副題1、『ピッとひらめいた新聞広告』
私達夫婦が、日経新聞から朝日新聞に変更した理由は、テレビ欄が見やすいという事と、広告に、類する程度の情報が多いという点でした。既に、引退したサラリーマンである我が家は、最先端の経済事情に触れる必要はないからです。しかし、今は、結構、後悔をしています。今の朝日新聞は、日経新聞に比較をすると内容が薄いです。そのことは、40年も前から知っているのに、まあ、ノンタラと、ゆっくり動いているわけですが。
その変更は、従軍慰安婦問題がねつ造記事だったと、朝日が、社長発表をする以前に、行ったことであり、ちょうど、元へ戻したいなあと、思っていたころだったので、これは、変更するのに好機かとは、思ったのですよ。ただ、付和雷同と言うことが嫌いなので、ずっと、朝日新聞を取り続けています。朝日の方が、週刊誌の広告が、日経新聞より多くて、かつ、活字(フォント)のサイズが大きいので、72歳にはみやすいですし。週刊誌と言うのは、世の中のトレンドを指し示す、分野なので、まだ、まだ、重要だと考えております。
その2面か3面の下段に書物の広告が良く載っているのですが、光文社新書の、『愛着障害』と言う広告が大きく載っていました。それは、たぶん14日(火)だったと思うのですが、記憶が間違っていて、7日だったかもしれません。
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副題2、『八重洲ブックセンターはファンの一人のつもりだが、コーフィー、一杯が高すぎる。書店は上流階級のものだけではない。本を販売する部門の店長の姿勢が良くない。喫茶部門に対して、安くしなさいと言う、哲学的な、指示を出すべきだ』
ともかく、私は、17日に有楽町の三省堂で、探したのですが、無くて(お客がとても多い書店でした。便利なところにあるので、)売り場スペースが少ないせいだと思い、20日(月)に八重洲ブックセンターに、寄ったのです。ここは、売り場面積が大きくて、結構な旗艦書店だと思うのですが、お客が少ないです。東京駅の目の前と言っても、駅ナカ商店街が、充実してきた(小さいながら書店も二店舗ある)ので、お客が少なくなった模様です。ただし、バックが鹿島建設なのかなあ? 推測ですが、書店がバックではないでしょう。だから、殿様商売で、つぶれることはないみたいです。でも、コーフィーが800円と言うのは、よくないです。せめて、600円にするべきだ。
特に一階、エスカレーター左側のギャラリー部分に、珍しい地図が置いてあり、パリのフランス語の一枚、地図もここで買って、出かけたものです。書物にくっついている地図は部分図なので、把握しにくいです。ニューヨークへ行く前に、同じ事を事前に、やっておかないで、行ったのは、後悔しました。現地で買おうとしても、すべて、書物型で、全体像が把握しにくいのです。ただ、たいへん大型の折りたたんだ地下鉄路線図が、タダでもらえ、それが、NY市の全体像の把握には、相当に役立ちました。あれは、ニューヨーク市当局のサービスだから、たいへんな、親切だと思います。ところで、八重洲ブックセンターに戻れば、今は、古地図の復刻版の特集をしていて、一枚だけ買いましたが、後日、主人にも勧めて、もっと買うつもりです。復刻版なら安いですからね。知識の習得の為なら、これで、充分ですから。タモリではないので、収入が低い人は復刻版で十分です。
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副題3、『丸善・川崎ラゾーナ店と、有隣堂・横浜ダイヤモンド地下街店では、どちらが売上高が高くなるだろう?』
私としては、渋谷や、池袋のジュンク堂には、その品揃えの豊富さに、驚いたことがあります。でも、丸善の株主総会のパンフレットを見たら、すでに、丸善とジュンク堂は、合体しているのでしたね。おどろき。となると、書店として、規模が一番、大きいのは、やはり丸善となるのかなあ? 代官山のTSUTAYAが環境が良いと評判であって、特に高い外国の写真集などが置いてあるらしいけれど、ともかく、JR横須賀線と、東海道線の最寄り駅でないと寄りにくいです。
