これは、私が肺の偽せ病で殺されそうになった話を、本格的にかつ、時制も整えて、書き始めた三回目です。
この文章は、22日の午前二時まで、総タイトルが【内田先生は1989年に賃貸マンションを武蔵小杉に建設・・・凄腕?医者、それとも二代目?)となっていました。が、またまた、そこまで書けないので、総タイトルを変更します。
なお、あまりにもすごい話なので、究極の復讐を受けており、その一つは、自民党が闇バイト対策室を設け、そのトップに高市早苗さんが、就任したという話です。
次に驚いたのは櫻井よし子さんが、玉木雄一郎と、ご自分の番組(ユーチューブか❓)で、共演したとの話です。
これが、なぜ、私に対して復讐になるかは、ここでは丁寧には説明をしないで、先に進みます。敵さんたちに私があなた方の魂胆は、わかっていますよと、知らせるだけでいいのです。
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副題1、『2024-11-6の夜、先生が、疑惑のレントゲン写真のコピーをくれていないことに気が付き、一気に闇の世界へ、引き込まれた。その直前まで、先生を信じていて、あの不思議な写真を、自分でも作ってみようと思い、キンコーズというよく使っている事務センターで、最新のアプリを入れてあるパソコンを借りて、わからないところはスタッフに指導をしてもらいながら、自分でも、いわゆる、立体画像を作ってみようと思っていたのだった』
だから、内田竜生先生が、罠にかけてきたなどとは、夢にも思っていなかっのでした。
ともかく、内田先生が物忘れをなさることは考えられません。先生は、スリムないかにも日本人らしい体型の紳士で、奥様らしい方(私は誰に教えられなくてもわかるのですよ。ある日、特別なおしゃれをなさっていたので・・・・・それは、私のおしゃれ・・・・高いものではないが画家なので、色合わせを気を付けているために、非常に美しいと、周辺から思われている時だったが、・・・・・が、敵さんからの攻撃の一策として使われていた時期(あと註1をご参照のこと)だったので、奥様も最上級のブランドの洋服を着て、医療事務を執り行っておられたのです・・・・一回だけでしたけれどね)の、年齢を考えると、多分60代です。
ただお嬢様もすでにお医者様で、診療していただいたことがあるので、お嬢様が医者として、すでに大病院から独立できる時期であると、なると、アラサー以上ですから、先生ご夫妻は、実は、60代後半なのかもしれません。でも、先生はグレーヘアですが、全体にスリムで、姿勢もよく、したがって、時々は、50代見えます。
ともかく、バリバリの現役で、身のこなしも、速やかで、かつ頭の回転も速い方です。人気があって、待合室は、いつも、人がいっぱいです。その先生がお願いをした筈の、レントゲン写真をわたくしに渡すのをお忘れになる可能性は皆無です。わざと渡さなかったとしか思えません。
これを写真1と番号付けする。
ところで、これは、内田先生が、「東労災に行きなさい。その時に放射線科で、渡しなさい」とおっしゃった封筒です。まだ、開封していません。なお、青地の紙が利用されていますが、20日にスキャンしたときは、
これを写真2と番号付けをする。
裏は青地で撮影されたのに、表は、白地で、撮影されたのです。で、この写真が桜田門(警察庁)も関与している、偽病の写真だと、判断をしています。ただ、この写真を撮ったのは、6日ではなくて、20日です。で、この封筒の中に、私がお願いしたのに、先生がお渡しくださらなかった、偽の病のレントゲン写真(と称するもので、普通のレントゲンカメラでは、制作できないもの)が入っていると思いますが、ぎりぎりの段階まで、開封しないで、置きます。
この写真は、ひとえに、親書の秘密を破ったなどという些末なポイントで、訴えられたら大変だから、20日の時点では、まだ、開封していないということを証明するために撮っているものです。
私は支払いの時に、看護師さんらしきひと、特に、もしかすると、あれは、婦人警官か女性刑事だったと、理解する・・・・・その日一日だけ現れたレントゲン技師だったかもしれません・・・・・にそのA4の大きさの書類を渡されたのですが、6日の夜に、入っていなかったと、知ったときに、この事件の全貌の、35%はわかったと申し上げましょう。
