銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

詩集『くじけないで』の舞台裏から、福屋書店閉鎖の理由を今再検証する?

2013-10-11 10:22:49 | 政治

 これは、前報

Steidel(ドイツ映画)vs宮崎駿特集(NHK) メディアに愛でられた後で?

の続きを、新しく、項を興したものです。で、副題8から始めたいところですが、ここでは、新しい問題、福屋書店・銀座店に、例の裏からの手が入った可能性と、そこまで書けたらですが、飛鳥新社へも、敵の手が入った可能性について語りますので、副題を1からはじめます。11日に、初稿に2章を加えていますが、まだ、まだ、加筆をするつもりです。・・・・・

副題1、『詩集、くじけないでが、八千草薫主演で、映画になったそうです』

副題2、『福屋書店・銀座店の、閉店にドキッとした思い出がある』

副題3、『私は本を独学で、しかも、自分ひとりで、出版できる。それゆえに、激しく警戒をされ、攻撃をされる』

副題4、『出版社の編集員って、ものすごく威張っていますが、それもまた、言論弾圧に役立つのでしょう』

副題5、『川島さんが、あなたなんか、怒る価値もないといい放ち、そこから、私がエッセイ・・・・・かえるが銀座を歩いてもだめなんだよ・・・・・を物したのもこのころだったが』

副題6、『2010年は、総攻撃を受けた年だった。・・・・・吉乃翔のモズクの酢の物』

副題7、『井上ひさしが、自分を死んだことにした週の、彼の企画したわなとしての個展』

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副題1、『詩集、くじけないでが、八千草薫主演で、映画になったそうです』

 8日朝のNTVニュースで、詩集『くじけないで』の詩人柴田とよさんの一生が、映画化されたと知りました。とてもきれいな方なので、子供時代を芦田愛菜ちゃん、若いころを壇れいさん、詩を書き始めた以降を八千草薫さんで、役者は、結構ですが、そのテレビニュース内で、柴田とよさんの本が合計200万部売れたといっていたので、あれ、そのことは、今書いている文章の説明にぴったりだ。それを使わせていただこうと、思ったのでした。

 ベストセラーがどういう風に作られ、どういう風な経済学で、推移するかというポイントで。

 これは、第一詩集が、1000円という買いやすい値段設定になっているのが、すばらしいです。読者にとって、とても買いやすいお値段設定です。で、出版社は、飛鳥新社です。

 戦後出発した出版社だと思いますが、眼の付け所がいいなあと。以前から思っている出版社です。次の章で、いいますが、ある翻訳本がすばらしかったので、印象に残っている出版社です。

 普通詩集って、詩歌専門の出版社から出るものです。そしてそれらは、たいていは小さいです。柴田とよさんの詩集がどうして、こういう大きな出版社で、出版をされたかというと、産経新聞内に、詩の欄がある模様で、そこに有名詩人の新川和江さんが、推薦して、(たぶんですが、そういうことなのでしょう)、平成15年から22年まで載る事があって、そのときに、人々に感動を与えた模様です。

 飛鳥新社側が、産経新聞か、新川和江さんのどちらかに持ちかけたのか、反対なのかは、わかりませんが、柴田とよさんご自身が動いて、出版にいたったとは、思いません。誰か、周りの人が動いて、出版にいたったと、推察します。

 これは、柴田とよさんにとっても、夢の実現であり、飛鳥新社にとっても、パブリッシャーズドリームの実現だと思います。

 というのも、出版者の名前が広まります。総計200万部売れたとのことなので、それは、大宣伝に当たります。中堅の中では、大きな出版社へと昇竜していく、道筋が付いたということでしょう。無論のこと、まだ、大人向けの雑誌を持っていない模様なので、マガジンハウスとか、宝島社ほどの、大きなビルを持っているとも思われないのです。が、名前は確かに大きくなったと思います。

 柴田とよさんの本は、合計5種類出ています。内容としては、両方1000円で売った自伝『百歳』を、含めて、詩集『くじけないで』が、167万部、『百歳』の方が47万部ですって。

 あと、NHK番組をDVD化したものが、税込みで、2500円だったり、朗読の本が、1500円だったりしますが・・・・・そちらの部数は、グーグル検索では出てきませんでした。

 でも、1000円で売った詩集が、出版社の取り分で、6億弱であり、自伝の方が、1億6450万円です。すると、両方で、7億円は、出版社に入ります。ただ、増刷をして、売れ残った分があるかもしれませんが、それは、印刷所・製本所のカバーになるかもしれないし? まあ、出版社がかぶるにしても、それほどたいた額ではないでしょう。

 何度も申し上げたように、本として、最初の段階で、200万円ぐらいはかかるがといっています。この本の場合、産経新聞への謝礼とか、新川和江さんへの謝礼とか、デザイナーの木村美穂さんへの謝礼が、一種の印税風になっているのか無いのかを知りませんが、

 ともかく、著者には、3%印税として支払うとしても、数億円は、飛鳥新社に入ったわけです。ヒットすると、儲かるのが、機械の力を借りて大量にコピーできるものであり、音楽CDも、そうだし、アニメのDVDも、そうです。

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副題2、『福屋書店・銀座店の、閉店にドキッとした思い出がある』

 副題1に続いては、静山社(ハリーポッターシリーズとか、筋萎縮側索硬化症関連本とかを、出版している)とか、村上春樹本と、その売り上げ部数を検証するつもりだったのです。そして、その流れの中から、シュタイデルの映画に戻って、さらに、宮崎駿についての、NHK特集との比較を語り、メディアに支援されすぎる結果として、関係者が、傲慢になることについて語りたかったのです。

 だが、ここで、飛鳥新社についての、種々さまざまな思いが、どっと押し寄せてきて、頭を占有したので、それについて、述べさせてくださいませ。この文章の本筋からは、外れます。スピンオフの一種ですが、ちょっと政治に関係が有るので、申し述べさせてくださいませ。

 私は以前、本を買うのは銀座の福屋書店が多かったと申し上げてあります。新橋駅をおりて、銀座8丁目の『せいほう』という彫刻専門の画廊から見始め、京橋の『ユマニテ』と言う画廊まで中央通りの東側を歩き、そこで、折り返して、中央通の有楽町側を今度は南下ひて、ギャラリーGKあたりで絵を見るのを、終えて、「ああ、自分の勉強は今日も終わった」と思い、ほっとして、自分の楽しみのための本を、福屋書店で、買うというのが、10年前までの、日常だったのです。副屋書店・銀座店は、そう大きな書店ではありません。だけど、それだけに、二階の平台においてある、翻訳本が、目に入りやすいところが気に入っていました。それで、福屋書店で、飛鳥新社刊の、翻訳本を何冊も買った覚えがあります。主に海外の大犯罪の分析的ノンフィクションでした。

 今、初めて知ったのですが、福屋書店は、芸能プロダクションの社長が経営していたそうで、それゆえに、そこで、よくサイン会が開かれていたのです。それが、また、よくテレビニュースにもなりました。

 だが、私はそれが、好きで寄ったのではなくて、結構きつい仕事である(言ってみれば、宮本武蔵のほかの道場破りめいた厳しさのある)画廊めぐりが終わった場所にあるので、本当にほっとすることができるので、好きな書店だったのです。

 ところが、そのことをメルマガで、書いたことがあると思います。何も警戒していなかったので、そうしました。すると、2010年10月26日に、福屋書店が閉店になったのです。

 そのときにある意味でぞっとしました。別の方のブログで、銀座での、書店閉店画続くことを嘆いておられるブログがあって、旭屋書店や、イエナ書店の閉鎖を嘆くとともに、福屋書店の閉鎖も嘆いておられて、その文章の中に、上の「芸能プロダクション社長の経営であるとか、経営は順調だったはずなのに、特色ある書店がまた無くなった」と書いてありました。その文章の中で、イエナ書店の閉鎖は、その著者が言うとおり、経営が当時難しかったと推察されます。

 旭屋書店は、ニューヨークグランドセントラルそばにある支店で、よく、日本の女性雑誌・・・・・特に星占いの部分・・・・を立ち読みさせてもらって、ひと時の息抜きをしたので、その経営姿勢は好きですから、銀座から撤退してしまったのは、私も残念に思います。しかし、福屋書店の閉鎖は、経営状態とはまったく関係が無く、私と関係が有ると推察しています。

 そのことを、本当は書きたくないのです。というのも、そういう話は一般の人には、よくわからない話となり、この文章が面白くないと思われるでしょうから。

 それに私も、自分への攻撃を、相当に抑えられるようになってきています。だから、過去の攻撃は闇に葬って、そのまま、何も書かないでもいいのですが、でも、思い出したので、ここで、それを書きましょう。

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副題3、『私は本を独学で、しかも、自分ひとりで、出版できる。それゆえに、激しく警戒をされ、攻撃をされる』

 私が最初の本、『主婦が個展をする。しかもニューヨークで』を出したのは、2003年の初夏です。これは、タイトルだけ見ると、まるでノウハウ本ですが、中身は違っていて、いわゆる、哲学とか心理学系統の問題を、きわめて易しい文体で書いたものであって、しかも、装丁が美しく、かつ上製本だったので、周りを驚嘆させました。

 だって、私は、出版社に勤務したこともないし、印刷所に勤務したこともないし、美大でデザイン・・・・(特にパソコンを使った制作と呼ばれる本作り・・・・の一切)を学んだことも無いからです。パソコンだって、当時は、インターネットはAOLの独自なシステムを使うのみで、インターネットエクスプローラーも使えないし、MSNなどもちんぷんかんぷんで、主に使うのは、マイクロソフトワードとアドビフォトショップぐらいでした。後に、アドビイラストレーターを駆使することになるのですが、一冊目の本は、ワードの頁設定だけで、作ったようなものです。できないところ≪=表紙の装丁、後にアドビイラストレーターをマスターしたので、自分ひとりでもそれができるようになるが)はデザインのプロにお願いをしました。

 なぜ、そこまで、がんばったのかというと、伊藤玄二郎氏が社長をしている、鎌倉春秋社で、ひどい侮辱を受けたからです。そこは、私費出版で有名であり、それで、生きているといってもよいくらいの会社なのですが、高いという評判はありました。

 だが、1998年のパリ修行時代から、大量に、文章も書き始めた私は、生涯に10冊は書物を出したいと思っていましたので、一冊に、300万円もかけるつもりは無く、「自分で、すべての作業をいたしますので、印刷製本の費用≪50万円≫と、鎌倉春秋社の看板を借りることと、それから、ISBN番号やらバーコードを借りることに、≪100万円≫を使うとして、150万円を出しますので、この本を作っていただけますか?と、問い合わせたら、

 その会社のナンバーツーである田中愛子さんが、「川崎さん、150万しか出さないのなら、50部しか作れませんよ」と怒鳴ったのです。すごい勢いで。ものすごい剣幕で。上の節で、≪≫がっこ内に入っている金額は音には出さなかったのです。最後の150万円だけです。

 この後で、伊藤玄二郎と言う車掌に関する政治的な側面を初稿では1300字ほど書いているのですが、そのエピソードをほかのところへ使うので、ここからいったん削除をさせていただきました。

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副題4、『出版社の編集員って、ものすごく威張っていますが、それもまた、言論弾圧に役立つのでしょう』

 上の例で、わかるように、伊藤玄二郎が国際的軍産共同体の権力をかさに来た、昔の言葉で言うと犬、スパイ、であり、現在の言葉で言うと、エージェントであるとすると、すべてが納得がいくこととなるのですが、

 ただ、彼が、ビジネス上の、家来(=社員)である田中愛子さんに、自分の真実の顔(=政治的な裏側≫まで、明かしていたかどうかは疑問です。ただ、もし、そこまで、知らされていたから、顧客であって、お金を払う側の私に対して、あれほどの、失礼な態度を取ったのも、わかりますが、でも、秘密中の火見るでもあろう、エージェントであることをもし、彼女にも理解させていたとしたら、すっごく下半身がゆるい人だなあと思います。

 でね、関東学院の教授でも有るし、ポルトガル国の勲章ももらっている人ですから、『まさか、ベッドインして教えたわけでもないでしょう』と、推察して、田中愛子さん自身が、特別に威張りやさんなのだと思うことに、致しましょう。どうしてそれほど、威張っているかというと、そういう風に威張ることによって、本の出版は、難しいことであって、素人には手が出せないことだと思わせて、私費出版に関して高い手数料をとるという目的があったとも思われます。

 でもね、銀座で、画廊めぐりをしている期間が長い私にとって、種々さまざまな本を、著者から直接に買うケースは多くて、そういう経験を経て、知り合いが出版社か、印刷所にいて、儲けを抜いて作ってもらえたら、100万円で、一種類の本を、2000部、作ることができるのを知っているのです。田中愛子さんに対しては、「一切の手間はおかけいたしません。すべてこちらで致します。そして500部で結構です」といっているのですから、

 確実に、100万円の儲けがそちら様に出るはずで、簡単にできるはずなのですが、ただ単に、その予算では、当社はお引き受けできません」と、穏やかに、いうのではなくて、怒鳴るといってよいほどの剣幕で、他人を侮辱できたのは、特別に自分がえらいと思っているからでしょう。それ以前から、いろいろ問い合わせる際に、出版社の編集員って、威張っているなあと思うことが多かったのですが、この田中愛子さんのケースで、決定的にそれを感じ、『うー無。彼ら、彼女らが威張っているのは、特殊な技術を持っているとか、入社試験が難しいというだけではないな』と、気が付いてくるようになるのです。

 言論弾圧をするためには、著者、特に新しく、出版界にデビューをする人間を、びびらせまくっていた方が、楽に弾圧が、できるからです。そのころの私の本というか、その後でも、私が既に出版をした本には、政治的な言論は一切入っていませんが、知人、友人、やら、瀬島龍三自身が、私が極めて頭がいいことを知っていて、いずれ、政治的なものを書くだろうと思われていて、それは、ブレイクすればするほど、そうなるだろうと推察されているので、言論弾圧をされていたのでしょう。

 そう思うと、私より、15歳以上は若い女性、しかも鎌倉で仕事をしてる女性であって、しかも営業上は、こちらがお金を払う側であって顧客なのですから、もっと、親切で、丁寧でないといけない田中愛子さんが、怒鳴りまくったのも、納得ができるのでした。

 で、私はこのすさまじい侮辱を受けたからこそ、なにくそっと、発奮をして、自分で、本が作れるようになってしまったのです。二冊目から表紙も自分で作り始め、六冊目など、ほとんど、市販の本と同じ体裁の並装本で、作りあげました。

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副題5、『川島さんが、あなたなんか、怒る価値もないといい放ち、そこから、私がエッセイ・・・・・かえるが銀座を歩いてもだめなんだよ・・・・・を物したのもこのころだったが』

 最初はパソコンに異常が見られるという形で弾圧に気が付いたのです。それもまた、語るも涙という調子だったのです。ところが、パソコンの異常に気が付いて、数ヶ月が経つうちに、今度は、人間が使われるようになりました。人間が弾丸として襲ってくるようになったのです。

 これから語る川島さんという女性は、有名画廊の村松のオーナーだった人ですが、同じく有名画廊のオーナー山口(みつ)子さんが急死された後で、読売新聞内の記者のインタビューに答えるという感じで、(みつ)子さんが、自殺らしいとにおわせた女性です。私は絶対に他殺だと信じています。ただ、独身であって、お子さんとか、ご主人がいないので、これは、他殺ですと、かばってあげる人がいなかったのでお気の毒でした。

 でも、川島さんのやり方は、断じて許せないので、ここに、川島さんと私とのエピソードを実名でさらしますが、彼女が、画廊の入り口でがんばって、入れるのを阻止する気配があるので、「あなた、何か、私に対して怒っていらっしゃるの?」と聞いたのです。

 これはね。ある意味で、間接的に、私が、敵の存在をわかっていますよと、語っているのです。つまり、画廊に人を入れないなんておかしい話です。ところが、当時の私は活発に一種の新しい形の美術評論をメルマガでやっていて、それの受けがよかったので、大急ぎで、弾圧して、ブレイクしないようにしないといけないと考えた、敵様連中が、酒井忠康氏、または、間に別の人を挟んで、川島さんに、『彼女≪私のこと≫を画廊に入れるな』と命令をしたのでしょう。で、入れないように入り口で通せんぼをしていたわけです。

 しかし、「酒井さんから何か、私に関して、言われていますか?」と聞いても、正直に、「イエス」と、彼女が白状してくれるわけは無いので、ちょっとひねった質問をしたわけです。入り口でがんばって入れないようにするのは、何か、怒っているケースも有るはずです。そうしたら、それは、効いて誤ればいいでしょう。で、そういう風に、質問を変えてみたのです。すると、彼女は図星だったので、激怒したのでした。

 つまり、私がひねった質問をした目的がすぐわかったのです。こちらが、より余裕を持って、彼女を私の手のひらに乗せて、会話を交わしているから、それが、わかったので、自分の方が上よと、言いたかったのでしょう。「あなたなんか、怒る価値も無い」と言い放ったのです。目を吊り上げて。

 今の私だったら、余裕があるから、『ああら、嫌だ。川島さん、わかっているわよ。酒井さんに命令されているんでしょう』と、この時点で、本音で語ればいいのです。川島さんは、すでに、パニックに陥っているから、今度は、その言葉に、お芝居ができず、顔の表情だけで、真実を語ってしまうと思いますよ。しかし、これは、6年か、7年ぐらい前の話で、私が実名で酒井忠康さんのことをまだ書いていないころだったので、したがって、裏がわかっていますよということに関しては、何の説明もできず、ただ、追い払われるまま帰宅したのでした。

 でもね、私は大変強い人なので、京橋の村松画廊での嫌な体験の後でも、なお、一時間以上をかけて、今度は有楽町側の画廊めぐりをしたのですよ。それもとても丁寧にです。しかし、さすがに新橋までたどり着くと、疲労がどっと出てきて、主人に電話をかけたのです。「かくかくしかじかだから、自宅へ帰りたくない。アトリエによって、一仕事をして帰るから、驚かないでね。もしかしたらアトリエで寝ちゃうかもしれない」と。

