銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

フェレットが鎌倉霊園に捨てられて死んでいた。私は動物をショップで買うことは、絶対に反対だ。

2021-01-11 23:07:31 | 政治
副題1、『お墓参りに行って、発見したのだけれど、他人のお墓の前で、フェレットがまん丸になって死んでいた。まるで生きているようで、確認の為にそっと背中を触って死んでる居るのが分かったのだった。どう考えても、遠くから車に乗せて連れてきて、最も休憩所から、遠い場所で棄てたのだと思われた。最近寒波が襲来しているので、小さな体が、寒さに耐えきれなかったのだと思われた。人間だと背の高さが150cm以上はある。従って、事務所が何処にあるかが、見通せる。そしてたすけを求める事が出来る

然し、フェレットは後ろ足で立ち上がっても、30cmだ。それでは、見えるのは、墓石ばかり。
以前からそれを思っていたが、ペットをショップで買うのは大反対だ。命との出会いは、神様がご用意して下さる偶然に任せるのが一番だ。捨てられた子猫を道端で拾うのが最高の出会いだけれど、保護猫団体からもらうのも良いだろう。その運営代を分担するのはアリだけれど、命をお金で買うのは大反対だ。フェレットとはペットとしての歴史が浅い。従って、飼っているうちに、お世話−特にトイレの始末などが予想以上に大変だった場合、犬や猫ほど、心が通わない事が、面倒くさいと言う気持ちだけを増大させかねないからだ。

猫や犬でさえも、ブリーダーの元で育つとどうしても近親交配が起こりやすく、病気にも掛かりやすいし頭が悪い。78才の一まで五匹の猫と一匹の犬と付き合ってきたが、雑種の方が賢くて面白い。

副題⒉『ところで、今NTTのルーターにバグを入れ込められて居て、電話も不通だし、パソコンも使えない。偶々、新コロナウィルスが入っているかもしれないぬるい水を飲まされて、覚悟を決めたと十二月二十三日に書いたが故に、もしブログが更新されなかった場合は、読者は、あいつが死んだと考えるはずだとみなされて納得をするはずだとーーーそれを狙って、インターネットが、不通にされているにかもしれない。だから短い文章ながら絵スマホで、必死に書いています。私は、コロナは発症はしておりませんと思う。
でも、他の現象でも、テレビが見られないとか、あって、
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 大相撲にまた、CIAエージェントが手を出しましたか?

2021-01-10 22:19:52 | 政治

 私はね。先程、大相撲について語りたくなりました。今場所、初日の取り組みは、あほが考え出したものでしょう。こうなると、本当に大相撲はつぶれますよ。コロナ禍でつぶれるのでもない。朝青龍の、乱暴な態度で、つぶれるのでもない。白鵬や、鶴竜が休むから、つぶれるのでもない。

 まったく別の理由でつぶれるのです。

 それは、伊藤玄二郎・かまくら春秋社社長と、元日本ペンクラブ会長にして、9条の会の発起人にして、直木賞審査員だった、井上ひさしのせいで、つぶれるのです。なお、この二人の中で、後者は、まだ、生きていますよ。地下潜航をしています。

 NHKを占拠して、派手に派手に死んだことにしていますが、それは、私のblogの書き方に、おびえただけであって、実際には、生きています。

 皆様は、『また、また、同じ二人を出すのですか? 飽き飽きしました』とおっしゃるでしょう。しかし、この二人は、現代日本最高の特権者なので、どこにでも顔を出し、どこにでも、口を出すのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~

 今般、この二人がやった悪いことは、初日の取り組みに、貴景勝 対、御嶽海を組んだことです。

 これは、本当にばかげた取り組みです。

 一見すると、理由付けができる様に見えます。「今回は、横綱不在だから、貴景勝が、トップだ。その貴景勝が、ぎりぎりの勝負をする相手は、御嶽海だ。時々、御嶽海に負けることがある。で、お客さんは、ハラハラして、喜ぶだろう」と、いう考えです。

 しかし、大勢の相撲通が、これを、「OK.グーッド」と、思ったかしら?

 ばかばかしい。思わないはずです。

 相撲協会も一種のビジネスをやっているわけです。経営者としては、まことにばかげた、取り組みを初日に持ってきました。というのも娯楽としての相撲興業の中で、今場所には、芯棒が無くなっちゃったからです。唯一の芯棒が、貴景勝 が、横綱になるかどうかだったのに、それが、無くなっちゃったからです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 NHKで、解説をしている、北の富士(元 横綱)は、特権を持ちすぎています。そして、好き嫌いを表に出します。稀勢の里が、特別に好きだし、彼が、引退した後では、朝乃山が好きですね。激しく推奨をしています。

 その北の富士は、どうしてか、貴景勝を嫌いなようで、「ああ、まだ、まだねえ‥‥、うーん」という感じです。そして、NHKアナは、彼に迎合する様に、「全勝でないと、難しいと、いう声もありますね」と、フォローします。

 となると、初日に負けてしまった貴景勝の、横綱昇進は、もうないということです。つまらないですね。とてもつまらない場所となりました。

 で、美形だし、頭もいいが、「北の富士とは、本当に、相撲界を愛している、解説者なのか?」と、問えば、「違うでしょう」と、私は、感じています。

~~~~~~~~~~~~~~~~

 NHKは、競馬の、重賞レースを放映する際には、いまだに、鈴木調教師に、解説をお願いしている。私が、興味を持ち始めたのは、1985年だったが、その時すでに、鈴木調教師は、解説者だった。

 こういう人事がまかり通る世界には、必ず、悪いことが起きるのだ。

 相撲中継は、幸いにして、より、大勢の解説者を、採用している。北の富士は、玉三郎と同じで、引き際を探っているとは、思う。で、以前ほど、毎日、テレビで開設することが無くなって、新人も登場している。

 だから、悪い人間ではないと、思う。そして、それほどに、強欲でもないと考えている。では、おかしな発言をするのは、なぜだ?‥‥ということとなる。今度は、そちら方面を探索しよう。

~~~~~~~~~~~~~~~~

 で、瞬時に、例の鎌倉エージェントとしての二人が浮かんだ。井上ひさしは、自分を公的には、死んだことにしているので、動けないが、アイデアだけは、出した可能性がある。で、彼のアイデアを実体化するのが伊藤玄二郎だ。

 ただ、ここで、伊藤玄二郎が、直接相撲協会へ、電話をかけたかどうかは、わからないが、別の、人物を間に挟んだ可能性が高い。例えば、伊藤滋氏、石塚雅彦(「

 済みませんが、本日は、相当に疲れていて、ここから先が書けません。どうか、これから先をご自分で、ご推察なさって今夜一晩をお過ごしくださいませ。と書いて次の日に入りました。すると、驚いた事にNTTのルーターがダメにされており、テレビも固定電話も、自分のスマホも駄目になっております。今、主人のスマホで入力していますが、頑張っても、途中で、又、破壊される可能性はあります。出来るところまで、頑張ってみましょう。先程、二時半頃外出しました。その際安野夫人とすれ違いました。如何にもうれしそうで、かつ、居丈高でした。多分午前中から始まった、この件を知っていたのでしょう。ところで、その時何を書こうとしていたかというと英国のプロムスラストナイトの事でした。これは音楽会です。しかし政治的に大きな意味を持っているものです。つまり国民を一致団結をさせる力を持っているのでした。北朝鮮とか、一時期の中国の様に、為政者側が仕組んで、それをさせる類のものではなくて、全くに自然にできる条件でした。日本で言えば、甲子園野球の決勝戦みたいなものです。それと似ているものが他にもあります。皇室のパレードとか、大相撲のせんしゅうらく?などもそうでしょう。おリンピックももし日本の成績が良ければどうなります。で、日本を植民地としてえ現在支配をしている連中にとってそれらの行事のうち最も狙いやすかったのが、大相撲の世界でした。こうこうやきゅうはたずさわっているにんげんの数が多すぎます。しかも朝日毎日と大新聞社が自社の部数を拡大する為に行なっている事業なので、資本主義社会のごんげたる鎌倉エージェントにとって、そこは、手を付けにくい領域なのです。ところが大相撲だけは、NHKが報道するだけです。NHKとは非営利団体で経営者がいない組織ですから、そこに手を突っ込んで、ごたごたさせて、損失を与えても、CIAエージェント 例えば、石塚雅彦さんなどにとって、痛痒を感じないで済む分野なのです。そうなれば、伊藤玄二郎と井上ひさしにとっては誰に遠慮も要らず手を突っ込んでもいい分野なのでした。その上相n撲取りには、昔から、男芸者と言われる、芸能人みたいな部分もあるので伊藤玄二郎と井上ひさしにとっては、豚扱いしてもいいのだ。と言うか思いが有ると見ています。で、2009ねんからほぼ一年間相撲界はあれに荒れました。 その頃彼らの核弾頭となって、朝青龍を追い出したのは内館牧子でした。私も批判したし、日本中で内館牧子を嫌う人は多かったと思います。しかしCIAエージェント一味は、内館牧子を気の毒に思い、ありとあらゆる手立てを尽くして彼女が一流の人物である事に仕立て上げようとしていました。それが--終わった人のヒットであり、十二単衣を着た悪魔という映画の公開でした。 しかし主役の伊藤健太郎のひき逃げ事件で一巻の終わりです。 その時に、伊藤健太郎とhs、伊藤玄二郎の血縁者であろうと、私が、言っています。それが真実だから、今般復讐をされました。初日の取組 貴景勝 vs 御嶽海は今場所を花もみもない物にしました。貴景勝は二日目も負けたらしい。それで相撲ファンとしては、益々やるせない かつ、欲求不満の多い場所になります。 そう言えば朝青龍 が辞めさせられた時にそっくりです。 まあ、CIA エージェント達にとつてはベターなのでしょう。 このぶんしょはここで終わります。スマホ入力は慣れていないので

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あの夏、60年目の恋文の再放送の狙いは?・・・湘南高校卒の、松本警察庁長官と、渡辺あゆみNHKアナには知遇が有る?

