本日朝書いたものは、あまりにも単純でした。しかし、今は、25時間以上連続して起きて居て、(しかし、電車の中で、15分程度転寝したので、是でも持っているのですが) しかし、夜の11時ごろ誤変換は直しましたので、短いけれど、政治的な大きな主張のあるものになっております。まだ△印が付いた後のものを、お読みいただいていない方は、そちら(後注1)も、もう一回ご訪問をいただけますと幸いです。
そういう大きな寝不足ゆえに、とてもですが、いつもの様なものは書けないので、単純なオマージュ文を上げたいと思います。と、言いながら、30時間ぶりにお布団に入っても、やはり何かが、気がかりで、心残りでした。それで、午前4時から加筆をします。
副題1、『武田双雲-を、新発見する』
本日(これは、下書きを描いた日の事で、11月30日の事です)のNHKスタジオパークに、武田双雲さんが出ました。私はこの人の名前は知っていますが、書体が嫌いなので、関心が無い存在でした。しかし、本日、お話を聞いているうちに全く異なってきました。以前は、親が、書道家であって、親がレールを敷いて、メディアに登場した只の幸運なお坊ちゃまだと思っていました。しかし、親が書道家だろうという想像はまったく間違っていました。
見かけは、幸運なお坊ちゃまです。ある意味で、そこは当たっているのですが、誰かから、暗黙裡のうちの指図を受けて、書道家になったというタイプではないと、言うことが判りました。まず、子供のころには、アインシュタインが好きで、理系の人間として、理科大に進み、サラリーマンになったという部分があり、それを全く知らなかったので、驚きました。その後、書道家になった動機を聞きましたが、それが、すごいです。
会社の同僚(女性から)感動をされて涙を流されたのが、きっかけだと、聞いて、本当にびっくり。その前に、いつも、筆ペンで、メモを取っていたら、字がきれいだという評判が社内(IT系)で立ったそうです。で、その女性が、「自分の名前を書いてください」と頼んできたので、書いてあげたところ、「私は、今まで、自分の名前が嫌いだったのですが、今日、これを見て初めて好きになりました」と言ったそうです。
その後ですが、別に有名になろうとして、動いたわけでもない模様です。もっとも、驚いたのが、「好不調の波があるかどうか?」と質問を受けた時の答えでした。理系なので、「ああ、今はセロトニンが出て居るな」とか、「今はアドレナリンが出て居るな」と感じて、「そのこと自体にも関心があり、そういう風に観察をするので、好不調とは、考えない」そうです。これを他の人が言ったら、「偉そうにして!」となるでしょうが、その前の会話を丁寧に聞いていた流れでは『この人の場合、本当にそうだろうなあ』と思えるのですね。驚きました。今まで、その書の書体そのものが、私は、好きではなかったので、まったく関心がなかった存在ですが、今日から、好意をもって、見つめたいと思い始めた存在です。
どうしてかと言うと、私は、伝統的なものを勉強しすぎているので、行書なら、王羲之の蘭亭序、草書なら小野道風の、屏風土台、仮名なら久方帖などを、勉強して、女性らしい書体を確立したら、それ以降は、書を勉強していないので、『ああいう個性ある書は、どうも、受け入れられないなあ』なのです。
最後にNHKサイドが、臨書(今はパフォーマンスと言う)を求めた際、彼が書いたのは、感謝です。で、どうしてこれをと質問をされると、「この場(スタジオパークに招かれているという事)に居るのが、本当に不思議で、ここまで、来た事を皆様に感謝するのみです」と言うのです。それが、全然に重くない。まるで、ふざけている様な調子。
でも、その前の部分(路上パフォーマンスをしている音楽家の傍らで、茣蓙を敷いて臨書をしている)が、有るので、聞いている方が、感動してしまいます。
ただ、そういう一般的な言葉でいえば、不遇の時代にも何の不安も感じておらず、ただエネルギーの交換とか、宇宙の中の、分子の一人として、多くの他の分子と一緒に動いていると感じていただけだと、言っていました。ほかの人が言うと、『気障でしょう。これって。そして、本心かな?』となる言葉の羅列でした。が、この人の場合、その浮遊感を含めて、きわめて異色な、そして、好意的にそれを、言わないといけない、【天然ぶり】があるのでした。
