下の写真ですが、これは4年前にパイロット版を作ったまま、未だ、機械的な印刷にかけては居ない本です。が、最近忙しいと言っているのは、今年分のこう言うパイロット版を作っているからです。その作業ですが、ずっと休んでいるのですが、いざとなると、短期間で、作り上げます。不十分なものですが、ともかく、作ることは作ります。次から次へとパイロット版の本は作り続けています。一冊を作り上げると、だいたい、大学院修士課程を終えたような感覚だと思います。中身の文章は、ほぼ2年分から厳選しますし、デザイン等も、一冊ごとに、技術だけは向上していますので。美的に言えば、時間をかけられないので、最上のものではありませんが・・・・・
レストランで作ることにしているので、その場所代も入れれば、すごいお金がかかっています。ところで、レストランや、カフェで、仕事をするのがノマド生活なんですって。そう言うことで、その言葉を使っていいのなら、私って、7年ぐらい前からノマド生活者です。特に本作りに関しては、ノマド生活です。
マイクロソフトもアドビのソフトも、自宅で使うと、すさまじい妨害を受けて、困難極まりないので、外で、仕事をするようになりました。今では、そちらも妨害を上kて、外で、アドビを使う場合は、インターネットにつながないと、絶対に起動しないことになっています。(苦笑)お互いに追いかけっこで、技術革新をしています。(苦笑)
申し訳ございませんが、その本作りで、本日もくたくたに疲労をしていますので、10年前に書いた文章を、再び、ここにあげさせてくださいませ。それは、2月24日のブログ(後注1)と、
とまったく同じ日に遭遇した、別のエピソードであって、こちらが午前中のものです。前に書いた方は、時間的には後で遭遇した話しでした。
二つとも哀愁を、感じさせる話しです。お若い女性は、若いだけで輝くのですが、しかし、人生、ただ、単純にいいことばかりあるわけでもありません。
このエピソードは、私が三冊目に作った本、電車の中で(後注1)の、46頁から始まるお話で、第7章となっています。上の文章に出てくる少女は、いまどき、信じられないくらいに粗末な服装の少女でした。でも、前まっさらなものを着ていました。
こちらの女性は、お金もちが、子女を通わせることで、超有名な、一流大学を卒業だとのことです。英語がぺらぺらなことを、みても、非常に育ちのよいお嬢さんです。
私は、よく離婚をするなといっていますが、其れは、才能がない、普通の女性に向けて言う言葉であって、特殊な才能を持ち、かつ、お若いのなら、離婚もどうぞです。だけど、なんともいえないペーソスを感じてしまうのです。せつなさと言っていいかなあ?
その女性を批判して言うのではなくて、人生が、まっすぐではないことを、感じ取るから。
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第七章、「離婚をするつもりです」・・・・・「でも、資格がなければ、離婚しちゃあ駄目よ」・・・・・
2004年九月二十六日の日曜日は、事のほか学ぶ事の多い日でした。それを、少しずつ、書いて行きたいのですが、最初に午前中に、鎌倉駅であった事をお話しましょう。
これから、神田に行こうと駅のベンチに座っていた時の事です。左側から大変美しい英語が聞こえたので、思わず注目をすると、若いアジア系の背の高い女性が、携帯で話しているのでした。その横顔を見ると、私が二冊目のエッセイ集の中で描いた台湾人医学生とそっくりで、思わず、彼女がまた日本へ来たのかと思って、英語でそう質問をすると、
彼女も英語で「いえ、私は日本人です。今、サーフィンをやりに来たのだけど中止になったので、外人の友達に連絡をしていたのです」と応えました。余りにそれがスムーズだったので、相手が日本人であるのにも関わらず、しばらく英語で二人とも話し続けたのですよ。それで、日本人相手としてはめずらしく、ずいぶん深いところまで話が進みました。英語だと、結構、直截な事を、また、理論的に話せる感じがあります。
私が、一番、興味と言うか謎に感じたポイントは、彼女の薄化粧と言うか、全く、化粧をしていない感じで
す。でも、充分に女らしいと言うか、がちがちの粗野な感じはないのです。それが疑問だったので「あなたは学生さん?」と先ず一番に聞きました。すると、「いえ、お勤めをしています」との事。
それで、『ああ、幸せな人は、自己顕示欲がないから、それでお化粧をしないのか』と思って、「充分に幸せなのね」と言うと、「いえ、今、悩みがあります」と、彼女は言うのです。これも英語ゆえに入れた話題ではありますが・・・・・
それで、今、流行の『負け犬の遠吠え』を思い出し、「ああ、結婚をするか、しないか悩んでいるのでしょう」と言うと、
「いえ、離婚をしようか、しまいか、悩んでいるのです」と応えるのです。「既に、五年も結婚をしているのですけれど」とも言います。
その時に、私は、「あっ」と言うような、思いに囚われ、急に日本語で話を始めました。彼女と東京まで一緒の席に座るつもりはありませんでした。そんな無神経な事をする人間でも、私はありません。
私は深い集中をするけれど、それを過剰にならない程度に抑えるすべと言うか、エチケットは知っているつもりです。で、今、ここのベンチだけの、たったのこり三分程度の接触しかないわけですから、あせったのです。