2021-01-08 22:50:14 | 政治

    この一文は、最初の総タイトルを【お茶大付属高校の校舎が、<あの夏 60年目の恋文>に浮かんだので、私は、種々の感慨に今ふけっている。ヤマザキマリ、角野栄子】としておりました。しかし、9日の午前11時に別のものへと変え、さらに、午後一時半に、上のものと変更しています。

 なお、これは、メモとして、置いておく必要があるが、その、再放送=プレミアムカフェ、恋文特集に登場した解説者は、森川友義、早稲田大学教授である

 最初に写真を置くのを常としております。以下は、2021年1月6日の午前九時から、BSPで、放映をされた、番組、【あの夏、60年目の恋文】の、最終画面、です。

 相当に、評判の高かった番組らしくて、2006年に最初の放映があったのちに、何度も、再放送をされています。

 左側に白抜きのフォントで、撮影協力とあり、その一行目に、お茶の水女子大学とあり、その二行目に、お茶の水女子大学付属高等学校とあります。この番組は、実話で、舞台は、実際には、奈良女子大の、教育実習生と、当時、小学校4年の男子組での話らしいです。しかし、汐子先生のお孫さん(?)がお茶の水女子大で、教育実習をした(?)ことにしてもいて(それは、実話かどうかは、わからないが)撮影の舞台として、東京文京区にある、お茶大付属高校が、使用されています。窓の外の背景としてイチョウの若葉が浮かび、黒板側の入り口ドアに、丸いガラスが、はまっている映像を、途中で、見ただけで、主人に向かって、「あれ、これ、私が卒業した高校を使っているわ」と、いったほどでした。最終テロップを見ないでも、それが、わかりました。

 私は、それを録画しようとして、レコーダーに、命令をかけていません。しかも番組そのものは、最後の15分間しか録画されていません。だから、この録画は、ひとえに私狙いなのです。

