銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

最愛の息子の担任教師の残酷さに参って自殺したママの、恨みを果たしてあげたい私===それこそが市井の哲学家だという自負のある私

2024-03-07 21:14:25 | 子育てモノ

 この章ですが、2024年の、3月7日、夜九時まで、

 【娘が自宅を放火した、母の、元職業について ・・・ 担任が地域のスパイ役を当てていた母が自殺する】としておりました。しかし、そこまで行かれない見込みが出たので、総タイトルを変更します。

 この文章は、副題4が白眉です。自分でも、これほどに、複雑な事を分析できる機会は、そうそうありません。どうか、そこをお読みいただきたいです。そこを、はっきりとさせるために、======罫線で挟んだ部分を、8日の早朝にに書き足して、前置きとしております。どうか、それを読んだうえで、本文に入ってくださいませ。よろしくお願いをいたします。

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 元、居酒屋勤務と言われている母親(仮名を【マダム 元バー勤務】とつけて居る)をスパイとして使った担任女性教師W女史と、その周辺の話です。自殺した母親は、その件で、悩んだと言うよりも、そこまで、奉仕をしたのに、結果が悪かったのを悩んだのでした。

 彼女は、1978年以降も、二年間、つまり、合計四年間、自分の子供がW先生の担任下で、過ごさないといけないことを悩んだのでした。一方、彼女がスパイをしていた私の方でしたが、1976年の一年間、W先生に、いじめぬかれていた仮名【マダム ベッティブープ】と、学校外では、とても親しくしていて、自宅に招いたりしていました。【マダムベッティブープ】は、津田塾の出身でそこが、W女史にはまず、気に入らないポイントでした。

 W先生は、横浜国大学芸学部の出身でしょう。夫がそこの助教授だと言ううわさでしたから。(なお、その学部は、今名称変更で、教育学部となっていますが、それも、対私のブログ弾圧の一例です。ブログ文の、寿命を縮めてやろうとする、国家を使った、CIAエージェントのいじめですが、まあ、それには拘泥せず、先へ進みます。)津田塾卒の彼女に、負けたという意識があったのでしょう。

 ここですが、神奈川県生まれの女性にとって、横国大学芸学部(または、現在名教育学部)に進学することはベストチョイスの一つです。そこの卒業生は、現在社会階層の上部にいます。最近のこのブログの主人公である、【マダム優美】もそこの出身です。

 しかし、社会・上層部の実態を知っている女性にとっては、津田塾の方が上なのです。ここの説明は、いささか物議を醸しだすと思いますが、W女史のひどさを解明するためには、必要なので敢えて言及します。つまり、国立よりも、私学の方が、学費が高いので、実家が、裕福だった女性が、津田塾に入学すると言う傾向があったでしょう。それと結婚相手が、津田塾は東大卒の人とお見合いするケースが多いのです。で、卒業生が、社会の上層部にいるケースが多いのです。マダム優美の場合は、ご本人が美しいし、日吉に住んでいるので慶応卒で、後日、大富豪となる男性と結婚をします。だから、社会の最上層部に存在しているマダムとなりました。で、私は付き合いにくいなあと、思っています。一、一、自分の方が上ですわ」と、示されて、威張られてしまうのでね。実は、この章も、前の章もマダム優美について語っている文章からスピンオフして出て来た文章です。頭の中では、考察は連続しています。

 W先生の夫は、当時横浜国立大学の助教授だと言う話なので、社会の上層部にいると、自負もしているし、社会の階層分けと、それに対する、認識も強く、強いものには、下手に出て、弱い者には、上手に出る人間でした。

 当時同じ教室には、早稲田卒のママもいました。もし、入学試験時の偏差値だけを、判定の基準にするなら、早稲田の方が、横浜国立大学の学芸学部よりも少し上だから、彼女も、いじめのターゲットにしてもいいのです。ところが、その女性は免除です。なぜなら、彼女の舅が、その小学校(=横須賀市立・大津小学校または、同程度の小学校)の校長だと言ううわさがあるからでした。『なるほど』と、私は判断をしました。

