銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

伊藤玄達は、謀略=嘘=である八墓村事件が真実として日本国民の間に浸透したと考えて、次の年に栗田玲子を使って私の茶大付高Class会に殴り込みをかけて来た

2023-02-23 21:56:48 | 政治

 これは、何度も総タイトルを変えています。たくさんの亊を盛り込んだからです。

副題1、『前報

お、そう来たか? むろん私にとっては想定内ですがね。ミサイル・中・一日で、再び発射   2023-02-20 21:22:07 | 政治

の続きを書くのなら、宮台教授・被・傷害事件と保美死刑囚が起こしたとされている、平成の八墓村事件に、入って行かないといけないです。でも、本日もまた、時間がないのです。それで、もっと、少数文字で、表現できる話題に入っていきたいと思います。是の話題もまたCIAえ-じぇんとたちと、私との闘いの、真相という意味で、上にあげた二つの大事件と通底するものがあるからです。

 宮台事件と、保美死刑囚の事件は、NHKが、大々的に報道し、たぶん、新聞や、週刊誌もにぎわわせたことだと推察しています。

 だが、私は、NHKテレビが、あまりにも、直接的に、私を攻撃するためのニュースを流すので、この15年間、ほぼ、NHKニュースしか見ていません。朝日新聞、もしくは、日経新聞、一紙を、常にとってはいますが、読んでいる暇がないのです。

 で、これから、書こうとしている、ご近所問題は、新聞にも載っておらず、皆様も、その人名を聞いても、見た事もない人たちなので、読みにくい事、はなはだしいと、お思いになっているでしょうと、わかっています。しかし、目に見える形で、動くご近所様は、格好の分析材料なのです。本日も、非常に大きな攻撃を受けたが、本日の事は、語らず、だいぶ前のことを語りたいと思います。小保方晴子さんとは、何だったのかを、追跡するためには、ご近所様を考察することが、役に立つからです。

 ここです。ここが大切です。22日の夜から、23日いっぱいにかけて、大変な攻撃を受けました。これをこうげきA(曼殊沙華と、命名しておく。後でもこの一文中で使う予定がある攻撃だから)しかし、それを説明するためには、また、また、100万字ぐらいが必要なので、飛ばしました。しかし、飛ばしたことを弱腰とみて、アリと、あらゆる彼らが、抱えている課題が、その日、完了に向けて実行をされてしまい、かつ外交関係に

:::::::ここで、25日に挿入を入れます。この25日の挿入は、紫色のフォントで、表します。

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副題2、『今、最も激しく、華やかに攻撃をしてきている平木伸明さん一家だが、ご長男が、東大へ、入学されたことに裏があるとは、私以外は、知らないことで、あり、

 ただ、ただ、表向きの華やかさで、それを、喜びあっている、ご近所様の、統一感と、勝利感の集合した象徴的存在である。

 そのお坊ちゃまだが、小さいころ、私は、坊ちゃんたちにも、そのお母さんにも、大いなる好意を持っていた。とても、上手に子育てをしていると、考えていた。

 これは、養老孟司先生(妙本寺側)と、川合良一先生(遠藤家側)の、両夫妻が、仲人となって、遠藤家(西を見れば、10mの距離で、斜め前に平木家があり、反対の東を見れば我が家である)と、妙本寺家側の結婚を成立させた陰に、

*1)、遠藤家のご主人が、たぶん、銀行マンであり、かつ、東日本銀行(旧常盤相互銀行)の勤務者であり、瀬島龍三の企画によって、我が家の西隣に、送り込まれたと、考えているからである。

 これが、横浜銀行が、東日本銀行と合併しコンコルディアと改名した原因である。私が、その引き金を引いたのだから、私自身は自分がどれほどに、大きな存在であるかを知っている。

そこは、古い古い木造の一戸建て借家であって、私たちが、38年前に、2800万円で、今の家を、買ったころ、は、若い音楽評論家の、三人家族が借りて住んでいた。その人たちは、上品で、しかも、私とは、何も関係がないし(お子さんの年齢が違う)政治的動きもしない人たちだったが、より、良い条件を、示されて出ていき、代わりに、遠藤家が入ってきたのだった。

