今、24日の午前5時ですが、推敲を終わりました。この文章の骨子は、子育てとは、大変な重労働であり、それを、子供たちが親から注がれていないので、きちんとした人間として、大人になっていない、そういう形ばかりの、人間が多くなっているので、日本は精神の側面で、激しい空洞化に見舞われているということと、それを心配している・・・・・と言う事です。
本当は母親は、働かない方がいいのです。それほど、子育てって難しい、重労働です。子供を、真に大切に、かつ、まともに育て上げようと思ったら、そういうこととなります。でも、実際には、日本人が働いたお金が、どんどん外国へ吸い取られているので、一部の人を除き、普通の日本人は、その生活が苦しくなっているのが、現状です。で、夫婦そろって、働かないと、生活がなりたっていかないという事になっていると、思っています。
で、ひどく心配したり、怒ったりしています。が、私は、代議士でもないし、煽動者でもないので、ただ、ただ、文章を書くだけですが。
副題1、『赤とんぼ準教授に殺されてしまったお嬢さんへ、言いたかったこと』
私は若い女性と、親しいわけではありません。で、以下の二つのリンク先(どちらも主文は同じものです)の中で書いている様に、お若い女性が、彼女の本音を、直接、私に、語ってくれたわけではありません。だけど、思わず、耳をそばだててしまいました。電車の中でです。『まずくすると、この女性は、近々殺されるぞ』と思ったからです。一般的なエチケットとして、電車の中で、他人の会話に聞き耳を立てるのは、よくないことですが、あまりにも恐ろしい話で、しかも、話し手は、顕在意識の中ででは、その男性の異常さには、まだ、分析や、把握にまでは、至っていません。
だけど、潜在意識の中ででは、変だと思っていて、電車の中という、誰もが聞き耳を立てている場所でさえ、話題に出して、相談をしたいと願っているのです。それは、きわめて、正しい自己防衛本能だったと、思います。
しかし、この話を拾ったのは、10年以上前の話で、普通の家のお嬢さんが、異常な事件に巻き込まれるのには、特殊な条件が重なっている場合だけだろうと思っておりました。昨今では様子がひどく異なってきています。まず、赤とんぼ事件で殺された菅原某嬢は、どう考えても中流の上の家のお嬢さんで、普通なら事件に巻き込まれない筈でした。
遼太君事件も、あれほど、かわいい子が、事件に巻き込まれるはずがないと、隠岐の人はみんな言っていますね。加害少年をかばうつもりは毛頭ないが、そちらも別に不良ではなかったという証言もあります。お父さんはトラックの運転手をしていて普通に働いています。兄弟の写真がネットに出ていましたが、普通の青少年の顔でした。ただ、一点、母が、フィリピン人であるということと本人が背が低かったということが、劣等感を生み、それが、反対に現れてボス的状態になっていた模様ですが、この事件が起こらなければ、ごく、一般人として見られていたと思います。この二つの事件を手始めとして、何かのボタンが掛け違われることがなければ、誰にも目立たなかっただろう、普通の人が、事件に巻き込まれている例として、65歳の祖母が孫を刺したという事件を後で、語ります。
残念なことに、日本社会がどんどんと、悪くなっています。それは、事実でしょう。
若い女性の場合ですが、まず、親と同居していれば、大体が、犯罪からは、逃れられるはずです。男性の家に泊りがけで、行って、セックスをするということは、親と同居している若い女性は、遠慮するというか、やらないことでしょう。そこまでに至る前に、親が気が付いて、どういう人?と、問い合わせたり、本人も親に紹介をすると思います。で、男性が親に、自分を紹介するくらいになったら、大体大丈夫だと言えましょうね。
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副題2、『子供の自主性を重んじることと、独立させることと、それでも防衛をしなければいけないことの両立は、どうしたらいいのか?』
親と一緒に暮らすのは、現代では、二十歳までは、ありえる現象です。だけど、できれば、三十を過ぎたら、子供に、独立をして暮らさせた方がいいです。それは、誰もが解っていることです。でも、それが、できない家庭が多いです。その典型例が、若い男性が、親殺しをするケースです。息子の方が、たいてい無職です。そして親と同居をしています。
親と同居をしているから、何とか食べていかれるので、働かないのか、働かないから、親と同居せざるを得ないのか?
