未来技術の光と影。
SIYOU’s Chronicle




海老蔵さんら銀座パレード=歌舞伎座の新開場記念(時事通信) - goo ニュース

オフィスは銀座だ。

朝、エレベーターで、他の階の娘2と一緒だった。

「今日、なんかあるんでしょーか?」
「あー、人がいっぱいいましたよね。なんでしょ?」
「なんか、パレード的な??」

ちょっとボケてやろうと思ったのだが、イイのが思いつかない。

『海援隊のパレードですよ。』
「カイエンタイって?」
『知らないですか?武田鉄矢の。』
「武田鉄矢の?」
『Jっ!O-っ!D-っ!ANっっ!!』


「なんですか、それ?」と、聞いてくれればまだしも、黙殺されるだけであろうとの結果が見えているので、一歩が踏み出せなかった。

さて、マジメに何だったか。。。聞いた覚えがあるのだが、思い出せない。

オリンピックでも、野球選手でもないな。それは、もう、終わった。

気になったので、調べてみた。

「染五郎ら登場!歌舞伎座3・27銀座パレード」

『染五郎ですよ。』
「ソメゴロウ?あー、なんか、昔の人ですよね?」
『昔の人?(歌舞伎の人って意味か?)まぁ、そーとも言えますね。』
「傘をクルクル回す人ですよね?」
『いつもよりよけーに、回してます?』
「あーそれです。」
『それは、染之助&染太郎ですよ。」

ちょっとは、会話が弾んだかも知れない。

海老蔵は観てみたい気がする。中車は来ないのか?

メタボがかなり進行してるので、腹を覗き込んで、嗤って欲しかった。

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ディスカスに入った。月980円4本までのコース。

「あの夏、いちばん静かな海。」「ソナチネ」がツタヤ店舗になかったので、しょうがなく入った。

入会して直ぐに、「今だけ旧作100円」キャンペーンをしていたので、北野全作品を一気見しようと借りた。

あー、無謀だったね。とても見きれない。

旧作と言いながら、「ソナチネ」以前は単品レンタルできないので、「あの夏~」がまだ、到着していない。

しかだないので「ソナチネ」と「みんな~」を観た。

「ソナチネ」は好みだ。この感じに慣れたのか、そもそも好みだったのかは、良く解らない。

ただ、公開当時に観たらたぶん、良さが解らなかったと思う。

だが、「みんな~」は、ダメだ。

ギャグは面白いのだが、映画としてどうなのか?が、良く解らない。

面白い/面白くないの前に、「良く解らない。」の状態に陥ってしまう。

そして「ソナチネ」なんだが、観たばかりなのでそう感じるだけなのかも知れないが、「『パルプフィクション』って『ソナチネ』のパクりぢゃね?」。。。

公開が「パルプ~」が「ソナチネ」の1年後だし、ずっと温めていた脚本らしいのでそんなはずはないのだが、そのなんと言うのか、コンセプトと言うのかスタイルと言うのか、そー言った感じが全く同じだ。

「ソナチネ」のハリウッドリメイク版だと言われても、違和感はない。

「みんな~」も、映画でここまでバカなことをしても良いんだ。という限界を、武は全く意に介さず、いや、あえて自分の好き勝手にやってしまったのに対し、タランティーノは「キルビルVol.1」が限界だ。

タランティーノは(「キルビルVol.1」では)、好き勝手にやりながらも、皆も楽しんでくれるはずだと思っているが、武はそうは思っていないのではないのか?どちらかと言うと芸術家扱いされることへの抵抗ではないのか?

俺の映画が面白いのは、芸術だからじゃない。面白いから、面白いんだよ。と。


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『ジャンゴ』を観た。
http://www.sonypictures.jp/movies/djangounchained/

