![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/cd/0e61d0f9962b923716313d427289e2be.jpg)
一雨ごとに、茨城笠間も、田んぼの季節が近づきます。
そんな折、田んぼの縁にて、スコップ持って、笑うおじさんが一名。
一見したところ、どうもやる気のあるお百姓さんには見えないのですが、大丈夫でしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/ff/b60fb7930a9342aaebbf2390c4e3ae11.jpg)
このお方は、実は、六代目庭師にして陶芸家の、酒井一臣(かずおみ)さんです。
特別に、笠間の陶の歴史に欠かせない、須恵器の窯跡の付近を案内して頂きました。
さっそく、畦の上で、スコップ芸人のポーズ。
ポーズはOKでも、一臣さんの田んぼではありませんから、この後は、口頭での解説です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/44/913246c6339a83d4852736ca97eebb64.jpg)
笠間市の旧笠間地区の東部、青葉の自宅から3キロほどのところに、窯跡はありました。
西向きの粘土質の土手の斜面を利用して、窯穴を掘り、掘った土で須恵器を制作したらしい。
窯の焚口が、この田んぼだというお話です。
あるご縁で、昔、焚口であることを示す確かな物証を、この地で昔確かめたとのお話。
それは、炭化した粗朶(そだ)でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/86/6063610cb3fad7603d562e7e4d2eecc4.jpg)
田んぼに立って、向こうの丘を見ながら、いにしえの陶工さんを思います。
須恵器をつくった始まりは、朝鮮半島渡来の専門集団と推察されます。
当時の先端技術、種籾の壺や調理用の甑(こしき)の陶片を見て、若き日の一臣青年は、心打たれました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/e3/427875fa3cdd2fb8396286354ab378ce.jpg)
丘の上は、栗園になっていました。
雨の中でズームすると、こまめな仕事の薪の山がひとつ。
昔は、薪作りも大仕事でしたから、陶器は、本当に貴重なものでした。
ここにあった窯で焚いたのは、アカマツの薪。
既に当時、このあたりの風景は、アカマツさんだったのです。
半農半陶か、その頃の人々の暮らしぶりにも、想像は尽きません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/6f/148884513b282885e364b7cf301fd84a.jpg)
時は流れて、今は小川の窯跡です。
良い仕事とは、時代の荒波を超えて、人の心を打つ力があります。
私も素人ながら、昔の尊い仕事のひとかけを、一目拝見したいと思いました。
来月、海外の陶芸ファンの方々が笠間に来られます。
市内の有志の方の依頼で、遠来の皆様の地元メンバーのご案内。
この窯跡が、そのコースになるかどうかは未定ですが、一臣さんと準備中です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/61/d66ea7905128694eda08784afa1ba9fc.jpg)
笠間は、大昔から焼物の里でした。
そんな歴史を思いながら、これからの創作と交流の糧にしたい。
一臣さんが、小川でスコップの先を洗い始めましたから、そろそろ時間です。
週の初めから、後ろ姿でごめんなさいの、茨城笠間の春雨でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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そんな折、田んぼの縁にて、スコップ持って、笑うおじさんが一名。
一見したところ、どうもやる気のあるお百姓さんには見えないのですが、大丈夫でしょうか。
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このお方は、実は、六代目庭師にして陶芸家の、酒井一臣(かずおみ)さんです。
特別に、笠間の陶の歴史に欠かせない、須恵器の窯跡の付近を案内して頂きました。
さっそく、畦の上で、スコップ芸人のポーズ。
ポーズはOKでも、一臣さんの田んぼではありませんから、この後は、口頭での解説です。
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笠間市の旧笠間地区の東部、青葉の自宅から3キロほどのところに、窯跡はありました。
西向きの粘土質の土手の斜面を利用して、窯穴を掘り、掘った土で須恵器を制作したらしい。
窯の焚口が、この田んぼだというお話です。
あるご縁で、昔、焚口であることを示す確かな物証を、この地で昔確かめたとのお話。
それは、炭化した粗朶(そだ)でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/86/6063610cb3fad7603d562e7e4d2eecc4.jpg)
田んぼに立って、向こうの丘を見ながら、いにしえの陶工さんを思います。
須恵器をつくった始まりは、朝鮮半島渡来の専門集団と推察されます。
当時の先端技術、種籾の壺や調理用の甑(こしき)の陶片を見て、若き日の一臣青年は、心打たれました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/e3/427875fa3cdd2fb8396286354ab378ce.jpg)
丘の上は、栗園になっていました。
雨の中でズームすると、こまめな仕事の薪の山がひとつ。
昔は、薪作りも大仕事でしたから、陶器は、本当に貴重なものでした。
ここにあった窯で焚いたのは、アカマツの薪。
既に当時、このあたりの風景は、アカマツさんだったのです。
半農半陶か、その頃の人々の暮らしぶりにも、想像は尽きません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/6f/148884513b282885e364b7cf301fd84a.jpg)
時は流れて、今は小川の窯跡です。
良い仕事とは、時代の荒波を超えて、人の心を打つ力があります。
私も素人ながら、昔の尊い仕事のひとかけを、一目拝見したいと思いました。
来月、海外の陶芸ファンの方々が笠間に来られます。
市内の有志の方の依頼で、遠来の皆様の地元メンバーのご案内。
この窯跡が、そのコースになるかどうかは未定ですが、一臣さんと準備中です。
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笠間は、大昔から焼物の里でした。
そんな歴史を思いながら、これからの創作と交流の糧にしたい。
一臣さんが、小川でスコップの先を洗い始めましたから、そろそろ時間です。
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