だけど、ここでも、大きな問題は、本人に能力が足りなかったりする、問題です。気力が足りなかったりして、引きこもってしまう問題です。そういう子どもが、どうして大量にできてしまうのか?
それは、戦後核家族制度が推奨をされ、核家族になってしまって、人間の、生き方のパターンの継承ができていないからです。祖父母が一緒に暮らす大家族主義の中では、祖父母が、子育てを担ってくれて、未熟な、父世代、母世代を補ってくれていました。
もう一つあります。階級制度が無くなったので、うまくやれば、以前の階級(江戸時代まであったそれだったり、不文律としてある、階級)の問題です。前報は、途中になっていますが、大学教授と言うのが、今現在の日本では、唯一無二のものとして、上流階級の人であるとみなされていて、それが、また、政治的に、大きく利用をされています。それを書いているのが、以前の文章の、主題でした。
階級の問題には、ここでは、深く踏み込まず、ただ、母親たちが、正しい在り方を学んでいないという方に、深く踏み込みます。
現代の30代から40代のお母さんの多くは、既に、その母である50~70代の、祖母世代自身が、核家族の中で、育ち、母として、適切な、訓練を受けて居らず、母親にさえなっていないケースが多いのではないかと思います。その典型例が、さいたま市のマンションの中で、1歳3か月の孫を刺殺してしまった祖母です。
だから、子供を育てることができないのです。だから、無気力な子供が大量に出現しています。
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副題3、『今般、65歳の祖母が、一才の孫の腹を刺して、殺しました』
今般65歳の祖母が、一歳の孫を刺して、殺したというニュースが出ました。だが、私は、当初は、政治には無関係だと思っていたので、コピペで、保存をしてありませんでした。で、ネット検索して、分かるところまでは、22日の深夜に、チェックしました。それほど、詳しい情報がなかったので、私の想像で、あれこれを語ります。いわゆる見てきた様な嘘をいいですが、当らずとも遠からずでしょう。
この祖母も、また、その娘も、上に規定している様な、【母には、成り切れていない、人間だった】と思います。
ただ、もう少し丁寧にいうと、【実は殺人まで犯す人間は、その直前まで、被害者側であった】ということも、加味されていた、と、みなせます。これは、赤ちゃんの母、つまり、殺された幼い子の母親(=娘)が悪かったという事になるでしょう。母親(=65歳の祖母)を、労働力として、使役しすぎたのです。
老人になると、若い時とは体力がまるで違います。だから、歩き始めたが、まだコントロールがきかないという、もっとも、活発な時期の幼児を預けられて、疲労困憊をしていたのでしょう。特に娘に、男の兄弟が居なかったと仮定をすると、この祖母は、男の子を育てたことが、若い時分に、無かったと推察されます。男の子の方が、母親はいろいろな意味で、大変です。三島由紀夫が、祖母に育てられたということが有名ですが、祖母は、彼を、【ほぼ、女の子】として育てています。だから、祖母でも、大丈夫だったのですが。
≪2か月前までは、この65歳のT夫人は、おしゃれだった≫と言われています。若い気分だったのでしょう。が、≪最近の2か月は、疲労困憊しているみたいで、痩せて来ていた≫と、言われます。この人は、四年制の大学ぐらい出ていて、ずっと働いて来た可能性があります。会社とか、学校勤務に比べると、具体的な、子育ての方が、ずっと、苦しい仕事です。しかも、この孫の母(=木村姓の娘)を育てる時期に関しては、保育所に預けて、娘を育てた可能性があります。だから、育児には初心者だったりして。残念ながら、65歳にして育児には初心者だったという可能性が強いのです。65歳まで平穏無事に生きていた女性が突然、世間を驚かす事件を起こすのは、育児が無理だったとすれば理解ができることです。特に一才、三か月という最も活発で、かつ、聞き分けのない時期の男の子を育てるのは、大変なことですから。
