このブログは今は、内容が深刻すぎるので、冒頭に写真を持ってきて緩和する様に勤めています。本日は、児島百代先生の自伝です。下に、文章が出てきます。
副題1、『昨日からとんでもない発想に、頭が襲われています。それは、私の二回目の、・・・・・肺が、病気であると、信じ込ませようとする・・・・写真があり、それを、2024年の11月5日に、かかりつけ医の先生から、診察時に見せられたわけですが、その写真をだれが作ったか?・・・・が、問題になってきます。それが、誰であるか? ですが、スクエニの若手社員か、東工大のAI担当教授のおお教室のメンバーが作っただろうという、考えです。それに襲われています』
ところで、これは、暗殺未遂なので、誣告罪の適用を避けるために、個人名を出しません。
しかし、私の友人で ・・・・私の方が、歌舞伎座に、入れなくなったころ、・・・・・わたくしの、周辺に特に現れて、私の精神を引っ掻き回した女性がいて、その人の夫が、スクエニの創業者で、元、社長か、重役です。
しかし、その人(男性である)の、仕事場での名前とか、慶応大学の理事として活躍中のお名前は、知らないのです。というのも、その人の妻である=私の友人=の母親が、非常に賢明な人で、家の名前の存続のために、その男性に養子に来てもらったのです。私の友人が経営する塾の先生として付き合いが始まった慶応大学の学生に、養子に来てもらったのです。主人(私の友達の父)が若いときに、亡くなったが子供が女の子だけなので、でも、夫婦別姓論議がある様に、すでに、立派な仕事をしている人間が、苗字を変えるのは、損失が大きいということで、夫婦別姓を選び、実家で、育った時期に名乗っていた、苗字を使い続けているかもしれないからです。
その養子に入った男性は、100%の純粋日本人なのに、まるでゲーリー・クーパーみたいに渋みのある格好いい紳士です。ゲーリー・クーパーって、ふるい人ですが、日本だと、高倉健に当たるであろう、圧倒的な人気・を誇る映画スターでした。
この紳士が、ファイナルファンタジー歌舞伎化で、歌舞伎座と、縁ができたし、菊之助と縁ができたし、菊之助は、宮崎進氏と、縁ができたし、宮崎氏は、その仕事上、八田英明・京アニ社長と縁ができるでしょうし・・・・・という縁を通じて、京アニ放火事件が起きました。ただし、京アニ放火事件で、36人が亡くなったというのは、嘘ですよ。こういう事件について、私が言っていることが正しいからこそ、警察庁(実質的に、CIA部隊を配下に置く存在である。)は、私を殺したいと考えており、
清川まどか院長が、見せてくれた・・・・・肺に病巣らしきものが映っているJPEG 、FILE は、作り方が如何にも下手でした。ところが、今度は、相当に凝っていて、その写真が嘘のものです」と、私が言明するのは、周辺に状況から、判断をすることで、ここから先、かれらCIAエージェントが逆襲してくる可能性もあるので、その写真については、丁寧に、説明をしておかないといけないのですが、
普通の画像処理ソフトでは、絶対にできないものだと、思います。ADOBEとかCORELというソフト、または、アプリでは、絶対に作れない画像で、
スクエアエニックスの重役(もしくは社長)だった、上にあげている紳士が、現在現役で働いている若手社員に作らせたか、または、この紳士と、私の、友人が結婚した結果、生まれたおぼっちゃまが、30代のうちに東工大教授になったそうで、その坊ちゃまが、AI専攻だそうで、AIを駆使して、チームで作り上げた画像かもしれません。
で、清川病院で、見せられた肺のレントゲン写真は、私の実際の写真の上にPHASEが、異なる、白い丸を重ねた、画像であり、・・・・・おや、おや、これなら、私にもできるわ。警察庁のIT技術者って、この写真を何に、使うかを聞かされていないから、六か月前の写真と、現在の写真の両方に同じ加工をしているので、・・・・・バッカみたいですね・・・・・と、内心で、あ笑っていたのですが、2024年11月5日から以降、その同じ連中(警察庁長官露木氏を含む総勢200人ぐらいの人間は、どうも、自分たちはまだまけていないぞと、考えているらしいのです。で、
