銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

ベルイマンの映画【野イチゴ】 フジテレビの、被害女性って、どう考えてもおかしい

2025-01-29 01:05:12 | 政治

  三日目です。さらに誤変換直しをいたし、加筆もしました。

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最初にお金のことを言います。フジテレビ問題の、被害者って、7000万円を中居からもらったと、言われています。その7000万円が、全部、自分の手に入りましたか? 私は4000万円は、こういう事件を計画した人間に入ったと思っています。一人ではない可能性もあるし、有名人である可能性もあるからです。そして、残り2000万円が、彼女を支えた弁護士に、残りの一千万円程度が、被害者とされる女性に入ったと、見ています。NHKの(ねほりん、ぱほりん)という番組にデリヘル嬢を配達して回る運転手という登場者が居ました。デリヘル嬢って、大変悲惨な境遇の人が多いそうです。で、その人自身は、或る女性を救ってあげました。自分の収入で、細君として、働かないで、いいようにして挙げたそうです。

 で、その謝礼が、一万円から、三万円程度らしい。ところで、このフジテレビ問題の被害者って、どうしても中居とセックスをしたと思われます。その謝礼が、一千万円です。うーん、若さと知名度と、目的=フジテレビをつぶすことへの貢献度で、一千万円ですって。

 もし、ななせんまんえん全額が彼女にわたっていると仮定すると、モンスターです。しかも結果として、フジテレビ上層部を脅かしたことになり、四人の上層部の、収入を断ち、社会的名誉を奪いました。

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 どうして、彼女が被害者として扱われるのかが不思議です。でね。この事件は、やはり政治性が高くて、その証拠に、27日の、10時間超の謝罪会見を、自分たちの勝利と考える、この雪の下の、敵さん連中がさっそく動きました。

 最近、極端に多く、使われるのが、渡辺みかさんです。私は火曜日には、お稽古事をしているので、決まった時間に外出します。

 彼女はね。その時間帯に、ごみステーションのカラス除けの小屋(網でできている)を組み立てていました。時間は正確に言うと、午後、4時40分です。これは。普通だと、六時過ぎに組み立てるのですから、やってはいけない時間帯です。でも、それを、強行してやっていたのは、上からの命令で、・・・・・私を挨拶しないで、無視する作戦を実行しなさい・・・・・と、言われているので、それをやろうとしているのですが、一応、カラス除け網小屋を組み立てていると、私が通る際に、背中を向けていることができて、あとで、弁明できますね。私が、嘘を言っているという事にできます。

 彼女は外語大(程度?)を卒業していると思います。一年間スペインに留学していたそうですから。ただし、時期が問題ですが、スペインに一般人(24歳以上)を、受け入れる国費留学生度はなくて、

 20~23歳の、日本での、大学在学中に、文部科学省が、出している奨学金制度か、スペイン政府が出している奨学金制度を利用する以外は私費留学の模様です。

 さて、彼女は自分なりにうまく考えたつもりでしょう。ところが、私の方に、新しいキャリーバッグがもたらした、二つ目の災難(お財布を途中で落とした)が起こり、(一つ目は、石段を、20段も真っ逆さまに転げ落ち、頭や顔に、大けがを負い、お正月は、何も出きなく、かつ、どこへもでかけられなかった。)家へいったん帰ったのです。

 ところが足が痛いのです。

 今、書いている・・・・*1)大原光孝さんの妻と、大物美術評論家の純愛とか、*2)、同じく鎌倉在住の、大物文筆家が、在日の出自を隠していて、小室圭君の母君の自伝とは、この文筆家が、ゴーストライターとして、書いたものだろう。少年Aの、絶歌と同じ仕組みだ・・・・・というのが、鎌倉エージェントにとって、相当な痛手らしくて、私の肉体に痛みをもたらしているのです。