 こういう言い草をするのは、鎌倉の家は、徒歩13分の後に、130段の石段を上がらないといけないからです。それにね、主婦って、従の立場であり、かつ、引き受けて相手を甘やかす方の立場なので、ぎりぎり限界いっぱいだと、勤められないのです。

 その上、創作が命の人間にとっては、文章でも絵でもいいから、1時間か、2時間創作をして、ある種の達成感を味わうと、すっきりして、心身が回復をするのです。最近の私の文章は思い出すことが多くて、だらだらと、続いてしまうので、達成感が無いのですが、そのころは一本を3000字以内に抑えていましたし、現在のような題材では、ものを書かなかったので、本当にすっきりとするのでした。

 ところが主人は「だめだよ。帰って来なくっちゃあ」というので、私が抵抗すると、『蛙が銀座を歩いてもだめなんだよ』というのです。私は思わず、笑い転げちゃって、自宅へ帰りました。

 つまり、『世の中には、つらいことがあるよ。だけど、さっさと、そういうものなんだと、諦らめて、しまえ。そうしないとだめなんだ』という内容を、ジョークでたとえるのです。私は自分ではジョークを作ることができないのですが、理解するのは、すばやくて、私達はそういう意味では、でこぼこコンビがうまくいっているほうでしょう。つまり、二人が夫婦であるということは、陰と陽で、反対なのが、うまくいくコツだとすれば、ことジョークに関しては、ピッチャーとキャッチャーの役目を果たしているわけです。

 でも、ここに書いてあることは、貴重な真実だと思いますよ。今パソコンがごたごたして、4000字分ぐらい消えたから、そう確信をします。真実を書くときほど、敵は攻撃をしてきます。私が以前書いた文章をほとんど記憶をしている人間がいて、川島女史と入力するだけで、待ち構えて妨害してやろうとしていて、ほとんど、文章が終わった時点で、妨害をしてきました。

 でもね、何が起きても、私が、今、こんなに明るいのは、川島女史の画廊閉鎖後の私生活と、私の今の私生活を比べると、いわゆる幸せという意味で、ずっと、私の方が芳醇な生活をしているだろうと言う確信があるからです。そういうところが、いわゆる天の恵みというやつです。

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副題6、『2010年は、総攻撃を受けた年だった。・・・・・吉乃翔のモズクの酢の物』

 過去分を探ってみないと、どれがいつ起きたかが判らないのですが、ともかくにして、この2010年ごろほど、敵の攻撃が、すさまじかった年はありません。

 1月に同窓会(同期だけのいわゆるクラス会)が開かれたのですが、その場を利用して、榊原節子さんのPHPから出版された『凜として生きる』を、対抗馬としてぶつけられてきて、しかも、私の新刊本の入っている紙袋の中に、モズクの酢の物が入れられていたのでした。

 たまたま、大き目の紙袋の中に、小さめの紙袋を二重に入れていましたので、本そのものは汚れなかったのです。こういうところが、神様のご援助と、常に言うところです。敵さんのもくろみは半分は失敗しました。だが、私自身が、電車の中で、そのぬるっとした手触りに驚いて、中を点検し、いろいろ、考え込んだことは確かであって、その考え込むことが、打撃だといえば、彼らの狙いは、100%成功したといえましょう。

 その日、紙袋を置いていた位置を考えると、このモズクの酢の物がここへ入ったのは、偶然ではなくて、意図的な策略だとわかるのです。このエピソードは何度も書いているので、前よりも踏み込んで書きますと、その日、同期生のご主人として、ドイツ人紳士が参加していたのです。1960年代に、日本の上流階級のお嬢様と結婚をした外国の男性で、インテリ階級の男性は、いわゆるその筋の人である可能性は強くて、このケースもその男性がやったと見るのが一番、正解に近いと思います。

 ただね、この会を企画して運営したのが、古村浩三君です。その一年後のフェイスブック内で、激しいIT的な攻撃を受け、それに、古村君が、関与している可能性を知覚しました。また、古村君の後ろに、石塚雅彦さんが、いることもフェイスブックをやっている最中にわかったことです。普通の場合、古村君は、新宿で、開く習慣になっていますが、そのときだけ、銀座(有楽町)で、行われたのは、『お前に、ぜひ参加してもらいたい』という意図があったと思われます。その後で、2012年初夏にも、国際基督教大学設立、50周年記念、学長同窓会が、三鷹のキャンパスで、開かれたのですが、それも、本当は、違う年が、卒業後50周年なので、とてもおかしなケースでした。

 こういう風に同期生やら、同窓会を利用してくる、敵さんたちの心構えの汚さには圧倒される思いがあります。だって、彼らはこういう風に考えているわけでしょう。『お前の武器は書く事だけだ。だが、同級生について書いてみろよ。お前は胴機械からも、同窓会からも排除されるぜ。それがわからないほどの馬鹿か?』と、言われているわけです。

 だが、ここまで、重層的にやられると、やはり、それは、戦わないとだめですねとなりますね。

副題7、『井上ひさしが、自分を死んだことにした週の、彼の企画したわなとしての個展』

 ここで、次に、4月5日の個展がやってきます。この個展ですが、自分で企画をしたものではなくて、画廊側から提案をされました。私はわなだとわかっていましたが、画廊の方から個展を提案されるのは、画家にとっては、とてもいいことなので、断りきれなくて、引き受けました。

 ところが、最初は、3月のはずですが、どうしてか、4月5日に延期をされました。それは、攻撃をさらに強めるために、時間的余裕が必要だった見たいで、その同じ週に、山本容子さんの個展がぶつけられました。『そちらは、新聞やらテレビで大宣伝をするので、大量のお客が来るが、お前の方は来ないはずだ』という形で、悲しませようとしていたのです。

 個展って、画家にとっては、とても準備に忙しいので、そのころは、新聞やテレビを一切見ないでいて、その山本容子さんの個展が、事前に、どれほど、話題になったかは知りませんでした。ところが、3日の土曜日に、私は、北鎌倉から、藤沢に向かう途中で、電車がとまり、1時間半も缶詰になってしまいました。戸塚の踏み切りで、事故が起きたとのことです。それは自分の作品の飾り付けにおいて、画廊に迷惑をかけることなので、私が、無責任な悪人となります。だから、その時点以降に、銀座で悪口を言われても仕方がないとなります。

 『おー、やられたな』と、感じるところがありました。事故が起きたという踏切を通っても、事故が起きたという雰囲気がないのです。花が手向けられたり、関係者が、来ていたりする雰囲気がまるで無いので、『ああ、また嘘の事故が起こされて、私が、いじめられたのですね』と、思い当たります。

 その上、これは、おかしいと思った最大のポイントは、銀座の画廊のオーナーが誰も見に来なかったり、ある人が、一人目としてきたら、オーナーが追い返したのです。その人より前に、一番最初に来た人は、始まる前の週に来て、『あれ間違えちゃいましたね』と、言ったのですが、その際に、既に、裏側で、異常なことが起きていると、はっきり悟っていました。

 あなたね。馬鹿じゃあない限り、会期など、画廊のオーナーは間違えません。だから、会期前に訪問をしてきた画廊のオーナーですが、これは見事な義理立てでした。私がその人の悪口を書けないということになる、見事な行動でした。でも、本当に親切なら、会期中に来るはずですね。でも、二度目は無かったのです。

 私はこれがわなだとわかっていたので、自分からは、案内状を出しませんでした。で、画廊固有のお客さんが来ただけなのですが、画廊固有のお客さんとして、他画廊のオーナーが含まれており、それらの人材は、私に対する知遇や義理もあるので、その人たちだけは、来るはずでした。だが、来ない。そういう風に画廊をめぐって、行かないようにといった人間のひとりは、平野和子さんだった可能性は大きいです。

 それらを、全部含めて、ひどい個展でした。ひどいいじめです。その上、お金を無駄遣いさせるものでした。(笑) お金を無駄遣いさせられると、本作りができませんね。だから、伊藤玄二郎を助けるために、井上ひさしが、一肌脱いだということでもあったでしょう。

 そのわなに、当時、奥さんが亡くなって、男やもめだったので、毎晩、画廊で、パーティ様式で、お酒を飲み歓談をしていた画廊のオーナー森さんが、加担をしたのですから、これは、ひどい裏切りでした。だって、森さんの画廊って、新橋の最後にあるので、私もその夕飯用パーティに、時々は、参加させてもらっていて、時々はワインや、おかず等を差し入れしていました。で、森さんのところにも、盗聴器等が仕掛けられていて、森さんが、釣り上げられ、悪利用をされたのだと思います。

 ひどい話です。これほど、私がいじめられるのは瀬島龍三が、北久里浜の岡の上に在る、水道山をただ取りした一種の泥棒・・・・・・だが、知的詐欺の一種で、書類上は整っているので、刑事事件として訴追はできないが・・・・・・横須賀市には一切のお金を支払わないで、広大な土地を手に入れ、旧名をソラヒルズという大マンション群を建てた・・・・・を、私が知っていることから始まっているので、銀座の画廊のオーナーが、これほど、大量に敵方に利用をされる仕組みはあく、も、あく、最大の悪の実行なのです。

 だから、その悪の側に立って、心理的に、いじめ抜くための企画をした井上ひさしが、ばれたと、知ったとたんに、私の文章による責任追及を逃れるために、自らを死んだことにしたのは、ありえることでした。

 だって、彼の鎌倉佐助にある自宅から、どの病院に向かうにしても、歩いて、30分以上はかかります。娘の麻矢さんが、『父は肺がんであって、最終段階は、歩いて、病院に通っていました』と発表をしていますが、あの高さから、降りるのは、ともかくとして、昇るのは、瀕死の病人には無理です。こういうすべては嘘ですが、それが通ると思っていて、今もなお、自分で、企画をして、売り込み、えらそうに振舞っています。この8日の朝、NHKが市村正親の演劇公演、『ブンとフン』の宣伝をしてあげていましたが、その画面に、市村さんと同じ大きさで、井上ひさしの写真が乗っていました。

 これは、鎌倉市役所でも同じ現象を見るし、横浜駅構内でも、神奈川県立文学館の井上ひさし展をきっかけにして、大量に張られたものでした。そういう大宣伝を、ご本人が、企画をしているとしたら、皆様も彼のあくどさに、ご理解が、軽く、及ぶでしょう。

 それらを、すべて既に、見破っていますよ」というサインを、伊藤玄二郎のところ(=鎌倉春秋社)へ『個展に、来て、くださいませね』と、言いに行くことで、7日に知らせたので、・・・・・二人は二人羽織というほど、私への攻撃という意味で、提携していますので、急遽、・・・・・二日後の、2010年の4月9日に、井上ひさしは、自分が死んだということにしたのでした。

 『死者に鞭打つという行動は、上品な日本人は嫌うはずだ。これから、私のことをブログで書けば、お前のブログから読者が離れるだろう』という目論見の元に、井上ひさしは、自分を、死んだことにしたのでしょう。

 ここで、3,11人工生起説についても言及しないといけません。私はどちらとも、いえないと考えていますが、もし、人工・生起・説が正しいのなら、原初の企画をしたのは、自らを死んだことにしている井上ひさしでしょう。そして、皆さんが、困窮した後で、最初の日経新聞の広告が新潮社のものであって、かつ、井上ひさしの著作だったことは、明記、または、銘記しておかないといけません。そして、その後も、鎌倉雪ノ下は、節電対策用停電が、2時間以上かける、6回は、行われたのです。

 狛江でも、文京区でも、一回も無かったそうです。今でも、福島抜きの、同じ量の発電の段階ですが、東京もぜんぜん停電がないでしょう。もし、ここで、近々に、停電が、おきたら、それこそ、井上ひさしが生きている証拠となります。

 以下は、起きた現象を副題だけとして、書き連ねます。遠い将来、そこにディテールを埋めておきます。

****************

  これから、先は新しい章へ移動しました。

推敲が終わったら、署名を入れます。 最初のアップ時刻は、9日の23時ごろ、次に、11日の10時半に、再アップする。場所が動くが・・・・・

 なお、このブログの、2010年よりの伸べ訪問回数は、1833161です。

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版下特集(日経)はSteidel の映画と、呼応? そこに北川一成加わる

2013-10-10 10:35:29 | 政治

 前報の加筆、前々報の推敲など、やりますと、お約束をしていることで、できていないことが山ほどありますが、本日は突然に、日経新聞の、今朝(2013-10-10)の29~30頁について触れさせてください。

 記事はアートレビューという総タイトルで連載されており、本日は特に、版下の特集です。

 版下とは、デジタル処理が普通になる前の本や、雑誌、および、パンフレット類の、図版の入っている頁のレイアウトを、紙の上で行うことをさします。

 なお、この切手大の写真は、私の三冊目の本です。大きな写真で入れたいのですが、例の妨害を受けて、こんな小さな写真になっています。仕事葉、ブログでも、本作りでも、いつも、大妨害を受けていて、最上のものを提供できないのですが、ただ、ただ、がんばっています。

 ただ、中間職の色合いが、皆様にほめられました。バックにだけ色を入れて、花は白抜きというか、鉛筆デッサンだけを使用しています。 

 日経新聞には、私が現在それを取り上げて、論を進めつつある、Steidl (シュタイデル)については、一切出てきませんが、シュタイデルの映画が公開されている今、この記事ができたことは、関連があるかもしれません。

 または、これこそ、チャネリングの典型かも。

*1)、 これは、専門家向けの記事のようですが、それでも、一般の方にも役立ちます。あなたが30代のお父さんだったら、家庭内新聞を、この形式で作ればいいのです。

 母を老人ホームに見舞ったときに、廊下に、写真が、説明文と一緒に貼ってありましたが、あれも、もう少し、小さいスペース内に収めようとすれば、立派な版下となります。

 家庭内新聞を、A4のコピー用紙で作って、家庭用プリンターで、スキャンして取っておけば、いい記念になります。子供はやがて巣立っていくものですが、それでも、孫を育てるときに、『ああ、ありがたかった』と思うはずです。

 現代30代の若いお父さんだったら、どこかの無料アプリとか、ブログのテンプレートを応用しただけでも、A4サイズの絵入り、または、写真入の家庭内新聞を、紙の版下ではなくて、デジタルで、でも、作ることができるでしょう。

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*2)、私自身は、1950年代に、学校新聞で、この紙の版下を、経験し始め、付属だったので、本格的な印刷所で刷るので、そこでの微細、微妙な交渉も経験しています。

 だから、壁に種々さまざまなフォントの活字用の棚がずらっと並んでいる時代の印刷所の雰囲気も知っています。今は、最先端技術の展開する場所であって、真っ白な壁であり、全体に、真っ白けな雰囲気の印刷工場ですが、往時はインクがあっちこっちに漂うのか、全体に真っ黒な感じの工場でした。

 その後、PTA広報などでも、やってきたのですが、2001年から本を作ろうと決意した時代には、すでに、出版業界というか、印刷業界が、パソコンでデザインをしている時代だったので、必死で、ソフトのマスターに取り組みました。

 日本語を優先した、日本で開発をされたソフトも有るのですが、それは、一般の人向けには売っていなくて、一般の人が・・・・大型電気店なら、日本中の、どこででも・・・・・買えるそれは、アドビ社のソフトです。アドビインデザインというのがそれに当たりますが、高いので、アドビ・イラストレーターだけでも、それは、できます。

 また、アドビ社にお金を支払って、その本体を、汎用に、安く、改変したソフトが、日本の会社からたくさん出ています。言語の場合、HTML方式と、テキスト形式を比較すると、ヴォリュームが、テキスト形式のほうがまるで、軽くなるのと、同じで、

 その手の、汎用ソフトには、お飾り画面がほとんどないのですが、結構、用途にかないます。それらは、1万円前後で、年末に、年賀状制作ソフトと銘打って売られていたりしますが、そういう基本形を独学でマスターなさったら、次の段階の図形処理ソフトも容易に、独学で、進められるはずです。だから、本づくりとは意外で、簡単に、しかも、誰にでもできるのですよ。低レベルの基本的なデザインでよいのなら。

 または、極上でなくてよいなら、今(=2013年現在)は、個人用のノートパソコンには最初から入っているマイクロソフト・ワードだけでも、図版を入れた版下が、制作可能です。

*3)、ところで、日経新聞をあなたが取っていらっしゃると、お勧めも簡単にできますが、とっておられない場合、駅売り、または、コンビニで、売られている朝刊は、だいたい、2時には撤収しますので、その後だったら、図書館で、お読みください。

 一方シュタイデルの映画は、シアターイメージフォーラム・・・・渋谷宮益坂上の青山学院側の、スターバックスの斜め前の路地にある・・・・で、やっています。10月25日までですが、朝一番の回とレートショーでだけ、上映されます。

 映画の原題は、

 How to Make a Book with Steidl  です。私はドイツ人なのですが、発音から勝手に、ディーとエルの間に勝手にイーを入れてしまっていました。後で、前のほうを直して置きましょう。

 では、本稿は短いです。が、下に隠れている前夜、書いたものは、後で、推敲するか加筆をして、または、主要な部分を新稿として展開させていただきます。それは、午前一時から午前四時までの間に、大量に入力している新しい文章で、日本在住の方は、どなたも、まだ、お読みになっていない部分ですが・・・・こちらを優先したわけは、

 もし、あなた様が日経新聞を買ってみたいとお思いになるといけないので、タイムリミットの午後一時までに、書き上げ公開をしたかったからです。

*4) 上までの、短い告知文を書いて、ああ、よかった。ともかく、昨日、がんばりすぎたから、くたびれすぎている・・・・・少し休職を取ろうと思って、録画番組を見ていたのです。

 カンブリア宮殿(テレビ東京)の10月3日号です。

 それが、またまた、驚いたことに、印刷会社なのです。しかも社長さんは、天才的なデザイン 能力がある模様で、北川一成といいます。最近数週間は、このデザインの話で持ちきりですね。いいことだと思います。

 ところで、少し前に、佐藤可士和さんがもてはやされていたのですが、彼は、自己主張が強すぎて、割と、どこでも似ている作品を提供しているなと思うのです。それは、私には受け入れがたい気がするというか、世間で高評価を与えられているほどには、高い評価を与えられないのですが、今回の北川さんの生き方は、おお、すごいですねと、思いました。

 特に小学校時代の思い出が、すばらしい。試験は、常に表は白紙、裏に中小がを書くという、連続だったそうです。すごい。集中力と、個性の主張。だけど、今は注文主の移行に寄り添おうとしているみたいです。ユーハイムからの依頼の場合、昔の赤、しろ、黒の三段の模様を復活させたそうですよ。それは、いい。私だって、ユーハイムと聞いたら、その三食ですもの

 では、2013年10月10日、なお、このブログ、2010年から数えはじめた伸べ訪問回数は、1831943です。雨宮舜(本名 川崎 千恵子)

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Steidel(ドイツ映画)vs宮崎駿特集(NHK) メディアに愛でられた後で?

