銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

中村紘子 VS クンウーパイク (芸術家を料理するメディア、特に、NHKの、それについて)△

2014-12-17 22:26:24 | 音楽

17日の深夜に、副題6まで、書き、18日に、副題7以降の加筆を始めています。総タイトルも変えました。だが、ここの総タイトルは、部分的な表現であって、中身は、政治です。音楽を政治の道具に使っている話を書いています。

*1)、日吉という特殊な町:

 私は前々報(後注1)で、わが家に来ていたお手伝いさんが、共産党のシンパであって、「赤旗日曜版を取ってください」と、母が言われていたので、実家でアカハタ日曜版をとっていたので、共産党が、どういうものか、そのシンパがどういう人たちかが、よくわかっていて、現代日本政治の分析とか、自分に対する言論弾圧の仕組みについても、それに基づいて、行っていると、言っています。

 詳しく言うとどういうことかというと、井上ひさしと、前田祝一氏のどちらがそれを命令するのか、または、井上ゆり夫人が、それを命令するのかが、分かりませんが、私は鎌倉駅の表駅と、裏駅で、共産党系の催しを使って、よく脅かされているからです。特にメールや電話で、事前に連絡を取っている外出の際は、徹底的に、悪い方向で、利用をされます。一方で、前報(後注2)で、書いている様に、警察様からも、追い回されているみたいなので、そこで、分かることが、

・・・・・警察さんも、共産党も、CIAさんの命令一下で動いている・・・・・・ということです。

 しかし、アカハタ日曜版を、実家で読むことがあったということは、相当に誤解を招きそうなので、少し、解説を加えさせてくださいませ。

 私の実家は、日吉にあります。日吉というのは、東急が、田園調布に続いて、開発した住宅街がある場所です。戦前から開発していますが、わが家は戦後に開発された土地を買って移り住んでいます。日吉は、地形的に言うと、丘陵地帯と、田んぼの両方があって、その丘陵地帯が、先に開発されました。

 そして、その売り出した住宅街に人気が出る様に、大倉財閥の、専門学校を誘致しました。それが、今の慶応大学理学部です。今の日吉には、慶応大学の、理学部以外の分野(特に一、二年生の教養課程の学部)もあるのではないかしら? 女学生などが、まるで、タレントみたいにおしゃれをしていて、かわいいので、文学部ではないかと推察され、理学部だけだとは、思えません。また、田んぼの部分に、慶応大学用の、グラウンド(野球、ラグビー)などを、設置してあります。ものすごいサービスをしています。

 今は、そういう開発を、東急電鉄本体から独立した東急不動産という別の会社がやっていると、思います。

 ところで、日吉の戦前からの住人が、ひそかに、誇りにしていることは、もう一つあって、それは、帝国陸軍とか、海軍の中枢部分が、戦時中に、日吉の地下壕に、移転をしたらしいということです。アメリカ軍の空襲を避けるためでしょう。だから、地方政治的には、横浜市の一部ですが、一九七〇年代ごろまで、電話局が、日吉だけで、独立していました。そして、電話局のビルも、大変、立派なものがありましたよ。

 時々、テレビで、この地下壕の映像が出たりしています。

 私は、武蔵小杉の発展には、目を白黒してしまいますが・・・・・それは、ここ、十年ぐらいの事であります。そこは、商業地としては、大発展をするはずですが、住民が住む町としては、発展をするかどうかは、分かりません。

 タワーマンションの、住民が、自らの居住地に対して郷土愛を発揮するのだろうか? そこが疑問です。一方、日吉の住民の方は、日吉を愛しているはずです。

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副題2、『母は、六人のお手伝いさんと、付き合ってきたのだが・・・・・』

 前々報で、母は、50年間お手伝いさんを使ってきたと言っています。正確に数えると、55年以上です。合計六人の人でした。≪人使いが荒いから、それほどの、人数が変わったのだ≫などとは思わないでくださいませ。最初の人を除いて、みなさん、高齢だったからです。最初の人は若かったのです。だが、元有名実業団のバレー選手だということと、離婚をした後だったということで、とっても、困ることがあって、私が、「やめてもらいたい」と言いました。子供だったけれど、「あの人が家にいると困る」と、私が父に言ったのです。父をフェロモン的に誘惑して、母と入れ替わろうとしていたので、本当に嫌でした。

