未来技術の光と影。
SIYOU’s Chronicle




高校生の時に、渋谷パルコで開かれていた「世界のカードコレクション展」を観に行った。

その会場で「日曜だけ開くギャラリー『オン・サンデーズ』オープン!」のチラシが配られていた。

今の「ワタリウム美術館」が建つ前にあった「ギャルリーワタリ」の一角を借りて、日曜日だけ「オン・サンデーズ」の名の下に、アートグッズを販売していた。

当時、トランプやタロットを集めていた私は、良く訪れていた。

「オン・サンデーズ」自体は、日曜だけの間借りの状態から、何度か場所を変えてアートショップとして独り立ちし、今の状態に落ち着いている。

当時、自分よりも少し年上の素敵なお姉さんが、ヤドカリが如く居を移るごとに成長して行く様を、憧憬の念を抱きながら追っていた。

そもそもその当時、自分がトランプやタロットを集め始めたきっかけを覚えていない。

時期が一緒なので、もしかすると「オン・サンデーズ」を訪れたのを機会に、収集を始めたのかもしれない。

自分の生活と無縁な「神宮前」という煌めきに満ちた別世界。そことの関わりを繋ぐ接点を維持するために、店を訪れることを日常としたかったのかもしれない。

自分とそれほど年の離れていない一人の魅力的な女性が、神宮前で孤軍奮闘してアートショップを経営している。

それこそ、ギャラリーを日曜だけ間借りしてのスタートだ。

そんな姿に畏怖の念すら覚えながらも、明るく気さくに接してくれる場所、自分が行っても良い場所として、日常をひと時忘れるための、心の拠り所になっていたのかもしれない。

残念な事に、店が大きくなるにつれ、アート本や、小物はポストカードなどが主流になり、自分の収集対象は店に置かれなくなってしまった。

「もう、扱ってないんだな。」と解ってからも、時折思い出したように訪れていたのだが、今の「ワタリウム美術館」になって初めて行った時に、もうそこに自分の居場所がないことを確信し、依頼訪れていなかった。

その時の店構えや、時折見かける記事から、なんか凄いことになっているのは感じていた。

今年の春にたまたま何かで、そう言えば今どーしてる?と、「オン・サンデーズ」を検索し、この本を見つけた。

「夢みる美術館計画 ワタリウム美術館の仕事術」


素晴らしい本であった。

「現代美術」の入門書としても読める。

現代美術の知識を体系的にまとめたものではなく、「現代美術って良く解らない。」と言う人が読んでも、どんな人がどんな思いでそれに取り組んでいるのかが「感じられる」ような内容になっている。

なおかつ、ジャンルごとに章立てしているので、現代美術の広がりを知ることも出来る。

「お姉さん」の名前は「和多利恵津子」であることを知り、そして何より、その母である「和多利志津子」の精力的な活動に魅了された。

恵津子氏のあのバイタリティーは、志津子氏譲りであったのか。

そもそも、個人経営の美術館というのが、不思議であった。

そんなことが可能なのか?と。

本を読んで分かったのだが、やはり、常識的には不可能である。

「ワタリウム美術館」の存在は、志津子氏の並外れた行動力と、それによって築かれた奇跡の人脈とに基かれている。

たとえば「キース・へリング」。

ニューヨークで話題になりはじめると、直ぐに現地に赴いて彼に会い、世界で2番目の、そして海外では初の個展を、東京で実現させてしまう。

来日して二週間の間に、ワタリウム美術館の向いある全面ガラス張りのギャラリーで400点余りの作品を仕上げ、それでも飽き足らずに外壁にもペインティングを施してしまった。

「ダライ・マラ」を招いた時は、警察との綿密な打ち合わせの結果、80人以上のSPが見守る中、講演会を開催した。

こんなとこ、日本人では「兼高かおる」ですら行ってないよな。と、思われるような外国の僻地に赴き、日本での個展の開催をアーティストと直接交渉し、「明日、〇〇が来るんだけど、会ってみる?」との誘いに応じて、普通ではとても逢えない様な人物との繋がりを広げて行く。

