銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

大杉栄と伊藤野枝は、日陰茶屋で殺されたのだが! + マルハニチロ事件と吉本ばななのキッチン出版はどっちが先だったかな

2025-01-17 22:59:48 | 政治

 今は、26-1-21の早朝3時です。以下の文章の続きを書いていますが、二晩奮闘しても意味の通るところまで、到達していません。で、これでは、公開できないなあと思っています。で、お待ちいただきたいと存じます。

 また、総タイトルの後半に、私が、この文章の中のハイライトであると、信じる場所を、わざと目立たせる、文言を加えておきます。

副題1、『葉山や、鎌倉には、有名人(特に文化人)が、いっぱい住んでいる。私は、それを狙って、移住して来たわけではなくて、戦後最大のCIAエージェント、瀬島龍三の、罠にはめられたので、北久里浜から、こちらへ、引っ越してきたわけだけれど。

 罠とは、15から18軒ぐらいしか活動をしていないこの鎌倉ユキノシタ二丁目の小さな谷戸(谷のこと)の全住民を、CIA側(もしくは、CIAの家来としての、警察)のいう事を100%聞く人間として、教育・洗脳し、彼、彼女らを武器として使って、精神的に私を追い詰め、自殺するか、または、精神病院へ、自分から入院する様に仕向けることだった。

 いやあ、それでも、それに抵抗して、すでに、40年間住んでいる。わたくしも、我ながら、自らの精神的屈強さに驚くが、ぶっちゃけた話をすると、CIA(もしくは、日本の警察)に狙われている限り、世界中、どこに住んでも同じなのだ。だから、ここを動かない。

 そして、物事とは、何でも、フィフティフィフティなのだ。

鎌倉に住んでいることは、政治評論を書くのに、驚くほどに有利だった。それは、想定外のことだったが!!!』

 私は、前報に、大きな自信を持っている。こういうことは、『私しか書けないでしょう』と思っていて。だけど、その内容が、日本全国に広まっているという感じでもない。NHKは、中居某という司会業で、最近10年ぐらい当たっていたタレントが、フジテレビの、女子アナなどと、セックスをした、で、それにはフジテレビ側(の女子アナの上司に当たるある人間の仲介があり)、それ故に、フジテレビが会社を上げて、謝罪をした・・・・というニュースを2025-1-17には、多数の時間を使って流した。それは、全国的に、出回っている。

 が、私のブログの方は、主役が、文化人で、かつ、戦前は、華族様であり、徳川時代には、お殿様であった、そういう家系の出身だから、このブログは、マスメディアが、宣伝しない。というのも、その主役様の下半身の、ケースが、この文章の大きな味噌であり、その点では、フジテレビ問題と同じなのだが、後半で、この主人公が、朝日新聞社顧問であり、サントリー学芸賞を受賞している、インテリ中のいんてりだと、種明かしをしている。だから、決してメディアに、登場することがない。それは、残念だ。

 日本社会は、建前と本音があって、憲法的には、すべての国民は平等だが、エリートには、性の自由を満喫できる娯楽が許されており、芸能人には、許されていない。

 なお、サントリー学芸賞の話だけど、ノーベル賞も同じく、賞というものは人間社会の中に、上下関係を作るものであり、既得権益者(平たい言葉でいえば、上流階級とか、有名人であるという事)をさらに有利にするもので、日本社会の中に激しい分断をもたらすものだと思っている。

 角野栄子さんが、2012年ごろ、新橋駅のホームで、とことん私をいじめた後で、アンデルセン賞をもらった。また、鎌倉市民栄誉賞をもらった。で、そのうえで、再び、しかもわざと私に会いに来て、私の方が、「あ、角野さん」と、呼びかけているのに対して、一度目と同じく、何も答えなかったのだが、一度目と違ったことは、彼女が、にやりと笑ったことだった。すれ違った場所が、おなり小学校前であり、図書館に向かう私と、絶対にすれ違うはずだと、いう事を想定した伊藤玄二郎が、どこかに待機させていたのだと思う。どうしてそう思うかというと、そこは、角野さんが、自宅から駅へ向かう際には、絶対通らない道だから。

