銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

美術界のヒエラーキーと、美術雑誌、『美術の窓』について(野見山さん登場す)

2012-06-29 04:03:42 | Weblog

 以下の文章は、文化庁の在外研修生(=大人、特に芸術方面の人向けの、留学制度)の同窓会を終えて、爪に幸運の白い印が出てきた話の第三回目です。一、二度、初稿をさらしていますが、どんどん、改変しています。

 本日、金曜日は三回目として、残りを推敲していきましょう。推敲前は、6300字ですが、推敲後は、驚くことに、1万9千字を越しました。しかもそれは、初稿の段階での3千字の部分だけでです。そして、予想通り、また、途中で切ってしまっています。

副題15、『馬越陽子さんは、育ちのよいお嬢様なのだけれど』
副題16、『柳澤紀子さんには、にらまれたかな?』
副題17、『月刊ギャラリーの連載中止後の、私の環境の激変』
副題18、『2007年4月に知った、ネットの悪用事例。無許可で公開されていた私の文章類』
副題19、『TV画面の中の斉藤和義と一緒に、あくびをした(笑)』
副題20、『美術の窓の編集長、一井健二氏とはどういう人か?』
副題21、『美術の窓から、夜6時過ぎにセールスの電話がかかってきた。変だぞ』
副題22、『野見山暁司さんの秘書に、山口千里さんが選出されたのも、私の電話を盗聴した結果でしょう』
副題23、『文化庁の、在外研修生の同窓会が、26日に設定をされていなかったら、これらのことは思い出さなかっただろう』
副題24、『なぜ、馬越陽子さんの自慢に、めげなかったか?』

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副題15、『馬越陽子さんは、育ちのよいお嬢様なのだけれど』

 この一連のシリーズで、相当に重要な人物として登場するのが馬越陽子さんです。その馬越陽子さんについて、私はすでに、このシリーズ以前に、7,8回文章を書いていると思います。それは、このブログないではなくて、あて先のわかっているメルマガ内でです。それは、14年間も続いているわけでして、種々さまざまな文章を書いていますが、

 馬越陽子さんは、私が大体において好きなタイプの画家でした。もっと好きでもっと大きな交流のある、上條陽子さんから、「実は私と対立するライバルとして、馬越陽子さんが設定をされている」と、聞いたことがあるし、「なんとはないいじめの気配を、馬越さんから受けた」と聞いたこともあるので、馬越さんを好きだなんていっては、上條さんに対する忠誠心からも、いけない部分もあるのですが、それでも、なぜ、ここで、好きな方かといってしまうといえば、後々に関連があるからです。どこが、好きかといえば、育ちのよさそうなところがあって、育ちのいい人は大体が、ひどいことはしないというのが、私の、観点でもあります。

 ただ、こんな、ことも、実は、秘密中の秘密の話です。が、私も近々、死んでいくので、この機会に話しておきたいと思うことのひとつです。上條陽子さんも育ちのよい方で、お嬢様気質丸出しの方で、・・・・・実は生来で、放っておかれれば、まさしく同じタイプの・・・・・私は、上條陽子さんのほうが好きですよ。
 人間としても最晩年の今、ご主人の老後を見ていて、外出が、容易でなくなったと伝聞で聞いている上條陽子さんのほうが、人生の送り方としては、馬越陽子さんよりも望ましい。後で、述べるように、馬越陽子さんのご主人は若い日に自殺をなさっておられます。それがどうって言うことはないが、でも、穏やかさとか、神との交流において、上條さんの晩年のほうが、恵まれているような気がします。
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副題16、『柳澤紀子さんには、にらまれたかな?』

 ここだけは、あなた様のほうで、下にスクロールしてくださると出てくる文章へ移動をさせました。というのも全文が、二万字を超えてしまい、公開できませんと、グーブログさんが言うものですから。
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副題17、『月刊ギャラリーの連載中止後の、私の環境の激変』

 私は、2006年度5月から2007年四月まで、月刊ギャラリーで連載をさせてもらったのですが、突然に中止を命令されました。他の連載者が、20年分ぐらい続いているし、スパゲッティがどうのこうのなどという文章でお茶を濁しているので、私の当時の文章のほうが圧倒的に、面白かったという自覚があり、読者からも、銀座で会えば「面白いわねえ。あれ」といわれていたので、中断を『変だなあ。これは』と思いました。

 後で、思えば、裏から手が回って、終わらせられたと思います。誰がそれを望んだかといえば、瀬島隆三と、それに代表をされる国際的軍産共同体のエージェントたちです。このブログの、3月16日のところを、クリックしていただけますと、京急北久里浜駅の東の岡に建っている、ソラヒルズという大マンション群の、建設の裏側に、土地取得に関して、書類上は整っているものの、事実上の詐欺・取得が行われていて、もとは、横須賀市の水道局のものだったものを、地権者の大建産業は、ただで、取得したという秘密を、私が、地境地主として、とんでもない被害を与えられたので、知ってしまったのです。

 大建産業の事実上の社長は、益山某という元海軍参謀ですが、その友人が瀬島隆三です。瀬島のほうはもと陸軍参謀でしたね。益山氏の方は、奥様が米軍の将校にほれて渡米をしてしまったという戦後があり、瀬島氏のほうには、ソ連抑留という戦後の苦労があり、二人は相当に、親密のようでした。ともかく、この件についても、横須賀市の副市長杉本夫妻と、横須賀市立美術館の設立が、ほとんど、島田章三さんの個人美術館の趣があることなどの結びつきとか、まだ、重要なことが全然書けていないのですが、ともかく、偶然にして、重要なことをすべて、知ってしまっている私は、抹殺すべき人間とみなされているようで、進歩すればするほど、足元をさらわれるのです。