痛快だ。

『イングロリアス・バスターズ』よりはタランティーノ色が控えめで、一般の人(?)が観ても、楽しめると思う。

それでいてやはり、タランティーノファンにはタマらない、タランティーノ全開の映画だ。


最近、いくらか余裕が出て来た。

相変わらず、ロクに休みを取れないが、週末にDVDを借りて観る。ぐらいは出来そうだ。

そう思って、ここ最近の念願だった、北野武監督作品を、一から見直そうと思った。

良く考えると、ちゃんと観たことあるのは、「アウトレイジ」の2本ぐらいだ。

根がヒネクレ者なので、世間一般が褒めるものなど、面白いはずがない。と、思っての、食わず嫌いであった。

だが、「アウトレイジ」はとことん面白いし、以前、出張先のホテルでたまたま途中から観た映画がとても良い感じで、

「あー、邦画でも、いー感じのがあるんだなぁ。」と。
「あー、見逃してる作品が、きっと沢山あるんだろーな。」と。

そう、つくづく思ったのが北野武監督作品(キッズ・リターン)であったことを後から知って認識が変わったのだが、10年以上もほったらかしであった。

DVDを借りるのは久しぶりだ。

「アウトレイジ」とか「十三人の刺客」とかを借りたのが最後の気がする。

いつもはGEOに行く(こちらの方が安い)のだが、品揃えはTSUTAYAの方が良い気がしているので、TSUTAYAに行った。

値下げしているのに驚いた。そう言えばもう一軒あったTSUTAYAが、GEOが値下げを始めてじきに潰れてしまったことがあったので、価格競争は必定なのであろう。

無事、「その男、凶暴につき」と「3-4X10月」を借りた。

多分、公開当時に観ていたら、その良さが解らず、細部にチャチャを入れて全否定していたと思う。

だが今回は十分に楽しめた。いや、非常にお気に入りだ。

なんなんだろうな。この違いは。

それが、4週間ほど前であったのだが、返却がてらに「ソナチネ」を借りようと思ったのだが、置いてなかった。

え゛っ?ないの?どーして??

しかたがないので、最近気になっていた「東京ソナタ」を借りようと思ったのだが、こちらもない。

んー。。。

一気に、無力感が募った。

なんか、他に観たいのなかったかなぁ。と、棚を見回してみたが、そもそも邦画が全体の1割ほどしかない。

TSUTAYAも様変わりした。落剝の気配漂う。

価格競争に陥ると、ハケる商品しか置けなくなるのか?と、寂しかった。

映画が好きな人は、もう、店舗へは来ないのか?

ディスカスか、DMMに入ろうかと検討したが、月額2,000円は痛い。

GEO換算なら、40本観ないとモトが取れない。

貧乏根性が頭を擡げる。決断が付かない。

昨夜は買ったまま放置してあった「パルプフィクション」を観た。

時間的にちょっと無理があるので躊躇したのだが、もう、なんか観ないと気がすまない状態であったので観始めた。やはり、第二章で中断してしまったが。。。

んー、でも、面白いよね。これ。

改めて、タランティーノ色全開だと、実感した。

で、今日、これ(ブログ)を書き始めたきっかけなんだけど、

『パルプん時のユマサーマンてさ、満島ひかりに似てね?』

どー、思います?

いや、なんかずーっと、満島ひかりとダブってしょうがないんだけど。

ネットで検索してみたが、そー思っている人が他にいないみたいなんだけど、これは、もう、

「いや、本人でしょ?(どっちが?)」

と。

「ふつーに、同一人物でしょ?」

と、いったレベルだ。

あっ、断っておくけど、しぐさとか、表情とか、喋り方とか(英語版で観てるけど)なので、画像だけ検索してもダメだからね。

なんか、ユマサーマン観ていて、満島ひかりに口説かれているような、そんなドキドキした感じがするんだけど、なぜ??

なぜ?

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リリー・フランキーで正解。


『ミエリーノ柏木』


ドラマと現実。各話の登場人物。各話のエピソード。

それらが絶妙にリミックスされ、自由闊達にテンポ良く行き来する。

音楽で言えば、クラブでのDJプレイのノリか。

斬新な構成でありながら、決して実験的ではない。

正直、秋元康では、違和感があった。

せっかくのアクトが、そこで分断され、他から隔離されている印象が拭えなかった。

唐突感。だ。

足が止まる。

リリー・フランキーは、ビートが同じだ。

今回、観ていて強く感じた。

これは、傑作に違いない。いや、大傑作だ。


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木村太郎キャスター降板 フジ低迷打破へ(日刊スポーツ) - goo ニュース
http://news.goo.ne.jp/article/nikkangeinou/entertainment/p-et-tp0-130302-0012.html

