副題2、『皇后美智子さまが、ご成婚あそばす前も、民間からの出身だと言う事で、大騒ぎになったのだ。その事を思い出すと、小室圭さんの登場には、隔世の感がある』
江戸幕府は、国民支配を、容易にするために、士農工商、エタ・ヒニンと言う制度を作りました。しかし、俳句の隆盛とか和算(数学)の発達が、いわゆる町人文化に、大きく支えられていたのは、有名な話です。大都市では、歌舞伎も発達をしました。
200年も続いた平和と、ともに、たくわえを持った、町人と言うのが、豊かな文化を生み出したのです。
その町人の中で、各都市で、もっとも、豊かだと、見做されていたのが、作り酒屋と、呼ばれる、人達です。ほかにもいろいろな商売はあったでしょうが、工場を持ち、人を使い、製品を生み出し、それを販売するという形で、生きて居る醸造業の人達は、反物を扱う、呉服屋などよりも、お金持ちだった可能性が高いのです。
しかも、今みたいに税務署が厳しく相続税を取り立てて、家の中に資産の蓄積を許さないという事がなかった時代なので、裕福な家は、いろいろ、お金持ちなりに、周辺を潤したのでした。
今、国宝になっている、漆器とか、友禅染ほかの、着物に関する高い文化、そして、屏風、襖絵、掛け軸と言う形で、残された傑作は、それを、高いお金で買う階層が居たから、こそ、発展をしたのでしょう。
皇后美智子様の、本家というか、ご実家の、生業は、そういう醸造業だったのです。アルコールではなくて、お醤油だったけれど、一種の作り酒屋と、見做していいので、おお金持ちのご出身と言ってよいでしょう。
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副題3、『明治以降に大学の制度が、できた時、出自が、おお金持ちでなくても、出世できる道が開かれた。特に東大を卒業して、官僚になり、末は、国会議員で、終わるという様な、コースが、生まれた。
たま、たま、美智子さまのご実家では、ご婚約の内定が、進んでいた頃には、父君と、男子のご兄弟が、すべて、東大に、進学済みと言う形であり、その新たな社会の、規範に、のっとっても、エリートで、ある事、間違いなしのご一家だった。
そのうえ、美智子さまの、父君は、すでに、田舎の作り酒屋と言うわけではなくて、東京で、一部上場の、大企業の、社長を、既になさっていた。だから、新制度でも、エリートだった。
資産家に、生まれると、それこそ、銀のさじを咥えて来て生まれるという事なので、お子様方が、緩んでしまい、男子が、全員東大へ、進学するご家庭も、現代では、珍しいほどだが、美智子さまの、ご実家では、男の兄弟は、すべて、東大へ、進学なさっていたのだった。
特に戦前だと、入試制度が、異なっていたので、東大に入るのは、名家のお坊ちゃまだと、一中、一校と、進んで行って、割と、楽だったと、推察しているが、戦後は、厳密で、かつ、大量の記憶が、必要な試験なので、努力家でないと突破できない入試である。おお金持ちの家に生まれたお坊ちゃまに、努力をさせるのは、至難の業で、そこに、母親の賢さが、反映してくるのだろう。
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副題4、『香淳皇太后が、美智子さまをいじめたというのは、美智子さまの母君、富美子夫人に対する複雑な感情の反映だったと思う。価値感の違いからくるものだが、努力家の富美子夫人の、一滴も漏らさぬほどの、緊密な、姿勢が、香淳皇太后には、圧迫感を与え、かつ、嫌悪感やら、嫉妬心やらの、複雑な心理的・機序を生んだと、思う。
正田富美子夫人から見ると、学校で、子供が担任にいじめられているという心境と同じものであり、ただひたすらに耐え忍んで、生きてこられたと思う。その点では、とてもお気の毒な一生ではあった。その心理的な機序は、後注1に置いた、赤いドレスで、ピアノを弾く、美貌の中学生の、いじめ問題について書いたものと同じだろう。担任が女性だったと聞いているが、そちらの方からの、当該生徒のママへの、嫉妬が根底にあって、問題が生起した。その上、あの一家では、お子様は一人だったと聞いている。ママは、若くて、未熟であり、お嬢様に対して、フロイトのいう、同性の親子は、関係が難しいと言いう段階にあったのだと、思う。
