北久里浜で、、珍しくワイファイが利用できますので、、新しい章を、ここに、起こします。タダシ、この文章の因果関係が完結するのも、29日か30日になると思います。それは、お許しくださいませ。なお、この一文は、最初のタイトルを、『小渕優子つぶしに動いた人々への哲学的考察をすれば、それは、ただ、笑うだけになる』としておりましたが、30分で『おしゃれが好きな事から、重要な情報を得る私だが・・・携帯に盗聴機能がある事もそこから判った』にし、そのまた、2時間後に『2019年までにローンは完済しておこう。2021年から、日本人は大きな不幸に見舞われる筈だ』と替えました。そして、28日の夜9時に、4つ目のもの『シロガネーゼと、鎌倉夫人とどっちが上だ・・・・・小渕優子は謀議をもってつぶされたー4』と変え、30日の、午後二時に、『大川小学校の先生方は、なぜ、怠慢だったのか?・・・・・小渕優子は謀議をもってつぶされたー4』と、して、その直後、3時に、上のものと変えております。
副題1、『松島議員は、朝日新聞をなぜ辞めたのだろう。それを検討しないとだめだ』
私達にとって、他人の頭の中を正確にのぞくことは不可能です。だけど、松島みどり元法相が、なぜ朝日新聞を辞めたのかは、重要な部分だと思います。好意的に考えると、内部にいるからこそ、判る矛盾に耐え切れなくて、お辞めになったと推察しています。
と言うのも朝日新聞こそ、現代日本を真に支配をしている国際的軍産共同体の代弁者だからです。それを嫌うとは、松島議員には気骨はあり、個性もあるとなります。しかも安倍さんに、かわいがられていて、法相を任せられるのですから、いわゆる愛国的な議員なのでしょう。
私は前々報
松島法相辞任、国会はおもちゃ箱か? + なぜ日産はトヨタに水をあけられたか?
の中で2行ほど不確かな事を書いています。それを採録すると、
ただ、隠されている理由のひとつとして、在特会との関係があるらしいとか、ないとか? ちら、ちらっとブラウザのニュースで、それを見ますが、そこについての私の知識がまるでありません。
云々と書いていますが、実は松島議員は、在特会とは、関係がないそうですね。山谷えり子拉致担当相が、関係があるそうです。そこだけは間違いましたが、しっかりと、今わかっていることは、松島議員は、先鋒として、小渕優子つぶしに立ったということです。
一般の日本人は、小渕敬三氏が、暗殺未遂で、こん睡状態に陥り、以降植物人間になり、かつ、一年も持たないで、なくなったということを知らないので、小渕裕子がなぜつぶされないと、いけないのかの理由が不明だと思うのですが、そこをきちんとわかってしまうと、非常に、わかりやすくなってきます。
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副題2、『私は2000年にニューヨーク滞在中に、電車や駅で、積極的に人に話しかける様に成った』
私は今弾圧によって、友達を全て奪い去られています。非常にいやな事であり、そんなことでもありますが、それだけ、真実を知り、またそれを書いているのだという誇りも持っております。デモ、よく、「5億円に喃々とする損害だ」と言っているほどの、損害が影にあるのに、これほど、元気に、かつコンスタントに、新しい文章を書くことのできる秘訣は、損害を上回る喜びもあるからです。
それは、知り合いや友人との中を立たれているから、一期一会の人との会話を大切にしており、それを大切にするがために、携帯を持ち歩かない主義も持っている人なのです。携帯に外からの働きかけによる盗聴機能があることは、ほぼ確実だと思っていて、それを、この章でも、八幡宮様の持ち物、鴬吟邸の前で確信した話を語るつもりですが、その前に、パリやニューヨークでの経験を語らないといけません。
1998年にパリへ行く前にフランス語は一通りは勉強したのです。ところが、パリ在住の版画関係者が全員英語が堪能だったので、『あ、英語で暮らせるのだ』と認識してしまい、語学の履修はすっかりやめてしまって、昼間は版画、夜は、日本語でエッセイを書く事に集中をしたのでした。