 で、ずっと忘れていた、上の件なども、それが今に続いているわけで、書かざるを得なくなります。つまり、五方向から、攻め立てられ、責め立てられるので、人権侵害の極地になっていて、『これだったら、ありとあらゆることを書きますわよ。それでも、天はお許しくださるでしょう』と、感じているわけです。ただし、私も人間ですから、体力やら能力には当然のごとき限界があり、部分的にしか書いて行かれないので、常に、「ここでは、30%で、とどめております」と、読者の皆様には、申し上げることとなります。
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副題18、『2007年4月に知った、ネットの悪用事例。無許可で公開されていた私の文章類』

 副題16で、言っているように、私はお嬢様育ちの馬越陽子さんを、それなりに好きですから、最初のころの文章は、オマージュだらけです。特に月刊ギャラリーの連載が終わって、二年間ぐらいは、我慢、我慢で、常識的な書き方をしています。

 今回、この文章も常識的な書き方にするか、そうしないでおくかは大いに迷いました。最初の初稿には、こういう小さな(いや、大きな世界に関する解析です=笑)部分は、入れ込めていませんでした。それが、パーティ直後の心境です。ただし、今は、4日も過ぎているので、いつもの自分の文章に戻ってしまったというわけです。

 常識的な書き方の中でも、私の心底の文明批評は現れていて、その中心は画家にヒエラーキーを設定することへの疑問です。ヒエラーキーがあるので、絵が高く売れる画家と、そうではない画家が生まれて、画家の中に貧富の差が出ます。それに対する疑問はあります。
 で、馬腰サンに対するオマージュの文章の中にも、『大粒のルビーの指輪が光っていて』とか、『三越の画廊で、号あたり十万円の値がついていました。ということは大作が、1000万円以上で』という書き方をしています。

 こういう書き方は、現代の、日本美術界で横行している文章の中には含まれていない行だと思います。だけど、しかるべき人たち(=頭のよい人たち)には、面白いと思われる部分だと感じています。

 ところが、私には背後霊の様に、私の文章を研究している存在がついています。それの代表例が、井上ひさし氏です。種々さまざまな鎌倉市内の音で、それを確信しています。救急車が走り回るとき、廃品回収業者のマイクが、走り回るとき、長島一由氏の宣伝カーが走り回るとき、鶴岡八幡宮様が午前にも、午後にも、20回以上大太鼓を連打されて、その音が、5分以上続くとき、そして、極めつけは、鎌倉市が、設置している防犯協会が使うスピーカーです。

 各市町村にそなえつけられていて、『津波がきます』とか、言って住民に知らせるものです。最近の鎌倉市では、その発信元が市役所と、警察署が多いのですが、当初は、鎌倉防犯協会でした。その発言が、私が井上ひさし分析を、パソコン内でやっているときに、見事なタイミングで、彼を防衛する放送をしたので、彼が日本きっての、枢要なエージェントであり、警察と密接に結びついていることを確信するにいたりました。

 一方で、共産党系であると、公的には宣言をしている・ぬえ・みたいな存在です。ただし、誰をエージェントに選ぶかについても、お互いの人脈を駆使していますので、浅草フランス座が、大いなる、寄与をしていることもわかってきました。
 井上ひさし氏は、そこの座付き作家であり、北野武監督はそこの司会者だったのですよね。ストリップ劇場ですが・・・・・で、二人とも今では、大エージェントというわけです。どっちかがどっちかを推薦した可能性があります。

 一方で、鎌倉市内に引っ越してきてからは、鎌倉ペンクラブの代表の、伊藤玄二郎氏と緊密に結びついています。そして、NHKを二人で牛耳っていますね。それは、ニュースの作り上げ方のアイデアを、頻繁に出していると感じるので、そこからわかることです。いや、ものすごく大きなことへ入っておりますが、私はいじめられ抜いたので、すべてがわかって來たのです。

 しかし、決定的な始まりは、2007年の4月17日に、私のパソコン内・情報がすべて、世間に、公開をされていたことを知ったときからでした。インターネットをやっていなかった私は、グーグル検索というのをそのときまで、ほとんど、やっていなかったので、そのようになっていることをそのときまで知りませんでした。その日に、ホテルダイコクヤ(現代美術のコレクターとして有名)を、検索したのが、初めてくらいだったのですが、そのときに、銀座のダイコクヤの場所に、私の本用に、特別な、頁設定を施し済みの4冊目の本用の原稿が現れているという現象が、発見をされました。それは、銀座の画廊について書いたわけではなくて、間違って張り付いていたわけですが、ともかく、びっくり仰天をしたものです。今では、インターネットにも習熟してきており、落ち着いて対処できますが、そのころは、メルマガはやっているものの、それに忙しくて、AOLを使うだけだったので、まったく知らない場所に、自分が書いた文章が、無断で、すべて公開をされているというのには、本当に驚きました。
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 なおここで挿入として入れますが、銘記すべきは、私は驚きの余り、個人的に数人に相談をしたものの、その事実を公開はしなかったことです。それゆえに、そのころ(2007年の四月ごろ)には、ウィルスの報告もなく、ネット犯罪の報告もありませんでした。ですから、こと、私のパソコンに起きる被害は、非常に個別的なもので、私を特に狙っておきていると感じています。

