本日も、書きぬけた順番に総タイトルを変更していく可能性はあります。
実は前報の続きを書かないといけません。ところが、あれが、非常に疲れるものであって、「死ぬぜ!」というほどのものなので、ちょっと閑話休題で、脇に逃げたいと思います。で、小説体ではなくて、いつもの会話体で、実名主義で書いていきます。ところで、この文章全体の流れは、2014年10月13日(月)に銀座で見聞きしたエピソードから発想した政治論文として、構築をしていくつもりです。政治の現況を語るものであって、舞台と登場人物はすべて美術関係者ですが、美術評論ではありません。その一点で、実は、これは、逃避の文章ではなくて、真っ向からCIA様(=鎌倉エージェントと私が呼ぶ人物たちと警察)に、勝負を挑む直球のひとつでもあります。
副題1、『隣人が、いじめによって、家庭崩壊をさせられて行くのを見て、ラブレターをすべて、焼却する私』
今、72歳の私は、健康を維持し、長生きをするために、いろいろな工夫をしております。特に夫婦関係を損なわない様に工夫をしております。前報で書いた梶本(仮名=私の北隣の住人・・・・・ここは、現在書きかけ中の小説の登場人物なので、とくに仮名とする)家が、ばらばらになっていった過程を30年間にわたって、傍見してきたので、それは、生きていくための必需品でもありました。梶本家は、あれほど、家庭崩壊をさせられながら、奥様に、いじめられきっていたご主人が亡くなった後の、最終段階では、奥様が、遠野(仮名)夫妻に籠絡をされ、私にとっての一種の敵と化していきます。
で、そこから連鎖して、佐土原夫人(仮名・西隣の住民)や、冴木家(仮名・たった20軒しかない近隣住民の中で、夫婦が両方とも最も若い家)が離反をしていく重要な理由となっています。ので、それを他山の石として、夫婦の間を裂かれることは、用心をして避けないといけない条項でした。佐土原夫人と、冴木一家は後から引っ越してきたので、私の居住地に横たわっている黒いわなの本質とか詳細を知りません。でも、その二つの家庭が、この山に住むCIAの手先たちに、籠絡されていることは、2009年5月の梶本家の境界線測量の日に確認をされました。以前から各種の現象でそれは、分かっていましたが、その日に確定をされたのです。
その測量は、私が問題としている<土地が盗まれた件>の証拠を隠滅していくのに役立つ作業でした。が、主人にだけその知らせをして、「絶対に奥様には知らせないでください」と、敵たちは言った模様です。ても、天はすべてを、みそなわして、私をお守りくださるので、私は偶然ですが、山の下で、梶本母娘に出会い、その日測量が行われることを知り、その現場に居合わせて、詳細な過程を見ることとなりました。で、私にとっては超が付くほど不利なことなので、珍しく抗議していますので、けんかの雰囲気は出てきました。だから、梶本家と、私の間には、争う雰囲気は無論のことありましたよ。
でも、この日、佐土原+増井夫妻、およびミスター冴木以外の人間は、外に出てきませんでした。なお、遠野家は別格です。悪人側の主役なので、様子を見に出てきました。他の家が沈黙をしていたのは、こんなことに加味してしまったら、自分の身に火の粉が降りかかって、大変なことになるのを、知っているからです。ところが、両家は、何を思ったか、のこのこ出てきたのです。ミスター冴木は、ただ、心配そうに見ているだけでしたが、佐土原夫人とその別姓の夫・増井氏は、梶本親子が、私道部分の、植木を抜くのを手伝ってあげていました。その植木を抜くということも、証拠隠滅の一つなのですが、それを知っていて、なお、手伝ってあげていると言う雰囲気も感じましたね。
私は、佐土原夫人については、しばしば、悪女だと言って、言上げをします。が、ご主人の増井氏については、その頻度が低いので、あまり言及をしません。専業主婦の佐土原夫人の方が動きが大きく、しかも何十回も使役をされて来ているので、彼女を悪女と規定をして、今では、すべてを、語っています。
私の夫を敵方が、自分たちの味方につけて、妻を裏切らせる手法こそ、1983~5年ごろ、敵さんたちが、梶本家に対して、盛んに使った手口です。CIAが絡んでいるのでマニュアル通りに行動しています。それが、わが家に対しても梶本家に使われたタイミングの、何十年かのちに、同じ様に、使われているのでした。
電話だけではなくて、室内が盗聴をされていることが解っているので、主に手紙で、連絡を取っていますが、私が主人あてに書いた手紙をもし、保存しておいたら、すでに、大き目の段ボ-ル、ふた箱には達しているでしょう。貴重な資料となるとは、感じていますが、すべては、焼却しています。もしそれが、敵に把握されると、私への、攻撃の種になりかねないという意味で、リスキーな内容なので、焼却をしています。
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副題2、『みなとみらいの高層階レストランに、野見山暁治の壁画があるが!』
で、一時期は、バイキングを食べ歩くというのを、夫婦の共通の趣味としていました。横浜のみなとみらいに、ランドマークタワーというのがあります。その大部分にはロイヤルパークホテルが入っていて、70階には、昼の時間帯にバイキングを行っているレストラン・シリウスがあります。そこには、野見山暁治さんの壁画が飾ってあります。
以前それについて短い文章を書いています。<レストランの、ウエイターに聞いたところ、作者の名前を知らなかったので驚いた。レストランの店長の教育がなっていないなあ>と、言う趣旨で。