今、どう考えているかを、推察していきましょう。というのも前田清子さんが、攻撃をやめないので、
私を、偽の肺の病で、入院させて、入院中に、点滴に異液を入れて、殺すとか、不要な手術をして殺すと、言う方法は、とれなくなったわけですが、前田清子さんや、大原光孝は、「負けていないぞ」というサインを示すしたわけですし、
伊藤玄二郎や警察庁の人間は、旧・中谷共二邸周辺の、が家工事を引き続き続けているからです。
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副題2、『例の異様ながけ工事ですが、完成までに、死人が出るでしょう。しかし、それは、穐本工業という下請け会社の、社員とは、限りません』
これは、11日に撮った写真ですが、むき出しになったがけ部分が、横幅3mは、増えています。そして、旧中谷共二邸、が、むき出しになって下から見えています。途中に、足場(ただし、幅2.4m奥行0.9m)が、作られいてるし・・・・・ものすごい進捗度ですが、完成までに、必ず、死者が出ると推察しています。
ずいぶん過激な予測をする様ですが、偽の病気を理由に殺されかかっているのですから、私には、はっきりものをいう権利があります。
まず、この工事は、中谷邸を生かしたままやらないといけません。というのも、前田清子さんの家が、違法建築なので、こちらの中谷邸はリフォームも新築もできない・・・・・法律の決まりがあるからです。でも、このコンクリート擁壁を作るどさくさに紛れて、更地にするのではないですか? だから、真実を知っている私を殺したいわけです。
でも、山の住民がそう思っているのとは、真実は違っていて、所有者に見える前田達之君は一銭も支払っていないのですよ。中谷家の遺児二人には、例のごとく、官房機密費から、1970万円≒2000万円が拠出をされているのです。菅義偉首相の時だと思いますが・・・・・
でね。中谷邸は、違法建築ではないのですが、それよりも駅に近い前田清子さんの家が違法建築だから、たて直しができないので、ひたすら、それを生かして、コンクリート擁壁を作るのだから、
普通の場合だと、宅地を造成する際は、がけの方を削って、角度を緩やかにしてから、コンクリート擁壁を作るのですが、ここは、それができないのです。で、ほぼ、90度で、擁壁を作るのだから、東側の下の人、カフェ・アーミッシュと、その父、山室さんは、大雨のたびに怖くてたまらないと思います。
しかし、私が死者が出るだろうと、明言しているのは、この一家ではないのですよ。というのも、私がここまで書いたら、当然「転居をしてください。工事が済むまで」という提案がなされるはずだからです。
でも、北側はどうだろう。中谷邸って北側も、余裕50cmぐらいで、絶壁になっているのです。既に、簡易な、コンクリート壁が作られていますが、東側が大崩れをしたら、そっちも崩れると思いますよ。
ところで、こういう人たちの間に死者が出るといっているのではないのです。この工事が進捗することを、私の敵に当たる人々は、大喜びをしていると思うのです。そういう人が、300人は、優に超えます。たとえば、北鎌倉女子学園の先生だった児島百代先生は、モーツァルトのレクイエム(コーラス)の練習中満座の中で、「あなたの声には、ビブラートがかかっているからダメよ」と、おっしゃって、いじめられたのです。ビブラートって、震える声という意味です。
後で、児島先生が、伊藤玄二郎の会社から、「ももは、歌い、詩う」という事殿を出版されているのを知り、なるほどねえ。伊藤玄二郎から、さんざんの讒言を聞いておられたから、ああいういじめをなさったのだと、理解しました。私は三人の芸大出身の先生についていて、とてもかわいがられていたという記憶があります。クモイサワコ先生、岩永(玲子)先生、松前澄子先生(こちらは、個人レッスンも受けていた)が、声の質は褒められこそすれ、注意を受けたことなど、全くないのです。しかし、ある意味で、児島先生は、嫉妬なさったのかもしれない。もう、声が出ない時期に入っていらっしゃったのです。で、私の方は、すごくいい声で、しかも声量たっぷりに出るものだから、嫉妬なさってもいたのです。