 もう一つ、きわめて、重要な証拠があります。この番組は、汐子先生という実在の、教育実習生(戦前の、奈良女子大に学んでいた女子学生・・・・・その19歳から、82歳まで)が、主役の一人を占めている、実話ドキュメンタリーらしいのですが、もう一人の主役は、BSプレミアムを、現在、司会している渡辺あゆみアナです。「らしいのです」というのも、原作は、1時間45分らしいのですが、たった26分しか録画をされていなかったので、冒頭部分が、わからないからです。26分のうち、元番組は、最後の部分、15分だけで、残りの9分は、渡辺あゆみアナと、早稲田大学の教授の某氏の、恋愛論に入っています。ので、番組そのものの詳細は、私には、わかっていないと、いうのが現況です。しかし、二人の恋愛談義もまた、対私のblogつぶしを、狙っていました。それは、後半(または、別章)で、詳細に語ります。

~~~~~~~~~~~~~~

副題1、『NHK BSプレミアムで、2つの、教養番組を担当している渡辺あゆみアナは、私と同時期、同じ中学校で、教育実習をしている女性である。それを、刺激する役目も、あった、再放送だと、推察している

 冒頭の部分で、早稲田大学の某教授を相手に、NHKアナの、渡辺あゆみさんが、何を言ったかが、録画をされていなかったのですが、そこを、想像するに、「私も、教生(教育実習を行う、先生の卵)だったことがあるのです」と、発言をしている可能性が高いのです。したがって、全部が、録画をされてはいなかったと、見ています。

 1978年秋、当時東大生でもあり、菊名(東横線と、横浜線が、交差する駅)に所在する牧師館のお嬢様だった、久能木あゆみさんは、横浜国立大学、付属、横浜中学校で、教生(教育実習生)をしていました。先生の卵となる為です。彼女は、実際には付属鎌倉中学校(旧男子師範・附属)の卒業ですが、旧女子師範学校附属の、本牧立野の丘に当時はあった、横浜校へ、実習に来ていたのでした。付属鎌倉中学校そのものは、今は、弘明寺の、旧・経済学部=旧・高等商業の跡地へ移転をしています。

 英語科担当は、久能木さんと、私だけでした。私は、当時すでに、36歳でしたが、教育実習を同じ中学校で、行っていたのです。で、この番組、【あの夏、60年目の恋文】を、放映することが、私への弾圧に役立つと、敵さん連中は、考えているわけです。

 サブリミナル効果として、隠されているが、裏の真実は、こうであったという部分を、ここで、詳細に、語ったら、即座に、システム異常を利用して、全文が消えました。したがって、非常に重要だと、考えますから、2,3行ずつ、頭の中から、復元していきましょう。

 2004年から、2007年のどこかで、私はNHKに電話をかけて、あゆみさんを呼び出しています。すると、瞬間的に出てくれました。当時渡辺あゆみアナは国際部に所属であって、普通の番組には、出演していませんでした。それもあって、時間に融通が効いたせいか、すぐ、ご本人にまで、通じて、「自著を送りたいのだけれど、私を覚えていますか?」というと、「覚えていますよ」と快活に答えてくれて、私は、たぶん二冊目の自著『れすとらん・れしなんて』を送ったのだったでしょう。

 しかし、2021年の今では、15年以上が過ぎていて、あゆみさんは、表舞台で、大活躍です。それは、喜ばしいことです。で、もしですが、昔と、同じ様な気持ちで、NHKに電話をかけたと、仮定します。あゆみさんに六冊目の自著『おばさん、お釣りを忘れているよ』を送りたいと思ってね。そのきっかけとして、上記の番組への感想を使うと仮定します。

 すると、事前にあゆみさんには、鎌倉エージェントからの、手配が入っていて、・・・・・絶対に、雨宮舜=本名、川崎千恵子には、対応をするな・・・・・と、なっているでしょう。10時から、4時までの、ビジネスアワーにかけたとしても、彼女は、電話に対応しないはずです。表向きの理由としては総合案内嬢が、「今、渡辺あゆみは、収録中で、ご対応ができません」とか、「今、外出中です。外の、現場に、取材に行っています」と言うでしょう。それが、本当の理由かもしれないし、嘘かもしれません。私が今感じていることは、・・・・・NHKの総合案内が、何を言っても、それは、嘘であり、何度電話をかけても、あゆみさんは、もう二度と電話口には、出ない・・・・・と、いう場面です。それでも、一筋の期待をかけて、もし実際に、それを、トライしたら、私は、きわめて、いやな思いと、悲哀にとらわれるでしょう。そして、それが、狙いで、この再放送が、6日に行われたと、見ています。つまり、伊藤玄二郎と、井上ひさし(まだ、実際には、生きていますよ)は、今井さんを通じてか、NHK番組の編成を、支配していて、ここでは、あゆみさんに、拒否された私が、うつ病に入る、道程に、拍車がかかるはずだと、推察されているでしょう。

 ということを書いたら、消えたのです。したがって、これは、真実です。

 私の方は、1960年代の、国際基督教大学って、在学中は、教育実習を取りにくい仕組みがあって、それで、36歳にもなっていた、その年に、京急北久里浜駅から、中央線三鷹駅まで、まず行き、そこから、バス(当時は、そういう便だった)で、三鷹市大沢の、国際キリスト教大学へ学士入学して、英語教師の資格を取ろうとしていたのでした。

 そういう計画を、当時の、北久里浜の我が家へ、盗聴を仕掛けてきていた、益山重夫(・元・海軍参謀)と、その親友である、瀬島隆三(・元・陸軍参謀にして、戦後伊藤忠の総帥となり、最大級のCIAエージェントだった)は、知り、実質的には大詐欺事件である、地積変更届を、実行しました。今、ルネ北久里浜と、いう美麗なマンションが建っている敷地は、元、横須賀市の水道山であって、それをタダで一味は、取得したのでした。ここは、少年A【絶歌】という書物で、書店の平台を独占した青年、中学時代に、障害があった土師淳君の首を切り落とし、校門の上に置き、首から下の遺体を、神戸市の水道山に捨てました。

 ここから先、莫大な、エピソードが、積み重なってきて、このブログの世界をにぎわわすのですが、・・・・・ここで、ふと、という感じで、あゆみアナが、湘南高校卒だということを思い出しました。

~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『現在の、警察庁長官、松本光弘氏も、湘南高校卒である。それで渡辺あゆみアナと松本氏に、知遇があるかどうかを考えた。結論として、当然あると、考える。二人は、4歳の年の差で、ともに、一般人に、その顔や、略歴を知らせる立場にある有名人だ。しかも、東大卒という側面でも、共通項がある。

 湘南高校の、同窓会(全体総会)が、いつどこで、開かれているかは知らないが、卒業生が、エリート集団を形成しているので、横浜山下町の、ホテルニューグランドか、東京日比谷の、帝国ホテルだと、推察する。司会者は、最近、20年間は、渡辺あゆみアナで、その司会で、その年度で、優秀な業績を上げている卒業生と、同窓会役員が壇上スピーチを行って、それに一時間程度を使い、その後、立食、もしくは着席で、歓談をして、次の場所(二次会)に移動をする形式だと思われる。

 この高校の閥というのが、結構、大きな力を持っていることは、山尾志桜里衆議院議員と、神津里季生連合会長の、結びつきで気が付いた。二人は、学芸大学付属、世田谷高校の、同窓生だ。そして、山尾志桜里は、元芸能人でもある。それで、二人の間には、相当に、隠微な部分も含めて、深い結びつきがあると、考えてきた。

 渡辺まゆみアナと、松村光弘警察庁長官の、二人の間に、山尾志桜里と、神津氏の間にある様なものは、感じていない。しかし、松本警察庁長官の経歴を、本日、21-1-9に、詳細に、検討していて、死が、ハーヴァード大学留学済だったり、 

 2014年に神奈川県警本部長だったりしていたことを知って、本日は、二つのことを考え始めた。

 一つは、渡辺あゆみアナとの、親交の再開は、無いと、いうこと。

 もう一つは、美形の松村氏が、そのトップとして、行った、裏稼業・パフォーマンスの、その淫靡さと、滑稽さへの、透視が、済んだということ。

 ところで、山下町の、大タワービル(神奈川県警本部ビル)内で、氏が、その総帥として、行ったことでメルクマール的なことは、6月4日、6月9日、6月13日が、特に目立つ、ことだった。その三日に、実行された謀略は、新聞記事になるほどのものではないが、私にとっては、きついもので、被害は大きい。しかし、その裏側を、分析して、このブログに書くことによって、私は、相当に、高いセンチメートルで、ステップアップをしたのだった。それを、これから、再考しつつ皆様に、開示していきたい。

~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『2011年5月から、2014年、6月4日まで、私にまとわりついてきた、ファンを名乗る、女性がいる。彼女は、安藤てる子と言って、私と同じ敵からの、被害者でもあると名乗った。しかし、安藤てる子さんが、しゃべったことは、すべて、嘘だったと、今では、断言できる。私は、それを潜在意識の中では、ずっと、悟っていたのにもかかわらず、なかなか、外部へは、表現ができないでいた。で、私のことは、敵さんたちからは、相当に、だましやすいと、みなされていたと、思う。

 だけど、今なら、はっきりと言える。半信半疑で常に、彼女が、自分をだましているとも考えながら、それでも彼女を支援していたのだと、言おう。そこが、なんとも滑稽なのだが?!?!?

 そういう謀略のすべては、鎌倉エージェント(=伊藤玄二郎と、いまだ、いきて地下潜航をしているいのうえひさしが、企画をしたものだろうが、実行者は、すべて、警察庁からお給料をもらっている存在で、一種の警察官だと、思う。ブルーカラーとしての、殺人実行集団だけれど。

 ・・・・・てる子さんが、自称をするところによると、#######元丸の内のOLで、頭がいいので、大卒ではないけれど、国家資格をいくつも取っていて、公認会計士か、司法書士のもとで働いていた。自分は、一回結婚をしていて、息子が一人いるが、離婚をしている。しかし、能力が高いので、事務所の所長は、時間に制限をかけないで、働かせてくれるので、こどものPTA活動などは、十分に行うことができて、最近(=10年前の2010年ごろの事)では、月50万円は、稼いでいる。しかし、突然に、パソコンに異常が起きて、仕事ができなくなり、それで、無収入になって、今は、困窮している######と、いう話だった。私は彼女を外で、四回ぐらいもてなしたし、自宅へも、3回ぐらいお招きをして、ごちそうをしている。

 この間、テレビで、商品、例えば、洋服などを処分する際に、手塩にかけて、刺繍を加えたりしたものは、買ったお値段以上の価値があるので、なかなか、捨てられないものだと、いう話が出た。

 安藤てる子さんは、人間だから、洋服とは違うが、手塩にかけた相手だから、縁を切りにくいという点が、似ていた。彼女とは、大原光孝さんも同じだ。後者は、貧乏だった時期(蛇足1へ)を知っているので、果物などを無記名で、置いておくことが、相当期間、続いた。実は、かれは、裏から、国家予算を月給として、もらって、我が家の合いかぎも持っていて、弾圧し、脅かす行為を続けている悪人なのに、なかなか、悪人だと、いう範疇に彼を入れることができなかった。

(蛇足1

 私は、『自分がわかっていることは他人も、わかっているだろう。昔書いているし』と、よく、考えてしまいます。でも、読者の皆様が、私が昔書いた事を全部覚えていらっしゃるとも限らないので、もう一回書き表すと、

 私には、夫と別居した期間が二年強あります。海外修行をするために、それを許さない家族から逃げて、自由を獲得する為に、逗子にアトリエを作って、そこで、寝泊まりした時期の事です。1999年の一月から、2001年の九月までです。

 そこでの、海外へ、行かない時期の12月から、1月を経由して八月までの、九か月の、激しい修業が、今日のブロガーとしての、質を確保させたのですから、『あれは、絶対に、必要なことだった』と自分では考えており、何もやましいところはありません。家族と一緒の中で、専業主婦が脱皮をして、真のプロフェッショナルになるのは、難しいことです。単純に「偏差値の高い大学を出ました」と、いうだけで、ライターとしての、高い質を確保することなんか難しいのです。引きこもりをうまく使えば、昔の仙人の修行ではないが、本当に一皮むけるのですよ。

 でも、その前後でした。偶然、こちら、雪ノ下の、山の中で出会った彼、大原光孝さんが、「みんなが、川崎さんが、離婚をするよって、噂をしているよ」っていうんですよ。あまりにばからしくて、何も言い返しません。で、彼は、単純に勝ったと、思いこむらしいのです。でも、私は内心で怒っていますから、彼の奥様が家出をしてしまったことを、ここにも、また、以前にも、彼が異様なことをしてくるたびに、はっきりと書くのです。すでに、10年以上の長きにわたって家出をしています。」

 その奥さまですが、病院を経営している一族の出自の人なので、お金持ちです。遺産もあれば、現在も兄弟か、親戚の経営する病院や、老人ホームなどの役員待遇を受けているでしょうから。それは、大学卒業以来、一度も、宮仕えをしたことのないので、厚生年金が入らない彼にとっては、大きいことのはずでした。

 でも、奥さんからの、食費を渡されることと、養母さんから、お小遣いをもらうことで、紳士づらができていました。私は町内会費を取りに行ったときに、足がすでに、不自由な養母さんが、奥から、勝手口まで、ぎりぎりの歩行で、町内会費(これが、月に、千円で、皆さん、一年分をまとめて払うので、結構高い金額となるが)を、持ってこられた時に、その金額でも、みつたかさんに渡すと、行方不明になると、養母さんが、考えていることがわかり、光孝さんが、どれほどに、窮乏をしているかがわかり、彼から、数々の嫌なことをされているのにもかかわらず、そっと、門内に果物を置いておくと、いう態勢を取りました。

 しかし、そのころから、どうも、国家の官房機密費等を使って、彼に月給が出る様になったと推察しています。何に対する報酬かというと、私への嫌がらせを大量にかつ頻繁に行うことへの報酬です。

 さて、一般の日本人というのは、ほかの人の状態に、それほど、関心がないし、お年玉以外に、は、他人に金銭を上げるという習慣がありません。しかし、私は、ニューヨークでアーチスト専業の人たちが、どれほどに貧乏なのかを知ってしまって、そこから、ぎりぎりの生活というものが、どういうものかを知りました。

 で、自分と縁を結んだ人が、ぎりぎりの生活をしていると知ると、どうしても落ち着かないのです。それが、ここでいう腐れ縁というもので、これからは、安藤てる子さんとの、腐れ縁について、語るのをはじめましょう。その前に、もう一つの説明不足を補っておきたいです。なぜ、私が瓜南直子さんを、切る決意をした、彼女と、金田佑子さんとの、豊島屋の源平巻きを使った、ジョークのどこがいけないのかを、語っていないからです。単純に「淫靡すぎる」と書いただけでは、説明不足でした。

~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『誰かとの、交流を絶ちたいと、思うとき、相手の方が、上位であると、簡単に別離できるものだ。相手が、自分を大切には、思っていないと、知るときに、こっちが去っても、相手には、痛くも、かゆくもないのだから。これはまさしく、瓜南直子さんを、私が捨てたケースに当たる。ところで、そのきっかけは金田佑子さんと、直子さんが、豊島屋の源平巻きを話題にして、隠微な、ジョークを交換していたからと、書いているが、

 その裏には安藤孝春警察庁長官がいるからだった。無論の事、実際に、伊藤玄二郎に、それを命令した人間は、もっと下位の、勤務者だろうと、思うが、伊藤玄二郎は、瓜南直子さんへ「金田佑子さんに言うことを聞かせる様に、動きなさい」と、命令したはずだった。

 金田佑子さんから、デートの申し込みがあったとき、私は、断るのに往生をした。いわゆる三角関係を形成されていて、排除される弱い側だったので、相手が、上位の人として当然に、受けるだろうという趣旨で、デートを申し込んできたからだった。

 私と金田佑子さんが、最初に友達になって、私がお世話をしたので、金田さんは、急に百人を超えるお友達ができて、その中で、瓜南直子さんとも、付き合いだしたのに、その三人の中で、私だけが、除外をされ置き去りにされている。そういう環境の中で、

 警察の策略のために、急に「デートをしましょう」と、佑子さんから、申し込まれても、困惑するばかりだった。これは、佑子さんに限らず、親しい人から、何度もデートを申し込まれて、そのたびに、私は、現在自分が抱えている苦しみを、それらの、ひとにうちあけてきていた。しかし、その会話が、スマホを通じて、自動的に、敵方にわたっていて、

 私は、さらにさらに、深く、同じところをえぐられて、同じ苦しみを倍増させられ、時には、三層倍の、苦しみに出会うこととなった。

 私が、そういう仕組みに気が付いたのは、お茶大付属高校・同窓会の中で、メンターとして、もっとも敬っていた先輩、【ひろこさん】と、デートを重ねている最中だった。ひろこさんは、東大大学院卒、経済産業省、技官という、頭脳優秀な女性で、3.11の爆発時に、テレビでいろいろな発言をした学者たちより、一期前の、原子力何とか委員会のメンバーでもあった。