 これから先は、私固有の見て来た様な嘘を言いの一つですが、そのW先生が、入試時に、横浜国大と、津田塾を併願していて、津田塾を不合格だったと、仮定しましょう。すると、津田塾卒の人を目の敵にするのもあり得る話となります。

 しかし、W先生が、津田塾卒のママを目の敵にして、徹底的にいじめたのは、別の理由がありました。彼女が離婚をした人だったからです。そして、(新築で、きれいはきれいだが)、木造アパートの一角に住んでいたのでした。他の母親は、ほとんどが一戸建て、住宅に住んでいるという地域なので、家だけを比べると、マダムベッティブープは、劣っているという事になります。

 そういう部分を、四月の第五回目の父兄会の前に、W先生が、知っていた可能性があり、ここが、数か月後、私が、その忌まわしいスパイの存在と言う真実に気が付くこととなります。W先生は、各居住地に、夫々、役に立つスパイを放っているのだとわかってくるのでした。横須賀とは、三浦半島固有の峻険な山がいっぱいあって、W先生の担任の子供たちの居住地も、お互いに、島の様に分かれている4地域から、通学して来るのでした。その各地域ごとに、先生は、昔、担任した親の、下の子を、自分のクラスに入れて、よく知っている親から、情報収集をしていたのです。

 ここですが、離婚が、マイナスハンディなると書くと、離婚をした友達やら、女性を敵に回すことになりかねないのですが、社会の通念として、根強く、離婚をした女性は、劣等をしているとみなす人間が居るのでした。W先生は、その典型でした。

そして、雪の下二丁目のご近所人間、【プロの画家】として、最近、書き始めている人間も、登場する、コンセプトです。

 私は、ご近所人間は、その攻撃度が、あまりにひどいので、ほとんどが、実名で、その行為を書いています。ところが、このプロの画家】と、仮名をつけている人間だけ、2020年以来、仮名で描いています。それは、彼が合いカギを持って居て、激しい泥棒行為を、2005年以来続けていると、わかっているのですが、一応現場を、取り押さえたことがありません。

 これも、また、CIA=警察と見事に連動をしているケースで、必ず、私が、寝ている(高度なサーモスタット機能で、桜田門が、それを把握して、何らかの方法で、この山の住民に知らせる可能性が高い。山田さんは、警察の、大卒エリートだとみなしているし)間で、主人が外出している時間帯と、100%、夫婦ともに、自宅にいないと、わかっている時間帯が狙われます。彼以外に、三種類の泥棒が居るので、これは、彼に盗まれました」と、わかっていることも、特に、誹謗愁傷をSNSでやると、逮捕するぞと言う法律が出来たそうで、実際に逮捕されたと言うニュースが、連発される様になると、本当に書きにくくなりました。したがって、彼だけは、【プロの画家】として、仮名で書きます。

 比較して、平木伸明さん一家、前田清子さん、その遠くに住んでいる二人の子供たち、白井達雄夫妻などは、合いかぎは、持っておらず、泥棒行為は、していないと、見ています。しかし、激しい弾圧行為を重ねてきているので、書きます。が、【プロの画家】と比較すると、その存在自体が、ずっと、明瞭なのです。いじめという本質は、陰湿な事で、変わりはないのですが、【プロの画家】のやっている事の陰湿さって、二重三重の陰湿さであり、裏と言うか、陰に、酒井忠康氏が居るのも確かなので、書き始めると、広がりが莫大な大きさになり、大量の字数と、時間が、必要になるので、今のところ、放ってあります。

 これだけの前置きを、8日の、早朝、五時から、8時までの、三時間で、いれました。この文章は、私にとっても、相当に、自信のある文章です。数か月に一回しか書けない文章です。どうか、熟読玩味していただきたいです。