で、活発さが、最大限であるこの歩き始めた時期から、3歳ぐらいまでの、それだけの期間でも、【いつかは、終わるのだ】という見通しが無いので、絶望をしたのでしょうね。経験済みなら、≪待てばいい≫と思えるのでしょうが、経験がないので、≪この子は特別に乱暴だわ。ずっと将来とも、こうだったら、どうしよう≫などと思い込み、悩み、行動が落ち着いてくる後日の日々を待てなかったのでしょう。
でも、各論から総論へ戻れば、大切な人間教育の機会を、この65歳の祖母は、獲得しておらず、ただ、社会風潮としての、勝ち組モデルのみを追跡してきた人物の一人だとも推察されます。
それでも、この家族は、日本では、よい方なのです。きっと、中流の上と、言われる分類に入る人たちです。だって、事件の起きたマンションは、南面こそ、二間形式の模様です(と言うのは億ションではない)が、最寄り駅まで歩いて、12分ぐらいで到達し、しかもその駅から東京駅までは、京浜東北線でも、30分以内だと思います。自宅のドアから、会社のドアまで、正味一時間程度で通える場所にたつマンションです。で、十分に高かったはずです。だから、中流の上と言えるのです。
娘が結婚をしていて、孫もできているとは、それもまた、人生勝ち組の一人となっています。「そこまで、やっとたどり着いているのに、何を、ここで、トチくるって! 台無しにしているのですか?」と言いたいですが、疲労困憊するあまり、判断能力が極端に落ちていたのでしょう。特に継続的な、虐待行動はないのだけれど、この日は、床にこの赤ちゃんを何度もたたきつけたみたいな音が聞こえてきたそうですし(下の階の人の証言)、真新しい傷が、いくつも見られたそうですから、切れたレベルが、ものすごく、深いです。
または、一家中で、カッコばかりつけるのが、好きな人たちだったのだろうか? 優しい祖母というスタイルからは、抜け出ることが、できなくて、「自分には、これは、無理だ」と娘や夫に、言い得なかった? ただ、何度もいう様に、この祖母に、小さい子の面倒を見た過去の歳月があれば、こうは、ならなかったでしょう。彼女は、その木村姓の娘を、自分では、育てていないのです。きっと、保育所で育てています。
娘さんは、「2,3日前から、殺された男の子を、保育所へ預けようとしていた」と、言います。娘さんからは、面と向かって「お母さんって、まったく頼りには、ならないわね。〇〇ちゃん(=娘の友達で、母親とも面識がある女性)の、お母さんなんて、孫を二人も育ててくれたのに」などと言われて、優しい祖母を演じきれなかった、65歳は、自分の育児についての、無能ぶりを露わにした、孫へ、怒りをぶつけたのかしら。ともかく、幼児を、床にたたきつけるとは、尋常な怒り方ではありません。
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副題4、『一人の女が、子供を産んだとして、それで、自動的に、母親に成れるわけでもない。見本が居たり、社会的な規範があったりして、その助けを得て、やっと、一人の母親が生まれる』
日本社会は恐ろしい事になっていると思われます。その65歳の祖母は、普段は全く異常性を見せない女性でしょう? むしろ、おしゃれで優しくて、素敵な、おばあちゃまだったのですよね。孫だって、その日だけは、床にどんどんと、ぶつけられて刺し傷以外にも傷ができていたそうですが、それ以外の古傷はなかったそうです。すると、その時だけ、我慢の、限界が終わってしまっていわゆる切れたという状態になったのでしょう。
しかし、彼女が、実の娘を自分の手で育てていれば、育児とはどういうものかがわかっているから、娘が同居したいと言い始めた時点で、「あら、いやだ。私には、それ、引き受けられないから、あんた自分で育てなさい」と言えたと思いますよね。眞に愛情が交流していれば、平気で、自分の想いを表明できます。お互いを批判もできます。「なんだ、お母さんって、頼りに、ならないのね。出来が悪いおばあちゃんね」と、言われようと、「そうよ。それに、あんた、お正月以来ずっとこの家にいるわね。何十日、この家にいるつもりなの? 離婚でもするつもり?」とも言えます。
田中という姓の祖母と、木村という姓の娘と孫です。娘は離婚はまだしていなかったと思われます。でも、離婚をする心づもりだったのかもしれません。それもまた、65歳の祖母にとっては、大いなる心痛だったでしょう。頭がいい人だと、未来予測ができるので、余計に心配で、苦しむ可能性があります。そういうタイプの64歳だったと、推察されます。で、追い詰められきっていたと、推察されます。