 私は彼女のその、見事にして、キンキラキンの経歴にひかれたわけではない。お茶大付属高校の同窓会(特にOPCという下部組織)が主催する講演会の、終了後、学士会館で、お茶を一緒にする四人のメンバーがいて、その中で、ひろ子さんが、リーダーとして、いつも警抜な、発言をされるから、尊敬をしているのだった。四人の内、三人(=私以外)は、名門の国立大学卒で、本当なら、引け目を感じないといけなかったのかもしれないが、私は、もともと、芸術家志望だから、社会のしばり(上下関係)など、気にしないで、のびのびと発言をさせてもらっていた。すると、ひろこさんから、「あなたって、いかにもな、私立大学卒の人ね」と言われてしまった。私は、一瞬、きょとんとしたが、「ああ、そういうスケール(または、価値基準)もあるのか」と、納得をして、それ以降、人を判断するときの、一つのスケールとさせていただいている。

 昔、小町通で、浴衣姿の、十文字美信氏の奥様に出会い、その美しさに一気にひかれたと言っている。その瞬間に、「前から考えていたけれど、美信氏って、やはり、十文字学園の創設者の、一族であり、この奥様って、そこに通っていた生徒だったのではないかしら?」と、思ったのだ。間違っているかもしれないが、そこで、担任を通じて、ピックアップされて、若き日に、美信氏との、お見合いに至ったと、そんな、ストーリーを私は勝手に作り上げている。美信氏の奥様って、いかにも中高一貫の女子高育ちだと、思わせる雰囲気があるのだった。

 ひろこさんにもどろう。ひろこさんの優秀さって、親(多分学者)から、引き継いだものだと、思うのだけれど、その親以前の歴史がある。京都か、奈良の古いお家柄らしい。で、みそ一文字をたしなむ人だ。

 ひろこさんには、重要な勤務があるので、1980年代は、学士会館での、お茶を一緒にするのがせいぜいだった。ところが、ひろ子さんが、定年退職後、ほかの二人は、私より若くて、まだ、現役の仕事があったので、私一人がデートに誘われることとなった。合計四度は、二人だけで、デートを重ねた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『2003年、葉山の美術館の開館記念展に行った時から、なんとはない違和感を感じた。それが、ピークに達したのは、(いつの日だったか、期日は定かではないが)銀座でのデートの帰り、ひろ子さんが、能楽堂へ、行くというので、千駄ヶ谷まで、ついていったことがある。すると、能楽堂の入り口傍に、四人の、三十代から、四十代前半にかけての青年たちが、たむろしていた。有名大学(例えば、東大)卒らしい、やや、ひ弱な感じの青年たちだ。それが、たばこをふかしながら、談笑をしていた。私はあっと驚いた。その顔に見覚えがあったからだ。

 その四人は、2003年3月27日、新潮社のロビーにいた青年たちと同じだった。

 私は2003年に、100枚の小説用の、原稿を仕上げていた。そして、小説の登竜門に応募しようと考えていた。一番最初に応募したのが新潮社だった。

 郵便が妨害によって届かないことがあるので、わざわざ、一階ロビーまで行って届けた。私は、その四人の青年が、新潮社社員ではないこと、かつ、外部の、ライターでもないことは、瞬時に分かった。

 その時、持ち込んだ原稿は、タイトルを、参謀の陰謀としていて、北久里浜の地積変更届を小説化したものだった。だから、当時は、生きていた、瀬島隆三が総力を挙げて、出版を阻止したのだった。この原稿は、その後の31日、今度は、別の出版社へ、郵送しようとしたのだけれど、丸の内、郵便局が、料金後納郵便を、いちいち手押しスタンプで処理したので、私も、31日付で、投函をすることができず、ほかにも大勢の人が、期限を過ぎてしまって、困惑をして、抗議をしていた。

 さて、私は、その後歩いて(タクシーが一台もいなかった。これは、その後、鎌倉でも発見する、対私狙いの妨害だが)ひとつばしの出版社に向かった。9時から、社員が出社するので、その前に、ゆうびんうけに入れておけば、31日付で、投函をしたこととなると、考えた。しかし、あにはからんや、すでに守衛が出勤をしていて、4月1日に受け取ったということになった。新潮社では、井上ひさしの、ちからが巨大なので、入選するはずもないし、一ツ橋の出版社では、普段いないはずの、守衛が待っていたのだから、これは、全出版社が妨害をしてくるだろうと、考え、自分一人で、出版する方向へ、力を注いだのだった。

 ともかく、2003年の、三月末に、新潮社のロビーにいた四人の青年と全く同じ組みあわせで、四人の青年が、千駄ヶ谷に現れたのだった。これは、たぶんだが、2004年か、2005年の事であり、ずっと同じメンバーが、警視庁、または、警察庁に所属していて、CIAの真実を明かす私を弾圧していると、考えた。ただし、殺人などを実行するブルーカラーとしての、人材ではなくて、ホワイトカラーだろうとは思った。東大卒などの、将来幹部へ出世していくエリート集団だろうとは思った。

 済みませんが、ここで、中断します。続きは後刻書きます。

 下書き用メモとして、

*1) ひろ子さんとの、四回目のデート・・・・それは、腐れ縁というものだった。しかし、ひろ子さんが、持参しているスマホが、尾行者の機能をGPS機能を使って果たす上に、スマホそのものに、自然にスイッチが入って、盗聴器ともなるのだった。

 そのデートの時に、井の頭線渋谷駅の改札口前で、今まで、盗聴を恐れて、語らなかった、プリンターがカタカタ、真夜中になりだす、苦しみを語った。すると、ひろ子さんは「データの更新をする、日付が来ているのでしょう」と、いかにも、そっけなかった。

 その時、ひろ子さんが、いつか言っていた、箴言を思い出した。「川崎さん、天使には、羽が生えているのよ。天使が、あなたの肩に、とまっているときは、その人はあなたを助けてくれる。だけど、天使が飛び去ったらその人は、もうあなたを助けてくれないのよ」を思い出した。 『あれは、ひろ子さん自身の事だったのだわ。もうひろ子さんに助けてもらうことは、不可能だ。もう、デートをしてはいけない』と、思い至った。

 そういえば、2003年の葉山の美術館へ一緒に行ったときも、ひろ子さんは怪しかった。そのどこが怪しかったかは、今は書かず、10日の夜に語るが、確かに、怪しかった。

 ただ、ひろ子さんとしては、・・・・・・「文章を書くのはやめなさいと、その時に、言っているのだから、あなたが苦しむのは当然よ、大切なことを忠告してあげたのに、いうことを聞かないのだから、苦しみは、仕方がない」ということだったと、思う。

 それから、私の未練が始まる。一度メールを送った、ご返事が来た。

 それから、本は送った。ご返事(感想)が、電話できた。ありがたかった。【黄いろいさくらんぼ】についてだったが、「今までで、一番良いわ」と、いう言葉をもらった。

 他にも書くことがあるのですが、すでに、三時なので、就寝します。

 ひろこさんとの別れを書くことは、水沢勉氏夫妻との、別れを書くよりもつらいことです。それで、今夜は、ひどく疲れています。

 ひろ子さんから、もらった、『預言者は、世に入れられずだわね』と、いう言葉ほど、私にとって、ありがたいものはない。それが、足元を照らしてくれているので、私は、闇夜でも、未知を過たず、生きていかれるのだから。

 ただ、ひろ子さんは、カソリック信者なので、井上ひさしと、通通なのだと、思っている。それは、本当に理不尽なことだと、思っているが、強者には、従うしかない。ただ、私が、従っている部分は、ひろ子さんと、別れると、いう部分だけで、真実を書いて以降とする思いは、消えないのだ。

 

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Disny Land と緊急事態宣言・・・山口みつ子、三田晴夫、大久保忠春、赤瀬川原平、秋山祐徳大子・・・・保坂涼(航)子

2021-01-06 21:11:12 | 政治

副題1、『NHKニュース、21-1-6 19:00を聞いて気が付いた事』

 今。21-1-6の夜9時ですが、7時のNHKニュースの録画をチェックしているところです。

 緊急事態宣言が、7日から始まるそうで、どういう業種にどういう制限がかかるかを、アナウンサーが説明していました。

 それを聞いていて、東宝シネマは、前売り券制度をやめて、当日売りだけにすると、いっていました。それは、結構です。美術館もそうすべきですよね。

 私は、今は、映画を見ている時間がなくて、映画に関する情報を自分に入れていません。だから、見なくても済むのです。情報が入っていて、次に何が、上映をされるかを、知ると、当然に見たくなるのですが、今は情報をシャットアウトしているので、映画には興味がありません。

 だから、そこの分野は、どうなってもいいわけです。が、美術館については、特に国立美術館の、予約制度については、疑問を持っていました。当日売りと、予約券発売を、分離して、当日売りも、確保しておいてほしいなあと、思います。

~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『上野の東博の平成館の官僚主義はいただけないなあ? そういう傾向が緊急事態宣言によって、いや増しに増しますか?』 

 というのも、美術館とか、映画館というのは、不要不急の世界です。戦時体制に入るのなら、それが、なくても仕方がないです。

 第二次世界大戦中は、それが、ほぼ、なかったわけでしょう。いや、映画館は、あったわけですが、表現の自由が大きく制限されていたから、そこに出かけて、鑑賞できるものは、国民を洗脳していく方向だから、真実の娯楽とは、いい難いものですよね。直近の朝ドラ【エール】で、主人公が、【暁に祈る】を作曲した、云々、カンヌンと、いう部分が出てきました。甘粕大尉というのは、戦時中は満映理事長として、長谷川一夫と、李香蘭を使って、日本の満州、支配を、正当なものだという方向にひとびとを、洗脳していきました。

 今、上映をされているものは、新コロナ騒動の、起きる前に企画をされたものだから、内容は、上等だと、思いますけれど。特に、二階堂ふみ主演で、手塚真監督の映画には、興味があります。しかし、上映館が少ないであろう、その映画を見に行く態勢には、自分自身が、入っていません。

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副題3、『甘粕・満州映画・理事長の執務室には、父の油絵が飾られていたのだけれど、フォンタナの絵のごとく、切り裂かれていたと、誰か、戦後、そこに入った人から、教えられたそうだ』

:::::::::ここで、100%の挿入に入りますが、父は、満鉄の社員でした。しかし、鉄道の方ではなくて、石油開発研究(中央試験所)の所属でした。で、石油が、当時は、とても大切なものだったので、わりと、厚遇をされていて、週末は、油絵を描きに地方(北京を含む)に、出かけていく余裕がありました。これが、私を含む子供たちに、文化系学部、または、芸術系学部へ進学することを、許さなかった主な理由です。「戦時体制下に入ると、美校(今の芸大)を出ていても、生きていかれないのだ」が、持論でした。「藤田嗣治だって、大変苦労をしたのだから」と、言い続けていました。父自身が、旧制中学の美術担当教師に、「美校に入っても食えない」と、受験を反対されていたそうで、それが、現実化した周辺を見て、納得をしたのかもしれません。

 銀座を歩いていると、作家としては、美大を出ていないことが、格下とみられるケースが多いと、感じました。・・・・・だから、今、復讐をしている・・・・・と、いうわけではないのですよ。ただ、父の言葉を恨めしく思う気持ちは、今の、私の方には、ないと、いうことです。

 ただし第二次大戦敗北後、75年を過ぎた、いま、NHKニュースが言う、緊急事態宣言だとか、聞いていると、父がよく言っていた・・・・・戦時体制下の、芸術家の、仕事のなさ、・・・・イコール食えないのだ・・・・・というものを、とうとう、目の当たりに、目視することとなるのだろうかと、感慨が新たです。

 ただね、父が、1940年代に、見聞した、戦時体制下と、比較をすると、まだ、今の日本は、緩やかです。

 だから、2021年1月7日から、緊急事態に入るといっても、映画や、美術館の入場が、制限されるわけではないわけです。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『ここで、自殺と喧伝をされている山口みつ子さんが、他殺であると、いう問題を蒸し返さないといけない。彼女は育ちの良い人で、汚い、性格の人間を嫌っていた。また、醍醐イサムから、画廊内で、いじめられた話へも入らないといけない。彼は、美術9条の会に入っていたのだろうか? それとも、違うルートから、私の悪口を聞いていたのだろうか?』

 ただね、父の絵が、ラストエンペラーの宮殿にも飾られていて、かつ、満鉄総裁の執務室にも飾られていた理由は、安井曽太郎先生の、審査で、特選を取っていたからです。それを、証明する新聞記事(の、切り抜き)が、我が家から盗まれていて、国会図書館からも、マイクロフィルム化とその劣化を理由にして、紛失していて、

 かつ、銀座で、一ノ瀬千恵乎さんとか醍醐イサムの格下に、自分が、置かれていて、醍醐イサムに実際に、K'sギャラリーで、いじめられたという現状に接すると、激しい怒りを感じます。一ノ瀬千恵乎さんの方は、渡辺豊重(美術9条の会の委員)と、組んで、横須賀線車内で、いじめてきました。それについては、すでに詳細に書いていると思います。

 そういう中で、ギャラリー山口のオーナー、山口みつ子さんだけは、私の絵や版画の実物を見ていて、高く評価をしてくれていました。で、2010年1月31日をもって、彼女が画廊を閉鎖すると、聞いていて、その後、私的に交流ができると楽しみにしていたのに、1月17日に飛び降り自殺をしたと、いう形で殺されました。1月14日に顔を合わせています。絶対に自殺ではないです。このミステリーを、7年間かけて、解き明かしてきたが、まだ、完了していない段階です。

 どうして他殺であると断言するかというと、彼女の画廊が盗聴をされていて、みつ子さんが、ある大切な秘密を教えてくれたからです。保坂涼子という武蔵野美大出身の、石を使った立体を創作をする作家が、36行に及ぶ、罵りメールをよこして、それが、AOLの当時の受信ボックス内で、101回繰り返して、送信をされていたことを、ふとという感じで、みつ子さんに語ったところ、「あら、いやだ。それってきちがいね」と、いって、同情をしてくれたことと、保坂涼子がどうして、そういうゲキレツなヒステリーメール文を書いたかの秘密を教えてくれたからでした。101回、同じメール文を繰り返して、送ってきたのが、別のハッキング担当の人間(例えば、古村浩三君)だったと、仮定してもです。「本文だけでも、十分にきちがいである」と、いってよいものでした。それいらい、きちがいという用語は、使用禁止ですって。ですから、保坂涼子は、100%、出来上がっていったのです。何にと、言えば、CIA側のカワイ子ちゃんとして、私をいじめる核弾頭と、なっていったのでした。で、ギャルリーユマニテが、2016年に、航子と改名した彼女の、個展を二回も開いてあげて、その後、画廊自身の、移転後初の、個展として、保坂航子展を開いてあげています。そうですかと、いうほかはないです。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5、『赤瀬川原平、湯川有紀子、日傘雅水、坂本龍一、村松友視、伊藤玄二郎、大原光孝』

 山口みつ子さんが、殺された真因は、保坂涼子の、そのきちがい化の、裏に、秋山祐徳大子がいたと、いう事を私に教えてくれたからでした。秋山祐徳大子は、武蔵野美術大学の先輩として、山口みつ子さんの目の前で、保坂涼子に、「雨宮舜、何するものぞ」と、威張っていて、私を軽蔑していいのだと、いう、教唆を与えたのです。その事実を教えてくれたから、みつ子さんは、殺されたのでした。

 その秋山祐徳大子は、晶文社から、自伝【ブリキ男】を出版しています。彼が晶文社で、自伝を出版することができたのは、むろんの事、CIAエージェントの、働きが評価されてのことでした。それに関して、15から20%の事情を書き表していますが、あと、80%は、まだ、秘匿しておいてあります。

 それは、K子ちゃんという、私の小学校時代の、友人が、数年間かけて、殺されていった経緯を、握る秘密が、晶文社、PHP、および、みすず書房の三社の、名前に、隠されているからです。私と仲が良かった、人、私を信頼してくれていた人が、それを理由に、いろいろ、別の手段を用いて、殺されていくということは、本当に書きにくいことであって、K子ちゃんの死も、妹の死も、書き終えるまでに、あと10年は、かかると、見ています。私には、そういう任務があるので、まだ、死にたくないです。

 なお、この章は、秋山祐徳大子が、ライカ同盟かなにかで、赤瀬川原平と親しいので、その二人と関係がある人物を羅列しています。それぞれについて、過去に丁寧な、文章を書いていますが、今は、リンク先を探している暇がないので、先へ進みます。それぞれの世界で、大変有名な、人物ですが、湯川有紀子さんだけは、一般人が、到達できない形で、奥之院に控えている、上流階級びとです。

 ただ、赤瀬川原平が、尾辻克彦名義で、小説を発表していた分厚い時代の、婦人公論の、のちの、編集長をやり、その後、中央公論の編集長もやった人で、美形の、しかも、国際キリスト教大学卒の女性です。石塚夫人と、同期のはずです。この章の最後に大原光孝という人物は、東京には、関係のない人物で、我が家から50mのところに住んでいる人が、いろいろ動くのです。で、それは、CIAがらみなので、秋山祐徳大使を中心として、過去問題をすべて、思い出したわけで、あのおっちょこちょいが、自分が勝ったつもりになって、と、腹の中で、笑っているのですが、安野智紗さんと同じく、自分では、自分のことを賢いと自任しているみたいですが、フェイズが全く違う人物で、彼がいる限り、ぐんぐん、真実に近づいていくことが、できる面白い人物です。