私は、この人の両親って、どういう人だろうと、そこにも大いなる興味を抱きました。びりぎゃるのママと言うのが、吉田羊主演で、映画になりましたが、この人の親と言うのも、ものすごい親でしょう。いい意味での、突き抜けた、すごさがあると思いますよ。私は特に、73歳ですし、それから、大体、普段からお若い知人には、「いう事とか行動が、お母さん風!」と言われている存在なので、特にこの青年の両親には、興味を抱きました。
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副題2、『私にとって、書道とは座禅みたいなものですが・・・・・でも、お若い人が書道パフォーマンスをすることに異議を唱えるつもりはないけれど・・・・・非常に違うのですよね。私が、好む臨書とは』
私はお茶大の付属高校の出身です。非常に伝統のある学校なので一流の書架が、教えに来ていました。そこで、蘭亭序と、久方帖を長時間かけてお勉強をしたのです。その後、大学では、何もせず。就職をしてから、また、臨書でもしたいなあと、思い始めました。
神田に二軒の書道専門店がありました。玉川堂と、玉泉堂です。両方ともギョクセンドウと、発音をするのですが、鳩居堂や、伊東屋などで、紙や筆を買うよりも、そこで、買う方が、好ましいと、1960年代は、思っておりました。今、念のために、グーグル検索をすると、玉泉堂の方は消えているみたいです。書道用品は、そこで、買うのですが、お手本を選ぶ際に、屏風土台が、読めないのです。達筆で、タイトルが書いてあるからか、どこかの、美術全集で、見つけたからなのか、読めないのですね。振り仮名なんかついていないから。
で、勘だ九段下の、上記の二つのお店の、どちらかで、「ヘイフドキをください」と言ったのです。私には、そういう風に読めたのでした。そうしたら、主人が、頭をひねってね。「わからないなあ」と言うのですよ。ただ、「小野道風のさくひんです」といったら、「ああ、それは、ビョウブドダイ」ですよと、教えてくれたのです。大恥をかいたけれど、いいんですよ。一人で、独習するのだから、仕方がないのです。導き手がいないのでしたから。でも、先生につく段階と、一人で、やっていく段階だと、そりゃあ、一人で、書道に臨む段階の方が、いいのですよね。より上等だと思います。
で、私にとって、忙しい就職期でも、書道をやりたいと思ったのは、あれって、一種の座禅めいた、空間が必要で、自分でも、無私の境地になるのだけれど、一方で、集中が必要です。それが、心を清めてくれる様に思いました。で、臨書は、時々やったものです。
ところで、筆の事ですが、『弘法筆を選ばず』と言いますが、私の様な段階ですと、絶対に筆の良しあしは、気になります。油絵の具とか、水彩絵の具用の筆は、ナムラの筆とか、ホルべインの筆とかを使うのですが、書道の場合は、九段下にその当時は、出かけていました。今のお値段でいうと、5000円以上と言う感じかなあ? もしかすると、一万円以上だった?
で、そのあとで、筆ペンが出てきたので、筆ペンは、絶対に使いたくないと言う方です。腰が無いと、思います。だから、書きにくくて、いやです。
でも、こういうスタイルは、今の若い人には、受け入れられないのだと、思います。女子高校生の書道パフォーマンスの映画も見ましたし。だからかなあ? 玉泉堂の方はなくなっているみたいです。
スタジオパークは、たまたま見るのです。その部屋に居たら主人がテレビをつけているので、見るという感じです。でも、武田双雲と言う人には、驚かされました。以前から持っていた推察とは、あまりにも違うので、相当びっくりして、『この人は、人間として、上質な人だ』とは、思いました。だけど、臨書の方法とか、書体については、私は保守的です。だって、73歳ですから、仕方がないですよね。せいぜい言って、【あいだみつを】までかなあ?
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これは、本当は、2015-11-30 14:52:39 に下書きをしたのですが、公開は、2015-12-07 21:03:01に、させていただきます。 雨宮舜(本名 川崎 千恵子)
後注1、
本年のクリスマスイルミネーション・・・・・・・NHKと、鎌倉エージェントの関係△
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