 私が文章を書く目的は市井の哲学者たらんとしているところがあり、ここに登場する人たちは、すべて、その素材となってくれています。ま、W女史=W先生が、一応、主役ですが、私が、もっとも愛しくて、かわいそうだと思っているのは、【マダム、元バー勤務】と言う仮名を振っている女性です。その人が、本当は、何を悩んでいたかは、わたくし以外は、知らないでしょう。で、ここで、詳しく書いて置く、必要を、感じました。では、以下を、どうぞよろしく。

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私は、今は、楽に生きたいと思って、ブログを書きたくないのです。最近、非常に深いものを書いていて、さすがにそれが原因で、消耗しきっていますからね。

 だから、前報

それを書かせたのは、平木伸明さん一家ですよ    2024-03-07 01:20:37 | 政治

だけで、本日は寝ましょうと考えていたのですが、発想が、どうしても沸いてしまいます。

 で、意外と、短く書けるものを書きましょう。

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副題1、『目下、このブログの主役はマダム優美と、私が呼んでいる、日吉に住んでいる小学校時代の友にあるのだが、彼女とそっくりな人生を歩んだ、北久里浜時代の、ママ友、操(みさおと読む)さんから、2013年に聞いたエピソードを展開させます』

 操さんとは、わたくしのブログ、

新六世時蔵の曽祖父を五歳ごろから覚えている私。だから六月の襲名に行きたいが、それを狙って歌舞伎座前で私を逮捕するつもりですか? 露木長官殿?    2024-03-03 22:21:55 | 政治

  の、副題αに出てくる社会的勝ち組です。夫が社長で、妻は、塾を経営しています。操さんの実名を出すのは、敵対行為を、激しい形では出さなかった人だからです。

 2013年に、玄関だけの立ち話で、帰るつもりだったら、夜の七時過ぎなのに、上がっていきなさいと、言われて、大変上等な、懐石料理をいただきました。お米も、横浜高島屋で、配達してもらうそうです。ホウレンソウなども、瞬時に最高級だと、わかるもので、ゴマあえなど、三回もお替りして、彼女に、「昔から、そう思っていたけれど、痩せているのに、いっぱい食べるのね」と、笑われてしまいました。だけど、わたくしは最近は、一日八時間ぐらい、お料理に時間を割いていて(病後の主人を、元気にするためですが)、1500円ぐらいのものだったら、外で、食べるよりも自分の料理の方がおいしいというほどに、凝っていますが、彼女のお料理の、仕上がりの、美しさには、脱帽です。

 マダム優美の方は、自分が塾で教えて翠嵐ほかの、よい高校に進学させた生徒の、ママたちと社交的なお付き合いをすること。高級な車を、乗廻し、孫たちや、ご主人に奉仕をすること、歌舞伎を友達と見に行くことなどに、お金を使っているのですが、それは、日吉だから、できることなのです。横須賀市民に対しては、失礼な言い方だが、日吉は、民度がたかいのです。だから、マダム優美と同じぐらいの学歴(四年生大学卒)と教養があり、かつ、収入も豊かな人が、地域にいっぱいいるから、そうなります。

 しかし、操さんの方は、それほどには、友達を、選べないのです。地形が、峻嶮で、住民の数も少ないし、何よりも大卒の女性が少ないので、話の合う人が少ないのでした。で、お子さんが独立して家を出てからは、積極的にお茶事に凝っていって(もともと、和服とか、焼き物には目がない人で、いいものを、持っている人だから、茶道の世界でも、先生にたちまちに大切にされて、楽しい人生だったでしょう。ところが、常に、寄り添ってくれている、【マダムおとなしめ】が、操さんの生活に合わせて生きるために、サラ金に手を出して、蒸発してしまったと、言う驚くべき話を聞いたわけです。そのお友達は、何で、知り合ったのかを聞いたことがないのですが、横須賀市が主催するカルチュアースクールで、知り合ったのではないかな? お子様を介したママ友ではないです。で、相手の女性には、お子様もいなかったのでしょう。で、執事兼、秘書兼、お手伝いさん兼で、一日、五時間ぐらい一緒に過ごしているみたいなので、わたくしは、操さんが、精神的に、疲れるのではないかと、心配しました。が、操さんは、精神はタフで、疲れないそうです。

