今は2025年の2月12日の零時20分ですが、今から、下の文の加筆・推敲を始めます。加筆部分は、緑色で書きます。が、特に強調したいところは、別色で、書きます。それから、すみませんが、総タイトルを三回目のものへと変えます。気分としては、最初恩総タイトルが、この一文の全体を覆う主意です。それが、目的で、書き始めたのですが、また、また、そこまで、到達できていませんので、到達できたところまでの総タイトルへと、変更します。
24時間【ボックスカルバートを、私自身の自分史に当てはめて解説しようとすると47年間分のCIAの悪を語らないとならないので】としておりました。が、今は次の物【上にある】へと変更します。
副題1、『これは、埼玉県の、道路陥没事故によって、神さまの存在が証明されたと、言うブログ文(あと註1)の、続きです。前報の中に、込めたほうがいいのですが、そこでは、共同溝の話に入ってしまい、それについては、46年間分のCIAエージェントの悪を書かないと、いけないのです。瀬島龍三を頂点とする悪を書かないといけなくなるので、ちょっと、しんどいなあと思って休んでいたのです。でもね。今回の件で、NHKニュースを見るだけでも、神様って、本当にいらっしゃるのだと思いましたよ』
新・県庁舎を建設する会議で、頭がいっぱいである、大野県知事の、欺瞞性と傲慢ぶりを前報の最後に書いていますが、CIAエージェントに属する人間の傲慢なこと、また、非人間的なこと、が、大野県知事に集約的に表れていて、
かつ、自治体の首長として、議会に諮らず、巨大な、金額を左右できる、その特権に、委縮する、県庁職員の、まあ、悪しき官僚主義を見せつけられたのでした。
今回の陥没事故で、行方不明(?)になっているご遺体を発見するために、40億円を急遽、きょしゅつすることになったそうです。
そのニュースを聞きながら、3つのことを考えていました。
*1)、現場責任者たちは、この解決のために、多大な予算を使うと、叱られると、思って、最初は、ビビッていて、人員投与も、少なめにしていて、重機の投与も少なめにしていたのだと・・・・・そういうことがわかるのでした。私がこの世界で、大野知事の人格の低劣さへの確信を書いたら、その結果を受けて、2025年2月9日など朝から100人近く投与していたそうです。が、崩落の恐れがあるので、一時間で引き揚げたそうです。12日目に100人投与ですって。最初の日(=2025-1-28)に、どうして、100人投与をしなかったのですか?
まあ、兵庫県知事の斎藤某氏よりは、より普通度が高いでしょう。しかし、感情によって左右されるところ・・・・・特に自分と親しい人間を大切にしていき、親しくない人間については相手を、ハエの一匹ぐらいに扱うというのは、コロナ禍・の・時期に、私のブログを否定してきた際に、解ってしまったことなのです。
例えば、彼の父は、慶応大学卒で、川口市長の息子であり、国際ライオンズクラブの役員をしていたそうです。国際ライオンズクラブというのは、拠点が、むろん、東京都内にあるでしょう。ライオンズクラブというのは、アメリカナイズされているはずですから、感謝祭パーティ、クリスマスパーティなど、数か月に一度、もしくは、一か月に一度、会議の二次会としての、私的なパーティがあるはずで、夫婦同伴のはずです。お子様が居れば、大学生以上は出席が可能だと思います。
そういう時に見つけた、きれいなお嬢様を、何らかの会議の役員にして、出席させるという事などはあると思いますよ。
それはね。神奈川県立近代美術館の館長だった時代の、酒井忠康氏が、私のご近所人間、大原光孝さんの、お嬢さんを美術館の職員として雇ってあげたことなど、類例がたくさんあるので、推察ができるのです。
大原家の令嬢はフェリス出身で、いわゆる神奈川県内有名大学同士の合コンによって、割と早く婚約が成立していました。しかし、婚約者の実家が固い職業(国家資格が、必要な、いわゆるサムライ資格を、持っている家だと、推察しています。で)の人で、これからお嫁さんとして、自分の家に入ってくるお嬢さんの父親が、ふーら、ふーら・・・・・(これは、光孝さんが、自転車で、鎌倉市内へお出かけするときの様子をある人間が形様した姿勢ですが、まさしくその通りだなあ.いい得て妙だと、私は、思っていて、ここにも採用をさせていただくのですが)・・・・・
