未来技術の光と影。
SIYOU’s Chronicle




映画『鈴木先生』を観て来た。
http://www.tv-tokyo.co.jp/suzukisensei/

先週の日曜日にシステムの移行を実施して、今週は休めるはずだった。
だが、水曜日に別の顧客に呼ばれ、2月8日までにシステムの改修を『命じ』られた。
見積工数は2週間。専任すれば可能なスケジュールだが、移行システムの問い合わせやらトラブル調査やら、社内案件のデータ作業やら、多くても半分しか時間をかけられない。

無理だ。

なんとか、納期を連休明けに延ばしてもらい、またしばらく、休みがとれそうもない。

こうゆうのが、一番辛い。まあ、あと、半月の辛抱なので(たぶん)なんとか、持ちこたえた(と、思う)。

ずっと、「映画が観たい、映画が観たいと」と唱えながら、折れそうになる心を励まして来た(いや、たぶん、複雑骨折状態ながらも気付かずに生きながらえているだけだ)ので、映画の一本くらいは観ようと思った。

劇場で映画を観ようと思うと、貧乏根性が働いてしまうので、派手なアクションものやSFものになってしまうのだが、今は、観たい映画がない。

唯一気になるのは「鈴木先生」だ。

だが、「鈴木先生なら、DVDでいーんぢゃね?劇場で観るのはもったいない」と、思ってしまう。

土曜日に会社の娘と話をしていて、

「鈴木先生観に行こうと思ってるんだけど。」
「鈴木先生ねぇ...ドラマ2・3回見たけど、良く解んなかった。」
「えー、すっげー面白いじゃん。」
「んー、私には、ちょと。。。照明は綺麗だったけど。」
「え゛っ!!『照明が綺麗』とか解るの?」
「えっ?解るでしょ?」

それは、「解るでしょ、ふつ-。」と言った感じの言い方であった。

「解るのか?ふつうは?」

先日の私の記事で、「鈴木先生 照明」をキーワードに訪れてくれる人が多かったので、自分でちょっと検索してみたところ、私の一つ上に、

「映画 鈴木先生」、傑作。独白テロップ、キャメラワークの多様性、照明、スローモーションといった演出面が全て完璧。選挙における、票を入れる事への責任の在り方や我々若者のドロップアウトを扱った、問題提起満載の充実した脚本にも目から鱗。TVドラマの劇場版? 嘘でしょ。映画そのものだよ。

とのつぶやきがあった。

んー。。。。行くか。

早めに仕事を切り上げて、観に行った。

残念ながら、照明がどう、キャメラワークがどう、と言うのは、全く解らなかった(というか、気にも止まらなかった)。

だがそれは、かつて味わったことのない体験であった。

劇場で観るのと、自宅でDVDで観るのとは、スクリーンの大きさや音響などの物理的な違いだけではなく、いや、それ以上に全く別物であることに、今更ながら実感させられた。

他の物に気を取られることなく、100%全て映画に集中出来る。

没頭する。とか、没入するとか。。。

簡単に言えば、「鈴木先生」の世界にどっぷりと浸かれる。のだが、いや、それ以上の『何か』だ。

今までそこまで実感したことがないのは、それはたぶん、映画が「鈴木先生」だったから。という理由も大きいのであろう。

以前、『ドライブ』の時に、いわゆる「ミニシアター」の存在意義を、スクリーンの大きさのみでどーの、こーのと書いたことがあるが、その時にはそういった小さな劇場で映画を観る人は、自宅でDVDで観るよりは、ちょっと贅沢を味わいたいだけ。と、思っていた。

だがやはり、そこには全く別の体験があり、だからこそ「ミニシアター」があり、だからこそ「ミニシアター」で上映するに足る、特別な映画があるのであろう。

「都内の映画館を制覇してみたい。」と言った趣旨の発言を、満島ひかりがしていたが、それは単にランドマークに旗を立てる作業ではなく、そういったものを含め、劇場全体を体験し尽くしてみたい。との欲求であったようだ。

んー。いーかも。

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