パソコンが何台も壊されているので、これをもし、AOLのメルマガで書いたとしたら、すでに、失われている文章ですが、自分では覚えております。ところで、その文章は例の、「XX%、開示の文章です」方式で、本音をさらせば、15%程度の、脳味噌開示の文章であって、頭の中では、もっと別のことを考えておりました。
二つのことを考えておりました。
一つは、ギャラリー山口のオーナー、みつ子さんのことです。
で、そういう内心を秘めながら、食事を重ねつつ、壁画を詳細に検討すると、金箔などが使ってあって、現代アートとしては、破格のお値段をとって、制作をされたと推察しました。しかし、『大コンツェルン・三菱系列が、自分の顔として、設計するホテルに、この作家を使うのなど、コンセプトが間違っていますね』と、感じたものの、二つ目のポイントとして、そのお高い画料を支出するべく手配をしたのが、私の・・いとこ・・だろうなあと、考え到って、『うーむ、やりましたね。敵さんたち、そういうポイントでも、高笑いをしているのでしょう』と、思考がいたりました。
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副題3、『童話の世界でいう、<大様の耳はロバの耳>が、野見山さんと、その作品には、当てはまる』
野見山さんは、炭鉱を経営していた人の息子です。で、時代がそういう時代だったので、親に大金がありました。で、長期間フランス留学をしています。また、東京のアトリエも、九州のアトリエも豪華です。そして芸大出身です。だから、もてはやされています。エッセイ椅子とでもあるし。
が、画風と、表現された結果を見ると、炭鉱内部とか、何かの遺伝子を感じさせるものであって、洗練をされたホテルという空間、とくに横浜みなとみらいという場所に、ふさわしい作家(作品)とは思えません。
ここが、日本人のダメなところですね。本当の美意識ではなくて、宣伝に乗って誇大化された評判に、左右をされてしまう。その典型が、このシリウスの壁画です。
ところでね。世の中の大抵の人は、こういう表現に仰天をして、私の方が悪者だというでしょう。だけど、野見山さんって、あまりにも過剰に祭り上げられていて、美術界の王様と化しています。そして、その権力を駆使して、私に対するいじめの先鋒に立っています。その活動拠点というか規範が美術9条で、野見山さんはその発起人になっています。今般、憲法9条がノーベル賞の平和賞部門の受賞対象となっていると、朝日新聞が報道して、から騒ぎが起きました。どうして、平和賞が、憲法9条に下されるかというと、野見山さんが、やってきたことを、褒章する目的があるのです。一つにはそれであって、私が書いている文章を否定する役目を果たします。
私は、実力から言うと、すでに、中堅の人文系出版社からは、軒並みエッセイが出版される斎藤孝さんとか、斎藤茂太さん、とか、澤地久恵さん級の扱いを受けていて、いいと思っております。ところが、大学四年生の時から、ベーカーさんという金髪碧眼のCIAに<この人間は、頭が抜群によいのだ>と、見つけられてしまっていて、つぶそう、つぶそうと、ありとあらゆる場合に、足を引っ張られ続けてきたので、いまだに大衆的なブレイクは果たせていなくて、知名度がありません。だから、特権がないのです。無論の事、収入もありません。
一般的なブロガーだと、アフィリエイトという仕組みで、これほど、訪問回数が多いと、広告収入料が入るらしいのです。訪問回数一回につき一円だとしても、既に、250万円以上は確実に入って居ていいはずです。だけど、私がアフィリエイトの仕組みに気が付いて、申し込もうとしたら、『そのサービスは終了しました』と液晶画面から言われました。パソコンの世界って、どんなバグでも入れられるので、この通達は嘘である可能性が大きいのですが、そのバグを突破できないので、時間は膨大に取られているものの、そこからの収入は、一切ないのです。電話番号等が記載されていればいいのですが、今、電話番号を使っては申し込みができないシステムが世の中に蔓延しています。
これによって、享受し得るべき利益を享受できないでいる人は、大勢いるでしょう。で、そういう部分の金銭は、システムのことを理解している新しい形の人間(しかも、とても小賢しいタイプ)に奪われていっています。
また、普段からパソコンをしょっちゅう壊されているし、電話は盗聴をされているので、文明の機器には、一切頼らない生活を送っております。大切なことは、リアルに訪問をして、用事を果たします。しかも、東と南の窓からは、葉っぱ(大木)しか見えません。以下の写真は、東南の方向を、自分が座ってパソコンを打っているところから見た景色ですが、『樹木しか見えない』というのが本当だ、と皆様にも、ご理解をいただけるでしょう。手前の大き目の葉っぱは買ってきて植えたアケビ(ちょうど花が咲いている時期に撮影している)ですが、その後ろが、鎌倉時代から続く自然の樹木(たぶしい)です。
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副題4、『私の敵たちは、トカゲの脳味噌の持ち主か、それとも、そうでもないのか?』
私のいとこは、一時期ロイヤルパークホテルの重役をしていました。もともとのホテルマンではなくて、金融が専門です。で、元の会社が三菱系なのだと感じます。で、横滑りとして、ロイヤルパークホテルに入社しました。が、元来が、金融畑なので、お金を扱うから、当然のこと、このシリウスの画料にもタッチしたと考えています。