2013-10-07 22:23:38 | 政治

 本日は別に怖いことは書きません。それでも、ツィッター方式で書かせていただき、できた内容順にタイトルを変えるのをお許しくださいませ。一回目は、『ニューズウィーク(日本語版)で、宮崎駿特集を読む』としていて、今は二回目の変更後です。「

副題1、『環境抜群の部屋で、週刊誌を読む幸せ』

副題2、『外国で暮らすと、人はたいてい、発想が自由になる』

副題3、『NWの9月17日号で、宮崎駿の引退を取り上げている』

副題4、『シュタイデル・・・・・世界一美しい本を作る男(映画)の工場は版画工房に似ている』

副題5、『シュタイデル・・・・は、制作(=デザイン)に最も力を注ぐ人だ』

副題6、『シュタイデルが、特に、得意とする分野での彼の手法』

副題7、『本作りの裏側をさぐろう。特に原価計算をしてみよう』

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副題1、『環境抜群の部屋で、週刊誌を読む幸せ』

 私は、日本国内のビジネスホテルで、朝食をとったことは14,5回あると思います。風景が抜群なのは、ここも、そうなのですが、新聞や雑誌が、とてもきれいにおいてあるのは、ここが、初めてでした。横須賀メルキュールホテル19階のダイニングです。普通ホテルは、フロントに新聞が置いてありますが、私のような一人客は、食堂に新聞が置いてあると、手持ちぶさたにならずに済むのでありがたいです。自分の家では、ほかにモノがいろいろあって、ほかにする用事がたくさんできて、新聞も週刊誌も読む時間が無いのに、ここだと、一種の限られた環境なので、却って落ち着いてそれらを読むことができます。

 予定だと30分で退室する予定が、なんと、延々と週刊誌、ニューズウィーク(日本語版)と、TIMES(英語版)を、読んでしまい、北久里浜で午前九時まで、植木ごみを出す予定が、実行できなくなってしまいました。このホテルは食器はノリタケだし、お料理は少量ずつ作って出てくるし、まるで、天国のような居心地です。

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副題2、『外国で暮らすと、人はたいてい、発想が自由になる』

 英字新聞(yomiuri)もあったのですが、ほとんどの時間をニューズウィーク日本語版を読んですごしました。TIMESは、Articleをざっと点検するだけ。私はニューズウィーク日本語版は、薄くて割高なので、ほとんど、買わないのですが、その記事の設定はとても好きなのです。どうしてかというと、不思議なことに人間って、海外にいると岡目八目でよくものが見えるらしくて、アメリカに関する観察が、正しいと思われるからです。ほとんどの記事はアメリカ人が書いているのですが、結構本国の問題に対して辛口です。

 日本人もニューヨークに住んでいたりすると俄然、勇敢になって、日本に対しても、アメリカに対しても辛口になり、本音でものを言ったりします。私は日本は、被・植民地国家であり、本当の意味での言論の自由は無いと思っていますが、在米の日本人は結構自由にものを言っています。ただし、日本生まれであって、高校時代からアメリカにわたった日本人に限ります。

 アメリカで生まれた二世とか、三世は、ぐっと口が堅くなり、あまり批判を出しません。それは、戦時中の迫害が影響していると思われ、お気の毒です。そこを割り込んできた韓国系が、我が物顔で、存在感を示しています。

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副題3、『NWの9月17日号で、宮崎駿の引退を取り上げている』

 宮崎駿が、取り上げられていました。私の横須賀へのプチ旅行は、実は、それをさらに深く書くための、前段階としての映画を見ることが、重要で、それが、レイトショーだったので、横須賀のホテルに宿泊したのでした。こういうのがチャネリングというのだと思います。前夜、もし、ブログを手当てしたら、その映画についても書くし、宮崎駿のNHK特集についても書いたでしょう。それが水曜日のはずなので、延々と、引き伸ばし、遅れているというわけです。

 ニューズウィークの、その記事を引き写すことはいたしませんが、やはり、日本人記者とは違うなというポイントを見つけました。それは、是々非々ということが、現れていると思ったからです。人間とは複雑なもので、宮崎駿といえども人間である限り、欠点とか、暗い側面はあるわけですが、それが、最近の日本メディアでは、一切出てきていません。特に批判的な言葉としては出てきていないのです。

 それが、私にとっては大不満だという点なのです。あのね。創作者宮崎駿には、個性があります。ところが、それを取材する記者側には、個性が見られません。今はオマージュ一辺倒です。雪崩を打ったように、オマージュの大羅列です。

 そこが日本人メディアの単純なところだし、残念極まりないところなのです。

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副題4、『シュタイデル・・・・・世界一美しい本を作る男(ドイツ映画)・・・・・を渋谷で見る。特に、オフセット印刷の原理を語ろう』

 私が本を自分で作る人なので、お友達が、見ることを勧めてくれた映画があります。それが、世界一美しい本を作る人(シュタイデル)です。ドイツ映画で、記録映画です。で、たまたまですが、職人気質の有名人で、いい仕事をする人の広報を、する映像、という意味で、NHKの宮崎駿特集と同じ傾向なので、見ることに必然性を感じました。

 シュタイデルは、文章というか、原稿は他人のものを出版します。だが、原稿を受け取った後は、懇切丁寧に、編集、印刷、製本、すべてに携わります。分業ではないのです。

 この分業ではないというポイントですが、映画の冒頭で、彼の仕事場が映ったときに、『おや、ニューヨークで、私が2000年に三ヶ月にわたって、毎日10時間制作し修行をした版画工房にそっくりでした。

 カラー印刷とは、事実上、版画のある仕組みを利用します。銅版画で、深彫りという形式がありますが、そのとき、くぼみのできた銅版の上に、ゴムローラーで、インクを乗せていきます。その作業の後では、ゴムローラーの上に、銅版画の模様が反転して付いてきます。銅版画の方は、銅版の上に厚い紙を置いて、プレスという機械で、刷り上げますが、あるときに、ふと、好奇心に駆られた人がいたと仮定をして、その反転した模様が付いたゴムのローラーを紙の上で転がしてみたと仮定してみましょう。

 するとうっすらとですが、紙の上に模様が浮かびます。その模様は、作家の意図した版画とは、反転した模様です。しかも、インクが薄いです。本物の版画用の銅版に使った残りが、ゴムローラーの上に残っているだけだし、ゴムローラーは、機械で圧力をかけてまわしたわけでもなく、人手で、軽くまわしただけですからね。

 しかし、このうっすらと、インクが乗るという仕組みが本用の頁のカラー印刷に適しているのです。現在の印刷機は、高速の回転で、まわり、紙の上に次から次へと、同じ模様を印刷していくわけですが、本というのは、紙の両面を使うので、インクがべったりと付いたらいけないからです。

 彼は17歳で起業したそうですが、最初の段階では、一種の版画工房だったかもしれないと思いました。たまたま、映画の冒頭では少し寝てしまったので、工場の最初の段階が胴だったかを、聞き漏らしたかもしれませんが、17歳で、今の規模の会社を立ち上げるのは無理だと思います。小規模の版画工房程度を立ち上げ、刷り師として、訓練を重ねた可能性はあります。別の経路で、印刷会社の社長になったりすると、あれほど、技術的に、指導力を発揮できないはずだからです。

 たとえば日本だと、サラリーマン社長は、東大出身で、吟行から印刷会社に横滑りしたりするでしょう。大手の印刷会社だとそういうことも大有りだと感じます。だけど、そういう人は工場に入って、技術的指導ができませんね。ヨーロッパにもそういう種類の会社は、多いでしょう。だからこそ、シュタイデルのように手作り感覚の強い印刷会社(兼、出版社)がもてはやされることとなります。

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副題5、『シュタイデル・・・・は、制作(=デザイン)に最も力を注ぐ人だ』

 本を作る工程とは、大きく分けて、1)、文章を書く、2)、編集をする(目次を作ったり、あとがきを作ったり、する)、3)、制作(頁や表紙のデザインを考える)、4)、本文や表紙を印刷をする。5)、製本をする。6)、流通業者が、本屋へ配る。7)、本屋が店頭で売ると、7段階有るわけですが、シュタイデルは、段階2から、段階7まで、全部自分(自分の会社)で行います。

 段階1だけがシュタイデルがかかわらない部分です。私の本作りは、段階の4と、5を抜かすが後は全部一人で行います。全部で6種類の本を作り上げましたが、一冊目めから、三冊目までは、非常に美しいと、他人様に言われています。4冊目からは内容というか、文章のほうに自信ができたので、装丁とか、製本にはこだわらなくなり、本屋で売っている一般の本と同じ体裁の並装で作り上げています。

 ここで、8年ぐらい前によくおきたことを思い出すと、が、その美しかった、方の、特に、二冊目をあげて、「これと同じような、体裁で、私の本を作ってください」とは、女性の知人や友人から、よく頼まれました。ところがパソコンに攻撃を受けていて、自分の文章が突然白閃化して修正済みの作業が、全部消えたり、編集中に、誤変換が多発したりするので、他人様の原稿が引き受けられず、結局ご要望にかなう形を取れず、したがって、出版社として発展をすることができませんでした。

 これも五億円の被害のひとつであって、とても、残念ではあります。友達が『あなたって、いわゆる事業家よね』といってくれるので、ビジネスマインドも有るらしいので、発展をしたかもしれません。反対に繊細なところもありますが、一方で豪胆で、勇敢なところもあるから、社長業もこなせたかもしれないのです。

 今回映画になったシュタイデルは、容貌としては目立たないタイプです。はっきり言って、美形ではない男性です。しかも、やんちゃとも、勇敢とも外には見えません。だが、驚くべき信念の持ち主で、たった17歳で起業をしています。ドイツは、学校制度が日本と違っていて、中学校ごろから、いわゆる、大学へ進学する(インテリとして、社会の上層部に経つ)か、現業につくか、分かれるはずなので、ブルーカラーという育ちですが、職業上のテクニックを磨き上げ、磨き上げ、世界一美しい本を作る男として知られ、その出版物は、好事家の垂涎の的となっているそうです。

 私が持っていない印刷所(大日本印刷というほど、大きくは無いが、日本の中堅の印刷会社よりは大きい)と製本所を持っているし、シュタイデルが、最も得意とする分野は、制作=デザインの分野だそうで、とても有名な人だそうですので、映画が、作られました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題6、『シュタイデルの、交渉術のすごさ』

 そのデザインの部分ですが、まず、版型の検討から、非常に緻密に何回も変更して落しどころを見つけていきます。ある写真集の製作過程が、公開披瀝されていますが、版型がまず、特殊で、写真を生かすように、何度も変更されていきます。

 映画では、スマホで撮影した写真群を、どう生かすかを検討していって、最終的には、いち頁に横並びに、三枚を置き、その次の頁にも三枚置き、見開きで、六枚を一度に見られる版型にしていきます。とても特殊な形の本となります。だから、本屋の店頭には置きにくい形だし、流通も大変です。ただし、写真家(いわゆる原稿を提供した方)は、感激しますね。

 その上、小部数が多そうなので、一般ルートでは、流通は、させない本が多いみたいです。そこは私とそっくりです。私は六種類を作りましたが、部数としては、400,600,600,8000,800,800しか作っていません。大変丁寧に扱い、ほとんど売らないでいて、献呈すると言う形式を取っています。まあ、そういう意味では、経済的に、余裕があるのです。貧乏だと平気でよく言いますが、基本的には恵まれている方でしょう。

 これはシュタイデル自身に、相当にハイレベルなデザインセンスがあったということで、しかも、それを生かすように、生かすように会社を発展をしていったのが、賢いところだと思います。

 その次に色調の検討に入ります。印刷とは、光の三原色を使うネットの上のRGB形式とは違ってCMYK方式といって、カラーインク四色で四回に分けて印刷されますが、その割合をどうするかを、何度も何度も検討します。それが執拗にといってよいほど、繰り返されます。ヨーロッパ人特有の肉食系のしつこさというか、完成を求める執念というかが現れるときです。ただ、原稿提供者としては、これほど、ありがたいことはありません。

 日本でも、美術書類は、この程度の確認をするかもしれませんが、それでも、違いは、日本の場合は古い作品とか東山魁夷とか、平山郁夫などの大家の場合に、印刷のお金をかけるが、シュタイデルは、自分が気に入ったら、前衛というか、無名の人でも、大いなる支援を行うということでしょう。人手間という点で、ものすごい、分量を一冊に注ぎ込みます。

 で、私はやはり、彼は摺り師出身ではないかと思った次第です。摺り師とは、有名な画家の版画を、画家本人に代わって摺ってくれる人で、数人を相手に綿密に打ち合わせをします。江戸時代は木版画でしたので、摺り師の前に、彫り師というのがいたのですが、現在では、版を作る人を含めて摺り師とよぶのではないかと思います。草間弥生のかぼちゃの版画などは、個人的な刷り師ではなくて、会社組織の版画工房で、制作されるはずで、ほとんど印刷に近い形式で制作をされると思います。草間弥生ほどの、作家になると、公房で、現場立会いも交渉もしないはずですが、その代わり、専属画廊のスタッフが、出てきて、綿密な打ち合わせをするはずで、そういう過程で、シュタイデルは、今の特徴を、身に着けて言ったと、考える私です。大型のプレス、特に電動プレスを入れると、その次に、オフセット印刷機を入れて、事業を拡大するのは、技術的に、難しいことではないはずです。

 でも、そういう日々の積み重ねの結果、今では、相当に有名な顧客、たとえば、カール・ラガーフェルドなどが依頼をする、超有名企業になっています。よかったですね。

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副題7、『本作りの裏側をさぐろう。特に原価計算をしてみよう』

 これから先は、私の得意分野に入らせてくださいませ。本の原価を計算してみます。私も一人で、上流から、川下まで、いろいろなことを、全部、やっているので、大出版社のサラリーマンより、ほんのことが、却って、よくわかっているともいえるからです。

 お金のことを言うのは、つまらないとおっしゃる肩もあるでしょうがお金のことこそ、大衆から隠されている部分なので、それが、大衆の力を弱めている傾向もあるからです。

 たとえば家を買う際ですが、昔ながらの大工さんに依頼をして、完成するまでの過程を、つぶさに見物することができれば、それは、別の楽しみとなるので、お金の損失をあまり感じません。だけど、大売出しをされている大規模マンションとか、タワーマンションを見ていると、お客がねずみ扱いを受けていて、損をしているなあと感じるケースも多いのです。また、最近の建売住宅も、デザインはすばらしいのですが土地の面積が小さくて、これで、一戸建てとよべるかなあ。お隣と、近すぎて、独立性が保てないでしょうと思うケースも多々あります。となると、マンションと同じく、お客の方がかもられているケースと見えます。

 でも、こと住宅に関しては、相当なレベルで、原価が開示をされていて、お客が損をしない仕組みも出来上がりつつもありますね。

 しかし、本の制作原価というのはほとんど、公開されていません。これも、言論弾圧に役立つ仕組みだと思うので、公開させていただきたいのです。

 私の場合パソコンのソフトを買ったこととか、交通費を入れれば一冊にだいたい100万円を外部の人や組織に払っています。その中に、自分の労働時間は一切含まれていません。もし、自分が働いたお金を一時間1000円と計算すると、それが、100万円にはなり、合計で、200万円かかることとなります。

 もし、大手出版社で、本を作る場合には、社員の月給というのが、高いので、印刷やら、製本は、私よりは値引きをしてもらえても、合計すると大差ない価格で、本一冊ができると思います。3000部でも、10000万部でも、200万円以内で、できるはずです。社員の関与する部分が少ない、私費出版の場合は、だいたい原価が、150万円ぐらいで、できるでしょう。ちょっと気取ったところで、一頁一万円と、銘打っています。

 一万部を、上製本として200万円で作るとすると原価は、666円になります。で、売価を、1500円と仮定をすると、原価の三倍が売価となっているそうなので、一冊に付き、300円の赤字になってしまいます。で、それを避けるために、私費出版ではなくて、企画出版でも、今は、作家側にある程度の資金を援助してほしいと出版社は、言ってくるそうです。

 でも、これが、100000部売れたとしましょう。10万部でも、ほとんど、300万円でできるのです。200万円が2000万円にはならないのです。それは、大規模工場で、製本とか、印刷をすると、その部分が意外にも安いからです。で、300万円を10万部で割ると、一冊300円となります。ここまでくれば、売り上げは、8万部かける1500円ですから、1億2千万になるので元は取れて儲かるということとなります。出版社に三分の一が入るので、4千万円が入るとなって、作家に元資金、150万円は、軽く返せるし、編集者の3~6か月分の月給、200~300万円も軽く出せます。で、CDも、アニメも似たような仕組みで運営をされているので、最初に莫大な資金がかかるが、ヒットすればヒットするほど、投下資金の回収が容易となります。

 となると、ヒットするための、戦略が重要になってきます。

 なお、この章は、加筆をお約束をいたしておりましたが、時間が経ちすぎたので、新しい章を起こして続くとさせてくださいませ。

 その章は『

 なお、このブログの、2010年度より数えはじめた伸べ訪問回数は、1829222です。

 