「彼女を救いたい」と言うか「幸せになってもらう道は何かを伝えたい」と言う思いであせったのです。で、思わず『資格がなければ、離婚しちゃあ駄目よ』と強く言ってしまいました。実は、先生とか、弁護士とか、看護士とか、薬剤師を既にしている女性なら、何も悩まないと思います。離婚の件で、一番の要諦は経済力です。経済的に充分一人でやって行かれるのなら、若い人なら、一度離婚をしたって、どうと言う事でもないはずです。
でも、一生を自分で、稼いで生きて行かなければならないとすると、女性の場合相当難しいのです。この若い女性の場合、その離婚をしたいと言う発言の前に、超一流私大(具体的な大学名)を出ている事は既に聞いて知っていました。でも、一流大学を出ていたとしても、職種によっては、一生は勤められないのです。
若い女性の方が、容姿も良いし、給料は安いし、と言う事で、年配になって、退職を迫られるケースも出てくるでしょう。単なる事務職、(商社では、バックオフィスと言うらしいのですが)では、首のすげ替えが起こる可能性もあります。今、女性は、派遣社員と言う美名の元に働いている人が多いのですが、これは、私には非常に心配です。
「大丈夫かなあ」といつも考えています。
この人の場合、英語だけでも自由自在なのは、わかりましたけれど、今、英語が出来るだけではお金にはならない筈で、やはり何か、確とした資格がないと、一生の経済力は賄えないでしょう。
いや、アーチストはいいんですよ。気力とか、気概があるので、なんとかなるのです。それに、通り一遍の価値観を持ってはいないから、そしてお金の使い方も普通ではないから、そう贅沢な生活を出来なくても、気にしないタイプですからね。だけど、そう言う強い個性と言うか、欲望のない人は、何か、一度つまづいたりすると、危ない事になるとは、私は常々考えているし、他の人も同じ考えでしょう。
私は更に、「こう言う事は、女性雑誌ではあまり言わないけれど、最初の結婚と言うのは、お互いに努力をするものですから、もつところがあるけれど・・・・・」とも、付け加えました。だけど、そう言いながら、彼女が、離婚を決意しているのは、知っていました。だからこそ、全く知らない人である私にさえ、そう言ったのは、判っていました。
でも、その支えとなる経済力の面で、彼女に成算があるのかどうかが、非常に気に掛かったのです。心配だったのです。彼女は黙っていました。そこへ電車が入ってきたので、私は「では、さようなら」と言って、別の遠い車両に乗り込みました。一人で座って、例の如く、車内をオフィスにして、事務的な事をあれこれしているうち、私は、あの若い女性へのいとしさで、堪らなくなってきました。
彼女の、女を売り物にしない化粧っ気のない顔は、本当は、悩みの果ての顔だったのかと思えば、援助をしたいと言う思いに囚われました。転職先を示唆するとか何か、何も具体的な事は、今の私にはできません。それで、例の本(後注2)に、「あなたの毎日が輝きますように」と献呈の添え書きをして、彼女に上げようと、後ろの車両に向かいました。
その時に、今現在自分が座っている席の、右隣に座っている先ほどの人とは違う別の若い女性に、つかの間の荷物番を頼みました。こちらは、なんと、今風だったでしょう。柔らかなドレスを着て、お化粧もばっちりやっています。長い髪の幸せそうな未婚の女性・・・・・普通の人。
それを、目の端に入れながら、どんどん後ろに下がって行くと、電車は前の方の車両より混んでいて、例の「離婚をするつもりです」と言った女性は、左右の人に挟まれるような窮屈な姿勢で座っています。その目は、膝の上に置いた本の上にそそがれていて、目の前に立った、私にしばらく気が付きません。
それで、私は、そっと、彼女の膝の上の本を覗き込みました。
ああ、なんとしたことでしょう。それは、問題集でした。彼女は、サーフィンに行くと言う時にも、バックパックの中に、資格試験の問題集を入れているのでした。私が、忠告をするまでもなく、ちゃんと判っているのでした。離婚をするなら、ちゃんとした資格をもち、一生の経済力を確保しなければならないのだ」と言う事を。
きっと、司法試験の問題集か、弁理士試験の問題集でしょう。彼女は入試の偏差値が、72以上の大学を出ているので、そう言う資格に挑戦するつもりだと思われました。
私は、更なるいとしさに、胸が震えました。ちゃんと、勉強できるかしら、今の夫が甘えん坊タイプで『夜は一緒にテレビでも見ようよ』なんて言うタイプだったら、お勤めをしている女性が、別の勉強などできません。そこが大変な矛盾ですが、どうにかして乗り越えなくてはいけないのです。結婚五年目で、離婚を決意するのですから、やはり、何かはあるわけで。大丈夫かしら、と思いながらも、私には何もできないのです。
ただ、「これを、あげるわ」と彼女に向かって言い、驚く彼女の問題集の上に、そっと、私の本を置きました。それが、私の、「がんばって」のサインでした。
これが勉強中の彼女のひざの上に置いた本です。タイトルの文字が薄ぼんやりとしているのは、薄いピンクのトレーシングパーパーがカバーとしてかかっているからです。
普通、若い女性は、近視でもコンタクトを使うものですが、彼女は眼鏡を掛けて、必死に勉強をしていました。ああ、がんばれ、がんばれ・・・・・と、心の中で思うのみだったのです。
二〇〇四年十月七日
後注1
本日は、04年に書いた、「足長おじさん・育英基金・の恋」を再録させて頂きます。△」 2014-02-24 19:
このブログの2010年度から数え始めた伸べ訪問回数は、2072180です。
雨宮舜 (本名 川崎 千恵子)