していて、一回も宮仕えをしたことがないので、心配したのだと思います。ただし、奥様が、病院の経営者の娘なので、彼女には、役員報酬などの形で、流れるお金としての給料が入っていると、思いますので、家族全員としては、貧乏ではないのですが、画家である光孝さんの方が、そのころは、収入が不安定で、かつ少ない(洋画家ですが、有名人ではない)のをいぶかしんだので、
お嬢様が固い職業である、近代美術館の職員として、採用をされることは、大原家全体に対する救済に当たるのです。
ただし、フェリスには、美学を教える専攻はないのです。だから、これは、当時館長だった酒井忠康氏の、個人的なエコひいきの最たるものでしょう。で、そこから、もっと権力の大きい、大野知事のえこひいきも、あれこれあるんだろうなあと、推察しているわけです。
ところで、この酒井氏のごひいきぶりを語ってくれたのが、奥様の方なのです。大きな違和感を感じて、その後、あれ、奥様って、酒井先生と深い関係に陥っていますか?と、推察する様になります。
というのも、私と、大原夫人って、それ以前には、立ち話を交わしたことがないのです。それは、大原光孝さんが、「自分たちは、この山で、一番のエリートだから、君は、お姫様の位置にあるのだよ」という様な、印象を妻君に与えていたので、大原夫人は、この山の中では、だれを相手にしても、立ち話をするために、立ち止まるという事は無かったのです。安野夫人が主催する井戸端会議を、軽蔑していたからでしょう。それは、私も同じです。前田清子さんの声が、特に大きくて、家の中にいても、意味がはっきりと聞き取れるので、何を話題にしているのかが、ほとんどわかっていますが、くだらない事、はなはだしいです。例を挙げても、いいくらいですが、今日は、男性陣が主役なので、前田清子さんについては、字数を割きません。
で、この山の主流派・主婦・集団を軽蔑している筈で、ほとんど立ち止まって、ご近所主婦と話すことにない大原夫人が、
どうして、小町通りという繁華な場所で、その日だけ長話をしたのでしょうか? 私が、その日直感として感じたのは、ともかく、彼女は自慢をしたいのだろうと、言う事です。何を自慢したいかと言うと、「自分は、酒井忠康氏と、特別に親しいのよ。でも、あなたは違うわよね」と言う点でしょう。
彼女は女子美卒です。しかし、美術系作家としては活動をしておらず、フランス語を教える、シロガネーゼとして、活動をしている人です。フランス語を習いたいと、言う人は、ヨーロッパへ行きたいと願っている人が多く、したがって、経済的に余裕のある人が多いと思います。つまり、中流の更に上の人たち‥・・・でね。そういう人間に対して先生格なので、さらに、上をいくわけですから、大変高い自信を持って居る人です。でもね、育ちがいいですから、この山の主流派軍団主婦みたいに、無礼なこと=挨拶をしなかったりは、ありません。あくまでも上品です。
ところで、酒井忠康氏とは、どういうひとであるかをここで語らないといけません。げんだいあーとにくわしい人は、「私は知っていますけれど」と、おっしゃるでしょうが、分野が違う場所で、生きている人は知らない可能性もあるので、ここで、少し解説をします。
慶応の哲学科を卒業して、神奈川県立近代美術館に勤務し、館長を長らく務め、60代で、退官して、その後世田谷美術館館長となり、82歳まで、勤務した美術界の大立者です。
この件を後半で、私は批判をします。特例もいいところで、酒井氏に多額の月給を、20年分余分に与えるために、公立だった、世田谷美術館を独立法人化したのです。そして、その真の目的を、カモフラージュして隠すために、全国の公立美術館を独立法人化したでしょう。するとね。予算が足りなくなって、火が消えた様になった公立美術館は、多いはずです。また、美術館だけ突出させてもいけないということで、国立大学付属中学とか、高校も独立法人化されたそうで、予算が足りなくなって大変だそうです。
一方で、高校の学費を無償化する案もあるそうです。これは、本当におかしいです。この山なんて、今、三分の一の家は、子供を産まなかったご夫婦が住んでいます。子供って、普通の場合、育てるのが楽しいものです。それに、老後など、
そういう大モノを批判するのです。これからね。だから、非常にあざとい文章となるわけですが、矜持を高く持って居る私がなぜ、そこまでの文章を書くかと言うと、