で、私にとって、一番、書物を買いやすい書店は、秋葉原のブックオフであり、その次に買いやすい書店が、川崎ラゾーナ内の丸善です。両方とも、自分としては、立ち寄る回数が多い書店です。ただ、ブックオフは、横浜駅西口店と、秋葉原店では、品ぞろえが違うので、時々は面倒くさくても、横浜駅西口店にも探索に行きたいとは、思っております。
川崎ラゾーナ店って、一つの商業区域では、日本一売り上げが多いのだそうです。その中の丸善ですが、私程度の、書物あさりには、売り場面積が適切で、買いやすいです。しかも、ホームからの距離が一番近いです。ところで、丸善のコーフィーが高いかどうかですが、いつもハヤシライスか、カレーと、セットで頼むので、覚えておりません。しかも、株主優待券を使うので。
ところで、横浜、特に東横線を使って育つと、忘れてはならないのが、渋谷の大盛堂と、横浜伊勢佐木町や、ダイヤモンド地下街の有隣堂です。渋谷の大盛洞って、どこへ消えちゃったのだろうというほど、印象が薄くなっていますが、今世界中で、最も大きな話題となっているスクランブル交差点の正面に位置していて、狭いが、よく本を買ったところでした。今でも、保存書類の中から大盛堂の袋に入れたデータが出てきたりします。有隣堂の方は、秋葉原のヨドバシ本店内に、出店をしたので、全国的な知名度が上がったかなあ? 最近、ダイヤモンド地下街と言う場所に、大規模な店舗を作ったそうですが、いまだ、行っていません。
ここまで、3000字部分は、総タイトルとは、離れてちんたら、ちんたら寄り道をしました。だが、それこそが、私が書くことの喜びを感じる部分なので、お許しくださいませ。神様が書かせてくださるのだと、申しあげています。頭脳内で、きちんと構成して書き始めるわけでもないのです。だから、主題が、途中で、途中部分を、前面に出したものに変わってしまうほどです。どうか、お許しくださいませ。
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副題4、『2015-4-21発売の、AERAが、愛着障害についての記事を載せている』
さて、新聞広告で、気がついたこの本ですが、奥付を見ると、第19冊とあります。最近ずっと、落ち着いて新聞を読んでいないので、気が付きもしなかった書物ですが、当たっているらしい。おめでとうございますと関係者に申し上げておきたいです。当たり始めたと、出版社が、気がついてからの増刷って、一回に、いくら刷るのだろう。一万部? それとも、五千部? 知りたい情報です。
さて、今朝21日の新聞広告(特に週刊誌部分)を読んでから、まだ、外出をしておりません。したがって、AERAを買っておりません。だが、なんとも、奇遇であり、昔から感じていた、チャネリングとか、シンクロ率の強さを、再認識した次第です。で、まだ、読了をしていない、この光文社新書を、導入として、自分自身の考えを披露をさせてくださいませ。
新聞広告によれば、AERAは、どうも、長崎の同級生殺害少女についても触れているらしいです。
::::::::::::と、書いたけれど、何となく不安になって、夜町へ降りて行って、アエラを読んできました。すると、アエラが取り上げた事件とは、広島から呉へ二台の車へ便乗して、その車中で、友達を、数人でリンチして、殺してしまい呉の山中に放棄した事件の、主犯格の少女を例として取り上げてある記事でした。ふーん。そうですか?」という感じです。が、私が例として挙げた方も、絶対に愛着障害があるでしょう。で、愛着障害と言うキーワードだけからいえば、ちぇねリング例として、AERAを使わせていただくのは、悪くないと感じています。ただし、その中に登場して、論を張っている精神科医は、高岡某という人で、光文社新書の著者ではありませんでした。::::::::::
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副題5、『やはり、佐世保の解剖好き少女は、母親の方に、大きな問題があったと、考えます』
