未来技術の光と影。
SIYOU’s Chronicle




フジテレビの「それでも、生きてゆく」を見ている。
http://www.fujitv.co.jp/ikiteyuku/index.html

普段は、あまりドラマを見ない。

帰る時間が遅いので、漠然と何か見ようとすると、深夜アニメか、テレ東の「ドラマ24」ぐらいだ。

たまたま、駅で等身大の「満島ひかり」を見かけた。

これは、見るしかない。

と、録画して見ている。

最初は正直、その設定の突飛さからか、満島ひかりですら、ノリ切れていないような印象であった。

だが第四話にして、本領発揮だ。

カレーの下りから最後まで、何度観ても素晴らしい。

いや、観れば観るほど素晴らしい。

無論、大竹しのぶを筆頭に、このドラマに出演している役者さんが皆素晴らしい。

最後の『日向夏』の軌跡が、また奇跡のようにハマっていた。

CG合成では?と、思わせるほどの素晴らしさだった。

このシーンのために、何テイク撮ったのか?

だが、その結果が、最後のセリフに生きている。

「野茂できた。」

一生忘れられないシーンだ。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする




「書籍「アインシュタイン その生涯と宇宙 下」が機械翻訳だったため回収へ
http://gigazine.net/news/20110730_randomhouse/

読者からのタレコミによると、株式会社武田ランダムハウスジャパンが2011年6月に発売した「アインシュタイン その生涯と宇宙」上下巻のうち、下巻の内容になんと機械翻訳された部分が含まれており、回収騒ぎになってしまったようです。
なお、機械翻訳のまま出版されるというのは極めて珍しいケースなので、ある意味、出版界の歴史に名を刻んでしまった貴重な本になってしまい、逆に今は中古本が高値になるという事態になりつつあります。


あってはならない、いや、あるえるはずのないことが現実になってしまったようだ。

機械翻訳

既にマイクロソフトはオンライン上の技術情報などを機械翻訳のままで公開しているが、それはあくまでも情報を見つけるためのプレビューとしての位置づけであり、詳しい内容は原文を見ろ。といった姿勢が顕著だ。

日本で発売される書籍で、一部とはいえ、機械翻訳された文章がそのまま出版されてしまったというのは、恐らく初めてであろう。

現時点では(日本語の体をなしていないレベルであるので)すぐにそれと解ってしまう機械翻訳であるが、将来的には、人が現在手作業でしているレベルの翻訳が、コンピュータによる自動翻訳に取って変わる日がくるかもしれない。

チェスの名人に必要な素養とは、先天的に頭の回転が速く、何手も先を一瞬にして検討してしまうような能力よりも、多くの指し手を知っていることがの方がより重要だ。との記事を読んだことがある。

恐らく、パターン認識能力の一種により、その局面に似た状況を、自分の知っている棋譜から何通りかを瞬時に導きだし、実際に検討するのはその限られた棋譜の内のさらに限られた指し手のみと思われる。

いかに的確な棋譜を探し出せるか?が勝敗の鍵を握っているのではないのか。

この棋譜を検索する能力は、意識下で行われ、結果のみが意識上に伝達される。

人間の脳の90%は使用されていないという説があるが、恐らくこのような膨大なバックグラウンドの処理が、脳全体で絶えず行われているのではないかと思われる。

その点、人間に勝ったとはいえ、力ずくで何十手も先までを検討し尽くして、回答を得るようなプログラムは、まだまだ人間の知能の一部のみしか模倣していない。

自動翻訳もそうであろう。

文章を、名詞/動詞/形容詞などに分類し、出現順序に当てはまる文法を決定し、それをもう一つの言語に置き換えて行く。そういった、ロジカルな方式が、まだまだ主流であろう。

その方式は、外国語を翻訳する際に、人間が(もっと言えばプログラム開発者が)どう行っているかをプログラムの仕様としたために、採用された方式だ。

意識下で行われている作業については、何が行われているのか認識できないので、「翻訳の仕方」を頭で考えた場合の仕様に含まれることはない。

機械翻訳を実用レベルのものにするためには、膨大な例文のなかから、パターン認識的にその場に適合したものを抽出し、それを参考にしながらロジカルな検証を適合して行く。という方式が必要であろう。