この章の主役の大原光孝と言う人物が、我が家に侵入をして(合いかぎをすでに、手に入れていて)ひどいいたずら(大切な絵を盗んだり、本を盗んだりしているから)ここまで、書くのです。大原光孝さんの、お嬢さんの連れ合いは、国家資格(さむらい資格)を持って居る偉い人です。そういう人の義理の父が、合いかぎを持って居て、我が家に侵入をしているのです。
一つ証拠があります。私はね。1990年、小町通で、素晴らしく感じの良い、お嬢様と出会って、「どうか、絵のモデルになってください」とお願いをしました。住所や、電話番号を渡して置いて、待っていると、△日(△曜日)△時に伺います。と言う電話をもらいました。それで、せっかくのチャンスだから、その時、すでに、道端の立ち話で、大原光孝さんが画家だって知っていましたのでね。
彼に一緒に描きません?」と言ったのです。すると、「その人色が白いですか?」と、彼が言ったのです。ちょっと言葉に詰まりました。その人はたまたまサーフィンか何かスポーツが趣味だったらしくて、肌が日焼けしきっていました。でね、「いいえ、白くはないです」と答えると、「僕はね。色の白い人が好きなのです」と言って断ってきました。
:::::::ここで、又余談に入ります。私はね、日吉台小学校に、小三で転校してきたのですが、その転校して来たばかりのころ、上級生から、「嫌だ。あの子おしろいつけて、学校に来ている」と言われた程、色が白いのです。
それを証明する写真が、全くないのですが、今は、老人化してしまって色素沈着気味ですが、大原さんが、『僕は色の白い人が好きなんですよ』と、私をまっすぐ見つめながら、語ったころは、25年も前ですから、私はまだ、まだ、色が白かったのです。
その日の事を、ちょっと、脚色をつけて語ります。私は、その瞬間、「この人って、私の裸でも描きたいのかしら?」って思ったのです。彼はね。私に対して、特別絡んでくるのです。その絡むと言う形の第一が泥棒です。この時の絵が盗まれているのです。でも、我が家に女性を描いた絵は、二枚しかなくて、一つは、ママ友の肖像だから、若い女性を描いた絵は、一枚しかありません。
それが盗まれているのです。でね。盗まれた事すら、気が付いて居ませんでした。だって、33坪ある我が家で、私にとって、大切なものって、何万点もあるのです。毎日、この女性のドゥローイングを持ち出して、眺めるわけでもないですから。
で、盗まれたことに気が付いたのは、この絵が返してあったからです。どこに返してあったとお思いになりますか? なんと我が家と、西隣の白井さんの間に在る側溝の中に、捨ててあったのです。
上の写真では、黄色い矢印で、示した家が、白井さん宅です。赤い矢印で、示した家が我が家です。その間の低くくぼんだ所に、側溝があるのです。東西に、幅30cm、南北に、長さ1200cm。その上に、大型キャンバス(100号)を、崩した木枠を、30㎝長さに切って30本程度並べていました。山に近い側は、500㎝位暗渠になっているので、道路(写真では手前)に近い方、600㎝ぐらいに、幅6cmのカンナがかかった、美しい杉材で、できているものを長さ30cmの桟にして、暗渠以外の部分に並べていたのです。ここは、上の写真で、御覧になることができる様に、樹木が多数あって、それが、風を遮るし、その桟は一本一本が、結構重量がありますから。風で吹き飛ぶわけでもないのです。それに、この側溝のそばは、意外と日が当たるので、花が咲く前のを鉢を置いていたので、私は当時、しょっちゅう、そこに入っていたのですよ。
彼が、その側溝内に、その美しい女性の絵を、我が家の二階から盗み出して、そして、数年間彼の家の外に置いて、めちゃくちゃにした上で、そこに捨てたのです。
ここ、まだ、まだ、未完成です・。だけど、午前四時になったので、もうやめます。まだ、お台所片づけなどが残っていますので。続きを書くのは、お待ちいただきたいと存じます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/0c/4143814b6a72840bdebc4c86b53d3458.jpg)
この時の美しい女性は、なんと、恋人と一緒に来たのです。その男性は、私と一緒に、別の男性が待っていて、密室内で、その男性から、セックスを迫られて、それによって、彼女がセックス産業にでも売り飛ばされたら大変だと、思ってついて来たらしいのです。で、私は疑われたわけで、委縮してしまって、絵が上手に描けていません。残念ですが・・・・もしかして、大原さん、これを酒井先生に見せて、酒井先生が下手だねとおっしゃったので、捨てていいと思ったのですか?