 で、ものすごく痛くて歩けないわけで、

 私は、20分も、時間を余計にかけて、自宅へいったん戻ることになります。今、右ひざの靭帯(二つの筋肉、下肢は、左側、太ももは、右側の靭帯に、それぞれ、10か所程度、傷がつけられていて、これは、新旧委になった主人にも治せないのではないかと思っている次第です。そういうわけで、桜田門からの、大攻撃のせいで、歩けないほど痛いのです。で、普通だと、7ふん程度で、戻ってこられる場所に、15分以上、かかったのです。渡辺みかさんは、外語大程度の、入学試験の偏差値優秀大学を卒業しているでしょうから、頭はいいのです。私も頭がいいから似ているのですが、そういう人は、何もしない時間というのをひどく嫌がるのです。で、何もしないで、カラス除けごみ用小屋の前で、待っているのが、たまらなくなって、山を上がってきたのですね。

 で、安野家の前ですれ違った。もし丁寧に、私のブログを読んでいたら、今は、何も打つ手はないのです。何もやってはいけないのです。ところが、私のブログを丁寧に、読んでいないうえに、上からの命令があるので、従ったわけです。どういう命令かというと、フジテレビの上層部が、10時間にも及ぶ言論リンチを受けた、あの27日の現象は、鎌倉エージェントにとって大勝利なのでしょう。で、彼らは、自分たちが勝ったと思うとさらに、攻撃してくるのです。しかし、伊藤玄二郎自身、または、伊藤健太郎が、この山にきて、私を無視しても、効果がありません。その二人の顔は、知っています。でも、28日以前に、個人的な付き合いはないわけですから、相手から挨拶をされなくても、それは、普通のことなのです。で、それは、だめだから渡辺みかさんを弾丸として、使ったというわけです。

 したがって、伊藤玄二郎一派は、自ら、語ってくれたわけですね。フジテレビの女性アナ被害者とは、すべて、本質を隠した事件であり、本質とは、フジテレビをつぶそうとする政治的動機であると、言う部分です。渡辺みかさんの行動が、それを、傍証付けしてくれました。

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 イングマール・ベルイマンという北欧の監督がいます。もちろん、もうなくなっている人ですが、1960年代は、日本で、大いに話題の的となっていた監督です。

 日本では【野イチゴ】が大評判でした。今、グーグル検索で、ストーリーを読むと、現在の私でも、好感を持ちそうな映画でしたが、1960年代では、最初の数シーンで、もう、集中できなかったのです。

 回想のセックスシーンだったと思います。または、途中で出会った若者のセックスシーンだったか?

 ともかく、そういう描写が始まったとたんに、『あ、隣にいる友人って、私と、セックスするために、この映画に誘ったのだわ』と、解っちゃったのです。で、どういう風に逃げようかと考えて、落ち着かなくなりました。だから、映画の筋は全く覚えていません。

 今の私だったら、さっさと途中で、一人で先に帰っちゃったらいいのですが、そのころは、それはできませんでした。だから、フジテレビの被害女性が、逃げられなかったのだろうと、推察はできます。人生の上で、諸般にわたって、経験不足の甘ちゃんだったので、付け込まれるままだったというのは、解ります。

 だけど、私の場合、映画を一緒に見ただけでも、映画の内容から、隣にいる男子学生が、所望としている本当のところはわかりました。で、どうして逃げようかと考えて、映画はほとんど見ていません。それに引き比べるとフジテレビの、被害女性って、変ですよ。どうして、逃げられなかったの。中居の腕をかむとか、そこらあたりに置いてあった、炭を、いじるための、金属棒を振り回すとかしたら、十分に逃げられたと思いますけれど。特に今、フジテレビをやめているそうで、それくらいなら、中居と大喧嘩をしたうえで、やめた方がすっきりするけれどねえ。不思議です。ともかく不思議です。

 で、映画が終わって外へ出ると、案の定、暗い道を歩く設定となっていました。この映画は、当時から名画座で、上映される様な種類の映画ですが、1964年か1965年度だったと思うので、さらに、田舎の名画座で公開という落ちた形になっていたのかもしれません。誰も通っていない道で、引き寄せられてキスされそうになりました。だけど、逃げおおせました。

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 どうしてかというと、1963年にすでに主人と結婚するだろうと、言う予感があり、それは大切にしたいと思っていたので、主人以外とのセックスなど、まったく、受け入れる気はありませんでした。

 私は多分、それほど、ブスではない筈なのですが、でも、そのころは眼鏡をかけていた典型的な・・りけじょ・・だったし、化粧はしない人だったし、前歯に金冠をはめていたので、女性としては第三ランクぐらいだろうなあと、自分で思っていました。

