銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

今、世界で最も我慢をしている母とは、エリザベス女王?、それとも美智子様?・・・一ノ瀬智恵乎とは、我慢をしない母であった

2021-07-29 00:32:31 | 政治

 以下の文章に対して、二日目の、29日に些少の、加筆をいたします。加筆部分は、アンダーラインを敷いたり、色文字で、書き表したり致します。

 外で、赤いお財布が、紛失(異様な形であったが)した同じころ、家の中で、金券3万円(?)分が紛失しました。ここで、二日目に、加筆を入れます。金券の紛失総額をはっきりと明示できないのは、それが、カード類の集積で、厚さ2.5cm以上だったからです。図書券など、500円から3000円まで、段階がありますね。クオカードもそうです。それを送ってくれた人は、「もう、私は、こういうものは使わないので、あなたにあげます」と言って、郵送してくれたのでした。

 彼女からの封筒は、始末したし、お手紙も始末したのに(相手を守ろうとしてですね)、金券そのものは居間の食卓の上に置きっぱなしだったのです。我が家には、四種類の泥棒が頻繁に入ります。しかし、それは、政治的な意味合いのもの=言論弾圧を目的とする嫌がらせ=ですから、金券に手を付けることはないだろうと、思って、まったく不用心にも隠すことをしていなかったのです。で、その結果として、盗まれました。そこで、我が家の合いかぎを持っている泥棒が、四種類いることを、ここでも、また、書かないといけなくなりました。

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副題1、『我が家の合いかぎを持っている人の飼い猫が、主人が入院中、合いかぎを使って、主人と一緒に侵入し、スプレー(おしっこ)もしたし、我が家の猫を追い回したので、主人が退院するのを待ったかの如く、我が家の猫が死んでしまった・・・・・それも明瞭に合いかぎを持っている女性が行ったことであろう』

 我が家には、泥棒が、ものすごく頻繁に入ります。主人が入院中、ある家の猫が、我が家の猫の出入り口を使って、午前零時ごろ入ってきたので、びっくりして猫出入り口をふさいだのです。大きな銅の花瓶を置いて。

 しかし、猫が、主人が退院すると、それを、待っていたかの様に死んでしまったので、毎昼、合いかぎで、玄関を開けて、その猫と一緒に入ってきて、我が家の猫を脅かした特殊なご近所マダムがいると言う事が、わかりました。我が家の猫は、主人が入院する前には、すこぶる健康だったのです。

 私が最初にその猫の侵入に気が付いた夜、そこに大きな鈴が、垂らしてあるので、音で、気が付いたのですが、その前、まだ、その音が鳴らないうちに、二階で、私が、パソコンを開いている、その食卓の左側2.5mの距離の、出窓においてある猫ベッド(ワインの空き箱に、猫用の小さなお布団を入れてある)の中で、起きて居た我が家の猫が、ピピっと、緊張をしたのです。よほど何回も侵入をされていたことが、その夜にわかりました。

(この写真は、半分眠い。という状態で、目がぱっちりしていませんが、100%起きているときは、非常に表情が豊かな猫なのです)

 そのあとで、鈴が鳴って、その例の猫が入ってきたので、わかったことでした。主人が入院して私が長時間外出している間の、一か月半に、相当な回数で、入っていて、我が家の猫を追い回したと、言う事です。こういうことも、伊藤玄二郎と、明瞭に関係してくることなので、熱海の土石流が、彼に関係していると、私が言明することとなります。後注1,

 我が家の猫は、2002年に主人が、茅ケ崎の動物病院から貰って来たのですが、2005年の1月(または、2004年の12月)までは、大変活発で、この山の中を全部、自分のテリトリーとしていました。しかしやがて、石川和子さんと、それが、原因で、大トラブルへと発展します。

 弟子が多くて、弟子からちやほやされる鎌倉春秋窯へ出入りするうちに、主宰者の、石川和子さんに、気に入られて、そこで、昼間を過ごす様になりました。私は猫がもらわれてきてから、5か月で、逗子の一人暮らしを切り上げていました。しかし、アトリエとして、そこは借り続けていたので(版画制作用のプレスも置いてあったし)昼間は、毎日そちらに通っていたので、猫は寂しくて、山中を探索しているうちに、月曜日と、木曜日は、かまくら春秋窯にお客さんが来ることを発見したのでした。先生の石川和子さんが、猫好きで、特に我が家の猫を気に入っていました。愛嬌たっぷりで、頭が良いからです。私も、当時50代で、五匹ぐらいの猫と、一生で、接してきていましたけれど、この猫ほど、人間が好きな猫は、知りません。で、先生が、好きな猫だから、お弟子さんたちも、大切にしてくれます。それで、月曜日と木曜日は、そちらへ、入りびたりと、なりました。