~~~~~~~~~~~~~~~

副題6、『三田晴夫さんの、電車の中での、からまれ方に、対抗した、DV事件・・・・本江邦夫氏の羽田空港での急死・・・・大久保忠春さんの暴走老女に、よる、交通事故死、・・・・なびす画廊の閉鎖・・・・田代人仕が、恐ろしいコメントを、このブログの世界に張り付けてきた事件、などの事案もすべて、CIAエージェントが起こした犯罪です。恐ろしいことで、何人死ねば、彼らは、やめるのだろうか?と、思っています。が、それも、こちら、鎌倉雪ノ下での、伊藤玄二郎の愛人である、石川和子さんが、私の猫のことで、警官を呼んだことが、発端でしょう。彼女がそれほどに、バカげたことをしたのも、彼女の親友が安野智紗夫人であって、その女性が、警察と、密接な関係を持っているからです』

 三田晴夫さんは、毎日新聞で、きちんとした美術評論をしていた人で、信頼あつい美術評論家でした。私は、長らく毎日新聞を、現代アートの展覧会情報を知りたくて、取っていたのですが、ある時から、やめたのです。でも、その後、銀座一丁目のなびす画廊の壁面に、これが、張ってあるので、楽しみにして、読んでいました。

 ところで、ある日横須賀線内で、ある乗客と、その前に立っていた、男性がけんかをし始めました。満員の車内は、乗客が、全員沈黙していました。が、雰囲気だけは、騒然としてきて異様な状態で、次の駅戸塚で、扉を移動して、実情を知った私は、駅員を呼んだのです。それをエッセイに書いたら、当時、読むのが専門だった、井上ひさしか、のちにその存在を、書く佐々木俊尚かが、それを取り上げて、そこから、アイデアを得たらしくて、三田晴夫さんに、偽物の乗客を刺客として、向けたのです。そして、たまらず、相手を殴ったのかな?すぐ、暴力事件として、新聞沙汰になり、その結果、三田さんは、毎日新聞をやめることとなりました。これは、日大アメフト事件と同じアイデアに基づいています。

 私は、本当に、びっくりしたのですよあの電車内の、沈黙のけんかにです。そして、波状効果を起こして、一輌の車内中が、緊張感にあふれたのでした。だから、本当に驚いたので、一種の感動だから、エッセイに書いたのに、それを利用して、立派な人物の職を奪うのです。そこから、今度は、私の息子の職を奪っていきましたね。すべては、安野智紗夫人から発しています。特に保美死刑囚の、平成の八墓村事件の時、安野夫妻が、・・・・前田夫妻とか、平木家のお子さんと、奥さんを利用して、自分宅の北側の私道部分の開墾を、洗浄化しようとした事と、

 保美の、一審の夕方、大喜びの、前田祝一氏が、唐山の着物を着て、碁会所に出かけていくのを、家に戻ろうとした、私が、見つけたので、数多い、謀略的殺人事件は、すべて、安野智紗夫人の井戸端会議に、依る、我が家の私道部分の盗み(コンクリート打ち)から、発して居るのです。

 ここらあたりは、ディズニーランドという語彙にひかれて、初めて、このブログを読んだ方には、珍聞感奮のところでしょうが、これ以上は、ここでは、説笑みいたしません。で、先へ進みます。

@@@@@@@外出しないといけません。ここから先は、夜か、明日推敲をいたします。

 しかし、上野の、国立博物館、平成館で開かれた【きもの展】に行きたいと、思ったころ、予約券でしか入場できなかったのです。それが、とても、おかしいことだと、思いました。入場を制限するにしても、予約を取った人だけが、入れると、いうのは、情報弱者に対する差別です。

 幸い、私は、ブログを書いていて、しかも大量に、弾圧され、システム異常を起こされるので(すでに、ノートパソコンを、30台、破棄せざるを得なくなっている。外部からの侵入で破壊をされているので)78歳でも、情報弱者とは、いえない方です。防衛のために、システムについて、被害状況ごとに、勉強しましたからね。しかし、同い年の主人は、30年以上前から、使っているのにもかかわらず、パソコンを嫌っているので、今では、情報弱者となっています。

 で、私が代わりに取ろうか?と、いっても、「いい。要らない」と、いいます。自由に行く日を選べないと、いうことが負担になっているのです。

 だから、東宝シネマの判断は、OKで、結構です。美術館も当時から、渋谷のBUNKAMURAは、予約券制度ではない入場もあったと、思うので、まあ、大きいから、自由度が高いとはいえ、平成館よりは、小さいですよね。

*4)、

 国立博物館内、平成館って、一種の貸し画廊で、そこで、開催されている催し物って、主に新聞社主催の、儲けるための、美術展です。文化的啓蒙の意義もむろんあるでしょうが、儲けると、いうことも狙われている美術展です。

 『それなのに、どうしてこれほど、大上段に振りかぶってくるのよ。これでは、スターリン時代の、ソ連と同じでしょう』と、その時代の、ソ連の、現場を知らないまでも、思い至ってしまうのです。

 つまり、国立の施設を使っているというだけで、官僚主義が、横行してしまうのです。一応は、丁寧です。しかし、その根底にある思想は、「こっちが上なんだよ」と、いう発想で、これを機会に、国民に、不自由を強いて、制限化の生活へ、馴らしていこうと、いうのが見え見えです。今、きもの展のカタログを点検しに、行って、このパソコンのそばを離れたのですが、その間、一千字以上が消えてしまいました。困ったことだが、先へ進みます。

 きもの展の協賛者は、朝日新聞社でした。朝日新聞ってもっとも、主要な、CIA協力者です。文化の啓もう者気取りだが、サブリミナル効果として、この日本国家と、日本人を羊のごとく、馴致していって、日本を、被・植民地国家として、そこから、利益を吸い取る集団へ、隷属させることに協力している組織です。

*5)、

 朝日新聞社が、そういう意味で、最左翼にいると仮定すると、産経新聞と、フジテレビが、反対方向に、いる最右翼だった。右翼という言葉が、戦時中のアカと、同じく、軽蔑して良い、差別して良い劣等の存在として、規定をされ始めている。で、テレビの地デジ化の発達とともに、フジテレビが、8チャンネルの数値なので、その間に、テレビ朝日(5)と、テレビ東京(7)が挟まり、新聞のラテランで、右隅に追いやられてしまい、したがって、視聴率が落ちたと、私は考えている。

 フジテレビを代表する評論家は、メディアから、いじめられていて、朝日新聞とテレビ朝日を、代表する、評論家、田原総一郎は権力をふるいまくっている。それが、現在のメディア、が、第二次大戦中の、大政翼賛会と、全く同じ状態に陥っていて、真実のジャーナリズムも、真実の批評も、出現しない、大きな理由となっている。

*6)、

 ナイナイの、岡村隆史を、NHKが、育てたフジテレビから、奪い取っている。苦労の結果の、上澄みを、掬い取っている。

 今季の、【麒麟が来る】に登場をさせたり、【チコちゃんに叱られる】を、人気番組に、押し立てたりしている。フジテレビで、ナイナイを大きくした、【「めちゃめちゃいけてる】の担当者は、内心で、さぞや、大きな怒りにとらわれているだろう。外へ向かっては、表現できないけれど。明智光秀も、風雲だったと、思うけれど、現在のフジテレビって、明智光秀の、苦境と同じ種類の、不幸に見舞われていると、私は、思っている。