*2)、その銀行の、別の勤務者に、上滝某という男性がいて、その人間と益山重夫という元海軍参謀が京急北久里浜の、東側にある丘の上に住んでいて、とても、親しくて、その結果、当時の時価、42億円(元、横須賀市の水道山)の地積変更届を利用した、タダどりという、実質的大詐欺事件を成立させる際に、上滝某が、散々散々動いて私を苦しめたのだが、その際に、私が彼らの悪事の全体像を、知ってしまった為に、まず、私を、21軒しか、家がない、たこ部屋的環境(=現在私が住んでいる、鎌倉市雪ノ下に丁目のうぐいすが谷戸)に追い込んだうえで、東北側の、垂直13m下の位置にある、安野家の奥さん=智紗夫人が、特別に勝気なことを利用してライバルに仕立て上げ、彼女に、その後の、38年間、ありとあらゆる、ご褒美と名誉と金銭的援助を与えたうえで、さらに、私を囲い込もうとして、西隣に、送り込まれた人間が遠藤一家であると、考えると、いろいろな、つじつまが合ってくる。

 この*1)と、*2)は、探偵を使って、調べた事ではないし、ほかのルートで、耳に入ったことでもないが、諸般の現象を見ると、そう考えざるを得ないのだ。

 上滝某というのは、自分たちに原因があるのに、私を逆恨みしている人間だ。夫が常盤相互銀行(現在の東日本銀行勤務だが、専業主婦の奥さんも、元そこ勤務の職場恋愛結婚だと、思われ、

 お金を、増やすことに、異様に執着していた。で、子供を幼稚園に行かせず、かっこうの托卵よろしく、私に面倒を見させたのだった。

 なお、政府の、幼保無償化は、このエピソードを書いた途端に起きた政策ですよ。

 そこまでするのは、上滝夫人が娘を愛していないからだった。で、娘は、たった五歳にして、実の母親と、私が全く違ったタイプであることを見抜き、私を馬鹿に仕切っていて、毎日、毎日、午前九時にやってきて、10時より前に、お菓子を探し出して、盗み食いをしてしまうのだった。どんなに言葉で叱っても、言うことを聞かなかった。いわゆる三白眼で、私を見上げるだけで、次の日には、まったく同じことが繰り返されるのだった。

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副題3、『CIAエージェントたちは、考え方が素直で、真っすぐな人を、引っ越しをさせてまで、私を孤立化させるのだった。そういう人たちは、私の見方となる可能性があるからだ。山口みつ子さんも、2007年ごろから、しっかりと、気脈を通じあっていたので、殺されてしまった。とても、つらい話だった。それについて、詳細に語り始めたので、そのみつ子さん他殺の心理的な、引き金を引いた、保坂涼子は、今では、航子と改名している』

 その地域は、半島形式の突端にあって、家の数が、少なく、四軒の未就学児童がいる家があり、日産自動車の、工場勤務の佐藤家の奥様は、賢くて、お金もケチらず、ちゃんと幼稚園に入れていた。3人お子様がいて、かつ、自分の家を買って、そして、幼稚園に三人とも通わせていた。

 その佐藤家にも上滝家や、森家というほかの家にも、瀬島龍三と、益山重夫は、旧中野学校出身者らしくて、電話及び室内の盗聴を仕掛けていて、誰が、どういう会話を家の中で、やっているかをすべて知っていた模様である。1974年から、1984年の間のことで、恐るべき悪辣さだが。彼らが、どれほどに悪辣かというと、神戸の連続児童殺傷事件は、CIAの家来たるアサッシンが行ったことなのだが、普通より賢い、中学生だった酒鬼薔薇聖斗が、犯人像を引き受けたので、彼が、土師淳君を殺して、首だけを校門に置き、首から下を、水道山に持ち上げたことに成っている。嘘満杯の事件だ。北久里浜の水道山に、人が入らない様にするための事件だった。

 酒鬼原聖斗の、声明文とは、私が鎌倉エージェントの一人として、実名を挙げている人物(連続してお読みいただいている方には、大体想像がつくと思うが)が代筆したと、私は考えている。

 私のブログが最近、ひときわ、真実に迫ってくる書き方になっているので、慌てて、データを消去させたと、見ている。阪急電車15分の奇跡が、NHKで、夜放映をされた際に幻冬舎の社長に触れていき、少年Aの絶歌(太田出版刊)が、幻冬舎社長の、計らいで、実現をしたことを書いているので、

 で、佐藤家の奥様が、私を慕ってくれているのを知って、引っ越しをさせてしまった。それは、1978年に起きた事だったが、こちら雪ノ下でも、伊藤玄二郎の愛人であることを頼みとして威張りまくる石川和子さんが、私の猫のことで大失敗をすると、その際に、見て見ぬふりをしないで、出てきて、仲裁を、上手に買って出て、事を収めた、石井羊一氏の奥様を一家そろえて引越しをさせてしまった。佐藤家は、家、そのモノも破壊をされており、