自動翻訳においてブレイクスルーを起こすのはやはり、膨大な文章の蓄積と、パターンに適合したものを瞬時に取りだすとう技術に卓越しているグーグルではないかと思う。


「この本は機械翻訳された文章が初めてそのまま出版された、記念すべき本なんだよ。」
「始めてって?それまでは、どうやっていたの?」
「もちろん、人が全て翻訳していたんだよ。」
「英語と日本語の両方話せる人が?」
「あぁ、そうだよ。」
「全部のツイートも?」
「いや、さすがにそんなものをイチイチ翻訳は、してなかったけどね。」
「それじゃあ、外国の人とは、おはなし出来なかったの?」
「昔の人は、多かれ少なかれ、英語が読めたからね。」
「それは、ごく、一部の特殊な人達でしょ?」
「いや、昔は学校で、ちゃんと英語の授業があったんだよ。」
「学校で?」
「ああ。」
「全員が?」
「うん。」
「授業でちょっと勉強したくらいで、英語が喋れるようになるの?」
「中・高だと週に5~6時間は英語の授業があったし、小学校から大学までの10数年くらいは、皆、勉強してたよ。」
「じゃぁ、お父さんも、英語喋れるんだ。」
「いや、結局、学校の授業だけで話せるようになる人は、ほとんどいなくて、大人になってからも、英会話教室とか通って、みんなかなり努力してたよ。」
「そんなすごい時間が、翻訳するために使われていたなんて、凄いもったいないと思わなかったのかしら?」
「あぁ、今考えると、ぞっとするよ。英語の学習に費やした膨大な時間を、もっと有意義な時間に当てられたはずだとね。」
「この本が、そうゆー教訓を教えてくれるのね。」


だが、自動翻訳には、大きなネックがある。

固有名詞はもちろんのこと、その国にはない、翻訳不可能な概念を表す言葉を、どう翻訳するべきか。

開国の前後、急激に外国語が入って来た日本では、日本語にない言葉を表わす手段として、新しい日本語が作られた。杉田玄白の『解体新書』などが好例だ。

今の時代ではコンピュータ用語を始め、新たな概念は外国語のカタカナ表記が、そのまま日本語となることが多い。

やたらとカタカナ言葉を使うことに対して閉口する向きもあるが、慣れてしまえばその方がしっくりする。

「クラウド」を「雲」と訳しても、その真意は伝わらない。

文中に「クラウド」という見慣れない言葉が現れた場合、それは今まで日本語にはなかった概念であることを察知し、意味を調べるという行為が必要となる。

これに適当な日本語の造語を付けることは可能であるが、それが文中に現れた場合に、その意味を調べなければならないことに変わりない。

今後の自動翻訳では、「これは、この国の言葉にはない概念である。」ことを翻訳システムが察知して、そのままカタカナ表記で乗り切ることで、ほぼOKな気がする。


「お前さ、外人相手だと、妙に口調が固くなるよね。」
「いや、部長こそ、アメリカ人相手に、おやじギャグ言っても、通じるはずないですねよ。」
「知らないのか?最近の自動翻訳は、ダジャレでも、それなりに翻訳してくれるんだよ。」
「そんなわけ、ないですよね。」
「いやいや、現にスティーブとか、いつもウケてくれるし。」
「・・・え゛っ?知らないんですか?」
「何がだね?」
「スティーブは、日本語話せるんですよ。ってゆーか、いつも日本語話してますよね。」
「あれ、本人が話してるのか?」
「そりゃ、そーですよ。一体、誰が話してると思ってたんですか?」
「新らしい自動翻訳装置を使ってるのかと思ってたよ。」
「そんなわけ、ないですよね。ってゆーか、話している言葉と、唇の動きが、完全にマッチしてますよね。」
「いや、だからさ、いつも『良く出来てるなー』って、感心してたんだよ。」
「だいたい、ダジャレの翻訳って、原理的に無理があると思いませんか?」
「でもアメリカ人相手に、日本固有の言葉を使っても、ふつーに通じるぞ。」
「日本にビジネスに来ている外国人は、ちゃんと日本の文化とか勉強してますからね。」
「そうなんだ。」
「最近の自動翻訳は、翻訳不可能な言葉の場合、そのままカタカナ表記ですよ。逆もそうですね。」
「そうなのか?」
「たとえば、ネット用語で、ショックが大きすぎて何も考えられなくなっているような状況に追い込まれていた人が、寄せられたメッセージに勇気付けられて、『もう大丈夫。とまでは行かないけど、なんとか、なりそうな気がしてきた。』というような微妙なニュアンスで使用する『野茂できた。』とかは、英語圏でもそのまま『NOMO DEKITA』で通用するんですよ。」
「なんで、そんなこと解るんだよ。」
「いや、自分、英語喋れるんで。」
「・・・うそだろ?」
「いや、本当ですよ。」
「日本人でも英語喋れる奴っているんだ。そんな、必要もないもののために、どれだけ時間無駄にしたんだよ。」
「いや、うちって、父親がアメリカ人なもので。」
「・・・そうだったのか。」
「ええ。」
「どうりで、良く一緒にいると思ったよ。」
「・・・一応言っときますけど、父親ってスティーブじゃありませんからね。」
「え゛っ!違うのか?」
「どんだけ、バイリンガルが希少種だと思ってるんですか?」