 私は、【めちゃいけ】が、横浜を訪問をした時と、別のテーマの時合わせて、二回、見ただけだけれど、・・・・だから、整理のされ方が【チコちゃんに叱られる】に比較すると、まだ、足りない形だったとは、思うけれど、あそこで、ナイナイが、全国区になったので、今のNHKの冷酷さと、残忍さは、感じとっている。ただ、岡村君に、ああいう役割を担うことができる才能があることは認めるのだが、

 オリジナルなものを、作りだした、フジテレビの成功の上澄みだけを、切り取っているなあとは、感じている。現代アートって、オリジナリティが、大切な世界なので、ナイナイが、内包しているものを、全国区に、していった、フジテレビ関係者の、労をねぎらいたい。閉鎖に追い込まれたのは、もしかしたら、その近辺で、ブログ内で私が、取り上げたからではないですか? もしそうだったら、ひどい話だと、思う。フジテレビは、政治的主張で、いじめられているわけだけれど、娯楽バングミでも、いじめられていると、なると、これは、本当に気の毒だ。

*7)、

 私は、・・・・ディズニーランドは、夜8時に閉園をするのだけれど、休まない・・・・・と、いうニュースを、聞いて、この章を起こしている。

 NHKは、それを、国民に知らせるのにあたって、オリエンタルランドといった。それは、ディズニーランドを経営している会社の名前なので、ながら視聴をしている人には、ディズニーランドの事だとは、わからなかったかもしれないと、思っている。

 それも、いわゆるサブリミナル効果として、オリエンタルランド=ディズニーランドを、かばっている言い方になると、思う。

 ディズニーランドって、不要不急のものだと、思う。GO TOトラベルキャンペーンが、国民の、気のゆるみを招いたと、思う。で、その結果、の、緊急事態宣言なのだけれど、なぜか、まだ、危機感が足りないというか、少ないと、思う。

 それに制限の内容を聞いていると、昨日とそれほどの、変わらないではないか?‥‥とも思う。

*8)

 ところで、誤解がない様に、読者様にお願いをしたいが、私は、制限をもっと、きつくしなさいと、いっているわけではない。本当の緊急事態宣言は先でいいのではないかと、思ったりしている。というのも、NHKニュースで、聞いた限りでは、なんだか、中途半端なのだ。

 ディズニーランドが、休園しない。その上、歌舞伎座も、新橋演舞場も、国立劇場(三宅坂)も、休演しない。それを好きな人にとってはその方がいい。多分、大相撲、一月場所も開催される。

 私だって、三日に三宅坂に行っていて、菊五郎劇団の、お正月歌舞伎を堪能していて、その夜に、疲れているはずなのに、朝五時まで起きて、なかなか、重い内容のblog〈後注1)を書けたほどだった。

 見事に、気晴らしの役目を果たしてくれた。

後注1、

棒付き飴に群がりしゃぶり尽くして、白い棒(骨)だけを残した人達・・・瓜南直子の周辺の事

2021-01-03 22:14:26 | 政治

*9)

 というわけで、まだ、国民の方に余裕があると、思われるのに、緊急事態宣言だと、いっている。それは、なぜだ?と疑問を抱いて、考え始めると、『お金の問題かなあ?』と、思うのです。休業補償の、お金を国家から支払う様にするのか? どうか?が、緊急事態宣言をだすか?どうか?の分かれ目だと、推察し始めます。いっとサンケンの知事が菅総理大臣に要請した、特別措置法の、発令とは、国民が、「商売が、できなくなった分の補償金を国家から出して下さないねと、いうことだろうか?

 そうなると、その申請に当てはまらない人たちは、緊急事態宣言と言っても、「ただ、制限を受けるいやなお知らせですね」と、いう感じで、受け止めて、感染拡大を、とどめる方へ、動かないのではないかしら。?

 それにしても、日本人は、自力で、復活を遂げようとする、活力や、気力を失いましたね。

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鎌倉小町通には歩く看板がある。瓜南直子さんに死を齎した連中が、自分を守る為に置き、かつ私のblogに応じて歩かせている

2021-01-05 00:42:17 | 政治

   私は、今、とても忙しいので、本日は、ブログを更新をしないつもりでした。前報

棒付き飴に群がりしゃぶり尽くして、白い棒(骨)だけを残した人達・・・瓜南直子の周辺の事

2021-01-03 22:14:26 | 政治

に、いささかの自信があるのです。それで、それを三日間、連続して、トップの文章としておきたかったのでした。ところが、格好の素材が手に入ってしまったのです。それが以下の写真です。この立ち入り禁止の看板の写真は、今まで、何枚も撮っています。しかし、ただしく表現できない部分があって、使わなかったのです。しかし、本日は、まことに見事に、看板の方が歩いてくださって、小町通に、あと、3mのところまで、進行してくださったのでした。それは、上にリンク先を上げた、前報が

 どれほどに、出来が良かったかを証明していることとなるので、一文をものします。

 私は、プロのカメラマンではありません。その上機材は、アイフォン8です。それでは、思いを表現しきれないのが当たり前ですが、・・・・・本日は、うまくいった。結構表現できた・・・・と、思っているのは、

 いつもとは、違って、反対方向から、撮影をしたからでした。同じ看板ですが、反対方向から撮影をすることによって、この看板が、歩くことが、証明できたのです。逆転の発想が生きました。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題1、『小町通りの終点近く、90度横切る道がある。横大路と言って、川喜多記念館の前を通って、踏切を渡ると、寿福寺に到達する。小町通には、昼間は、車が入れないが、この道の方には入れるので、小町通の最後の最後に至って、観光客は、相当に狭い場所を、車にぶつかる危険を感じながら、通らないといけなくなる。

 この看板は、その横大路の、正反対の方角に置いてある。一種の十字路を成して、横大路と反対側に、東に入る路地があって、そこに、立っている。

 なぜ、そこに立っているかというと、私のblogが、正鵠を得ているので、伊藤玄二郎と伴清一郎さんが、自分を守りたいのだろうと、私は思っている。置いたのは、警察かもしれないが、この看板が歩くので、滑稽極まりないのだ。それを本日は語りたい』

 なお、済みませんが、伴誠一郎さんの名前の方を、清潔のせいでは無くて、誠実のせいを使うことが、多々ありました。お許しください。

 横大路というのは、幅が、4m弱で、きちんとアスファルト舗装がなされています。どうしてかというと、線路の、西側に住んでいる人‥‥特に駅より北側の、西側扇ガ谷に、住んでいる人・・・・が、車で、東京に向かう際に使う唯一の道だからです。鎌倉は、山が堅固なので、そうなります。

 しかし、間に小町通を挟んで、東側に向かう道は、アスファルト舗装がなされていません。ほぼ砂利道です。しかし、45mぐらいの長さで、行き止まりになっている上に、10軒ぐらいの住人の中に、車を、持っている人が少ないので、砂利道舗装でも構わないのです。ここは、速足で歩くと、6分ぐらいで、駅に到達する、交通至便の土地なので、車なんかなくても大丈夫なのです。

 ところで、『瓜南尚子さんが全日本あすはが連を作ったのは、この砂利道と、アスファルト舗装の、両方を歩いたからかしら?』と、思うのですが、まあ、違うでしょう。

 なぜ、こういう看板を立ててあるかというと、その突き当りのところに伴清一郎さんの自宅があるからです。伴清一郎さんとは、瓜南尚子さんの実質婚の相手です。

 私は、柴田悦子画廊のオーナーから伴さんのことは、聞いていました。瓜南さんの実質婚の相手であると。しかし、伴さんの、文章を読んだことなどなかったのです。

 ところで、2015年以降のことです。政治的な弾圧を分析している途中、瓜南さんのフェイスブック投稿を、もう一度点検する必要性を感じました。

 で、全部を、ワードへコピペして、点検をしたのですが、政治的に、重要な部分は、すべて、削除をされていました。伊藤玄二郎がやった? 他人のアカウントを自在に操作できますか? だからこの作業も警察の、特殊部隊(ただし、ホワイトカラーのエリートの方)か、古村幸三君などの、CIA-ジェント達でしょう。

 しかし、他人が彼女の頁に、投稿した文章は残っていたのです。中で、伴清一郎さんが、オマージュをささげている文章を読んで唖然としました。

 瓜南直子さんって、五拍子揃っている才媛です。しかし、最終段階で、痛切なる不安を吐露して、この世を去っています。その影に、経済的なファクターというものも大きくて、それは、入籍婚の相手だったら、当然、折半する義務があるものを、伴さんは、実質婚という美名のもとに、与えずに、放っておいたのです。

 これは、渡辺豊重さんが、一ノ瀬千恵乎さんをアクセサリーとして連れ歩いていたのと同じで、女性側が持っている上流社会の人という長所を最大限に、利用しつくしながら、対応供与を与えていないと、私は、思うのです。

 つまり、わかりやすい言葉でいえば、経済的援助を与えていないのです。

 これは、ほかの人のblogで、読んだのですが、・・・・日暮文庫(教養の高い人が集まる酒場)で、瓜南さんが、たばこを一本、伴さんにせがんでいて、伴さんが一本渡していた。その時には、自分は、まだ、二人が実質婚のパートナー関係であることを知らなかったので、ひどく驚いたが、あとで、納得をした・・・・・と。

 『なんと切ないことだろう』と、思います。二人は同居していなかったと、思います。芸術家だから、創作の、時間が、必要で、相手を意識すると、作品ができないところがあるでしょうし。だから酒場で、「たばこ一本、頂戴」と、直子さんが言うこととなる。

 ここで、絵筆一本で生活していた伴さんの方も、貧しかったと、仮定しましょう。そうしたら、許せるが、それにしても、フェイスブックにあんなに見え透いていて、かつ、単純な、おまーじゅをささげないでください。こずるさが見えますよ。

 どうして、こずるさが見えるかというと、私の方が、この手の関係を、シモーヌ・ド・ボーヴォワールとサルトルの関係で、予習をしていたからでした。

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 というわけで、この立ち入り禁止の看板は、私のblogに応じて、歩くのです。最初は、小町通から見ると、奥、30mぐらいの位置に立っていたのです。

 しかし、私がブログで、直子さんに触れるたびに、手前の方に歩いてきて、2021-1-4など、小町通から見ると、大股で歩いて、五歩(=3m)のところまで、歩いていらっしゃったのでした。

  なお、このブログの2010年より数え始めた延べ訪問回数は、6327212です。

 2021年1月5日、雨宮舜(本名 川崎千恵子)

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棒付き飴に群がりしゃぶり尽くして、白い棒(骨)だけを残した人達・・・瓜南直子の周辺の事