 で、二人目からは、通いの人をお願いしました。ところが、日吉って、雰囲気の良い中流の上の住宅街なので、お手伝いをしようという人が居なくて、なかなか、見つからず、結局はお医者様(特に女医さん)と母は、仲良くなって、そちらから、教えてもらうというような形で、見つけたらしいです。女医さんは、たくさんの人を知っているのです。ご自分も他人を使っておられるし。で、いわゆる家政婦紹介所を頼ったりしたことはありません。

 で、女医さんのところをやめた人などにお願いをしていたので、皆さん、高齢だったのです。で、10年続けばよい方で、「やめます」と、相手から言われて、それも無理はないという形で、次の人へと、変わっていきました。

 最後の人は、ものすごいインテリでした。

 ご主人は大学教授でしたが、早く亡くなったとのことでした。ただ、お子さんが、3人もあります。

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副題3、『アーチストはもうからない。だから、その母は、子供にお金を与えたい』

 前報で、≪子供が親を思う気持ちと、親が、子供を思う気持ちには、大きな差があり、親が、子供を思う気持ちほど、切ないものはない≫と、私が、言っています。そのお手伝いさんは、ご自分もエリートで、娘時代は、中央官庁に勤めていました。一九七〇年代までの、一時期、お正月、四日か、五日の、仕事始めの、振袖姿が、新聞の一面を賑わわせていましたね。東証の鏡開きが、多かったと思いますが、

 昔は、霞が関の中央官庁の、仕事始めが、新聞の第一面を飾っていたそうで、彼女は、そこに自分の振袖姿が、載っていた類のお嬢様でした。で、本来なら、お手伝いさんなど、するはずもない階層の人なのですが、お子様の一人が、現代アート系の作家であって、しかもニューヨークに住んでいます。その方にお金を送って上げたいのです。

 ここで、ニューヨークと日本の違いを語らないといけません。ニューヨークでは、普通の人々が、よく美術品を買います。結構たくさんの人が、オリジナルの絵を買って、自宅へ飾っています。自分の好みで、絵や版画を買うので、創作だけを専業にしているプロフェッショナルな作家が多いのです。しかし、超が付くほど貧乏な人が多いのも、事実です。日本人に限らず、外人にも、超、貧乏な、しかし、誇り高いアーチストがたくさん存在しています。

 一方、日本では、絵や版画が売れません。みなさん、日常的な場面では、それを、買わないのです。投資の対象として、買う、大金持ちはいても、一般の人が絵を買うということが、非常に少ないのです。銀座に画廊はいっぱいあります。で、そこそこの人数のお客様は来ています。だけど、そういうお客様の中で、作家の知り合いが来たらお付き合いとして、買いますが、知り合いがいても、「一度や二度は、買ってあげましょう。でも、三度も四度もは、付き合えません」となるでしょう。

 だから、≪日ごろの付き合いがない、まったく未知の人が、作品だけの印象を好きになって、その作品を、買って帰る≫という環境ができないといけないのですが、残念なことに、主体性が、少ない日本人は、本物の絵を買わないのです。新聞やテレビで、その名前を見ることの多い、すでに、有名になっている人の、ほどんど、印刷に近い類の、版画化された複製品を、買うのです。平山郁夫の砂漠の絵など、50万円ぐらいで、よくリトグラフ化されて売っています。東山魁夷もそうです。

 が、この二人は、具象系、しかも日本画なので、これは、一定の購買層が、本物に対してもある作家です。で、本物を持っている人のまねをするわけです。非常に残念です。

 で「リトグラフ(エスタンプと言われる種類のもの)を、数十万円出して買うのはおやめなさい」と言いたいです。テレビ東京の「なんでも鑑定団」という番組で、出品者は、「300万円ぐらいかなあ」といったのに、鑑定家に、「これは、印刷なので、価値がないものです。で、1万円です。だけど、きれいですから、床の間に飾っておかれたらいかがですか?」などと、今から、100年後には、言われることと、なるでしょうから。

 画廊をめぐると、1~2万円で、小さい作品なら、手に入ります。本物がです。作家は、マスコミ的には無名であっても、『これは、いいものだなあ』と、私が、ほれ込むような作品は、いっぱいあります。そういうものを買っていただきたいですね。洋服や、着物に、お金をかける感覚で、中流の上の階級の、人々が、夫側だけでも、妻側だけでも、いいから、印刷ではない本物で、部屋を飾るという趣味をもって、絵を買ってほしいと思います。