でね、大原光孝さんの方だったら、酒井先生と縁があるというのもわかるのです。中島千波・芸大教授もかかわっている話ですが・・・・・
これは、「ワインが割れて」というエッセイーに詳しく書いているのですが、私は、2017年まで30年にわたって、銀座で、画廊巡りをしているのですが、新橋駅から、帰ろうとする場合、高速道路の下に、ハナマサという銀座のバー向けのスーパー(何もかも、一袋の量が多くて安い)があって、ワインが、たくさん置いてあるので、とっかえ、引っかえして、二本ずつ買ってきていた時があるのです。👉👉
尚、挿入となりますが、その22年後の今では、お酒類は、ほとんど飲みません。コーフィーでも、だめになったぐらいなので、体をいたわって、アルコール類は、ほとんど飲まないのです。でも、それゆえに、日本酒のおいしさが、際立って感じられる様になり、夕食のおかずが、特に美味しくできた時は、日本酒を半合呑みますが、ワインは、飲まなくなりました。ビールは、お客が来た時以外は、飲みません。我が家は夫(主人)がアルコールがだめな人なのです。ALCOHLを分解しない人がいるらしくて、そういう体質なので、妻の私も、ほとんど飲まない人ですが、夕食のおかずが、飛び切りおいしい時は、飲みます。
👉👉 当時、鎌倉砂岩を用いた石段は、荒れ果てていて、石段を、80段ぐらい上ったところで、ワインが割れたのです。左手のレジ袋に2本のワインを入れて、駅からずっと歩いて来ていたので(年齢は、60になったばかりで、今から、20年は前ですが、それでも、1965年のトルエン類を大量に使った化学実験のせいで、体が弱くなっているものですから)、ちょっと休もうとして、石段に置いたのでした。一段の表面が鎌倉砂岩であるがゆえに、ボロボロであって、ワインの瓶は、レジ袋から転げ落ちて、コロコロ、コロコロ、ガッシャーンと音を立てて割れたのです。あたり一面に赤ワインのにおいが立ち込めて、『困ったなあ。割れたガラスを拾い集めるのは、当然だが、このにおいを消すためには、どうしたらいい? じょうろに水を入れて、持ってきて洗うとして、何回上下しないと、このにおいが消えないだろう?』と、考えていたのです。するとね、
夜の九時過ぎなのに、(というのは、そういう時間帯に、外にいることはめったにない)大原光孝さんが、これもまた、めったにない、スーツ姿(サマーウールで、薄いグレーだった)で、追い抜いて行ったのですが、その時、「川崎さん、ワインが割れて、惜しかったねえ」と、言い放ちながら、去って行ったのです。その時、音声では、出していなかった、「へーら、へーら」というセリフさえ、聞こえる様でした。
:::::::::ここで、挿入に入りますが、このセリフの10年後ぐらいに、今度は、すれ違いざま、「川崎さん、この山の人は、みんな川崎さんが、離婚をするよ・・・といっているよ」と、言い放ったのです。私は、すべて、言い返しません。リアルな世界では、けんかをしない主義ですから。だけど、文章としては書きます。この時も、音声では、聞こえなかった「へーら、へーら」が、まるで、聞こえて来ている様な、調子でした。この離婚云々のことは、あとで、もう一回丁寧に書きましょう。酒井先生と、大原夫人との関係も、彼のへーらへーらに、怒っているので、なぜ、これほど、他人を馬鹿にするのですか?と、考察しぬいた、結果わかったことですからね。::::::::で、元に戻ります。
これは、22年ぐらい前の話です。場所は、近代美術館内の、応接室などで、懇談会が、開かれて、主役として、大原光孝さんが、盛り上げられたので、『自分が、とても偉いのだ』と、錯覚をした部分が多いと思います。なぜ、彼が、持ち上げられたかというと、
美術評論家として、非常に人気が高くなっていた、私を追い落とす道具として、彼が、リクルートをされたからです。私は、自分が美術評論を書いているという意識は毛頭ありませんでした。常に、頭の中に浮かんだことを書くというのが、パソコンで、文章を書き始めてからの大方針であって、銀座や京橋で、作品を見たら、感動して文章を書くという形です。