ただ、考えることが大好きな私は、夏目漱石のロンドンでの故事が当てはまるタイプだとも思っていて、誰かと人間関係をコンスタントにもったほうがいいとは思っていて、版画工房の人たちとか、アパルトマンの住人とは機会があるたびに、積極的に英語で話すことに努めました』アパルトマンの住人は、ハイレベルのインテリばかりで、全員英語が話せました。
しかし、その後、1999年になって、ニューヨークにわたると圧倒的に自由度が増しました。英語が自由自在だからです。特に海外へ渡ってしまうと、言葉が圧倒的に思い出されてきて、一ヵ月半もたつと、英語で、すらすら物を書けるほどに成ります。1999年から生まれて初めてパソコンを使い始めダイナブックの美麗な新品を持っていったのですが、当時所属していた版画工房が、プラットインスティチュートと言う美大の大学院だったので、23人ぐらいの同級生の前で、シャーッと、打鍵していると、みんなが目を丸くしたものです。
パソコンの液晶画面に出てくるのが英語だからです。見かけ上はアジア人の、しかも、おばさんです。その私が、実はインテリだったというのは、ギャップがものすごいらしくて、あっちこっちで、みんなの肝を冷やしました。で、気分はいいですね。日本にいるときは抱くことのできなかった、人間としての自信もできました。
これは50年以上も昔、IBMの電子タイプライターを使っていたので、タイピングと言うのが、ブラインドタッチで、しかも猛スピードでできるからです。しかし、いつも観光ビザで出かけるので、いったん所属が切れます。で、次の年、2000年には、プロの版画家が所属するプロ用の工房に所属したので、ここでは、表向きは、おしゃべりをしてはいけないところだから、人間関係が少なくなります。日本美術院の、茨城県五浦のアトリエの写真が、菱田春草展の案内とともに、NHKの画面によく映りますが、春草たちだって、数時間はおしゃべりをしないで描いていたと思いますよ。休憩時間は、おしゃべりもしたでしょうが。でね、漱石のロンドン滞在中みたいになったらだめだからと思って、地下鉄内とか、駅のベンチで、積極的に会話をする様に努力をして、いい会話を拾いました。
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副題3、『日本でも、それが可能だったことには驚いた』
私はね、『それは、ニューヨークという国際的な人種混合地域だから、相手に敵意を持っていないということを示すことが必要で、したがって、オープンマインドだから、可能なのだ』と、思っておりました。が、それが日本でも可能でした。
で、この数日来の事ですが、私は自分が小渕優子さんについて書いているので、そういう一期一会の人にも、どう、考えるかを聞いてみたら、皆さんが、「本当に気の毒に」と、言いました。罠に引っ掛けられて、つぶされているというのは、判っているみたいです。
現在の普通の日本人の意見を取り上げるマスコミがいないので、常識をもつ、日本人の意見が表に出てきにくいのですが、私は、自分が大勢の日本人の良識派と合致していることにまた、改めて、自信を持ちました。
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副題4、『銀座で取材をしているテレビクルーたちは、脚色に基づいたやらせをしている』
あれは、2003年より前の事でしょうか? 銀座で顔写真を見せて『これは、誰ですか?』と質問をしていたテレビクルーがいました。その人たちが何をやっているのかをいいましょう。
当時は自民党内閣でした。で、内閣の中のひとりの大臣の顔写真を見せて、『この人は誰ですか?』と質問をするのです。すると、中年以上の人は性格に答えられます。ところが若い人が、『政治家です』と答えて、その先、個人名とか、担当大臣の部署を答えられなかった場合には、『こういう風に答えていただけませんか?』と、依頼をされるそうです。
・・・・・・・そのひとって、相撲べやの親方かしら?・・・・・と。
だから、テレビってやらせばかりの世界なのです。そして、当時は小沢一郎氏が全盛期だったので、早く彼に政権を渡したくて、自民党を国民が軽蔑するような方向へ、方向へと、導いていたのでした。
その小沢一郎を見限って、今はどうも、安倍さんがご愛顧先、第一番らしいのです。だから、消費税は、8%に成るし、また来年には、10%に成るのだそうです。年金支払いは、70歳まで先送りされるそうです。恐ろしい収奪の仕組みができていて、また、小粒内閣なので、内閣内に、安倍さんの首に鈴をつける人物がいません。