 上は、右から二人目が、そのころの私です。先生は、欧陽可亮といわれて王義之の末裔です。お嬢様が、中国4000年の歴史を反映する美女で、肌が、ほとんど玉と同じ、透明感を持ち、緑色に見えるほどでした。ろうたけたという語彙が、ぴったりとあてはまる美女でした。先生ご自身は、このころ、二つの中国の問題で、泥棒にも頻繁に入られて、ご苦労をなさっていたので、顔が、幸せそうでないです。お気の毒に。
 
 特に1962年度入学の国際キリスト教大学って、それこそ、女子アナ程度の美女が、50人はいましたから、・・・・・自分は第三ランクだと、自分で規定をしていました。それなのに、処女性を失ったら、さらに落ちますからね。

 主人は別の大学に通っていて、高校も違うので、共通の友人というのがありませんでした。私はそれをいいことにしていて、だれに対しても、主人というボーイフレンドがいると、いう事を語っていませんでした。主人とはキスもしていないし、むろんセックスもしていないのですが、

 駿台予備校四谷分校に通っていたころ、授業の合間の休み時間に、私が橋の上から中央線や総武線などを眺めていたら、なぜか視線を感じて、そちらに目を向けると、麹町方向20m先から、主人がじっと、私を見ていました。女子高育ちの私は男の子から、憧憬のまなざしで、見つめられた過去がなかったので、ひそかに、『あ、すごい。ありがとう。うれしいなあ』と、感じました。が、それを言葉で彼に告げることはありませんでした。

 彼と私は、722番と723番という出席番号が、一番違いで、模擬試験の成績が、番号順に張り出されると、大きなサイズの番号で、必ず、二人とも、20番以内に入っているのでした。それで、掲示板の前で会うとにっこりしあう仲でした。

 しかし卒業するとき、住所など教えませんでした。しかし、次の年の、8月に、彼から、手紙が来ました。非常に驚いたのですが、結婚後、なぞ解きをしてくれました。伊勢佐木町の野村證券で、バイトをしたら、ファイルの中に、日吉在住、長女は、お茶代付属高校在学中という、いかにも、我が家という家族構成のファイルがあったので、あ、あの子の住所ここだ、とわかって手紙をくれたそうです。なお、伊勢佐木町の野村証券とは今は、無い支店です。

 当時、彼は商学部に通っていたので、そういうバイトが、学校に来ていたのでした。ところが初デートの時に変なことばかり言うのです。彼は、マザコンですが、母親がPTA会長(高校も中学もですよ。男女共学の公立で女だてらにPTA会長です。町内会長もしています)ほか、ストレートに、人の上に立つ、ことが好きな強気な人なので、彼もその血筋を引いていて、人の上に立つことが大好きみたいでした。ともかく、商学部在学中だが、将来は、検事になるつもりだと、言いました。

 こっちはその時、まだ、彼の母親が、勝気な人だという事を知らなかったので、どうして、こういうことを言うのだろうと、不思議極まりなかったです。で、詠嘆調でですが、「私はね、父親が・・・・・戦争になると、絶対に理工学部を出ていないとだめだ・・・・・というので、高三の時に大喧嘩をして、親戚のうちに、三か月ほど、預けられたほどだから、エンジニアになる以外、道はないという感じで、検事になるなんて、絶対に考えられないのだけれど‥…」と言っておきました。文系学部は、法学部でも駄目だという感じでした。経済学部でも駄目で、商学部もだめだという感じです。文学部などとんでもないという感じでした。

 父は、本当は美校(現在の芸大)に行きたかったのです。ただし、旧制・山口中学の先生から、「現在も兄(旧制、萩中学の校長をしていた。10歳年上なので、亡くなった父親代わりだった)に学資(下宿代を含む)を頼っているのでしょう。そういう資産状況で、美校へ行ったらだめだ」と、忠告をされたそうで、秋田鉱専に行きました。石油科の第一回卒業生で、満鉄の研究所で、国家的、優遇(戦争でも、輜重隊・・・・物を運ぶ係程度を短く務めただけで、赦免され)たのです。

