銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

鎌倉小町通には歩く看板がある。瓜南直子さんに死を齎した連中が、自分を守る為に置き、かつ私のblogに応じて歩かせている

2021-01-05 00:42:17 | 政治

   私は、今、とても忙しいので、本日は、ブログを更新をしないつもりでした。前報

棒付き飴に群がりしゃぶり尽くして、白い棒(骨)だけを残した人達・・・瓜南直子の周辺の事

2021-01-03 22:14:26 | 政治

に、いささかの自信があるのです。それで、それを三日間、連続して、トップの文章としておきたかったのでした。ところが、格好の素材が手に入ってしまったのです。それが以下の写真です。この立ち入り禁止の看板の写真は、今まで、何枚も撮っています。しかし、ただしく表現できない部分があって、使わなかったのです。しかし、本日は、まことに見事に、看板の方が歩いてくださって、小町通に、あと、3mのところまで、進行してくださったのでした。それは、上にリンク先を上げた、前報が

 どれほどに、出来が良かったかを証明していることとなるので、一文をものします。

 私は、プロのカメラマンではありません。その上機材は、アイフォン8です。それでは、思いを表現しきれないのが当たり前ですが、・・・・・本日は、うまくいった。結構表現できた・・・・と、思っているのは、

 いつもとは、違って、反対方向から、撮影をしたからでした。同じ看板ですが、反対方向から撮影をすることによって、この看板が、歩くことが、証明できたのです。逆転の発想が生きました。

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副題1、『小町通りの終点近く、90度横切る道がある。横大路と言って、川喜多記念館の前を通って、踏切を渡ると、寿福寺に到達する。小町通には、昼間は、車が入れないが、この道の方には入れるので、小町通の最後の最後に至って、観光客は、相当に狭い場所を、車にぶつかる危険を感じながら、通らないといけなくなる。

 この看板は、その横大路の、正反対の方角に置いてある。一種の十字路を成して、横大路と反対側に、東に入る路地があって、そこに、立っている。

 なぜ、そこに立っているかというと、私のblogが、正鵠を得ているので、伊藤玄二郎と伴清一郎さんが、自分を守りたいのだろうと、私は思っている。置いたのは、警察かもしれないが、この看板が歩くので、滑稽極まりないのだ。それを本日は語りたい』

 なお、済みませんが、伴誠一郎さんの名前の方を、清潔のせいでは無くて、誠実のせいを使うことが、多々ありました。お許しください。

 横大路というのは、幅が、4m弱で、きちんとアスファルト舗装がなされています。どうしてかというと、線路の、西側に住んでいる人‥‥特に駅より北側の、西側扇ガ谷に、住んでいる人・・・・が、車で、東京に向かう際に使う唯一の道だからです。鎌倉は、山が堅固なので、そうなります。

 しかし、間に小町通を挟んで、東側に向かう道は、アスファルト舗装がなされていません。ほぼ砂利道です。しかし、45mぐらいの長さで、行き止まりになっている上に、10軒ぐらいの住人の中に、車を、持っている人が少ないので、砂利道舗装でも構わないのです。ここは、速足で歩くと、6分ぐらいで、駅に到達する、交通至便の土地なので、車なんかなくても大丈夫なのです。

 ところで、『瓜南尚子さんが全日本あすはが連を作ったのは、この砂利道と、アスファルト舗装の、両方を歩いたからかしら?』と、思うのですが、まあ、違うでしょう。

 なぜ、こういう看板を立ててあるかというと、その突き当りのところに伴清一郎さんの自宅があるからです。伴清一郎さんとは、瓜南尚子さんの実質婚の相手です。

 私は、柴田悦子画廊のオーナーから伴さんのことは、聞いていました。瓜南さんの実質婚の相手であると。しかし、伴さんの、文章を読んだことなどなかったのです。

 ところで、2015年以降のことです。政治的な弾圧を分析している途中、瓜南さんのフェイスブック投稿を、もう一度点検する必要性を感じました。

 で、全部を、ワードへコピペして、点検をしたのですが、政治的に、重要な部分は、すべて、削除をされていました。伊藤玄二郎がやった? 他人のアカウントを自在に操作できますか? だからこの作業も警察の、特殊部隊(ただし、ホワイトカラーのエリートの方)か、古村幸三君などの、CIA-ジェント達でしょう。

 しかし、他人が彼女の頁に、投稿した文章は残っていたのです。中で、伴清一郎さんが、オマージュをささげている文章を読んで唖然としました。

 瓜南直子さんって、五拍子揃っている才媛です。しかし、最終段階で、痛切なる不安を吐露して、この世を去っています。その影に、経済的なファクターというものも大きくて、それは、入籍婚の相手だったら、当然、折半する義務があるものを、伴さんは、実質婚という美名のもとに、与えずに、放っておいたのです。

 これは、渡辺豊重さんが、一ノ瀬千恵乎さんをアクセサリーとして連れ歩いていたのと同じで、女性側が持っている上流社会の人という長所を最大限に、利用しつくしながら、対応供与を与えていないと、私は、思うのです。

 つまり、わかりやすい言葉でいえば、経済的援助を与えていないのです。

 これは、ほかの人のblogで、読んだのですが、・・・・日暮文庫(教養の高い人が集まる酒場)で、瓜南さんが、たばこを一本、伴さんにせがんでいて、伴さんが一本渡していた。その時には、自分は、まだ、二人が実質婚のパートナー関係であることを知らなかったので、ひどく驚いたが、あとで、納得をした・・・・・と。

 『なんと切ないことだろう』と、思います。二人は同居していなかったと、思います。芸術家だから、創作の、時間が、必要で、相手を意識すると、作品ができないところがあるでしょうし。だから酒場で、「たばこ一本、頂戴」と、直子さんが言うこととなる。

 ここで、絵筆一本で生活していた伴さんの方も、貧しかったと、仮定しましょう。そうしたら、許せるが、それにしても、フェイスブックにあんなに見え透いていて、かつ、単純な、おまーじゅをささげないでください。こずるさが見えますよ。

 どうして、こずるさが見えるかというと、私の方が、この手の関係を、シモーヌ・ド・ボーヴォワールとサルトルの関係で、予習をしていたからでした。

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 というわけで、この立ち入り禁止の看板は、私のblogに応じて、歩くのです。最初は、小町通から見ると、奥、30mぐらいの位置に立っていたのです。

 しかし、私がブログで、直子さんに触れるたびに、手前の方に歩いてきて、2021-1-4など、小町通から見ると、大股で歩いて、五歩(=3m)のところまで、歩いていらっしゃったのでした。

  なお、このブログの2010年より数え始めた延べ訪問回数は、6327212です。

 2021年1月5日、雨宮舜(本名 川崎千恵子)

コメント
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