繰り返しますが、日本は、今大変な事になっていると思います。空洞化しているのです。よく経済問題で、空洞化という言葉が使われますが、心と言う部分で、大きな空洞化が、起きている模様です。
祖母は、祖母でなく、孫が孫でない。中間に位置する、30代の母親も、本当の母親ではない。ましてや妻でもない。
でも、この祖母が、20年ぐらい前は、母は45歳前後で、娘は、16歳前後という年齢でしたね。それで、当時のメディアや雑誌が、ちやほやして取り上げた『まるで、姉妹みたいな親子です』の典型だったかもしれないのです。≪自分たちは、最先端の生活スタイルの人間です≫と、高い誇りを抱きながら、銀座や日本橋、または、青山やら、表参道に、母と娘と一緒に、お洋服を買いに行っていたかもしれないのです。夫婦で働いていたので、収入は高収入だったから。
その頃には、輝いていたのに、今、祖母としての実力はない65歳となってしまい。突然に奈落の底へ落ちたのでした。でも、世の女性たちに言いたいです。「これは、決して他人事ではないですよ」と。
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副題5、『愛情をたっぷり注いで、本当の独立心を養ったうえで、外へ出して自立をさせるべきだろうが、できているかなあ?』
上にあげた事件で、刺殺された孫、木村映介君の、父親との間で、母(=ニュースでは娘と呼ばれている人)が、離婚をしたいと、望んでいたと仮定をすると、この事件で、自動的に、離婚につながったでしょう。映介君の父親が、離婚をしたくないと言っていたとしても、祖母にあたる女性が、自分の子供を殺す様な人の娘という、女性と、再び結びついて、二人目の子供を作ったとしても、その子には、遺伝子として、突然に切れてしまって殺人にまで至る祖母の遺伝子は、4分の1は、残っているのだから、やはり、まずいなあと、思い至るでしょう。また、木村家の祖父母世代(いわゆる、舅とか、姑というものにあたる)も、「絶対に離婚をしなさい。ここで」、と勧めるはずです。
だから、その娘さんの、望みも潰えたわけです。私の想像するに、その若いママは、シングルマザーとして、裕福な実家にきせい(寄生+帰省)をしながら、・・・・・まず、どこかに再就職をして、そこで新たな出会いを見つけ、前夫よりも、もっと、自分と会う人を見つけよう・・・・・などと、考えていたのではないかなあ。この事件で、その夢も水泡に帰したと言えるでしょう。贅沢な望みを持っていたと言えますが、それは、かなわなかったとも。
しかし、私がこの章を書き始めたのは、赤とんぼ殺人事件の、犠牲者菅原某嬢を、どうしたら、守れたかという点です。彼女が一人暮らしをしていたかどうかを知りませんが、推察をするに、ひとり暮らしを、していたと、みなされます。
このケースの様に、一人暮らしをしているお嬢さんは、行動を監視する人間が居ません。で、つい、男性の部屋で、夜じゅう過ごすという事になりやすいでしょう。そこからプラスの方向(いわゆる身を固める=結婚)へ、向かえばいいのですが、単に、そのお若いお嬢さんを利用しようとする男性の鴨になっていたら、その後、大変なことになります。
何の鴨かと言うと、男性の中で、自己中心的に、セックスを楽しみたいと願う男性が居て、大勢の女性と交流を持ちたいと思っている手合いが居るのです。そういう男性のセックスフレンドとして利用をされるということです。そういう男性は、昔だったらいわゆる買春で、欲望を満たしているはずですが、今は、一応、売買春は、違法だということになっています。が、それに代わるものとしての、既婚男性の、不倫ということが多い模様です。プロの女性(または、アルバイト感覚の主婦)相手の、抜け道的売買春を続けているだけでは、お金が続かないので、
恋愛という美名のもとに、ある一人の女性を、支配して、欲望を果たすという形をとるケースがあると、思います。女性が主導権を取って、反対側に立ち、似たようなことをするというケースはあまりないとは思いますが、男性の方には、そういうケースは多々あると思います。