 これとそっくりなことは、京橋三庁目に、昔はあった現代アートの画廊【手】で、オーナーと、美術談義を交わしていると、突然馬越陽子さんが現れて、とうとうと自慢話を始めた。中国政府ご招待で、大個展を北京で行って帰国したばかりで、かつ、凱旋個展を、三越で、近々行わないといけないのでとても忙しいと、話し始めた。つまり、自慢話を始めたのだった。画廊のオーナーは、中央に大きな作業台を置いて、版画集(ポートフォリオ)を作っている最中だったので、通路は狭くて、馬越さんと私は横並びで、立っていた。で、五分も話しているうちに、馬越さんの声音が、突然変わって、『ああ、疲れたー』と、ため息交じりの弱い声となった。

 その時に、私は、馬越さんって、なんてかわいい人なんだろうと、思った。角野さんとは、まったく違う。角野さんは、出版でお金儲けをしている人だ。アニメ化でもお金が儲かっているだろう。出版とは、コピー性があるので、実は楽な労働でお金儲けができる世界だ。馬越さんの画料は、私とは、ぜろが、三つは違うが、それでも、角野さんとは、まるで違うしんどい時間を経て、発表をするものだ。

 女流展で、馬越さんは、私の絵を見ないであろう。馬越陽子と、ライバル視されている、上條陽子派に私は属しているからだ。しかし、根っこのところで、同じ様なしんどい作業をしているという認め合いがある。そして、親が弁護士だと聞いている馬越さんは、とても賢い。横並びで、立っていて、私の顔は見えないのに、私が何を考えているかがわかる人だ。

 で、馬越さんをここに派遣したのが、野見山暁次、山口千里、【美術の窓】の編集長、伊藤玄二郎、秋山祐徳太子、の五人の中の誰かだと思うが、彼らの考えていることは、『川崎千恵子は、馬越陽子が北京で、大成功をしたと、聞いて、嫉妬のあまり、うつろになり、ノイローゼになるはずだ』だ。で、「馬越さん、大いに自慢をしてきてください」と、頼んだと、考えられる。だけど、彼らの浅薄さをあざ笑おう。

 私は、母に言わせるとかわいい人だそうだ。そして、芸能界や、文化人を支えている日大芸術学部出身の、手相観の、日傘雅水さんに言わせると、「あなたは、芸術家でよかった。そうでないと、事件を起こす人になっていますよ」というほどフェロモン旺盛なひとだそうだ。だけど、自分より純真で、自分より世間知らずな人を前にすると、富士山か、八ヶ岳か、というほどに泰然自若としてしまう。後五分、長くあの画廊にいたら、馬越さんは、私の腕の中に崩れ落ちただろう。「北京から、帰国したばかりなのに、こんなバカげたことに引き出されて怒り心頭だわ」と思っていることがビンビン分かった。こんなあほなことを思いついたのは誰なんだ?

 で、純真な馬越さんと、比較すると、角野栄子さんは、傲慢極まりない。それは、出版やアニメの世界で、出回っている、お金の量が多額であり、富裕、または、富豪であるという事がああいう態度を作っていると思う。

あのおなり小学校前での、二度目の邂逅は、私をいじめるための謀略だったと思っている。にやりと笑ったのは、二つの受賞と、NHKが総合二チャンネルで、定期的に放映をしている、【カラフル魔女】と、2024年の映画の公開の四つが、「角野さん、あなたの方が、川崎千恵子より、絶対に上だから、とことん、軽蔑しておいてやりなさい」と、伊藤玄二郎に言わせて、このブログを読んだことのない角野さんは、それを、信じ切って、私を軽蔑してきたと思う。

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副題2、『さて、初稿の段階で、この章の主人公だった、鎌倉在住の高名な美術評論家へ、話を戻そう。わたくしはこの人が、世田谷の公園のへりに住んでいた宮沢幹夫さん一家、四人殺しに関係があると思っている』

 というのも、世田谷区の公園の端っこに暮らしていた宮沢みきおさん一家が、年末12月31日にころされたのは、この紳士を守るためだったと、私は見ているからだ。この紳士は、たくさんの女性とセックスをしているから、実は、お金が必要だった。賠償というか、補償をする必要もあったと思う。最初の奥様のケースだが、離婚は、男性の方に、責任があったので、生活費を補償する必要があったと、思う。その女性は恵まれた育ちの人で、むろん、四年制大学を出ているでしょうが、生活費を稼ぐ能力はなかったと思っている。1960年代に、大学を出た女性は、東大や、お茶大や、千葉大卒の様な国立大学卒ではないと、あまり、就職をしなかったものだ。