こういう話は、私が現在72歳で、いとこが、80歳を超えているので、一種の遺言書として語る話であって、普通なら語らない話の一つです。
でもね、私は勝負を挑んではいませんが、向こう側が常に勝負を挑んできていて、勝てば官軍だと、じゅうたん爆撃的に攻撃をしてきますので、これを、語っておいた方がいいと、今は、思うのです。いとこが金を払う相手だから、野見山さんが、選任されたのです。デザイン的にふさわしいということで、選任されたわけでもないでしょう。野見山さんは、いろいろな方面で、私を弾圧し、攻撃する役目を担っています。卵が先か、鶏が先かは、分からないものの、このシリウスの壁画とは、そういう作業に対する一種のご褒美だったと、推察されます。
ただし、野見山さん側は、これをステップアップの原動力として、ぐんぐん出世をしていき、2013年度などホテルニューオータニで個展をしていますね。これも、作品と会場の雰囲気は、絶対に合わないと思いますが、そこで行われました。それも、私の文章が、関与しているはずです。2012年度のNTTの株主総会が三社合同で、そこで開かれました。それを文章に書いています。そのうえ、創業者一族のお嫁さん(大谷順子さん)が、私の友人で、何回も個人的な、電話を交わしています。彼女の方は今はすでに、亡くなっています。それは、15年前でしたけれど、無論の事、敵さんは、この友人関係を、把握をしているでしょう。
幸いに、いとこは紳士ですから、お隣の佐土原夫人みたいに、ひねった形での、攻撃的な言動を弄するわけでもありません。だけど、シリウスの壁画を見た日から、私の方が、いとこへの接触を抑える様になりました。私が、『五億円の被害があります』と常々言っているのは、こういう部分も含みます。
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副題5、『ギャラリー山口のオーナーが自殺だったか、他殺だったかについて、14-10-16に語る話』
彼女は、読売新聞まで使って、自殺だと喧伝をされていますが、決して自殺ではなくて他殺だったと私はみています。その読売新聞の記事ですが、積極的な、筋の回し役として、旧村松画廊のオーナー川島女史が、登場しています。ここから先は、本日初めて語る真実(?)ですが、川島女史は、ひそかに、在日の出自を隠していたのではないかと、推察しています。抜群の厚遇を与えられていました。今、この章で語る、増田きよみさんへのサポートとか、ギャルリー志門のオーナーへのサポートと似た類で、『あの人は、絶対に徒手空拳で画廊を運営しているわけでもないでしょうね』と思っていました。
ただ、普通サポートというと、恋愛関係にある男性が、してくれる、ということになるとは思いますが、この三人のケースはちょっと異なっているでしょう。増田さんは、野見山さんからの権威付与という形でのサポートであって、誰か男ができたから、ランクアップしていったとは思えません。ギャルリー志門のオーナーは、『父、または、親戚が、大金持ちなのかもしれない』と思っております。ただ、彼女の場合は、『金があります』というだけでもない、品格を感じるので、大物の美術関係者(美術館の館長とか、美術評論家、または、大学教授、または、美術を好きな大実業家?)等が、サポートをしている可能性を感じます。で、川島女史ですが、在日の出自を隠していたと推察できるるところがあって、在日社会からの支援を受けていたと、みなすことができます。
今、名簿を作ってはいけないこととなっています。お茶大の付属高校もそれが、できなくて、同窓会関係者は、いささか困っているそうです。これは、日本全国から聞こえてくる声です。で、この話ですが、対、私狙いだと思っています。私は個展をするたびに同窓会名簿を利用しましたし、それをブログの世界で、公言をしています。お茶大付属高校も駄目なのだそうですが、横浜国立大学付属中学も駄目だそうなのです。また、ICUもむろんだめだそうです。で、やはり、と確信することがあります。
それは、『私の付属中学時代の同級生、成岡庸司君が、現在の日本のトップエージェントであり、しかも、彼には、在日の出自があるだろう』というポイントです。サイ洋一監督が、日本映画監督協会の会長を務めていることができるのも、トップエージェントが、在日の出自を持つ人だったら、納得ができます。ほかにもいろいろな傍証づけができています。山手線の内回りが15日の早朝、信号トラブルで、動かなくなり、2万人が迷惑をこうむったというのも、成岡君が、日比谷高校ののち、早稲田の政経へ進み、革丸の委員長を経て、三里塚闘争を指揮し、その余波で、千葉動労を支配し、さらには、JR東日本をも、その手中に収めているからだと思ってます。
あの、信号機トラブルですが、私なんかしょっちゅう車内放送で、それを言われていて、2010年の4月3日は、2時間北鎌倉で閉じ込められたし、アリと、あらゆる外出で、遅延現象を起こされています。すべて、私狙いだと思いますが、それを『お前だけが狙われているわけではない』という風にブログの文章を否定していくために、起こされたと思います。早朝五時だから、絶対に、私狙いではないわけです。(笑い)
ところで、彼は、一般国民には、不便を強いていると思いますが、自分たち在日の人間は、リスト(名簿)を紙の形でも、ネット上のメーリングリストの形でも、両方で、相当緻密に作り上げ、ファイル別に、統括し、自分たちの、活動に役立てていると思います。保見容疑者とか、阿部俊樹等は、こういうリストの力を利用して、見つけられていった可能性が高いです。その二人が在日というわけではなくて、在日の人たちの情報収集能力を駆使したから、見つかった人材だと思っています。