2021-01-03 22:14:26 | 政治

この一文の総タイトルですが、一番最初は、【済みません。お約束を破ってしまいますが、本日は歌舞伎を見に行ってしまったので、パソコンの仕事ができません。お許しください】としておりました。しかし、4日の、午前1時に、【宮田亮平、ビートたけし、正金銀行、レオスカラックス監督、瓜南尚子、前田祝一、金田佑子】とし、さらに、午前五時半に、上のものへと変更しました。理由は意外と、はっきりと思いを、書けたからです。体力がないのに、書けました。それは、5日に、コロナを発症するかもしれないと、思っているので、死を直前にしているからでしょう。ぐいぐいと、真実を語っていきます。

三宅坂の、国立劇場ですが、オリンピックを迎えて、建て替えられるところだったそうです。私は、ものすごく憤慨しました。この劇場はロビーが広くて、どこにも欠点がありません。竹中工務店施行だそうです。

しいて言えば、トイレが狭いのと、身障者用トイレがありません。それから、エレベーターが、一基しかないし、三階へは、エスカレーターが、設置されていません。

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副題1、『隈研吾氏』

設計者が若かったのだと思います。しかし、隈研吾氏が、リフォームしたと、聞いている名古屋の、御園座だって、エスカレーターがありません。

それと、これは三宅坂の国立劇場で、占有のことではないのですが、最前列の席は、手すりが邪魔になって、舞台が見えません。

メトロポリタンオペラって、そんなものはなかったし、パリバスティーユオペラもなかったと思いますよ。

歌舞伎座なんて隈研吾氏が、全く新しく設計をしたのに、どうして、こんな、バカげた手すりが付いているのだろうと、思います。あのね。歌舞伎を見に来る人は、ロックを見に来る若い人とは違うのです。経って、手を振り回したり、足を踏み鳴らしたりしません。だから、座席から、下の階に落ちるはずがないのです。

あのね、歌舞伎座のトイレには、私が行く様になって、急に、トイレの中のドアに、禁煙マークが張り付けられる様になりました。文化の殿堂で、お客様は、幼児扱いをされています。。恥ずかしい。本当に恥ずかしい発想です。松竹って何を考えているのだろうと、思っていたら、国立劇場も、茂木七左衛門さんが、支配人の時代に、切符を買うときに、名前を言えとか、ネットで、切符を買おうとすると、全席売り切れと出てきて、買えなかったり(これは、全く嘘でした。が)変なことがありました。私の敵さんたち(鎌倉エージェント=CIAとその手下としての警察)は、歌舞伎という娯楽の世界でも、わたくしをいじめるために、一般の人を巻き込むのです。

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副題2、『茂木七左衛門と、大来佐武郎一族』

 私は、全席売り切れと言って、真黒な座席表を見ながら、すぐ「これは絶対に嘘ですね」と思ったので、三宅坂に行って、当日券を求めると、簡単に買えましたし(これは、数年前だったので、一人置きではない時期ですよ。あくまでも、茂木七左衛門さんが、支配人だった時のことです)中に入ると空席がいっぱいありました。

 で、茂木七左衛門さんについて、ブログを書いたところ、茂木さんが、それを読まれたかどうかは知りませんが、だいぶ改善をされました。

 どういうことを書いたかというと、茂木七左衛門さんは、大来佐武郎氏の、息子さんと仲良しなのです。大来佐武郎さんの、奥様は、壽子さんと言って、お茶大付属高校の出身です。そして、佐武郎氏のご子息は、経済企画庁勤務です。経済企画庁は、その全身を、経済安定本部と言って、日本のほとんどの物資を配給する役所でした。うちの父は、そこで、重油を配給する部署にいて…‥とか、何とか書いたら、国立劇場の、切符売り場がやっと正常化したのです。

 これは、大きな殺人事件とは、関係がないので、どこで、書いたかのリンク先を見つけられません。で、そのまま、先へ進みます。

 茂木さんは、レベルが大変不快文化人でした。歌舞伎役者に対しても、ご理解が深い人だったと、思いますよ。そして、歌舞伎愛好家に対してもね。

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副題3、『宮田亮平、横浜、旧・正金銀行ビルの、利用価値? モボモガ全盛時代の、あこがれの繁華街とは?』

 次にいつの間にか、宮田亮平さんになりました。宮田亮平さんはこの国立劇場の支配人時代に、文化庁の長官もしていました。

 ただ、宮田さんって、例の鎌倉エージェントと通々だと思いますよ。どうしてそういえるかというと、NHKの衛星放送で、ビートたけしと一緒に美術の制作現場を訪ねる番組に出演していたからです。ビートたけしという人は、これまた、CIAお気に入りのタレントです。で、国際的賞をたくさんもらうし、芸大の教授にさえなりました。

 その時に、いくらイタリアやフランスで、賞を取ったと、いっても、芸大内部で、うまくいくはずがないと、書きました。すると、なんと、横浜で、芸大の支部を作ったのです。その建物ですが、バンクアートと言って、旧正金銀行の建物でしょう。

 旧正金銀行って、今では、三菱銀行と合併しているのですが、戦前は、日本で唯一、外国の為替を扱える銀行だったのです。うちの父は、結婚後生麦に住んだのです。それは、のちに丸善石油という名前になる会社に勤務していて、それが、湾岸にあったからでした。で、細君を務めに出すことにしたのです。その勤務先が、正金銀行でした。家を買うため? 違うのです。遊ぶためでした。父は、旧制中学時代、最も親しくしていたのが、藤本真澄東宝重役で、藤本さんは、お金持ちです。

 うちの父の実家は、旧士族で、しかも父の父がすでに死んでいたので、兄に、大学へ行かせてもらったわけでお金持ちではないです。だけど、慶応に進んだ、藤本さんと、気質があっていて、友人だったので、藤本さんと、似た様に遊びたいわけです。

 歌舞伎を見るために、銀座に行きたいし、宝塚を見るために、日比谷に行きたいし、オペレッタを見るために浅草にも行きたいし、映画を見るために、伊勢佐木町へ行きたいし、油絵を見るために上野にも行きたいし、社交ダンスはしたいし、ビリヤードもしたいわけです。これが、大正期から戦前までの、モダンボーイの流行の遊びです。今、生きていたら、100歳以上の世代の、流行の遊びです。一方で、母は、下関の高女と、その専科出身で、その当時でいうと、いわゆる短大卒です。で、洗練をされていないと、父は、感じるのですね。テレビが普及すると、田舎と、東京の差がなくなってくるのですが、テレビのない時代だと、父にしてみると母は、モダンガールではないわけです。で、母をモダンガールにするために、正金銀行に勤めさせたのです。今でいうと就職体験が、全くないし、女学校の新卒でもないのに、よく入社できたと思いますが、母の実父が、当時・旧制・柳井商業の好調をしていたので、らくらくだったのでしょう。その祖父は、実際に日吉の実家に来てくれたことがあるのですが、実は、別の家に、養子に入りなおした人で、公には、付き合えない人でした。が、3歳のころに捨てて、養家を出たので、母のことは、すまないし、可哀そうだと、思っていたらしくて、とても気にかけていてくれたみたいです。女学校に、進学していた時に、校長を通じて会いに来てくれた恥ずかしくてならなかったと、いっていました。

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副題4、『ビートたけしが芸大教授として、講義をするビルと、レオスカラックス監督が、それを利用した映画』

 正金銀行が、横浜トリエンナーレの会場として使われたことは、私とは、関係がないでしょう。しかし、その建物が、ビートたけし(=北野武監督)の、映像学科として使われたり、その建物内セットで、レオスカラックス監督が、映画【TOKYO】の第二部を撮影したと、いうことは、全部、私のblogから、発想を得ていると、思います。

 私は、【ポンヌフの恋人】について、文章を書いています。いい映画だと思うし、ジュリエット・ビノシュが走っていく地下道が、バスティーユ駅構内だと、思うので、とても懐かしいのです。私も、1998年9月4日に、白人系大男たちに、そこで、拉致されそうになって、必死になってそこを逃げて、サンタントワーヌ通りに出たからです。このスペルですが、英語だと、聖アントワーヌとなるのでしょうが、フランス語だと、私の場合は、スペルが、不確かなので、カタカナで、書いておきます。フランス語で、書いてある地図(大判)を八重洲ブックセンターで、買ってから、パリへ行って、それを、本当に愛用していたのに、それが、今の家には、有りません。泥棒?

  だから、レオスカラックス監督が採用され、それに、文化庁が、800万円の支援金を出しています。

(蛇足::::::その映画TOKYOの第三部は、ボンジュノ監督の、香川輝彦と、蒼井優が主演するもので、問題がないのですが、ドゥにラバンが、主演する第二部は、120%の侮日映画です。第一部も問題がないです。そして、ボンジュノ監督は、2019年度は、パラサイトで、パルムドール賞と、アカデミー外国語映画賞を取りました。それは、たぶん、私とは関係がないです。が、2009年当時は、ボンジュノと、呼んでいて、英語表記もBで始まるのに、今は、ポンだそうです。それもだいぶ将来になると、私の文章が間違っていたと、いうことになるのでしょう。そのための呼び名変更だと、思います。ただ、韓国語だと、その漢字をポンと読むのでしょうね。)

 でね、そんな映画に800万円出したのは、文化庁の失敗であると書いたら、文化庁は新たに芸術文化振興会というのを作って、半官半民の組織として、改変しました。

 その資金の話は、官報に載っているのかもしれませんが、一般人が接することのできるのは、映画のパンフレットに書いてあるだけです。で、こっちの方は、正真正銘に、盗まれています。

 というのも映画【靖国】へも、文化庁は、800万円の支援をしています。

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副題5、『パリの地図は、どこかから、見つかるかもしれない。私が、しまい込んでいる? しかし、映画のプログラムが、盗まれいることは、事実だ。特に文化庁が支援金を出したことを、プログラム内で、誇っている映画の、プログラムが盗まれている。

 瓜南尚子さんという日本画家は、悪人に利用をされ、それ故に神様からおしかりを受けて、早死にをした存在である。映画のプログラムの我が家からの泥棒行為を、実際には、すでに、やってしまっているくせに、それを、なかったことにしたい、連中に利用をされた、弱くて、はかない存在である。

 ただで、できる個展へのお誘い、有名寺院での、グループ展へのお誘い、テレビ出演などの・えさ・をもらっている瓜南尚子さんは、

 伊藤玄二郎か? 酒井宙康氏か、それとも懇意な画廊からの、命令だったのか?、あいては、例のごとく、隠れているので、わからないが、誰かから、命令教唆を受けて、映画のプログラムについての投稿を始めた。2011年の秋のことだった。

 もし、彼女が、私のブログを毎日読んでいる人だったら、死なないでも済んだだろう。頭は悪くないと、思うので、自分がどういう立場で、利用をされているかが、わかったであろうから。

 同じ様な命令を受けても、上手にふるまう人間もいるのだから。彼女は頭が違法だと、思うので、極上の気品をもって、私の憤怒を招かない様に、ふるまうことができたと、思う。それをしないで、真っ向からしかも毎日大量の攻撃用文章を、投稿した彼女は、下手の極みだったというか、何もわかっていなかったと、いうべきだろう。