 その典型例が油絵・作家の馬越陽子さんと、版画家の星野美智子さんだ。私はCIA案件の一つとして、馬越陽子さんから、いじめられているのだが、それでも、馬越陽子さんって、かわいいのだ。もともとはお嬢様だったのだなあと、思う。一方、星野美智子さんって、全然違う。!!!・・・まあ、ここでは何も言いますまい。

 そして、その紳士は、二番目の奥様を、対・私攻撃用武器として、使ったのだった。なんて、愛情がないのだろう。道具として使うのだから。でね、私は二番目の奥様を、一時間も一緒にいたので、よく知ったわけだが、顔は、美形系統だった。だが、性格は、すごくかわいい人だ。

 この奥様は、自分と並行して、恒常的に夫が付き合っている女性がいるのだと、いう事(まるで、道長公ですが・・・・・わっ、は、は)は、知らないと思う。

 ところで、その恒常的な付き合いの女性って、私のご近所住民で、多大な被害を私に与えている、大原光孝の、夫人なのですよ。すごい話です。

 ただ、この記述は、ミステリーとしては違反事項です。倒置法で、解答を先に提示してしまっているからです。

 だけど、二日目ですね。で、すでに最後まで、読んでおられる方もいると思って、こういう結論を先に置きます。この恒常的付き合いの女性とは、彼女の所有しているマンションで、あいびきが行われていると思いますが、それとは別に、女性の自宅ではなくて、ラブホテルを利用する、一夜限りのアヴァンチュールもある人です。偶然目撃してしまったので、それがわかるのです。

 その紳士は、小町通りで、私の前を歩いていたのだが、後ろから挨拶しても、答えがなかった。その理由はすぐわかった。左へ、曲がって小路をたどり、ミルクホール隣の素泊まりの和風旅館(知る人ぞ知るラヴホテル役を果たしているのだろう。鎌倉の人対象の・・・・しかし、今はつぶれていて無い)に入っていったから。女性の方が、ちらっと振り返ったので、しっかりと顔を見たが、美術界で、作家(画家や、版画家を指す)として、有名な人ではないと思った。雑誌社とか、新聞社で働いている人かもしれない。くらい表情のひとです。しかも50代。20年前に50代だった女性です。まさか前の奥様? 

 だって、私とも、その高名な文化人とも同世代です。不思議な光景だった。

 美術系作家だったら、まだ、太陽が明るいうちに、この鎌倉一、高名な美術評論家と、堂々とラブホに入る様な、危険なことはしない筈。

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副題3、『わたくしが、このブログで、これほどあっけらかんと他人の性生活を話したのは初めてだ。だが、どうしてこういう事をしたかというと、ご近所住民の渡辺賢司夫妻の、40年間以上にわたる無礼と、その無礼が、彼らの西隣に住む、大原光孝の讒言からきている部分が、あると思うからだった。30%は、そこに原因があると思っている。で、ひねりつぶしてやりたいと、40年間ずっと思っていたのだが、今が、そのチャンスだと思っている。後で書くが、ここに書いてあることを、知覚したのは、10年以上前だったが、ずっと、書かないで、我慢をしてあげておいた。しかし最近の渡辺夫妻の無礼は、前報と、この章を書いても、神が許すであろうと、確信するほどの無礼なのである。』

 ここで、私がよく言っている、神様は、必ず、私を助けてくださるのだと、いう事を、説明をしたい。伊藤玄二郎と、いう、CIAエージェントが居て、我が家のご近所様を、攻撃用によく使う。または、警察(大学卒のエリート)が山田さんという名前で、しかも、新潮社勤務という触れ込みで、私の真北、50mのところに暮らしていて、午前五時だろうが、午前六時だろうが、私がパソコンを開いている限り、彼も、同様に、起きている。そういう男性がいる。その命令で、ご近所様が使われているのかもしれないが、