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする




「Google」は人の記憶能力を低下させるか
http://wired.jp/2011/07/15/%e3%80%8cgoogle%e3%80%8d%e3%81%af%e4%ba%ba%e3%81%ae%e8%a8%98%e6%86%b6%e8%83%bd%e5%8a%9b%e3%82%92%e4%bd%8e%e4%b8%8b%e3%81%95%e3%81%9b%e3%82%8b%e3%81%8b/
検索エンジンとネットのおかげで、ほとんどの事実は記憶する必要がなくなった。しかしこのことは同時に、われわれの記憶能力に影響を与えている可能性がある。心理学実験を紹介。
新しく学んだ事実をコンピューターに記録した場合、その事実を思い出す確率が下がるという。つまり、オンラインでいつでも便利に入手できると思えば、それについて学んで記憶する意欲が下がるのだ。


単純に実験結果のみを判断した場合、

コンピュータに記憶される→記憶する必要性が薄いと判断→覚えようという集中力が落ちる→記憶率が下がる。

とのロジックから、それほど目新しいことを言っているようにも聞こえない。

『交換記憶』

原語では「Transactive Memory」であり、文中でも『対人交流的記憶』とも訳しているが、筆者が主張してるのは、もう少し別の視点だ。

前述の流れで、『記憶する必要性が薄いと判断』するためには、

①ある物事について、それを自分が覚えなくとも、誰に聞けば良いかを自分が知っている必要がある。

②「誰に聞けば良いかを自分が知」るためには、「その者がその事項について知っている」ことを自分が知る必要がある。

③そのためには、ある状況において、「○○については、彼が覚えた。」ことを、いちいち「これ、ちゃんと覚えた?」と確認しなくとも、その場の相手の表情などから的確な判断を下す能力が必要だ。

つまりは、高度にコミュニケーション能力に優れた『ヒト』という動物のみがもつ行為であり、もっと言えば、コミュニケーション能力の高いものほど、この傾向がある。との論点が読み取れる。