私の場合は、二人の子供が下が四歳、上が六歳という時期に、別々の担任教師から、・・・・・私が嫉妬されたのだと思うのだけれど、・・・・・いじめられて、本当につらかった。だけど、私は、子供が、いじめられているのに、気が付かないという母親ではないし、それ以降は、悪い担任にも出会わなかったし、子供たちは、友人にいじめられる様な、タイプではないので、いじめの問題の苦労からは、抜け出せた。子供によっても違うけれど、大体、14歳が難しいと言われている。だから、その時期には、母親は、御勤めに出ない方が良いのだ。車を買うお金のために、パートへ出るという様な目的なら、中学時代は、母親は、働きに出ない方が良い。自殺をしたお子さんのケースを見ると、たいてい、母親が家にいなかったと、言うケースだから。
さて、美智子さまに戻ろう。美智子さまは、偉大な方だ。現在、今上天皇に人気が高いのは、一つには、美智子さまの、支えがあると、思われる。皇室の名宝展が、開かれていた頃(2009年ごろ)たまたま、芸大美術館からの帰り、国立博物館の前を通って上野駅へ向かった。それが、復路なのだけれど、往路の際に、池の周りに、警察のバスやら、パトカーが、林立していたので何だろうと、思ったものだった。
国立博物館の前に、50~100人の人が待っていて、五時直前で、入館は、4時半までしか、できないのに何を待っているのだろうと、思って、最後尾の人に聞いたら、「天皇陛下がいらっしゃるのですよ」と、その人が言うのです。その頃の私はまだ、ネットサーフィンに慣れていなかったので、『どうして、天皇陛下が、ここにいらっしゃるのを、みんなが知っているのだろう?』と、不思議極まりなかったです。しかも目の前のカップルはデザイナーだとか、言う男女で、男性の方は、スキンヘッドに、ピアスをしているのですよ。そういう人が待っているという事にもひどく驚きました。私の様に、美術展を見た後で、偶然通りがかって、並んだカップルかもしれません。
しかし、1時間以上、ただ、じっと待っている人々が居るということに驚いて、私も最後尾で待ちました。その頃、どんどん、人が増えて、列は長くなりました。五時15分です。パトカーに先導をされた御料車が、音もなく、やって来て、私たちの、列側(右座席)に、天皇陛下が、お座りになって居て、にこやかに手を振られて、その後ろ(左座席)の美智子さまも、こちら側に手をお振りになりました。その時、もっとも、先頭辺りから、哀調を帯びた声で、「天皇陛下ばんざーい」と言う叫びが起こりました。銀座周辺で、出没するマイクを使った右翼の宣伝カーとは、まったく異なった、個人の声で、しかも、哀切極まりない調子なので、ひどく驚かされ、印象が濃かったです。
その人の声になぜ、哀切な感じがこもっていたかと言うと、現代、日本が置かれている苦境をその人もわかっているのだと、私は思いました。
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副題5、『現在の日本は、8000兆円を超す、国家財政の赤字だと言うのだが、人気が高い、天皇陛下の警備に、ほぼ、100人の警察官が、動員をされて居た。無駄だと、思った。安倍総理大臣の時代ではなかったが、安倍総理大臣になって、福島第一の後始末に、バカげて方向で、めちゃくちゃな、お金が無駄遣いをされて居て、現代日本には、政治がないということが、判って、私も悲しい・・・・・しかし、3.11の大地震の、人工生起説が、正しければ、そのスィッチを押したのは、鎌倉エージェントだろうから、安倍総理は、ひたすら、地元民を、ちやほやするだけに、動くことになったのだろう』
ただ、私が話しかけたのは、背広を着た人で、「バッジが違うみたいですが?」と言うと「ええ、これは、皇宮警察のバッジです」と、その人は、答えました。天皇陛下が、展覧会をご覧になって帰還される前に、50人ぐらいの、背広の警察官を見ました。警視庁の警察官も背広で、警備しているみたいでした。
後注1、