 日本画系は、売れる可能性がある上に一点の値段が高いです。ので、絵専門のプロになれる可能性は強いですが、現代アート系の作家は、もともと、実験性を多く含むので、作品は、素人目には、完成度が低く見えるし、大体、売れないうえに、売れたとしての、単位が一つぐらい、日本画より安いのです。で、お金にはなりません。唯一の例外は、草間弥生とか、村上隆で、カボチャのリトグラフが、300万円だと聞いたことがあります。『ふーん』というしかないです。

 でね、そのお手伝いさんの息子さんは、ニューヨークにいるからこそ、美術専業です。これが、日本に住む日本人だったら、たいていの人は、何らかの別業を持ちます、男性だったら、先生になったり、企業に入ったりします。女性は、先生になったり、専業主婦になったりします。ここでは、専業主婦とは、職業の一種とみなしてください。ともかく、衣食住の根本を購うお金は、コンスタントに手に入るように人生の、選択をします。

 でも、この章に登場する人は、みんなエリートさんです。だから、日常生活を送るのにも、普通のお金または、それ以上のお金が要ります。で、その在ニューヨークの青年画家のお嫁さんは、働いています。しかも外交官として。ただし、日本国のでは、ありませんよ。別の国の、下級の外交官として。

 さて、実はそのお嫁さんの方が、私の友人です。子供時代の同級生です。したがって、そちら側からも情報が入ります。でね、離婚に至ったのも、知っています。それは、仕方がないかなあとも思います。外交官だったら、パーティなどしょっちゅう出席するので、他の男性との出会いもあるでしょう。そして、今の旦那さんと、比較をする時もあるでしょう。すると、『あれっ、私の理想って、こういう生活だったっけ?』と、お嫁さんの方が考え込むことも、生まれると思います。それで、離婚に至ったのでしょう。お金だけが、大切ではないと言っても、お金が足りないのも、また、困ることなのです。

 そうすると、坊ちゃまの方に、コンスタントに入っていた、妻の月給が無くなります。切ないですね。

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副題5、『日吉という町を、基軸にした、エリートたちの人的、コネクション』

 今の私は、恒常的な人付き合いというのをしておりません。一期一会という付き合いならたいへん豊富です。≪人付き合いに満ちている≫と言っていいほどですが、「毎日会いますよ」とか、「週に一回会いますよ」とか、「つきに回は、会いますよ」というような、人付き合いをしては、おりません。これは、見かけによらない強さがあるからこそ、できることなのですよ。一人でいても、不安にならないほど、主体性が確立しているのです。ただし、自分が得をするために、役立つ種類の、人的コネもありません。(苦笑)

 人が社会的に出世していくためには、人的コネというのは、非常に大切な様で、人々はそれを確保するために、種々様々な努力をしているみたいです。サラリーマンだったら、昔は、麻雀、今はゴルフかな? 女の人だったら、PTAや、町内会、そして、そこで役員をしてそのお仲間と密な関係を作ったり、地域のコーラス団に所属したり、同窓の人たちとレストラン巡りをしたり、観劇会を一緒にしたりして、交流を築いています。

 私だって、ある時点で、別の選択をしていたら、人的コネを継続して持っていて、こんなブログを書いていなかったと思いますね。で、そのお手伝いさんが、日吉で築いたのが、中村ヨウ子さんとの関係です。ピアニスト中村紘子さんの、母君です。紘子さんって、私と同い年で、しかも、おなじ日吉に、住んでいたことがあるわけです。ただし、紘子さんは、どうも慶応幼稚舎通学らしくて、日吉の公立小学校には在籍はしていませんでした。

 でね、そのお手伝いさんから聞いたわけではないのですよ。私自身が、紘子さんの著書、それから、週刊誌の記事等を読んでいて、分かることがありました。それは、紘子さんの実父が誰であるかとか? どうして、紘子さんが、いい仕事に恵まれるかとかの、秘密を解く鍵です。つまり、彼女の父君って、相当な大物だということです。その力によって、紘子さんには、容易に、道が開かれるのです。