だが、はたしてそれは、人類のみに許された、それほど高度な能力なのであろうか。


「さっきの話だけどさ、含有率は、どれくらいって、言ってたっけ?」
「・・・すみません、後で資料見れば解ると思って良く聞いてなかったんですが、業界では一番。のようなお話しぶりでしたよね。」
「俺はさ、きっとお前のことだから、その手の数値はちゃんとメモしてるだろうと思って、良く聞いてなかったんだよね。いつも、そういう情報って、後でお前に聞けばすぐに答えるだろ?」
「いえ、ですから、自分の場合、帰社してから資料で確認してますので。」
「えっ?いつも熱心にメモしてるだろ?今日もお前がメモしてるの見えたから、安心して聞き流してたんだよ。」
「その場でメモ撮ってるのは、『○○の数値について後で確認。』みたいな内容です。」
「ばかじゃないの?お前。わざわざそんなメモ撮るぐらいなら、直接数値をメモした方が早いだろ。」
「含有率の値に限ればそうかもしれませんが、相手の話の疑問点など、すぐにその場で確認できないような内容について、覚書をメモしてるんですよ。」
「くどいようだけど、含有率に限って言えば、聞き逃したんなら、その場で聞き直しても問題ないだろ?」
「正直、含有率の所で、先方の話しぶりに、何か引っかかるものがあったんで、後で確認したかったのは、そういうことなんですよ。」
「『そういうこと』って?」
「あの手の商品で、ふつー、『含有率』って言いませんよね?恐らく『含有率』では業界一位かもしれませんが、もっと一般的な表現をすると、決してそれほど訴求力のある商品ではないのではないか?と、疑問に思ったものですから。」
「そうなのか?」
「えっ?いや、ですから、部長が私に含有率についてお尋ねになったのは、部長も何か引っかかることがあったんで、気になられたからではないんですか?『さすが部長だっ!』って、実は感心していたんですが。。。」
「いや、まぁ、それはそーなんだけど。」
「そーですよね。何か、引っかかる言い方でしたよね?」
「そーだな。・・・ところでさ、『含有率』って何だね?」


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする




クリーンエネルギーは誰を救う?
http://wired.jp/2011/06/10/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E3%81%AF%E8%AA%B0%E3%82%92%E6%95%91%E3%81%86%EF%BC%9F/
Co2を極力排出せず、ましてや原子力でもない、いわゆる「代替エネルギー」への期待が日に日に高まっている。しかし現状は、まだ決定打が見つかっていない状況といえるだろう。そんななか、「ある日突然」代替エネルギーへのシフトが決まるかもしれない。その理由とは……。

私のお勧めは「マグネシウム燃料」だ。

「燃料」という言葉から、マグネシウムを発火させて、その爆発力で内燃機関を稼働させるような印象を受けるが、実際には酸素と反応させて、電力を取り出す方式が主流と目されている。

マグネシウム顆粒をパッケージ化して電池のように扱えば、スタンドではパッケージの交換にて充電が完了する。

回収した酸化マグネシウムを太陽光隆起レーザーにて還元するので、クリーンなサイクルが出来あがる。

始めてこの記事を読んだのは、2007年の日経サイエンスであった。その後、大分経っているが、実用化されたとのニュースを聴かない。記事を読んだ限りでは、既知の技術を修練させることにより、実現可能なようであった。

何よりも素晴らしいのは、車の燃料として使用する場合、蓄電池代替機器となるので、今後発展して行くであろう、その他の電気自動車向けの技術が、そのまま生かせることだ。

思ったよりも技術が難しいのか。

いや、これが実現した場合、文字通りのエネルギー革命であり、既得権益を巡る勢力図が大きく変動する。石油産油国は元より、世界のトップ企業の殆どを占める石油・ガス関連企業が黙って指を咥えているはずがない。

膨大な利権、既得権益との「しがらみ」が、技術面以上に、行く手を阻んでいるのかもしれない。


「太陽光隆起レーザーにて、電力を使わずに海水から真水を取り出し、残った塩分からマグネシウムを取り出すのですね。」
「ええ。その通りです。」
「残った大量の塩分はどうするんですか?」
「それは海に戻さないと、海水が真水になってしまいますね。」
「ですが、それですと、苦労して分離した塩分を、何度も同じ手間をかけて、分離し直すことになりませんか?」
「それは、致し方ないことと、諦めております。」
「プラントごと船に積んで、塩分は後方に廃棄しながら航行すれば、海水中のマグネシウムを、すくい取るような感じで、効率の良い生産が出来ませんか?」
「船と言っても、タンカー程度では不十分ですし、公海上の海水から、勝手に資源を取り出すのは、問題があるのではないでしょうか?」
「では、いっそうのこと、タンカー100隻分程の人口島を建造して、独立国にしたらどうです?」
「人工物では、領土として認められないでしょう。」
「では、島一つ買い取って独立国にし、そこにプラントを建設して、後から島が勝手に大洋上に漂流したことにすれば、問題ないのでは?」
「『ひょっこりひょうたん島』みたいに?」
「えぇ。『ひょっこりひょうたん島』みたいに。」
「・・・なるほど、それなら行けそうですね。膨大な税金対策や、既得権益に雁字搦めになった省庁との揉め事も、一挙に解決ですね。」
「では、早速取り掛かって下さい。」
「承知致しました。20年ほどで頂ければ、実現可能でしょう。」


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする




クルマの未来、視界良好?
http://wired.jp/2011/06/10/%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%81%AE%E6%9C%AA%E6%9D%A5%E3%80%81%E8%A6%96%E7%95%8C%E8%89%AF%E5%A5%BD%EF%BC%9F/
世の中の気分として、ガソリン車から代替燃料車へのシフトは、もう避けられないトレンド。とは言うものの、リチウムイオン電池を軸とする現在のEVの方向性だけに、未来を託すのはちょっと心許なくないだろうか? FC(Fuel Cell)、ニッケル水素、鉛バッテリー……。未来のクルマのあるべきカタチとは?

グーグルが一般道での無人車両の通行許可を取り付けた。もはやコンピュータ制御による、文字通りの『自動車』という流れを止めることは出来ない。

自動運転が主流となれば、一部のマニアを除いて、車の外観への拘りや、車を所有することへの拘りは薄れて行くものと考えられる。

個人の所有するのは、60cm四方程度のシートのみだ。

家から出発する時には、車載され、通常のシートして利用される。

最寄りのステーションに到着したら、車から車両にシートごと自動移載され、都心部へ向かう。駅からオフィスまでは、また車に乗っても良いし、ビル内のオートメーションで、自分のオフィスまで運ばれても良い。

もはや、「クルマ」の概念から大きく逸脱している。「人を荷物のように運ぶのか?」との
抵抗も最初はあるかもしれないが、慣れてしまえば、これほど効率的なことはないであろう。常備薬を始め、身の回りの必需品は、シートの下部に収容したままでOKだ。

車を自動制御するにためには、コンピュータは元より、各種のセンサーに確実に給電する必要がある。大容量のバッテリーか必須だ。

だとすれば、メインの稼働系動力にも、そのまま電力を使おうとするのがシンプルであり、時代の流れは確実にそうなるであろう。それが充電池になるのか、燃料電池のようなものになるのか。それはまだ今後の課題だが、私の一押しは「マグネシウム燃料」だ。


「すごいっすね。この島、本当に先輩んちなんすか?」
「あぁ、言ったろ。うち、金持ちなんだよ。」
「それにしても此処って、サンダーバードの秘密基地みたいっすね。」
「ギクっ。」
「『ギクっ』?」
「あっ、いや、そのー、気付いちゃった?」
「『気付いちゃった?』って?」
「うちさ、国際救助隊なんだよね。」
「国際救助隊?」
「2号の格納庫見る?」

・・・

「マジかよっ、ちょーカッコえー。触ってもいーすか?」

タッタカター♪タララッタ~、タッタカタッタぁーたー♪

「こっ、この曲は?」
「出動要請だ。走るぞっ。」
「走るって、何処、行くんすか?」
「本館だよ。」
「崖の上の?」
「あぁ。悪いが緊急事態なんだ。早くしてくれっ!」
「いや、緊急なら、ここから乗ればいーんじゃないすか?」
「だからさ、『シート』は、リビングにあるんだよ。」


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする




Googleも参入したスマートグリッドに死角なし?
http://wired.jp/2011/06/10/google%E3%82%82%E5%8F%82%E5%85%A5%E3%81%97%E3%81%9F%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%89%E3%81%AB%E6%AD%BB%E8%A7%92%E3%81%AA%E3%81%97%EF%BC%9F/
そう遠くはない未来、われらの身近なインフラとして、社会をくまなく覆っていると予測されるシステムのひとつが、「スマートグリッド」。脱原発の切り札としても期待されているこのシステムとは、そもそも何なのだろうか。本当に夢のシステムなのか? 夢の裏側に潜む闇に目配せをしつつ、スマートグリッドの是非をいま改めて問う。

