてきたということが本日わかりましたので、その点で、井上ひさしと共感するところがあったのかも知れません。 だが、9条の会と縁ができると悲惨なことが起こりやすいのは、一ノ瀬智恵乎さん(三鷹ストーカー事件の被害者の母、私は8年ぐらい前から、彼女からいじめられていたがゆえに、・・・・・この人は母としては、将来悲惨な目にあうだろう・・・・・と内心で予言をしていた)と、小林カツ代さんの例で見てきたのですが、この澤地久枝さんに、それが、起きていないのは、彼女が苦労人であって、その苦労の過程で、実力を備えてきているからでしょう。そこが、一ノ瀬さんやら、小林カツ代さんとは、異なるところです。 私は彼女の近年の業績から、すっかり、『大卒で入社して、能力が高いので、独立した人で、立花隆に似た経歴の人だ』と想像しておりました。だが、そうなると、『処女で、仕事師となって行くわけだから、よくあれほどの、仕事ができるものだ。豪胆ですね』と、驚嘆をしていました。が、実際には違っていて、一度結婚をして離婚を経ておられるのです。ほーっと、びっくりしました。私は美術界の噂話にも首を突っ込まないが、ましてや、文筆家のゴシップにも首を突っ込むはずも無く、まったく知りませんでした。でも、そうなると、山崎豊子さんより、そう言う面では、やり手な人だったのです。なるほどねえ。だから、テレビ画面内でも、落ち着きがあるのでしょう。
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副題21、『有馬頼義(澤地久枝のはしご)と、里見(伊藤玄二郎のはしご)は兄弟です』
澤地久枝を、ぐぐっていて、もうひとつ驚嘆したことがあります。彼女はやり手編集者として、有馬頼義と、恋愛に陥ったそうです。彼女の方が結婚をしている身でありながらです。これは、1950年代から始まっていると思われるので、ものすごいことでしょう。本日で、彼女のイメージがガラッと変わってきました。
ところで、私は私の行動の諸辺につねに、自らに付きまとっている、・・・・・いまだ、生きていて、地下潜行をしている・・・・・井上ひさしの影響を感じ取るのですが、一応は、死んだことになっているわけですから、表向きの連絡は、二人羽織というほど、密着している伊藤玄二郎、鎌倉春秋社・社長が間に立つということになるのでしょう。 この男性が、私の周辺に、毎日といってよいほどの、被害をご近所住民を私兵として利用して与えてくる人間なのですが、また、2007年ごろから、顕著すぎるほどの割合で、NHKを利用しまくってもいるのです。
そして、彼の最初の出発点であるタウン誌『鎌倉春秋に、本日のメイン登場者である赤瀬川原平が芥川賞を受賞する際に、もっとも大きな働きをしたと、世間で言われている村松友視が連載をしているのですね。2010年ごろだったかな? たった380円の雑誌代金の、主にお店の広告をするための雑誌です。変ですね。
だがね。私がこのブログで、書いている政治という項目を、通読しておられれば、それも、また、大きな意味がある行動だったと、お分かりいただけるでしょう。私自身はそれがわかっておりましたが、なかなか、このブログ内で、書くことができませんでした。本日とんでもない、いきさつで、澤地久枝さんのwikipediaを読む羽目になり、 その結果、説明がしやすくなったと、思い、『あら、あら、これも、天のお助けの一つですね』と、こころがほっこりと、している次第です。
そして、もうひとつあるのです。澤地さんが、当時恋に陥った有馬頼義ですが、弟が、里見です。文筆家・兄弟として有名な一族です。それが、今では、伊藤玄二郎が、引っ付いて、引っ付いていって、河出書房を、たった一年で退社した、大樹であることがわかっています。かれは、ホーム頁などではそれを語っていませんが、鎌倉で、しかるべき人なら、すべて知っているという情報でしょう。 で、私は過去のどこかで、(リンク先を暇があったら、見つけておきます)すでに語っているのですが、伊藤玄二郎の母親は、ベテラン編集者であって、すでに、里見
と知り合い出会ったのではないかと。だから、里見は、スムーズに伊藤玄二郎を受け入れて、かわいがったのではないか? と思うのです。
それは、想像です。ついでの想像で、大相撲壊滅作戦のときに、伊藤滋と、村山正義という人物が突然担ぎ出されて、大相撲をいじめまくったのですが、それは、無論のこと、私が常に、鎌倉エージェントとよぶ、この伊藤玄二郎と、井上ひさしが発案した、私をいじめるための策略にしか過ぎなかったのですが、 その際に、担ぎ出された伊藤滋氏が、伊藤整(一世を風靡した紳士風美形の小説家)の子供であることを知って、おや、おや、『もしかすると、伊藤玄二郎の父親って、伊藤整ではないかしらと、思い至った次第です。そうなると、担当編集者であった母が、恋に陥ってと、なるのは、必定で、玄二郎が生まれたとなります。
