これも、国画会問題に関する章です。4報前 島田章三さんは妻鮎子さんのモチーフを応用しているけれど、そこにオリジナリティの問題はないのですか?
に書いたことで、気にかかることが出てきました。ので、補遺として以下を書きます。なお、2014年2月15日中の総タイトルは、『島田章三さんを、再び取り上げる。三すくみ理論を、長瀬いずみに知らせるために』としておきましたが、16日、午前9時から推敲加筆を始めるに当たって、タイトルを変えました。それが、『前篇ー国画会・会員廣田成生が示した卑怯さから、演繹される、島田章三氏の、狭量さ』でしたが、いま、さらに、総タイトルを変えました。そして、途中で、大量に加筆してありますので、お暇があったら、もう一回目を通してくださいませ。
そして、推敲が終わったしるしとして、総タイトル横に△印を点けておきます。
副題1、『島田章三さんは、お金を集めるのが上手な人だと、愛知芸大内部で認められていたそうだ』
副題2、『『身内をほめるのは、日本人の習慣には、通常のこととしては、ないことだ』
副題3、『上野の都美術館と、六本木の新国立美術館では、どっちで、開催する方が、発展するかな?』
副題4、『日展って、年間5000万円ぐらいの収支で運営されているかな?・・・・・と、最初に思ったが、違うでしょうね。もっと高額のはずです』
~~~~~~~~~~~~
副題1、『島田章三さんは、お金を集めるのが上手な人だと、愛知芸大内部で認められていたそうだ』
気にかかることと言うのは、国画会の実質的トップである島田章三さんの実妹、KOさんが、頭が悪いみたいと言っているところです。その方を最初は、実名で書きました。それはね。私が嘘を書いていないと、読者の皆様に感じていただきたくて、実名を書いたのです。ただし、人間とは、誰だって、いいところと、悪いところを持っているわけですね。彼女にもいいところがあるし、一応一般人なのです。
このたび、長瀬いずみという作家(国画会準会員だそうです)から、非人間的な扱いを受けて、私はひどく怒ってしまい、彼女に『三すくみの法則』を教えるために、島田章三さんのなした悪というのを書き続けているわけです。そのために実妹の。KOさんの諸行状を分析する必要が出てきたのですが、しかし、それは、作家であって、自分を強く売り出していかないとならない長瀬いずみが原因ですから、『普通の人であるKOさんのことは、少しは隠してあげましょう』と思い始めています。また、仮名で書いた方が思い切ったことが書けますし、得な場合もあるからです。
私の想像ですが、大沼映夫さんと、島田章三さんが、固く結びついたのは、この妹さんのところで出来上がった姻戚関係が重要であって、その二人が固く結びついているので、島田章三さんは、国画会の中で、隠然たる勢力を保持していて、・・・・・国展、神奈川支部展に、国と言う字を使うなと言う命令まで、なさるほど、傲慢なのですから、この結婚は、とても重要です。
で、KOさんは、夫側の親戚として大沼映夫・芸大教授がいて、自分側の親戚として、愛知芸大教授・章三さんが居るわけですから、どうしても、内心で、自分はエリートだと言う意識が強くなってしまいます。
でね。彼女が広報委員長と言うPTA三役のひとつを引き受けたのは、無論のこと、互選ではなくて、学校側からの依頼でしょう。選挙はありませんでした。
ただね。本当に大沼映夫さんの名誉とか、お兄様の名誉を守るつもりだったら、目立つ立場には立たない方がよかったです。
24人ぐらい居る、平役員を、だいぶ、いらいらさせていたと思いますから。そこへ持ってきて、島田章三さんの小サイズのリトグラフを、8000万円で、横須賀市が、買ったという事実が、人々の間に蔓延していて、それに対して、ご近所様ほど、疑問符を持っているわけですね。
私は歌人だったと聞いているお母様に問題があったと、推察しているのですが、島田家そのものが、ご近所様に、好かれていなかったと思うのです。だって、KOさんが、鎌倉の私学S学園に通学していて「ご近所様と、我が家は、ちょっと、違いますのよ」と威張っていたのに、
高校から、さして名門でもない県立高校に変わったと言うことは、そのPTAの集会の時より、20年近く前のことなのに、平役員が、転入者として暮らしていて、昔を知らない、私に、教えてくれると言うのは、彼女がどれほど、周囲をいらいらさせていたかが、うかがえますでしょう。