 その話が出たのは、その前に、近所で、売り出された物件の情報を、もらいたくて、寄ったのです、やっぱり聞いてよかったです。地元、の、人しかわからない瑕疵があったのでした。それは、一種の不幸だから、そこから三連発で、不幸な人の話を聞きました。

 第三番目に聞いた話が、ショックなものでした。実は、その家も知っているし、母親も知っている家の話だったからです。お嬢さんが、自分の家に放火をして、全焼したんだそうです。でも、そこまでのことをするのは、大学受験とかで、失敗して、親の圧力が強かったという形でしょう。だから、私が、引っ越して、五年後ぐらいの話だと思います

 その日は、操さんも、同等な相手と久しぶりに、何の懸念も、遠慮もなく話せるということで、

大変楽しく語らっていたら、二時間ぐらいたって、ご主人が帰って来て、奥様に目配せをしたのですよ。もう、彼女を帰らせろと。CIAエージェントの策略である、彼女’=私の事)から、ありとあらゆる知人を、離反させると、言う形が操さんとの間にも、展開していたのでした。で、操さんが、持っているスマホが、盗聴器になって、私と仲良く話し合っていると、言うことを知った、連中が、東京にいるご主人に、「二人を、離反させろ」と、いう命令が入ったのでした。

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 で、ここからは、操さんから、聞いた話ではなくて、私自身の考察で、ものを語ります。

副題2、『私の子供が、小学校、一年と、二年の時に、クラスを受け持ってもらったW先生は非常に困った性格の女性だった。普通の母親よりも、10歳ぐらい年上なのだから(だから、もう亡くなっていると、考えて居るので、はっきり書いておこう)、余裕を持って居ればいいのに、実は、非常に心配症で、常に、心配をしている人物だった。それは、母親に負けるのではないかと言う事。で。それを、予防するために、いろいろな工夫をしているひとだった。

 実は地域社会ごとに、スパイを放っているのだった。スパイ役を担う女性は、上の子で、そのW先生に出会っているという形。家庭訪問などで、話し込んだりすると、母親の性格が、よくわかる。また、多数のスパイを、使っているので、母親の前職などもわかっているのだった。今はね、居酒屋などの、レベルが上がっているが、昔は、バーとか居酒屋に勤めていたとなると差別の対象になっていた。そういう女性をスパイに使っていたのだった。

 で、自殺をしたのは、仮名を、【マダム、元、バー勤め】と、名付けよう。で、W先生は、そういうスパイからの情報を得て、私の事をよくご存じだった。で、うちの子は、或る程度には、先生に、いじめられた。しかし、母子ともに、もっと激しいいじめの対象になっている女性が居た。非常に美しい人【仮名をベッティ・ブープとしたい】で、かつ、津田塾卒なので、お金を儲けられる人だった。だけど、マダム優美とか、操さんみたいに、自分の家に生徒さんを招き入れるのではなくて、大手の予備校の先生をしていた。それは、離婚をしたそうで、木造のアパートに住んでいたからだった。だけど、大手の予備校で、高校生を教える方が、ある意味で、楽でもある。とても頭が良くて、信念もある。だから、私は、ちゃんと付き合った。猫と、英語が、二人のきずなであり、米軍基地のトップファイブ(財務担当)の奥様ともその自宅に、二人一緒で、何回も、お招きを受けるほどだった。その奥様は基地内に住むのを好まなく、昔の日本帝国海軍の将校の、家を借りて、住んでいた。お子様がないので、他のマダム達から威圧されるのだろう。ここらあたりは、ジェシカラングが、アカデミー賞主演女優賞をとった【ブルースカイ】に活写されている。