それは、女性に取っては、絶対に損なのです。それを親や、年上の人は、教えておかないといけません。15歳過ぎると、そういうことをあからさまに話題に出すのが難しくなるので、12歳程度までに、【親を大切に思う気持ち】とか、【自分を大切にする気持ち】を、植えつけるというか、教え込むというか、本人が自然に、悟る様に、持って行っておかないといけないのです。
子育てとは、そういう部分まで含むので、母親が忙しすぎるとだめなのです。
もし、ある家庭で、お母さんが、こどもが15歳ぐらいのころまで、・・・・・いつも、心にかけて愛情たっぷりで、一緒に過ごし、大切なことを、教えきっておいた・・・・・と仮定をしましょう。そうしたら、そういう家では、お母さんが、子供が15歳ぐらい以降、外へ働きに出ても、いいかもしれない。
だけど、子育ての重要性には、気が付かず。小学校に子供が入った途端に、フルタイムで、働き始めた様なお母さんは、かえって、13歳ごろから、家に帰った方がいいのです。中一から、大学二年生になるぐらいまで、お母さんは、家にいた方がいいのです。
そんなことを言ったら、・・・・・まるで、世間の現状とずれているなあ・・・・・と、皆様は、おっしゃるでしょうね。だけど、日本人が働いたお金が、どこかの国に収奪をされない限り、その程度の、暮らしができるほどの、給料を夫(父親)に、会社が、出せるはずなのです。
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副題6、『日本が海外へ、お金を出さねばならないのは、日本が高度なレベルで、偽装をされている植民地国家だからですよ』
日本の江戸時代とは、稀有な制度でした。海外へ、つてを持たないという制度を作ったのです。オランダだけは、キリスト教の布教をしてこないので、出島に限って、貿易を認めました。で、オランダを通じて、陶器を包んでいた紙(日本人にしてみればクッション材としての反故紙、だったが、実は、海外の人間を驚愕させた浮世絵類だった)などの、細々した交流があり、それは、日本にとって、得をしました。ゴッホなど、フランスを中心に、日本文化に対する尊敬の念が生まれていたからです。
一方、オランダを通じて、洋書も入って来ていたので、少数の人間が、蘭学というものを学んでいて、それらが、通訳を果たしたり、また、明治政府への移行の時期に、種々様々な働きをして、開港が、戦争を経ないで、行われました。
そして、日本を好きになってくれる外人が、多数訪れてくれ、それによって、日本の特徴は、広く世界の、特に上層部に、広まりました。大津事件で、負傷をしたロシア皇太子(のちのニコライ二世=最後のロシア皇帝)でさえ、日本文化には、相当に深い理解を持っていてくれています。英国人探索家(今でいえば、社会学者の一種)のイサベラバードは、日本と、韓国の旅行記を出していて、日本社会へ、好意的な目を向けています。彼女は絵が上手ですよね。驚くほど正確に記録をできる女性です。
イサバラ・バードが、伝えたこと、および、日露戦争に勝ったことなどが、研究をされて、1945年以降の、日本をどう扱うかについては、深遠な研究が、アメリカ本土で、行われていた筈です。マッカーサーなど、庶民に触れる、人間は、どんなに偉そうに見えても、一種の駒にしかすぎません。現代の米政府では、オバマ大統領もそう言う動かされている駒の一人ですし、ミシェル夫人もそうでしょう。だから、その名前を、われわれ日本人が知らない影の存在が、現代日本政治または、日本支配の仕組みを、構築したのです。
中級公務員として、勤務していた日本通の駐留軍兵士の中には、真の理想主義者もいました。だがその上にいる存在は、戦勝国の利権を手放す気など、さらさらなかったのです。後は、いかにして上手に、日本人を支配するか、その枠組みを作ることだけでした。
われわれ日本人は、1945年8月15日を終戦記念日と呼ぶようですが、とんでもないことです。きちんと事実を、見つめましょう。それは、敗戦記念日なのです。私は右翼でもないし、左翼でもないのですが、誰がどういっても、日本は負けたのであって、それ以降は植民地国家として、国家も、国民も、かつかつのレベルで、生きさせて、いただいているのです。贅沢は敵だとは、1945年までの標語だと皆さんは覚えていらっしゃるでしょう。でも、それは、今現在の日本人の標語なのです。ごく少数のうまい汁を吸っている人以外は、たいへん苦しい生活を送っています。