 攻撃用手法の一つとして、挨拶をしないというのがある。これは、別に知人でもないが、角野栄子、寺島しのぶ、福島みずほにも応用をされた手法だが、・・・・・ご近所(真北40mのところ)に、40年間無礼を働く男、渡辺賢司が居る。想像だが、外語大程度を出ているインテリだと思う。が、まったく働いている姿を見たことがない。勤務者ではない。たぶん、自分の親、または、妻の親が資産家で、株の配当金で暮らしているのだろうとみている。人付き合い(特にご近所住民以外の訪問者とのそれ)が、ほとんどないのが、不思議なのだ。

 だって、サラリーマンではない人としての、有名作家、新藤冬樹だって、編集者と、夜、大船駅のホームで、ものすごく楽し気に話していて、そのまま、鎌倉駅で降りていった。私は、このケースには嫌悪感を持たなかった。だって、その編集者って、非常に若くて、かわいくて、新藤冬樹に心酔しきっているので、二人の関係は、恋愛が、始まったばかりの様に見えて、ほほえましかったからだ。鎌倉の自宅に、よる9時過ぎに招くのだから、新藤冬樹には、妻はいないのでしょう。または、鎌倉は執筆用・別宅? 本宅に妻子がいますか?

 宮崎みどり、内橋克人、緒方貞子さんなども、電車に乗って、鎌倉駅から出ていく人だ。井上ひさし、吉田秀和だって、電車に乗るために駅を利用する。最近では、養老先生にも、駅のホームで会った。グリーン車に乗って東京へ。

 今は、メールで、データをやり取りする時代だといっても、家にお客が来ないし、自分も、30代からずっと、(スーツを着て)、外出することがないと、言う渡辺賢司夫妻は、普通ではない。これは、この実動15軒しかない、小さな谷戸だから、成立する生活で、武蔵小杉のタワマンなどに住んでいたら、不思議な家族だと、排除されかねない生活だ。

 ただね。ここで、神様のご援助があるというのは、私は常にこの夫婦に、激怒していて、絶対に、何とかしてやると、決意しているわけだった。この章と、前の章は、渡辺賢司夫妻を叱るために書いている文章だ。鎌倉一高名な、美術評論家が、セックスライフが紊乱で、したがって、お金が必要で、その筋(目的)から、宮沢みきおさん一家が、殺されたとみているので、

 そういう真実を書いていくのが、渡辺賢司夫妻をしかりつけると、いう事に当たる。

 というのも40年間無礼であるという事は、30年前に、七里ガ浜の、プリンスホテルの大宴会場で、一時間半、私の話しかけに、まったく無視を続けた、この章の主人公と、COINCIDEするからです。

 で、渡辺夫妻の実名はさらしています。というのも彼らのセックスライフは紊乱ではないからです。彼ら夫妻が、中谷共二氏とか、その遺児二人がやっていることが正しいと信じて、私に無礼を働くのは、政治的課題であり、徹底的に戦うべきだから、実名をさらしておくのは、かまわないのです。

 実は、この章と前の章の主人公(同じ人物)も、政治的課題の対象です。しかし、セックスライフが、紊乱だから、それをさらしていくのは、彼、または、伊藤玄二郎からすると、誹謗中傷に当たるのでしょうから、実名を表記しません。

 私は、彼らの意図的な失礼とか、その他を、絶対にとっちめてやるぞと、身構えているのですが、とっちめる作業の一つとして、30年前、1994年ごろ、七里ガ浜のプリンスホテルの丸テーブルで、隣に座って、一時間半、完璧に無視されたので、渡辺夫妻に無視されると必ず、この高名な美術評論家を思い出すのだった。だから、この章が生成した。

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副題4、『これから先に書くことは、ちょっと、政治を離れて、心理学的な問題へ入っていく。私は大原光孝というプロの画家から、渡辺夫妻から受けるものの、千倍ぐらいの損失を与えられている。で、その損失の一つに、私が、ニューヨークに版画修行に行っていたころ、・・・・・彼が言うに、「この山の人は、みんな、川崎さんが離婚をするよ」と噂しているよ。・・・・というセリフがある。その言い方だが、へーら、へーらという感じで、からかわれた。