 そして、その5ヶ月後、私がそれについて初めてメルマガ内で、書いたときから現在まで、私が被害に触れたときは必ず、公の、ネット犯罪がニュースとして伝わる様になりました。ただし、それが私への攻撃を薄めるために、いかにも大勢を対象にしてやられているかのごとく見せるために、作られたニュースであるから、いつの間にか実体がないことが証明されます。
 その代表例がウィキりークスです。あれこれを、言い放っていましたが、いつの間にか消えています。ただし、2012年6月30日の本日、それについて触れたから、天邪鬼な敵たちは、また、ウィキりークス関連のニュースを起こすかもしれません。だが、日付をどうか、ご銘記くださいませ。それが、2012年6月30日以降の再燃なら、私の発言が正しいと証明されたことになります。

 そして、最近でも、企業の大切な部分を壊す何とかがあるとクローズアップ現代が言っていましたが・・・・・それもいつの間にか消えるでしょう。ボットウィルスみたいに。またはトロイの馬みたいに。
 ああ、私ね、偶然にネットカフェでトロイの馬さんに遭遇しました。が、ノートンの分析でも、脅威度は、中程度(または、軽度)で、ノートンが簡単にかつ必ず、撲滅できる類のウィルスだそうです。
 
 その日から、最近、特に、今日までは、怒涛の日々というほどの、敵との戦いの日々の連続です。だから、柳澤紀子さんに、にらまれようが無視されようが、恐るべき人権侵害の連続を、被害として受け続けているわけですから、まったく、書く事へのためらいはないのです。正当防衛として、当然のことだと考えています。書くことの内容についてもためらいはないのです。
 ここで、挿入から元へ戻ります。
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 以下には、二つ目の挿入が入っています。
 ここで、外出をしないとならなくなりました。副題19以下は初稿です。それとの連絡がまだできていません。

 特に馬越陽子さんを、京橋のギャラリー手まで、導入した人物について、重要な可能性のある人を抜かしておりました。それは、月刊『美術の窓』の一井健二氏です。いままでは、新美術新聞の油井一人氏、月刊ギャラリーの本多隆彦氏を上げております。が、余りに近い場所にある、美術の窓の、一井さんが、京橋のギャラリー手までの、歩いても二分足らずの距離を、車を使うことが想像をできなくて、つい、失念してしまったのです。一井さんは、銀座の画廊めぐりをなさるとして、そのときは、車は使わないと思います。
 しかしあれは、寒い時期でした。で、道路でたって、待っているわけにも行かないので、車は絶対に使われたはずです。

 そこらあたりを丁寧に、書き加えます。では、挿入をここで終わります。
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副題19、『TV画面の中の斉藤和義と一緒に、あくびをした(笑)』

 さて、上の様に書いて、外出し、夜の10時前に帰宅しました。主人がつけていた8ちゃのミステリーを、彼が寝るので、BSプレミアアムにかえて、夕飯にでもしようかと思うと、斉藤和義というロック歌手の特集をしていました。
 その人をまったく知らなかったので、テレビを消さないで、情報を吸収しながら、この推敲を始めようとしていたら、歌手斉藤和義さんが、新しいコマーシャル曲(東京メトロへ提供する)の制作中に、徹夜が四日も連続をしたので、つい、カメラの前にもかかわらず、あくびをしたのです。

 すると、私もあくびをしたのです。あくびはうつるというけれど、テレビ画面からうつるのは、初めての経験でした。(笑)

 それで、電車の中で、思いついたことを、ここで、急いで書き写します。この原稿は、火曜日の深夜から四日目に入り、わき道にそれすぎていますが、そのわき道が、私独自のものであり、そこが、得意なのですから、お許しください。

 ただね。これから書くことは相当に恐ろしいことです。一種のうち幕ものですが、基本線をあらわすので、自分としては得意ですが、またまた、物議をかもし出し、鼻つまみ者になるやも知れません。ただし、例のごとく、毒を食らわば皿までだし、私が常に言っている、「損害が五億に達します」というのは、こういうことも含めてなので、丁寧に、書いていきたいと存じます。それで、急遽タイトルも変更いたします。
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副題20、『美術の窓の編集長、一井健二氏とはどういう人か?』

 私は、この人を見たことがありません。さきほど、あげた二人の人、油井一人サンと、本多隆彦さんは、知っています。が、一井さんについては、うわさはいろいろ聞いています。

 たとえば、『私の肩には、100人の命がかかっている』と常に言っているとか。
 美術の窓は大判です。
これと同じ版型で、読むにたえる雑誌としては、*1)1905年創刊のみづゑ、*2)1950年創刊の、芸術新潮、*3)1963年創刊の、太陽がありますが、芸術新潮を除いては、実質的に、廃刊に追い込まれています。それだけ、社会の中で、人々の経済的余裕がなくなっているといえるでしょう。
 
 が、小さい版型の、*4)美術手帖、*5)月刊ギャラりー、*6)月刊美術等は、生き残っています。それは、贅沢感が、少なくて、読みでがあるとみなされているからでしょう。だが、そちらも、この前言ったとおり、ARTICLEなどという無料・配布の雑誌が出ては、相当に大変だと感じます。
 この六冊に加えて、*7)版画芸術などという、実物の版画が付録としてついている贅沢な雑誌もあります。ただし、季刊です。毎月は出ません。
 上の7つのほかに、*8)一枚の絵というのが本屋では、手に入ります。が、最後のものは、素人向けの雑誌だと画家たちからはみなされているでしょう。