でもね。この時、皆さんと一緒に歌っていたのは鎌倉コールという合唱団でしたが、そのメンバーの小倉裕君から、後程、ひどいことをされて、逸失利益が、大量に発生しました。だから、ここで、それを書きます。
私は、2013年の6月、国際キリスト教大学の、教会で、600人ぐらいの皆さんと、一緒に、賛美歌を歌う機会があったのです。舞台ではない。中間ぐらいの長いすですから、全く目立たない形で、歌いました。ところが、久しぶりのお御堂です。天井が高い。しかも、大勢の人と一緒に歌うのですから、緊張もしない。で、「珍しかったなあ」と、自分でも思うほど、いい声が出たのです。すべてが終わって、玄関に出ていくと、見知らぬ女性が、近づいてきて、「あなたは、天与の美声を持っているわ。ぜひ、霊南坂教会のクワイアーに入りなさい。関さんがいるから、声をかけておいてあげます」といわれたのです。関さんって、私も知っているが、五歳上で、四期卒の方です。きれいな方で、幸せそうな方です。
私はむろんうれしいと思いましたよ。霊南坂教会ってサントリーホールとホテルオークラの間にあるのです。でもね。階級が違う層がメンバーだろうと思いました。私はね。上流階級になるチャンスをことごとく、自分から避けてきた人なのです。そのころ、まだ、父からの遺産が2千万円は残っていたから、上等なお洋服を買うことはできたのです。それにいつもすっぴんで歩いているけれど、お化粧すると、結構きれいなのです。だから、霊南坂教会のメンバーの人からさげすまれる筈はないのです。
ところが行きたくないのです。上流階級になりたくないのです。週に二回か、三回、上等なお洋服を着て出かけて、最高級の古楽を、学んで、終わったら、皆様とお茶をして帰る・・・・そう言うお付き合いよりは、一人で、ブログを書いている方が気が楽なのです。ただし、あの時、そこに入ってしまっていれば、現在の様な苦労はしないで、済んだでしょう。絶対に騙されて、死ぬようなことはなかったはずです。それは、間違った選択だったかもしれない。
しかし、私は・・・声はいいんだ・・・という自信は持ちました。それにね。松田聖子を売り出したのは、母のいとこです。彼は、九州大学の法学部卒で、武部聡司ほど、大衆に顔を売ろうとしないけれど、業界内では、有名なんですって。私は、高校時代、彼から白いレーベルの試聴版をたくさんもらっています。ロジャー・ワーグナー合唱団のクリスマスソング集とか、30枚は、もらっています。ラヂオで、管弦楽曲を聞くのも好きだったけれど、レコードだと繰り返し聞くことが、できるでしょう。私のお歌の基礎は、あのビクター版試聴版で、養われたのかもしれません。彼はソニーがエンターテインメントを創設するとともに、ヘッドハンティングをされて、ビクターからソニーに移り、松田聖子を売り出したのです。ひとと用途、松田聖子と、どっちが歌手として、ゆうめいですか? 一青窈は、大学卒ですか? ああ、慶応湘南キャンパス出身ですって。そこは松田聖子は負けますね。だけど、私は、武部聡司から、音を使った迷惑行為を、10年以上にわたって受けたから、批判をすることはやめません。
ところで、小倉裕君に戻ります。彼に何をされたかを語りましょう。