 私が、ブログに書いたことを、消滅させるという事は、鶴岡八幡宮内の諸施設にもみられるのだが、北久里浜では、すでに、

 1990年代に、行われていたことだった。

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副題4、『ここで、大谷石が、彼らの、対、私いじめの道具として使われたことを言わないといけない。そこには、金子美都子さんが、私の文章をほめてくれたことに、神経をいらだたせたであろう、井上ひさしの影が、浮かぶ』

 鶴岡八幡宮の諸施設で、私のブログと正反対のことをなさっているというのは、いくつかあるが、もっとも、大きなものは、旧神奈川県立美術館の外壁を、大谷石から、プラスチック製の、冷たい、素材へ変えてしまったことだった。

 これは、例のごとく、私の実家が、大きな大谷石の、崖があって、

というわけで、実家の写真を載せます。ここに、大谷石のがけがありますね。黒い部分は、前の家の影です。この大谷石のがけがある限り新築を許さないと、横浜市から、言われたらしくて、弟がここを、売りました。そういう規則がいじめです。恐ろしいいじめでした。そういういじめも、伊藤玄二郎といまだ生きている井上ひさしが案出して、松尾崇鎌倉市長を通じて、横浜市長に、命令をさせたのでしょう。

 その後、その跡地に、大谷石のがけは、そのままにして、売値が7800万円だという敷地33坪=124.5平米の家(建て坪は、わからない)が、三軒たちました。大谷石では、新築ができないと、いう話は、どこかへ、消えています。如何に鎌倉エージェントが嘘つきだか、わかります。
 
 平木夫人は、ほかの人より遅く、10時に、鎌倉市役所に出勤をして、16時に退勤をしていいそうですから、松尾崇市長の、秘書をしていると、私は、推察しています。大部屋で、そんな特別待遇を受けていたら、全員の士気に差し障ります。みんな働く意欲が無くなるでしょう。厚い板の仕切りで、遮蔽をされている市長室、勤務だと、思います。
 
 日吉の実家に対する、この種の攻撃があり、それが、嘘だったと、言う流れになったこういういきさつも、知っている可能性を、感じています。ある意味、とても恐ろしい女性です。外見と中身が違う、女性となりました。
 この大谷石の、崖と、丸いすべり止めがある、道の間で、トカゲが干物になっていたのです。

 それを書いた、私のメルマガエッセーを、ほめてくれた金子美都子聖心女子大教授(わたくしの高校時代の同期)に、春秋社から、著書を出す様に、勧めて、私と彼女の、二人の間の仲を裂いて行った。伊藤玄二郎が動いたのだろうが、前田夫妻も、フランス文学専攻だから、金子美都子さんに接近をしたのかもしれない。

 ところで、私は、2014年に、豆腐や【うかい】(東京タワー下。地方に、建っていた立派な旧家を移築したレストラン。その同系列のステーキや=銀座=に、オバマ大統領が招待された)というところで、私は、中島加奈子さんを使った罠による、大変な辱めを受けた。

 中島加奈子さんとは、上智大学出身で、千之助の青山学院付属幼稚園入園を指導した、幼児教育じゅくを経営してると思われ井上ひさし直々、もしくは、林真理子を通じて、この罠を実践したと思われる。

 しかし、もっとも明瞭な実行者は、宇都宮和代さんで、この人は、イタリアで、一年研修した、経験を持ち、お茶大西洋史学科卒で、立正佼成会が、経営する中学高校の先生をしていた。そして、知的エリートの典型で、テレビに出ないが、大変な美女である。

 たとえてみると、南野陽子と山本容子を足して二で割った様な・・・・・そして、そこに彫りの深さを加えた様な。栗田玲子さんは、同窓の教育大卒の池田理代子、お茶大卒の宇都宮和代、京都芸大卒の山本容子、フィレンツェで美術教育を受けたヤマザキマリを統率した、女子会を開いている・・・・・と、私は思う。この中で、ヤマザキマリだけは、20歳以上、年が離れているうえに、現在テレビ露出が、非常に多いので、接触していない可能性もあるが、ヤマザキマリの露出が多いのも、栗田玲子さんを、サポートしようとするCIA軍団の策略である。

で、栗田玲子さんというのは、2005年以降は、対・私への勝利感いっぱいで、ウハウハだった。鎌倉駅のトイレで、夜の10時半に、偶然出会ったことがあり、その時も言葉によって、直接にいじめられたが、私は、まったく気にしていない。今、ガレリアグラフィカという画廊名が消えているので、私が、彼女について書いたことが、ほぼ、全部当たっていると、判断をしている。