 芸術新潮は、母体が大きいので安泰です。また、美術手帖は、そこに書きたいとか、載せたい人が多いので、そう言う予備軍が買うと思うし、美大を卒業した人を中心に相当な固定客がいるとは思います。雑誌の売価が高いですが、それは、広告に頼っている部分が少ないという点で、信用度を高めているでしょう。月刊美術も母体が、新聞社だと聞いているので、安泰だと思います。また、コレクター向けの編集方針らしいので、それなりに、まっとうな記事を載せないと、やがて、読者に見放されると思います。

 で、これらの雑誌は、母体が大きいので編集長が目立ちません。

 が、月刊ギャラリーと美術の窓は、編集長(兼社長)が、強烈な個性を持っていて、その牽引力で持っているところがあります。で、美術の窓が、先輩として、ありとあらゆる点で、大きいです。たとえば、馬越陽子さんの特集が同じ時期にありましたが、使われている字数が、10~12倍あったと感じています。版型が大きく頁が多いので、余裕があるのです。

 だが、内々のぶっちゃけた話をしてしまえば、ほとんどの頁が、実質的には、広告であるといえましょう。画家の宣伝をしているわけです。無論画家の力が強い頁、たとえば、野見山暁司さんのエッセイなどは、原稿料を出す方の頁でしょうが、巻頭の画家特集、以外の画家の紹介頁は、紹介されているほうの画家から、お金を取っているということがなんとはなく、感じ取られるのです。
 だから、この不況下でも、健全に、運営されている。

 こういう恐ろしい話を言うのは、似たような形式で雨後のたけのこのように、次から次へと新しい雑誌が、出版されて消えていくのですが、それらは、半分はだましの手段なのです。出世欲に毒された画家(特に美大を出ていないタイプ)を、勧誘して、「あなたを紹介する頁を作ります」と誘います。
 上野、(今は、六本木も含まれる)で、公募団体展が開かれます。すると、片端から、作品を撮影していて、同時に、それについて、解説的、ほめ言葉・羅列の、解説を録音しているグループがいます。
 そして、のちほど、名簿を頼りに勧誘のお電話をかけます。「何々先生の解説つきで、雑誌に載せてあげます」といわれると、入選したばかりの画家などは、乗せられてしまいがちです。みんな生活のために必死だといってしまえばそれまでですがね。
 または、展覧会とは、別の機会に、種々の名簿を利用して、そこへ片っ端から電話をかけるという手法です。

 私が銀座で最初の個展をしたのは、1981年だったかな? そこから30年間も画家生活をしているわけですから、一回ほど、そう言う半分詐欺の広告にのせられてしまいました。大手新聞社が関係している様に言われて、30年前に7万円出したのですが、後で見ると完璧な広告頁でした。それ以来、最安値は、7万円、最高値は、46万円で、何度も勧誘されました。
 で、個展の会場で、麗々しく、そう言う雑誌を、ソファーの上においている人を見つけると、『ああ、この人は、まだ、素人の域を脱却していないな』と判断することになりましたが、それは、私以外にもそう見る人はいるでしょう。
 そう言う系統の雑誌の中で、最も信用度が高いのが、『美術の窓』だと、感じています。一方で、月刊ギャラリーは、「作家紹介の頁には、作家からお金を取らないのが、方針だ」とか聞いています。で、それは、作家仲間にはうわさですぐ伝わるので、それだけ、人気が高いわけです。特に若い人にね。
 だが、いまだ、素人さんには知名度が高くないと思われ、全国の本屋で扱っているところが少ないのも事実です。

 ところで、月刊ギャラリーのお株を奪うべく創刊された無料で配っているARTICLEも、とうとう資金源がつきたのか、作家からお金を取って、記事を作ってあげるという宣伝をし始めたそうです。正体見たり枯れ尾花ですね。

 この節の冒頭に紹介した言葉のように、美術の窓は、100人の生活がかかっているそうです。それは、社員総数ではなくて、社員の家族も含むので、四人家族が平均だとしても、25人の社員がいることになります。
 そして、銀座に自社ビルを持っています。となると、社長さんは、成功したビジネスマンといえます。一代で大成功をしたビジネスマンとなります。
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副題21、『美術の窓から、夜6時過ぎにセールスの電話がかかってきた。変だぞ』

 美術の窓は、社員が、25人はいるはずだと、申しています。が、独身の若手を含めれば、総数30人程度を抱えている可能性も高いです。すると、時間が余って遊んでいる人間も出てくるでしょう。そう言う人材を使って、勧誘の電話を掛け捲っています。私にもしょっちゅうかかってきます。
 それは、たいてい午前か、午後の、太陽のかんかん照っている時間帯です。

 つまり、9時から5時までのオフィスアワー以内です。で、元来は、関心はなかったのですが、月刊ギャラリーの連載を自分が始めたときには、比較のために、定期購読をはじめ、2年ぐらい続けました。

 最近ずっとそれに触れている、馬越陽子さんを、私をつぶすために、ギャラリー手に出没させた日に、冬なので、必ず車が利用されたはずだと思い、そのときに、『美術の窓』の関与を疑い、それで、定期購読をやめました。

 それなのに、その後で、勧誘の電話がかかってくることが何度もあって、いやだなあと思っていました。特に夕方の6時過ぎにかかってきたときは、かんかんに怒って、メールで厳重に抗議をしたほどです。どうしてかというと、それは、スパイ用の電話だったからです。