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副題2、『そうなってくると、その気が付いた夜の、6時間前の、3時10分時の安野夫人の態度が、真実を知らせる大きな、ポイントとして、記憶の中で、よみがえり、・・・・・おおー、おおー、私はすんでのところで、殺されるところだった・・・・・と、夜の11時は、ほぼ確信をしたのだった』
これを写真3と番号付けをする。
私は内田先生が、こういうアイデアを、思いついたとは思いません。清川まどか先生と同じく、利用をされただけの人です。
で、結局のところ、伊藤玄二郎、いまだ生きている井上ひさし、それから、安野智紗(本名は、ひろ子かもしれないが)夫人と、前田清子さんと、警察庁が悪いのです。
つまり、時々皆様がご覧になる、雪ノ下黒物語が、真実であり、かつそれが、どんどんどんどん、悪辣化していっており、私がすべてを正確に書き記しているので、今となっては、私を殺す以外に、逃れる道はないと思っている連中が、こういうアイデアを、案出しているのです。しかし、まあ、清川病院での事案よりも今回の方が悪辣度が強いです。上の封筒の、実物は青いのに、白くスキャンをされている封筒の方のあて名が・・・・・ご担当医 先生御机下・・・・・となっていて、個人名が特定できない様になっています。
しかし、もし、私が真実に気が付かなかったら、関東労災でも、肺結核のために、めちゃくちゃに崩れた肺のCTスキャン画像を、CDに入れて、すぐ、内田クリニックに持っていって下さいと、言われるか、関東労災から、ネットで、直接、内田クリニックに、そのめちゃくちゃ汚い肺(もちろん、私のものではない)の多数のスキャン画像が入ってしまい、内田先生は、こともなげに、「あなたは重症ですから、すぐ入院してください」と、言われ、入院先で、肺の全摘手術を受けて、殺されるか? 左肺の五分の一(そこの気管支を、嘘写真では、立体化してあった)を切除され、「これは正当な手術でした」と、言い渡されるかのどちらかでしょう。ただ、全体に彼らは、乱暴至極です。だから、殺されるだろうとする予測の方が正しくて、「生かしたまま帰還をさせ、寝たきり状態にでもして、六か月以内に、自宅または、入院先で死ぬ」という予測は当たらないと思います。
で、上の写真ですが、真ん中に、大きな電信柱があります。その右側に、赤い消防署の、延長ホースが入っている箱があります。その真ん中が、道で、上に向かって伸びています。
ちょうど、おあつらえ向きの地図があります。これは、鎌倉市役所が公開しているものですから、ここで、使ってもいいでしょう。しかも我が家に平成28年に助成の伐採をした赤鉛筆で、斜線入りの丸が、ついていますがそれは、全くの嘘なので、堂々と使わせていただいています。これは、富沢家の高枝切、事案という謀略と関係があるのでさらに重要な地図ですが、富沢家は、南すぎるので、この地図内に、表記されていません。
紫色のカバーがかかっているところは、あと三軒ぐらい、数を増やしても、良かったのですが、・・・・・安野夫人に利用されたマイナスを自覚して、引っ越していったり、・・・・・今の、住民が警察庁のホワイトカラーである。賃貸で、借りている筈・・・・・などという理由があって、私がわざと消しています。
なお、亡くなった方もあり、藤本昭さんというのは、多分藤本真澄東宝重役の弟さんで、奥様が禎子さんと言って、私のブログに頻繁に登場する方です。前田祝一氏もなくなっており、前田清子さんの家となっています。中谷共二氏もなくなっており、遺児二人によって、1970万円で、東急リヴァブルが売り出し、前田清子さんの長男達之君が買ったことになっているが、達之君は、お金を一銭も払わず、内閣官房機密費から、お金が中谷家の遺児(ご長男は、東大名誉教授。一郎氏=または、一雄氏)次男は、陸(または、瞬、または、❓)で、三井物産元社員です。で、この中谷家の東側が、今、コンクリート擁壁化大工事に入っているところです。写真5で説明をします。内田クリニックと関係がないでしょう?とおっしゃるかしら? とんでもないです。全部関連しています。つまり、伊藤玄二郎がすべてに絡んでいます。なお、我が家の西側が、白地になっていますが、(ということは、これは、2007年ごろのゼンリンの地図である。)前の住民はお嬢さまを妙本寺に嫁がせた遠藤夫妻で、婦人が、毎日、東側の我が家に庭ごみ(犬の糞を含む)を吐き入れていた、驚くべき神経の持ち主です。小錦みたい二太っていますよ。今は原節子が隠れ住んでいたことで、有名な、浄妙寺住宅団地に住んでいる筈ですが、こざかしい夫婦なので、すでに引っ越して言っているかもしれません。