オリンピックまでは税金をジャブジャブ使い、公共事業が発注されるので、何とか、ごまかし続けることができるでしょうが、その先はどうなるかと、考えると空恐ろしいです。
お若い方で、ローンを組んでいる方は、ぜひ、2019年までに完済しておくこと。それから先の、日本はどうなっているか判りません。今のままで、安倍さんが、めちゃくちゃな事をやり続けていたら、経済の国家的規模の破綻に、追い込まれている可能性さえあります。
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副題5、『シロガネーゼは、イタリアへ旅行をして、洋服を買ってくる』
ところで、ここから先、数千字、寄り道をいたします。私が、いろいろな未知の人と、有意義な会話を交わし、そこから小渕恵三氏の死の秘密に到達した話に入るのですが、その前に、いろいろな準備をしないといけません。
で、連続してお読みいただいている方は、私が健康の保持のために、園芸を初めて凝り性なので、東京駅から以南のホームセンターを2013年で以内に、16個も見つけたのだと、申しております。その後も、島忠ホームズ東戸塚店、ケーヨーデーツー三田店、ユニディ川崎ラゾーナ店、カインズホーム久里浜店と、2014年度に入ってから4つも、新しいお店を見つけ、今は、ケーヨーでーつー三田店が、気に入っています。さすがに、山手線の内側ですので、土地が高いからでしょう。お店が小さくて、だからこそ、買いやすいのと、バス便が多いので、それが、便利です。
JR田町駅(または、都営地下鉄線三田駅)から、バスで、たった5分もかからないで到着しますが、バスの中の人の洋服が素材がいい戸と。それは、感じます。ある日、あまりにもシックなお洋服を着ていた人がいたので、「それは、なんというブランドで、どこでお買いになったのですか? むろん、マネをして買おうというのではなくて、モノを考えるキーにしたいので、お問い合わせをするのですが」と質問をすると、
「イタリアのものです。旅行をした時に買いました」と、にこにこしながら答えてくれました。港区なのでいわゆるシロガネーゼの一人かもしれません。ところが、この出会いを、私はブログには書いていません。どうしてかというと、3つ理由がありました。
1つ目、彼女が痩せすぎていたこと。苦労や、ストレスが原因かもしれないが、高価なサプリメントを使った、ダイエットである可能性があること。で、ダイエットが、体によくなくて、かつ、ばかばかしい精神の作業だと思うので、せっかくのおしゃれも、私には肯定できなくなるところがあります。
2つ目、素材がポリエステ利だったこと。ポリエステルとは、洗濯しても痛まない上に、絹風の仕上がりにもっていくことのできる夢の繊維だと言われています。 しかし、実際に来てみると、夏は暑いし、冬は寒いです。だから、私には、好みではない。
3つ目、彼女のまとっている色(黄色みがかかった灰色=グレージュという造語で呼ばれる)は、大変難しい色ですが、その衣装をまとった、素晴らしい女性に、数年前に、すでに、鎌倉で、出会ってしまっていた事。
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副題6、『鎌倉夫人にもいろいろあるが、雪ノ下二丁目、OORINDO(ケーキ屋兼喫茶店)の近所に、慶応卒の素敵な人がいる』
で、今度は、鎌倉夫人の話に入ります。こんどの人は、大変重要な人なので、仮の名前をE野E子さんとして置きます。この人をかばってそうするのではなくて、私は、実際に、彼女の名前を知らないのです。でも、鎌倉夫人とか上等な奥様と言っても、私の文章には多数の人が、この女性以外にも、登場しますので、区別するために記号として、彼女にこの称号を与えます。
おしゃれという意味では、上にあげた三田に住む夫人と同じ程度に、見事な女性でした。しかも、同じ色の洋服です。身にまとうのに最も難しいと私が考える色です。灰色だが、ほんの少しベージュが入っている。しかも、素材は、ウールだと思われます。だから、どこで、買ったお洋服かは、私の方では、知らないものの、こちらの女性を三田で出会った人よりも上において、『おしゃれ上手な人だ』と考えています。