 何もわかっていなかったという意味では、全日本明日ハガレンも、今、隆盛を極めているアスベスト問題と直結する投稿なので、彼女が私を攻撃した量は、すさまじいものだった。私が、今、書いているエピソードはほとんどがボディラングェッジに相当するものだ。態度としてあらわされたものであって、文章として、攻撃をされたわけではない。例えば、下の写真だ。

 彼は、「ここの環境が素晴らしい」と、いっている。それは私も賛成する、セリフだ。問題は、彼の立っている土地が、我が家から彼の妻及び安野智紗夫人によって、盗まれた土地だと、いうことだった。この山のすべての家は、どろ付きの私道部分を持っていて、そこに花を植えている。ところが我が家だけ、コンクリート打ちをされている。花とは、鉢で育てるのと、地植えするのとでは、まるで、生育レベルが違う。

 我が家の花畑だけ、コンクリート打ちをされてしまった理由は、彼の家が、私道部分を拠出しておらず、異様な土地占拠をしていることを、(私ではなくて)、藤本悌子夫人が責め立てたためだった。で、なぜ、藤本夫人がそういうことをしたかというと、安野智紗夫人が毎日午後、開く井戸端会議が大迷惑だったからである。上品な育ちの人、特にインテリが聞くとたまらないほどに、くだらない、そして下品なことが毎日、話されていて、特に大きな声で話すのが、前田夫人だったからだ。しかもその井戸端会議というのは、この実動15軒ぐらいの家の主婦層の間で、ヒエラキーを作るものだったので、大迷惑行為だった。

 だけど、あまり、表立って、逆らう人がいなかったのは、安野夫人というのが、人間としては、残酷にして獰猛なところがあるのを、誰もが、直感でわかるからだった。演技としては、優雅な人だと、思わせるところがある。しかし、本音のところはまるで、違う。で、金銭的に余裕のある人は、逃げだしていった。私が知る限りで、この45年間に、14回の、引っ越しがある。家が、20軒しかないのにデスよ。

 それでも、高校三年生を頭に三人の、子供がいる彼女に、ここへ、引っ越してくる前の、歳月、本当の妻としての、専業主婦体験と、母親体験があったのなら、もっと違うと思うのだが、彼女は、略奪婚の人だと、推察されるので、ここに引っ越してくる前の段階での、主婦としてとか、母としてとかの、じっちの勉強が、まるで、なかった人なのだ。それで、橋田寿賀子ドラマ風の、主婦が、正当な主婦だと、思いこんで、それに倣って生きている。

 しかし、一戸建て、住宅街、それも大卒女子が多く住んでいる世界で、橋田寿賀子ドラマの世界が、通用するわけもないのだが、安野智紗夫人自身が、警察と協力していますと、いう看板を堂々と、外に出すほどだから、インテリではない。したがって、頭脳労働者の世界が、まるで、わかっていない人なのだった。だから、45歳を過ぎても、平気で、音がうるさい限りの、井戸端会議をやっていられるのだった。困った人間だった。

 というわけで、ボディラングェッジの世界のことだけを、書いてきた私に対して、瓜南尚子さんは、文章で、攻撃をしてきたわけだった。

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副題6、『上に写真を置いた、前田祝一という男性は、まあ、いろいろな、攻撃を、やってくださっているが、上の写真を引き取ることができたテレビ番組に出演の、三年後に、がんで死んでいる。その時に、79歳だったので、ほぼ、自然死に近いと思う。

 しかし、瓜南尚子さんの方は突然死に近いという感想を、私は、抱いた。市井の哲学者足らんと欲している私は、当然に、その謎を解きたいと、思う。

 で、考えに考えた結果、金田佑子さんが、2011年の、11月3日を期して、私へのスパイ役を警察か、伊藤玄二郎から瓜南尚子さんを通じて、依頼をされて、そのデートの申し込みを私にフェイスブックを通じて、通してきたことが、大きなきっかけになっていることがわかってきた。

 この一件を通じて、金田佑子さんに言いたいのだが、「失礼ながら、・・・・・あなたが、直子さんの、死を招いた・・・・・という事がわかっていますか?」と。

 「佑子さん、あなたって、おっちょこちょいに過ぎますよ。私にデートを申し込んできたのも、悪い目的だと、わかっていたでしょう。悪いというのは、私をだますということです。あなたが、尚子さんと知り合ったのも私が励まして、まず、フェイスブックで、100人以上の友達を増やしたからでしたよね。そういう大恩ある私に対して、より好き直子さんに頼まれたからって、裏切ってくるのは、神の摂理に反しているのですよ。

 特に市販をされていない日本酒【恋のうぐいすから】をプレゼントしますですって。嘘八百でしょう。嘘だっていうことを知っていたでしょう。それで、ふざけ切っている。私に対して、そんなことをしたら、神様から見放されるっていうことなのですよ。

 それからね。あなたは、第一のファンを自認していて、毎晩、「執事、金田でございます。お嬢様、今夜は、何々でございますね」と、投稿をしていましたね。だけど、それって自己愛の、一変形ではなかったかしら? あなたは、友人または、ファンとして、同性の人間の中でのぴか一でした。一方異性の、存在としては、実質婚の相手の伴誠一郎さんでした。この人については、その言動が、嘘っぱちであって、自己愛の変形でしかないと、いうことを将来丁寧に、書くつもりですが、

 あなたにも同じ種類のものがありませんでしたか? つまり、才能のある有名人と、付き合っている。それは美形で、人気のある画家だ。そういう人とこんなに密に会話ができる自分は、幸せだ。そして、自分の、文章力で、そういう関係を築くことができた。誇りがいっぱいだ…‥というものです。

 すでに午前四時になりました。ラーメンの話とか、いろいろ、語らないといけません。

 ニューヨークにおいて、サツマイモ入りの蒸しパンだけを主食としていた有色人種としての版画家、ホアレスのこと。彼は、私が、NYを去った、たった、9か月後に、孤独死(=餓死)をしています。それを、2002年に知り、2005年まで、なんでそうなったのかを考え抜いている私には、

 瓜南尚子さんの、貧乏度というのが、正確に分かっていたのです。

 8月に、直子さんは神奈川県内在住の男性が投稿したラーメンの写真をフェイスブックでシェアしました。で、直子さんが、他人の食事の写真をシェアするのを見て、自分も夕食の写真を彼女の頁にコメントとして投稿をしました。9月ごろだったかな? すると即座に「引いてください。理由はご察しください」という命令が、彼女から下りました。

 これを正面切ってまともに考えると、「自分の頁だから、あなたのお料理の写真は載せないでね」で、終わりです。しかし、実際には違うと、私は判断をしました。

 瓜南さんは、漬物評論家を自任しています。漬物って、ぬか漬けにしろ、浅漬けを発酵させていったものにしろ、材料費は、たいへん安く済みます。180円のかぶ一束と、150円のキュウリ、一袋を買ってきて、冷蔵庫で生の野菜の状態で保存をして、二種類の漬物を作って、上手に、処理すれば、10日は賄えるので、漬物だけなら、一日50円で済みます。そこに、二日分として、ケンタッキーフライドチキン2本を買ってくる。または、焼き鳥を、五本買ってくる。時にはカニカマを一袋買ってくる。そういう生活をすれば、食費は一か月2万円で済みます。

 彼女は伴さんとは、一緒に暮らしてはいませんね。それは、八月の京都の話で分かっています。親の残した家に住んでいるのだとしたら、税金だけで済みますが、引っ越しをしないといけないと、2012年の四月に書いていますので、家賃を払う暮らしだと、推察され、それに8万円。また、通信費と、お酒を飲みに行く日のためのお金が、合計、5万円とすると、それだけで、15万円です。お酒を飲むお金は、オーヴァーする日もあるでしょう。その中で、画材費をも、出す生活です。

 時にはテレビに出る様に頼まれ、時には、浄智寺で、ラーメンの会が、催され、それには五山の全トップと、覚園寺さんが、来ますとなれば、新しい洋服を買わないといけないです。それが、3万円ぐらいでしょうか? または、10万円以上ですか?

 45歳ぐらいまでは、親の保護があったと、思います。でも、2012年になって、急にその親の家を売るという形にしたのかもしれませんね。不安は、いや、増しにましたでしょう。

 特に、金田佑子さんに、送った品が、豊島屋の、源平巻きだったのが、決定的でした。それって、当時のお値段で、1300円だっただろうか? ひろしままでの送料は、豊島屋が出してくれます。

 しかし、芸大卒の直子さんです。そして、母親のことを、「おかあたま」と、呼ぶ直子さんです。1300円のものを広島の、佑子さんに贈るのは、つらかったと、思いますよ。

 芸大に、進学を許すのは、親世代、または、祖父母世代が、お金持ちだったケースです。うちなんて、私が、入試成績優秀で、奨学金をもらえる資格があったのですが、国際キリスト教大学の事務室で、「あなたのお父さんは、税金の額が、日本の上位6%に入るので、奨学金は、あげられません」と、いわれています。

 でも、実学系の大学にしか進学を許されませんでした。ところがね、母がよく言うのです。「うちの子って、どの子にも芸術的な要素があるのよね。だけど、だから、弱いところがあるのだけれど。そしてね。そのいいところが、お婿さんに、理解をされていない」と。「それが、とても残念なことよねえ」と。

 それは、たまたま妹が実家で、料理を作って、大きめの洋皿の隅に、食べられる花を散らしていた時のことでした。

 私はね。瓜南さんに、嫌われていたと、思います。しかし、本当のことを言うと、非常に大きな愛で見守っていたのですよ。

 しかし、上にあげた源平巻きで、二人がエロチックな会話を繰り出し始めてから、私は、直子さんを捨てたのです。「赤い袴をめくって、なんとかかんとか」、と、いい始めたときに、私は、自分がコーディリア姫であることをやめたのです。それが、2011年の、11月18日か、19日だったと、思います。

 これは、検索ワード瓜南直子で、探していて、最近見つけた他人のblogから知ったことですが、12月に、酒場に現れた彼女は、見違えるほどに痩せていたそうです。

 私の方ですが、彼女が死んだことさえ知りませんでした。それは、酒場を中心として、構成されているプチ文化人のお集りに私が参加していないからです。鎌倉でも、銀座でも、参加しておらず、ただ、目に見える範囲で、観察を続け、その結果、考えたことを、発信をするだけだからです。

 でも、この死を知ったとき(2012年10月の末、このブログにコメントとして、お知らせがあった)に、自分の愛の力の強大さを知りました。それは、私以外の人は認めないでしょう。相変わらず、人々は私を足蹴にして、乗り越えていく筈です。ただ、それについては、「そうですか」と、いうしかないが・・・・・

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