また、その白い場所には、、白井達雄(横浜一高いわタワマンフ=ロントを設計した人)と、その夫人ひろ子さんが住んでいます。しかし、ひろ子さんは、私には「自分は小野寺姓なのですよ」と、(多分嘘)を言います。東大卒なので、常にわたくしとの会話を、途中で打ち切ります。(苦笑)つまり、自分の方が上だと、考えている、そういう女性です。
大原閑子というのは、光孝さんの養母です。
これを写真4と番号付けをする。
この地図の下の方に、まるで囲んだ三という数字があります。これは、雪ノ下二丁目三番地ということで、我が家(川崎英二宅)は、家番号が7という形です。これは、上の写真#3が撮影された時よりも、古い時代の、ゼンリンの地図を鎌倉市が、利用しているという形なので、我が家の上(=北)は、現在では、石井秀樹Xあずさ夫妻邸(360度ガラス張りの家)が、建っているのですが、前の住民、藤本昭氏の名前が出ています。
ところで、藤本邸は、35号となっています。これは、四番地の、35という意味で、中谷家が38号になっています。いろいろ、不思議なところのある地図ですが、そういうことになっていると、ご了承下さい。
ところで、我が家まで、東へ向かっていた道路が、我が家の前で、くねっと曲がって東北へ向かっています。それが、写真3に示した、電信柱の奥に見える道路です。そして、写真4では、その部分の北側に、安野忠彦(4番地の33号という家があります。その下(南側)=我が家川崎家(二丁目三番地7号)の東側は、等高線が走っていて、家がありません。山だったのです。鶴岡八幡宮の持ち山ということになっています。
その山も、2020年の四月に大伐採をされたのですが、それも安野夫人宅の日当たりをよくして、我が家の崖を崩してやろうとする悪意満々の工事でした。詳細は、あと註4に書きます。そして、写真は、#7として入れておきます。
さて、写真3で、奥に見える道路で安野夫人が通せんぼをしていたのです。
大変なおしゃれをしていました。今から外出するというのだったらわかりますが、手には剪定鋏を持っており、お財布等を入れている筈のバッグを持っていないので、外出の予定はないのです。しかし、ものすごいおしゃれをして通せんぼをしているということには大きな意味があります。
つまり、「自分はあなたよりも勝っているのよ」と言いたいのです。これは、何十回も経験していることだから、別に衝撃も受けていないということで、通り過ぎました。この日は、山全体がうるさかったのです。で、私が門を出たとたんに、白井夫人と森山・若・夫人と出くわしたのですが、白井夫人は挨拶をせず、森山若夫人の顔も微妙に変だったのです。私は、自分が、すでに、病に陥っているからと、ブログで、書いているわけで、それで、安野夫人とか、白井夫人が勝ったぞ、勝ったぞ、というボディ・ラングエッジを発するのは、別に、気にしません。
そんなことはブログで、「病に陥りました」と、書く限り起きることだと覚悟をしていますから、別にと思って通り過ぎるわけですが、ほかの女性も、微妙な顔をしながら、対面からやってきて、挨拶をしないという形です。こうなると我が家への電話、および室内の会話が、安野家では、聞くことができる装置があるのだと、言うことが確信となります。
2時半ごろ美容院に電話をかけていて、三時半の予約を取っています。それを盗聴して、全女性に命令を下したとみなせます。安野夫人はよくあるボスの典型なので、ご近所人間に支配力を持っているので、強い影響を与えたのは理解できます。
しかし、これが、夜の10時になって内田先生が私のお願いを聞き届けず、偽者の、病気写真(一応レントゲン写真みたいにしてお見せになったが、まったく違う造成された他人の肺の写真であるもの)を、渡してくれていなかったと、知覚したとたんに、意味が違ってくるのでした。
つまり、安野夫人が最上級のおしゃれをしていたのは、私と顔を合わせるのが、この日、2024年11月6日が最後だと、考えていたからでしょう。最後の日に、自分が勝っていると見せつけたい。自分の方が、上の人間だと見せつけたいのです。