かつかつのレベルでしか、生きられないほどの、金銭しか残らない様に、海外から収奪を受け続けています。
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副題7、『中山外務副大臣が、2月18日にNYへ向かう成田(?または、羽田)の映像は、出たが、それ以降の映像をNHKは、放映をしていない。その理由はなぜだ?』
私は、シャルリーエブド事件に関しては、相当に踏み込んだ分析を果たしてあります。ところが、それと同じ流れだと思う、後藤健二さん殺害事件、それから、デンマークの首都コペンハーゲンでの銃撃事件、中東の色々な国で起きたキリスト教系の人間とか、クルド人などが虐殺をされる事件、そして、直近の、チュニジアの首都チュニスでの、事件は、まだ、分析をしておりません。
それは、単に時間がないからです。決して、節を曲げたり、ビビッて、書いていないわけではありません。で、ちょっと、他の方向へ、ずれると、チャンスだとばかり、彼らにとって都合のよいニュースが流されます。
スタップ細胞疑惑の理研の理事長、野依さんの辞任、それから、スタップ細胞の些末な件について、また、小保方嬢の映像が、どうどうと、出たこと、特に一月とか、四月の時点の映像が出たことなど、すぐ、例の鎌倉エージェント連中の支配、采配によるニュースが、私のブログのテーマに即して、連続して出現します。
でね、簡単に、本心を述べれば、そりゃあ、イライラはします。だが、イライラしたら、こちらが消耗をするだけです。で、決して、イライラしない様にしていますが、本来の論を捨てたわけではありません。ときどき、出て来るでしょう。ところどころに出て来るでしょう。
つまり、私が本当に言いたい、ブレない論理とは、過激派イスラムが起こした事件はすべて、鎌倉エージェントを助けるために、行われているということです。チュニジア・チュニスの件もその一つであり、2チャンネルの投稿者のひとりが、いみじくもそれを指摘していましたが
結城法子さんという自衛隊中央病院勤務の麻酔科医は、事前にどういう風にふるまいなさいとか、いろいろと、言い含められていた可能性は強いです。犯人側は、日本人を狙う様に、命令をされていたとは思いますが、結城さんだけは、狙わない様に、それも言い含められていたはずです。この件については、のちに別章を立てて詳細に論考します。
『ともかく、いくつ行われたかなあ?』というほど、諜略的事件が連続して起きており、『どれほどの数の、人間が殺されたか?』というほどですが、すべて、それをやられると、前田祝一・清子夫妻と、安野忠彦夫妻が助かるという方向であることは確かです。
淡路島の洲本で、住民五人が平野達彦という人間に殺されるという事件も起こりましたが、それも、続報が出て来ないですね。したがって、平成の八墓村事件を、なぞり、そちらへの、庶民の記憶を、薄れさせるという目的があるので、結構のところ、平野達彦はやっていないのかもしれません。未だに自白はしておらず、常に、「弁護士と一緒に語る」と言っています。まあ、これもいつかは、この世界で、詳細に、語りますが、イスラム過激派事件と、同じ目的で起こされている事件でしょう。
その中に一つ忘れられない映像があって、いつかはそれについて詳細に語ろうと思っていた件があり、それは、中山外務副大臣が、空港からニューヨークへ向かって飛び立つ映像です。
なお、恐れ入りますが、どうしても果たさないといけない用事がありますので、ここで、中断し、別章を立てて、明日24日に、その外遊やら渡航の意味を書くとさせてくださいませ。
なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、 2804509です。2015年3月22日に書き始め、24日の早朝4時に推敲を終わる。雨宮舜(本名 川崎 千恵子)
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