 今はね。それ以外の方法をとっていると感じますが、一時期は、電話がスパイ用の道具だったのです。私が外出したか家にいるかを、セールスの電話で確認されていました。それは、本を作っている時期でした。芸術や心理学や、哲学的な内容の、とても平易なエッセイ集なのに、大変な警戒をされていて、本作りを外でされたら大変だということで、いつ外出するかを、常に追跡をされていて、その新しい本の内容を、100%把握したいと思っている軍団がいたのです。これも人権侵害の最たるものだし、言論弾圧の最たるものです。

 最近は、パソコンが発達して、GPS機能がついているらしいのと、私が外で仕事をしなくなったので、安心したのかな? 一時期ほどの激しい数の電話はかかってこなくなりましたが、昔は、夕方になると、セールスの電話を装って、自宅にいるかどうかを確認する電話がかかって来たものです。
 三時にパソコンを閉じれば、三時半に、4時にパソコンを閉じれば、4時半に、正確にかかってきます。
 相手は三菱UFJ証券鎌倉支店です。ただし、これが今は鎌倉には存在しない。でも、一年前までは、鎌倉にあって、しょっちゅう夕方電話をかけてきます。内容は「ご主人様いらっしゃいますか?」です。主人が、治療院にいることはいってあるし、その番号も知っているはずなのに、しつこく、自宅の方へ電話がかかってくるので、やがて、本当の目的が読めるようになって来ました。それを、主人に家庭内で、言ったからかな?
 セールスの電話をかけてくる相手が、変わってきました。が、目的が、私が自宅へいるかどうかを確認することには変わりはありません。

 あるとき、美術の窓から、その目的の電話が、夜の6時過ぎにかかって來たのです。表向きは雑誌の定期購読の勧誘です。だが、通常なら、遊軍を使うので、若い人が、オフィスアワー以内にかけてくるのに、その日は、年取った男性の声で、しかも6時過ぎですから、「スパイをするのが、あそこの社長さんかな?」と思って、かんかんに怒ったのです。
 何を考えているのだ、一企業の社長のせいなのに。こんなことをしているとお宅の会社がつぶれますよ」と、思って怒りまくりました。
 ご近所の未婚のお嬢さんの携帯を利用して、私の頭に水をぶっ掛けたことをはじめとして、大人気ない方法で、攻撃をする。思いついたら、思いつき次第で、やりたい放題のことをやるのが、伊藤玄二郎、および、二人羽織みたいに、裏からアイデアを提供する、井上ひさしです。
 このときも、美術の窓から、夜電話がかかってきたので、それ以前の、三菱UFJ証券鎌倉支店のそれも、スパイ電話だとわかったし、ありとあらゆる他の重要なことが一緒に解明をされました。
 『うわア、いやだ。二度目として、敵方に利用をされて、こんなことをやってきている』と思ったから、猛然と怒ったのです。二度目だから激怒したのです。
 で、メールで、私がいかにすべての裏側を見抜いているかを書き表して、抗議しておきましたが、ご返事はありません。

 それもまた、怒りの対象だったけれど、あとで、よくよく考えると、メールが途中で、どこかに盗まれて、相手に届かないことも最近では可能みたいです。だから、このアイデアを実際に放った敵様が、『こんなのが、美術の窓に渡ったら大事(おおごと)になる』と考えて、途中で、盗んじゃったのかもしれません。私の個人のパソコンにさまざまな仕掛けができるのですから、ネットのメールに対しても、縦横無尽の仕掛けはできるでしょう。
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副題22、『野見山暁司さんの秘書に、山口千里さんが選出されたのも、私の電話を盗聴した結果でしょう』

 で、謝罪のメールが来なかったのは、仕方がないとあきらめました。が、私が考えたのは、『うーん、もしかしたら、馬越陽子さんにあそこに来てほしいと頼んだのは、美術の窓で連載を持っている野見山暁司さんではないだろうか?』ということなのです。芸大閥の上下関係でね。で、今度は、野見山暁司さんに興味が移ります。
 すると、以前から考えていた、『山口千里さんが、野見山さんの秘書になったのは、私の電話を盗聴していて、そして、私との友情をきるためだわ』と、言うことが正しかったと、わかってくるのです。

 山口千里さんは、国画会の中で出世が遅れていました。それは、野見山サンを好きで、ファンだと公言しているから、本当は聖心卒で、芸大卒ではないのに、芸大派閥とみなされていて、それが、厄介な足かせとなっていたからです。芸大の人は芸大卒だけを推薦するし、他の大学卒の人は、千里さんを自分たちの側とは考えないからです。

 私は誰にも引きがない方で、自分の出世はあきらめていましたが、ありえないほど、汚い手段で出世していく人のことも、横目で見ていたので、千里さんには、大いなる同情をしていて、国画会の中では、相当に気を許していて、電話で長話をする間柄でした。で、野見山さんへの傾倒ぶりは、何度も電話内で、聞かされておりました。
 
 すると、いつの間にやら、山口千里さんは野見山さんの秘書となっていて、私からは、ひどく心が離れた存在となりました。

 が、それだけではなくて、どうも、野見山さんがおかしいのです。九州で、女性なら、山口千里、男性なら、大久保忠春といってもよい、もう一人の秘書役(=私にとっては、中学の同級生)の、大久保忠春さんが、私が送った本を開封もしないで返却をしてきました。これは、ありえないことで、どう考えても野見山さんが、何か、私の悪口を言ったせいなのだと推察されるのです。
 山口千里さん見たいな、若い人の讒言に動かされる立場ではないから、誰か、違う人からの讒言に、野見山さんは乗っかっていて、私の悪口を周辺に言いまくっていると感じました。