最後の日であると、知っていることは、彼女は、私が、近々、殺される、ということを知っていたとなります。
自宅の部屋の中にいながらも、辺りを闇が、70%支配したと感じました。
この時に、病名宣告はなさらなかったが、「関東労災で、CTスキャンを撮ってください」と、言う内田先生の言葉が、清川病院の清川まどか先生の似た種類の言葉よりも、はるかに怖い力を持っていると知ったのでした。
つまり、清川病院は、鎌倉一古い病院なので、院内に、CTスキャンカメラを持っています。だけど、最初にみせられたレントゲン写真が、偽物の造作作品だとは、まどか先生も、私も瞬時に分かったので、CTスキャンも、信じないでも、通るわけです。私はまどか先生も悪利用をされた先生だと、わかっているので、清川病院を憎むことはありません。
ただ、同じ目的の殺人未遂のケースでも、内田先生のケースは、関東労災が嚙んでいます。
清川病院よりは、ずっと大きいです。歴史は、短いが、組織全体が大きいです。単体の病院とは言えず、全国に同じ名前の病院が数多くあるでしょう。そんな大組織を挙げて、「あなたは肺結核です」などと、診断をされたら、逃げようがありません。ああ、大変だ。近々私って殺されるのだわ。医療を糧にしてね。と、6日に分かったのでした。
この写真を5番と規定する。
これは、安野家が門前に10年以上の長きにわたってくぎ付けしていた看板です。13号ですって。それを見ながら、安野夫妻って、大卒ではないなあと、考えたり、なんて教養が低いのだろうと、考えたりしていました。現在82歳の妻と、その数歳上の夫が、結婚をしてるのですが、そういう、1960年代の、日本の状況を知っている人が「警察と仲良しです」なんて言う看板を誇示するなんてありえないのです。
この様にして、私は別に探偵を雇っているわけでもないし、安野忠彦氏の前住所の近辺に行って、噂を確認したわけでもないが、安野夫妻、特に奥さんの行動が、あの二人のセックスの様子さえわからせてくれて、「ああ、略奪婚ですね」と、結論付けられるのです。しかも、お嬢さんが離婚をして帰ってきた時の様子から(外にまで、聞こえる声で安野夫人がいじめている様子を、聞いたので)ああ、本当のお母さんはもう死んでいるのですね。と納得をしていました。
だって離婚をしたなどという弱い時期に恐ろしい女であることがはっきりとわかっている今の継母のもとに帰ってきますか? 母親が再婚していると仮定しても、近所に木賃アパートを三万円ぐらいで、借りてもらって、一時期苦難の時を過ごすと思いますよ。それは、実の母と実の娘の間の当然の交流です。それがないのだから、本当の母親ではない。そういうエピソードがいっぱいあるのです。8月10日に引っ越してきて、9月20日前に「お砂糖を貸してください。子供にお客が来たから、お紅茶を出したいから」と全然付き合っていないのに、ベルを押されたときから、すべての嘘(前田清子さんや、白井夫人は見抜けないらしいが?)はわたくしにはわかっているのです。
高校卒業以来38年間、一回も、この雪ノ下には、帰ってきていないご長男を訪ねて、インタビューをしてごらんなさい。・・・・・露木長官殿。あなた方、警察がやっていることは、・・・・・まるで、ミステイクだった・・・・と、わかるでしょう。こんな大ウソツキを信頼して、アイデアを、私を攻撃するアイデアを創出するなんて、墓穴を掘るの典型ですなー。
あのね。別にゼッケンに、東大に勤務していました。教授からやめなければ、将来教授になれるといわれていましたと、書いているわけではないです。でもね、普段、ご近所様を、自分と対等か、上であると扱っていれば、こういう恥は掻かないだろうし、秘密もばれないですよね。それは、東京圏の一戸建て住宅街での、生きる主是でもある。だから、ここに引っ越してくる前に一戸建て、住宅街に住んだことがないのだと思いますよ。
ともかく、1984年から、高三、高一、中二と三人のお子様がすでにいるのに、全く普通の主婦とか、母親ではないから、それも、「1984年、か、1983年には、前の奥様=本当の、お母さん=はすでに死んでいたのよね」と、わかるのでした。