 和代さんに戻る。2014年時は、何の衰えも見せない、美女中の美女だった。それから、8年がたっているが、衰えていないと思う。

 で、栗田玲子女史=ガレリアグラフィカの、オーナーと絶対に親しいはずなのだ。栗田さんは、教育大学(その後筑波大学と改名し、設立場所も、つくば学園都市に移動をした)の西洋史学科卒で、1961~1965年当時は、二つの大学は、地下鉄・茗荷谷駅を最寄りとする近距離にあり、共同シンポジウムとか、共同セミナーなど行っていたと、考えられる。

 そして、今では、イタリア通同士として、イタリア大使館主催の、賀詞交歓会等の、催しで会う間柄でもあり、かつ、その二次会等で、非常に親しい間柄だと、思う。

 2004年から、2010年までの、どこかのクラス会で、60~70人は居た、ほかの出席者とは、直接目を合わせずに、宙を見つめながら、宇都宮和代さんが「私は、このごろ意気が上がらないで、困っているのです。で、原因が何かを考えたら、恋をしていないことが原因だったみたい」と、つぶやいたのだ。いやあ仰天した。宇都宮という苗字は、旧姓ではないので、結婚をしていると思う。離婚をしたのかなあ? ともかく、そういう発想は、山本容子に、最初の夫とは、別れなさいと、言った、栗田玲子さんの、考え方に、通じるものがあり、二人が付き合っていることを推察させるのに、十分だった。バカにしなさんな、和代さん。

  ところで、和代さんに、今回ははっきりと言っておこう。あなたはあの日立派なことをやったつもりで、張り切っていたでしょう。だけど、土師淳君を殺し、少年Aの絶歌を発表した、鎌倉エージェントの一味なんですよ。私から見るとね。だってあなたがあの日の主役だったから。立正佼成会の学校の先生を長らくしていたのに、土師淳君殺しの一味となって、

 しかも、その殺人のおぞましさが残っていて、手の汗が、あの酒鬼薔薇聖斗の声明文にしみついていて、そこから、本当の筆記者の、DNAが発見されたら大変だと、なってね。で、神戸地裁の書類は、廃棄されたのですよ。そういうずるい連中に、一緒になっているのです。

 あなたって、同級生を貶めるという作戦が、それ自体異常だと、思わなかったのですか? それに、私は、加奈子さんが、歌いだした途端に、裏側は、100%、わかりましたよ。我慢、強いから、いやなことをされても、「ギャー、どうしたの、これ?」なんて、叫びませんよ。

 もしかしたら、この罠の脚本を書いた、当時、裏側ではまだ生きていた、そして今も生きている、井上ひさしと、伊藤玄二郎は、そういう姿を想像して、罠を作成しましたか? 井上ひさしは、常に遅筆で、自分の劇団の俳優(100%の家来たち)をも、苛め抜いたのです。いじめって、性の快楽をもたらします。ギラギラした目の、金子美都子さん(詳細は、次の節で、語りますが)を、正面から見つけた時に、その時の出席者全員が、罠に引っかかった私を笑うべく、メールか何かで、事前に協力をする様に、お知らせをもらっていたことに、気が付きました。おやおや、おや。その日は、あなたは、その快楽に舞い上がっていて、元気いっぱいだったかもしれない。でも、神戸地裁に保存をされていた、資料が、全部廃棄された、原因を、正しく指摘できる私の現代日本史解釈を、馬鹿になさって聞く耳がないのと、同然に見えますよ?

 それとね。もしあの日、出席者全員が、この罠を知っていて、心の準備をしていて、私が、びっくりした顔をしているのをあざ笑っていたと仮定しましょう。それって、お葬式ごっこをやっていた鹿川君のお教室と同じです。あの日出席していた、昭和36年(=1961年卒)のお茶大付属高校の出席者の中には、ごく自然に、いじめによる性的快楽を味わった人もいたと、推察します。全員女性だから、ペニスが勃起するなどと、言う形で、それを自覚する人はいないでしょう。

 でもね、帰りの電車の中で、『なんか、股間がヌルヌルするみたい。帰ったらビデで、すぐ、洗わなきゃあ。お風呂へ入る前にね』と、思った人は何人かいたでしょう。いじめって、そういう形で、本能的な快楽をもたらすのです。