特に保見容疑者は、読売新聞から以前に、取材を受けたことがありました。その取材記事を、マスコミウォッチャー化、読売内部のこれらリスト内人物から提供を受ければ、見つけることができます。
これは、創価学会とか、共産党とも同じです。重厚なメーリングリストを持っていて、しかも用途別にすぐ使える様に、ファイル化してあると思いますよ。ベネッセの個人情報が漏れたなんて言うニュースは、どっちでもいいほど小さいことなのです。もれるか漏れないかは別として、この世の中には、だまされて、同窓会の名簿さえ作ることのできない上品な中産階級と、情報を駆使して抜け目なく出世していく、成り上がり者とで、成り立っていて、後者が、破壊的に出世して、金銭と名誉を独占しているという現状があります。北野武監督が在日かどうかは知りませんが、2011年度で、13億円の収入だそうです。破壊的な出世というのにあたります。
で、元に戻ります。川島女史が、メディアの世界でも、リアルな世界でも、『山口さんは、自殺です』と、触れ回ったことが、私の大いなる傍証の一つとなって、山口さんは、他殺であったと確信をしています。川島女史は、この件に関しては、まさしくマタハリ、または、川島良子級のインテリジェンスでした。
その他殺の原因となった人物たちが何人もいますが、秋山裕徳太子氏の行動と、野見山暁次氏の行動は、確実に原因の一つとなっていると思います。野見山氏が、60%ぐらいの原因者で、秋山氏が15%ぐらいの原因者で、山口みつ子さんが、殺されたと、私は考えております。
このシリウスの壁画が注文されたころは、山口千里さんが、まだ秘書にはなっていなかったと思われるので、一種の連絡先とか、何とかとして、山口みつ子さんが、かかわった可能性はあるのです。しかし、山口さんに、お金が何パーセントか渡っただろうか?と、考えると、ノーなのだろうと、思い至ります。野見山さんがここまで、大きくなったのは、定期的に、使用料を取らないで、個展を開いてあげた山口さんの貢献は大きいです。それなのに、山口さんは、金銭的には野見山さんから、正しい見返りをもらっていません。山口さんが、自殺だと喧伝をされていて、その理由はお金に困っていたからだとも喧伝をされていますが、それが、仮に正しいとしても、かえって野見山さんの責任は深くなります。
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副題6、『電話を使った脅かしについて』
今、そこまでを語るのは、もう一つ理由があって、この2014年二月に、妹からかかってきた電話が、どうしても、腑に落ちず、あれはやはり、私をひっかけ、苦しめていく為の罠ではなかったのか?と、言うことを、14日から、書き始めています。だから、前報がなかなか、完成をしないのですが、『妹まで、道具として使われたかな?』『妹は納得をして演技をしていたのかな?』と、まで、気づくのは、その前の段階として、かれらが、いとこにまで、手を伸ばしている野に、気が付いているからでした。そして、別の親戚(=はとこ)までにも手を伸ばしています。見事にそれがわかっていますが、まだ、ブログには書いていません。
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副題7、『電話を利用した攻撃をしてくる人物の、新候補が、出てきた』
書かないでいると、彼らは、『その攻撃には、彼女は、まだ気が付いていない模様なので、だまし討ちが大成功をした』と、考えるらしいのです。それで、私が『敵さん方は、トカゲの脳味噌の持ち主で』と書くと、『ふん、何を言ってやがるんだ。反対だろう! お前こそバカではないか』と高飛車に出て、さらに単純な攻撃をしてきます。昨日はワンギリの電話をかけてきました。久しぶりでしたが、本体のブログで、ワン切りについて触れたので、掛けてきたのです。それは、昔は井上ひさしだろうと推察していましたが、この10月11日にノエミという猫の名前に触れた途端に、真昼間でしたが、無言電話がかかって来て、それを、そのタイミングで、やれるのは角田祝二・雅子(仮名である。今書いている小説では、最大級の悪人として、表現をされる。彼らがやることがあまりにも汚いので、全体を実名で書けなくなったもの)夫妻しかいないので、『2007年ごろから始まっている、この、ワンギリ攻撃は、あの夫婦がやっていたのかなあ』と、考える様にもなっています。
またね。その日(11日の深夜で、実際には12日の早朝になる)、彼らの一階に電気が、珍しく真夜中ついていました。朝の4時に、主人が起きてきたので、『一応、ここで、やめないといけないな』と私は考えて、パソコンをシャットダウンもせずに、放ったらかしにして、ともかく、外へ出たのです。徹夜明けなので、パソコンが使えない限り、すぐに、寝ないといけませんが、数百ある鉢植えの様子は、点検をして置かないと、寝られないからです。乾燥している日は、前日から、30時間経過しただけでも、鉢植えの植物が駄目になるので。
で、偶然にも朝の4時に角田家に、珍しく電気がついているのに、気が付きました。12日の朝の時点では、まだ小説家はしておらず、すべて実名で表記していましたので、どういう風に文章が流れるかが心配で、監視していたものだと推察されます。