 ところが、石川和子さん側が、だんだん所有権を主張し始めて返さないのです。で、わたくし以外の家族はものすごく怒って、「もう出さない様にしよう」と主張をしました。しかし、家族の中で、もっとも猫に慣れていて、かつ、猫との接触歴が長い私が、猫の自由を奪いたくなくて、「わかった」と、言いながら、毎日自由にさせて、そして、男どもが帰る前に、春秋窯に迎えに行くという形式をとりました。

 ところがその習慣を悪利用して、自分たち夫婦の性欲亢進のために、私をいじめる様になったのです。寒い日に、ドアベルが鳴っているのにもかかわらず、外で、長時間待たせるとか? たまたま、ある日、狭い玄関の上がり框にしゃがんだ、石川和子さんの股間から、異様なにおいが立ち上ってきたので、それ(=性欲亢進のために私をいじめる)がわかってしまったのです。彼女たち夫婦自身は、ずっと同じ匂いを嗅ぎ続けているので、自分たちが、恥ずかしいことをやっていた最中だなんて、気が付いてもいない模様でした。

 でも、自然環境が豊かで、樹木が多く、空気が、清浄極まりないこの山の中で、外から、急に入ってきた私には、それが、明瞭に分かりました。

 特に少女コンクリート殺人事件以来、いじめと、性欲が、密接に結びついていることには、気が付いていました。

 で、お葬式ごっこについても、大津で、PTA三役を親に持つ子供たちを、自殺に追い込んだ事件も、非常に鋭く分析してきています。しかも、私は、すでに、この事案が起きた時メルマガを始めていて、この山の住人あてには、送っていませんが、伊藤玄二郎の愛人である彼女は、それを知っている筈なのです。そして、私がものすごい筆力を持っているので、馬鹿なことをしたら、すぐ書き表されることは、知っていたはずなのです。それなのに、

 どうして、これほど不用心に、わがままを貫いたかですが、それには、明瞭な答えがあり、私にはそれが、わかっていました。

 彼女は平沼高校卒の筈で、普通なら、平均以上に頭が良いはずなのです。昔は、第一高女であって、岸恵子が卒業した高校です。

 しかし、この山には、欲望が非常に強いマダムYという女性がいて、彼女と、仲良くなると、みんな劣化するのでした。東大卒の女性でも、馬鹿化するのでした。で、石川和子さんもその例にもれず、まるで、中学生並みに、馬鹿化していたのです。で、平気で、あんな股間で、しゃがんだのでした。

 それは本当の目的は、私を慰留することなのに、私の顔をしっかりとは見つめず、後ろに立っている現在の夫である柳沢昇を、見つめ、ふたりで、心理的に、なめあっていたからです。それと玄関が狭すぎたことも、自然に股間を開くことへつながりました。で、本来の目的を果たすことができないと、言う、そいういう姿勢の表れでした。

 自分たち夫婦の性欲亢進のために、猫を迎えに来る私をいじめているのだと、わかった日以来、私は、怒りに怒って、猫を出さないことにしたのでした。それで、猫のテリトリーが狭くなってしまって、自由な行動をとる事ができる別の猫に圧迫されることとなったのでした。

 でもね、この山に、もし、合いかぎを持っている人が、いなかったとしたら、銅の重い花瓶で、猫用出入り口を、ふさいだ日以降は、もうその意地悪猫は、侵入しない筈ですよね。で、猫が、急に死ぬと言う事はなかったと、思います。しかし、その図々しい猫の飼い主は、合いかぎを持っているので、ずっと、自分が人間として侵入し続け、猫をそそのかして、対猫・脅かし、を、やりつづけたのでした。

 ここまで29日の午後二時まで、推敲加筆をしました。しかし、ここで、また、パソコンのそばを離れます。これ以降の加筆と後注入れは、後刻に、開始いたします。

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副題2、『どうして、その獰猛で図々しい飼い猫の主人夫妻が、合いかぎを持っているかというと、石川和子さんと、そこの奥さんが親友だからである。石川和子さんは、伊藤玄二郎の元愛人だから、特権者伊藤玄二郎の名前を使って、警察官を私的な用事で、使役できる。

 私が猫を出さなくなってから、半年後、二階の窓から屋根伝いで、訪問してきた我が家の猫に、二人は、欣喜雀躍をして、このまま、隠して返さない様にしておこうと、考えた。しかし、私も圧倒的な知恵者だから、心理学のオウム返し手法を利用して、容易に猫を外へおびき出した。私の猫は、究極の危機の際には、私の方を、ヤナギサワノボル・石川和子夫妻よりも、好きだと、言って、私と一緒に帰ったのだった。それに、おお恥をかいてしまったと、考えた、石川和子夫妻は、警官を呼び、「あそこの奥さん(私の事)が、生意気だから、あそこの旦那に、自分の奥さんを叱る様に命令してください」と頼んだのだった。その際に、あそこは、夫婦別居ですよ。などと、嘘も告げたらしいので(というのも、私は、いつも股間から、独特の臭気を立ち上らせている様な女ではないから、あの夫婦には、夫婦別居だと見えるのでしょう)