 それは、鎌倉エージェント発、伊藤玄二郎と、酒井忠康氏の友情関係で、酒井忠康氏が動いた。または、それ以上の格のエージェント、日本国際交流センター理事長の山本正氏とか、朝日新聞の偉い人だったかも知れません。
 美形で若い千里さんを秘書にすえ、『美術の窓』内の連載で、「千里が、千里が」と、連呼したことは、ずっと野見山さんの個展をただで開催してきて、一種のサポーター兼、ビジネスパートナーを自認していた(と私には、想像できる)山口みつ子さんをひどく傷つけました。
 私は、野見山さんのオープニングで、みつ子さんから、さりげなく、「千里さんって、どういう人?」って問われたときに、それが、はっきり、わかりました。

 千里さんと、野見山さんの間に恋愛関係はありません。また、山口みつ子さんと、野見山さんとの間にも恋愛関係はありません。しかし、慕情というのは両方の女性にあります。尊敬する目上の男性として、慕情を抱くということは、両方にあります。プラトニックラブという面では、両方の山口さんにあります。そして年上の山口さんのほうが純情で、不器用でした。千里さんの方がお顔に似合わずがさつで、男性的で、優しい心遣いを示すなどの、顧慮が足りませんでした。

 野見山さんにとっては、千里さんは、自分とは別の、若い男性の妻であり、若い男の子の母でもあるので、自分に結婚など迫ってくるはずもなく、心の負担が少ない存在だったでしょう。だから、かわいがった。年も離れていて、ほぼ娘世代だし。
 一方で、年齢が自分に、より近くて、しかも独身である、みつ子さんの慕情は責任を負わないといけないたぐい(=結婚を迫られる可能性がある)という意味で重荷だったかもしれないのです。

 だけど、野見山さんを、ここまで有名にしたのは、一種のビジネスパートナーとしての、山口みつ子さんの存在があったからでしょう。そこに、別のビジネスパートナー、または、サポーターとして、ご自分より若い女性が現れてしまったのは、相当な苦悩だったと考えられます。

 で、お金の面ですが、千里さんには給料を与えているという意味で、野見山さんが強い立場でしょう。だが、みつ子さんのほうは、ただで、個展をさせてあげたという点で、野見山さんが、負担を感じないといけない立場なのです。誠実な人だったら、それを恩に感じるはずですが、ずるい人だったら、重荷に感じるのかもしれません。で、山口みつ子さんへの、彼女の債務への金銭的援助等の道義的責任を放棄するために、『千里が、千里が』とエッセイで誇示されたかもしれないのです。

 そして、輪をかけて、恐ろしいのは、最後の段階で、何も面倒を見てあげなかったという雰囲気も濃厚な点です。1月31日の日曜日に関係者で、自発的に、計画された「しのぶ会」が、予定をされておりましたが、つぶれて実際には行われなかったのです。

 だれかが、「中止するように」と命令したから中止になったとのこと。『誰、それは?』と思います。誰もが、『その人がそう言うのなら、仕方がない。しのぶ会はやめよう』とあきらめる存在といえば、野見山さんだけです。

 なんか、ものすごく冷たいですね。恐ろしいほど冷たい。というか、無責任です。やらずぶったくりです。利益を得ても、その相手が苦境にあるときには救わない。それが、恐ろしい。そして、どうしてか、私の前面に野見山さんは立ちはだかります。それが、酒井さんからの讒言だったら、私は死んでも死に切れません・・・・・・というほど、悔しいですが、山口みつ子さんみたいになったら大変ですから、普段はこのことを、忘れるようにしています。

 だって、野見山さんは、年をとりすぎていますので、・・・・・北久里浜のソラヒルズの、土地疑惑とか、・・・・・私の近所に、石川和子というわがままいっぱいの陶芸家がいて、元愛人だったという伊藤玄二郎の推薦で、鎌倉のありとあらゆる公民館とか、公共の施設で、教室を開かせてもらって、200人以上の弟子がいると豪語しているのでしたが、彼女が、私の猫のことで、警官を巻き込む大失敗をしたのが原因で、伊藤玄二郎と、井上ひさしは、ありとあらゆる手段を用いて、私を悪者にしたがっていますし、抹殺をしたいとも願っています。・・・・・といったって、その経緯をとても、理解できないでしょう。複雑に過ぎるから。

 だから、このラインでの、私の損失は、すでに、回復不可能だと考えます。
そして、ここで、成功した、彼らのいじめよう一手法、・・・・・友達を、私から引っ剥がす・・・・は、ありとあらゆる、他の知人や友人に応用をされています。
 「人は石垣、人は城」とよく言うでしょう。それを盾にとって、その反対を目指すのが、伊藤玄二郎と、その支援者である井上ひさしです。
 私は友達を引っ剥がされ続けていて、その点で、深い悲しみに沈んだときもあります。が、そのまま苦しんでいると、敵の思うままになりますので、今は天とか、神様だけを相手にするつもりで、覚悟を決めなおしました。
 だから、馬越さんがどうのこうのも、野見山さんが、どうの、こうのも、ここで、書くことができるのです。常に神様がご支援を下さると信じているから。人間界ではないのです。私はもう、天界に遊ぶ人となっています。(笑)
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副題23、『文化庁の、在外研修生の同窓会が、26日に設定をされていなかったら、これらのことは思い出さなかっただろう』

 このように、鎌倉エージェントたる彼ら二人、もしくは彼ら二人から派生した誰かの小細工の連続で、私は損失をこうむり続けています。
 で、今回は、・・・・・馬越陽子さんが、私に対して、威張りまくったが、私が、内心で、それを、屁とも思っていないのを、陽子さん自身が察して、『疲れたわ』と、連発した、・・・・・という昔日のエピソードを書き表しました。これは何度目かであるのですが、