語るに落ちるというたぐいのものでした。今、それを、いったん引っ込めてありますが、ビビッてそうしているわけではなくて、丁寧に整えたいからでした。内容が汚い時ほど、文章だけは、きれいにしておかないと、いけません。それは、一種のサービス精神ですが、日本人ならだれでも持っている、思いやりの類のものです。
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副題8、『K’s ギャラリーのオーナー増田きよみさんは、野見山さんに心酔をしている模様だ』
私は今は、巡る画廊の数を、半分にしていますが、元気なころは、新橋から、時には日本橋まで、めぐりました。で、渋谷や新宿を除けば、ほとんどすべての画廊を、まわっているので、画廊のオーナーの人格やら性格は熟知しているつもりです。画廊とは女性向きの仕事だとみなされていて、女性のオーナーが多いのですが、その中で、「とくに、美的センスに優れているから、画廊をやっています」と、言う女性は、そうは、多くありません。K's ギャラリーのオーナー増田清美さんは、その手の美的センスの優れている画廊主であって、とくに色の感覚に優れています。
フェイスブックをやっていた時期に、ちらっと彼女の頁に入ったことがあるのですが、都立高校の出身です。美大とか、美術専門学校は出ていません。だが、画家の才能を見抜く目はある人です。で、自分のところで、個展を開かせる画家を、選別していって、今では、色づかいの面では、優等生の作家を集めるという形で、大体、統一をとることができる様になっています。
彼女は後発の画廊の方ですが、私はひどく気に入って、毎週行くし、作家にも声をかけたり、オーナーにも声をかけて、通る画廊となりました。それは、西欧風に言えばアガペーの交流のある世界でした。ところが、2007年ごろから私の身辺に異常なことが起こり始め、私は、誰かが使者として立ち、銀座の画廊街で、私に対する悪口を流していると、感じました。以前から、赤津侃さんが、それをやっているとは、いろいろな人から聞いていましたが、彼は、欠点も持っている人なので、彼の言葉を全部信じる人もいるはずもなく、急にこれ程、体制が悪くなるはずもなく、もっと別の人が悪い風評を流していると、気が付きました。
今では、それは、野見山暁次さん、油井一人さん、平野和子さん・他であると、大体わかってきています。だけど、その頃は、まだ、分かっておらず、増田さんに教えてもらいたいと思いました。で、夕食に誘いました。増田さんは教えてはくれませんでしたよ。だけど、誠実にも一緒に夕食は付き合ってくれました。
それが、増田さんが、画然と、出世して行く機縁だったと思っています。ずいぶんはっきりと、自分のことを偉そうに、言う様ですが、これは、だれも真実を告白してくれなくても、正しいでしょう。どういうことかというと、尾行がついていたか、増田さんの画廊に盗聴装置が仕掛けられていて、私と彼女が一緒に居酒屋へ行ったのが、敵さん方に、把握をされていたのです。
住居の近辺でもそうですが、私の敵たちは、私に友達ができるのを、異常に恐れています。それは、自分たちが数の力を信じているから、たった二人でも、それが、大きな力になると信じているのです。で、すぐ、増田さんを、私から引っぺがす作戦が開始させられて、その目的にかなうもっとも、大きな使い手として、野見山さんが、乗り出して来ました。野見山さんは無論、その後ろから、誰かに頼まれたわけですが、それが誰であるかは、まだ私には見えていません。
でも、野見山さんが、増田きよみさんに急接近をしたのは、確かでしょう。方法はどういう形かというと、野見山さんをお祝いする大きなパーティの、二次会等へ、増田さんを招いて、出席させるのです。そこは少人数のはずで、しかも、打ち解けた会なので、野見山さんの言動は出席者全員に伝わりやすいです。そこで、野見山さんが、増田さんをほめ言葉とともに、有力者に紹介します。そういう紹介があった後では、お金もついてくるでしょうし、名誉もついてくるし、実力もついてきます。美術雑誌が野見山さんの後ろ盾で、増田さんの画廊を取り上げてくれたり・・・・・ここで、重要なことは、無償でということです・・・・・増田さんが推している画家について、記事を書いてくれたりします。これも重要なことは無償でということです。
こういう流れは一見すると、策略とも政治的な問題とも思えません。で、彼女が、十分に野見山さんに心酔した時期に、野見山さんが、「雨宮舜(=本名、川崎千恵子)は、だれそれと、けんかをしている、大変迷惑な存在であって、うんぬん、かんぬん」と、彼女に吹き込めば、彼女も、すぐさまそれを信じるでしょう。特に鶴岡八幡宮様と、井上ひさしの名前を出せば、詳細を知らない人間は、いちころでしょう。
こういう仕組みで、私は、コツコツ、作り上げた友達を失っていきます。そして、反対に敵方に取り込まれた元・友達の方は、社会的名誉とお金を得ていきます。そういう流れと同じ手法が、昔からの、学友にまで及んでいます。そういう流れの根本の根本のところに、瀬島隆三から始まる土地をめぐる泥棒㋾、私が目撃しており、それをわたくしが文章で、説明できる力を持っているということがあります。で、私を暗殺する仕組みと仕掛けが、次から次へと行われ、それが、積もりに積もって、大変な重さに、なっている事が、原因なのです。彼らは無論の事、自分たち側が不利になる部分は説明をしませんので、彼らの言説がすうすう通ってしまうのです。それが、私が良く言っている、『私には、五億円の被害がある』という実態です。
でもね。これでは、私があまりにもかわいそうだとお思いになるのか、ときどき、神様が私を、お助けをくださるのですよ。ただ、それらのエピソードについては、今は語りません。で、先へ進みましょう。