 たまたま、中村燿子さんが、経営していた月光荘(画廊)の地下室を訪れる縁が、私の方に、ありました。一回だけではなくて、二回も三回も。いえ、数年に分けて、四回も、五回も。ただ、燿子さんが亡くなってからですから、週刊誌が書いていた様な、有名人のたまり場としての、影も形も、香りも、残ってはいませんでした。けれど、アフリカか、東南アジアから輸入されたらしい、ボート型の、長いテーブルだけは、残っていましたが。

 しかし、燿子さんが、そこへ、招く人を限定していたので、彼女が、オーナーだった時代に、そこに、入ることが出来た人は、どれほど、エリート意識を満足させられたでしょうか? 想像するに難くないです。今では、上で、名前を挙げた、なんでも鑑定団の鑑定人のひとり、永井さんが、地下一階にバーのある画廊ビルを作り上げていますが、それに、似ていて、もっと、集う人が、ハイクラス(?)だったのが、そこだったのです。いえ、今の永井さんの、バーもすごいのかもしれませんが、私は縁がないので、知りません。そこは、普段は、ほとんどしまっています。

 JR有楽町駅から、歩いて100mぐらいのところに、≪秘密の応接室を持つ。しかも、それは、自分専用であって、お金を払う必要がない(紘子さんの実父にあたる人にとっては、そうなるだろう)≫ということは、どれほど、エリート意識をくすぐられることでしょうかねえ。それは、想像ができますね。

 つまり、わが家に来ていたお手伝いさんというのは、そういうエリート階級の女性だったわけです。普通ならお手伝いなどしないのですが、たまたま息子さんがニューヨーク在住の、現代アート系作家だったということで、その人にお金を送ってあげたくて、わが家にいらしていたのでした。そして、その母君の方が共産党を信奉していて、我が母に、「どうか、アカハタ日曜版をとってください」といったわけです。

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副題6、『ここで、分かってくる、共産党内部の、二極分裂化』

 共産党って、内部で、二極分裂化しているのが、そのお手伝いさんを見ていると、よく、分かります。上品な物腰で、丁寧語を駆使する人ですが、母と父は、彼女の話を聞くのを、結構なレベルで、嫌がっていました。母は私に「自慢ばかりしているので、嫌だわ」と言っていたし、父は、「はたらいちゃあ、ないのー」と言っていました。お買い物や、お料理は作ってもらえるし、宅急便を受け取るなどという雑用もしてもらえるのですが、お掃除はだめで、母は、「彼女が帰った後で、もう一回するのよ」と言っていました。

 愛情豊かな人で、しかも、モノがよくわかるので、私は彼女と駅まで一緒に帰りながら、話すと楽しかったですよ。しかし、エリートさんであるのも確かで、労働を尊重しない人だったのです。私もお掃除は後回しの方だから、とても似ていますね。甘やかされて育った人なのです。

 でね。彼女の強いエリート意識を感じていると、共産党って、内部で、二極化しているのが、しみじみわかるのです。彼女もエリートの方ですが、現実には、今は、生活費上、優雅ではないので、共産党員内部の特権階級にはなれず、上納金も必要で、それが、新聞購読を、知り合いに勧めるということだったでしょう。

 週刊誌に、宮本顕治が、自分の本宅の周辺に、27か所だか、宅地を買っているのだと、言う記事が出たことがあります。今回の選挙の前に、不破哲三と、ググってみたら、赤い貴族と言われるほど、ぜいたくな暮らしをしているのだそうです。日本には、もともと、家元制度というのがありました。それを、応用しているのです。美術の世界でも同じですが、政治の世界、特に共産党において、激しい階級分化が起きていて、得をする人と搾取をされる人に分化しているのでした。前田夫妻など、ちやほやされる、特権階級の方でしょう。だから、全能感が、強いのだと推察しています。他人、特に私の事なんか、全く認めていません。平等なんて、この世の知識ではないし、企画でもないと思っているでしょう。いや、はや。

 共産党の強みとは、数の力ですが、その内部の、ほとんどの党員とは、上納金を搾取をされ、今回の様な、選挙では、ただ働きを強いられていると思いますが・・・・・

   本当は、これから、選挙の感想へ入っていきたいのです。それが、Aと、しましょう。

 それと、紘子さんの演奏スタイルについて、本当は言いたいことがある。・・・・・それと、特別な、美形に生まれたということの、メリットとディメリットについて。・・・・一般的に言えば、≪美しく生まれたことは、即、幸せにつながる≫と、思われているでしょう。だが、思いがけずも、・・・・・失礼ながら、とても、はっきり言えば、・・・・紘子さんを見ていると、ほのかな痛々しさを感じるのです。