そのリトグラフが、8000万円といううわさですが、これは、1970年代か、1980年代初めの話ですから、ちょっと法外な値段付けではあるのです。ただし、私は当時から美術好きな人間でしたので、多分一枚ではないだろうと思いました。ひとつの個展で発表した一ロッドの作品、30枚ぐらいを納入して8000万円だと思います。
だけど、無論のこと、横須賀市は、油絵を相当数買い求めてある筈だし、箱物そのものも、ほぼ、島田章三の個人美術館の趣があるので、この、40年間で、横須賀市の税金の中から、どれほどのお金が、島田章三へ、注ぎ込まれたかは計り知れないほどなのです。
それは、やはり、心静かにものを考える人にとっては、異常ですねと、感じ取られることであって、猪瀬知事を責めるどころではない、審議が必要だと思わせる支出ですよ。
そう言う風に集めたお金を、島田さんは、個人的にも使ったのかもしれませんし、また、一部を、ご自分が教授をしている愛知芸大に注ぎ込んだのです。芸術って学習にもお金が要りますから。
「島田さんは、お金を集めるのが抜群に上手な方だったのです。島田さんが、退官されたら、愛知芸大はお金がなくなっちゃって、閑古鳥が鳴いています」と言う人が居ました。さもありなんと、思います。
その様に、島田さんは、ほいほいと、お金を集めえる人なのですが、その原因のひとつに、横須賀市には、基地があり、日産自動車があるわけです。ゴーン社長が着任してから、日産自動車は、下降気味です。なのに、一年で、9億という大金を給料として得ているゴーン氏はとんでもない人物ですが、ゴーン社長が送り込まれたちょうどその頃、うちの主人が、社外へ、転任させられたので、こう言う人事の裏に、瀬島隆三たち、日本最上級のエージェントが絡んでいると、推察できます。
で、その日産から、入り込む大金の信じがたいほどの部分が、島田章三さんに、流れ込んだわけですが、もうひとつの、あぶく銭ラインが横須賀市にはあるわけですね。
基地に注ぎ込まれる『思いやり予算』と言うものです。私は米軍基地というのは、日本人を監視し、抑圧するために置かれているのだと、みています。そう言うものに、日本人は働いて、働いて、税金として、貢いで、居るのです。悲しい大矛盾です。ものすごく悲しい立場ですが、そう言うあぶく銭があるからこそ、潤沢なお金が、島田さんへ流れ込むことが可能なのです。基地関連のお金は、なんとなく秘密にされ、ベールに包まれています。そう言うお金を右から左へ流しても、監査が聞きにくいのです。
日本人が汗水たらして働いた悲しいお金を、一人で大量に、がめ続けているのが島田章三さんなのです。無論、島田章三さんに言わせれば、愛知芸大へ注ぎ込んだのだから、文化に寄与して居るのだと言う事になるのでしょう。だが、愛知芸大は、愛知県とか、トヨタのお金で運営されるべきでしょう。横須賀市のお金ではないでしょう。そこは、おかしいです。
そして、後発のしかも地方大学へ、教授職として、付かなければいけなかったと言うのは、上司の往時の芸大教授に疎まれていたと言うことをも示唆しますので、そういう小さな大学へ送り込まれた自分の核を上げるために、大金を注ぎ込んだともいえるので、そう言う意味では、結局のところ、自分個人を救うお金であったのでした。
~~~~~~~~~
副題2、『『身内をほめるのは、日本人の習慣には、通常のこととしては、ないことだ』
あのね、その潤沢なお金が流れ込む影に、後に副市長に上り詰める、杉本夫妻ほか、と言う存在があると思いますが、三すくみ理論をあげれば、・・・・・長瀬いずみは、上下関係のあることを信じている人間らしいので、・・・・・ここで、はっきり言えば、「あなたより、島田章三さんは上でしょう。だけど、私は、島田さんを、いろいろな面から、断罪できるのですよ。まず、杉本夫妻の弱点ははっきり知っています。猪瀬知事どころではない、裏があります。どす黒い裏があります。それをここに入れ込んで書けば、島田章三が、懐へ掻き込んだお金が、おや、おや、汚い裏があるのですねと、どなたも納得をなさると思いますよ。それで、いいのですか?」となります。
KOさんが、杉本正子さん以外の役員からは、『この人、変ですね。トップの、器ではないでしょう』と思われていたのは、まず、お子さんを病気でなくしていることが上げられます。事件ではないです。ご病気です。