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副題9、『ギャルリー志門も、相当に、いい作品が置いてある画廊だ』
色のセンスが、よいという意味では、K'sギャラリーは、断然トップだと、いまだに思っています。ただ、展示されている作品に統一感があると思う画廊は、ほかにもあります。今の、増田さんの画廊は京橋に移転をしたので、私が巡る順路でいうと、北の方にあたります。
で、私の順路の南側にあたる6丁目に、ギャルリー志門という画廊があります。ここは、やはり、後発の画廊です。別に私が二人をライバルとして設定できるわけでもないが、ちょうど、オーナーの年齢等が、同じくらいで、しかも開廊も同じころではないかとみています。
こちらは、色において統一感があるというわけではないが、すでに売れる段階の作家を扱っていて、やはり、誰か有力者のサポートがあるのではないかと推察をさせます。または、オーナー自身が、昔、有名美術館に勤めていたのではないかな?と、推察させるところがあります。私は噂話を全くしない人間なので、彼女の個人的な背景は知らないものの、推察していることは間違っていないでしょう。ともかく、彼女が徒手空拳で、自分の力だけで、運営をしているとは、思えません。
増田さんと違うのは、『こちらは、女子高育ちではないかな?』と、思わせるところがあって、そのあとで、エスカレーター式に上位の大学へ進学したのか、または、別の大学へ進学したのだろうと思われます。だから、都立高校出身で、やや野暮ったいが、誠実で、信頼感のおける増田さんとは、異なっていて、いろいろなポイントで、おしゃれです。また、プライドも高いでしょう。で、抜け目もなくて、その点では、怖いかな?
この画廊では、私は、今、失礼な対応を受けていると言ってもいいのですが、それは、赤津さんあたりからの情報を、この人が鵜呑みにしているからだと、推察していて、それは、それで、仕方がないと思っています。現実の世の中は、天国ではありません。それでも、客観的に言うと、私は好きなことをやる人生を送ってきたのだから、ラッキーな人でもあると言え、ある面では、幸運な人でもあります。有名出版社から自分の本がまだ、出版されていない人だから、これほどの、真実を、かつ、自由自在に、語ることができるのですよ。だから、これで、いいのです。何もかも得ようとしてはいけません。神様の愛顧を失います。
さて、10月13日からの、この画廊での、展示作品はとてもいいものでした。無彩色ですが、色目を感じる、作品で、作家にいろいろ質問をすると、なんと、墨と和紙で、制作した作品だそうです。現代アート系の作品としては、使ってある材料が極めて珍しい作品です。青墨を使い、漂白をしていない越前和紙の上で、制作してあるのだそうです。温かみを感じるのですが、青墨を使ってあるということに、驚きました。版画の世界では、パリに本店があるシャルボネの版画インクというのがとても有名ですが、それにも青系のくろと、赤系のくろがあります。どちらを使うかで、出来上がった作品が、鑑賞者にもたらすニュアンスが異なってきます。
で、満足して去ろうとしたときに、いつもと違う点が二つあるのに気が付きました。潜在意識の中でです。ただ、たった一分後には、それが、大変役に立つのですから、センスが、いつも、ピンと立っているということは、時には、身を守ります。
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副題10、『銀座六丁目、新保ビルでは、過去にもいろいろあったなあ。感慨が深いよ』
一つは、オーナーが、うろうろと動いていたことです。この人は普段は、こんなにうろうろと動き回りません。それに違和感を持ったこと。二つ目は、ピンクのシャツを着た四十代後半と思われる男性が、私の次の客として入って来て、入り口まで到着をしているのに、画廊の中には入らず、エレベーターに乗ろうとしている私の、傍らに立ったことです。『いい作品なのに、どうして見ないで帰ってしまうのだろう?』と不思議に思いました。
さて、エレベーターボタンを押したのですが、なかなか、降りて来ません。すると傍にいたピンクのシャツさんが、「ずいぶん、遅いですね」と、言いました。「ええ、そうですね」と、私はうなずきました。で、待ったなあという感じを受けた後で、ドアが開きました。驚いたことに中が満杯でした。大人が四人乗っていて、その最前列に画廊るたんのオーナー、中島さんがいました。すぐ、『ああ、これが、本日の仕掛けですね』と思い至りました。
と、同時に、このビルが舞台と、なった過去のいろいろな事案を思い出しました。このビルの一階で、外人に呼び止められ、「あなたのうちへ行きたい」と言われたこと。画商風を装っていたが、アサッシン(暗殺者)でした。「絶対に、一人で家にいてくださいね」と念を押し、主人のいない火曜日にデートの約束をして、鎌倉までやってきました。だけど、彼から、そういう申し出でを、新保ビルで受けた瞬間に、私は彼の目的がわかったので、主人には、当日家に、いてもらいました。おとなしそうな男性で、殺人鬼とも思われませんでしたが、絶対にコートを脱がなかったです。懐に、ピストルでも隠していたのでしょう。でも、その場に夫婦二人ともがいると、それを二人とも、殺してしまうと、子供や主人の患者が、騒ぐでしょう。そうなると、しっかりとした犯罪になるので、計画を中断したのだと思います。もし、私一人だったら射撃した後で、遺体を待ち構えていた別の人間たちと一緒に、即座に始末して、単なる行方不明とさせる計画だったと推察しています。真実を語るものは、本当に大変なのですよ。