 だが、彼の妻は、この高名な美術評論家と、週一ぐらいで、あっているのではないだろうか? かれの細君が、家出をしてから、すでに、10年は過ぎている。

 どうして、こういう想像を私がするか?というと、彼女が小町通りで、立ち話しとして、私に話してくれたことが、大きな原因となっている。吉本ばななの、キッチンがベストセラーだったころで、その表紙に関する、奥の院の話をしてくれたのだった。奥の院中の奥の院の話。私は、話を聞きながら、『どうして、この人は、そういう日本文化界の中枢をしっているの?』と、疑問に思い、すぐさま、『あ、そうか。あの人とできているのですね。そして、閨の語らいとして、こういうことを聞いているのだわ』と、思った。

 この時点では大原夫人は、雪の下の家の方にいたはずだった。で、吉本ばななの、キッチンは、1988年初版なので、再版時に、山本容子が、新たに使われたのかもしれない。

 往年の、中里介山、石井鶴三の争いではないが、山本容子がベストセラーを生んで、なんとか、かんとか、という話だったと記憶している。だが、介山・石井伯ていほどの、盛り上がった、報道はないので、

 大原夫人が話していることは、ガレリアグラフィカの、栗田玲子さんあたりがその高名な美術評論家に話し、彼から、大原夫人に入ったと、私は感じた。

 その高名な美術評論家は、サントリー学芸賞をもらっている。その授賞式には、必ず、パーティが開かれて過去の受賞者は、招かれると思う。そこで、日本文化界の中枢と、友人になる資格ができる。その上、朝日新聞社顧問でもある。また、これは、つぶれてしまったのだが、毎日新聞社が主催していた現代アートのコンクールの審査員でもあった。

 だから、この高名な、美術評論家は、日本文化界の中枢で、交される話題に熟知しているのだった。ここまで書くと、美術界の人間だったら、この人の実名を察知できると思う。それで、いいのだ。ひどいことをやられ続けているのだから、一寸の虫にも五分の魂で、はっきりと、させておきたい。ただ、後付け法律として、2016年に、SNSで誹謗中傷をすると逮捕されることになったそうだから、セックスに紊乱だというポイントが、誹謗中傷に当たる可能性を懸念して、実名を秘しておく。

 私は大原光孝という人間にも激怒しているので、彼の奥様が家出をしたときに彼と彼ら一家を、分析をしている。で、そこでは、白井達雄さん夫妻が、引っ越してきたことが、直接の原因であろうと、言っている。彼ら夫妻が、引っ越してくる前には、大原光孝さんは、妻に、「この山で、僕たちが一番上なのですよ」と、思いこませていたが、白井夫妻を前にすると、そんなメッキはたちまちはげる。白井さんは、東大卒、大手設計専門会社の重役にして、横浜支店長。今は、横浜一高いタワマン、フロントを仕上げたところで、定年だそうだ。

 大原夫人は、医者の娘で、自分自身の収入が、病院の理事としてあるはずだし、瓜南尚子さんと似た点があって、女子美の友人たちがお見合いで、医者や、官僚と、結婚するのを・・・・劣った選択だ・・・・と考え、大原光孝さんと恋愛で、結婚するのを選んだのだと、見ている。しかし、白井達雄という実在を目にすると、光孝さんがエリートではないと、解ってしまうのだ。で、彼女は、光孝さんを捨てた。

 だが、彼女が夫を捨てた陰に、別の男性が控えていた可能性を感じている。そう、白井達雄さんより日本社会での、知名度は高い人物だ。白井達雄さんは、実力は高い。しかし、付き合うのが、大企業の幹部ばかりだから、庶民の間での、知名度は高くない。反対に、その高名な、美術評論家は、一般人も愛好している番組である【日曜美術館】に何度も出ている。

 大原夫人って、顔はかわいい。だが、気は強い。勝気でもある。で、自分が、大原光孝ではなくて、そして、遠目に仰ぎ見ていた、白井達雄さんでもなくて、より質の高い男性と、縁ができた(セックスまで共にしている)という事を、私に自慢をしたかったのかもしれない。

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副題5、『この間、大原光孝さんに関する過去ブログを精査していたところ、宮沢みきおさん一家殺しに、この高名な美術評論家が、原因の一つとなっていると、すでに書いているのを発見した。しかし、その文章のリンク先をここに張り付けるわけには行かない。それは、2016年より前に書いたもので、実名が記載をされている』

 宮沢一家、四人が大晦日に殺害をされ、お正月になって、それを発見したお隣に住む、親戚一家はどれほど、悲嘆にくれたでしょうか?