ここですが、もう少し言葉を添えると、シューベルトの歌曲に魔王と言うのがあります。あれこそ、こどもが病気になった時の親の気持を表わす歌です。誰だって、子どもが高熱を出して、うわごとを言う日など『あ、うちの子が死ぬかも知れない』と思う瞬間はあるのです。だけどなんとかして、潜り抜けます。その何とかした努力の部分ですが、どういう努力をその母がしたかが、大切なのです。そして、こう言うことには、別に、試験があるわけでもなくて、母としてのお成績がつくわけでもないが、大きな体験であって、乗り越えれば自信が尽くし、のりこえられなかったひとに、対しては、他の人はある種の判断を下すわけです。
こどもを病気で亡くす、お母さんって、現代では、信じられない、ミスをしたお母さんと見なされます。みんな表向きは同情しますよ。だけど、内心では、『駄目ですねえ。この人は、不注意なのか、おっちょこちょいなのか、どちらかなのでしょうね』と思っています。
飢餓に苦しむアフリカではないからです。それから、日本で、一戸建て住宅が建っている様な場所は、フィリピンのスラム街に住む貧しい子供たちが、金目のものを拾うゴミ捨て場ではないからです。細菌があふれかえっている場所ではないからです。あのね、賢さとは目立たないものなのです。きんきんぎらぎらと、誇るものではありません。他人が見ていない場所で発揮をしないといけないものなのです。
ケーキを焼くのはお上手です。でも、・・・・・・
さて、最後に、これが、もっとも重要なことなのですが、彼女は身内である兄を誇る話しをするのです。広報委員会って、多量の時間を使いますので、私的な会話を交わすことは多々あるのですが、お兄さんの自慢をするのは、聞きづらいものです。
一般的な通例として、身内の自慢をしないのが、日本人としては、普通でしょう。だって、二人だけで、お茶のみをしているわけではないです。お母さんたちだけが、参加している場所ですが、それでも、一応の公的な場所です。
他人がほめてくれても、「あら、そんなことはありませんよ。面白い兄でしてね。こんなエピソードがありますわ」と言う風に、笑い話で、返してくれるのが、一般的な対応でしょう。社会慣習上の、ルールに照らし合わせても、そう言う風に、人のオマージュを交わしておいて、決して威張らない方が、頭がよい人だと思うのですが、それが、わかっていらっしゃらないのです。それが不思議です。やはり、『この人も、また、井の中の蛙であって、東京の中心に居る一流の人ではないな』と思うのです。
が、話を聞いていると、一流の人となるための工夫が、島田章三さんの方に、いろいろあったみたいです。で、そう言う工夫をする兄が、一流の人であると信じて、妹さんは、兄を、ほめまくるのですよ。聞いていて、片腹痛いです。
鮎子さんと結婚することを含め、ありとあらゆる工夫があったのです。そうなると、社会通念上、鮎子さんの友人は、島田章三さんの方に遠慮をします。また、ここにあげているKOさんを結びつきのツールとして、堅固な間柄になった大沼映夫さんの知人も、島田章三さんには、遠慮をします。そして、そう言う風にいったん得た特権を、今度は、別の工夫を用いて、他の人には渡さない様にする、そういう工夫もあるのです。私としては、KOさんの自慢を聞いていて、ただ、『うーん、参った。参った』と思うのみです。
よく男性については、外へ出たら、七人の敵があると思えと、言われています。それは、女性についても同じです。他人は、厳しいものですよ。柔らかな関係を作りたいから、みんな本当のことは言いません。だが、意外と厳しいものなのです。内心で、見事な判断をしているものなのです。
KOさんもある程度は、その逆風を感じているから、毎週、豪華でおいしいケーキを焼いてくるわけです。だけど、モノやお金では、人の心は買えません。
彼女が話したことの具体例を書きたいぐらいですが、それは、書く事に対する自主規制を、70%ぐらいの範囲で緩め、拡大する、ことになるので、今は、全体のバランスを考えて、控えておきます。
ともかく、島田章三さんって、超・防衛的な姿勢であって、美術界において、広く大勢の人を救い、教えると言う姿勢ではありません。ご母堂の頃からの、一流の人になる、上流階級になると言うことは、着々と、達成されているのですが、それが、芸術家として、立派な姿勢かと言うと、ぜんぜんだなあと、私は感じるのです。特に公募団体展のトップとしては、『違うなあ、こういう人がトップを取るべきではないのよ』と思います。
『一般の世界のビジネスマンとして、勝ち組を目指すとか、成功者を目指すのなら、今までとってこられた手法は、立派な行動でしょうが、芸術家として、立派な人を目指すと言う意味では、まったく尊敬できないものですね』となるのでした。
~~~~~~~~~~~