大きく、大きく感動したら英語でも書き、90日間、× 2回という形で、滞在していた、ニューヨーク・ミートマーケット(ウエストチェルシー)辺りの、有名画廊にも、そのメルアドを利用して、送っていました。もしかすると、私が取り上げた作家さんたちに対して、ニューヨークから、「今度、こういうコンクールをするから、まず、JPEGで作品を送ってみてください」というお誘いなど、来ていたかもしれません。そうしたら、私の文章が、具体的なメリットを、その作家さんたちに与えたと言う事になりますね。それは、評判が上がるでしょう。
しかし、やめてしまったのは、京橋三丁目で、画廊を開いていた、山口みつ子さんが、殺されたからです。自殺と喧伝されていますが、違いますよ。山口みつ子さんは、私が政治的に弾圧を受けているのを知っていながら、それでも、美術系作家として個展も見てくれて、上等だと知ってくれていた人でした。彼女は、野見山さんから、「川崎千恵子とは付き合うな」と、命令をされていたのに、野見山さん自身は、みつ子さんの思慕を知りながら、山口千里さんを秘書に採用してしまったので、CIA陣内にいる人=野見山さんがどれほどに不誠実かを知っていたのです。
そうですよ。野見山さんは、病気になったから戦場から早く返されたと、言っていますが、真相は、お金の力で、船上から、解放されたのでしょう。だから、罪の意識を持っていたのです。
:::::::::ここで、第二の挿入に入ります。角野栄子文学館に行ったら、動画のキャプションとして、お嬢さんの個人名が出てきたのです。窪島何とかさんですって。角野から、窪島さんと、苗字が変わっているのです。譜とお見合いで、結婚が成立したと仮定して、相手の、苗字から、窪島誠一郎さんの、息子ではないかと思ったりしました。こうして有名人同氏は、お互いを助け合い、上流社会を形成していくわけです。私は窪島誠一郎さんのものは最初期のものを読んだだけですが、納得ができません。エーリッヒ・ケストナーの方が、心が深いです。靴修理人という下層社会の、人間である父親を、母親と、一緒になって、阻害していた、自分が、申し訳なかったと【私が子供だった頃】の中で、いっています。窪島さんは、明大前、徒歩10分以内という一等地を、相続していて、しかも、小さい時に育ててもらったのにもかかわらず、養父母を、大切にせず、自分を捨てた水上勉の子供だったことに欣喜雀躍をしています。
有名人だとえらいのでしょうか? 軽いねえ。ところで、角野栄子さんのお嬢さんが、窪島誠一郎の息子さんと、結婚をしているのだったら、窪島誠一郎は、自らの上流階級化の達成を、見ることができて、満足していることでしょう。その窪島誠一郎の無言館に、ぴったりと寄り添って、NHK特番を作ってもらっている野見山さんです。だからこそ、戦争から、お金の力で逃げたのだと、思いますよ。野見山さんについては、まだ、まだ、書くことはありますが、今日はここまでにして::::::::元へ戻ります。」
私は、みつ子さんと同性の女ですから、彼女に性的な快楽を与えられないし、今のところ、文章も絵も、お金を稼げるものではないから、経済的扶助は与えられません。だけど、彼女の恋心は、すべて理解し、じっと見守っていたのです。お互いにそれを目顔だけで語り合っていました。生涯で、一番の友となるはずでした。それがわかっている敵さんたちは、2010年1月31日が、閉鎖日となっている画廊閉鎖を待たないで、1月17日に、殺したのでした。私は、それから、7年間、うちに、大きな悲しみと罪の意識に苦しめられながら、生きてきたのですが、2017年五月に、とうとう、真相をぶちまけた、ブログ文を書いたのです。
それはですね。ギャルリーユマニテのオーナー、Mr 十束が、むっつりすけべーの政治版の、典型的人であって、一月ごろから公開していた引っ越しの予定を私には、教えてくれなかったからでした。
しかし、真相を書くという事は、・・・・・私が、政治的な大物ゆえに、山口みつ子さんが、殺されたのだ・・・・・と、いう事を世間に開示したという事です。その時以来、私は、味方として現れた人に関しても、文章を書かないし、感動した作品を作った、美術系作家についても書かないと、決めたのです。