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鶴岡八幡宮の境内に、リアル寅さんが寄付した蛇口があり・・・・・・現在加筆中

2013-10-06 02:12:40 | 政治

 これは、下にスクロールすると出てくる、5日付のブログ、『2013年10月5日に、07年の4月から、自覚した長い苦労の後を振り返ってみた』の副題7以下を独立させたものです。

 そちらは、7日の午前2時半までは、タイトルを、『豊島屋さんに、材木座の命名権を、1200万円で売った本当の理由を今再検証してみる』としていました。が、その部分もこちらへ移動したので、前のブログのタイトルを変えました。そしてそちらは、100%の推敲を終わりました。こちらは推敲をしつつ、加筆もしております。

副題7、『韓国の新聞記者が、日本に、原爆が落ちたのは、天の御しるしだと言った、本当の理由は?』

副題8、『鶴岡八幡宮の境内に、珍しい水道の蛇口があったが、今は御影石に変わり、本来の面影もない』

副題9、『豊島屋さんに、材木座の命名権を、鎌倉市が1200万円で売ったのはなぜか?』

副題10、『狙いが、失敗して、きまり悪いだろう前田氏を助けるために、警察発の異常な回覧板が回って来た』

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副題7、『韓国の新聞記者が、日本に、原爆が落ちたのは、天の御しるしだと言った、本当の理由は?』

 ここで、思い出 さないといけません。韓国の新聞記者が、社説内で、日本に原爆が落とされたのは、天の采配であったとか、書いたそうです。そのケースですが、あとで、月日 を照らし合わせないといけませんが、多分、鎌倉での、前田・安野連合軍が加えてきた攻撃を分析している最中にそのニュースが出たと覚えております。その人たちの、攻撃とは、本当にひどいものでした。

  自分が他人(=私)の土地を実質的に盗んでいながら、『あんたを刑事訴訟にかける』ですって。そうですか。わかりました。それなら、はっきりと、これまで よりレベルアップして戦いますよと、決意したのですが、そういう展開は、事前には予測をしていなかった模様です。かれら(こういうことを実際にやってくる 連中とか、後ろで案を練っている連中)は、ひどく臆病な連中(=人種)であって、脅かしには弱い連中なのでしょう。だから、私のことも脅かせば何とか、成ると考えています。何とかなると、どうなるかというと、自分たちの悪が、隠ぺいできると考えています。自分たちが、果してしまった悪行に対して、責任を負うことなく、逃げおおせられると考えています。

 だから、ひどい攻撃を重層的に加えてきます。

 でも、結果は、彼らの予想通りには、うまくは、いきません。彼らとはまるで、発想の違うところで、私が、生きているからです。その根源は、信仰の力であって、正しいことをしている人間を、天は、必ず、お守りになってくださるという信念です。

  それが、彼らにとっては困ることです。で、そこを攻撃したいと考えて、韓国の、新聞記者に社説を書かせました。それが、『原爆は天罰だった』という記述です。 そういう記述を読むと、・・・・・人は、途端に、天とか、神とか、天の采配とか、神のご加護という種類の言葉に嫌悪感を抱くはずだ・・・・・と計算をされています。で、私のブ ログの読者の数が減るはずだと推察されています。それで、そういう記事が出ました。

 私は、無論のこと、それも勘案して、五億円の損害をこ うむっているといっています。だけど、考えようによっては、全く別の考えも抱きます。『敵さんたちは、私を買い被っていますよ』とも。そういう 種類の国際的な攻撃で、間接的に、ブログを閉鎖させようとしているからこそ、自分は大物なんだなあと、自覚をさせられますので、ありがたい現象です。 (笑)

 ただね。普通のマナーを守ることさえできなかったわがまま主婦軍団のせいで、日本人全体、特に被爆者と、その子孫が嫌な思いをした と推察されるので、本当に悪辣な一行だと思います。アイデアを練ったのは、表面だけを死んだことにしていて、実際には、地下潜行をしている、巨匠(?)井上ひさしだと思われますが、別の人間かも知れません。

 ただし、そういう流れに入っていったのは、前田祝一氏の「あんたを、刑事訴訟にかけるぞ」という5月28日に発せられた暴言からですから、後ろに誰がいて、何を、教唆をしようとも、表に出ている実行者は、前田祝一氏です。だから、私は彼らの悪らつさを、書く権利があります。

 そこらあたりの詳細については、もし、このブログへ入ったのが初めての方があるといけないので、前に書いた文章をここに置きます。長いので、ついでに、読んでいただくのは、申し訳ないのですが、事実をきちんと記録をしておくためです。

前田祝一様、貴君に行動の自由があるのなら、私にも、その行為を記録する自由はあるでしょう?△

2013-06-11 15:31:49 | 政治

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副題8、『鶴岡八幡宮の境内に、珍しい水道の蛇口があったが、今は御影石に変わり、本来の面影もない』

 2013年5月か6月ごろ、伊藤玄二郎たち一派は、NHKで、浄智寺さんを巻き込んで、クイズ100人力、 鎌倉編を制作し、一方で、豊島屋さんを巻き込んで、材木座の命名権を、鎌倉市が売る案を提出しました。それは、売価4800万円だそうですが、買う人がいないので、1200万円におまけして、値引きして豊島屋さんに買っていただいたそうです。

 変な話です。鎌倉市にある浜辺ですが、5000 年は前からそこに存在しているでしょうね。今の市長、・・・・・父親が中国で、買春したとかいう件で有名な若者・・・・・松尾崇君がどうのこうの采配するべき ものでもないでしょうし、できるはずのものでもないはずです。それなのに、今年急にそれの、命名権を、4800万円で売ることにしたのだそうです。ところが、だれも買う人がいないので、1200万円で、豊島屋さんが、買うこととなったそうです。

 それをNHKがニュースとして、放送しまし た。で、一般の方なら、『鎌倉では、小売業としては、最も大きな会社である豊島屋さんなら、1200万円ぐらい出してもおかしくないわねえ』と思ったはずです。三越やら、高島屋にも出店をなさっておられる大企業でもあるし。有名税の一つですねと、考えた人は多いでしょう。

 しかし、裏側は違い ます。これもまた、伊藤玄二郎たちが発案した、諜略行為の一種で、私を、弾圧するための案です。どういうことかと申しますと、まず、八幡宮様が使われまし た。私は、7,8回雪洞祭りに献灯をしています。で、薄いながらご縁があります。しかも、八幡宮様の駐車場とは、我が家は地続きであって、地境地主でもあります。 で、氏子でもあります。

 そういう相手が、私に逆らえば、私が悲しむだろうと推察され、八幡宮様は、数々、いじめるための施策に利用されて 来られました。それは、私の文章の中に現れたことは、ことごとく、実物を、壊していくという策で、一番つらかったのは、 アメリカキササゲの大木が切られてしまったことです。それは、神奈川県立近代美術館(旧本館、現在の名前を鎌倉館という)の職員用玄関前に、臥龍のごとく、横たわっている大木だったのです。それを、『二人だけの音楽会』というエッセイの中に書き、それが、大変評判がよかったので、その証拠物件が消されたのでした。

 八幡宮様は、私が気が付いただけでも、15個ぐらい、私をいじめる策をとっておられますが、そのうちの軽い、軽い方のものを、もう一つだけ挙げさせてくださいませ。

 それは、露天商組合が寄付した蛇口です。

 鶴岡八幡宮の境内も、無論のこと、汚れます。で、ごみを収集する場所はあります。その大型ごみ箱は、美術館の塀の内側に隠れた形でおいてあります。それから、公衆便所もあります。公衆便所は最近、ものすごききれいなものへと、整備をされました。気持ちがいいです。外国から来た観光客が、日本のトイレをほめまくるのにも貢献をしているでしょう。

 で、私はそれを見て、『屋台の人たちは、ここで、水をくむのだろう』と、推察をしていました。長らくです。でね、『そういう姿が、一般の観光客に見られたら、嫌だろうなあ』と考えていました。焼きそばに入れるキャベツを、トイレからとった水で洗うと、なれば、見た人は、買わないでしょう。で、『気の毒だなあ。寅さんも映画では能天気だけれど、実態は大変だ』と考えていたのです。

 ところがある日、境内の社殿に向かって、左側を歩いていると、驚くべきものを見つけました。それは、一種の流しですが、壊れかけているものです。側溝の上に、板(木だったか、薄いコンクリートだったか、薄い石だったかは、忘れてしまったが)が数枚乗っているという形であって、そばに蛇口がありました。蛇口は、その下に、バケツを置く形であって、50~60センチ高いところに設置されていて、柱が、結構太くて、そこに、露天商組合組合長、何のなにがしが、これを設置したと書いてありました。

 私は仰天したし、感動もしました。そして、あれこれを、当時維持し活発に運営をしていたメルマガ内で、書きました。

 文章の中で、特に重点を置いたのは、戦後民主主義の開花というか、大爆発が、ここに顕現をしているいう点でした。お若い方は、想像もできないでしょうが、1945年までは、日本には、法的に明文化された身分差別があったのです。それは、士農工商という四身分+華族制度だけですが、露天商というのは、実際には、社会的に、差別され、軽蔑されてきた方だと感じています。ふうてんの寅さんは、映画の中では陽気でかっこいいが、本当にその世界にいる人は、いろいろな苦労があるでしょう。

 そのころの公衆便所は、汲み取り式だったかもしれず、いずれにしろ汚い感じの場所だったでしょうから、そこから、水をとるのは、今の公衆トイレよりは、さらに、気色の悪いことだったと思われます。しかし、そこに戦後の身分解放が訪れました。都心でも、第三国人と呼ばれる人たちが闇市を開いて、活発にお金儲けをしていて、一方で、旧制度では、身分の高い方だった裁判官が、お米を闇で買わないでいて、餓死したなどと報道される時代でした。

 そんな時代に露天商の人たちも解放感いっぱいで、自分たちの仕事上の向上を求めたと推察されます。今までは、雲の上の人だった身分の高い人たちに掛け合って、水道管をそこまで引き、蛇口を作ってもらう。当時は重機がないので、そんな工事でも大工事になったと思われます。その交渉をした人間は、達成感いっぱいで、意気軒昂だったでしょう。だからこそ、そこに銘板を作り、自分の名前を記入しました。ただし、コンクリートが、生乾きのうちに、釘でひっかいたような、素朴な代物です。

 私がその感動を、文章を書いた数年後、そこは整備をされ、流しも直っていて、銘板も黒御影石の立派なものへと変化していました。私はその日は、大喜びをしました。『よかったね。露天商さん、使いやすくなって』と思って。ところが、2013年の今は、また、考えが違ってきているのです。その黒御影石の銘板には、前のものに感じたような、65年前の露天商たちの、意気が匂ってこないのです。死んだ銘板となっています。

 ここにおいて、私はその件を原初、提案したであろう、井上ひさしの頭脳レベルには、感心をしますよ。的中の的を穿っていると思って。(笑) ほかの件では、「連中は幼稚だ。幼稚だ」と常に言っていますが、この件に関してはスマートです。かつ、緻密です。(笑)

 で、読者の皆様へ向けての文章へと戻ります。上の二件は、あえて穏便なものを選びました。特に、八幡宮様がわが、「あなた、間違って受け取っていますよ」と、否定できるものを選んであります。この側溝の改変も、井上ひさしから、直接に、打診をされたとも思っては、いません。間に幾人もの人が入って、工事会社側に、この企画ができて、その企画書を持ち込まれて、八幡宮様は、それに乗ったという形だろうと思いますし。

 本当に恐ろしいことは、今は、書き表せません。まだ、30%規制を自分にかけている段階です。ときどき、50%程度に緩めますが、全面的開放には程遠い書き方で、おさめておりますから。

  その次に、鎌倉一素敵な観光地だと、何度も私が書いている、覚園寺さんが、利用をされました。その次が、浄智寺さんです。北鎌倉には円覚寺も建長寺も、明月院 もあるわけですが、浄智寺さんは、匠の会(北鎌倉の文化人の集まり)の会場として、2か月に一回ほど、その方丈(落ち着いていて、きれいです。特に夜は静 寂で、素晴らしい場所でした)を、私も使わせていただいています。だから、浄智寺さんが、敵に回れば、苦しいだろうということで、鎌倉検定で、儲けている、伊藤 玄二郎を助けるために、クイズ100人力の有力メンバーとして浄智寺さんが、登場しました。

 鶴岡八幡宮、覚園寺、浄智寺、という鎌倉市内の神社仏閣のうち、伊藤玄二郎が影響を及ぼすことのできる、(つまり、トップとお酒を一緒に飲んだりしている間柄にある)神社仏閣が敵だということが、あのクイズ100人力の日に明瞭に分かったわけですが、それにしても、私は全く変化しません。

  また、彼らの側も変化しないのです。それは、お気の毒にも彼らに、使役されて、そのことで、振り回されきって、体力を消耗した、肝臓の悪かった瓜南直子さ んが、急逝しても、変わらない(=反省しない)みたいで、ただ、ただ、攻撃一直線に向かってくるのですが、その攻撃も、時期的に、一気に畳み掛けてくるのが好きな模様で、5月ごろはひどかったです。それも、横須賀の丘の上の、78坪を、買わせないようにする策略が、成功したので、畳み掛けて、つぶそうとしたわけでしょう。

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副題9、『豊島屋さんに、材木座の命名権を、1200万円で売ったのはなぜか?』

 その畳み掛ける、作業の一つとして、豊島屋が、使われました。どうして使われたかというと、今回ニュースに表れた社長さんではなくて、その前の社長さんとは、楽しい話をしたことがあって、敵の存在を知らなかった時期に、それを、二冊目のエッセイに載せております。 

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  で、その後ですが、私は自分の味方に豊島屋さんを引き込もうとは思っておりませんよ。それをやったら、伊藤玄二郎一派にごたごたと精神的に引っ掻き回されて、かえって消耗しきってしまい、負けます。で、私は、神様しか、味方に引き入れようとは、思っていないのです。だけど、伊藤玄二郎たちは、そう思っていないでしょう。で、「鎌倉一の有力者が、 お前の味方ではないのだよ」ということを誇示したいのです。美術の世界で、それをさんざんやって来ていますが、それでも、私がめげませんね。だから、また、鎌倉市内でへ帰ってきて、使える人は、だれでも 使おうというわけです。

 でも、すぐ裏側を見破って、それをブログで、書き始めています。特にNHKニュースになっています。それは、伊藤玄二郎たちにとっては、大権威をバックにしたニュースであって、「権威があるのだ。どうだ、参ったか」ということになると思いますが、私は屁の河童です。むしろ、大勢の人が、見聞きしているからこそ、論じやすいです。特に現在の鎌倉市長が大変評判の悪い若者だということは以前からしっていましたので、それに絡めて論じ始めます。

 しかし、それは、伊藤玄二郎にとって、震撼する出来事だっ たでしょう。彼は、鶴岡八幡宮様の宮司である、吉田茂穂氏より、神奈川県立近代美術館の館長だった、酒井忠康氏の、方に、より気を使っているみたいです が、それよりも豊島屋さんの方が怖い存在であります。

 豊島屋さん、特に前の社長さんは、腰が低い方です。だが、社員の数が多いし、全国的に 名前の売れている会社です。また、豊島屋さんが、本当に怒ったら、鎌倉春秋社も立ちいかなくなるでしょう。だって、鎌倉春秋社は、基本的にタウン誌を発行する会社です。タウン誌とは、広告も載せますが、記事も載せます。広告を載せるにあたっては、伊藤玄二郎がわが低い位置にあるわけですが、記事をどう描く かによって、伊藤玄二郎は鎌倉中ににらみを利かせているわけです。

 つまり、有名人にちょっとでも、また、ひねった形で、わかりにくくて も いいから、ある人物、またはあるお店の悪口を書いてもらえば、そのお店は立ちいかなくなる可能性があるわけです。だから、本当はひどく嫌われています。で も、医事新報というのを出していて、医師会をつかんでいるし、ロータリークラブ等にも抜け目のない手当てをしているでしょうし、もちろん商工会議所にも手 を伸ばしているだろうし・・・・・議会にも手を伸ばしているだろうし、鎌倉ペンクラブの会長として、文化人にも大いなる支配力を発揮しているでしょう。

  しかし、出発はタウン誌です。それは、スマホの発達によって、以前ほどは売れないにしろ、にらみを利かせる道具として大切なはずですが、そこに、もし、豊島屋さんの反発が、影響し始めたら、非常に危ういでしょう。それは、私が裏側を書くことで、利用をされたと、わかって来られたり、誰かから、伊藤玄二郎に 利用をされていらっしゃいますよと、告げ口でも入ってごらんなさい。豊島屋さんは丁寧な商法で、今まで、特に挫折もなく乗り切ってこられたのに、暗雲漂う連中に利用をされたと、いう評判でも、たったら大変であり、絶対に怒ってこられるでしょう。

 だけど、いろいろな内実を聞いたうえで、この1200万円支払い に、応じられたのかもしれません。それなら、なおのこと、「危ないですよ。豊島屋さん」といいたいです。彼らとつるむと、どこかで危ないこととか悲しいことが起きます。おやめなさいと、申 し上げておきたいです。

 オバマ大統領だって、そのひとりです。シリア空爆という、調略に乗っかって、行動されたみたいですが、それを きっかけにして、議会が、しっちゃかめっちゃかになっていて、ご自分の威光が通じなくなっていますね。そのうち、オバマさんを利用している連中(=国際的軍産共 同体の頭脳部分)からも、切られることとなりかねないです。

 ともかく、伊藤玄二郎は、自分の方から、豊島屋さんを利用しておきながら、 その真実を、私に書かれるとあわてふためいて、私のブログを閉鎖させたいと願ったでしょう。その一手段として、前田祝一氏を利用したのです。