副題3、『上野の都美術館と、六本木の新国立美術館では、どっちで、開催する方が、発展するかな?』
私は国画会の事を、公募団体展のトップクラスであると、言っています。それは、新国立(六本木)が設立されていない時期の1950年代から、親に連れて行ってもらって、上野の都立美術館で、各種の団体展を見ていて、さらに、自分が出品をはじめようと思って、どこが、内容的に、いいかなあと全部見回ってみた挙句、判断をしたことです。
ただ、これは、絵が好きな人間であって、当時一度銀座で個展を果たしているセミプロの段階の人間の判断であって、横尾忠則さんみたいに知名度として、さらに上の人間とか、失礼ながら、知名度や習熟度において、さらに下の人間が見れば、スケールのゼロ地点が移動するので、違った判断になるでしょう。
そして、自分で絵を描くつもりがない、普通の人にとっては、まだ、違った判断がなされるのも知っています。マスコミの宣伝力や、歴史的背景やら、知人の勧めで絵を見に行くと言うことになると、日展が、有名です。その日展ですが、ポスターなどを貼って、美術の秋と言う言葉を、生んだほどの有名な団体展です。で、基本的なことを申し上げると、これが、官展という戦前だと、文部省が、支援運営していた日本の公募団体展の始祖なのですが、アカデミズムの縛りが大きいので、フランス帰りの作家辺りが、「あれは駄目だよ。息が詰まるよ。僕たちは新しい団体を作ろう」と言うことに成って生成したのが、在野の団体展であって、二科展がとても有名です。
ところが、団体展って、あまり規模が大きくなると、運営不可能になるらしくて、分裂して行くのです。それに停滞も起こります。岡本太郎が、古い、と言って、二科展を脱出したのは、皆様も周知のことでしょう。
その規模のことですが、日展だけは、一水会などの、下部組織がある形なので、図体が大きくても運営が可能みたいですが、そう言う仕組みを持たない団体展は、適切な規模があって、そこにはみ出た人は、また、新しい団体を作って行くわけですね。
昭和の戦争が始まる前に、文化的に自由度が高かった時期があって、その時代にまず、多数の団体が、でき他のです。現在87かいめの国展を数えた、国画会は、そのうちのひとつです。
さらに、戦後、自由度が増して、団体が新しくできました。中には、新規参入者を紹介のみにとどめ、新しい人に対する審査を、しないで、・・・・・と言うことは、審査料で、儲けると言うことをしないで・・・・・会員組織だけで、運営をされているところもあって、東京展とか、立軌展とかが、あります。
で、数がどんどん増えたので、上野だけでは展示できないと言うことになって、国立の大規模な貸し画廊ができました。それが、六本木の新国立美術館であって、抽選で、そちらが使える団体と、使えない団体ができると言うことになりました。
抽選は文化庁か、文部科学省のどちらかで行われたのでしょうが、公開だったのかな? もし、非公開だったら、裏にはいろいろな、暗闇が潜んでいると思います。
だって、国画会と仲良しな、独立などの、団体展は、みんな新国立へ移動をしています。残された団体展は、比較すると小規模です。その上、都美館は、その移行期を、めがけたのではないかなと言うほどの嫌な時期に、改築に入り、長らく使えませんでした。
これは、公募団体展に対する、弱肉強食度を強め、新国立美術館に移った方を発展させたいと願う、裏があったと、私は推理しています。
でも、悪魔さんのアイデアも、だんだん平坦化して、元へ戻る事もあるのです。それは、猫をいじめきる時期があったり、・・・・・(私が猫を好きだし、このブログで、石川和子さんと言う陶芸家と、私の猫をめぐって、大きなトラブルがあったと書いていますのでね。そう言う時期があったのです。まあ、黙って嵐の過ぎ去るのを舞っていたら、今では、猫をいじめるムードがなくなりました)・・・・・他、多数例に、すでに、気が付いています。悪魔のアイデアも元に戻る問題は、終わりとさせていただいて、美術館の問題へ戻ります。
新国立へ移った方は、「自分たちは一流であって、有象無象の小さい団体展を、抜かして、すっきりとした会場で、開いている」との、誇りを持っているかもしれませんが、意外にも、伸びるのは、上野の都美館に残った方かもしれません。
ところで、それが、重要なのは、今回、長瀬いずみという国画会準会員に、異常なレベルで、攻撃的な軽蔑を受けたわけですが、そう言う心情を涵養したのが、『私たちは、新しい、輝かしい会場で、展覧会を開いている方の団体なのよ』と言う形からの誇りも寄与していたかもしれないからです。