伊藤玄二郎は、私より一才年下で、平沼高校の出身です。平沼高校は、岸恵子が卒業した旧制第一高女であり、私にはそちらからの情報が横浜国立大学付属中学校の同級生以外からも、数ルートで手に入るのですね。私には社員も折らず、秘書もいないし、お金を使って探偵を雇うわけでもないのですが、不思議な形で、必要な情報はすべて手に入ってくるのです。しかしながら平沼のラインから、伊藤製の子供だとは入ってきていません。となると、隠し子だという想像はますます、強まります しかし、以前からこのブログでも、開示していたその想像とすっかり同じ流れで澤地久枝さんが、生きてきたのだということは夢にも知りませんでした。 しかも、二人のサポーターになった有名な文筆家が、兄弟だということ、この寄寓にも驚いています。
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副題22、『渡辺恒二氏と、瀬島隆三は無論、親交があったであろう』
さて、ここで、湯川有紀子さんに戻りたいのです。湯川さんがなぜ、大出世して行ったか? 私は、上に書いた様に、我が家の電話が盗聴をされていたがゆえに、湯川有紀子さんが得がたいアイコンとして、瀬島隆三のとって利用したい人物になったと見ています。しかし、大インテリです。うかつなことをしてしまうと、なぜ、自分に瀬島隆三が近づいてくるのかを、湯川さんが、理由を疑いだす可能性もありますね。だから、読売新聞の、渡辺恒二氏を動かして、「中央公論を乗っ取ってしまえ」と、そそのかした可能性はあると、推察しています。 そのころ、中央公論は、風流夢譚事件(→嶋中事件に至る)にゆれていたし、出版社全体を覆う不況の嵐にも見舞われていたでしょう。まあ、のっとる時期としては適切だったと推察されます。盗聴機能を駆使して、社内に、一種のクーデターを起こせば簡単にのっとれます。 私への弾圧は、他ルートでも、間接的、間接的に行われていますので、迂遠な形ですが、湯川有紀子という、どこをはたいても、私より上だと見なされる人物を、遠まわしに取り込んでしまうのは、自分たちの勝利を約束することだからです。
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副題23、『赤瀬川原平を、芥川賞受賞をさせた裏側について』
で、私の見るところでは、中村久瑠美さんという私が昔から知っているお茶大付属高校出身の女性弁護士を婦人公論の書き手として採用したり、いろいろ、名、側面から、瀬島隆三たちが、この35年間使い続けてきた手が、婦人公論にも見られるので、湯川さんは、どういう筋を通じてかはわからないものの、瀬島隆三一派の役に立つ様に動いて来ているのです。
赤瀬川さんが、尾辻克彦名義で、婦人公論にチチヤスものを連載していたのも
湯川さんが、編集長の時代でしょう。となると、それを、湯川さんが時下kをsんしていたかどうかは別として、大きな流れが、赤瀬川さんを、大物として仕立てていこうとする方向へ向かうのです。 ところで、湯川さんに、赤瀬川原平に芥川賞をとらせた方が良いと、別ラインから話が入ったと仮定いたしましょう。たとえば、最近になって明瞭に弾圧者として動いていることが確かな石塚雅彦さんあたりから入る可能性です。
石塚夫人が、湯川さんと同じ学年です。今、正確には、調べてはいないものの、記憶では、たぶんそうでし た。1960年代の国際キリスト教大学って、学生数が、少なかったし、石塚夫人と、湯川有紀子さんは、親しい可能性が強いです。それと、石塚氏と湯川さんの間ですが、新聞と雑誌と、分野は違っても、ペンで生きるという意味での職業分野は同じであり、 大手町と、京橋って、歩いても20分もかからないで、行き来できますし。喫茶店を利用しての交流は十分にあったと思いますよ。五時の終業前でも、会うことは自由自在だと思います。
湯川有希子さんに、その概念が入れば、次に村松友視さんには、それが入るでしょう。そこから先は、村松さんが動きます。ぐわん、ぐわん、ぐわんと、動きます。で、衆目の認める特権階級へのパスポート、芥川賞受賞と言う勲章が赤瀬川さんの手に入りました。
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副題23、『なぜ、赤瀬川さんが、このブログで、問題となるのか?』
ここから先、すごい話が展開するのです。昨日初稿として、手相占いの話しをしています。もしかすると、読者の皆様はあれを、つまらない話と誤解をなさってはおられませんか? 違うのです。秋山祐徳太子氏が私にひどいことを仕掛けてきているのは、すでに、保坂涼子のののしりメールがあり、しかも、それが、101回も繰り返されてきているので、裏側に黒い勢力が引っ付いているのは明らかです。保坂涼子さんに、それほど、きちがいじみたことができる要素は無いです。
ここで言う、黒い勢力って、もしかすると、古村君ですか? 本日の弾圧の技術的な側面って、手法は違うけれど、根本の発想はフェイスブック時代に私が発見したものと同じですよね。
今日の一文は、マイクロソフトのワードでは、1万字にも満たないのに、すでに、二万時を越していますといったり、嘘ばかりついていますが、あのころと妨害のコンセプトは似ています。
すこぶる重要な話しへつながって行くのですよ。なお、このブログの2010年より数え始めた伸べ訪問回数は2018663です。雨宮舜 (本名・川崎千恵子)
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