 その前田氏ですが、私を追い落とそうとするたくらみとしては、今回は二回目ですので、前回より、より用意周到に自分たち、悪の連中が勝つように小細工をし掛けました。特に利用をされたのがお隣の奥様であって、そのことは嫌なことと記憶をしております。ただし、そのあとで、佐藤錦を、どっさりといただいているので、ここでは実名をさらしません。(笑)、という口実で、お隣と、正面切って争うのを、ここでは、避けておきましょう。

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副題10、『狙いが、失敗して、きまり悪いだろう前田氏を助けるために、警察発の異常な回覧板が回って来た』

  で、前田氏の悪魔のごとき恫喝を、受けてしまいました。それの狙いは、主人を巻き込むことにあったでしょう。私をそこまで激しく、脅かせば、私は、きりきり舞いをして、主人を頼るはずだと彼らは考えたのです。そうすると、主人はびっくりして、簡単に彼らに謝罪をするでしょう。それが真実の狙いだったと思われます。で、私は当夜、慌てふためいて主人に言うのだけは避けました。私には彼らの狙いは手に取るようにわかるからです。

 そして、数日後、落ち着いた形で、主人に、「こういうことがあったのよ」というと、「前田さんは、常識があるので、まさか、本当には、そういう行動には出ないだろう。ただし、これを恨むのではなくて、こちらが、上手(うわて)にでて、許す方向に行った方がいい」といっただけです。

 で、彼らの当初の狙いは失敗しました。で、極まりが悪い前田氏を助けるために、上記のような回覧板が回ったのです。

 彼らが、その恫喝を、『失敗したケースだ』と考えると、いつかは無かったことにして、私がうそを言っていることにしかねないので、ここに一つの証拠を置きます。というのも、それは、私にとっては、静かに花の世話をしていた時の、突然の攻撃であって、録画するとか、録音するとかいう用意がしてありませんでした。

 上は、回覧板の写真です。

 何が書いてあるかというと鎌倉市内の刑法犯罪発生状況です。地域別に発生数が書いてあります。

 たいへん不明瞭になっていますが、これは、例の敵さんたがピントを甘くしたのであって、彼らが不利になる 写真は、だいたいこういうことになります。

  左側に二重に、なった線で、回覧という文字がうっすらと見えると思います。その下に、回覧するべきおたくの名前が出ていますが、そこの4番目が我が家で す。川の字がうっすらと見えますね。もっともはっきりと見えるのが、右上の、110番というものです。これは、どうも、警察が配ってほしいといってきた回 覧板の模様です。

 川崎の名前の右側に別紙があって、そこに、 二段になって項目と、数が入っています。それは、何の数かというと、刑法犯の発生状況だそうです。私の名前から、右へ七つ入った罫線の中に、車上狙いとい う字がうっすらと見え、その次に置き引きとあって、その次にひったくりとあります。 

 これは、過去一年の統計らし くて、この中には、殺人事件は含まれていません。私が引っ越してきてから、二回ほど殺人事件が起こりました。我が家より北側、一キロ以内のところで、家庭 内のごたごたから、家族同士で、殺人事件が起きたケースと、我が家から南側へ、一キロ強の場所に、三階建ての二所帯住宅があって、その狭い庭に、すっちー 出身の妻も子供もある夫が、妊娠して、子供を産むと主張をする不倫相手を殺害して、埋めたのでした。それ以外は聞いたことがないので、ここにも載っていません。

 だが、深い怒りにとらわれます。時期的に言って、前田氏が、恫喝をしてきたときに、対応していますから。何を警察はやっているのだと、怒りに震えます。だって、土地に関して、実際には盗人がわが、前田家側なのですよ。

 

 

  前田夫人と安野夫人というのは、一戸建ての住宅街に住むマナーを一切知らない人たちで、自分たちだけで我が物顔で、道路を占有して、うるさい声で、井戸端 会議をするのです。で、大迷惑なのですが、そういう形で、安野夫人が、自分が一番上になれるので、やめる気配はありません。もっとも声がうるさいのは、前田夫人清子さんであって、頭にきた藤本夫人という、鎌倉で、古い医院の御嬢さんが、前田家が、私道部分を拠出していないことをついたのです。ひどく困った連中は、 関係ない我が家の土地を、供出することで、急場しのぎをしたのでした。それが、アジサイ畑欺罔事件というものです。

 で、全く責任も罪もない私が、30年間土地が使えないのです。それもさることながら、その時に、自然に形成されていた我が家の山も崩したのです。私は「それは、約束違反だから、すべての条件は破棄です」と言ったので、業者が青くなって、その山の土、一部を、上の写真にある道に盛り上げて、その上に、コンクリートを巻きました。そのコンクリート代も、町内会の費用で賄っているはずで、踏んだり蹴ったりですが、さらにひどいのは、前田夫人の不始末を、庇護して、なかったことにするために、獣医学科は、全国的に名前が変わり、都立大学は首都大学へ、名前が変わりました。

 これは、国税と都民税を無駄遣いさせるに、顕著な実例です。民主党政権時代に行われたことですが、こんな無駄遣い (特に、悪辣な心と行動を持っている人間が、例の瀬島隆三側だというだけで、税金で保護されるのですから、全く不合理です。善人は目も当てられない始末です)の上で、消費税は、8%に値上げをされるので す。は、は、のんきだねです。本当に笑っちゃうほど幼稚な仕組みで悪が勝っています。

 この雪ノ下という小さな町内会での悪は、閉鎖社会だから、そうなります。進入路が一本しかないからです。ところで、上の写真 の左側に移っている家は、鎌倉春秋窯といい、伊藤玄二郎の愛人だったと、自ら名乗る石川和子さんと、現在は伊藤玄二郎ではない、男性である柳沢昇が夫婦として、暮らしている家ですが、彼らは、 驚くほどわがままで傲慢で、私の猫が気に入ったといって、常に入れ込んで返してくれないのです。

 そして、冬でも私を外で、寒い中を五分以上待たせます。ア ジサイ畑欺罔事件が無かったことにしたいので、事件当時、役員だった柳沢昇も、私をノイローゼにさせたいからです。苛め抜かれました。で、とうとう猫を外へ出さないことにしたのですが、ある日だけ、そちらへ、行ってしまいました。

 それを迎えに行ったのに、隠し続けたのですが、柳沢昇が大声で、私を脅かすものですから、猫が驚いて 外へ出てきて、「お母さん、一緒にお家へ帰ろう」と、私に呼びかけたのが、この出窓の下なのです。ボロッちい出窓ですね。だけど、彼はゴルフの会員権を持っているそうです。ただ、それは、はがきでお知らせが来るもので、我が家に誤配達をされました。私は、単なる示威を目的とした嘘だろうと、推察をしているのです。だって、何千万円もするゴルフの会員権がはがきでお知らせが来るなんていう可能性がないから。

 彼ら夫婦は、その日の直後に、私の猫が、私になついたことに、 メンツをつぶされたと考えて逆上してパニックにも陥り、警官を呼んで命令したのです。「あそこの旦那に奥さんを叱ってくれるように頼んでほしい」と。そんな連中の言うことを聞いて、のこのこと、この山の上まで登ってくる警官も元来がお馬鹿さんだが、さらに馬鹿げたことには、彼ら二人のうちの一人は、なんと、交通事故の調書 をとって、私を脅かしたのです。この山は、130段近い石段を上ってこないとだめな場所で、車は一切入ってこないのですよ。

 しかし、警察は反省するどころか、反対に脅かして来て、ことを収めようとしています。ここから先は書くのもうんざりとする現象がいっぱいです。そのうえ、書いてある格項目が、重いし濃いので、これで、本日は止めとするのをお許しくださいませ。後程、もう一回推敲を します。が、一応誤変換は治ったと、思うので、ここで、日付と、署名を入れます。なお、このブログの2010年から数え始めた、伸べ訪問回数は、1826563です。

   2013年10月5日に初稿を書き、7日に加筆推敲をする。

公開の日付だけは、6日と設定をしておく。       雨宮舜(本名 川崎 千恵子)

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2013年10月5日に、07年の4月から、自覚した長い苦労の後を振り返ってみた

2013-10-05 12:53:34 | 政治

 この一文は、それほど、直接的に危険なところは無いのですが、それでも、ツィッター方式で書かせていただき、できた順に、その内容に沿ったタイトルをつけさせてくださいませ。

『一回目は、山口百恵は、なぜ、普通の主婦になりえたのか』でしたが、二回目は、

 『普段使い慣れていない路線で、最終電車を捕まえるのは、危機一髪のスリルが有る?』として、それを、五時間ぐらい使いました。その次に、三度目として『韓国の記者が、原爆が落ちたのは天罰だといった本当の理由を、今再検証してみる』を使っています。というまえがきを、書き始めてから、7時間後に入れました。今は、4回目のタイトル『材木座の命名権を、豊島屋が1200万円出して買った件を、今、再検証してみよう』としていました。だが、この一文の、副題7以下を別賞に移しましたので、また、タイトルを変えました。という前置きを置いて****罫線以下に本日の冒頭が始まります。

**************************

 これは、前報の続きです。

 私は、10月2日の水曜日に、渋谷でレイトショーを見て、その帰りは鎌倉には帰り着けないと判断し、しかも次の日に、自分の持ち家の高枝きり後のごみを、捨てるためには、ホテルに泊まったほうがいいと判断して、ネットで、横須賀のホテルを探し、もっとも大きなホテルとして、メルキュールホテルを、選び宿泊をいたしました。

副題1、『やられました。今回も、敵さんたちに数々のいやがらせを受けました。それは、いつものことですが・・・・・』

副題2、『私は携帯を使えない。それも、五億円の被害のうちのひとつだ』

副題3、『終電間際は、スリルがいっぱいだ。頭を使い切ったぞ』

副題4、『環境に順応しつつ、最善を尽くそう』

副題6、『パソコンは持参をしているが、ブログの手当てをしないことと、その夜は、決意する』

~~~~~~~~~~~~~~~

副題1、『やられました。今回も、敵さんたちに数々のいやがらせを受けました。それは、いつものことですが・・・・・』

 ところで、私は前報で、元、駒澤大学教授と、國學院大學講師の夫婦である前田祝一・清子夫妻と、元横須賀市・副市長である杉本夫・正子夫妻について、種々様々なことを書いています。あれでも、書き足らないぐらいなのですが、ただ、ご本人達にとって見れば、ずいぶん古いことを持ち出して、迷惑だと、思う気持ちも有るでしょう。それでも、持ち出すのは、いまだに、激しい攻撃があるからです。それが、特に、なにかの、変化・・・・・今回は、プチ旅行で横須賀に泊まるという変化・・・・が、私側に、起きるときに、起こります。しつこく、しつこく、狙われています。そういう話から、文章が始まると、皆様も、お読みになりにくいと思って、できるだけ、違う書き方で、今までは、書いてまいりました。

 だが、この一文では、その攻撃についても触れたいのです。文としては、ホテル一泊のいきさつの二回目なので、その総体を時系列的に書いていくこととなり、最初は渋谷駅の話です。

 まず、渋谷でレイトショーを見た映画館は、シアターイメージフォーラムであって、夜の9時15分から始まるものであって、終わったのが、11時10分前ごろでした。

 渋谷駅には、宮益坂の途中で、ヒカリエに入り、旧東横線そばの階段を利用して、JR渋谷駅に入り、湘南新宿ラインのホームに入ります。入ろうとします。

 そのときに、東横線の旧駅そばで、荷物を持ってくれる人が現れました。私はいつも、こういう人に助けられます。老人めいて見えるからでしょうが、それでも、助けてもらえないときもあるのに、助けてもらえるのはうれしいことで、そういうときに、日本人って、本当に優雅で優しいのだと、感得をします。

 渋谷駅はなかなかに大きな駅ですが、いましたね本日も、JRのガードマンが。特に見事にも、湘南新宿ラインに向かう改札口横に。しかも、彼は、私を追いかけて、湘南新宿ラインのホームにまでも、やってきました。これがいるということが、嫌がらせの典型で、お前を追いかけているんだぞという敵さんたちの示威行動です。

 でもね、そんなことをやられる筋合いが、私の方にまったくといってよいほどありません。ただ一点、思い起こす理由らしきものは、杉本副市長夫妻が、横須賀市の水道山が一種の知的詐欺(=地籍変更届)を利用して、ある個人にただ取りされたいきさつを看過したことを、知っているからです。それから、ご近所のわがまま主婦石川和子さんの猫に関するケースですが(のちに詳述)

 横須賀市で、公有地をただどりしたある個人というのは、旧大日本帝国海軍の、参謀で、益山某といいます。秘密主義で暮らしていたので、下の名前を知りません。町内会にも所属しないし、電話帳にも40年前から、名前を載せていなかったと思います。戦後パージに出会って、経済的に苦しかったのも、理解できますが、旧軍時代に、確認した横須賀市の地形を熟知し、それを最大限に利用して、割のいいビジネスを展開していた人物で、その親友が、瀬島龍三という戦後、最大のエージェントです。

 瀬島龍三は、一応死んだことになっていますが、生きているうちに、めぼしいところには、主要な部下を配置したみたいで、今は、日本全国が、エージェント下に支配をされています。永田町の議員の中にも、一部エージェントが、入っているだろうとは思われますが、経済界にも、文化界にも、入っています。そして、NTTとかJR東日本、または、警察まで、支配下においています。

 その、ただ取りをされた土地は、一応書類上は体裁が整っていますので、犯罪として、私が告発することはできません。だが、実質的には、そこに犯罪があったのです。その目撃者として、命を狙われているわけですが、*1)ずどんと、ピストルで、撃つことも・・・・・自宅に名前も名乗らない外人が訪ねてくるという形で・・・・・企画をされたし、*2)拉致されることも・・・・・パリ・バスティーユ駅の改札外の地下道で、背の高い外人一味に囲まれて、拉致されそうになるという形で・・・・・企画をされたのですが、すべて、見事にかいくぐって、逃げおおせています。

 で、最後の手段として、嫌がらせを繰り返して、ノイローゼにさせて、入院させてしまおうとされていて、問題の土地、北久里浜から、鎌倉へ、引っ越してきたとたんに、最大の嫌がらせである、アジサイ畑欺もう事件が起こされました。

 そちらの方の主役が、上に上げた前田夫妻( その友人の安野夫妻、柳沢昇と、故石川和子夫妻)なのです。そして、私の見るところ、この三組の夫婦を後ろから繰っている存在もあり、それが、伊藤玄二郎のようですね。ただし、あまりにもこの山に警察が食い込んでいるので、警察が直接あれこれを、指導しているのかもしれません。

 上は、町内会のお知らせ用看板ですが、全部警察からのお知らせです。一応絵入りで、楽しそうに見えますが、こんな町内会看板などほかの地域では見たことがありません。変な場所です。

 それも含めて数々不当なことがあるのです。それは、本来なら、許せないことですが、一応やられてしまっているので、それを、逐一、私はブログで、書いているわけです。

 ただ、これらエージェントたちは別にして、使役されている方の、一般市民の中で、もっとも大きな、悪人は、杉本夫妻でしょうね。だって、当時横須賀市の土木課長であって、私が事のいきさつを、ちゃんとただしく告げているわけですから、まともな精神を持っている公務員だったら、すぐ、横須賀市の上層部と相談して、食い止めないといけないのです。しかも、そのあとで、見事に私財が増えているなあと見える御仁なので、一番、悪人だと定義できます。しかも、正子夫人の方が、私の普段の生活に対して、種々の妨害行動も起こしている人ですから。

 ただし、食い止める前に、瀬島龍三側が、当時の市長、(横山某氏と記憶しているが)まで、巻き込んでいたら、阻止し得なかったかもしれませんが、しかし、私が、現在こうむっているような数々の、損失をこうむるゆえんは、イチゴウも、ありません。それは、大声で、宣言をさせていただきます。

 えらそうにする、鎌倉の方の、ご近所主婦軍団(安野夫人、前田夫人、石川和子さん、および、最近、リクルートをされている第三軍団の主婦達)を眺めながら、私が長い間、どれほど、内心で、嘲り笑ってきたか、そのレベルは計り知れないほどです。悪辣な人間に利用をされているだけなのに、威張りかえっていて、本当に恥ずかしい女性達だ。人間としては、考えられない連中だ。まあ、悪魔と、認ずれば済むことだけどと思ってきたわけです。

 そこへ、鶴岡八幡宮の大銀杏が倒壊したわけですから、本当に胸がスカッといたしましたよ。吉田茂穂宮司さまは、早急に方針変換をなさらないと、致命的な、損失を八幡宮本体に与えることとなるでしょう。伊藤玄二郎たちとは、縁をおきりになることです。そうしないと、さらに、大変なことが訪れるでしょう。きっとそうなります。

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副題2、『私は携帯を使えない。それも、五億円の被害のうちのひとつだ』

  JR渋谷駅には、改札口が、今のところ、4箇所に設けられていて、通っているのは、山手線と、湘南新宿ラインと、臨海線の三つです。で、旧東横線の駅が、JRに譲り渡されて、そこに新しいホームができて、湘南新宿ラインが、より、乗り込みやすくなるらしいのですが、今のところ、渋谷・青山にある、シアターイメージフォーラムからは、15分近くかかって、やっと、乗車口にたどり着けるという始末です。無論、渋谷警察署前の小さな南口を使えば、三分程度、短縮される可能性はありますが、道路の横断に待たされる可能性も有るので、今使った道が、最短距離だといったほうがいいでしょう。

 さて、ホームに入って唖然呆然です。なんと、湘南新宿ラインの、最終電車は、夜11時3分渋谷発で終わりでした。そのことは母の見舞いをやっていたころにすでに、知っていたのですが、映画が、それに間に合わない時間まで、かかるとは、想像を、していなかったのです。

 ここで、読者の皆様は、こう、おっしゃるでしょう。

 「ナニやっているのですか? あなた。携帯で、時刻表を見ればいいのに」と。そうですね。私もそう思います。だが、携帯が使いにくいのです。それに、GPS機能が付いています。それを利用して、いじめ策がとられます。どういういじめ策かというと、友人の家に行く際にも、歯医者さんに行く際にも、必ず目立つ場所で、工事をしています。水道工事と、電気工事が主ですが、最初は、共同溝工事という名前で行われていました。電話局も工事をします。で、工事現場においてある発光型の赤白段だらの、コーンというものは、いつも、いじめ(または、脅かしに役に立つと思われているので、それ)用に使われています。たしかに、そのいきさつがわかっていても、その赤白だんだらコーンを見ると嫌な感じがします。

 私を脅かすために、なんと、緊急工事用・待機・工事車というのもあって、午後四時ごろ、横須賀中央駅の前で、運転席で、作業員が運転席で、昼寝をしていました。(笑)

 私が銀座のどこかの画廊によると、そこのエレベーターの監視カメラを使って、どの路線を使うかも推察されていて、その到着時を狙って、鎌倉駅か、横須賀中央駅か、それとも、久里浜駅に、JRガードマンを配置するのです。

 または、工事を起こさせるのです。これは、その地域地域の中小企業としての、工事会社に、負担をさせ、救急患者が夜間に出来したときに、当番病院があるように、当番工事会社がある模様でした。

 でね、そんなことはわかっていて、内心ではすでに平気なのですが、うっとおしいは、うっとおしいので、結局は携帯を帯同しないこととなり、だから、このように終電が、どうのこうのというときには、間違った選択をしてしまう可能性もあるわけです。それも五億円の被害のひとつです。普通の人、しかも、子供のママ友であった杉本夫妻から、これが、発生していますね。だから、怒り心頭です。

 私は、びっくりはしましたが、そのまま、そのホームにのこりました。というのも、そこから、山手線ホームに移動するだけで、五分間は余計にかかってしまいますので、この様な終電間際では、ロスをできるだけ避けないといけないからです。で、臨海線で大崎まで行くことに気持ちを変更しました。

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副題3、『終電間際は、スリルがいっぱいだ。頭を使い切ったぞ』

 私は、湘南新宿ラインを使って、渋谷から横浜まではJRでいき、横浜駅で、京急に乗り換えて、京急汐入駅へ向かうつもりでした。で、JRの切符、380円を買いました。その時に、『あれ、有楽町からは、450円のはずなのに』と、怪訝に思いましたが、東横線と価格競争をしている結果なのかもしれませんね。まあ、本当のことを言えば、キロ数がこちらの方が、少ないのでしょう。だが、変だという感覚は捨て切れません。だけど、渋谷から、ヨコハマまでが値上げされても困りますけれど。

 さて、大崎で、山手線に乗り換えます。時計を見ると、28分を逃したので、34分を、使うとしても品川駅で何を使うかは大問題です。200円のお金を無駄遣いしないためには、東海道線か、横須賀線で、横浜駅に向かうべきでしょう。私は、横須賀線の最終あたりの時刻表は頭に入っているのですが、京急のそれが、頭に入っていません。それで、200円は捨てても、品川で、京急に乗り換えるべきだと判断しました。正解でした。特急で、久里浜駅に向かうのは、それが、最終一つ前の電車でしたから。もし、私が汐入という駅ではなくて、同じヨコスカ市内でも、もっと小さな駅で、特急が止まらない駅に宿を取っていたら、危うく、キャンセル料を支払わないといけなかったでしょう。そうなったら、鎌倉へ帰らざるを得ず、「泥棒が入るので、ドアチェーンをかけて寝てくださいね」と頼んでいる主人が、夜中に、トイレに起きるまで、そとで、持っているパソコンを打ちながら、待つこととなったと思います。(笑) 今は、まだ、寒くないのでいいのですが・・・・・

 品川駅で、京急の終電一本前を捉えて、しかも、青物横丁で席が空いて座ることもできて、ほっとしながら、ふと、頭は別のところに撚れるのでした。

 『ああ、15年前だったら、私は、渋谷から、30分以内で、帰宅できるところに、拠点を持つつもりだったのに』と、思い起こしたのです。私は25歳のときに占い師に、一生お金には困りませんといわれているし、先輩からは「ずるいといってよいほど恵まれていらっしゃる」と、言われているほど、お小遣いに不自由をしない人間でもあります。それは、両親のおかげですが、一方で基本的には衣食住に関して、安定した生活を保障してくれている、夫がいるおかげでもあります。だから、周りの力で、経済力がある人間なのです。

 ただし、遊んで暮らしてきたつもりは無いのですよ。山口果林さんの本を読んでも、それから、ほかの人の伝記を読んでみても、比較しても同じくらい働いています。私は私なりに、いつもぎりぎるのところまで、がんばって、やれることをやっていますので、怠けてきた記憶は一切無いのです。ただ、それらは、すべて、報酬をいただけない仕事なので、神様が、こういう別の形で、活動費を恵んでくださっていると考えています。

 そうはいっても、2007年に、パソコンが壊れるという形で、敵から攻撃されていることに、気がつくまでは、順調に出世できると考えていたので、今より、はるかに大きな生活を送っていました。で、そのまま行けば、今では、本は公的に、10冊は出しているはずで、各種の団体の会員にもなっていて、会合はしょっちゅうあって、

 また、そのお付き合いとは、別に、自分自身でも、今よりさらに活発に動いているはずであって、インプットも激しくしているはずであって、だから、都心で夜遅くまで、活動をしているはずでした。

 そのためには、母から入る予定の遺産を使って、戸越銀座あたりか、武蔵小山辺りか、または、蒲田あたりに、駅近で、45平米ぐらいの中古のマンションを、1500万円程度で手に入れるはずでした。第二の、拠点とするはずで、それを保持していれば、渋谷で、レイトショーを見ても、らくらくに寝る場所に帰り着くはずでした。

 今、2013年には、マンションはアベノミクスのおかげで、高くなっていますが、こういう行動を、2008年ごろに起こしていれば、買えたはずです。だけど、2007年に、急にパソコンがおかしくなったり、真夜中に、電話がワン切りをされたり、プリンターがカタカタ言ったりする脅かしを受け、自分がはめられている仕組みも、わかってきて、それゆえに、すっかり、前に進む意欲を失い、予定が狂ってしまったのでした。

 ただし、あきらめきれない私は、場所を変更して、沼津あたりとか、富士山近辺とか、ともかく、静岡県に、第二拠点を作ることも考えたのですが、これが、親族やら、夫に無駄だと、大反対をされ、そちらも頓挫してしまい、仕方が無くて、横須賀に一戸建て古家、もしくは、土地をほしいと考えたのです。攻撃を受けたとしても、参ったまま泣き寝入りをしている人間でもないので。それが前報に書いた、メルキュールホテルの、19階から見下ろした、汐入五丁目、または、汐入、四丁目、三丁目、田浦一帯、および追浜にいたる、丘陵地帯の物件でした。

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副題4、『環境に順応しつつ、最善を尽くそう・・・・・と、決意して、今は、穏やかな心境である私だが、』

 私が最もあせっていたのは、2006年ごろではなかったかと、思います。人間は死すべき運命にあります。だが、死ぬ前に果たすべき役割もあります。私は一応二人の子供を育てました。社会的には、彼らが働いて、年金の下支えをしてくれるわけであって、義務を果たしたともいえましょう。四年制の大学を出ている母親は、一般的に言って、子育てが下手なケースが多くて、引きこもりになったり、結婚をしなかったり、離婚をするお子さんを輩出したりします。それをわき目で見ているから、ここまでやったら上等、上等などと、自分を慰めもするのですが、でも、小さいころから、優秀だと回りに、もてはやされてきていて、友人が「東大教授です」と聞いたり、「どこそこ大学の学長になりました」と聞いたりすれば、

 やはり、ひとかどの仕事人として、名を、あげたいと思うのも当然の成り行きです。ずいぶんと働いているつもりはありました。五層ぐらいに多重に仕事をこなしていて、銀座でも、相当な存在感があり、「銀座で、川崎千恵子を知らないのはもぐりだ」と、言われたほどです。

 このころ、自分自身では、まだまだだと思っていたし、マスメディアに乗っている有名人からは、ハエのごとく小さいと、無視されきっていました。が、神の視座から見れば、相当にいい仕事をしていたのではないかと思います。だからこそ、激しい攻撃を受けたのだと、推察しています。本当に激しい攻撃でした。このブログの世界で、必要性があった時にたまに書いていますが、まだ、まだ、その被害の全体像は、書ききれていないのですよ。攻撃の実態については、30%程度しか書いていません。攻撃がなぜ、行われるかの理由については、相当に、踏み込んで書いていますが、・・・・・

 でもね、攻撃が、自覚をされ始めて、6年になります。慣れてきました。そして、その状況下でどう生きるかを新しく模索をし始めています。

 それは、福島県で、原発直近で、被害をこうむった人々、北海道や新潟で、地震の被害にあった人、広島で、原爆の投下直下にいた人、または、その後支援に入って被爆をした人、そして、満州にいて、財産やら命やらを失った人、など、多くの人が同じ経験をしたという種類の不合理な、損失です。不条理極まりない損失で、こうむってはいけない類の損失です。だが、悪人が、権力を握っている限り、こういう不条理な被害に、善人が会うケースもあるのです。

 特に私は自殺を願われていると感じています。それが、もっとも有効な暗殺の手段であろうと、敵さんたちが、考え出した結論なのでしょう。だから、こそ、自殺することは避けないと、いけません。それに、大体において、自殺することは、普通の人間には許されないのです。大天才には、許されるかもしれませんが、子供を生んだ女が大天才になれるわけもないし・・・・・

 赤毛のアンの作者モンゴメリー女史は、家族を経済的に豊かにするために、台所で、小説を書き始めたのですが、家族は、全部だめになってしまいました。夫はうつ病になり、子供たちは、現代用語で言うと、不良になったのです。天才になるのは、本人にとっては、よいことであっても、周辺にとっては、ひどいことであるケースが多いので、天才になりえなかったのは、母としては、正解あったかもしれないのです。で、私は何事も楽天的に考えることとしていて、計画通りに、第2拠点が作れなくても、『ああいいかな。それでも』と思っていて、家から一時間以内の場所でも、ホテルを使おうと、思っていますし、渋谷駅のホームにまで、ガードマンが追いかけてきて、脅かしを強めても、『ふーん、もしかすると、刑事の偽装かしら』とまず思い、その次に、『それなら、書いてもいいでしょうね。明日、前田家のことも、杉本家のことも』と、思うのでした。

 ともかく、ゆったりと構えることにして、今持っているものを最大限に生かすこととしています。今私は、前田家の悪行を書くのも、安野家の悪行を書くのも、杉本家の悪行を書くのも、何の心の痛みを伴うことなく、できますね。最初はやはり、嫌で嫌で、たまりませんでしたが、今はすいすいできます。それほどの、損害を与えられているので、かえって、幸運だと思うほどです。

 しかも、それが、練習問題になって、敷衍できて、世界中のニュースに対して、独特の、しかも、後刻には、それが、正しかったということになる判断が、即刻にできます。

 こういうことは、私以外には書けないと思います。特に周南事件の忌わしさなど、分析できる人間は、ほかに誰もいないでしょう。まあ、50年後、100年後にそれを分析できる人間は出てくる可能性はありますが、今、それが、できるのは、私のみでしょうね。そこが得意中の得意です。

 自己を肯定できるのは幸いです。私は天地神明に誓って申しますが、被害者であるがゆえに、書く権利を得ているのです。攻撃者、または加害者が書いても、人の心を打ちませんよ。それは、小沢一郎の伝記(=ゴーストライターめいた政治記者が、ほめまくるもの)などで、すでに、証明済みのことです。

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副題5、『零時、40分に、京急汐入駅についてみると』

 ホテルにはネット予約の際、チェックインが、零時であると、記入しています。で、妨害や、嫌がらせが当然あるだろうと、推察しながら、駅を降りると、やはりありました。水道工事をやっていたのです。道路は水浸しです。

 『は、ハーン、やはり、やられましたね』と思いながらも、チェックインして、部屋の前まで行ってみると、想像通り、山側の部屋です。海側の部屋が満室であることなどありえないので、普通なら、後々リピートしてもらうことを考えて、海側を使わせるはずですが、私の場合は、繰り返される、「お前を格下へ置いてやろう」という悪意の発露でこうなります。が、まあ、まあ、と気を静めて、カードキーをドアにさします。

 事前に想像をした通り、開きません。これは、ホテルに泊まるたびに繰り返される、いじめであって、カードキーが一時的に、停止されるのです。カードキーとはIT的、仕組みを利用するものですから、すぐ、敵さんに利用をされます。しかし、フロントに下りて行って、事情を説明して、一緒に来てもらって、彼らが差し込むと、開きます。その時でも、携帯を持っていれば、いちいち、下まで降りないでも済みますね。ここでも、五億円の損失の一端を、実感させられます。