地下鉄乃木坂は、新宿や渋谷より、近い様に見えます。だが、公募団体展に、見に行く人は老人が多いのです。だから、新しい地下鉄にはなれていません。老人は、上野に慣れている人が多いのと、芸大美術館、国立博物館・平成館(ほとんど、貸し画廊形式で、運営をされている。人気の展覧会も多い。今展示されているクリーブランド美術館展も、人間国宝展も、1000円ならお勧めと言うほどの、展覧会でした)と、国立西洋美術館、と、上野の森美術館があります。また、都美館の一部で、公募団体展ではない企画展をやっています。
だから、ご自分が誘われた目当ての公募団体展のほかに、よい企画があったら、5つの美術展のうちのどれかを、一緒にみることができます。お金と体力さえあれば、全部で、6つの展覧会を見ることができるわけです。
六本木の方も、強いていうなれば、サントリー美術館と、森美術館があります。が、森美術館の方は、老人向きの企画をやっていません。大体が若者向けの展示が多いです。ドラゴンスクエア展等というのは、いま、50歳以下の人が集う展覧会でしょう。
それに、歩くのも、車が通る道の歩道を使うので、狭くて、人とぶつかって、苦痛です。感覚として、その二つの美術館が、新国立からは、遠いと感じられます。
そして、私の見るところ、公募団体展、そのものが、衰退に向かっていると、感じます。日展だけは、意外にもお客を集めているので「ほー」っとびっくりしました。
クレラーミューラー展を見に行った時に、同時開催で、やっていたのですが、お客さんが多いです。どうしてなのかな?
~~~~~~~~~~
副題4、『日展って、総額5000万円ぐらいの収支で運営されているかな?・・・・・と、最初に思ったが、違うでしょうね。もっと高額でしょう』
本日問題にしたいのは、公募団体展の、事務所の話です。公募団体展も、創立時期、とか、いまだ小規模でやっているところは、画家の代表の住居が連絡先になっています。ところが、国画会は、一時期、上野の桜木2丁目に事務所を持っていました。そこが本章では、大問題となるのですが、あるマンション(1DKの広さ)の一室を借りて、使っていたと思います。
いま、比較のために、日展の事務所を調べて、びっくり仰天です。すぐ、近くに二つはあるのですが、日展の方は、敷地200坪程度の中に、三階建ての、モダンなビル持っています。すごい。中に包括する形で駐車場もあります。きっと、ホールとか、大会議室も内包しているでしょう。現在の貨幣価値に直して、30~40億の物件だと思うけれど、こんなものを作っているなんて、民間団体に変更になったからこその、メリットでしょうね。驚いた。副題に、年間5000万円ぐらいの収支で、決算をし、運営をしているのだろうとおもいましたが、もっと、大きい予算規模なのかもしれません。ただし、戦前の官展の時代から、連絡先がそこに作ってあったとすれば、土地代だけでもただとなるので、さして、高額の資金は要りませんが。
いま念のために、二科会の事務所を検索してみましたが、便利なところにあるらしいけれど、広さとしては、マンションの一室です。賃貸か自己所有かは知りませんが、一応マンションの一室です。
広さや、建築資金、または、取得資金がどうあれ、個人宅ではないところに、会の事務所を置いている団体は、大きい方だと言えます。隆盛を誇っている団体だと言えましょう。国画会と、日展の差は、入場券が売れるかどうかにもかかっていると思われます。日展は入場券が売れる団体なのでしょう。二科もそうなのかもしれません。
それこそ、代作問題と、連動して語ることができるところですが、佐村河内守が展開しようとし大衆向け世界が日展とか、二科展と仮定すると、新垣隆側が、国展とか、モダンアートとか言う団体にあたります。日展や二科会を佐村河内に擬すと、怒られるかもしれないので、言い直しておきましょうね。加山雄三や、さだまさしや、ユーミンが展開する世界が、日展とか、二科展にあたり、武満徹の曲を演奏する会場が国展やら、新制作の世界に当たるといえば、比較が適切だと成るでしょう。
このブログの2010年より数え始めた伸べ訪問回数は、2048542です。
2014年2月14日から書き始め、17日に完成とする。
なお、これ以降は、次に来るブログ(以下)へ、移動をさせました。
(
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます