今回関西に引越しをすることになって、
阪神エリアといわれる地域に住むことになった時に
頭に浮かんだ事は、あの95年の阪神大震災。
大震災の前に何度か、お友達と旅行で神戸に行っていて
大好きな街だったので、あの朝ニュースで映像を見たときは
ものすごい衝撃を受けました。
その後もTVで、被災した方たちの悲しみや
生活を知るたびに胸が苦しくて。
でも少しずつ復興し、また賑やかで美しい街に戻っていく様子に
感動していました。
物件探しの時に、お世話になった不動産屋の方も
「3ヶ月ぶりに、水道の蛇口から水が出たときは泣けました」
と話していました。
だから、こちらに住むようになって早い時期に訪れたかったのが
こちら。

メリケン波止場の一角にあります。


震災で崩れた状態をそのまま固めて保存しています。
もうこの周りは綺麗に整備されていて、
この保存がなければ、震災があったことは分からないくらいです。
この震災を教訓として、関東にいた私達は防災という
意識を持てるようになったのです。
たくさんの方が亡くなり、家を失い、今もきっと心の中に
多くの苦しみ、悲しみを持ちながらも、
神戸の街をここまで復興されてきたことに
敬意を持たずにはいられません。
阪神エリアといわれる地域に住むことになった時に
頭に浮かんだ事は、あの95年の阪神大震災。
大震災の前に何度か、お友達と旅行で神戸に行っていて
大好きな街だったので、あの朝ニュースで映像を見たときは
ものすごい衝撃を受けました。
その後もTVで、被災した方たちの悲しみや
生活を知るたびに胸が苦しくて。
でも少しずつ復興し、また賑やかで美しい街に戻っていく様子に
感動していました。
物件探しの時に、お世話になった不動産屋の方も
「3ヶ月ぶりに、水道の蛇口から水が出たときは泣けました」
と話していました。
だから、こちらに住むようになって早い時期に訪れたかったのが
こちら。

メリケン波止場の一角にあります。


震災で崩れた状態をそのまま固めて保存しています。
もうこの周りは綺麗に整備されていて、
この保存がなければ、震災があったことは分からないくらいです。
この震災を教訓として、関東にいた私達は防災という
意識を持てるようになったのです。
たくさんの方が亡くなり、家を失い、今もきっと心の中に
多くの苦しみ、悲しみを持ちながらも、
神戸の街をここまで復興されてきたことに
敬意を持たずにはいられません。