 どうして、本日、こういうことを書いたかというと、ご近所様から、まったく同じことをやられています。したがって、同類項で、古いこととして、豆腐やうかいでの、和代さんが、主導した罠を思い出したのです。

 ところであの日、できた人である(苦笑)私は、夜九時ごろ、和代さんに電話をかけて、謝罪する道を準備してあげたのですよ。で、裏側がきちんとわかっているという事を説明するために、「あなたは、栗田玲子さんを知っていますか?」と、聞いたら、和代さんは、「知らなーい」って、叫んだのです。よほど、怖かったのか? というのも、すでに、私が裏側に気が付いていることに気が付いていた人もいたからです。そういう人から、白ちゃんってねえ、今日の、裏側を知っているよと、注意されていたので、恐怖のあまりか? 普通じゃあなかったです。でもねえ、その叫び声を聞いている、私は、『ああ、和代さんって、未熟だなあ。子供を育ててないから、成熟していないねえ。是じゃあ、だめだ。思考のレベルというか、脳のはたかせ方が全く違うもの』と、思いました。

 パリとかローマとかフィレンツェって、行くと綺麗ですよね。で、うわー素敵っと、思います。だけど、私たちは、現代の日本に住んでいるのですよ。まあ、驚くのですが、お茶大で、史学を学んだ人が、現在の日本政治について、満足しているらしいことなのですか? 勝ち組の範疇に入ったら、貧しい人、落ちこぼれた人は、接触すると、自分も貧乏になりそうで、いやなのですか?

 それって、芥川龍之介の、蜘蛛の糸の世界と同じですよ。

 あ、とうとう、言っちゃった。はっきりと言っちゃった。私ね、あなたの生徒さんに会いたいです。こういうことを知らせたいです。「北岡先生(もしくは宇都宮先生)って、同級生に、こういうわなを張ったのですよ」っと

 宇都宮和代さんが、実際に何をしたかは、後で、リンク先を見つけることとして今は、語らない、で、先へ進もう。

 今日、新しく付け加えるのは、金子美都子さんのことだ。彼女と鎌倉エージェントとの間のことだ。彼女は、非常にあたまが良いし、東大の大学院卒で、フランスにも何回も行っている、そういうエリートである美都子さんが、敵方の攻撃弾となってしまった、事、それを私はずいぶん前から、気が付いていて、2014年の豆腐や、うかいでの、罠の時も、彼女が、「川崎千恵子は、歌を歌うという特技を、加奈子さんにお株を奪われて(というのは、一人、前の順番で、うたわれてしまったという事、しかも、偶然ではなくて、彼女は、その行為のために、席替えをしたのだった。そして、宇都宮和代さんの、加奈子さんへの、好意丸出しの紹介の言葉により、満座の期待を受けて、非常に悠々と歌った後で、)、これから先、白ちゃん(わたくしの高校時代から、現在まで、続くあだ名)は、どうするつもりかしら? こんな屈辱を受けて、それでも、歌うつもり?」 と、楽しみながら、ぎらぎらと、目を見開いて、私を見つめているのに、気が付いたのだった。

 これから先に、書く予定だったことは、平木家の分析です。

 ずいぶん長い間、私は、平木夫人には、好意を持っていました。

 北久里浜で、レベルの低い(というのは、自分の子供さえ、本当の愛を注いでいない母親と、その結果、五歳にして、二重性格を持つ女の子(わたくしの言葉による、戒めなど一切聞かず、毎日、毎日、隠しても、隠してもお菓子を見つけ出し、押し入れの中などで、隠れて食べる上滝家の、五歳~6歳になる女の子。しかし、実の母親には、恐怖のまなざしで、従順になる)とか、

 母親の他者へのマウンティングを、証明するための道具となっている男の子がいて、三歳ごろから、親の付き添いなしで、外で、遊ばされているために、何のしつけもされておらず、2つ以上の幼稚園から、入園拒否をされた野生児を、私が、育てなくてはならなくて、(朝の8時45分から夕方のポンキッキが始まるまでの、ほぼ、11時間。おひるだって、15分ぐらいで、終わって遊びに来る)、往生をした話などを具体的に書いて、

 そのうえで、私が、平木夫人に対して、どれほどに、高い好意を持っていたかを書いて、

 そして、その平木伸明さん一家から、毎日、24時間にわたって、攻撃されているしんどさを書くつもりでした。

 ただし、私は、本当に忙しいのです。で、本章は、それなりに、ある真実を開示しているので、それで、いいとして、三時に、就眠をさせていただきたいと、思います。

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