 この事件に関しては、大手メディが、多数回報道をしているので、そこから得た知識では、

*1)、宮沢みきおさんは、某国の秘密の仕事を請け負っていた。

*2)、犯人は、殺害後アイスクリームを食べて、それから帰った。単独犯である。

*3)、犯人は、韓国製のトレーナーとか韓国製のスニーカーを履いていた。

*4)、お隣に住む、姉に当たる人が、ニューヨークがえりで、文筆業であった。

 *2)と*3)は、今で思うと真犯人が、カモフラージュのために残したものだと、考えます。血の付いた靴跡、一個だけ、食べてあったアイスクリーム、犯人は、複数でしょう。そして、待たせてあった車で、あっという間に帰っていったのです。

 しかし、事件後、数年間は、宮沢さんは、北朝鮮の仕事でも、引き受けてあげていたのかしら?と思ったり、ニューヨークがえりのライターだというお隣の、お姉さんが書いているものが、私と傾向が似ている。で、彼女を脅かすために、弟一家を惨殺した? などと、考えていました。 

 しかし、ある日、NHKで、宮沢幹夫さんの家が、取り壊されることになったが、お母さんが、必死で、残す様に頼んでいる・・・・・と、報道をしたので、真実が明らかになったのでした。

 この証拠を消すというのが、CIA案件固有の方式なのです。やまゆり園の建物が破壊されたのもそこに、19人もの死者の血痕反応が出ないからでした。

 それでね。これも、山田浩二が、二人の中一児童を殺したのと同じく、場所を、嘘に、近い立地に行っているかもしれません。高槻、高槻と連呼をしていましたが、違います。センコーという運送会社の駐車場で、寝屋川市にあるものです。

 で、宮沢幹夫さんの家は、祖師谷公園ではなくて、世田谷区の別の公園のふちにあったと仮定すると、その公園内にある美術館に、上記の高名な、美術評論家が、勤務していた(2024年まで)という事を批判している私を、脅かすために、宮沢さん一家は殺されたと、解ってきたのでした。

 今、国立大学付属高校だって独立法人化を、迫られているのですって。どうしてかというと、その子運命な美術評論家を、守るために、公立の施設を独立法人化しておけば、地方公務員の定年後、どんなに、高齢になっても勤務できるのでした。

 だけど、本当のことを言えば、その施設は、土地、建物が、再初期には、区、都、国の予算で、作られているので、独立法人だから、定年はないのだとは詭弁にしか過ぎないのです。

 で、この実名をさらさない高名な、美術評論家の話は、これぐらいにして、前報の中で、

これも関係者の実名を伏せておいた、大杉栄、伊藤野枝暗殺の話に入っていきます。

というのもすごいことを書いているのに、読者数が、少ないとgoo blog管理人が言うからです。

 それでね。読者の数を増やすために自らが、前報への、解説を加えましょう。本章では、その人のセックスライフを、語るのではなくて、前報で、書いている多数の項目のうち、一つだけ歴史的大事件を選んで、さらに詳細に、解説をして行くと言う形です。

 その暗殺は、日陰茶屋で行われました。日陰茶屋は、和風の料亭ですが、その後フレンチに乗り出し、チャヤ・ド・マレと、名乗り、山の中腹から海べりに出て、新しい洋風なたてものを作りました。

 そして、葉山の美術館内で、支店を出して、お茶や、お昼を提供しています。

 その暗殺は、大正天皇のお子様の一人で、三が浜に、別荘を持っていた、〇〇ノ宮が行ったという、説が一度、ネットで出てきました。たぶんそれは、正しいです。

 これから先、フリーメーソンの話とか、いろいろ、続きがあるのですが午前三時になったので、寝ます。

相模湾側の、三浦半島には、御用邸もあるし、そのさらに南に、この宮邸もあって、その広い敷地が、神奈川県(りつ)美術館、葉山館と、なったのでした。

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 さて、マルハニチロの毒入り冷凍食品事件に触れる、ひなが

 なお、今、この文章の続きを書いています。二晩奮闘していますが、まだ、意味の通るところまで、到達していないので、公開できません。お待ちいただきたいと存じます。

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