 なお、すでにそれを語っていますが、隈研吾氏の、父君もわが父と同じ大学・卒です。でも、三菱金属勤務だから、石油科卒業ではなくて、同じ地下資源でも、銅とかニッケルとか、年度が、進むにつれて、レアメタルとかを専門としているのでしょう。1950年代から1970年代は、日本の産業のかなめが、金属や石油だったのです。「鉄は国家なり」といわれて、八幡製鉄が、大企業で、そこに父親が務めていた友人が今は、北九州市に住んでいるので、

この間、「中三女子が、マクドナルドで、殺されたという事件が起きました。あれは、むろん嘘ですよ。あの少女はアバターで、AIが作った少女です。だって、北九州市って、7つも、区があって、中学校が、40校近くあるのです。で、どの中学校に通っている生徒も、その中学校の先生も、どこか、ほかの中学校の生徒だと思い込んだので、ウソがばれなかったのです。ともかく、異常な殺人事件は、ほぼ、CIAエージェントが起案し、支配下にある、4万人という家来に、それぞれ、命令するのです。ネット投稿などで、収入を与えているので、犯人と呼ばれる男は、たいてい無職ですね。北九州市で、中三女子が視察をされたというのは、100%のウソですが、

 長野駅そばで、46歳の無職の男が全く関係のない三人の男女を刺殺したというのも、きっと同じで、北九州市で、は、嘘の殺人だったと、わたくしが、見破ったので、

 衆人が、見守る中での、実際の殺人事件を起こしたのです。これって、安倍晋三元首相を、奈良県西大寺で、銃撃させた(NHK テレビカメラの真ん前で)というのと同じ、目的と、同じ考察様式で、作られた事件です。そして、彼らは、日本人でありながら、世界の大富豪が雇っているCIAの、そのまた家来として、特権を保証されているので、同胞であっても、日本人のことなど、虫けらのごとく考えています。

 

今は、IT とか、AI とか、ゲームが、理系学生の、好む専攻科目らしいけれど。

 比較して藤田嗣治氏の苦労などをよく語っていました。自分が美校へ行けなかったことへの、正しさか何かの証明をしたかったのでしょう。これはコロナ禍でも危うく、現実のものとして再現されかねなかったのですが、短く終わって、よかったですね。芸術家諸氏殿。

 父の上司は、根岸譲二博士といって南カリフォルニア大学卒で「下から意見を言わないと怒られるのだ」とよく言っていました。日本的な教育を受けてきた自分は、最初は、ひどく驚いたといっていました。この方の弟さんが根岸良治博士で渡米して、アメリカでの研究でノーベル賞をもらいました。

 東大を、教養学部他、三つの学部を卒業した高校同期生にこの話をしたら、さすが、何もかもよく知っている人で、「そうよ。戦時中の満州の、ホワイトカラーって、日本国内にいる人々よりも、民主的で、自由な生活を送っていたのよ」と、言われました。なお、このお友達って、父上がお医者さんで、富裕なので、東大のある学部を卒業した後で就職をする必要がなくて、東大をほかに二つの学部も卒業したのですが、宝の持ち腐れみたいで、残念です。12年ぐらい前ですが、六甲山系をバイク(きっと大型です)で、走破するのが楽しいのよと、行っていました。その生き方って、東女を出た後で、就職しないでよいので、芸大大学院へ行った、馬越陽子さんや、星野美智子さんと共通しています。ただ、東大を卒業した知識って、生かしにくいですよね。大学教授にでもならないと生かせない。だけど、私のような世代では、東大に教授として女性が残るのは、極めて難しかったのです。でも、彼女にそう言ってもらって、私は、よかった。引揚者というだけで、差別を受ける時期もあったので。で、カミングアウトをしていない、満州生まれの人(ただし、私が、1942年だから、出産を日本に里帰りして行う妻が多かったと、仮定すると、私とか、加藤登紀子(一歳年下)が、最後の世代です。でも、先輩には、李香蘭(山口淑子)とか、中西レイとか、大物がいますよね。私自身、今は、言論弾圧の、憂き目に出会って、やせ細ってきていますが、・・・・・やっぱり大陸育ちですね。大物感があります。普通の日本人とは違いますね・・・・・と、お茶大付属高校の先輩から言われています。この先輩=斎藤敏江さんのご主人こそ、そういうエリートの一人で、商船太洋丸に乗って、いざ満州を開発しようとしていたのですが、アメリカの魚雷によって、大連沖で、沈没させられました。700人ぐらい死んだのではないかなあ?

