![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/94/efe713d7c430f1a9b7336c634a6c9ecf.jpg)
岩手の森の続編は、雨の中の碑文から。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/9c/50aabf87f8b5d152bd634e2e2c460011.jpg)
お陰様で先人の遺訓に寄り添い、若木は無事に育ったが。
光陰矢の如しと、わが身振り返りつつ、41年ぶりに青鹿(あおじし)寮仰ぐ。
田野畑に棲むあおじしことカモシカ、その地元の呼称を冠した、木造二階建ての拠点。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/3d/99fdd40619c5bbb8b9f7b506042b800c.jpg)
正面から撮り忘れたので、一枚をトリミングしつつ想い返すと。
雨天時に機能する広い軒端が有り難く、その上はミーティング用に、十分な広さの板の間がある。
大学のセミナーハウスながら、事実上、思惟の森の会の合宿所。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/32/dc8c7fd81e912046e6a068383c70b281.jpg)
二階の北側は寝室だが、睡眠は快適だったと記憶している。
この寮は、敷地と木材は田野畑村の皆様より無償で頂き、大学が建設した。
設計された先生は、ル・コルビジェ(→実例)の日本人の三人の弟子の一人であったとは、記念誌で初めて知った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/dc/253baa084237ca2cbb1356c2e8d5fab7.jpg)
幸い、不勉強を恥じつつ仰ぐ、てっぺんの鐘楼の音は昔のままであった。
さらに昔、寮建設以前の宿の一切は、村の皆さんのご自宅のお世話になっていた。
そのような草創期以来60年近く、高速インターも間もなくつながる時代だが、田野畑の懐は今なお深く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/a2/52d932144d1c55f9c968f5070c58f43f.jpg)
有難き村への再訪を機に、寮の設計者の概念・「不連続統一体」の一端も垣間見(→かなり相似形!)。
現役女子の記念誌記事の助けで、あたらめて実地にも体感させて頂いた次第だが。
ブログ主的には、建築の心臓に相当する部位にある階段の存在が、際立って印象に残った。
それは、玄関に入ってすぐに正面、二階に向けてまっすぐ駆け上がる階段だ。
そこでの記憶を想い返して考えるほどに、村内での二つの階段が連想される。
すなわち、大震災ゆかりの二か所だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/3b/9639fb61376269e3bb7aba3a26acf06d.jpg)
それは、既に書いた、羅賀荘裏手の山に登る避難階段と、賢治の碑とともに残った島越駅の階段なのだが。
荒波越えて、現在の村に植樹すべく設置した現役諸君作の階段を、新潟の草創期先輩は静かに登って行く。
階段や佐渡へと続く天の川、と。(続く)
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お陰様で先人の遺訓に寄り添い、若木は無事に育ったが。
光陰矢の如しと、わが身振り返りつつ、41年ぶりに青鹿(あおじし)寮仰ぐ。
田野畑に棲むあおじしことカモシカ、その地元の呼称を冠した、木造二階建ての拠点。
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正面から撮り忘れたので、一枚をトリミングしつつ想い返すと。
雨天時に機能する広い軒端が有り難く、その上はミーティング用に、十分な広さの板の間がある。
大学のセミナーハウスながら、事実上、思惟の森の会の合宿所。
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二階の北側は寝室だが、睡眠は快適だったと記憶している。
この寮は、敷地と木材は田野畑村の皆様より無償で頂き、大学が建設した。
設計された先生は、ル・コルビジェ(→実例)の日本人の三人の弟子の一人であったとは、記念誌で初めて知った。
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幸い、不勉強を恥じつつ仰ぐ、てっぺんの鐘楼の音は昔のままであった。
さらに昔、寮建設以前の宿の一切は、村の皆さんのご自宅のお世話になっていた。
そのような草創期以来60年近く、高速インターも間もなくつながる時代だが、田野畑の懐は今なお深く。
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有難き村への再訪を機に、寮の設計者の概念・「不連続統一体」の一端も垣間見(→かなり相似形!)。
現役女子の記念誌記事の助けで、あたらめて実地にも体感させて頂いた次第だが。
ブログ主的には、建築の心臓に相当する部位にある階段の存在が、際立って印象に残った。
それは、玄関に入ってすぐに正面、二階に向けてまっすぐ駆け上がる階段だ。
そこでの記憶を想い返して考えるほどに、村内での二つの階段が連想される。
すなわち、大震災ゆかりの二か所だ。
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それは、既に書いた、羅賀荘裏手の山に登る避難階段と、賢治の碑とともに残った島越駅の階段なのだが。
荒波越えて、現在の村に植樹すべく設置した現役諸君作の階段を、新潟の草創期先輩は静かに登って行く。
階段や佐渡へと続く天の川、と。(続く)
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