「スマートグリッド」

技術的な解説だけ聞いていると、それは必然のもののように聞こえる。

だが、正直、ピンとこない。

ある程度限定された地域内での電力の遣り取りを考えた場合、天気が悪ければ、太陽光発電設備を供えたどこの世帯も一様に電力不足に陥るし、風のない日の風力発電も同じだ。

スマートグリッドが有効になるためには、各世帯ごとの発電設備の拠り所が、多様性に富んでいる必要がある。

だが現時点で、家庭で設置できる発電設備など、太陽光に限られているのが現状だ。

スマートグリッドを有効なものにするためには、一般家庭で使用可能な、もっと多様性に富んだ発電設備を開発する必要があるではないだろうか。


「この夏の節電対策はお済でしょうか?」
「私はエアコンが苦手なので、殆ど問題ありませんわ。」
「しかし、ご近所の皆さまが全てそうとも限らないでしょう?最近ではスマートグリッドの普及で、ご近所同士で余剰電力を分けあうのが義務のようになっていませんか?」
「えぇ。近所から要請があると、たまには協力してあげないといけないんですが、結構面倒なんですよね。」
「そこで、弊社の『発電機能付きエアロバイク』です。まさに『ダブルスマート』。ダイエットをしながら発電も出来るという、夢のような製品となっております。」
「ですが私は、ほら。それほどダイエットを必要としておりませんのよ。」
「ええ、もちろんです。実は弊社のHPにも掲載しておりませんが、そのような奥様向けに、特別なアタッチメントを追加することができます。」
「何ですの?それ。」
「『電動アシスト機能』です。」
「それ、良いですわね。一台頂くわ。」
「・・・あの。『そんなの、意味ねーだろ。』とか、突っ込まれないんですか?」
「『利得』と言うんでしたっけ?入力されたエネルギーより、出力したエネルギーの方が上回っていれば、その行動には電力不足への貢献という意義が、十分あると思います。またそれが、運動をしようという動機付けにもなりますし、御社の掲げている『ダブルスマート』という標語にも、そういう意味が込められているのではありませんか?」
「ええ。正にその通りです。」
「正しい知識を近所のコミュニティで分かち合う。これが出来て始めて、スマートグリッドと呼べるのではないでしょうか。」


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする




神のみぞ知る、夢のジュークボックスの行方
http://wired.jp/2011/06/10/%E7%A5%9E%E3%81%AE%E3%81%BF%E3%81%9E%E7%9F%A5%E3%82%8B%E3%80%81%E5%A4%A2%E3%81%AE%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%9C%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%81%AE%E8%A1%8C%E6%96%B9/
好きな音楽を、いつでもどこでも聴ける環境が欲しい、大好きなバンドと似ている曲に、思いがけず出会いたい……。そんな欲求を満たしてくれるサーヴィスとして今後注目したいのが、クラウド音楽配信。発表されたばかりのiCloudを筆頭に、Amazon、Google、Sonyなど、現在、最も熱いバトルが繰り広げられているこのフィールドを制するのは誰なのか?

「ジュークボックス」

既にレコードを持っていて、家では好きなだけ聞くことが出来る曲を、私の場合には大音量で聴きたいがために100円を投入していた。

当然、回りの人にも私が何を聴いているかを知られることになるし、「そんな曲、かけるんじゃねーよ。」と思うこともある。

ある意味、音楽の再生をかけた駆け引きには、ちょっとした人間ドラマがあった。

聴きたい音楽がすぐに手に入る環境。それは人類にとって、幸せなことなのであろうか?


「あのぉ。」
「はい?」
「同年代とお見受けしましたが。」
「ええ。バブルを謳歌した世代ですよ。」
「実は私、ずっと聴きたい曲があるんですが、ご協力願えませんか?」
「何です?」
「『Why You Treat Me So Bad』です。」
「『Club Nouveau』の?」
「ええ。」
「いいですね。あれは、名作ですよ。私のプレイヤーにも入ってます。」
「PV見たことあります?」
「・・・そう言えば、思いつかないですね。」
「私、一度見たことがあるんですよ。渋谷のビリヤード場にあった、当時出たばかりのLD搭載の『絵の出るジュークボックス』でした。曲のイメージに合った素敵な映像だったとの印象だけ残っています。」
「Youtubeとかで見れないんですか?」
「色々探してみたんですが、ネットのは皆『ジャケ写』ばかりで、当時のPVが見つからないんです。あちこち探して、やっとこの店で、昔ながらのマシンを今仕様に改造したものを見つけたんですよ。曲もちゃんと収録されています。」
「『プライバシー保護条例』が強化されてから、公共の場では一人の趣味だけでは、望む楽曲がかけられなくなりましたからね。」
「ええ。どうです?1ポイント投票して頂けませんか?」
「今、どのくらいなんです?」
「997ポイント。後少しなんですよ。」
「お話を聞いていて、私も一緒に聴きたくなりました。今月分の3ポイント、全て提供しますよ。」
「ありがとうございます!」