ある時に横須賀線の車中で、いかにも楽しそうなグループに出会いました。聞き耳を立てるでもなく、聞いていると、演奏会を終えて、帰ってくる途中だと分かりました。で、私は、どこの合唱団ですか?と聞くと、演奏会の、プログラム・を一冊暮れて、「戸塚混声合唱団です」と、彼らは答えました。私は、突然に入りたいなあ」と思いました。その電車の中の人々も別に10万円以上のブランドお洋服を着ているわけではない。「これなら、お付き合いができる」と、感じる、普通の階級の人たちです。でも、音楽の素養が深いということは、育ちがいいとは、思いますけれど。私はね。プログラムを見ながら、これなら、歌えると思ったので、「入りたいなあ。この間、霊南坂教会の聖歌隊に入りなさい」と、すすめられたばかりなんですよ。でも、鎌倉からだと、遠すぎて」と言いながら、ベートーベンの交響曲【田園】の一節(もしかすると、シューベルトの未完成だったかもしれないが)を、小さな声で歌ったのです。すると、5,6人の人が目を丸くして、「なんていい声なんでしょう。ぜひお入りください」といったのです。で、どこで、練習しているのですか?と聞くと、「それが、毎週違う場所を使うのです。だから、必ず、事前に電話をください」と、言われました。
そして、電話をかけると、指定された時間なのに通じないのです。これは、最近、音楽会の切符が頻繁に盗まれており、再発行をお願いする電話が、全く違うところにかかったりします。だから、電話が警察に盗まれるケースがあるのです。
だから、これから語ることが間違っているかもしれない。だけど、まっとうに考えると、戸塚混声の中に、私の悪口をすでに聞いていて、「入れるな」といった人物がいるはずだと、思う、ほうが当たっているでしょう。それでね。最初の日にもらったパンフレットを開いてみると、いました。居ました。
小倉裕君です。さて、でも、彼とは隣に座ったこともないし、会話を交わしたこともない。すると、彼が私が悪人だと、信じたゆえんは、児島百代宇先生にあるわけです。小倉裕君は、自分は正当なことをしたのだと、信じているのでしょうね。だけど、私のブログを10年分ぐらい読んだら、絶対にそう言うことは言えないんだと、わかってくるでしょう。
こういう風に理不尽に私をいじめた人間が、500人はいると思います。で、その代表として児島百代先生を考えたら、なんと、先生は、すでに、去年のうちに亡くなっていました。
::::::鎌倉合唱連盟のホーム頁より、
鎌倉合唱連盟の名誉理事長(前理事長)は12月20日(水)午前1時15分に帰天されました。
ご葬儀は 12月27日(水)13時~15時 カトリック雪の下教会にて執り行われます。::::::::
小倉裕君は、鎌倉市役所勤務だと、聞いたことがあります。もしかしたら、戸塚区役所勤務かもしれない。ともかく、この文明史破壊的な、工事に小倉裕君は責任があるといわせてください。
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副題3、『なぜ、私が、今度の工事で死人が出るだろうと断言するかというと今、住んでいる、たった21軒の家しかたっていIない、この小さな、住宅地の造成時にも死人が出たことを知っているからだ』
この山は江戸時代は、毛利様の持ち物でした。鎌倉時代から始まって、1945年までそうだったでしょう。藤本真澄、東宝重役は、旧制山口中学時代、私の父の親友だったのです。でね。不思議な縁だなあと思っています。上流階級嫌いの私は、藤本禎子夫人には、このことを言っていません。
だけど、藤本家が、一番低い、しかし、中心の土地を買ったのは、ご主人の兄の藤本真澄氏から、ここを紹介されたからでしょう。
藤本真澄氏は、川喜多邸には、むろん遊びに来ていたと思います。で、地の利をわかっていた。たまたま、1945年以降、進駐軍によって、財閥解体、華族制度廃止が、徹底されたのです。で、毛利家が苦境に陥った時期があったのでしょう。それで、藤本真澄さんが、飼ってあげた。ところが、1948年に東宝に大争議が起きて、今度は藤本さんが、苦境に陥って、この山をかんだ土地という会社(今はもう無い)に売ったのです。
で、これは、想像ですが、1951年ごろから、ここの造成が始まったと仮定します。ところが、事故続きで、死人が出たのですが、こちらのがけよりも今の工事の方が、角度が、急峻で、さらに危ないです。
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