 もし、文化庁の設定日が、絶対に出席をできないはず(我が家の夫婦間会話で、帝国ホテル大阪の株主総会に出る予定を話し合っていて、ホテルの予約もやっていた)に設定をされなかったら、蒸し返さなかったと思います。

 私は、その悪巧みに対抗するために、ホテルの予約も変更して、その日、無理に無理を重ねて東京へ引返したわけです。
 で、松本楼に実際に入ると、入り口に前回のスナップ写真がたくさんおいてありました。すると、前回も松本楼で行われたことがわかりました。

 すると、前の年、2011年には、確実に招待状が来なかったことが推察されました。というのも松本楼は、親戚の人間の出版記念会が行われた場所であり、それに出席していますので、その名前はしっかりと、頭に認識をされています。だから、それを欠席するのなら、自分のほうで、欠席したという記憶があるはずなのです。
 それに、島谷晃さんが、事務局長だったときに、数年間、一種の助手(または、秘書)を頼まれていたので、松本楼以外の場所で開かれたときは出席をしているから、この総会プラスパーティへの認識はあるし、場所が変更になったのには、私の注目が集中するでしょう。だから、その招待を忘れているはずはないのです。で、こなかったのが確実だと、わかりました。
 おととしもこなかったと思います。それは、映画『TOKYO 』と、映画『靖国』への文化庁の助成金出費を怒っている本を、準備中だったので、それで、招待を受けなかったのだと推察しています。

 招待状を出す同窓会の方には、その本のことは一切言っていないのですが、その情報が、例のエージェントたちから、そこへ入ったと感じます。だって、法務省に入って、死刑場の公開があったぐらいですからね。
 同窓会(正式名は在研の会)の幹部は、文化庁を怒らせるとまずいからと判断をして招待状をくれなかったと、考えます。
 だが、2011年はどうしてだろうと思うと、3.11以降の原発事故に関する文章を、私が大量に書いたということが、ありますね。あれらは、ほとんど正しくて、しかも、有名人のブログより、二ヶ月ぐらい早く、事情をすべて解説しています。四号機が最も危ないこと。排出・放射性物質の総量は、チェルノブイリよりもはるかに多いことなどを述べていますね。

 これもまた、私を制裁の対象にしたい文章でした。また、小沢氏を激しく批判をしています。二週間雲隠れで、しかも背広で現れて、何で、収束できないのだろうねといった、見当はずれ振りを激しく批判をしています。だから、招待を受けなかったと思われます。
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 ところで、ここで、挿入ですが、どうして今原発について書かないのかと問われれば、フェイスブックの世界でね。皆さんが、尊敬している存在が、どこそこ大学の教授という類でね。なんだ。原発反対の人といえどもスノッブで、しかも半分は、そちら(=原子力村)側に足を取られているのだと、わかったからです。つまり、私がフェイスブックに投稿している同時刻に、大量の自分の文章を載せて、私の文章が目立たないようにする役目を、頼まれている人材が数人いて、その中に、原発反対で有名な人が何人もいたから、そのように、判断しました。で、人々が本当のものを見抜く目がないことがわかり、むなしくなったのです。

 それに議会制民主主義の中で、原発を反対していきたい私にとって、野田政権は、まるで、原発のことがわかっていない内閣です。この前、三行記事程度の、小ささで、『平野大臣が、除線(除染)は無駄だといっている』と朝日新聞が書いていましたが、『それを今頃言うなんて、何を考えているのだろう?』と、思いますね。
 今、私が、ひとり、ぎゃあ、ぎゃあ、言っても何もならないと感じます。それよりも、新しいことを書きたいです。というわけで、原発についてはお休みをしています。もっともっと化学の側面から、語りたい、人体への被害がどうして起きるかのポイントなど、中断していますが、意欲がわきません。こちらに関しては、先走ってもむなしいだけだと感じるのみです。
 『消された映画』も、800部程度は出版していないし(ISBN番号と、バーコードをつけて、公刊の形でということですが)、原発についても書くのを中断しています。で、それを、敵様から見れば、『やったー。この形式と方法で、彼女をいじめ続ければ、言論弾圧は成功だ』ということになるのでしょう。そう思われている可能性もわかっていますが、自分が、できる限界いっぱいに、行動をしていますので、まったく悩みはありません。これでいいのだと、感じています。
 挿入から元へ戻ります。
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 文化庁の同窓会が招いていくれなかったと、外部へ公言するのは、馬鹿でもあります。こういうことは、一般的に言えば恥ですしね。普通の人なら明かさないことでしょう。だけど、すべて、裏に政治が絡んでいて、伊藤玄二郎が大エージェントになっているということの証明のひとつになるから、語っています。平気で明らかにしています。

 しかし、会場では、そんなことを疑問にしたり質問をしたりするほどのあほではないです。何度も、「本日は文化庁の方が見えていますので、忌憚ない質問をぶつけてください」と、役員様から、ご教示がありましたが、黙っています。会場では馬越さんに目顔で挨拶しようとして無視されたから、それはそれだけで、受け止めて会話を交わすということでは、静かにしていました。が、お歌に関してはにぎやかにしてしまいました。それを報告するのは、爪に星が出ていたからです。

 その部分の初稿は書いたものの、文脈を整える推敲の段階で、どっといろいろなほかの思い出がよみがえってきているのです。
 そして、年齢のことがありますね。すでに、70です。明日の命がわかりません。別にがんでもないけれど、痴呆症になるかもしれませんしね。だから、今書いておきます。
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副題24、『なぜ、馬越陽子さんの自慢に、めげなかったか?』