そして、その外人は、最後まで、名前もメルアドも言いませんでした。ケイタイを取り出せば、すぐ、自分がどういう人間かは、示すことができますが、示しませんでした。私はお願いして、わざと一緒にペア写真を撮っていますが、さすがにそれを公開する気分にはなりません。
こんなことを、ちらっと思い出しながら、『このビルって、いろいろな面で、CIA様に支配をされているんですね。二階に画廊がある、るたんのオーナーが、五階から降りて来るなんて! 今日の罠というか、しかけというか、寸劇は、凝っている事』と、思いました。
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副題11、『しかし、連中様の思惑とは違って、私は、内心で、にっこりする』
さて、急に画廊るたんのオーナーに、出くわすことになっても、私は、まったく動揺をしませんでした。これは、6月2日に、五時間ものデートを重ねた安藤てる子さん(=私のブログの熱烈なファンを名乗り2011年に近づいてきた人。だが、本当は、女性刑事が変装していると思われる。100%のスパイ)に、私が、
「嫌なことがあるときは、知らんぷりをして事態を乗り切る」と言っているのを、利用した一種の復讐行為だと思います。
何に対する復讐行為かというと、私が今、自宅近辺の悪辣な現象を、仮名で小説形式で書いていますね。その中で、『こういう風に仮名で書くと、必ず、<そうか、そこまでわかっているのなら、真実を書かないうちに殺してやろう>と、なって、復讐をされて、大損をするので、できるだけ実名で書きたいのです』と書いています。そこを狙った復讐です。何が復讐にあたるかというと、私は中島さんが、どれほどのいじわるをして来たかということを、過去に書いています。そしてそこから国画会内部の忌まわしい現象の数々を書き進めようとしています。後でリンク先を探しておきます。
だが、嫌がるはずだと、思っているだろう、彼らの思惑とは違って、中島さんと出くわしても、動揺したりビビったりすることはなく、内心で、ニヤッとするぐらいでした。つまり、中島さんと、一緒にいる三人のお客さんと、中島さんが、今、私のために、動いているわけですね。
そして、こんなにタイミングよく、彼女が目の前に現れるためには、相当前、例えば一時間は前から、このお客さん三人と一緒に打ち合わせ小しないといけないので、私が鎌倉を出た途端に、準備が始まったのでしょう。『今、七時ですから、中島さんは、この三人の動員したお客と一緒に、<手伝ってくれてご苦労様>と、言いながら、慰労会を開くのでしょうね。どこかなあ』なんて考えながら、と、同時に、内心でだけ、ニヤリとしてしまいました。だって、この三人のお客を動員するほど、私は、中島さんに、意識をされているわけです。それは、かまってもらっているというのと同義語です。
私ね。最近では、誰からも、かまってもらっていません。(笑い) だからこれは、本当に珍しい体験です。銀座の有力画廊を経営している人にして、とても、気が強い人でもある中島さんから、この私が、今、この瞬間は、かまってもらっているのです。別にお茶を出してもらったわけでもありません。それから、「お菓子をどうぞ」と言われたわけでもありません。でも、こういう寸劇を準備されるだけでも、結果としては、もてなしてもらっているのと同じことなのです。
私は思わずほほが緩み、心から、楽しくなってしまいました。でね、人間とは言葉で語らないでも、体が出すオーラで物を語ることができます。
でね、私が心からリラックスをしていて、中島さんを怖がっても、いないことが、中島さんにも、わかったらしいのです。で、「一階を、押しましょうね」と、親切にも、彼女が言ったので、「あ、ありがとうございます」と、私は言いました。別に、「あら、中島さん、お久しぶり」とは、私は言わなかったし、彼女もそういうたぐいの言葉は、出しませんでした。でも、ほかの人から見たら、「あの、人達は知り合いだな」ということは、わかるでしょう。知り合いなんですけれど、けんかもしないし、親しくもしない。一種の平坦な感じ。空気が流れているだけの感じ。ピリピリはしていない感じ。
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副題12、『二階から一階までの、間で起きたこと』
さて、二階で、ぞろぞろと、一行は降りていきました。私は一瞬だけど『画廊るたんに寄ろうかな』と考えました。目的の方が不明でしたけれど、ともかく、大きな芝居を打ってもらいました。<かまってちゃん>という言葉がありますが、かまってもらったのです。そのお礼に、「久しぶりに、寄ってみようかな」と、言いながら、中島さんに、ついて行ってもよかったかもしれませんね。三十代のわたくしだったらそうするかもしれません。今よりずっと繊細で、人の気持ちに寄り添うことを、善としていますから。
でも、今は、すっかりふてぶてしくなりました。『ああ、そうですか。それは、ありがとうございます』というだけで、それ以上の動きはせず、単純に見送りました。先ほど、小さな違和感を抱いたピンクのシャツさんは、私と一緒に残りました。その後の、たった、数秒の間に、思いがけなくも面白い会話が成立しました。「変ですね。あの人たちが、あんな上から降りて来るなんて」と彼は言いました。私も「ええ、そうですね」と答えました。その人は壁の上の方についている、このビルの案内板を見つめました。