長崎の高1少女が、他人を殺害した事件ですが、父親はフェイスブックに自慢のお嬢さんとして、ツーショット写真を載せておりました。その時に、少女が、靴下の片方をしっかりと、上にまで、あげていなかったことをさして、それが、異常だという論議が、2チャンネル当たりで、かまびすしかったです。それも、お父さんのせいにされていましたが、違うでしょう。お母さんのせいです。
現実に根差した生活習慣を教え込んでいなかったのです。お父さんは、その事件発生時に、再婚をしておりました。前の妻が、亡くなったのが、前年の、10月だとか。そして、少女を、自宅から追い出していたのが、すでに、母の死の半年以内ですよね。 16歳か、15歳のうちに一人暮らしを始めさせた。再婚生活に精神的なストレスがない様にする目的でしょう。そこに、非難が集中しました。しかし、事件が起きなければ、別に非難をされるべき事とも思われず、看過されていた事例だと思います。私は、ただ、お父さんは、それほどの、責任がないと、彼が自殺をする前から、言っています。そういう残酷な境遇に置かれても、中学卒業までには、人間としての、基本ができているはずで、普通なら異常な殺人事件など、起こさないからです。
あの事件の異常さは、何もトラブルがない相手を、ただ、単に解剖をしてみたかったと言う目的で、殺して、しかも、それの、最中を、実況中継的に、ツイッターか何かに、投稿をしたと言うことですよね。:::::::この部分ですが、今、21日の夜9時半過ぎにwikipediaを見ると、その投稿は別人だとなっていますが、それはきっと嘘でしょう。関係者が、高学歴でエリートなので、残虐さや、異常さが隠されている部分があると、思います。
この解剖をしてみたかったという情報は、事件報道の渦中に派出てきていたのですが、現在では、外にはあまり、出ておりません。特に身体のどの部分が損傷されていたかが、記録されていません。 だけど、最初期の新聞記事を読んでいると、被害者の、膣とか子宮等を、見てみたかったと、推察されます。それは、間接的に言えば、父親の再婚が、引き金になったでしょう。≪男と女が何をするのかとか、どういう風に体がの構造がなっているのか?≫と言うことを知りたかったのだと思います。しかし、あまりにも猟奇的な部分でもあるので、被害少女の尊厳から、報道が控えられています。
加害少女自身は、父親はフェイスブックに写真を投稿するぐらいですから、『かわいい』と思っていたのでしょうが、客観的に見れば、かわいいところはない少女であって、少女特有のフェロモンも発していなかったと推察されます。そのうえ、小学校時代に、すでに、洗剤(ハイターなどの塩素系もののだと推察する)を、他の子供の、給食に混入するなどしていたので、うわさ話の対象となっていて、友人が少なかったと、考えられます。
そういう少女に育て上げたのは、お母さんの方に問題があります。今から過去文章を探さないといけないので、長時間休憩を取ります。恐れ入りますが、お許しくださいませ。と書いて、八時間が減ました。お客が来たので、疲れたのですが、30分仮眠を取ったら、すっきりしました。前報を書いてから、時間が空いているという義務感があるので、頑張って続きを書きましょう。
佐世保の加害少女の母が、まさしく、この愛着障害を、子供に与えるタイプの母親だったと、推察しています。で、この部分について、この新書から影響を受けないで書いている者がすでにありますので、それを後で、リンク先を見つけるとして、ここでは、ちょっと違った視点で、表面的には問題がないが、実際には、よくなかった、母の問題について、語っていきたいと思います。
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これから、先の部分は、次のブログ(後注1)へ移行をさせます。そして、この文章は、後刻、推敲加筆をした後で、署名と書いた日付を入れます。お待ちくださいませ。PV 2854402
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