 W先生は、夫が、横浜国立大学の、助教授であることが誇りだった。だが、体格と、お顔は、女性としては、魅力がなかった。背が高くて、いかつい、肩幅であり、顔は、中性的であり、フェロモンは、感じられなかった。マダムベティぶーぷは、正反対だから、憎まれて、いじめられたのだった。マダムベッティぶーぷは、「うちの子は、まだ六歳ですよ。それなのに、コンクリート製の階段で、先生に後ろから蹴られたのですよ」と、ほとんど、泣かんばかりにして、訴えたが、先生は、糠に釘で、知らんぷりをしていた。他のママ達だが、早稲田卒の人もいた。だが、舅が校長先生だったので、枠外であり、いじめられなかった。そして、【マダム早稲田】は、学校というものをよくわかっていて、ひたすらおとなしくしていたのだった。

 私は、下の子が幼稚園時代に、すでに、担任に嫉妬されていて、それで、四歳の娘が、担任に、いじめられていて、それで、仕方がない形で、PTA会長を引き受けたので、すでに、洗礼を受けていた身だから、彼女【=マダム・べっティブープ】と一緒になって、先生に抗議をするなんて、思いもよらなかった。でも、学校以外では、彼女をサポートした。仲良くしていた。それが、スパイママによって、すべて、W先生に通じていたのだった。子育てとは、こういう部分を含むので、超大変なものだった。

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副題3、「一年の四月に、開かれる最初の父兄会で、すでに、W先生が、スパイを放っている事は、わかった。それは、このクラスに、うちの子と、年齢が同じである、操さんのお子さんがいなかったことでも、わかった。また、音大卒で、ザルツブルグ音楽祭にも毎年行っていますというママのお子様もいなかった。W先生は、圧倒的に相手の方が、優越している人間とは、戦わないのだ。接触を避ける人だった。本当は、気が弱いのだった。』

 操さんは、本人から、聞いたのだったが、父兄会には、常に、和服で、行くそうである。父兄会などの、日常的な場所は、歌舞伎座とは、違うので、一見地味に見える紬が、ベストだ。だが、紬で、首元から、足先まで、ぴったりと合う装いをしようとしたら、今の貨幣価値で優に100万円は、かかる。一年に三回父兄会がある。特に持ち上がりと言って、二年間同じ先生に受け持たれた場合、父兄会に、6回行かないといけない。紬ではなくて、小紋という種類の着物もあって、之だと、安いのだが、でも、それにしても、二年間で、和服六そろえを、ご披露するというのは、その裏側の生活も含めて(整理整頓のためには、きれいな和室が、必要だ)相当に余裕がないとできない生活で、それゆえに操さんは、PTAでも目立つこともなく、かつ、担任に嫉妬されることもなかったといっていた。スキがない。超賢い。そういうこと。

 ところで、W先生が、スパイを放っていたというのは、この第一回目のの父兄会の時に、すでに、役員が決まっていたことでも、わかる。しかも、一年から、二年に持ち上がる時に、今度は、私が打診をされた。「役員になってくださいね」と、一年時の役員から頼まれたのだった。この根回しをしてきたママが娘に放火をされた母親なのだ。で、このままを、之から、【マダム、役員好き】と呼びたい。町内会でも、PTAでも、人の上に立ちたがる勝気なタイプっているのだ。彼女は、そういうタイプみたいだった。

 民主主義社会だと、役員は互選で、決まると、思っていた私は、本当に驚いた。「なぜ、こうなるの?」と、ひどく驚いたが、先生に自信がないから、こうなると、わかってきた。互選にした場合、みんなが、役員を避けてしまったら、先生に、魅力がないということが、露呈してしまう。だから、新学期が始まる前に、決めておくのだった。だけど、わたくしは、ひたすらに断った。この先生とうまくやっていく自信はなかった。これは、長男の方で、下の子(娘の方)が、幼稚園で、担任にいじめられてどうしようもなくて、PTA会長を引き受けた。だけどあの担任、A先生より、W先生の方が恵まれていた。結婚をしていて、相手は大学助教授だ。A先生は、夫が家出したという話だった。W先生はこどもがいない。しかし、A先生は、まだ、学生であるお子さんが二人いる。だから、絶対問題として、働かなくてはならない。暗い目をして、しかも、とことんに意地悪だった。W先生の眼は、暗くはない。そこにかけた。W先生は、大丈夫だろうとしんじた。ともかく、PTA役員として、共同作業をするのは、無理であり、自分の本性に従うべきだと考えた。