数年前だったし、別れ際が、<盗聴がなんとか、かんとか>、というところで、警戒のあまり、非常にせわしなかったので、彼女の着ていたスタイルが、ワンピースだったか、ロングコートだったかを覚えていないのですが、ともかく、全体として、素晴らしい姿でした。
私は、この人を、ずっと大切にして、ブログには、書かないで置きました。が、2か月ほど前に、バスの中で、出会ったのです。私は彼女を覚えていました。だが、私は、別れ際に、二人の間の会話が、彼女の携帯で盗聴をされているということを、確信させられた相手だったので、むしろ、知らないふりをした方が、彼女のためになるだろうと、思い、知っている人としては、声をかけませんでした。ところが、座っている私を右斜め前ら、かのじょは、ちらっちらっと、見つめてきます。それは、彼女が明らかに私を覚えているということを明らかにしています。
でもね、数年前、彼女と初めて出会ったとき、私は髪を染めていて、頭が、黒かったのです。この2014年に入って、4月7日に三原橋交差点そばで、交通事故に出会ってしまい、後頭部を、バンパーが、削り取った時以来、消毒のために、一度、坊主にしました。それ以来、髪を染めておりません。だから、違う人物みたいな、風情になっています。
それなのに、E野 E子さんが、ちらほらと、私を見つめ続ける視線は、彼女が私を覚えていることを示唆しました。
私にとって、E野 E子さんは、小渕恵三が、海に顔をつけられたことによる一種の暗殺で亡くなったのだと、教えてくれた重要な人間です。だけど、と、同時に、初回のデートでもすでに、彼女の背後で、酒井忠康氏が、暗躍しているのを感じ取っていたので、警戒すべき相手となっています。
単純に、「アーラ、ごきげんよう。お久しぶりです。以前は、重要なことを教えてくださってありがとう」と、声をかけるわけにはいかないのでした。バスの中で、彼女が、私を気にする様子は、引き続き、酒井氏などが、彼女に接触を続けていることを示唆し、だからこそ、『今この瞬間も、これから先も、接触をしない方がいい』と、自分に言い聞かせました。
繰り返しますが、それを、聞いたときは、本当に、衝撃的でした。日本で最高のおしゃれをしている女性、しかも、話の途中で、慶応大学卒だとも聞いている。そういう女性が、信じていることとして、肉声で、<小渕恵三氏は、アメリカ軍のヘリコプターに乗せられて太平洋の真ん中まで、連れていかれて、海に顔をつけられ、それゆえに、脳梗塞になった>と、聞いたのです。だから、どうしても、その事実へ対して、信頼感が生まれます。
後で、よく思い返すと、彼女もそれを、又聞きか何かで、頭に入れたものであって、原初の情報は、ほかの人と同じく、中丸薫氏の著書の中の横田基地からヘリコプターが飛び立って、云々、かんぬんという情報から、得た知識を、ご自分が信じていることとして、対私へは、自分の言葉で話したのです。
この部分が、この章の白眉としておきたいところです。だから、最初の総タイトルを、『おしゃれが好きな事から、重要な情報を得る私だが・・・携帯に盗聴機能がある事もそこから判った』としていたのです。
私はライターとしての、自分のピュアネスを保つために、NHKニュースと、紙の新聞(日経と、時には朝日)、それから、そういうものをまとめて教えてくれるネットのブラウザニュース、主に、goo と Livedoor にしか接触しないのです。
そのきわめておしゃれな、(決して派手ではないのですよ。首の周りに、じゃらじゃらアクセサリーをつけているとか、華やかな飾りを付けたお帽子をかぶっているとか、そういうことは一切ないのです)慶応卒の、夫人と出会った頃、私は2チャンネルなど、ほとんど接しない人でした。2チャンネルに初めて接したのは、バンクーヴァー五輪の時に、採点があまりにも金妍児有利の方向で、偏波しているので、驚いて、日本の若者は、この現象をどう考えているだろうと、入ったのでした。だから、小渕恵三暗殺未遂説などにも、それ以前には、接したことさえなかったのです。
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副題7、『鎌倉の森ホテルがヴァンクーヴァー五輪の時、私に対して、不親切だったわけは?』
