Angela Garden

シンプルに、そしてエレガントに。試行錯誤しながらも、そんな人生を送りたい。

三重桑名 六華苑(旧諸戸清六邸) vol.1

2012年08月23日 | ★ヴォーリズ&その他近代美建築(西日本)

 

 

 

三重に行きたかった目的は、六華苑~ 
今回も、とっても画像が多いです~
vol.1~しばらく続きます



遠いかな、と思っていましたが、高速も全然混んでいなかったので、
車に乗っていたのは、2時間半もなかったでしょうか。
関西では、道路の渋滞にはまったことがありません
どこに行くにもスムースに行けるので、お出かけもしやすく
あまり疲れなくてすむので、楽しいです♪



チケット売り場、入り口になっている長屋門をくぐって歩いていくと、
見えてきました~

本当に美しい佇まいの洋館、旧諸戸清六邸
実際に目にすることが出来て感激



当時から、この壁色だったかは分かりませんが、
暑い夏にもぴったりでしょう~



設計者は、イギリス人建築士、ジョサイア・コンドル
私の好きな洋館を建てた、日本人建築家は、ほとんどがコンドルの弟子で、
コンドルに学んでいます。



ジョサイア・コンドルは、
1877年(M10)、西洋化、近代化を掲げる明治政府に招聘されて
25歳で来日しました。
その後、日本人女性と結婚し、1920年67歳で亡くなるまで、
日本に美しい洋館建築を手掛け続けました。
「日本近代建築の父」と称されています。



代表的な建築には、今は見ることの出来ない「鹿鳴館」(1940取壊し)、
御茶ノ水のニコライ堂、2009年復元された三菱1号館
旧古河庭園、三井家綱町別邸、島津忠重邸、岩崎彌之助邸、
そして、湯島の旧岩崎久彌邸(旧岩崎邸庭園)などです



1890年まで、明治政府の官職で建築を手掛けたあとは、
三菱の顧問となって、また明治時代の財閥、政府高官の邸宅を手掛けました。
ジョサイア・コンドルの建築作品の多くが、関東地方に残されている中で、
この旧諸戸清六邸のみが、唯一、地方で見られるジョサイア・コンドル建築なのです



ジョサイア・コンドルにこの洋館を依頼した諸戸清六は
当時23歳という若さでした。
そんな若さでなぜ、ジョサイア・コンドルに頼めたのか・・・



その父、初代清六は、事業を拡大、成功、日本一の地主とまでなった人物で、
私財を投げうって、地元桑名の街の上水道を整え、
一般市民のためにも貢献したそうです。
三菱の創始者岩崎家とも交友があり、2代目清六は、その紹介があって、
この洋館建築が実現したそうです。



ジョサイア・コンドルの代表的な弟子には、
東京駅、日銀、大阪中央公会堂、奈良ホテル浜寺公園駅を手掛けた辰野金吾、
迎賓館赤坂離宮(赤坂璃宮家具展示会)、
奈良国博京都国博を手掛けた片山東熊、
明治生命館(1)(2)の顧問を務めた曾禰達蔵、
法務省、神戸地方裁判所の河合浩蔵、
神奈川県立歴史博物館の妻木頼黄がいます。
どの建築も、私が大好きなものばかり

 

旧岩崎久彌邸に比べると、少し小ぶりでシンプルに見えますが、
やはり、ジョサイアコンドルの建築は、優雅さや華があります



ジョサイア・コンドルは、ロンドン生まれのイギリス人です。
ロンドンで建築を学び王立建築協会主催のコンペで入賞したそうです。



今は、日本庭園が広がっていますが、
建築当時、敷地の一部には、洋式庭園も造られたそうです。
コンドルは、イギリス王朝の象徴であるバラをとても愛していたそうで、
中央に噴水、周囲をバラで囲った円形花壇を設計したそうです。



塔屋は、最初は3階建てでしたが、
清六氏が、近くを流れる揖斐川を眺めたいと希望したので4階建てとなりました。



さて、ようやく、入り口へ・・・つづく。