 ここは、2500字も使って、論理的に、かつ心理的に丁寧に書いています。それを公開したいと最初は思いました。が、一回書いて家事をしながら時間をかけていると、『あれは、違う。もっと単純だ』と感じて來始めました。

 まず、馬越さんが入ってきて、「この画廊は初めてですが・・・・・」とおっしゃったときから、この訪問が、一種の諜略行為であることがわかりました。勘が鋭いのです。(笑)その後で、自慢が始まったときに、『ああ、これが、上條先生が言っていた、『馬越さんは、いじめる気配があるということだ』と、わかりました。で、『この人って、60過ぎても、そんなことをするのだ。幼いなあ。人間としての心の修行がまったく足りない。お子さんがいないから、わかっていないことが多いのね』と思いました。その時点で、優越感を持ちました。自分のほうがはるかに成熟していると思って。

 その次に、私が彼女の自慢にまったくめげないで、平静なので、彼女が成果が出なくて、がっかりして、急に疲労が襲ってきて、「疲れた。疲れた」を連発したときに、『そうでしょう。こんなつまらない用事に、北京から帰ったばかりで、しかも後刻の三越本店での個展を控えていたら、そりゃあ、こんなばかげた任務を負わされて怒りが深いでしょうね』と思いました。

 ほとんど、内心で笑い出したいぐらいでした。だけど、・・・・・どうして、断れないんだろう。「ばかばかしいことはやれません。私は大作家です」いえ、大作家とおっしゃらなくても、「絵だけ描いていたいのです。その役目はどうか、他の方にお願いします」といって逃げればいいでしょう。どうしてそれができないのかしら?・・・・・と、疑問を持ったときに、馬越さんの弱さが切々と、こちらに伝わってきました。

 この人は見かけよりはずっと弱いのだわ。たとえば、女流展のオープニングのような、装置の中では、自分のほうが格上だから安心して、威張ることができる。だけど、ここでは、誰も女流展での、馬越さんの位置を認める人がいない。ギャラリー手のオーナーは公募展には、興味もないし、知識もない。そして、私も、そこ以外では、人間は誰でも平等だと考えている存在だから、馬越さんという名前だけで、崇め奉るわけでもない。だから、この人は調子が狂っているのだ。かわいそうに。

 こんな形で、この人をライバルとして設定して送り込んできた連中は本当の悪だなあ。だって、私から見れば、彼女のこのような弱さは、過去の例のご主人の自殺から来ていることがわかるもの。

 ということは、比較にならないのだ。決して自慢をしないが、私は家族の中心だ。母からも頼られ、実は決して口に出さないけれど、夫からも、息子からも頼られている。いると安心できる存在だと、考えられている。それは、口げんかをしようがどうしようが、内心、と、内面で、備わっている事実であり、だからこそ、三年も一人暮らしをしていても、帰ろうと思えば帰ることのできる家庭がある。つまり、メーテルリンクの言う青い鳥風の幸せをいえば、それは、私のほうにより多くある。彼女と私はまったく土俵が違うのだ。

 彼女と私を比較することは、実は私にとって残酷なのではなくて、彼女にとって残酷なことなのだ。そして、彼女はどんなに、自己肯定をしても、ご主人が若き日に、自殺をしてしまったことを、内心で解決できてはいない。それは、自分と自分のおとり巻きには、『それがあるから、天才的仕事ができる』とみなされ、ご自分を鼓舞し、推進する動機とはなっているだろう。だが、安心感は与えない。だから永久に何かを追い求める飢餓状態にある。彼女の、仕事への熱心さは、その上昇と成功への希求の、結果として、彼女の目の前に、その行くべき道を作っている。

 だけど、なんと、弱々しく見えることだろう。ともかく、無人島で、二人だけで暮らしたら、彼女はたちまちに私を頼ることになるだろう。灰、それが、結論です。O.K.・・・・・と感じたことでした。

 私は「有名な画家として成功するためには、独身がいい。特に女性は」といつも、言っています。だから、馬越さんが、独身であることに対しては、けなすつもりは毛頭はないのです。ただし、自分の目の前に、いじめるためにたち現れたので、きちんと、分析ができてしまったということです。自動的に、その弱点を感じとってしまったということです。

 彼女を使役した男性たちのあくどさと、幼稚さを、つくづく感じます。人間観察においても、人間心理への洞察力においても、幼稚極まりないです。必ず、四人はかかわっていますね。そう言う人に、特に伊藤玄二郎の、石川和子との、恋愛を秘密にするための道具として、利用されてお気の毒でした。他人の下半身の秘密を守るために、あなたの全存在が、その心の面で、真っ裸になってしまったというわけです。『本当にかわいそうに』と、その日に思ったことでした。もし、馬越さんが、文化庁のざいけんの会の日、つまり、この2012年の6月の26日の松本楼で、私から送った目顔の挨拶に、返礼を返してくださったら、大人への進歩と脱皮を感じて、この部分、について、一切を書かなかったと思います。でも、わざと無視されたし、柳澤紀子さんの、冷たい態度も、関係があると見ましたので、ここまではっきりと書きました。この文章の最初に、今日は、ずいぶんと本音を出しますといっているでしょう。そのひとつです。

 では、本日はここで。

 2012年、6月26日の深夜にこれを書き、30日にその第三部を推敲する。      雨宮舜 (本名 川崎 千恵子)

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