 誰だって、影はあります。だけど、テレビ放映の時には、彼女の、光の部分を強調しすぎるので、かえって、それを感じます。・・・・・これをBといたします。

 それと、朝日新聞と、共産党の関係と、共産党がなぜ、朝日新聞に称揚をされ、ひいきされるのか。それを、Cといたします。

 このABCを、考察したいのですが、しかし、本日(=17日の深夜)は、エネルギー不足です。で、上の様な入り口だけの文章(=思い出だけで構成されている)で、終わらせて下さいませ。・・・・・と、書いて中断し、その同じ、18日の午後に以下の部分を書き足し始めています。

 ここから次の日に入ります。そして、上にあげた三つのテーマのうち、Bだけにこだわって先を書き進めたいと思います。ブレンデルというピアニストがいます。私は、横須賀で、白黒テレビで、N饗アワーを見ているころ(35年前ぐらい)では、この人とか、同じ町内会に住んでいると言われる野島稔が好きでした。そこへ、急に、クンウーパイク(白健宇)という人が混ざりました。

 こういう人たちは男性なので、美形を誇りません。それで、混じり気なく、音楽だけを楽しむことができます。

~~~~~~~~~~~~~

副題7、『クンウーパイクの、シューベルトに対する解釈が素晴らしい』

 NHKがシンフォニーアワーという番組を改編して、二時間にしたのです。その後、そうなると、クラシックを二時間聞くのか、それは、重ったいなあとなって、ずっと、テレビでクラシック音楽を聴くことをやめていたのです、しかし、それとは別に、早朝6時からBSプレミアムで、クラシック倶楽部という番組を放映しているのに気が付きました。それで、大体毎日、録画しておいて、暇な時に、バックグラウンドミュージックとして、聞きながら、他の仕事を同時並行的にしています。そちらは、一時間出し、主に室内楽を放映するので、楽器の数が少ないわけで、音楽自体が軽やかです。

 ≪72歳にもなると、もう、重ったい、音楽は、聞くのが楽しくないね≫という感じですから。

 そこで、中村紘子さんが、2010年だったかな? サントリーホールで、弾いた時のものを、二回ほど、繰り返して放映しています。このクラシック倶楽部という番組は、早朝も早朝で、録画して聞く人以外は、気が付かないので、視聴率という意味では、小さい数字でしょうが、それでも、楽しみにしている私の様な人間がいるのに、再放送が多くて、残念です。ここで、放映をしてあげることが若い音楽家の励みにもなると思うので、

 もっと、お金をかけて、丁寧な取材をして、いろいろなホール情報を集めて、新しい演奏を見せてほしいと思います。と思うほど、再放送が多いのです、そこには不満はあるものの、中村紘子さんのサントリーホールの演奏が、二回ほど、録画をされ放映をされておりました。自動的に。

 あんまり、感銘をうけません。それは、ずっと、前からそうであって、今回もそうでありました。彼女のエッセイは、読みやすく、かつ、≪そうだろうなあ≫と、思い、共感をよくするのですが、演奏自体は、私は、好きではないというか、腕を振り上げるのが、派手すぎて、それに幻惑をされてしまい、音楽そのものに、溶け込めず、それを、嫌がるタイプです。自分はですよ。

 ところで、同じクラシック倶楽部でも、全然、その名前を知らない音楽家は、結構な興味をもって見ています。

 クンウーパイク(白健宇)も、その放送以前は、まったく知らない音楽家だったので、興味をもって見つめました。

 この人が、私が最初に気が付いた時に、英語で行ったシューベルトの即興曲、および、その他についての全体的な解釈を語ったのですが、それが素晴らしかったのです。

 彼は、アジア人がヨーロッパの音楽を演奏することの、自分と聴衆の間双方に横たわる難しさを語っていますが、彼のピアノには、いわゆるヨーロッパの風を、私は、感じることができます。ここでは、その再現をしませんが、含蓄が、深く、≪そうだねえ≫と、思うばかりの解釈でした。

 そして、さらに感銘が深かったという私側の事情を語れば、私にとっては、ありと、あらゆる楽曲のうちで、シューベルの即興曲、全8曲ほど、好きで、好きで、たまらないものはないのですから、本当に注意深く聞きました。そして、演奏にも満足しました。

 このクンウーパイクというピアニストは、韓国で生まれ、ジュリアード音楽院を出て、ブゾーニのコンクールで優勝し(それは、それほど、派手な勲章ではないが、)、現在は、フランス・パリを拠点にして世界で活動しているらしいです。

 さて、この文章では、彼を取り上げて、紘子さんに対する不満を間接的に語りたいわけです。クンウーパイクは、美形でもないし、しかも年齢的にはすでに、中年の、男性なので、衣装に凝ることもないわけですが、表現をされた音楽そのものが、私を惹きつける、演奏家です。本番は、2013年11月8日に凸版ホールで放映をされたものです。

 彼は、腕を派手に上に、振り上げることもしないし、振り回すこともしないし、カメラも、彼の顔を正面から移すなどの、演出には凝りません。画面はありきたりの、スタイルで推移します。だけど、それが、音楽を邪魔しない。

 ところで、私は、この番組の最初の、曲目紹介だけを見て、『ああ、再放送だな。一回聞いたものの再放送だ』と、思い至りました。で、忙しいので、再度、開いてみることはせず、ただ、捨てることも致しませんでした。後で、ブルーレイにでも落として保存をしておこうと思うからです。しかし、その時間もないのでした。彼の演奏だと、それを、ながら視聴をして、聞いて、これは、聞いたねとして、捨ててしまうのも惜しいので。

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副題8、『しかし、クンウーパイクは、韓国人なので、NHK側は、いろいろ、対私向けの、小細工をしていますね。一回目の放映も、二回目の放映も』