 カードキーを一瞬は無効にして、その5分後には、回復させることで、「私が、バカなことを言っているとんでもないお客である」と、フロント側に認識をさせるのが狙いです。となると、当然、若いスタッフに、内心で『田舎者目。カードキーの扱いも知らないのか』と、バカにされますね。秋葉原のワシントンホテルなど、まさしく、そうでした。女性スタッフが、明らかに私を、小ばかにしましたよ。だが、そういうことでも、目くじらを立てず、『いつかは、解明できるし』と思っていて、『いつかは、こういう攻撃を受けていることの原因者である、杉本夫妻の悪も、前田家の、悪も書けるし』と思って、いつも、穏忍自重を重ねているわけです。

 だが、メルキュールホテルのスタッフは、お行儀がよくて、内心はともかくとして、上品な態度のまま終始してくれました。

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副題6、『パソコンは持参をしているが、ブログの手当てをしないことと、その夜は、決意する』

 私は、そのホテル宿泊の夜には、ブログの手当てをしないことと決意しました。この様に、長時間自宅を開ける場合、2010年度までは、自分のパソコンも持参したし、ホテルの貸しパソコンも借りて、二台で、仕事をしたものです。ただし、最近の攻撃は、技術的に、これまたすさまじい段階に達しています。ブログの推敲を約束しているから、電車の中で、パソコンを打とうと考えて、グリーン車の切符を買います。前の座席についている、テーブルを下して、いざ、打ち込みを開始しようと思うと、マイクロソフトのワードがおかしくて、文章が書けません。あいうえおの、あを入力するとおかしな記号が、5つぐらい連なる形で、変換をされます。私が、どこにいても、また、自分の意思、如何にかかわらず、インターネットに接続をされてしまい、外から、迫害を受けるというわけです。つまり、ブログもさることながら、私の本作りが最も怖いことらしくて、それを、やらせないようにありと、あらゆるテクニックが駆使されています。

 で、この2012年五月、天城高原に、一泊旅行へ行った時も、自分のパソコンがめったメタになってしまい、どうしようもなかったことを思い出し、あきらめることにいたしました。ただし、その時には、お客さんが、ホテルのパソコンのありかを教えてくれたし、ロビーで、仕事をすると、自分のパソコンも回復しましたので、助かったのです。

 ホテルのパソコンが、リゾートタイプなので、普通の場所ではないところにパソコンが置いてありました。でも、普通だったら今のレジャーは老人組が多くて、夜の12時過ぎにロビーに下りてくる人もいない筈なのに、たまたま、お若い人がいて、降りてきたのです。その人が、ホテルのロビーで、ホテルのパソコンを使っていたので、おいてある場所が分かりました。そんな小さなポイントでも、神の加護というものを感じる私です。

 このように読者にお約束をしていたことができなくても、あまり、あわてないのが最近の私です。そこが余裕の表れでしょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 さて、上の文章はいつもとは違って、倒置法で、もっとも言いたいことを先に置いた文章です。ただし、私は読者の皆様に向かってというよりも、天に向かって書く傾向があり、この一文が、読者の皆様に、受けるかどうかということを顧慮しておりません。

 それでも、推敲しているうちにどんどん長くなったので、副題7以下を後ろへ、新しい項目としてまわしました。

 で、この一文も、前のタイトルは、違っておりましたが、今、五回目のタイトルをつけたところです。で、本日(推敲中にすでに、7日に入っている)は、ここで、とめとして、日付と署名を入れたいと存じます。

   2013年10月5日に書き始め7日に推敲を終える。雨宮舜(本名川崎千恵子)

 この一文は起承転結が完成していません。でも、書いてある一一の項目が、重いし濃いので、これで、本日は止めとするのをお許しくださいませ。後程、推敲をします。それが、終わったら書いた日付と、署名を入れます。なお、このブログの2010年から数え始めた、伸べ訪問回数は、1823947です。

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19階から横須賀市を俯瞰しつつ、山口百恵の・居直りの・清々さを思い出す私△

2013-10-03 12:49:23 | 政治

 本日もツィッター方式で書かせてくださいませ。そして、書けた順番にその部分を、タイトルとして使って行きたいと考えております。最初の4時間ぐらいは、北京秋天が無くなったといわれるが、横須賀の朝は美しかったにしてありました。その後、二つ目のタイトル『横須賀市関連の有名人は、ちょっと前は、宇崎竜童・阿木耀子夫妻だったが』として、10時間を置き、さらに、ほぼ30分ほど、女優の音感問題に触れ、最後に、4つ目のタイトルへ変えております。そして、今は、4日の午前零時半ですが、推敲も終わりましたので、恒例のとおり、タイトル右に、△印をつけておきます。どうか、よろしく。

副題1、『北京秋天が無くなったといわれるが、横須賀の朝は美しかった』

副題2、『ロビーに海軍グッズと、米軍グッズが、お土産として売っていたが、さすがに買えなかった私です』

副題3、『海軍カレーという、一商品が、横須賀市の、住民の、旧帝国海軍に関するタブーを解いた』

副題4、『カレー祭りの当日に、私は、横須賀で、不動産を買う決心をしたのだったが・・・・・』

副題5、『横須賀でのいじめも、鎌倉での、いじめ(=間接的に死亡を願われているほどの深刻な種類である)も、すべては連動している』

副題6、『米軍模様のスタジャン・・・・・(ここでは、スカジャンとも言うが)・・・・・が、有名な、どぶいた通りが、このホテルの裏側にある』

副題7、『横須賀市関連の有名人は、ちょっと前は、宇崎竜童・阿木耀子夫妻だったが』

副題8、『大女優鈴鹿ひろみ(NHKあまちゃん)だけではなくて、吉永小百合も、音痴だと私は、思いますが・・・・・』

副題9、『横須賀ストーリーで、居直った、百恵ちゃんは、却って、すがすがしかったよ。そして、本当は上品な三人が作る、居直りは、また、それは、花伝書の世界に通じるし』

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副題1、『北京秋天が無くなったといわれるが、横須賀の朝は美しかった』

 私は時々、ホテルに泊まります。それから、ネットカフェにも宿泊します。これは、マイクロソフトワードが、おかしい時期があって、自宅で、仕事ができないと感じたからです。が、それは、2007年ごろであって、2013年の今では、どこで仕事をしていても、同じように、敵さんが、妨害したいときは妨害をされるので、同じだと、考えて、ネットカフェや、喫茶店、およびホテルで、仕事をするのをやめてしまっています。

 それでも、時々ホテルに宿泊するのは、東京に深夜までいたときに、鎌倉の家に帰るのが、体力的に無理だと判断するときがあるからです。

 駅からは、公称12分だと思います。でも、石段が、130段以上有るので、そこが、ひどく疲労しているときは、難関となります。だから、ホテルを予約します。甘えて言うのではないが、抜群に疲労しやすい体質です。だから、防衛上の工夫をします。

 ワシントンホテルというのが、慣れてきている銘柄なのですが、横須賀には、それが、無いみたいなので、メルキュールホテルというのにとまりました。このブランドは、横浜山下公園の前にあるのに気がついたのが最初で、思いがけないほどモダンで、メタリックなロビーのインテリアに驚きました。が、今は、そこは、経営上、捨て去ったそうです。近所にあるナポリタン発祥の地として最近特に有名な、ホテルニューグランドに負けるのか、それとも、みなと未来にある・各・中級以上・ホテルとか、関内近辺にあるお安い価格帯のビジネスホテルに負けたのか、撤退をした模様です。

 でも、このフランス系ホテルが、横須賀にあるなんて、通りがかりには知ってはいたものの、宿泊するなんて、夢にも思いませんでした。たまたま、ネットの予約で、地図上で探したら、昔のプリンスホテルが、資本代わり、経営者代わりをしていたのです。『そうなんだ。ほーっ』と驚きました。いつのことだったのだろうと、思います。

 西武の堤義明氏については、いろいろ書きたい思いがあります。氏のご母堂が、実名を石塚京子さんというのには、ちょっと、引っ掛かりが有るのですが、その件は、まだ、このブログの世界では、書き終えていません。今日も触れませんが、自分の頭の中では引っかかっております。

 このホテルにある朝食用のダイニングは、桜木町にあるワシントンホテルのものとそっくりです。ところが、今確認をしたら、桜木町は5階なのだそうです。横須賀は、19階です。この違いが何をもたらすのかというと、何かをもたらすのでしょうが、大体が、東向きである、神奈川県の海沿いのホテルで、ちょっと角度が違うものの、海を見下ろすというところがそっくりなのです。

 その海べりにいろいろ、面白い施設があるというところもそっくりです。色彩的に華やかなのは、むろん、横浜の方ですよ。大観覧車が、夜には七色の、照明をともしますし。ただ、横須賀の面白さは、私にとって、土地探しをしたいったいを、すべて俯瞰的に見下ろせるということでした。美しい青空の下、まだ、紅葉も始まっていない丘陵地が、東、北、西北に窓のある19階からは、一望の下に見渡せるし、あそこに、550万円の候補地があって、あそこに、730万円の候補地があって、あそこに、1050万円の候補地があってと、懐かしく思い出したのでした。(笑)

 ただね、笑うべきことには、どれも買えなかったのですよ。しかも、土地探しの件で、187万円をすって、一方で、その土地探しは、持っている北久里浜を売るから捜していたのに、そちらでも、160万円も無用なお金を、賃貸者の引越し用に、むしりとられていて、私は、なんだかわけのわからぬうちに、めちゃくちゃに、お金を搾取されているのでした。(笑)

 そのいきさつを、文章に書かないで置いてどうしましょう。投資の回収ができないではありませんか? あなたも既にお分かりのように、もし、それを、書かないとしたら、それは、私が馬鹿丸出しということになります。だから、それらを種に、しこたまたくさんの文章を、書こうと思っていますけれど(笑)・・・・・

 土地探しに関していろいろ、受けた妨害を、考えると、今、私が書いていること・・・・・特に実名でひどいことを数々されてしまっていることの記録とか、警察が、国際的軍産共同体の配下として、機能をしているということ、その実例・・・・・を書く事は、当然の正当防衛だから、引き続いて書いていくべきだと信じています。このプチ旅行でも、あそことあそこに、問題があるし、あったし・・・・・と感じますが、本日の晴天に、免じて、この第一節(=副題1)内では、それに触れず、晴天の美しさのみ言あげして、北京と、比較をしたいと思います。

 北京の秋って、昔はとても青空がきれいだったそうですね。ところが、今は、大気汚染が激しいそうです。

 『ここ10年、大陸中国は、ひどいことを、対日本として、やり続けてきています。だから、北京の空が汚くなったのです。これも天の思し召しです』と、私がここで、一種のまとめとして、書いたら、「それは、あまりにも、童話チックではな言い方ではないですか」と、お笑いになる方も多いでしょう。が、超簡単にまとめると、そうなります。はい、そうなんです。童話とか、神話とか、民話というのは、大切な真実を、ごく簡単にまとめたものが多いのです。中国の政治家は、自らがなすべき難しい任務を後回しにして、しかも、自らに国民の不満が向かないようにするために、日本を、利用しまくってきたのでした。だが、政治家としての任務を放り投げてきた結果が、この大気汚染にまみれた首都の空に、結実しているのです。はい、そういうこととなります。

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副題2、『ロビーに海軍グッズと、米軍グッズが、お土産として売っていたが、さすがに買えなかった私です』

 メルキュールホテル横須賀は、フランス系資本で、運営をされていると思います。ダイニングの食器はノリタケが使われていて、それは、うれしかったですよ。お料理も丁寧でした。でも、日本にあるわけですから、ご当地、グッズが、お土産品としておいてあり、それが、横須賀を象徴していました。旧大日本帝国海軍関係と、米軍関係グッズです。両軍が並び立つお土産群です。バッジとかピンとか、お帽子とか、Tシャツとか。

 このホテルは、旧海軍の正門前にあるわけです。が、今はそこは米軍基地の正門であり、最寄り駅としては、京浜急行の汐入というのが、一番近い場所となっています。

 今、1945年の、終戦・・・・・(はっきり言って、敗戦といった方が望ましいと思われるが)・・・・・以来、68年経っています。旧海軍がタブーでは無くなったみたいで、お土産として、海軍をデザイン化したものがいっぱいおいてありました。

 だが、もし私が、旭日旗をデザインしたTシャツを着て歩いたら、とんでもないことになるだろうと思って、買いませんでした。(笑) 要らざる説明をここであえて加えれば、現在日本では、少数派にして、真実を言うものは右翼として、葬り去られるケースが多いからです。だから、右翼めいた飾り物を身に着けるのはアウトです。絶対に避けないといけないことです。

 米軍の原潜・ジョウージワシントンも、時々入港するので、そっち関連のグッズもおいてありましたが、野球帽みたいなものに、けばけばしい刺繍がしてある、そんなお帽子が似合う、年齢でもないので、無論、そちらも買いませんでした。だが、感慨が深かったですよ。こういうお土産品が出回ること自体が、ある種の自由の象徴だからです。

 戦前、戦中の日本には自由が無かったのです。言論の自由も行動の自由も無かったのです。だが、戦後も自由が無いのですよ。戦前の方は誰もが知っていて、国民全体の共有する認識となっているのですが、戦後にも影の統制があるということ。そこに、皆様にも、気が付いていただきたいのです。

 旧海軍に関するものは、徹底的に、タブー視された時期があるのです。見えない鎖とか、見えない壁が有るのが、日本です。そして、そういう壁を作り出すのが朝日新聞系列のメディアです。ところが、最近では、NHKも、そちら側に加担をしていますので、厄介です。そこが大問題です。私は日本は被植民地化していると思っていますが、その実効性を高めているのが、朝日新聞系列などの大メディアなのです。

 私が、『宮崎駿さんの行動と発言が、最近は、傲慢に過ぎる』と感じているのも、宮崎さんを個人攻撃することが目的ではなくて、日本のメディアの働きを、問題にしたいからです。ところで、その件も書き続けないといけませんが、今、頭に降りているのが、このよこすか観察なので、このまま、書き進めさせてくださいませ。

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副題3、『海軍カレーという、一商品が、横須賀市の、住民の、旧帝国海軍に関するタブーを解いた』

 ところで、長い間、そうですね。ほぼ、65年の長きにわたって、タブーであった、旧大日本帝国海軍の、横須賀での存在が、復活したのは、海軍カレーというアイテムからだったのです。面白い結果でした。政治家か、評論家の中に、誰かリーダーがいて、その指導の下に、人々の考えが変わったわけではあありません。単なる、一食品が、人々の考えを変えたのです。

 あれがいつごろはやりだしたのかは、知りませんが、横須賀の町おこしとして、相当なレベルで、使われています。

 今、横須賀市の観光協会のサイトに入って確認しましたが、2009年から、開催が、春に移動をしましたと書いてありましたので、五年以上前に、活発になっているのです。本年も、その活発ぶりに驚きました。私自身は、5月11日と12日に開かれたそれには、参加していないのですよ。でも、12日のJR横須賀駅の人出の多さに驚いたのです。

 JR横須賀駅って、森閑としていると言っていいほど、普段は、静かな駅なのです。バスターミナルはありますが、横須賀市って、バスと、京浜急行がメインの動脈であり、京急汐入駅、横須賀中央駅、堀の内駅、北久里浜駅、久里浜駅などの乗降客が抜群に多い地域であり、JR横須賀駅は、普段、ほとんど乗降客がいない駅なのです。それが、その5月12日だけは、あまりに、にぎやかなので、驚いて周りの人に、「何があるんですか?」と、問い合わせると、カレーフェスティバルだそうでした。その海軍カレーというアイテムが、横須賀市民の呪縛をといたのです。面白い成り行きです。

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副題4、『カレー祭りの当日に、私は、横須賀で、不動産を買う決心をしたのだったが・・・・・』

 そのころの私は、横須賀に土地を買おうとしていて、その5月12日にまさに仮契約を果たしたのでした。横須賀駅に、徒歩、6分の丘の上の78坪がなんと、660万円で買えるのです。ただ、車が入りません。でも、こんなすばらしい眺望のある土地は、ほかに無いと思うほどの、お買い得物件でした。

 あの売買の件も、相当に怪しいところがあって、私が結局は、130万円をただどりされたのです。それも、大掛かりな、裏があり、その裏を今、解明しつつあるところですが、まだ、文章としては、中途半端になっていますね。

 そのときですが、正当な不動産契約上のお手当ても含めれば、損失額は、187万円にものぼり、踏んだりけったりという形で、無駄なお金を、支払わざるを得なかったのです。

 一方で、国家のお金を使って、個人的なへまを修復してもらっている連中もいます。その対比は、ひどいことだと思っています。こういうことが行われると、日本とは、中国以上に古臭い国で、民主主義が実行をされていない独裁国家だとなります。ここで、言う独裁者とは、日本国の総理大臣ではなくて、影の権力者(=国際的軍産共同体の日本人エージェントたち)ですが、

 ここにきて珍しくも、安部総理大臣だけは、ご本人もエージェント化してしまったのではないかと思うほどの、最近の行動群です。特に海上保安庁の新長官に、現場出身の人を当てたというのは、徹底的におかしい選択でした。

 安部さんは、優雅な物腰を持つ、優しい性格の人だとは思いますが、おやりになっていることは、独裁者と同じです。『最近は、相当に、おかしいぞ。変だぞ』と、思っていますが、朝日新聞系列が、支援しているそうなので、批判が起こりません。最近20年間、特に田中角栄氏以降の、自民党の総裁としては、珍しい成り行きです。・・・・・

 ところで、そのとき、立ち会った不動産会社そのものは、いい会社です。まじめなスタッフが、いてね。会社としては、おかしくないし、売る側の持ち主も、立派で、上品な奥様です。義父が海軍に勤めていたそうです。だけど、裏に誰かがいて、そちらからの教唆で、みんなが変な方向に走り出し、突然に、私に不利に問題が進行しました。

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副題5、『横須賀でのいじめも、鎌倉での、いじめ(=間接的に死亡を願われているほどの深刻な種類である)も、すべては連動している』

 ちょうど、そのころ(5月27日)です。鎌倉のご近所様、前田祝一(元駒澤大学教授)氏が、こちらの方も、突然に、「あんたを刑事訴訟にかける」と恐ろしい声で、恫喝してきたのは。(笑・・・・・彼は、一応、インテリのはずですが、そのいきさつは、本当に笑っちゃうほど、子供っぽい成り行きであって、書くのがこれから、楽しみだと思うほどの、漫画チックななりゆきです)

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 この件ですが、前田家というのは、私道の設定形態において、1m規定より出っ張って、使っています。それを攻めるF夫人というのが昔いたので、困った彼ら(=現在の私の敵さんたち)は、我が家の土地を、持ち主の私が使用できない形にして、事を収めました。

 盗人猛々しいとは、彼らのことですが、その私が通称アジサイ畑欺もう事件と読んでいる、事件の30年後に、加害者側が、被害者の私を恫喝するのです。

 驚天動地の逆転的、発想ですが、実際にそれを、やって来ています。刑事訴訟をできるのはこちら側であって、彼らができるとしたら、それは、まやかしの法律を、新しく自分達のために、作ってもらった結果であり、それのひとつとして、道路位置指定という条例が、まずあたります。そのほかにも、これから、次々とまやかしの法律を、作ってもらうのかな? ひどい連中です。

 そして、精神的にも、悪魔に等しいのは、そちら側の奥様が、なんと、私に向かって、「この人はわからん人だから、何も話すな」と、私の目前で、ご主人に対して、言ったのですよ。そこまで言われれば、今まで、30%ぐらいに収めておこうと思っていた自己規制をはずします。わかっている部分を相当にはっきりと開示しましょう。

 この前田夫人清子さんの傲慢は、ひとつには、鶴岡八幡宮様のご推薦によって、國學院大學の講師にしてもらったことに依拠していると思われます。でもね。彼女の、このような悪魔的な振る舞いが、天を怒らせて、鶴岡八幡宮の境内で、800年以上も生きてきた、大銀杏が倒壊しました。だから、私は、こちら側は、刑事訴訟など起こしていないのですよ。じっと我慢をしていれば、神様は、必ず、正しい方に、お味方を、してくださるからです。

 こういう風に、静かに我慢をしながら観察していますと、横須賀の土地が買えないのも、鎌倉で、私が脅かされるのも、全部が連動していると、わかってきます。すさまじい裏側が隠れているのです。で、それらの連中が連合して、パソコンが壊れたり、マイクロソフトのワードが使えなくなったりもしますので、私は常に、五億円の被害があるということとなります。

 そういう被害を与えるべく動く人材として、そのキーパーソンを一人挙げれば、瀬島龍三です。その親友だという、益山某・元・海軍参謀が、水道山のただ取りを行ったからです。