 警官二人は、乱暴狼藉に限りを尽くしたうえで、なんと、絶対に車の入ってこないこの山で、交通事故の調書を取って、脅かしたのです。この不始末を、謝罪という形にもっていくのではなくて、私を、弾圧して殺すという形で、解決しようとして、警察は、私が、その人を嫌っている主婦に、合いかぎを持たせて、対私への嫌がらせをする様に、仕向けています。

 ほかに三種類の泥棒がいて、侵入をし続けています。ところで、山田さんという警察庁のエリートが住んでいると、常々言っています。が、あの人は、侵入をしていないでしょう。彼の任務は、私が起きている間中、起きていて、このパソコンと、同じ画面を見入って、内容を点検している、それで、アイデアを、考えつくという、点だと思います。井上ひさしと、よく似ていますが、分野が、・・・・・このご近所人間をどう動かすかと、言うところに限定されている。それが、全国、または、全世界を動かす、井上ひさしとは、ちがうところだと、推察しています。

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副題3、『その四種類の泥棒のうち、この五日間内に、食卓の上に置いてあった、金券三万円以上を盗んだ人がいる』

 まさか、金券を盗むとは、夢にも思いませんでした。それって、政治じゃあないでしょう。単純な泥棒ですよね。だけど、警察に背後を見守られている人間が、単純な、金銭泥棒をするとは? 

 これはね。私が徹夜して、その朝、自室で眠っている間、それをわかっている人間が盗んだのでしょう。

 どうして、それができるかというと、これはまだ、一般庶民には、開示されていない技術ですが、サーモスタットの高度なものなどを、桜田門の一室の、大画面に映し出すと、仮定します。それは、我が家から、40m西に離れた、家においてある、特殊なルーターを、通じて、この家に入り込み、私がどこにいるかという情報を、桜田門に送り返すことができるのでしょう。それで、私がカギをかけた自室で、午前四時から就眠し、朝の、七時半には、まだ、どっぷりと寝ていて、そこを動く可能性がないと、把握をされます。一方、主人は、午前7時半に、北久里浜駅そばの丘の上にある、旧宅へ、花の手入れと、読書と、昼寝をしに出掛けて行きました。だいたい午後二時に帰宅します。午後BSで、放映される二時間ミステリーを見るのを楽しみにしているからです。

 私が起きたのは、午前8時半です。そのかんの一時間を利用して、合いかぎを使って我が家に入り、いつも、重要なものを、私の方が、置き忘れている食卓の上を探索すれば、この金券が見つかったと思います。今までも、例えば、常用の薬とか、もっとも、頻繁に保存をするUSBとかを、盗まれた記憶があります。しかし、金券を盗むとは、本当に恥ずかしい、一味です。

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副題4、『上の節の最後で、一味という言葉を使っている。この一味という言葉を使えば、今、その行動を分析しつつある醍醐イサムも、その一味なのである。したがって、どんなに彼が偉そうにしても、金券を私の家から盗む、そういう泥棒と、同じお仲間だと、言明しよう。

 また、彼を、私より、社会的存在として上だと、判断をして、昔都美館内では、普通の態度で、会話を交わしていた、醍醐イサムが、K’sギャラリーのソファの上で、突然豹変をして、無視、無視という無礼を繰り返したときに、

 彼には、聞こえない鉄製のドアの外に呼び出して、オーナーの増田きよみさんに、「あれは、困るわ」と言ったら、「だって、仕方がないじゃーん」と答えた、彼女も、その一味なんです。

 でもね。私は、個人的意趣返しとして、「困るわ」といったわけではありません。これは政治的問題だから、当然、後で、文章を書くのは、決めていました。それにしても、書き方が、いろいろあります。それは、きよみさんの、返事次第でした。

 この時相手が、シロタ画廊のオーナーだったら、まるで、違う言葉遣いだったでしょう。「だって、仕方がないじゃーん」と、いなかっぺ大将丸出しで、こたえられると、なんていうか、落ちた偶像というか、百年の恋も冷めるというか、・・・・・で、

 私は二の句が継げず、突然踵を返して、帰りました。

 2017年三月某日、京橋二丁目にあった、ギャルリーユマニテの事務所で、オーナーの十束さんから、「引っ越しをするんです。だから、最近は、展示をしていないのです」と、聞いた時も、相手が、勝ったと思って、喜ぶだろうなあと、思いながら、でも、何も口答えせず、すごすごと、帰りました。

 三つ目の思い出です。

 2020年4月27日、鶴岡八幡宮の手洗所のそばで、上級神官、龍村氏が、私より、安野智紗夫人を上に置いた時も、さっと何も言わず、踵を返して、帰りました。

 さて、ここで、午前三時になりました。すみません、本日は、金券が紛失したことで、家じゅうを探し回り、と、同時に、例の終活も、行ったので、時間が足りなくなりました。ここで、寝ます。後で、続きを書きます。

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