一人の女性の生き様を描いた、小説のような読みごたえもある。

本を読んで、キース・へリングの壁画を観たくなって今年になって出かけてみたが、既になくなっていた。

確か、この辺りにあったよね、オンサンデーズ。と思いながらも、見逃すはずがないので、もう、ないようだと落胆した。

店にも寄ってみたが、やはりそこは既に違った意味での異世界になっており、居心地の悪いまま、直ぐに退出してしまった。

ただその時から、インスタをフォローして気にしていたのだが、先日、こんな記事を目にした。

30年目のワタリウム美術館がコロナ禍で危機。 貴方の支援が日本のアートを救う。
ワタリウム美術館は今年で開館30周年を迎える、現代アートの私立美術館です。新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けた来館者数の減少に対し、早急なご支援をお願いいたします。

一大事だ。

他には替えの効かない唯一無二の存在になっているのだが、万が一にも
「好きな本屋だったのに」
「好きな美術館で良く行っていたのに」
などの事態になってしまった場合、他の者が、後からその座を継ぐのは不可能だ。

「和多利志津子」と言う奇跡と、個人経営の美術館という俊敏さによって成り立っているそれは、何人にも真似すらすることは出来ない。

興味を持たれた方、まずは本を読んで「現代美術」を観てみようか。と思ったら、是非、クラウドファンディングで支援して欲しい。リターンとして「ワタリウム美術館 入場券」が貰えるので、良い機会になるに違いない。


「世界のカードコレクション展」のパンフレット。奥付に「会期-1979年1月2日(火)~10日(水)/編集-ギャルリーワタリ」とある。


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久々に、腹が、お腹の皮とか腹筋だけでなく、腹全体が捩れるほど笑った。

登場から番組終了まで、捩れっ放しであった。

くっくっくっくっ、くーっ!くっくっくっ・・・

8/15(土)深夜のゴッドタン、「この若手知ってんのか2020後編」のシェイク・ヒロシだ。
ネットもテレ東 > バラエティ > ゴッドタン > この若手知ってんのか2020後編

正直、何がそんなに面白いのかは、言葉では説明出来ない。

恐らくは、「相手に噛み付いて緊張状態を作り出し、最後のタメで緊張感がMAXに至った直後に、フニャッと脱力させたら、面白いんぢゃね?」位の算段はあったのだと思う。

だが、それがそれほど面白いとは、期待できない。

ましてや、ゴッドタンに「期待の新人」として呼ばれて披露するにしては、あまりにも貧弱ではないのか?

恐らく一番驚いたのはシェイク本人であろう。

正直、それほど自信のあるネタでもないし、自分的にベストのパフォーマンスであったとも思えない。

にもかかわらず。だ。

目の前で"ひとり"が大爆笑している。

"ひとり"のみであれば、たまたまどこかのツボを押してしまったと言う、幸運に恵まれただけなのかも知れないが、その隣で矢作もノケ反って大笑いしている。

そもそも、一発目は途中でMCからチャチャが入ったせいで、段取り通りの展開に持って行けていない。

途中からグダグダになって、どうして良いか判らなくなり、一応用意していたオチを放ってみたものの、内心は絶望的な気分に陥っていたに違いない。

にも関わらず。

にも関わらずだ。

上記の様な、もう、これ以上はないんじゃないかと言うような、至福の状態を導いてしまった。

その後も、何をやっても、ウケてしまう。

「わかんない、わかんない!」と、大手を振って否定しながらも、ゲラゲラ笑っている朝日。

そう。何がそんなに可笑しいのか解らないんだけど、もう、笑わずにいられない。

宣材写真というのか、その真面目そうな面持ちに告げられた「シェイクスピアの後継者というコンセプトのピン芸人」との紹介からは、なんか理屈っぽい独りよがりなネタを語るという芸風しか思い浮かばない。

だが、現れたのは、これ↓だ。



その突飛な設定に「なり切れてない」どころか、どこまでが狙いでどこからが地なのか全く不明なグダグダの自己紹介から、もう、笑いが止まらない。

極度の緊張状態なのか、狙いなのか、終始オドオドしているかの立ち振る舞い。

これはね、狙って出来る類のものではない。

真面目な宣材写真からの突飛な出で立ち。その余りにもテキトーな完成度。

この辺りまでは狙い通りだと思うのだが、それ以降の展開は、恐らく誰も予期出来なかったであろう。

ミューズが微笑んでくれた、至福のひと時であった。

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