いや、彼女が警察とべったりなので、私は自分が殺されかかっていると分かったわけですから、ありがたい存在だと思っています。(苦笑)それもまた、どんなにいじめられても、ここを引っ越していかない理由の一つです。
私は自分を神に選ばれた一人だと、考えています。ご近所に対して威張るなんて愚劣なことは致しませんが、NHKが報道するうそを、一、一、訂正していますよね。それの確認のためには、安野夫人が、非常に大きく役に立つのでした。
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副題3、『わたくしが医療の現場を使って、だまし討ちの形で、殺されかかっているのは、現在、流鏑馬道の対岸で、異様な工事が進んでいるからです』
これは、写真、4で、示した地図の、雪ノ下二丁目4番地の33号、旧中谷家の東側の急峻な崖に、無粋で、今まで、鎌倉市内にはなかった、コンクリート擁壁を作る工事が休みなく、進捗しているからです。
わたくしが今まで書いてきた、中谷共二氏が、無断で我が家の東北の崖(または、山を崩してしまって、対面の藤本禎子夫人が入れたいような地境石が、あたかも政党である様に演出したことが、本当の悪だからこそ、
旧中谷家に、県の税金を大量に注ぐことが、対、私への弾圧に役立つと、伊藤亥二郎たちが考えているからです。
そのころ、中谷共二氏は藤本禎子さんを「きちがいだ」と、いい、彼女に困らされているから、「どうか川崎さん、協力してください。お宅の花畑を提供してください」と頼まれたのです。その時、藤本夫人が、きちがいだと、する証拠として、上の写真3番の、電柱のそばのとんがった、角を示して、ほら、こんなにとんがっているでしょう。こんな工事誰も引き受け手がないから、彼女は自分一人で(50歳を超えているのに、そして、いればをはめているぐらいなのに)工事をやったのです。本当にきちがいなのです。というのでした。私も北久里浜で、坪数60坪の敷地に、27坪の家を建ててきた経験がありますから、中谷氏の言う地境をとんがらせる、作業は異常だと思いました。
でも、続けて、「藤本夫人は、被害妄想がひどくて、近所の人に敷地をとられると思っているのでしょう。だから、これほど、とんがらせたのです」というのでした。私はその時点で、中谷氏は、間違っていると思いました。
だって、藤本夫人の居間から、5mぐらいのところで毎日安野夫人が井戸端会議を道路で開くのですよ。その内容が愚劣すぎるのです。たとえば一例ですが、前田清子さんがお嬢さんの結婚について話すエピソードは、仰天するものでした。
お嬢さんは、信子さんと言って、湘南高校、東京女子大、リヨン大学留学、明治大学教授という順調で恵まれた路線を歩んでいる人ですが、
このお嬢さんが、湘南高校在学中に聞こえたエピソードなので、1988年から1990年の間に聞こえてきたエピソードですが、「うちののぶこがさあー、湘南高校の男のこと付き合っているのよ。結構イケメンなの。だから、さっさと決めちゃえば、と言っているのだけれど、あれがどうした、これがどうしたといって、なかなか決めないのよ」という発言です。
私は、教会にはいっていないけれど、ほぼキリスト教がわかっている人間だから、子供の結婚なんて、親が支配する領域ではないと、わかっているのです。しかも、藤本家では、40を超えたであろうお嬢さんが未婚です5mの近さで、そういう苛めを聞かされるのですよ。平木さん、知っていましたか? あなた、私のブログを読んでいないそうですから、しかも、前田清子さんは、藤本夫人をにらむそうです。対面から来たらにらむそうです。しかも派閥を作って、ほかの女性を支配しているから、挨拶をしてくれるのは井上さんだけだと、言っていました。
藤本夫人んて、鎌倉の小児科医院のお嬢さんで、横浜国大付属鎌倉小学校・中学校のPTA会長をやっていたそうです。
ここで、ちょっと中断します。最後に登場する顔は、前田祝一氏ですが、彼の立っている場所はわが屋の盗まれた花畑です。テレビに登場することで、盗んだものを、自分たち共有のものと見せつける欺罔の場面です。まあ、あとで、詳細を語るはずですが、この章ではないかもしれません。
この写真を6番と規定する。
この写真を7番と規定する。
この写真を#8と規定します。
この写真を#9と規定します。
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