 が、瀬島龍三は、一応、死んだことになっているので、今では、鎌倉春秋社社長の、伊藤玄二郎氏が、筆頭で、それに、当たるでしょう。彼は、NHKを自由自在に来ることができるので、既に、エージェント化していると、私は見ています。

 この伊藤玄二郎氏を裏からサポートしているのが、表向きは死んだことになっている井上ひさし氏です。巨匠と呼ばれていて、死後3年が、過ぎても、いまだに、遺作が発表されたり発見されたりしています。無論生きていて、地下専攻していて、いろいろな諜略行為の策を練っていると思われますが、と、同時に余った時間を使って、自分が、永遠に、大衆に露出し続けて、子孫や、ゆり夫人が、裕福に暮らせるように、そちらについても、策謀を練っているのでしょう。

 そして、その二人をさらに、力づける、さらに上位の人物も、東京あたりで、あくらつな企画を練っているはずです。ここでは、その一人として、成岡庸司君(これは、中学の同期生なので、君をつけて起きましょう)をキーパーソンとしてあげておきます。そのほか、朝日や、日経の論説委員とか、いろいろ、思い当たる人材も有るのですが、・・・・・今日は、その詳細には、触れずに、先へ行くとして・・・・・

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 横須賀に戻れば、この不動産売買のときから、杉本・元・横須賀市・副市長夫妻が裏で動いた可能性はあります。こちらもキーパーソンとして、際立っている存在です。彼らは、30年前から、ひしひしと、私への、妨害工作やら弾圧を行っていますが、今回の、不動産購入やら、販売に当たっても、何らかの形で動いた可能性はあります。

 どうしてそうなるかというと、杉本夫妻が、1980年代に、行ってしまった悪を、私が目撃しているからです。彼らは、横須賀市の水道山が、地籍変更届という一種の知的詐欺を利用して、ただで、個人の所有物なってしまった悪を見逃したのです。当時は横須賀市の土木課長であって、私はその事件の詳細を告げてあります。でも、悪人側にひっ付いたのです。そのおかげで、横須賀市の行政部分のトップにまで、出世したし、突然に豪邸に引っ越すこともできたと、私は見ていますけれど・・・・・

 すべてが連動をしています。で、私が、真実を書きすぎるので、困った悪人達は、私のブログから読者を去らせることを目的として、周南事件を起こしました・・・・(だから、保見容疑者は、真犯人ではない可能性がある)・・・・という推論について、書き始めている文章の、その後もペンディングになっていますが、ともかく、いろいろ、推論だけではなくて、具体的な事実としておかしいことがおきているのです。周南市の模様は鎌倉に住んでいる私にはわかりませんが、横須賀市のことは、すぐわかりますので、なるほど、あれがああなっているとか、これがこうなっているとか、推理していくわけです。

 その五月12日に、買うという仮契約をした660万円の不動産購入の際に、動いてくれた会社、が、汐入駅前という立地条件のよいところから、京浜大津駅という、より辺鄙な場所に移動したのも、とても、おかしいことなのです。

 よく似ているケースが、2008年にもおきています。私が本作りをしていた印刷会社は、そのデザイン部門とか、営業部門が飯田橋にありました。飯田橋って、市谷に、大日本印刷が有るし、だいたい印刷所が江戸川区や新宿区に多いので、便利な場所のはずです。だが、道路拡張の予定があるとかで、辺鄙な田舎・・・・(というのは言いすぎですが、飯田橋に比較をすると、より不便である蓮沼)・・・・に、引越しをしました。これも変なのです。飯田橋の元の場所は、道路拡張をする必要など何も無い、どん詰まりのT字路でした。そういう道を拡張するんですって、変です。変です。会社がおかしいのではなくて、悪人側がそういう命令を下した可能性があるのです。

 まあ、ここいら辺は、一応ミステリー中のミステリーとして、私は、今、書きつつあるわけですが、そちら(=悪を追求するということ)だけには、集中できない、または、しない日常の生活というものもあって、本日は、横須賀、旧海軍(現在は、米軍基地)の正門前にある、メルキュールホテルという、横須賀一のホテルで、体験したことに集中したいと思います。

 問題はロビーにおいてあるお土産用のグッズです。私は、そこに、自分は買わないものの、横須賀市民が、旧帝国海軍に対するタブーを打ち破って、心理的に、相当に、開放をされたと感じました。それは、喜ばしいことでした。何よりも、自由に心が開放されるのは、どんな人にとってもうれしいことであり、人間である限り、大切で、必要なことです。

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副題6、『米軍模様のスタジャン・・・・・(ここでは、スカジャンとも言うが)・・・・・が、有名などぶいた通りが、このホテルの裏側にある』

  このメルキュールホテルのまん前は、事実上は米軍基地なのですが、海に向かって、東へ幅100mぐらいは、今は、シネマコンプレックスを含む、ショッピングモールになっています。ホテルと、そちらの、二つの間に、国道16号線が走っていて、そこから、横須賀市の旧市街地へ向かって山側へ入る大きな道路があり、まるで、広場のような三叉路になっています。そこをわたる歩道橋ですが、全部で4つのエレベーターが、設置されている豪華なものです。高さも高いし、幅も広いし、使用石材も立派な、ほかの都市には見られないほどの、豪華な歩道橋です。

 それを見ていると、「これって、日産自動車が払う税金を湯水のように使って作り上げましたね」と思い当たるのです。そして、これらを責任者として作り上げた杉本夫妻が、得意満面だというのもわかるのですが・・・・・

 『だけどねえ。あなた方の裏側をしっかりと知っている私は、五億円に喃々とする被害を受けていますよ。その矢や、弾を奥様が放っているケースについても、しっかりと、私には、わかっています。正当防衛の一種として、絶対にその経緯を明かさずにはおられません』・・・・・と、晴天のもとに、言いたいですね。

 ここで、そういう贅沢を横須賀市が行うことが可能になっている日産自動車のゴーン社長が、年収19億円(? 正確な数字ではないが、そんなことを聞いた覚えがある)という、莫大な、報酬をもらっていることも、問題としたいのですが、事が大きくなりすぎて、文章が終わらないので、そこにはふれず、先へ進みます。

 この様に表舞台としては、海もあるし、道路も広いし、歩道も広いしで、まったく健康に明るい街ですが、裏に回ると、汐入いったいは、独特の風情がある暗い夜が主体の街でした。どぶ板どおりとよばれていてね。

 決して差別感情を持つわけでもないが、1975年から、1984年までの、私の横須賀暮らしにおいても決して足を踏み入れたことの無い場所でした。

 そこには米軍相手の、バーと、お土産やさんが、林立していて、独特の派手な模様の、スカジャンとよばれる刺繍入りのジャンパーを売っていて、それが暴走族とかに受けていた時期があるのでしょう。しかし、今はまったくイメージが異なっていて、私がこの3月から5月にかけて、土地を探しまくっていた時期に、大滝町という中心街からどぶ板どおりを通って、汐入駅に向かって歩いていても、何の危険性も感じませんでした。

 たまたま、ホテルの19階で、置いてある週刊誌(ただし、TIMES英語版とか、ニューズウィーク日本語版だったが)を夢中で読んでいたら、隣から、「静かなものですよ。ほら、時間制限があるでしょう」という言葉が聞こえました。そこだけが、強烈に矢のように耳に刺さったのは、それが、米軍基地の最近を現しているからでしょう。

 沖縄や、岩国、三沢などが、どういう風になっているのかを私は知りませんが、よこすか市民は、米軍と折り合って、仲良くしていると見えます。だって、私が660万円で買おうとした、78坪の土地の持ち主さんは、米軍基地を眼下に見下ろすその場所から離れて、すでに、40年になるのに、米軍原潜を、番号で呼んでいましたよ。何番とか。ジョージワシントンとか言う、通称ではなくて、なにか、特殊な番号で呼んでいました。米軍を地元に抱える人固有の、呼び方だと感じました。彼女は父君の海軍答辞の役職名を言いません。それだけは、戦後ずっと、苦しめられた旧軍人に対する差別の影響が残っているとは思いましたが、家が、地理的に言うと、あまりにもよい場所にあるので、えらい人だったとは思います。70年以上前は、車社会ではなかったので、そこがいい場所だったのですが、今は車社会なので、石段を使って上らないといけないその場所は、78坪でも安くなり、660万円の売値だったのです。

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 副題7、『横須賀市関連の有名人は、ちょっと前は、宇崎竜童・阿木耀子夫妻だったが』

 皆様は、1974年に大ヒットした、『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』という歌をご存知ですか。そのころはまだ、スノビズムの影響下にあり、クラシックを好んでいた私も、この歌やら、さらに、昔に大ヒットした、春日八郎の『お富さん』は、とても、リズミカルで、できのよい歌だと思っております。

 そうですよ。歌謡曲が、嫌われたり軽蔑をされた時代もあったのです。それが、スノビズムのひとつですが、私も、東大出身の親戚から、「え、あなたは、歌謡曲を聞くの?」と、驚きの声で、質問を受けたぐらいです。でもね、ジャズだけは、いまだに、そのよさが、よくわからないものの、音楽の分野としては、今では、一切偏見無く、聞いている私です。ただ、交響曲を聴くのは、もう疲れてだめだとは、思っていますが。

 港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカは、切れのよい曲で、しかも大ヒットしたので、阿木耀子、竜童夫妻は、横須賀市の名誉市民に等しい扱いを受けていると思います。

 今、ヨコスカを代表する有名人は、小泉新次郎氏でしょう。そしてその兄孝太郎さんや、その父、小泉純一郎元総理大臣と、続くあの一家ですが、政治家ですので、浮き沈みがあるし、4代目なので、かえって、いまさら、名誉市民というわけでもないのですが、

 阿木耀子・竜童夫妻は、ヨコスカのイメージを明るくするのに役立っていますし、全国区にするのに役立ったからです。実際に名誉市民号を受けているのは、ノーベル賞受賞者の小柴先生だけのようですが、阿木・宇崎夫妻の貢献度は偉大でしょう。

 この二人が、山口百恵に提供したのが、横須賀ストーリーです。これも大ヒットをしました。作詞阿木耀子、作曲宇崎竜童のコンビです。

 この曲が出たときに、私は初めて山口百恵という歌手を認識しました。それまでは、『お隣のお嬢さんとそっくりな、品のいい顔をした歌手だけど、ちょっと、音痴ですね。歌手としては、プラスアルファで、売っている』と、感じて、認めえにくい歌手の一人だったのです。

 そのプラスアルファですが、スタッフ(裏方)が、その音痴という弱点も、認識していたのか、周到な戦略を組んだそうです。それは、青い性を売るという路線。つまり、きわめて若いので、処女性を感じさせるタレント歌手に、セックスそのものを連想させるきわどい歌詞の楽曲を提供して、そのギャップで、視聴者に、衝撃を与え、忘れられない歌手としていくという作戦です。

 私が感じたのもそれだったのです。この人は、そういうプラスアルファで売っている歌手だから、認めたくないという感じ。その上、音痴なのだから、なおのこと、認められないという感じ。

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副題8、『大女優鈴鹿ひろみ(NHKあまちゃん)だけではなくて、吉永小百合も、音痴だと私は、思いますが・・・・・』

 今回、朝ドラ、あまちゃんが大ヒットしたらしいのですが、私は最初は見ていません。『東北が舞台ですって。『うわー、参った。それって、典型的なお涙頂戴でしょう』と、予測をしたからです。ところが、主人公の母、小泉今日子が、薬師丸ひろ子演じる、既に、確立した大タレントの、歌部分だけの影武者を勤めるという設定が登場したあたりから、あれっと、思い始め、急に興味を持って見始めたのです。

 それは、長年私が感じていた、吉永小百合音痴説を、髣髴とさせるエピソードだったからです。吉永小百合は、歌手としてはそれほど、長期には活動していないので、このエピソードが彼女をさすとは言明はできないのですが、それでも、桜田淳子も音痴だったしと思うと、『おー、やっと、そういうところまで、書く脚本が出てきたのだ。これは、きわめて現代的ですね。それに、きわめて新しい』と感じて、熱心に、見始めたのでした。

 吉永小百合については、父親が東大卒だということ。ご本人が早稲田卒だということ。ご本人がいわゆる旧弊な左翼とも関係が有ること。堤義明さんが、ファンらしいこと。などが、渾然一体となって、非常に大切に扱われていて、ご本人の女優としての、実力以上の扱いを受けていると感じ、したがって、彼女が出てくるたびに、『オー、この番組は、見たくない』と思う私なのでした。

 この一節も、個人攻撃として書いているわけではなくて、メディアの横暴と、

権力者のさじ加減ひとつで、人気というものも管理されている、

 ということを言いたいのです。メディアが、女優を扱う仕組み、タレントを扱う仕組み、著名学者や、文化人を扱う仕組み、それらが、決して正しい評価に基づいてはいないと、感じているので、言及をしてみただけですが、特に、いったん、主役の座に着いた人間を、ずっとその位置に置く精神は、おかしいというか、なんと言うか、批評が一切無い世界だと、感じています。ぬるま湯、特に、泥沼化している世界だと、感じています。

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副題9、『横須賀ストーリーで、居直った、百恵ちゃんは、却って、すがすがしかったよ。そして、本当は上品な三人が作る、居直りは、また、それは、花伝書の世界に通じるし』

 山口百恵の横須賀ストーリーには、居直った女の、はすっぱさというものが出ていました。それは、かまととぶった清純さ・・・・(それなのに、歌詞だけが先走ったエロスを、内包していた)・・・・を売りにしていた初期の段階より、より実像に近いと世間の人に思わせたのです。

 どんなに、お芝居の上で、清純派を演じても、芸能界で生きて行かれるのだから、きっと、内面は、相当に、タフで、強靭なはずで、と、タレントにはなっていない、段階の素人は、みんな思いますよ。そういうものに、うまく乗っかっていく路線変更が、百恵ちゃんには、あったから、私は「おやっ」と思ったし、その売り出しの戦略変更も含めた、全体としての、表現力が、上等なので、音痴であることも目立たなくなっていったのでした。

 横須賀ストーリーは誰が企画をしたかはわかりませんが、百恵ちゃんが、たまたま、横須賀出身で、・・・・(生れた土地は、違うのだが、ブレイクした当初は、横須賀に住んでいた)・・・・あり、しかも、阿木耀子・宇崎竜童夫妻の、港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカの大ヒットがあったので、その三人が、タッグを組む事を、誰かが思いつき、そこから、生まれた曲であろうと、想像をしています。

 ところで、この横須賀ストーリーも大ヒットをしたのですが、その次に同じ制作陣の組みあわせで、プレイバックPart2が制作をされ、それも、大ヒットをしました。こちらも大人の恋愛を歌った、居直った女性の吐露であるのですが、驚くべきことに、今回グーグルを丁寧に検索をしてみて、・・・・・阿木耀子、宇崎竜童夫妻は、ごく、ごく上品にかつ、幸せに、育ったことがわかり、何だそうだったのか。それゆえに、ヒットしたのだった・・・・・と思い当たるのでした。

 というのも、阿木耀子さんの通った捜真という女子高は、東横線を、少女達が利用する学園なので、私はその雰囲気をよく知っているからです。横浜の私立女子学園としては、フェリスほど、有名ではない。だけど、第二位ぐらいで、往時は、立ち居地を保っていたと思います。その後、大学付属の女子高校が、乱立してくる(または、もともとは、独立していた女子高が、大学の系列下に入って人気を得る)ので、ポジションが変わりましたけれど、よい生徒が通う、学校なのです。それは、夫の竜童氏も同じであって、上品に、かつ心理的に、満たされて育ったと思われます。

 そういう、実態はまじめな人が、不良っぽい架空の人間に、自分を仮託して、蓮っ葉に歌う歌詞と曲を作り出す。これは思いがけないレベルで、成功する可能性を持っています。虚実ないまぜて、皮膜の境に有るものを作り出すのが、成功への道だと、昔、花伝書内で、読んだ記憶があります。これが本当に崩れた人が作ったら、大衆の人気を得られなかったと思います。

 私なんかも露悪趣味の人ですが、それでも、日常生活において、相当にセーヴしています。だからこそ、ホテルに一泊したことが文章の種になるのです。そんなちょっとした変化が、精神の中に、大きな、思考を、呼び覚まし、連想を豊かにさせ、したがって、暗い秘密をも明らかにして、明快にしていきます。そして、白日の下にさらすことが可能になっていきます。暗いことを書く事、悪を書き表すには、強靭な精神で、身を保つ、摂生の日々が必要なのです。

 表現された結果とは、反対のものがあるところに、面白い実ができるのです。

 夕方の7時に、これは、起承転結が完結していないと、書きました。というのもどうしてホテルに泊まったかというと、渋谷で、レイトショーを見たからであり、その映画の内容が、前からお約束をしていた、宮崎駿のドキュメンタリーを何回もNHKが放映することによって、宮崎駿という創作者が、思いがけない程度に傲慢のなっているという、問題へ向かうはずでした。だが、すでに、3000字しか残っておらず、その渋谷で、レイトショーを行っている映画までは、到達できない見込みになり、この文章は、今直前に変えた総タイトルどおりに、横須賀に一泊した私が、種々の連想に浸ると、言うところで、終わりとさせていただきたいです。

 なお、このブログの、2010年より数えはじめた伸べ訪問回数は、1821256です。

 2013年10月3日の、午後一時に書き始め、12時間後に推敲を終える。

                                    雨宮舜 (本名、川崎千恵子)

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週刊朝日が村上春樹のノーベル賞を予測しているが、私も同じ事を、その三日前に予測をした△

2013-10-02 02:03:06 | 政治

 2013年10月1日(火)の私は非常に忙しくしていて、お約束していた前報の充実化を図れませんでした。恐れ入ります。今、すでに、深夜の2時、すなわち三日の早朝になってしまっています。

 で、閑話休題のひとつとして、とても短い文章を書かせてくださいませ。なお、その短い文を三日の午前十時にさらに加筆をしてあります。その部分はイタリック体にして、目立たせましょう。そして、このタイトルに恒例の、△印をつけておきます。

 その日(火曜日のことですが)、午後4時7分鎌倉発の電車に乗って東京へ向かったのです。そのときに、電車の中吊り広告に目が行きました。週刊朝日のものです。

 村上春樹がノーベル賞を云々と、言う文字が目に入りました。私、まさしく、その3日前の28日ごろ、村上春樹がノーベル賞を取ったらどうのこうのという文章をここに、載せています。

 それは、総タイトルを

満島ひかり『WOMAN』内の母親像と、柳美里の母親としての実像を比較する△△

2013-09-28 01:14:43 | 政治
 
 といい、表面上は、何もノーベル賞について触れてはいませんが、副題2、というところで、村上春樹がノーベル賞を取ることについて、その予想と、受賞後の日本社会がどうなるかの予想を書いています。つまり、それが、どういう風に政治的に利用をされるだろうかということを書いています。
 結論としては、朝日新聞系列が威張りまくるだろうということを書いていて、
 
 その結果、日本社会において、真実を言い続けるものは、ますます、少数派になるだろう、または、そういう世界においこまれていくだろうと、書いています。いわゆる右翼というレッテルを貼られる。
 
”””””””””””””””””””””
 しかし、ここなのですが、言う人によっては、週刊朝日そのものが右傾化しているとか、アエラが右傾化しているといっていますので、君子は豹変すであって、10年後、20年後は、どうなっているかは、これまたわかりません。だって、私の見るところ、従軍慰安婦の問題を韓国側に立って、論調する、いわゆる左傾派である、朝日新聞が、昔の言葉で言う左翼かというと、ぜんぜんそうではありませんしね。
”””””””””””””””””””””
 
 ところで、その私の第二節において、私は、村上春樹そのものについては、何も述べておりません。
 
 だけど、言葉として、村上春樹とノーベル賞を結び付けているでしょう。『勘が鋭いですね、あいかわらず、私って』と、思いましたよ。
 
 無論のこと、週刊朝日で、その企画が立ち上がったのは、普通の場合なら、三週間前で、緊急の措置としては、二週間前でしょう。でも、世の中に開示されたのは、この10月1日です。
 
 だから、ほぼ、同じ時期に同じ予測を立てているわけですから、相変わらず、勘が鋭いなあと、自分で、自分をほめてしまいました。(笑)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 恐れ入りますが、2日の夜まで、この短い一文で、お茶を濁すのをお許しくださいませ。前報は、午後から加筆を始めて、充実させて、再度、そちらの時間を変えて、トップになるようにさせて、公開を、させていただきます。
 
 なお、このブログの2010年度より数えはじめた伸べ訪問回数は、1819959です。
 
     2013年10月2日  雨宮舜(本名 川崎 千恵子)
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