私は時々、『自分の指先がニュースを作り出すのだ』と申し上げております。『傲慢だ』と、嫌がっておられる方もあることも知っていて、なお、その言葉を使い続けます。それは、どうしてかというと、2010年2月17日前後の私の行動と、3.11の前後の、東北沿岸の人々の行動、とくに大川小学校の先生方の行動は関係があるとみなすからです。他にもいろいろ、自分が大きな力を持っていることを、感じて居ることはあるのですが、事、2チャンネル関連で、もうしあげたいです。
2チャンネル関連とは、何を指すかというと、<<<<<普通の人は、知らない情報がそこにある世界であって、若者が中心となって、接触する世界であって、現在日本の主流派をなす、60歳以上の老人(シルバー世代とか、プラチナ世代と呼ばれる人たち)は、知らない世界なのだということを指します。だから、私は小渕恵三暗殺説もむろん知らなかったのですが、人間[=上品極まりないおしゃれな女性で、慶応大学卒であり、国画会の会員と知りあいであり(その点が、影にいる酒井忠康氏を即座に思い浮かべたわけですが)、現代アートにも精通している人]が、言う言葉ですから、信じたのです。
浅田真央ちゃんのショートプログラムの採点があまりにも偏波しているので、日本中の若者が、2ちゃんねるの中で怒っていました。次の日にフリーがあります。その日は、2チャンネルは、開かず、ただ、普通にブログの手当てやら、始末をしながら、テレビの試合時間を待ったのです。ただ、ちょっと早く、そのスイッチを入れました。
すると、テレビが映りません。我が家は当時は、鎌倉ケーブルテレビ経由で、テレビを見ていましたが、ご近所、50m以内においてある特殊なルーターを通じて、ラジカセから、ファミコンから、洗濯機から、プリンターから、テレビから何から何まで、外部からスイッチオンオフがなされるので、この現象には、驚かず、すぐ外出しました。鎌倉市内で、わが家から最も近くて、かつ、テレビを見ることが可能なのは、森ホテル(シティホテル、小さいが駅、至近距離、例の森コンツェルンと関係があるかどうかについては、私は知らない)に駆け込みました。この間、15分間です。
時間は、午後二時ごろ、ホテルは、チェックアウト、チェックインの間で、掃除中です。私は出てきた男性(掃除人とは思われないタイプ)に、「テレビだけ見せてください。3000円お礼をします」と、言いました。私はものすごく、会話の能力は高いのです。どんな、未知の人もたちまちとろけてしまうほどで、あって、一時期、私はミダス王になってしまったのではないかと思ったほどでした。ミダス王とは、触るものをすべて、金にしてしまう王様ですが、私が接触する人は、だれでも、素直に話をしてくれるのです。決して、そう誘導しているわけでもないし、質問をしているわけでもないのに、向こうから、深い、深い、心の中を打ち解けてくれるのでした。そうですよ。そんなことは質問をしてもいないのに、『私はね。離婚をしてから、あと、この画廊を始めました』と、打ち明けてくれた女性オーナーが、3人もいたのですから、すごいでしょう。もちろん、そういう話は、この世界では書きません。だから、ご安心ください。それを打ち明けてくれた方。
ともかく、誰の心も、こちらに向かせてしまう私に対して、不親切な人が居たら、その人は、必ず、影で、私に対する悪い風評を入れ込められているのです。で、この時も森ホテルの、男性(支配人だと思われるタイプ)が、『だめですよ』と不親切に言ったときに、『あ、この人は、事前に断わる様に命令をされている。誰がそれをやった? 伊藤玄二郎、それとも鎌倉警察署の誰か? それとも鎌倉ケーブルテレビの誰か? たとえば里見の息子である、山川静夫さんが、これを、やっている?』と、考えたことでした。
ここで、山川静夫と、名前を挙げている紳士は、元NHKアナウンサーで歌舞伎通の人と同姓同名ですが、別の男性を指します。小津安二郎の映画のプロデューサーをやっていたことでも知られていて、鎌倉では、伊藤玄二郎とは、非常に親しい間柄の人です。年齢は山川氏の方が上ですが、伊藤玄二郎は、言うなりに山川さんを動かせるでしょう。また、その人が頼むことなら、森ホテルの支配人が、言うことを聞いた可能性はあります。ともかく、こういうことは政治の問題として、非常に重要なことなので、書いています。別にホテルの評判云々を書きたくて書いているわけではありません。いわゆる、じゃらんの、口コミの一種として書いているわけではありません。その時に、支配人と思しき男性が、理不尽に不親切だったのが、のちに、大川小学校で、ほぼ、全校生徒が、亡くなって、父兄と学校を管轄する責任のある自治体との間に、訴訟が起こりました。そこまで、関連していくので、きちんと、ここで、申し述べておきます。