 私は、一回目の放映を聞いた後で、種々の、文章を、彼、および、彼から想起されるあれこれについて、書いています。そのうちの一つ(後注3)は、今でも、人気記事の一つとなっているみたいです。そのリンク先を見つけるのが、難しいです。で、本番の凸版ホールの日付が何年何月何日だったかを確かめて、そのあとの自分のブログを探していきました。600本もさかのぼって探さないといけなかったのです。

 その放映が実際に、凸版ホールで、行われたのは、森少子化担当大臣が、青地のエルメスのスカーフをひるがえしながら、特定秘密保護法案を、国会に提出していたころです。それを、後注5~7へと、三本連動しておいておきましょう。そちらの施行が、この間ですが、2014年12月に静かに(?・・・・・本当は静かでは困るでしょうが・・・・・)施行をされました。後注5~7

 きちんとチェックしながら、再放送を見てみると、演奏そのものは、その一回目の時のものが使われているのですが、間に挟まれるテロップとか、彼の解説の言葉が、新しく再録をされたり、新しく編集されなおした可能性を感じます。

 こうなると、ひそかに推察していた、クンウーパイクそのものが、対・私用、弾丸として、利用をされているのではないかというのが、正しかったとなってきます。彼は、2013年の、1年前に、このシューベルトの特に、抒情的な楽曲で、プログラムを組むように、例の裏側にいる存在達から、教唆をされていたと、言うのが、正しいと、確信をしてきます。

 使者に立ったのは、クンウーパイクと同じく、英語が達者な、ICU卒業生であることも考えられますが、パリ在住の日本人音楽家である可能性も強いです。相当高位な、音楽家も住んでいるのですよ。その人に、奥島孝康氏などの、しょっちゅうパリとの間を往復をしていて、かつ、こういう裏側の政治を、熟知している存在が、交渉役を引き受けたのだったら、クンウーパイクは、簡単に、このプログラム(ただし、選挙区自体は、彼の本分です)で、演奏をすることを、承知したでしょう。その際、NHKの人間か、凸版ホールの人間か、それとも、梶本音楽事務所などの、音楽の専門家も動向をしたとは思うし、交渉の場所が、パリ以外の、場所だったかもしれません。ソウルで、交渉が行われたと仮定をすると、上のメンバーではなくて、別の人物が、交渉をした可能性も感じます。

 私が、よく、本日の文章は、30%までに、とどめておきますよと、言っているのは、ここなどが、もっとも、代表的なところなのです。

 一年前の第一回目の、演奏をクラシック倶楽部内で、聞いたその時点で、・・・・・クンウーパイクは、私を、じらせるため、および、彼の背後に、在日の出自を持っている人でもあるらしい、日本国内のトップエージェントたる、成岡君の存在があることを、知らしめるために、こういうプログラムが組みましたね・・・・・と、書いても被害妄想ですねと、読者が感じるだけでしょう。

 しかし、その時でも、彼の演奏の、≪プログラム表記で、作品番号が使われなかった≫のほか、で、暗喩として、それを、一部は、開示しています。

 それは、後注4として文末に、おきますが、字数が、短いので、ここでも、そのリンク先をここで、行間に、挿入的して置きます。

アマゾンで、シューベルトの即興曲のCDを検索し、D番号と、OPのどちらが優位かを調べた   2014-01-19 12:56:55 | 政治

 で、上の時点、つまり、一年前に調べたのは、アマゾンで、売っているCDだけでしたが、本日は、yu tube もチェックしました。すると、やはり、作品番号、90番と、作品番号142番を使っている人が多いです。で、私は本日は、作品番号と、ドイツ番号の違いを、wikipedia からコピペしてここに挿入として、置きます。

::::::::ドイッチュ番号

出典: Wikipedia

ドイッチュ番号(ドイッチュばんごう、ドイチュ番号とも言う)は、フランツ・シューベルト作曲した作品に付けられている番号。オットー・エーリッヒ・ドイッチュによって1951年に作られた英語の作品目録 "Franz Schubert – Thematic Catalogue of all his works in chronological order"(シューベルト年代順作品表題目録)で附された番号である。Dと略記され、D123のように表記される。ドイッチュ自身が作品目録の序文で「自分の名前の略記ではなく、シューベルトの作品を表す記号として、省略記号であることを示す『.』を用いずに使って欲しい」と述べている。

ドイチュの死後、1978年にヴァルター・デュルWalther Dürr(独語版)、アルノルト・ファイルArnold Feil(独語版)などによってドイツ語の改訂版 "Franz Schubert – Thematisches Verzeichnis seiner Werke in chronologischer Folge" が作られた。

シューベルトの作品には作品番号があるが、これはただ単にシューベルトの生前に出版された順序に付けられているに過ぎず、作曲年代がわからない上に、作品番号の付けられていない作品も多いため、近年はこのドイッチュ番号の方が多く用いられる。

 :::::::::で、ここから先は、私自身の文章に戻ります。

彼の音楽そのものは、素晴らしい。特に、この章では、過剰に持ち上げられていると、私が感じている中村紘子さんの、演奏ぶりと比較をするので、文句のつけようもないほど、感じが良いものです。

 日本に来た時には、彼に対する、余計にしてかじょうな、メディアのサポート(=宣伝用のインタビュー記事が作られること)がないので、音楽そのものに浸ることができますし。