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副題4,『さて、ここで、スパイ役ママに入る。彼女は上の方では、【マダム・元・バー勤め】と仮名をつけている人だ。

 ところで、同じクラスだったのにもかかわらず、彼女は、六回の父兄会に、一回も出てこなかった。彼女は、引っ込み思案の人ではない。明るくて、社交的だ。だが、先生を恐れ切っていると、みなした。それは、先生自体が、こわい人だということもあるが、

自分がスパイをしているということが、後ろめたいのだった。

 さて、自殺の原因だが、絶望があったからだと、推察している。何が絶望だと、言って、問われれば、お子さんがさらに、二年、W先生の、受け持ちになったことだったろう。私は、そう考えている。W先生とは、本当に付き合うのに難しい人で、かつ、生徒に対して愛情がない。

 それなのにまた、二年延長で、付き合わないといけない。

 ところがなのだ。二年時の役員になることを断ったわたくしの子は、持ち上がらなかった。別の男の先生の受け持ちに、なったのだ。【マダム 元バー勤め】は、W先生のスパイ役なので、電話でよく長話をしていたと、考えられる。で、むろん、W先生が、逆らった私のことを怒ったり嫌ったりして、子供が二年生の間中、一年間悪口を、元バー勤めママに話したはずだ。

 で、【マダム元バー勤め】は、ひそかに快感を感じていたはずだ。自分は、四年制大学を出ていない。でも子供の担任にとって、とても、重要な役目を果たしている。いわゆる影の内閣の、大臣は、私なんだ。だから、元東大勤務などと言っている、川崎千恵子より、上なんだ。快感、かいかーんと、よろこんでいただろう。

 ところが、彼女も、バカではない。バーに勤めて、男たちをあしらい快感を与えるのは、頭が悪くては、できない仕事だ。で、むろん、考え始める。

 私は、W先生に忠誠をつくした。だけど、川崎千恵子は、反抗をした。だけど、川崎千恵子の子供の方が幸せになってしまった。なぜなんだ。何が、いけなかったのだ。この不条理を、どう受け止めたらいいのだと、考え始めたのだろう。

 こういう時は、ただ、ただ、もう、二年間我慢をするしかない。六年間も同じ担任にあたることはないと思う。だけど、彼女は、そういう風にして乗り越えることができなかった。

 で、ひそかに壊れて行ったのだった。ある日、すれ違って、こんにちはとあいさつを交わした。私は、自分の考えていることを表に出す様な人間ではない。常に、根本を守る。で、機嫌よく、こんにちはと応対をしていた。すると、彼女も、元気に、にこやかに笑って、こんにちはと、言った。

 ところが二つ、決定的におかしいことがあった。もう、四月にはいっているのに、彼女が黒い毛皮の(または、フェイクファー)の、コートを着ていたことだ。それと、その胸に、白いご飯粒が、20粒ぐらいついていた。四月を過ぎているのでストーブはもうしまってあったのだろう。だけど寒かった。それで、外出前に、フェイクファーか、本ものの、毛皮のコートを着た。で、そのままご飯を食べた。でも、うつろだったのだろう。ご飯粒が、ボロボロ胸の前に落ちてしまった。で、毛皮のコートは、厚くて出っ張っているので、ご飯粒が、床に落ちる前に、胸元に、くっついてしまった。

 私は、そういうことがすべてわかってしまって、かわいそうにと思ったが、どうしてあげることもできない。で、自殺へ至った。

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副題5、『さて、これから、やっと、娘さんに自宅を放火されてしまった仮名、【マダム、役員好き】に入ろうと思うのだけれど、6日の夜は、すでに、7日の午前六時を過ぎた。この章は、ここまでと、させていただきたい。そして、その次の早朝に、前置きを入れたというわけです。

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