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副題8、『大船のヤマダ電機(現在名LABI)でも、テレビに対して、過剰な演出があり、それで、裏にいる井上ひさしを、肌で感じた』
さて。鎌倉市内で、上がって「テレビを見せて」と頼むことのできる知り合いは無論のこといます。だが、これが、政治に関連している現象なので、私は遠慮をして誰も個人は頼らず、商業的に、テレビを見ることのできる場所を探しました。一番近いのは、電車で、五分乗った先の、大船駅そばにあるヤマダ電機です。現在は、そのビルは、LABIという名称になっていますが、2010年はヤマダ電機と言い、商品は、まだ、いっぱいおいてありました。その後、ヤマダ電機は勢いが落ちたそうですね。社長が交代するの、元に戻るのと騒ぎになっていますが、このヴァンクーヴァー五輪の時期は、まだ、まだ、隆盛を誇っている時期であって、テレビもフロアー全体においてある感じでした。
特に性能のいいテレビは、制作会社が、発行した特別なディスクを繰り返し反復する形ですが、あとは、民法か、NHKを放映するという形でした。で、私は、スペースとしては、『悠々に見ることができる。ただし、立ってだけど』と思いながら、JR横須賀線の大船駅北口の改札口を出たのです。
そこから、3分程度で、ヤマダ電機のテレビのおいてあるフロアーに入ることができます。ところが、驚いたことに、過剰なほどの、演出が、その日だけは、施されていました。それ故に、私は、ますます、政治の影がニュースに及ぼす悪い効果に気が付いてくるのです。とくに鎌倉エージェントが、どれほど、ニュースを、悪い意図のもとに、こしらえているかに気が付いてくるのです。
それも、また、私が力があるが故ですが、私が、パソコンを開いていると、その画面を同時進行的に、見ることのできる人が、全世界で、10人は下らないだろうと言っています。その仕組みは、ご近所のAirbnb(エアービエンビーと、日本語では発音をする)に所属する『KAMAKURA COTTAGE 』というところに、特殊な機能を持つ、ルーターが備え付けられていて、そこから、私のパソコンと同じ画面が、電波に乗って、世界中に増幅発信をされ、で、それを、のぞき込むことのできる人物たちの一部が、パソコンを壊していくのだけれど・・・・・と、以前書いていますね。本日も、その破壊工作が何度も行われました。以前、画面が白閃化して、書いた部分が一瞬に消えてしまいます」と、申しあげたことがあります。それは、本日も、4,5回おこりました。
だが、私の方が、種々の防衛策を講じられる様に、なって、被害を最小限度で、食い止められる様になっています。それは、豆に保存をするということで、このブログも未完成の段階で、さっさと、公開してしまい、皆様には、はなはだご迷惑をかけていますが、それは、書いた部分を、保存をする代わりなのです。消えてしないように防衛するためのアップなのです。
言え、下書きとか、ドラフトという形で、保存をしておけばいいでしょう?』と、皆様はおっしゃるでしょう。だが、私の場合は、それが、駄目なのです。一応、全部、2万字を書いて、アップしたと仮定します。すると、最も重要なところが、目には見えない形になっていたりして、それを直すのが大変で、ほとんど直せないという形に持ち込まれます。
@@@@@@@@@@@@@ここが、かきかけちゅうのさいせんたんです。
副題α、『ここで、3.11の時に大川小学校の先生方の対応がどうして間違ってしまったのかについて、総括をしておきたい』なお、このブログの2010年より数え始めた延べ訪問回数は、2553738です。
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