このビルは、古くもないが、新しくもなくて、ビルの資材としては、高価なものが使われています。エレベーターも容量が大きくて、壁には真鍮にふちがついた、立派な案内板がかかっていました。それを見ながら、「あ、珍しい。銃砲店がある」と、彼は、いいました。私も思わず振り返って、「あっ」と言いました。日本社会の中で、銃砲店がある場所なんて、早々はありませんよね。
その時、銃砲店というキーワードを通じて、二人の間に、親密な空気が流れました。で、エレベーターが一階について、廊下に入った時に、私はつい、その流れのままに、「あなたは、さっかですか?」と問いかけました。作家というのはこの際は、画家とか版画家とか、彫刻家を指すのですが、プロが使う言葉として銀座では通用するものです。一般の人は、作家という言葉では、小説家とか、エッセイストを思い浮かべると思いますが、銀座では、美術の関係者の中で、特に、作る側の人を指します。
しかし、驚いたことに、そのピンクのシャツを着た男性は、何も答えませんでした。新保ビルは、エレベーターを降りたところが細長いホールになっています。1.5 X 5 間ぐらいの。その間、ずっと答えませんでした。ホールの突当りにガラスのドアがあります。
そこを出たところで、私は右側の新橋方面に向かい、その人は、左側三原橋交差点の方へ向かいました。それで、すべてが終わるはずでした。で、そのあとで、私はいろいろと、文章を書いたはずです。
ところが、私が質問をしてから、ほぼ30秒はたっていて、ほとんど返事がないはずだと、思い始めた時に、かれは、『コレクターです』と答えました。後ろを向いたまま。
私は彼とは、ますます、遠ざかっていく右側に向かいながら、又もや、『う、ふ、ふ』と笑いだしていました。本当に心から笑いました。楽しかったです。
何が楽しかったかですが、それは、『人間んて、いいものだなあ』と、感じることができたからでした。私は考えることが大好きです。そして、考える対象として、『人間とは何なのだ?』ということを考えるのが、好きです。
今、完成させようと努力をしている、小説化、雪ノ下問題も、その一つです。それは、簡便に、「桜が、こどもの、身代わりになって死んで呉れて」としてあります。あまり、しっかりとしたタイトルでもありませんね。ただ、ストレートなだけのタイトルです。どうして投げやりなのかというと、その中身が、人間賛歌にはなっていないからなのです。『人間って恐ろしいなあ』とか、『人間って、汚いなあ』とか、『人間って馬鹿だなあ』と、言う内容で終始します。だけど、あるテーマでまとめると、どうしても、そうなります。ある側面を切り取るとそうなります。
で、書くのに、疲れ切っています。きれいなこと、楽しいことを書くのは、楽ですね。でも、汚いこと、恐ろしいことを書くのは、大量のエネルギーを、必要とします。そして、達成感も少ない。でも、それも人間のある一面です。
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副題12、『この寸劇には、総計、7~8人の人が動員されていましたね。最後の人間が、面白く賢かったです。で、終わり良ければ総て良しとなる』
この寸劇に動員された人は、総計7~9人に及ぶと思います。主役は私と画廊るたんのオーナー中島さんです。で、ギャルリー志門のオーナーも協力者であり、エレベーターに乗って上から、中島さんと一緒に降りてきた数人のおとなも協力者ですが、硬い表情と硬い態度なので、『あら、あら、奴隷として使役をされている人たちって、駄目ねえ』と思いました。この様にタイミングよく行動をするためには、三原橋交差点より北側の画廊も、動員をされて協力をしたと推察をしています。でないと、中島さんは、他人を5階のエレベーターホールで、数十分待たせておかないといけません。それは、重すぎる任務なので、頼めないと思います。で、その様に、タイミングよく行動するために時計役を果たした人間を入れると、協力した演技者は、総計7,8人となります。
で、「あ、銃砲店がある」といったピンクのシャツを着た男性も、むろんグルでしょう。だって、彼は、「変ですね。うえから降りて来るなんて」と言いましたから、画廊るたんが、二階にあるということと、この一行が、画廊るたんのグループであることも知っていたのです。でも、中島さんと、あいさつを交しませんでした。ですから、この寸劇を企画した側の人間でしょう。
そして、最後の最後に、質問に長い時間答えなかったのは『え、どうして、僕に作家という言葉を投げつけるんだろう?』と一瞬、不思議に、思ったからでしょう。ということは、彼は、美術の世界のプロではない可能性があります。でも、30秒ぐらい考えたうえで、『ああ、そうか、画家の世界では、作る人を、そう呼ぶのか』と理解して、『じゃあ、どう答えたらいいかな?』とさらに前に進んで考えて『コレクター』と答えた可能性はあります。
とても頭がいいです。でも、こういう考察は、彼が本当にコレクターだったら間違っていますね。でも、単なるコレクターであっても、この日は頼まれてグルのメンバーをやっていたのです。彼の任務は、私の様子を観察し、こういうアイデアを企画した上司に、私が、中島さんの姿に接して動揺をしたか、どうかを報告をすることだった筈です。
ここで、2万字を使い切ってしまったので、この続きは別章で語ります。
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