 昨年、年間平均視聴率3位(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と苦戦したフジテレビが1日、都内で4月改編記者発表会を行い、再浮上への改革案を発表した。看板報道番組「スーパーニュース」(月~金曜午後4時50分、関東ローカル)の放送開始時間を20分繰り上げ、同番組で13年間キャスターを務めた木村太郎氏(75)は今月いっぱいで降板。料理番組「アイアンシェフ」(金曜午後7時57分)も、今月で終了することになった。

『アイアンシェフ』

先週の「ラーメン対決」と言い、今回の「パティシエ対決」と言い、普通にやればこれほど面白い番組はない。

なぜ、これほどまでに面白い番組が、わずか半年で終了しなければならないのか。

アイアンシェフが始まる前は、Dlife の「Top Chef」を観ていた。

正直、「料理の鉄人」を懐かしむ余りの代用品的な感じで見始めた。

面白くないことはないのだが、どちらかと言うと「リアリティ番組」的要素に重きを置いているのと、作られる料理の見た目と言うか、料理の基本構成自体には、それほどの独創性が感じられないため、観ているだけではその凄さが伝わってこない。

『トム・コリッキオ』が「この豚肉の火の通し方は完璧だ!」と絶賛しても、『有名料理雑誌編集長のゲイル・シモンズ』が「風味がとても豊かだわ。」と絶賛しても、テレビを観ているだけでは、そうでない料理との区別が付けられない。

それに引き換え、前回の「ラーメン対決」にしろ、今回の「パティシエ対決」にしろ、料理が無限であることを、まざまざと魅せ付けてくれる。

それは、「料理の無限の可能性」と言った抽象的な概念の提示ではなく、その言葉から一般人が想像できる限界を、遥かに凌駕した次元での実体化だ。

番宣で起用されたタレント審査員にかなりの批判があったようだが、的確に人選すれば、ちゃんとコメント出来る人はいくらでもいるであろう。

前回の船越英一郎は流石であったし、今回の海老蔵も「パティシエ対決」の審査員に絶妙にハマっていた。

そして、今回の多部未華子の幸せそうな表情は、秀逸だ。それを観ているだけで、こちらまで幸せになってくる。

普通のグルメ番組では絶対に見られない顔だ。

たとえ、多部未華子が普通のグルメレポートをしたとしても、決してあのような表情を見せることはない。

視聴者に料理の美味しさをいかにして伝えたら良いのか?と、いった程度の思惑から発せられるリアクションは、そのコメンテーターの持っている枠組みに限定され、それを超えることは出ない。

多部未華子の表情が素晴らしかったのは、想像を遥かに超えた体験によって惹き出された、本人すら意識していなかった、いや、意識していては決してできない魂の表情であったからだ。

そして、それにより、その料理がいかに素晴らしいものであるか?を、視聴者も実感することができる。

「人が料理を、そんなに美味しそうに食べるのを、見たこと無いよ。それほどまでに、その料理は美味しいのか!?」

そしてまた、専門家による的確なコメントが、その料理の素晴らしさの論理的な側面を補完してくれるので、多部未華子により与えられた、あたかも自分が味わったかのような感動に、リアリティを添え、いつまでも記憶に残る素晴らしい体験にまで昇華してくれる。

長年に渡り、創造性に溢れたスタッフ達に洗練され、築かれて来た番組フォーマットを、たかだか1回や2回の視聴率対策のために、小手先でいじってみても、視聴率が上がるはずがない。

ましてや、その番組の『オリジナル』の部分を削って、他の数多ある番組でやっているようなことを追加しても、番組の質は落ちる一方であり、一部の声の大きい視聴者の影にいる、数パーセントとは言え実はかなりの数の「アイアンシェフ」の『オリジナル』な部分を楽しみにしている視聴者を、失望させる一方である。

なんか、自分で書いていて、わざわざ人に言われなくとも解っているはずだと思うのだが、違うのか?

民放なので、視聴率至上主義なのはしかたがないとしても、・・・

あー、ダメだ。書けば書くほど、無力感が募る。


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