~~~~~~~~~~~~~~

 これは、さらに続くのですが、内容が、非常に深く、音楽そのものに入っていきますので、別章を立てて語りたいと思います。

後注1、

地に足の着いた資格、食品衛生責任者・・・・・清潔な日本の、最も清潔な場所としてのその講義△

2014-12-15 14:27:19 | 政治

後注2、

世田谷一家殺人事件の、マウス誤作動について・・・・・それって、嘘でしょう? △

後注3、 

呉善花が25年前に日本語の優位性を語ってくれたが、その破壊工作が、今行われている△

2014-01-20 03:04:16 | 政治

 後注4、

アマゾンで、シューベルトの即興曲のCDを検索し、D番号と、OPのどちらが優位かを調べた

 2014-01-19 12:56:55 | 政治

副題5

秘密保護法案は、その推移が、山本美香襲撃事件とも、嘉田新党設立にも似ているが、□

2013-12-08 14:08:10 | 政治

副題6、

エルメスのスカーフ(森少子化大臣・・大内順子・・野見山暁司・・醍醐イサム・・山口光子)△

2013-12-06 18:36:56 | 政治

副題7、

エルメスの広告が、2013年12月16日の日経新聞に載っていたが、その理由は?

2013-12-21 20:31:12 | 政治

 この文章は、17日の深夜から書き始め、18日の深夜に推敲を終わる。雨宮舜 (本名、 川崎 千恵子)

なお、このブログの2010年より数え始めた延べ訪問回数は、2645206です。

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