・・・

「・・・『ジャケ写』でしたね。」
「・・・えぇ。」
「大丈夫ですか?」
「たぶん、一人だったら、もう立ち直れなかったと思います。ですが、趣味を同じくする人と素敵な時間を過ごすことが出来ました。」
「私も同感です。どうします?また、どこかで探してみますか?」
「そうですね。その時はまた、声をかけさせて頂きますよ。どんな曲でも簡単に手に入るようになったら、人生は孤独なものになってしまいそうですね。」


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする




プラチナバンド争奪戦、行方はいかに
http://wired.jp/2011/06/10/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%81%E3%83%8A%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%89%E4%BA%89%E5%A5%AA%E6%88%A6%E3%80%81%E8%A1%8C%E6%96%B9%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%8B%E3%81%AB/
7月24日の地デジ化への完全移行(=アナログ放送終了)に伴い、「プラチナバンド」と呼ばれる周波数上の超一等地が、ぽっかりと空くことになった。その跡地に収まるのは、一体誰なのか? ソフトバンク? イーモバイル? それとも? しかし、問題はそれだけには止まらない。「公共」であるはずの周波数を営利目的で使う以上、「使用料」を払うべきではないか、という声が上がっている。いわゆる「周波数オークション」だ。

「周波数」は、いったい誰のものであろうか?

人類が勝手に使い切って良いものであろうか?

仮に、人類が全て使って良いとしても、携帯電話などという限定されたサービスのためだけに、貴重な周波数を浪費してしまって良いものであろうか。

携帯電話が普及してまだ30年ほどだ。もし、それ以前に人類の使用できる周波数が埋め尽くされていたとしたら、今の世の中は、だいぶ変わったものになっていたに違いない。

営業目的に電波を使用する者は、やはりその使用料を支払うべきであるし、学術目的で使用するための無料の枠もまた、温存しておかなければならない。


「どうでした?」
「1周波数帯だけ、SETIのために温存しておくことが認められたよ。」
「かろうじて。ですね。で?」
「217.25MHzだ。」
「それって...」
「あぁ、『テレビ東京』だよ。」
「テレ東1局のみですか?」
「あぁ、そうだよ。アニメなら言葉の障壁がないから、伝わり易いとの判断らしい。」
「それは、他言語への吹き替えが容易だ。ってだけでしょう?」
「あぁ、だからこの夏から、副音声で宇宙語に吹き替えをするそうだ。」
「・・・宇宙語って、なんです?」

・・・

「本当に来ちゃいましたね。宇宙人。」
「あぁ、でもなぜ、セーラー服姿なんだ?」
「少なくとも、ちゃんと地球のテレビ放送は研究してくれていたみたいですね。手に持ってるビンみたいなのは、何でしょうね。」
「まずいぞ、まさか、『マジすか学園』じゃないだろうな。」
「なんです?それ?」
「敵を一人倒すたびに、花びらを一枚ずつ食べる。ってシーンがあるんだよ。」

・・・

「街一つで、花びら一枚でしたね。あと、何枚残ってるんですかね。」
「そんな、呑気なこと言ってる場合じゃないぞ。お前さ、行って、あいつと友達になってこい。」
「はい?」
「『お前は、私のダチだ。』って言って、しっかりと抱きしめてやれ。」
「そんなこと、通じるはずないじゃないですか。」
「大丈夫だ。このパーカーをあいつに着せ、それと、お前はこのセーラー服な。」
「勘弁して下さいよ。これってきっと、世界中に中継されてますよ。」
「全宇宙に。だよ。任せたぞ、『センター』。」


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする