副題1、『松也って、人気だけ先行している役者ではなかった。実力があるのには、驚いた』
いやア、ものすごい状況下に居る私が、こんなブログを書いて居ると、夫、子供に袋叩きされそうです。が、書いてしまいましょう。実は、合間を縫って、歌舞伎を見てきました。悪妻で、バカ母だと、言われてもいいのです。
さて、本日見たのは、宇野信夫作、吹雪峠です。
筋書き(プログラム)を読むと、是も又、玉三郎が、中車(=香川照之)を、引っ張り上げてあげようとして選んだ演目だと、判ります。共同演出者(石川耕士)が、居ます。だから、細部は後者が、詰めたとしても、玉三郎が、「これをやりましょう」と提案したパーセンテージが大きいでしょう。
香川照之が、ものすごくかっこよく見える役です。******
ここで、書いてから、一時間後に加筆をします。戯曲上は、素晴らしい役なのに、意外と、光らなかったと、感じました。それは、香川照之にとっては、非常に珍しい事です。帰宅をしてから、ネットの記事で、間接的に知ったのですが、香川照之は、離婚をしているそうです。その影響か? 男性が輝くのは、糟糠の妻が支えているからの場合が多いのですが・・・・・・
挿入以前の、*****印のところに戻ります。しかし、本日、私が驚いたのは、松也の演技者としての力量の高さです。一種の新劇俳優という趣で、微細なところを表現をしていました。ともかく、すごい力量でした。知名度先行、人気先行の人だと、今までは、誤解をしていましたが、実力がある俳優でした。
ただ、この芝居が、いわゆる新作であって、型が無いので、松也の手法を批判する人もいるかもしれません。つまり、「あまりにも、歌舞伎っぽさが無い」という人がいるかもしれません。
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副題2、『中車(=香川照之)について、語っておきたいこと』
いや、ここまで書いてきて、まったく歌舞伎を知らない人とか、最近の歌舞伎界の状況を知らない方にとっては、失礼な書き方だったと、思います。
香川照之とは、一時代を築いた猿之助の実の息子です。しかし、猿之助は、香川照之の実母である、女優、浜木綿子と離婚をしてしまいました。私が、高校生のころに、同級生が、「あの子ったら、浜木綿子に似ているわ」と、学校の玄関で、目の前を通る、お茶の水女子大付属小学校の生徒を指して、言いましたので、宝塚のトップ女優として、浜木綿子にどれほどの、人気があったかをご想像をください。で、猿之助という歌舞伎俳優も、非常に頭のいい人だし名門のうまれなので歌舞伎界トップの役者です。それなので、宝塚と言う世界の、トップ女優と、歌舞伎界のトップ役者の、華麗なる結婚だったのです。大成功の筈でした。
しかし、ここに脇から、ものすごい女性が登場をしてしまいました。大人気女優浜木綿子でさえ夫を奪われてしまうほどの、女性です。わたくしは、良く、『水も滴るいい女』とか、表現をしますが、藤間紫こそ、そういう人なのです。しかも、お医者さんの娘だから、頭もいいし、何よりもすごいのは、一家中が、歌舞伎とか、日本舞踊に、精通をしているという事です。そして、演出家兼サポーターとして、猿之助を支えている内に、猿之助にとって、浜木綿子よりも大事な人になってしまったのでした。ここらあたりはダリと、その妻の関係にも似ています。で、香川照之が、何歳の時かは知りませんが、離婚という事態が、出来して、彼は、浜木綿子側で、育つこととなったのです。
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副題3、『私は、過去に香川照之に対して、大量の文章を書いて居る』
今、それが、見つからないのです。それに忙しくて、見つけている暇がないのです。しかし、私は200x年ごろだったと思いますが、メルマガの方で(という事はこのブログの過去記事を探しても見つからないであろう)映画【鬼子来了】撮影中の、香川照之のドキュメンタリー本( 自著)を、読んで、いろいろ、考えるところがあったからです。今、その本のタイトルを、見つけている暇がないのですが、香川照之が、中国の農村で、すさまじい苦労をした事が解ります。これは、彼にとっても、後には、財産に、なった事でしょう。その時は、ちゃんと、日本で、留守を、まもって居た奥様が、どうして、今、離婚を?と、私は、思いますが。
その時に書いた、5章ぐらいの中で、極一部分に、当たるのですが、猿之助と、浜木綿子の関係と、藤間おの事と、香川照之について、書いて居るのです。私の文章は、最近では、いじめられた話ばかり続いていますが、過去には、そのことは、秘めて、公に、通じる、モノを、書いて居た時代があって、その頃のものは、当事者には、渡っていたと、思います。私が渡すのではないのですよ。実は、私の文章は、日本のトップレベルの人は、おおく読んでいると、思います。毎日書くものを全部ではないのですよ。だが、当事者には、情報が渡っていて、読んでいるでしょう。
そして、香川照之にもわたったと、思います。で、多分ですが、そこから、彼は、猿之助との関係を強めようとしたのではないでしょうか? ずいぶん、口幅ったい言い方ですが、多分、私の文章が影響して、香川照之は、歌舞伎界への参入を考えたのだと思います。
特に坊ちゃんには、歌舞伎役者の、DNAを残したいと、思ったのでしょう。丁度良くと言っては、失礼だが、藤間紫も亡くなっていたし、猿之助が病に倒れて、弱弱しくなっていたので、一種の好機でした。で、父親の正当なる息子と言う位置を、香川照之は確保したのです。幸いと言っては、さらに、失礼ですが、藤間紫が、非常に頭の良い人で、自分と、猿之助の関係を歌舞伎役者としての表現力向上に特化していたので、猿之助(先代=三代目)には子どもが居ませんから。しかし、ですね。好事魔が多しという側面もあって、二つのマイナスが、最近、表面化しつつあります。
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副題4、『思いがけずも、亀治郎(=四代目猿之助)を、圧迫してしまった。大丈夫か?』
先代・猿之助は、藤間紫の勧めもあったのか、甥にあたる亀治郎を後継者に指名していました。これは、いいのです。そして、亀治郎の四代目猿之助襲名は、大事業だった筈です。すごい事だったみたいです。その当時は、歌舞伎に関心がなかった私も、彼の御成が、銀座で、行われ、盛大だったという事は知っています。テレビ情報からですが・・・・・
市川中車(=香川照之)が活躍する陰で、どうも、4代目猿之助の影が薄いと感じてしまうのは、思い過ごしでしょうか?
そして、うーむと言うか、なんというかは、香川照之が離婚をしてしまったと、言う報道です。なんという事だろう? 奥さんは舅を引き取るとか、歌舞伎界の襲名のあれこれで、疲労困憊してしまったというニュースは、以前、ネットで、読んだことはありますが、離婚とは、これまた、どうして? そのくらいは、我慢をしてあげなさいと、言いたいところですが、他人の生活には、容喙できない身分です。
ところで、数か月後に、当時の、私の文章を探して、ここに添付しておきます。
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2016年12月17日 雨宮舜 (川崎 千恵子)