最も優れた部分で、翼をもぎ取られたわけですが、命を失った、山口みつ子さんに比べれば、自分を、罰するのも、仕方がないことでしょう。で、非常に、不自由になりました。だが、敵として攻撃して来る人が後を絶たないので、それについて書いて行くと、汲めども尽きぬ、泉となるのでした。
大野埼玉県知事など、その典型的、逸材(?????)です。彼は、数年前に敵として、行動をしているのですが、今般、神様に叱られていますよね。全国的に道路陥没は起きているのですが、
74歳のトラック運転手の遺体が、濃硫酸で、溶けてしまったというのは、1952年に読んだ(多分、江戸川乱歩作の、)王水を使った、ミステリーを思い出させるほどに、一方で、悲しい話であり、一方で、30日に開かれることがあらかじめ、決まっていた新県庁舎建設、検討委員会を、優先した、大野県知事の醜悪さを際立たせる話であります。これ以上、今、書くべき格好の話題は、ありません。
これは、2025年の話ですが、23年前に戻ります。ワインが割れた日に戻ります。その日大原光孝さんは、神奈川県立近代美術館(当時は、本館と呼ばれていたかな?)の応接室で、
中島千波さん(桜の絵で、有名な日本画家、横浜出身 鶴岡八幡宮の、ぼんぼり祭りの縁で、酒井忠康氏とは、親しいはず・・・・・特に問題なのは、当時すでに、芸大教授だった可能性が高いこと。芸大の教授が、他人の、主題を剽窃した、大原光孝さんの、しかも、
日本画とは、とても言えない作品を、入選させたこと。・・・・つまり、日本にウランを売りつけて、日本から、大金をせしめている、アメリカの大富豪の手先として動く、鎌倉エージェントの、そのまた手先として動いたこと。恥ずかしいでしょう。
まあ、一専業主婦にしか過ぎない私が、芸大教授に対して、そこまで書くのは、大野埼玉県知事と、どちらが偉い人かを比べる為です。大原光孝さんが、「春季院展に入選しました」と私に知らせてきた作品は、
創形美術学校の後輩の主題です。VIVANTいう有名画廊が、ビルの建て替えで、奥野ビル一階に、小さな部屋を借りて、営業していたころに、見つけた作家ですが、マチエールがすごいのです。三号程度の小品なのに、マチエールが、すごいので,すでに、画料が高い作家となっていました。
そして、テーマは、都会の、コンクリートが、はられた校庭で、遊ぶ子供たちを、屋上から俯瞰をするというテーマです。三号程度の、小さな画面に、20人ぐらいの子供を入れ込むのですから、慎重な筆さばきを必要する絵でした。しかし、大原さんの絵の方は、30~50号だったので、遊ぶ子供たちも、割と、大きなサイズですので、書くのが楽なのですよ。
しかも三越の、春季院展って、コレクター向けに、日本画を売るという傾向もあるわけでしょう。そこにべニア板にアクリル絵の具で、描いた(または、油絵の具で描いた)、サイズの大きな子供たちの遊ぶ姿です。緊張を要しないで、描くことのできる絵です。その時、審査員をした、ほかのメンバーは、油絵を、みていないのでしょうね。だから、ひょうせつだと知らなかった。国画会の審査会場でも、二度問題が起きています。芸大卒でどこかの美大の教授をしていた・W・という画家がイタリアの、具象絵画作家の絵を、20年間にわたっても法をしていたケースです。
なお、これは、途中ですが、午前6時になったので、寝ます。お許しください。82歳なのでね。
@@@@@@ここが書きかけ中の最先端です。
(大原光孝さんですが、今、10年以上奥様が家出をしていますが、無事に生活ができているので、多分給料をもらっていますよ。内閣官房機密費から出ているか、生活保護費をもらっているという事です。
何の仕事でといえば、私を苦しめる作業でです。2007年ごろから、彼が、合いかぎを持っていて、私たち夫婦がともに外へ出ている時間帯に、わが家の額を斜めにしたり、ギリシャ、神託の都市、デルフォイの、神殿を写生した、水彩画を、切り裂いて帰ったり、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/4e/0b0dd451169d591776387324bfdcd700.jpg)