沖縄の小学生が、疎開しようとしていた船も魚雷で、沈没させられたのです。

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 さて、あっちこっち寄り道をしてしまいました。が、キスもしていないし、セックスなど、まったく沿道かった、主人と、どうして結婚するだろうと、予感したかというと、彼が通う大学を変えたからです。

 彼は、横浜市大商学部(森コンツェルンの創始者が教授をしていた時代ですが)に通学していたのですが、横浜国大工学部へ、学部も、通う大学も、変更したのです。予備校に通ってもいないのに、当時は、東大との併願校だった、横浜国大に、さらっと、入学してしまったことにも、ひどく驚いたし、それが、私とのデートの結果だと、感じていて、深い縁を感じたわけです。

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 私はキスとか、交合という実行行為はないのですが、結婚前に、モーションをかけられたという事が、6人を相手として起きています。また、こちらはそれを望んでいないのに、相手の方が、私が相手との、結婚を望んでいると誤解した人も二人います。この後者の方は相手が防衛行動をしたので、相手がどう考えているかが私に分かって、とても恥ずかしかったです。今ならぶっちゃけた会話というのができるので、「いやだ、誤解しないでね」といえるのですが、当時は、それが言えなかったのです。

 これが、すべて、1960年代の話ですが、1997年になって、日大芸術学部卒で、有名人を、クライアントに持つ、日傘雅水女史に手相を見てもらって、理由がわかりました。私の手には、金星帯という、フェロモンや、セックスをつかさどる線が、両手に、二本ずつ、四本あるのですって。

 それをもし駆使したら、西原理恵子とか、瀬戸内寂聴も目じゃないですと、言う男性遍歴を誇るところだったかもしれないのです。だが、日傘さんが、「あなたは、芸術家でよかった。これが、普通の主婦だったら、事件を起こす人になっていますよ」と、言ってくれたほど、私は常に創作をしているのです。今は、文章です。ブログしかやっていないけれど、それが、快楽だそうですよ。最高の快楽が、創作だそうです。

 普通の主婦なのに、事件を起こした人を新聞で、見ました。あまりにどぎつい事件なのでNHKは、報道をしなかったですね。

 中学か、高校に通う娘さんがいる主婦が、娘さんが通っている英語塾の先生とできてしまったのですね。そうしたら、夫を殺したくなったんですって。それで、塾の、講師に相談をしたら、彼は、自分が洗脳して支配下に置いているすし職人とかいう若い男に、その夫を襲わせたのです。金属バットで、殴ったのですって、一回目は、助かったのですが、二回目には、とうとう、命を奪われました。恐ろしい。性の自由度を、尊重すると、そういう事件に終わるのです。

 ところで、このお宅には、数人のお子様がいたと覚えています。家の経済を支えていたお父さんが、亡くなって、そして、母もそばにいない。11年の量刑だそうですから。

 昨日は、まったく出てこなかった、この事件が、本日、2025年2月1日午前2時には出てきました。

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日経新聞より

仙台の高校教諭殺害、妻に懲役11年の判決 仙台地裁

 

仙台市で私立高校教諭松本秀夫さん(当時56)を知人の男2人と共謀して殺害、死亡保険金を請求したとして、殺人と詐欺未遂の罪に問われた妻の美代被告(45)の裁判員裁判で、仙台地裁は27日、懲役11年(求刑懲役20年)の判決を言い渡した。

争点は、被告が主張する殺人ほう助罪が適用されるかどうかだった。川本清巌裁判長は「家庭内別居状態だった夫がいなくなればいいと考え、殺害計画に加担し、共犯の松山哲士被告(39)の指示に従った」と判断、殺人罪の共謀共同正犯が成立するとした。

その上で量刑理由について「松山被告に精神的に支配されており、積極的に殺害に加わったとは言い切れない」とした。

判決によると、美代被告は松山被告、梅原啓被告(28)と共謀し昨年4月30日夜、仙台市泉区の自宅駐車場で松本さんの頭を金属バットで殴って殺害。同6月に松山被告と死亡保険金を詐取しようとした。〔共同〕

 

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